レベル48
朝。まだ陽が昇りきらぬうちに、《紅玉の旗亭》の扉が乱暴に開け放たれた。
息を切らせた伝令が駆け込み、受付嬢に封蝋付きの文書を差し出す。
その空気に冒険者たちのざわめきが静まり、緊張が走った。
「アルフレッド殿たちに……至急お伝えしたきことがございます!」
伝令は声を張り上げ、ギルドの受付カウンターに駆け寄る。
ギルドのスタッフがその封書を確認すると、アルフレッド達を呼んだ。
「来たか」
アルフレッドが文書を受け取り封を解くと、中には王立魔術院の紋章が刻まれた書簡があった。
「……南方荒野に位置する第二の環状列石にて、大規模な魔力異常が観測された。封印のゆらぎは王都で確認されたものより強く、早急な調査を要す。セイセス=セイセスの介入が疑われ、武力と知識を兼ね備えた者が必要である……」
ミリアが読み上げると、場はどよめいた。
クレアの顔色が変わる。
「つまり……私たちに来い、ということですね」
「異常が拡大する前に動くしかない。南方荒野か……地形的にも、戦いやすいとは言えんな」
セレナが鋭い眼差しで地図を睨んだ。
「ふん。荒野だろうが何だろうが、敵を叩き潰すだけだ」
バルトが豪快に笑ったが、その眼は真剣だった。
アルフレッドは書簡を畳み、腰の魔剣にそっと手を添えた。
「……休息はここまでだ。次の戦いが俺たちを待っている」
その声に、仲間たちはそれぞれ頷いた。
再び背負う荷は重い。だが、選ばれた者として歩みを止めることは許されない。
ロムルストの城門を後にしたのは、まだ朝靄の残る時刻だった。
王都の喧騒は遠ざかり、代わりに乾いた風が吹き抜ける草原が広がっていく。南へ進むにつれて土色は濃くなり、空気に漂う熱気が肌を刺した。
「……この先は水場が少ない。補給を怠れば、一瞬で足を取られるぞ」
バルトが地図を広げながら言った。戦斧を担ぐ彼の声には、幾多の荒野を踏破してきた者の経験が滲んでいる。
「熱と乾きは敵ね。魔物と戦う前に体力を削られるのは御免だわ」
セレナが肩をすくめ、背の剣を軽く叩いた。
三日目の夕暮れ。
荒野に差しかかった一行の眼前に、不気味な光景が広がった。
地平線の先に、ひときわ赤黒い雲が渦を巻いているのだ。
「……あれが、列石のある場所だな」
アルフレッドが呟く。
「ただの気象現象じゃない。魔力が空気を歪めているのが分かる」
ミリアは掌をかざし、震えるように漂う魔素の波を感じ取っていた。
「封印が……悲鳴を上げてる」
クレアの声はかすれていた。彼女の聖印にまで、かすかな熱が伝わってきている。
その夜、一行が小さな岩陰で野営を張ったときだった。
焚き火の周囲に広がる闇の中から、低い唸り声が響いた。
次の瞬間、土煙を巻き上げながら、影の獣たちが現れた。
「来やがったか……!」
バルトが斧を構え、立ち上がる。
アルフレッドは素早く剣を抜き、仲間に合図した。
「……全員、準備はいいな!」
南方荒野への旅路は、早くも戦いの匂いに満ちていた。
荒野の夜。焚き火の灯りを揺らす風が、一瞬で血の匂いを含んだ。
砂塵を割って姿を現したのは、黒い皮膜に覆われた異形の獣たち――四足とも二足ともつかぬ姿で、瘴気を纏い、眼孔からは赤黒い光が漏れている。
「こいつら……やっぱり封印のゆらぎに引き寄せられてやがる!」
バルトが吠え、戦斧を高々と掲げた。
群れの先頭を突き破るように、巨体の異形が飛びかかる。
バルトは盾を前に突き出し、火花を散らして衝撃を受け止めると、そのまま反動で戦斧を振り抜いた。
「オラァッ!」
黒い獣の首が宙を舞い、瘴気が弾ける。
「こっちも押さえるわ!」
ミリアが杖を掲げ、詠唱を重ねる。
「《フレイム・バースト》!」
紅蓮の火弾が夜空を裂き、群れの一角に炸裂。異形たちが悲鳴を上げ、燃え落ちる。
「数が多すぎる……! なら一匹ずつ斬り伏せるまで!」
セレナは身を低く構え、疾風のように駆け抜ける。
双剣が閃光となり、次々と異形の四肢を断ち落としていった。
「《双牙閃》!」
斬撃が交差し、三体の異形が同時に崩れ落ちた。
「光よ、仲間を守れ!」
クレアが聖印を掲げ、聖なる結界が展開される。
襲いかかる瘴気の波を遮断し、仲間の背を支える光が戦場を覆った。
「これで少しは持ちこたえられるはず……!」
群れの奥、より大きな異形が姿を現した。背中に棘を生やし、口腔からは黒炎を吹き出す。
アルフレッドは仲間を一瞥し、魔剣を構えた。
「……ここを抜けなきゃ、列石には辿り着けない!」
魔剣に蒼炎が宿り、一閃が夜闇を切り裂いた。黒炎を吹いた異形は、その光に呑まれて沈黙する。
やがて群れは散り、瘴気だけを残して消え去った。
荒野には再び夜の静けさが戻ったが、仲間たちの胸には確信が残った。
「……やはり列石の異常は拡大している」
ミリアが低く呟き、炎の消えかけた杖を握りしめた。
「これで前哨戦ってのが恐ろしいな」
バルトは額の汗を拭い、仲間を見渡した。
そしてアルフレッドは、遠くに渦巻く赤黒い雲を睨みつける。
「確かに影響は広がっているようだな……」
黒い瘴気が風に散り、荒野に再び夜の静けさが戻った。
焚き火の火は消えかけていたが、その赤い残り火を囲みながら、一行は腰を下ろした。
「ふぅ……まったく、あいつら、群れで来るとさすがに骨が折れるな」
バルトは戦斧を地面に突き立て、額の汗を拭った。
「だが、盾役の甲斐はあったろ。お前らが無事なら、それで十分だ」
豪放な笑みを浮かべつつも、その声には疲労が滲んでいた。
「問題は、この程度で済むのかってことよ」
ミリアは魔導書を閉じ、赤黒い雲が渦巻く遠方をじっと見据えていた。
「これはほんの予兆に過ぎない。列石そのものに近づけば、もっと強い何かが待っているはず」
その瞳に浮かぶのは、知識への探求と、避けられぬ戦いへの覚悟だった。
「それにしても……あの化け物たち、どこまで増えるのかしら」
セレナは剣を拭いながら、落ち着かぬ声を洩らした。
「怖いのか?」とバルトが問うと、彼女はふっと笑った。
「当たり前でしょ。でも、それを斬り伏せるのが私の役目よ」
恐怖を隠さぬまま、それを力に変える彼女の強さが垣間見えた。
「……聖印がまだ熱を帯びています。封印の痛みが続いている証拠です」
クレアは小さな祈りを捧げ、仲間に安らぎの光を分け与えた。
「どうか、列石が完全に崩れる前に、私たちの力で止められますように……」
彼女の声は柔らかく、それでいて揺るぎない。
仲間たちの声を聞きながら、アルフレッドは静かに剣を見つめた。
刀身に宿る淡い光が、まるで答えるように瞬いた。
「恐れるな。俺たちはこれまでも幾度となく、闇を退けてきた」
彼の言葉は短く、それでいて確かな重みを持っていた。
夜は再び深まり、焚き火の火だけが辺りを照らす。
空に広がる赤黒い雲は消えることなく、むしろ濃さを増していく。
彼らの心に宿る安らぎは一時のものに過ぎなかった。
東の地平が白み始めた頃、アルフレッドたちは焚き火を消し、再び歩を進めた。
夜の静寂を裂くように、朝の風が荒野を渡り、乾いた大地を震わせていく。
疲労は残っていたが、夜明けの光が彼らの背を押した。
「……行こう。あの雲の下が目的地だ」
アルフレッドが前を見据えると、仲間たちも無言で頷いた。
やがて視界の先に、列石が見え始めた。
環状に並ぶ石柱は黒く焦げたようにひび割れ、表面を走る古代文字は脈打つように赤黒い光を放っていた。
大地には亀裂が走り、そこから淡い瘴気が立ち上っている。
「……完全に病んでいるわね」
ミリアが震える声で言った。
聖なる気配に敏感なクレアは胸元の聖印を押さえ、祈りを込める。
「これは……ただの封印の緩みじゃない。誰かが触っているのよ」
周囲に魔物の気配はない。
だが、それがかえって異様だった。
まるで列石そのものが敵意を抱き、生き物を近づけさせぬかのような圧が、空気を支配していた。
「……気を抜くな。ここからが本番だ」
アルフレッドが魔剣を抜き、仲間たちも武器を構える。
次の瞬間、地面に走った裂け目から、赤黒い光が吹き上がった――
環状列石の中心から立ち上る赤黒い光が渦を巻き、やがて大気を震わせた。
石柱に刻まれた古代文字が一斉に脈打ち、次々と剥がれ落ちるように暗黒の力へと吸い込まれていく。
その瞬間、大地を割って現れたのは、巨躯の影――
人型をしていながらも輪郭は曖昧で、鎧を纏った戦士のように見える。だが、その顔は空洞であり、瞳の代わりに紅い炎が二つ揺れていた。
「……あれが、この列石に根を張っていた主か」
アルフレッドが剣を握り直す。
「強い……ただの魔物じゃないわ」
ミリアの声は震えていた。魔力の圧に、彼女の髪が逆立っている。
「なら斬るだけだろ!」
バルトが盾を構え、戦斧を掲げた。
影の主格存在が両腕を広げると、瘴気の奔流が荒野を飲み込んだ。
無数の黒い触手が大地から伸び、一行に襲いかかる。
「《聖障壁》!」
クレアが詠唱し、光の壁を展開する。触手の大半は弾かれたが、力は凄まじく、結界がきしんだ。
「持たないわよ、早く動いて!」
クレアが叫ぶ。
「セレナ、俺と行く!」
アルフレッドが叫ぶと同時に、蒼炎を纏った魔剣を振り抜いた。
「《斬閃連牙》!」
セレナも続き、双剣を煌めかせて影の巨体に斬りかかる。
「《双牙連舞》!」
火花のような斬撃が幾重にも重なり、影の鎧を裂いた。
「効いてる……! でも、深くまでは届いてない!」
セレナが息を荒げる。
「なら、こっちで削る!」
ミリアが杖を掲げ、魔力を収束させる。
「《星雨の連弾》!」
蒼白い光弾が無数に降り注ぎ、影の鎧を打ち砕いた。
「今だ、バルト!」
「うおおおっ!」
バルトが突進し、巨大な盾で影の腕を押し返した。
戦斧を振り抜き、裂け目をさらに広げる。
「これでどうだぁ!」
影は苦悶の咆哮を上げ、赤黒い光を撒き散らした。
しかし――影の主はすぐに再生を始めた。
裂けた鎧の隙間から瘴気が湧き出し、肉体が形を取り戻していく。
「まだ本気じゃない……!」
アルフレッドは歯を食いしばった。
戦いは、ここからが本番だった。
影の巨体が咆哮を上げた。
その声は大気を裂き、大地を震わせ、列石そのものを軋ませる。
砕け散ったはずの鎧が再生し、輪郭がより鮮明に固まっていく。
その姿はもはやただの幻影ではなく、異界から引きずり出された存在そのものだった。
「……くっ、これまでの攻撃じゃ削り切れない」
ミリアが魔力の奔流に押されながら声を上げる。
「なら、全員の力を合わせるしかない!」
アルフレッドが叫び、仲間たちは即座に陣を組み直した。
アルフレッドの魔剣が蒼炎を纏い、セレナの双剣が月光を宿す。
二人は同時に飛び出し、交差する斬撃を放った。
「《双連牙閃》!」
「《斬閃連舞》!」
蒼と銀の斬光が影の胸を裂き、内部の赤黒い核を一瞬だけ露出させる。
「今よ! 私が叩き込む!」
ミリアは全身の魔力を解放し、杖を天へ掲げた。
「《星炎の大落》――!」
空を圧倒し、流星の如き炎が降り注いだ。
爆炎が核に直撃し、轟音と共に影の身体を大きくえぐる。
「まだ立ってやがるか! なら俺が仕留める!」
バルトが盾で瘴気の触手を薙ぎ払い、戦斧を高々と掲げる。
「《轟天裂斧》!」
大地を揺らす一撃が影の片腕を粉砕した。
「皆……耐えて! 聖なる光よ、今こそ彼らに勝利を!」
クレアの祈りが空へ届き、黄金の光柱が列石を貫いた。
仲間たちの武器がその光を纏い、刃は神聖な力で強化される。
「これで終わりだ!」
アルフレッドが魔剣を振り抜き、仲間の攻撃と同時に影の核を貫いた。
影は絶叫と共に砕け散り、瘴気は霧散した。
赤黒い雲は消え去り、列石のひび割れも徐々に静まりを取り戻していく。
荒野に、再び夜明けの光が差し込んだ。
「……勝った、のか」
バルトが重く息を吐いた。
「ええ。でも、これで終わりじゃない」
ミリアが冷静に言った。
「封印の力は確かに戻った……けれど、誰かが意図的に開けようとした痕跡がある」
アルフレッドは仲間を見渡し、剣を収めた。
「戦いはまだ続く。だが――今日も俺たちは守り切った」
影の主格存在を打ち倒した後も、環状列石はなお不安定に脈動していた。
柱に刻まれた古代文字は欠け、光が途切れている。そこをクレアが祈りの声で繋ぎ、ミリアが魔法陣を補強していく。
「文字列の一部が消えてる……古代語の契約を司る句よ」
ミリアは石に触れながら呟いた。
「ここを修復しない限り、封印はまた揺らぐわ」
クレアは祈りを強め、聖印を輝かせる。
「光の加護を……繋げて……!」
二人の力が重なり、石柱に再び明滅が戻る。
修復の間、アルフレッドとセレナ、バルトは列石の周囲を探索していた。
倒壊した柱の根元から、いくつもの石盤が発見された。
その表面には、星図のような図柄と、環状列石の位置を示す地図らしきものが刻まれている。
「……これは、列石がひとつじゃないことを示している」
アルフレッドは石盤を撫でながら低く言った。
「予想はしてたが、こうして証拠を見ると……重いな」
バルトが腕を組む。
「しかも……見ろ、この刻印。鎖環って言葉が繰り返し刻まれてる」
セレナが指差す。
「列石同士が互いに繋がり合い、封印を保ってるのよ」
さらに、石盤の一つには、結晶の破片が埋め込まれていた。
ミリアはそれを慎重に抜き取り、光に透かして見つめる。
「……これは封印の鍵。帝国の遺構で見つけたものと同じ……いえ、それ以上に古いわ」
クレアは聖印を添えて言った。
「これがあるなら、列石の封印を再構築できる。だけど逆に――」
「これを奪われれば、封印は完全に破られる」
アルフレッドが言葉を継ぎ、剣を握る手に力を込めた。
列石の修復はひとまず終わった。
だが発見された石盤と結晶は、一行に新たな疑念を残した。
「この石盤、どう見ても全ての列石の位置を示してるわ」
ミリアは地図を示しながら言う。
「私たちが動くより早く、セイセス=セイセスが動いている可能性がある」
「……黒幕が誰であれ、必ずまたここを狙ってくるだろうな。その時俺たちはどこにいるか……」
アルフレッドの言葉に、仲間たちの表情は険しくなった。
列石の封印を修復した後も、大地はなお浅く震えていた。
石柱に宿った光は穏やかに脈動しているが、その明滅はどこか落ち着かず、まるで深奥からの干渉がまだ続いているかのようだった。
「……静まったように見えて、完全じゃないな」
アルフレッドは剣を収めながら、裂け目を走る淡い光を見つめる。
「ええ。列石自体は応えてくれたけれど……外から手を伸ばしている者がいる」
ミリアの声は硬かった。魔力の残滓を読む彼女の眉は険しく寄っている。
その時、列石の外縁に立つバルトが周囲を睨んだ。
「……足跡がある。俺たち以外のな」
石の隙間に刻まれた土の乱れ。人間のものに近いが、何かを引きずったような跡も混ざっている。
「セイセス=セイセスの連中……?」
セレナが剣を握り直す。
「おそらく偵察ね。直接仕掛ける前に、ここを覗きに来ていたんだわ」
ミリアが静かに答えた。
クレアは膝をつき、地に残った瘴気の痕を見つめていた。
「……これは人の魂が削がれた痕跡です。
誰かがここで犠牲にされ……門を開こうとした」
その声に、一行は一瞬言葉を失った。
アルフレッドが立ち上がり、仲間を見渡した。
「もう見過ごすことはできない。俺たちがここで止めなければ、次は列石そのものが飲み込まれる」
焚き火の消えた夜明けの光が、仲間たちの背を照らす。
その光は不安を払うものではなかったが、少なくとも進むべき道を示していた。
封印の修復を終え、仲間たちが息を整えていたその時――
列石の一角に走るひび割れから、黒い影が滲み出した。
それは人型を模したかと思えば瞬時に獣の形へと変じ、無数の腕と牙を備えた異形の幻獣と化す。
「……まだ残ってやがったか!」
バルトが盾を構え、前へ躍り出る。
「封印に引きずられて顕現してる……残滓じゃない」
ミリアは獣を見返し、魔法陣を展開した。
異形が咆哮を上げ、触手のような腕を振り下ろす。
バルトが受け止めた隙に、セレナが刃を閃かせてその影腕を切断する。
「斬れる……けど、霧みたいに再生してる!」
クレアは即座に聖なる光を放ち、幻獣の輪郭を固定する。
「今です、攻撃を!」
「任せろ!」
アルフレッドの魔剣が蒼炎を纏い、ミリアの雷撃と共に交差する。
轟音と閃光。異形は苦悶の叫びを上げ、霧散した。
しかしその瞬間、一行の視界に異様な映像が流れ込んできた。
崩れた石柱の奥、封印の裂け目から、淡く光る幻視が広がる。
そこには――かつて列石を築いた古代の人々が立っていた。
彼らは祈りの言葉を捧げ、星空を仰ぎ、環状の石を鎖のように結び合わせていた。
「これが……列石を造った文明の記憶?」
ミリアが息を呑む。
だが映像はすぐに黒く染まり、同じ石環の中央で黒衣の影が立ち上がる姿へと変わった。
その輪郭は曖昧だったが、明らかに人の姿をしていた。
「……セイセス=セイセスか、それとも……」
アルフレッドは剣を強く握りしめる。
幻視は霧のように消えた。
列石は静けさを取り戻したものの、一行の胸中には新たな疑念と恐怖が芽生えていた。
「これは……偶然じゃない。誰かが意図的に過去を引きずり出している」
クレアが祈りの後、低く言葉を洩らす。
列石の石肌はまだ熱を帯び、淡い震えを続けていた。
戦いは終わった。しかし、闇は確かにここで息をしていた。
戦場と化した環状列石の外縁部を調べるうちに、セレナが崩れた柱の根元から光を放つ物体を見つけた。
それは掌に収まるほどの石片で、淡い蒼光を帯びていた。
「これは……ただの石じゃないわ。古代文明が記録のために使った媒体ね」
ミリアが慎重に魔力を流し込むと、光は文字列を描き出した。
だがその内容は断片的で、ところどころに欠落がある。
記されていたのは、列石を築いた古代人の「目的」の一部だった。
列石は鎖として機能する。
各地の列石は互いに共鳴し合い、巨大な網のように世界を覆っている。
門を閉ざす楔である。
列石は異界の力を拒む役割を持ち、封印の破壊はすなわち世界規模の崩壊を意味する。
継承者の存在。
封印は人の意志と血を媒介として強化される。継承者なくして列石は長く保てない。
「やっぱり……私たちが封印に選ばれたのも偶然じゃなかった」
クレアは小さく呟き、聖印を胸に当てる。
バルトは瓦礫の下から、金属製の輪のようなものを引き上げた。
そこには古代文字で「封印の楔」と刻まれている。
「これは……列石を安定させるための鍵の一部だな」
アルフレッドが感嘆の声を漏らす。
「でも欠けてる……完全な形じゃない」
「なら、どこかに残りがあるはずよ」
ミリアが目を細めた。
「セイセス=セイセスも、それを狙って動いている可能性が高いわ」
その時、遺物に残された魔力が突如として揺らぎ、一行の視界に幻視が広がった。
列石の中央に立つ黒衣の男――輪郭はぼやけていたが、纏う威圧感は紛れもなく黒幕のそれだった。
「……こいつは……黒衣の魔導士、ザカリー・グラッドストン……!」
セレナが思わず剣を握りしめる。
幻影は言葉を発することはなかったが、その存在だけで十分だった。
列石の封印が狙われている――それはもう疑いようがなかった。
かくして王都への帰還。
高原の風を背に、アルフレッドたちはロムルストの城門をくぐった。
王都の喧騒はいつもと変わらぬように見えたが、彼らの心には列石での戦いの余韻がまだ濃く残っていた。
仲間たちは互いに言葉少なに歩を進め、《紅玉の旗亭》の重厚な扉を押し開けた。
ギルドの石造りの広間では、すでに複数の依頼帰りの冒険者が杯を傾けていた。
受付に立つギルド員は、アルフレッドたちを認めると小さく頷いた。
「お帰りなさい。……やはり列石の件でしたね」
アルフレッドは深く頷き、簡潔に報告をまとめた。
封印の揺らぎ、影の主格存在との戦闘、修復の過程で得られた遺物と幻視――
その全てを、ギルドの記録官が重々しく筆に写し取っていく。
「……なるほど。つまり、列石は単体で機能しているわけではなく、各地に存在する石環が鎖環として連動している、と」
記録官は唸るように言葉をこぼした。
「そして封印の鍵と呼ばれる遺物があれば、それを解くことも、補強することも可能よ」
ミリアが付け加えると、場の空気は一層緊張を帯びた。
報告を終えた後、アルフレッドは仲間たちと席についた。
酒場の片隅に腰を下ろすと、ようやく緊張が解け、杯に注がれた葡萄酒が喉を潤した。
「俺たちが見たあの幻視……黒衣の影、あれは間違いなく奴らの首魁に繋がっている」
アルフレッドが低く言うと、バルトは拳を固めて唸った。
「セイセス=セイセスの背後にいる本当の黒幕……か」
「きっと、次の列石でも何か仕掛けてくるわ」
セレナが剣の柄に無意識に触れる。
「ええ。でも、列石は人々の生を守る鎖環。……私たちが退くことはできません」
クレアが静かに答え、胸元の聖印を握りしめた。
報告を記録し終えたギルド員が、彼らのもとへやって来た。
「王国も事態を重く見ています。新たな列石の異変が確認され次第、最優先であなた方へ依頼が下されるでしょう」
アルフレッドは仲間たちの顔を見渡し、短く頷いた。
「なら、次の戦いに備えて休むだけだな」
その夜、《紅玉の旗亭》にはいつもより早く静寂が訪れた。
だが、その静けさは嵐の前触れに過ぎない。
――セイセス=セイセスは動いている。
そして、その影の向こうに待つ黒衣の魔導士ザカリー・グラッドストンの気配もまた、確かに迫っていた。
報告を終えた後、喧噪に包まれる広間から離れ、アルフレッドたちはギルドに併設された宿の一角へ戻った。
外はすでに夜。王都の灯りが窓越しに揺れ、長い戦いを終えた疲労を穏やかに包んでいた。
「ふぅ……久しぶりに背中が痛ぇな。あの列石の戦いは、骨身に堪えたぜ」
鎧を外したバルトがベッドに腰を下ろし、肩を鳴らす。
「でも……あなたが前に出てくれたから、私たちは守られたんです」
クレアは柔らかく微笑んで言った。
「私の光だけじゃ足りなかったと思います」
「はは、褒めすぎだ。お前の祈りがあったから俺は立てたんだよ」
不器用に笑い合う二人のやりとりは、互いの信頼を確かめ合うものだった。
窓辺では、セレナが磨き上げた剣を鞘に収めていた。
「剣の切れ味はまだ問題なし。でも……相手が人の形をしてたの、正直、嫌だった」
その言葉に、隣で巻物を広げていたミリアが顔を上げる。
「あなたらしいわね。でも、そういう違和感を覚えている限り、あなたは剣に呑まれない」
セレナは短く笑みを浮かべ、ミリアを見やった。
「ありがと。……あんたが冷静でいてくれると助かる」
ミリアは首を横に振る。
「冷静に見えるだけよ。心の中は、きっとあなたと同じくらい荒れているの」
一方、アルフレッドは仲間から少し離れ、静かに剣を抱えていた。
列石の幻視に映った黒衣の影――ザカリー・グラッドストンの気配を思い出している。
「……俺たちは、どこまで抗えるんだろうな」
その独白に答える声はなかったが、背後からセレナがそっと近寄り、短く言葉を投げた。
「でも、あなたがいる限り、私たちは進める」
その一言で、アルフレッドはわずかに肩の力を抜いた。
夜の終わり。
やがて灯火が静かに揺れ、仲間たちはそれぞれ眠りについた。
嵐のような戦いの後、ようやく訪れた束の間の安らぎ。
だが誰もが理解していた。次なる戦いはすでに迫っているのだと。




