レベル49
《紅玉の旗亭》に届く報せ。
朝の光が差し込む頃、《紅玉の旗亭》は依頼の受付や冒険者たちで賑わいを見せていた。
アルフレッドたちは休息を終え、静かに食事をとっていたが、その空気を切り裂くように扉が勢いよく開かれた。
「緊急依頼だ! 北東の山岳地帯にある環状列石が――異常な光を放ち始めた!」
息を切らした伝令役のギルド員が叫ぶ。
周囲の冒険者たちがざわめき、広間の空気が一気に張り詰めた。
ギルド長が前に出て、冷静に状況を整理して告げた。
「列石の封印が不安定化し、周囲の村々では家畜が消え、夜ごと影の獣が出没しているという。
そして……現地にはすでにセイセス=セイセスの一団が目撃されている」
その名を聞いた瞬間、アルフレッドたちは互いに視線を交わす。
前回の戦いを経て、彼らが次に狙うのが別の列石であることは、もはや疑いようがなかった。
「来たわね。奴らは本気で列石を壊しにかかってる」
セレナが剣の柄に手を置き、立ち上がる。
「遺物の封印の鍵を狙っているに違いないわ。こちらが一歩でも遅れれば……」
ミリアは険しい目で地図を睨んだ。
「なら、俺たちが行くしかないだろう」
バルトが低く言い、拳を握りしめる。
「帝国や王国の誰かが守るよりも、私たちが選ばれた継承者として行くべきです」
クレアの祈りを帯びた言葉が、仲間たちの心を確かに後押しした。
アルフレッドはゆっくりと席を立ち、剣を背にかける。
「よし……次の戦場は、北東山岳の列石だ。俺たちが封印を守る」
こうしてアルフレッドたちは再び立ち上がり、王都を後にすることを決意する。
その背後で、ギルド長は低く呟いた。
「奴らの狙いが何であれ……この戦いは、いよいよ世界の命運に繋がるだろう」
冒険者たちの新たな旅は、静かながらも確実に、黒幕ザカリー・グラッドストンの影へと繋がっていく――。
アルフレッドたちは王都ロムルストを発ち、北東の山岳地帯へと向かっていた。
残暑の風が街道を吹き抜け、青々とした森が道を囲んでいる。だが、その穏やかさとは裏腹に、列石の異変を前にした一行の胸には緊張が走っていた。
「……風の流れが不自然ね」
セレナが眉をひそめる。木々の枝が一定の方向に揺れ続け、まるで何かを指し示しているようだった。
「自然のものではありません。……魔力の逆流です」
ミリアが杖を掲げ、漂う粒子を見やると、それらは薄青い光を帯び、森の奥へと吸い込まれていった。
道中、小さな山間の村を訪れると、人影はまばらで、家畜小屋には鍵が掛けられていた。
年老いた村人が近寄り、震える声で語る。
「夜になると、影が……動くのです。獣の形をして、畑を荒らし、牛や羊が消えていく。兵士も見回りに来ましたが、すぐに退いてしまった」
クレアは村人の手を取り、静かに頷いた。
「心配しないでください。私たちが確かめます」
夜を待たずして、一行は山道を進む途中、黒い霧のようなものを目にした。
やがてその霧が形を取り、四足の影獣が三体、牙をむき出しにして襲いかかってきた。
「来るぞ――!」
アルフレッドが剣を抜き、仲間たちも一斉に応じる。
アルフレッドは魔剣を閃かせ、前方の影獣を一閃に叩き斬る。
ミリアは素早く呪文を唱え、炎弾を連続して放ち、影を焼き払った。
バルトは盾を構え、迫る獣を受け止めてから戦斧で弾き飛ばす。
セレナは剣を舞うように操り、連撃で一体を押し込み、追撃の斬閃を浴びせる。
クレアは光の結界を展開し、仲間の背後を守りつつ、癒しの力で疲弊を癒やした。
短いながらも激しい戦闘の末、影の獣たちは霧散して消えた。
静けさが戻ると、森の中にただ風の音だけが残った。
セレナは剣を鞘に収め、吐息を漏らす。
「こんなものが村を襲っていたら……そりゃ人も逃げるわね」
「だが、これは前触れにすぎない」
アルフレッドが影を踏みしめ、鋭い視線を前方へ向ける。
「列石の周囲では、もっと強大なものが待っているはずだ」
仲間たちは無言で頷き、再び歩みを進めた。
山道を抜け、岩稜が空を切り取るあたりまで来たときだった。
風が、ふっと音を失う。
空は晴れているのに、遠景がわずかに二重に揺れて見えた。稜線の上に薄膜が重なり、雲の輪郭が遅れて追いかけてくる。
「……屈折してる。陽炎じゃない、術式の面だわ」
ミリアが指を鳴らし、杖先で空間をなぞる。薄青い粒子が線となってにじみ、北東——列石のある方角へ吸い込まれていった。
次の瞬間、足裏に「どん」と鈍い拍が届く。
大地の奥で、心臓のような鼓動——環の鼓動だ。
「聞こえるか?」
アルフレッドが低く問うと、全員が無言で頷く。鼓動は二拍目でかすかにずれ、間合いの合わない太鼓のように不快な揺れを残した。
道の脇、崩れた祠の跡から石が転がり出ていた。セレナが片膝をつき、黒ずんだ石面の刻みを指でなぞる。
「……これ、ただの装飾じゃない。陣式の目盛り。本来はこの線とこの線が重なるはず」
「ずれてる」
クレアが聖印を掲げると、刻みは淡く光り、目盛りは確かに半拍分、右へ流れていた。
「封印の拍が外れている……だから瘴気が漏れるんです」
少し進むと、谷風が急に冷たくなり、岩肌が低く鳴いた。
裂け目から吹き出る冷気は白い霧となって足元を撫で、霧の縁が赤黒く燐光を帯びる。
「地脈が引っ張られてる。列石を中心に、魔力の流れが反転してるわ」
ミリアは羊皮紙に素描を重ねる。線は渦を巻き、中心に『◯』が描かれた。
やがて、岩壁の陰に半ば埋もれた石柱が見つかった。高さは人の胸ほど、頭頂には星図のような円が刻まれている。
アルフレッドが砂を払うと、欠けた輪の継ぎ目に小さな金属の受け座がはまっていた。
「楔を差し込む座だな」
バルトが唸る。「でも抜かれてる。痕が新しい」
ミリアは受け座に微量の魔力を流した。途端に石柱の面が淡く明滅し、断片的な古代文字が浮かぶ。
「……『七柱は鎖環となり、拍を合わせて門を縫う。楔を欠けば、響きは乱れて門は息をする』」
「息をする門、ね」
セレナが苦笑し、視線を稜線の向こうへ向ける。「今まさに、呼吸が荒いわけだ」
さらに奥、乾いた沢筋に折れた碑が転がっていた。ひとつは面ごと煤け、もうひとつは刃で抉られた跡が連なっている。
クレアが手をかざすと、煤の下から祈詞の断片が浮いた。
「……『位相を合わせ、影を外し、響きを結べ』」
「位相合わせ……クレアの光で面を固定できる」
ミリアが短く言い、アルフレッドを見る。
「拍を戻すには、まずこの乱れを止める必要がある。列石に入る前に、外縁の目盛りをいくつか基準に戻すの」
「いい、やるわ」
クレアが聖印を握り、深く息を吸った。
——その時、空の二重像がひときわ強く歪み、稜線の上に黒い波紋が走った。
鼓動が一拍、明らかに遅れる。足元の石がわずかに浮き、砂粒が逆流するように宙に舞った。
「今のは——」
「列石の拍が落ちた。本体は近い」
ミリアが即答する。
アルフレッドは頷き、短く号令をかけた。
「セレナ、前方の視界確保。バルトは右の沢筋を塞げ。ミリア、基準の柱を三本選んでくれ。クレアは《光輪固定》で位相を合わせる。俺は拍に合わせて線を切る」
「承知!」
それぞれが散り、作業に入る。
クレアの祈りが淡い輪光となって石面を撫で、ズレた目盛りが一目ずつ正時に戻っていく。
ミリアは岩陰の小柱を三本、羊皮紙の星図と照らし合わせて打点し、雷の細い糸《雷鎖》で印を結ぶ。
バルトは崩れやすい岩を楯で打ち固め、瘴気の吹き出し口を石積みで仮封。セレナは高みへ跳び、二重像の濃い筋を見つけて旗布で合図を送る。
「――今!」
鼓動が一拍、ふっと整う瞬間。
アルフレッドの魔剣が蒼く走り、目盛りから外に延びた余計な線を斬り払った。
切断面は光の粉となって散り、風の音が少しだけ戻る。
「一つ合わせた。次へ」
「二本目、固定完了!」
「右の沢、押さえた!」
短い連携が続き、三つ目の基準が正時に嵌まったとき――。
谷全体を満たしていた不快な揺れが、一瞬だけ消えた。
静寂。
そして、遠くから応えるように、重く澄んだ「一拍」が返ってくる。
環の鼓動が、こちらの呼吸と重なった。
「……効いてるわ。空の二重像が薄い」
セレナが目を細める。
「でも本体は待ってくれない」
ミリアが石柱の奥、黒く開いた切り通しを見た。「列石の中枢で、誰かが別の拍を鳴らしてる」
アルフレッドは剣を収め、仲間を見回した。
「導入は済んだ。――ここから先が列石だ」
空の歪みはまだ薄膜のように残っている。だが足裏の拍は、さっきよりも確かだ。
五人は息を合わせ、黒い切り通しの先——環の心臓へと歩を進めた。
黒く口を開けた切り通しを抜けると、一行の視界は一変した。
そこは大地そのものが裂け、環の中心にぽっかりと開いた巨大な盆地だった。盆地を取り囲む石柱群はひび割れ、赤黒い光を脈打たせながら夜空を照らしている。
中心には巨大な裂け目があり、その奥底からは鼓動にも似た震動が絶え間なく響いていた。
そのたびに空は歪み、雲が逆流し、星明かりが二重に滲む。まさに、ここが「環の心臓」だった。
「……ここが列石の核、環の中心か」
アルフレッドは剣を抜き、刀身に浮かぶ蒼炎を見つめた。炎は風もないのに揺れ、まるで心臓の鼓動と同調しているかのようだった。
「魔力の流れが逆転してる。外界から内へ……いや、内から外へ押し出してるのかも」
ミリアは額に汗を浮かべ、震える大気を読む。
「この圧、戦場で浴びた瘴気よりも濃いな……!」
バルトは戦斧を構え直し、気配に備える。
その時、裂け目から黒い光の柱が噴き上がった。
柱は空に届くほど伸び、次の瞬間、形を変えていく。
光柱から抜け出したのは、甲冑を纏った影の戦士。
しかし、その輪郭は不明瞭で、鎧は古代の意匠と現世の歪みが混ざり合った異様な姿をしていた。
兜の奥では、紅い双眸の炎が燃えている。
「……守護者か。それとも侵入者の残滓か」
セレナが低く呟き、双剣を逆手に構えた。
影の戦士は言葉を発しない。ただ剣を抜き、環の中心で一行を待ち受けるように立ちはだかった。
その剣身は裂け目の瘴気を凝縮したもので、振るうたびに周囲の大気が震える。
「避けられないようね……!」
クレアが祈りを込めて聖印を掲げ、黄金の光を仲間たちに分け与える。
「構えろ……ここを抜けなきゃ列石を救えない!」
アルフレッドが号令を放つと同時に、影の戦士が大地を踏み砕いて突進してきた。
蒼炎と紅炎が交差し、荒野の中心で戦いの幕が切って落とされる。
裂け目から溢れた瘴気が渦を巻き、影の戦士が一歩踏み出すたびに、大地が低く唸った。
その剣はまるで闇を凝縮したかのようで、刃先から黒い火花が散っている。
「来るぞ――!」
アルフレッドが声を張り、仲間たちは即座に陣形を整えた。
影の戦士が突進。赤黒い残光を引く剣閃が、真っ直ぐアルフレッドへ襲いかかる。
アルフレッドは魔剣を交差させ、火花を散らして受け止めた。
衝撃は岩壁を震わせ、互いの足元に亀裂が走る。
「重い……っ!」
アルフレッドが歯を食いしばる。腕に伝わる圧は常人なら骨を砕かれるほどだった。
その隙を突いて、セレナが疾風のように走る。
「《双牙閃》!」
双剣の斬閃が影の脇腹を切り裂くが、黒い鎧は裂けてもすぐに瘴気で塞がっていく。
「やっぱり再生するのね!」
セレナが舌打ちする。
「なら、削ってでも押し込む!」
バルトが咆哮し、盾で突進。影の剣を受け流すと同時に、戦斧を全力で振り抜いた。
衝撃波のような一撃が影の戦士をよろめかせる。
「今だ、畳みかけるわ!」
ミリアが詠唱を紡ぎ、雷の矢を数本同時に放つ。
「《雷鎖の雨》!」
雷撃が影の甲冑に突き刺さり、全身を痙攣させた。
「光よ、敵を穿て!」
クレアの祈りと共に聖なる矢が降り注ぎ、瘴気を裂いて影の動きを一瞬止めた。
だが影の戦士は沈まない。
咆哮と共に全身から黒炎を放ち、周囲に衝撃波を走らせた。
「くっ……!」
仲間たちは弾かれ、岩肌に叩きつけられる。クレアがとっさに結界を張らなければ、致命傷になっていた。
影の剣が地を薙ぎ払うと、大地に黒い亀裂が走り、そこから細い触手のような瘴気が伸びて一行の足を絡め取ろうとした。
「邪魔だ!」
アルフレッドが魔剣を振り下ろし、蒼炎で触手を焼き切る。
その隙に影の戦士が再び迫り、今度はバルトに狙いを定めた。
盾で受け止めた瞬間、鈍い轟音が響き、バルトの巨体が後方へ吹き飛ぶ。
「がはっ……! くそ、こいつ……!」
血を滲ませながらも立ち上がり、再び斧を構える。
「一撃ごとに地が崩れてる……長引けば封印自体が壊される!」
ミリアが叫ぶ。
「なら短期決戦だな」
アルフレッドは息を整え、仲間を見渡す。
「一瞬で奴の核を露出させて叩き込む。全員、合わせるぞ!」
仲間たちの目に決意が宿る。
蒼炎の剣が再び光を増し、戦いはさらに熾烈さを増していった。
そうして、アルフレッドたちの連携攻撃を受け、影の戦士は膝をついた。
その胸部に刻まれていた鎧が裂け、内部から脈打つ赤黒い結晶が露出する。
「……あれが、核!」
ミリアが声を上げる。
結晶は心臓のように脈動し、そのたびに環状列石全体が震えた。
周囲に立つ石柱が鈍く共鳴し、刻まれた古代文字が不気味に赤光を放つ。
突然、石柱が「ぎしり」と軋み、まるで生き物のように揺れ動いた。
地に走る亀裂から瘴気の蔦が伸び、触手のように一行を狙う。
「……列石そのものが敵に回った、ってわけか!」
バルトが斧で蔦を叩き斬り、呻き声を上げる石柱を睨んだ。
「本来は封印の守護なのに……核が支配を奪ってる!」
ミリアが額の汗を拭い、魔力の奔流を読み取る。
「このままじゃ列石そのものが門になる!」
石柱同士を繋ぐ赤黒い稲光が走り、空を裂いた。
裂け目の上には黒い渦が生まれ、そこから異形の影がぞろぞろと顔を覗かせる。
セレナは双剣を構え、低く笑った。
「お出迎えが過ぎるわね。……でも、片っ端から斬る!」
彼女が飛び込み、伸びた瘴気の蔦を切り払うと、クレアが光の結界で隙間を塞ぐ。
「光よ、石環を縫い留めよ――《聖環結界》!」
黄金の光輪が地を走り、石柱の一部を縛りつけた。だが、封印そのものの力はあまりにも強く、結界は軋みを上げて押し返される。
影の戦士は立ち上がり、露出した核を守るように黒炎をまとった。
その瞳は燃え盛る紅光となり、仲間たちを次々と射抜く。
「くそ……核を狙いたいのに、奴が前に立ちはだかる!」
アルフレッドが歯を食いしばり、剣を構え直す。
「でも、あれを叩かないと意味がない!」
ミリアが叫び、雷光を収束させる。
「なら俺が道を開く!」
バルトが盾を掲げ、影の戦士へ正面から突進した。
「来い、俺を押し潰してみろ!」
バルトが影を押しとどめた瞬間、アルフレッドとセレナが左右から駆け抜ける。
クレアは必死に祈りを重ね、列石そのものの暴走を少しでも抑えようと光を放つ。
頭上の空は裂け続け、異形の手が伸びかけていた。
だが、仲間たちの視線はただ一つ――影の胸で脈動する「心臓」に集まっていた。
「ここを叩き潰せば……列石はまだ救える!」
アルフレッドの声が響き渡る。
戦いは、真の決戦へと移ろうとしていた。
轟音が荒野を揺らす。
列石の全てが呻き、赤黒い稲光が空を裂き続けていた。影の戦士はなおも胸の核を守るように立ちふさがり、その剣からは無尽の黒炎があふれ出す。
「これ以上は……周辺地域が呑まれるわ!」
ミリアが声を張り上げる。
「だったら――決めるしかない!」
アルフレッドは魔剣を構え、仲間に短く頷いた。
「俺が正面で押さえる! 命を懸けても構わねぇ!」
バルトが雄叫びと共に突撃し、巨大な盾で影の剣を受け止めた。
甲冑の火花が散り、地を裂くほどの衝撃が走る。
「隙を開ける……それが私の役目よ!」
セレナが疾風のごとく走り込み、双剣を交差させた。
「《双牙裂閃》!」
影の脇腹に深い裂傷を刻み、動きを鈍らせる。
「星よ、雷よ、ここに堕ちて!」
ミリアが高らかに詠唱し、天から蒼白い雷炎を呼び下ろす。
稲妻が影の全身を包み、鎧を砕く。
「光よ、仲間に勝利を!」
クレアが聖印を高く掲げ、黄金の光柱が仲間の武器を包んだ。
「今だ――俺たち全員で、終わらせる!」
アルフレッドの魔剣が蒼炎を轟かせ、仲間たちの力と重なり合う。
蒼炎と聖光と雷火と双刃の閃きが一斉に走り、影の胸の「心臓」を直撃した。
結晶が悲鳴のような衝撃音を放ち、亀裂が無数に走る。
「砕けろおおおッ!」
バルトの戦斧が最後の一撃を叩き込み、心臓は粉々に砕け散った。
その瞬間、赤黒い光が荒野全体から吸い込まれるように消え、列石の石柱が一斉に沈黙した。
空を覆っていた黒雲が裂け、朝日の光が差し込んでいく。
「まだ……完全に収まったわけじゃない」
ミリアは震える大地を感じ取り、杖を地に突き立てた。
「封印を、繋げ直します!」
クレアが祈りを込め、聖印を輝かせる。
彼女の祈りとミリアの魔法陣が重なり、列石を鎖環として結び直す光が走った。
ひび割れた石柱は淡く再生し、鼓動はやがて安らかな拍に戻る。
荒野を覆っていた瘴気は散り去り、風が草の香りを運んだ。
仲間たちは互いの顔を見合い、重く息を吐く。
「……やったな」
バルトが戦斧を肩に担ぎ、豪快に笑ったが、その膝は震えていた。
「これでここの列石は救われた。でも……同じ異変はまだ続く」
ミリアが石柱に触れ、厳しい目を向ける。
「そうね……奴らの狙いは、まだ果たされていない」
セレナが双剣を拭き、鋭い瞳を遠くへ向けた。
アルフレッドは剣を収め、仲間を見渡した。
「だが今日も守り切った。次が来ようとも、俺たちは進むだけだ」
列石の中心には静寂が戻り、ただ風が過ぎていった。
だが、砕けた心臓の残滓が大地に染み込み、黒幕の影が確かに次の動きを始めていることを、一行は感じ取っていた。
列石の鼓動が静まり、赤黒い雲も散ったあと。
荒野にはようやく夜明けの光が差し込み、焼け焦げた大地を淡く照らしていた。
仲間たちは戦いの余韻に息を整えていたが、その時――
かすかな物音が砂礫をかき分けるように響いた。
「……聞こえたか?」
セレナが耳を澄ませ、素早く剣を抜く。
倒壊した石柱の影から、小さな黒いかけらが這い出ていた。
それは虫にも似た形で、瘴気のしずくを滴らせながら地面を這い回る。
「まだ残っていたのね……!」
クレアが祈りの言葉を唱え、聖光を投げかける。
光に触れた影虫は断末魔のような音を立て、霧散して消えた。
だがその消滅と同時に、黒い灰のような残滓が地面に刻印を描き出した。
円環を模した紋様、その中心には蛇のような形が浮かび上がる。
「……見ろ。あれはセイセス=セイセスの印じゃないか?」
バルトが低く唸る。
ミリアは跪き、灰に触れながら眉をひそめた。
「偶然じゃない。誰かが列石を媒介に印を残していった……つまり、彼らは封印を壊すだけじゃなく繋げている」
「繋げている?」
セレナが険しい顔を向ける。
「ええ。列石ごとにこの印を刻んで回れば……最後に鎖環が反転する。封印は鎖ではなく、門へと変わる」
その時、遠方で不気味な鳥の群れが一斉に羽ばたき、東の空へ消えていった。
鳥たちの鳴き声は不自然に濁り、影の残滓をまとっていた。
クレアは顔を強張らせ、胸元の聖印を握る。
「……まだ、この荒野に何かが残っている」
アルフレッドは仲間を見渡し、剣に手を置いた。
「なら、王都に戻って報せるだけじゃ足りない。……次は、俺たち自身が印の謎を追わねばならないな」
淡い朝日の下で、砕けた石片がかすかに震え、まるでまだ心臓の残響が残っているかのようだった。
荒野での戦いと修復を終えたアルフレッドたちは、疲労を抱えながらも王都ロムルストへ戻る道を歩んでいた。
朝日が背を押すように昇り、だがその光は決して安堵を与えるものではなかった。荒野に残した印の記憶が、胸中に重くのしかかっていたからだ。
「……ただの封印の揺らぎじゃない。奴らは列石そのものを繋ぎ替えようとしている」
ミリアの呟きに、誰もが無言で頷いた。
数日の行軍の後、石造りの城門が見え始めたとき、仲間たちの顔には緊張と疲労が入り混じっていた。
ロムルストの街並みはいつもと変わらぬ賑わいを見せていたが、その喧騒がむしろ異様に思えた。
冒険者ギルド《紅玉の旗亭》。
重厚な扉を押し開けると、夕刻の広間は冒険者たちの声と酒杯の音で賑わっていた。だがアルフレッドたちが姿を見せると、場の空気は一瞬で静まり返る。
「お帰りなさい……列石の件ですね?」
受付嬢の声に、アルフレッドは深く頷いた。
奥の記録官が呼ばれ、石造りの机の上に羊皮紙を広げる。
アルフレッドたちは順に報告を行った――
・影の戦士との戦闘と「心臓」の破壊
・列石の鎮静と修復の経過
・瘴気の残滓が刻んだ「セイセス=セイセス」の印
・列石同士を繋ぎ替えようとする意図
記録官の筆は重く進み、そのたびに場の空気が張り詰めていった。
「……列石が鎖環として世界を守るのは確かだ。しかし、鎖を反転させ門に変える……そんなことが本当に可能なのか?」
記録官が低く問う。
「可能だ。証拠は見ただろう」
ミリアが石片を机に置くと、かすかに赤黒い紋様が浮かび上がった。
「セイセス=セイセスが動いているのは確実です」
クレアが祈りを込めるように言葉を重ねる。
「これを放置すれば、次に列石そのものが門へと変貌し、人界を侵すでしょう」
その場に居合わせた冒険者たちがざわめき、誰もが事態の重さを悟っていた。
報告を終えた後、アルフレッドは仲間たちを見渡し、短く言った。
「次の異変が起きる前に、俺たちが動く。……鎖環を守るのは、俺たちの役目だ」
セレナが無言で頷き、双剣の柄を握る。
バルトは豪快に拳を鳴らし、「いつでも行ける」とだけ答えた。
ミリアは冷静な眼差しで次なる地図を開き、クレアは胸の聖印を固く握りしめた。
《紅玉の旗亭》の広間に再びざわめきが戻る。
しかしそのざわめきは、仲間たちを見送る者たちの祈りと期待を含んだものだった。
報告を終えたアルフレッドたちは、ギルドに併設された宿の一室へ戻った。
王都の窓からは灯火が瞬き、喧騒の余韻が遠くから響いている。
荒野の戦いを経てようやく戻った安堵が、静かに部屋を満たしていた。
「ふぅ……背中がまだ痛ぇな。あの影の戦士の一撃、盾越しでも骨に響いたぞ」
バルトが笑いながら肩を鳴らす。
「でも……あなたが前に立ってくれたから、みんな無事だったんです」
クレアは柔らかく微笑み、祈りを込めて彼の傷を癒す。
「お前が光をくれたから立てたんだ。……ありがとな」
バルトは照れくさそうに頭をかき、視線を逸らした。
一方、窓辺ではセレナが双剣を丁寧に拭いていた。
「……嫌だったな。あの敵、人の形をしてた」
その声にミリアが顔を上げる。
「そういう違和感を覚えている限り、あなたは剣に呑まれない。……私も、冷静でいるように見えるだけよ。本当は胸がざわついてる」
セレナは少し笑い、肩をすくめた。
「ありがと。……あんたが隣にいるから、私も剣を振れるんだと思う」
仲間たちの声を背に、アルフレッドは机に置いた魔剣を静かに見つめていた。
裂け目から現れた「心臓」、そして瘴気の印。
背後に確かに潜む黒衣の影――ザカリー・グラッドストン。
「……俺たちは、どこまで抗えるんだろうな」
小さな独白に、返事はなかった。
だが背後からセレナが近寄り、短く言葉を残した。
「でも、あなたがいる限り、私たちは進める」
その一言に、アルフレッドはわずかに肩の力を抜いた。
やがて灯火が小さく揺れ、仲間たちはそれぞれ床に就いた。
荒野での激戦を越え、ようやく訪れた安息。
しかし誰もが理解していた――列石の鎮静はまだ始まりにすぎず、セイセス=セイセスの影は次の一手をすでに準備しているのだと。
それでも今は、共に戦い抜いた仲間の温もりを確かめ、眠りに身を委ねるしかなかった。




