レベル46
王都ロムルスト。
石畳の通りを見下ろす赤煉瓦の建物。その二階に大きな赤い旗が掲げられている。
ここが王都の冒険者たちが集う拠点、ギルド《紅玉の旗亭》である。
陽が傾きかけた午後、酒場兼用の広間には依頼を求める冒険者たちのざわめきと、香ばしい肉の匂いが満ちていた。
その一角に、アルフレッド、ミリア、バルト、セレナ、クレアの五人が腰を落ち着けていた。
戦いの疲労は抜け切らぬものの、封印の継承者として歩む彼らに休息は長くは許されない。
突如として、ギルドの扉が大きな音を立てて開かれた。
入ってきたのは、紅の制服を纏ったギルド職員。顔には緊張が刻まれ、手には封蝋の施された文書が握られていた。
「アルフレッド殿、そして皆さん。王立魔術院より――至急の報せです」
職員は文書を差し出すと、低い声で続けた。
「北部の環状列石にて、異常な魔力反応が観測されました。封印の脆弱化が疑われ、調査と対処が急務とのことです」
アルフレッドが封を解き、文書を広げた。
そこには簡潔ながら切迫した筆致でこう記されていた。
至急
北部高原にある《終焉を刻む環状列石》にて、封印のゆらぎを確認。
周辺地域で魔獣の異常出現が報告されており、封印の影響が拡大している可能性が高い。
王立魔術院は現地調査を要請する。封印継承者たる冒険者に出動を求む。
「……やはり、別の列石にも及んできたか」
アルフレッドが眉をひそめ、羊皮紙を卓に置いた。
「封印が一つ揺らげば、連鎖は避けられない。……嫌な予感はしていたわ」
ミリアの言葉には、諦観ではなく冷徹な分析が滲む。
「帝国に続いて今度はベラルテ……セイセス=セイセスが動いてるのは間違いねえな」
バルトが戦斧の柄を叩き、低く唸る。
「なら、放ってはおけないわ」
セレナが鋭く剣の柄を握りしめた。
「……この力を継いだのも、封印を守るため。行かなくては」
クレアの言葉は静かだが、その瞳は揺らぎなく光っていた。
アルフレッドは立ち上がり、仲間たちを見回した。
「俺たちが行く。封印を継ぐ者として――これは避けられない戦いだ」
仲間たちは順に頷いた。
酒場の喧噪の中、彼らの決意だけが凛として際立っていた。
こうして、ベラルテ王国での新たな旅が始まる。
北部高原、《終焉を刻む環状列石》――そこに待つのは、さらなる封印の揺らぎと、闇の結社セイセス=セイセスの影であった。
朝靄の中、五人は《紅玉の旗亭》を後にした。
王都ロムルストの喧騒を背に、街道を北へ進む。彼らの背を押すように鐘の音が遠ざかっていった。
「久々の長旅になるな」
バルトが荷を担ぎ直し、前方を見据える。
「でも、ただの旅路じゃないわ。土地そのものが呼吸を乱している」
ミリアの声には張り詰めた響きがあった。
郊外に差し掛かると、すぐに異常は目に見えた。
田畑は枯れかけ、川の流れは鈍く濁っている。
やがて森へと入ると、さらに深刻な変化が現れた。
鳥や獣の声が途絶え、不自然な静けさが続く。
木々の幹には黒い亀裂が走り、そこからじわじわと赤い光が漏れている。
「封印が揺らぐと、大地の生命が真っ先に蝕まれるのよ」
クレアが聖印を胸に押し当て、小さく祈りを捧げる。
「……こりゃただ事じゃねえな」
バルトは戦斧に手をやり、慎重に歩を進めた。
不意に、森の奥から低い唸り声が響いた。
影のような獣たちが、霧の中から姿を現す。
狼の姿をしてはいるが、眼は赤く爛れ、口から黒炎を漏らしている。
「……魔獣化が始まっている!」
ミリアが声を上げた。
「来るぞ!」
アルフレッドが魔剣を抜き放つ。
先頭の魔獣が飛びかかった瞬間、バルトが盾で弾き返し、セレナが流れるようにその首筋を切り裂いた。
さらに二体が迫るが、ミリアの雷撃が森を照らし、焼け焦げた影を地に落とす。
その間に、クレアの聖光が仲間を覆い、黒炎の爪を防いだ。
「今だ!」
アルフレッドが剣を振るい、残った一体を両断する。
血煙ではなく、影の霧が宙に散り、やがて消え去った。
静寂が戻る。だが空気はなお淀み、森全体が呻いているようだった。
「これは前触れに過ぎない。列石はもっと酷い状態になってる」
ミリアが険しい声で言う。
「なら急ごう。封印が破られれば……」
アルフレッドは言葉を切り、仲間を見渡した。
その先の空には、黒雲が渦を巻き、北方を覆っていた。
彼らの進むべき地――《終焉を刻む環状列石》が、そこに待ち受けていた。
北部高原、列石の目前。
長い道程を越え、ついに一行は北部高原に辿り着いた。
地形は荒涼としており、草木は黒ずみ、岩肌は裂けて赤黒い光を漏らしていた。空は曇天に覆われ、どこか遠くで雷鳴が絶えず鳴り響いている。
「……あそこだ」
アルフレッドが前を指さした。
霧の切れ間に姿を現したのは、巨大な環状列石。十数メートルを超える石柱が環を成し、その中心からは黒炎と瘴気が立ち昇っていた。
列石に近づくにつれ、異変はより鮮明になっていく。
地面は呼吸するように脈動し、耳の奥では低いうなりが響いた。
石柱の一部には古代文字が刻まれていたが、その多くは赤黒い亀裂に呑み込まれて歪んでいる。
「……これは、封印そのものが自壊を始めているのね」
ミリアの顔色が険しくなる。
「このまま放置すれば――門が開くぞ」
セレナが低く呟いた。
その時、列石の内側から黒い影があふれ出し、形を持ち始めた。
獣とも人ともつかぬ異形の群れ。無数の眼が赤々と光り、一斉に五人を睨み据える。
「来るぞ!」
アルフレッドが魔剣を抜き、仲間へと声を飛ばす。
「数が多い……! でも、止めなきゃここで全部出てくる!」
ミリアが詠唱に入る。
「俺が壁になる! 後ろを任せた!」
バルトが盾を構え、前へと躍り出た。
「一歩も通さない――!」
セレナが低く笑みを浮かべ、刃を煌めかせる。
「聖なる光よ、闇を払え!」
クレアの祈りと共に、黄金の結界が仲間を包んだ。
その瞬間、列石の中枢から轟音が響き、異形の群れが一斉に襲いかかってきた。
黒炎を裂いて、最初の群れが飛びかかってきた。
その姿は狼にも似ていたが、背中には棘のような黒い触手が蠢き、顎は異常に開いて灼熱の瘴気を吐き出していた。
「来たぞ――!」
アルフレッドが魔剣を振り抜き、正面の二体を斬り裂く。炎を纏った刃が黒煙を弾けさせ、獣の悲鳴が高原に響き渡った。
左右から迫る群れを、バルトが盾で迎え撃つ。
「俺の後ろに回れ!」
戦斧を振り回し、突進してきた影の獣をまとめて地に叩き伏せた。だが獣は砕けても影となって立ち上がり、再び襲い掛かろうとする。
「《氷槍乱舞》!」
ミリアが詠唱を完成させ、冷気を纏った無数の槍が空から降り注いだ。影の獣たちは瞬時に氷に閉ざされ、動きを止める。
バルトの戦斧がそれを砕き散らし、氷片と共に霧散させた。
「数が多いなら、速さで削ぐわ!」
セレナが稲妻のように駆け抜け、剣が閃光を描く。
影の獣の群れを次々と切り伏せ、魔剣で触手を断ち切りながら舞うように戦場を駆け回った。
「聖なる光よ、仲間を護りたまえ!」
クレアが祈りを捧げ、黄金の光が仲間を包んだ。瘴気の爪がアルフレッドに迫るが、光の盾が弾き返す。さらにクレアは聖なる矢を放ち、影の核を射抜いて消滅させた。
「ここで押し切る!」
アルフレッドが叫び、魔剣に蒼炎を纏わせる。
一閃――炎の刃が群れを薙ぎ払い、影の獣をまとめて両断した。爆ぜる火花の中、彼は立ち尽くす仲間を振り返る。
群れは次々と現れ、数は尽きぬように思われた。
だが、仲間たちの呼吸は乱れていない。
互いの動きを信じ、隙を補い合い、五人は波のような群れを迎え撃ち続けていた。
「まだ序の口だな……」
バルトが息を整えながら呟く。
「ええ、これはただの前触れにすぎない……」
ミリアの視線は列石の中心に注がれていた。
そこでは――より大きな影が、形を結ぼうとしていた。
黒炎の奔流が渦を巻き、環状列石の中心に巨大な影が立ち上がった。
それは狼にも竜にも似て非なる、歪んだ姿。
四肢は異様に長く、体表は煙のように揺らめいている。無数の眼が胴体に浮かび、次々と明滅しては不気味な視線を放っていた。
「……これが、群れを統べる主格存在か」
アルフレッドが魔剣を構える。
その巨影は低く咆哮しただけで、空気が震え、大地が震動した。
周囲の石柱に刻まれた古代文字がひび割れ、赤黒い光を放ち始める。
「来るぞ!」
バルトが盾を構え、巨影の突進を受け止めた。
衝撃は地響きとなり、巨体と盾が激しくぶつかり合う。
「ぐぅっ……重いッ!」
その隙を逃さず、ミリアが詠唱を放つ。
「《雷霆槍撃》!」
雷光が巨影の胴を貫き、爆ぜた光が群れを薙ぎ払った。
「今よ!」
セレナが疾走し、炎を纏った魔剣を閃かせる。
連撃が巨影の脚を斬り裂き、よろめいたところに剣を突き込んだ。
しかし黒炎が逆流し、彼女の体を弾き飛ばそうとする。
「セレナ!」
クレアが咄嗟に聖光の壁を展開し、彼女を包み込んだ。
「無茶は禁物です!」
「なら、仕留めるぞ!」
アルフレッドが叫び、魔剣を振り抜く。
蒼炎を纏った斬撃が巨影の胴を裂き、内部の核のような赤黒い光を一瞬だけ露出させた。
「……あれが弱点!」
ミリアが叫ぶ。
だが巨影は咆哮を上げ、黒炎の嵐を撒き散らした。
その衝撃で大地が裂け、環状列石の一部が崩れ始める。
次々と襲い来る闇の波。
仲間たちは必死に応戦するも、巨影の再生は速く、攻撃は確かに通じているのに決定打には至らなかった。
「くそっ……このままじゃ消耗戦だ!」
バルトが歯を食いしばる。
「核を狙うしかない。でも次はもっと強固に守られるはず」
ミリアが冷静に分析する。
「なら――俺たち全員で道をこじ開ける!」
アルフレッドの瞳に炎が宿る。
黒炎の巨影は咆哮と共に地を踏み鳴らした。衝撃で大地が裂け、環状列石の柱が崩れ落ちていく。
だがアルフレッドたちは怯まなかった。
「――全員、合わせるぞ!」
アルフレッドの声が戦場に響く。
巨影が振り下ろす腕を、バルトが盾で受け止めた。
「俺が押さえる……今だ、行けぇッ!」
戦斧を逆手に突き立て、巨体をよろめかせる。その隙に仲間の進路が開かれた。
「《星雷の奔流》!」
ミリアの魔法陣が輝き、稲妻の奔流が巨影を束縛するように絡みつく。
無数の赤い眼が苦痛に歪み、黒炎の動きが鈍った。
「逃がさない!」
セレナが稲妻の拘束を縫い、炎を纏った双剣で駆け抜けた。
斬撃が次々と巨影の脚を切り裂き、膝を折らせる。
「アルフレッド、核を出すわよ!」
「聖なる光よ、闇を砕け!」
クレアが祈りを込め、聖印を掲げる。
黄金の光が巨影を貫き、黒炎の鎧を剥ぎ取るように焼き払った。
赤黒い核が露わになり、激しく明滅する。
「今だ――これで終わらせる!」
アルフレッドが魔剣を振りかぶる。刃は蒼炎と聖光を纏い、仲間たちの力が一つに収束する。
渾身の踏み込みと共に、一直線の斬撃が核を貫いた。
轟音――
巨影の咆哮が天地を揺るがし、黒炎が四散する。
影の巨体は崩れ落ち、赤黒い霧となって消滅した。
環状列石の中心に残されたのは、崩れかけの封印と、静寂のみ。
荒い呼吸を整えながら、五人は互いに視線を交わした。
「……やったか?」
バルトが低く呟く。
「ええ。でも、まだ列石そのものが完全に沈黙したわけじゃないわ」
ミリアの視線は、ひび割れた石柱に注がれていた。
「なら、次の列石も必ず狙われる。これは始まりにすぎない」
アルフレッドの言葉に、仲間たちは頷いた。
闇との戦いは続く。
だが今この時だけは――五人は勝利の余韻に身を委ねた。
戦闘の余韻が消えた後も、大地はわずかに震えていた。
環状列石の柱はひび割れ、古代文字はかすれて光を失いかけて。
影の主格存在が霧散し、荒れ狂う魔力の奔流も静まりつつあった。
だが環状列石そのものは未だに脈動し、亀裂から赤黒い光が漏れ続けている。
「……このままでは再び開くわ」
ミリアが魔力を感知し、険しい声で言った。
「クレア、俺と一緒に封印を再構築する。ミリア、文字の解析を頼む」
アルフレッドが剣を構え直し、魔剣の蒼炎を柱に走らせた。
クレアも聖印を掲げ、祈りと共に神聖光を流し込む。
炎と光が絡み合い、裂け目を覆うように結界の文様が浮かび上がった。
同時に、ミリアが周囲の柱に刻まれた古代文字を丹念に読み取っていく。
「これは……環を成すことで大地の魔脈を制御し、異界との境界を抑え込む仕組み……」
魔道書に走り書きを重ねながら、彼女の表情は驚愕に染まる。
「つまり、この列石は一つだけで成り立つのではなく、大陸全土に散らばる同型の環状列石と連動しているのよ。一つが揺らげば他も響き合い……最悪、全てが連鎖的に崩壊する可能性がある」
その時、セレナが崩れた石柱の根元から古びた石盤を見つけた。
「これ……封印を築いた者の記録?」
石盤には円陣を描くような図と、古代文字の断片が刻まれていた。
ミリアが目を凝らす。
「星々の落ちた夜、我らは門を閉じた。だが力尽き、環の全てを守ることは叶わなかった……そう記されている」
それはつまり、この文明がかつて星の落下に直面し、異界との門を閉じるために命を賭して列石を築いたことを示していた。
「……つまり俺たちが今やってるのは、その時の続きを担ってるってことか」
バルトが唸るように言う。
「ええ。そして、封印を継ぐ者として選ばれた私たちは――この連鎖を食い止めなければならない」
クレアの声には迷いがなかった。
アルフレッドは仲間たちを見渡し、静かに頷いた。
「門を守るために戦った古代の戦士たちに恥じないように……俺たちも、この時代の継承者として立ち続ける」
結界の光が安定し、環状列石の脈動が収まった。
だが石盤に刻まれた言葉は、まだ読み解けぬ部分を多く残している。
その断片には「終焉を刻む者」「環のすべてが揃う時」「黒き導き手」という不穏な語も刻まれていた。
「黒き導き手……誰かが、この封印を壊すために動いているのね」
ミリアが呟くと、仲間たちの胸に、共通の名が浮かんでいた。
――黒衣の魔導士、ザカリー・グラッドストン。
こうして封印は修復されたものの、大陸全土に及ぶ「環状列石の連動」という新たな真実が示された。
そして彼らは、さらなる脅威に備えるべく、王都ロムルストへ帰還することになる。
王都ロムルスト。《紅玉の旗亭》
夕暮れの王都ロムルスト。高原から戻った一行は、厚い城門を潜り抜け、街の喧騒へと足を踏み入れた。
旅塵をまとったまま彼らが向かったのは、冒険者たちの拠点《紅玉の旗亭》。重厚な扉を押し開けると、酒と焚火の匂いが混じり合い、仲間たちの笑い声が飛び交っていた。
「お帰りなさいませ、皆さま」
受付嬢が深く頭を下げ、任務の報告を促す。
アルフレッドが封印修復の経緯を簡潔に伝え、ミリアが石盤と記録の写しを差し出す。
クレアは封印の継続が安定していることを証明するため、聖印を掲げて結界の残滓を見せた。
受付嬢は熱心に記録を取り、最後にこう告げた。
「今回の成果は王立魔術院にも直ちに報告されます。……皆さまのお働きがなければ、北部は影に飲まれていたでしょう」
だが、ギルド内の空気は大仰な賞賛ではなく、重々しいものだった。
これで終わりではない――冒険者たち全員が、その事実を肌で感じていたからだ。
報告を終えた後、一行は酒場の一角で遅い食事を取った。
バルトは大皿の肉料理にかぶりつき、クレアは静かに水を口に含む。セレナは長旅で鈍った剣を磨き、ミリアは戦闘中に気づいた封印の理論を羊皮紙に書き留めていた。アルフレッドはどこか物憂げに、ワイングラスを傾けていた。
「……こうして皆で戻れるのは、当たり前じゃないのよね」
ミリアがぽつりと呟くと、セレナが肩を竦める。
「だからこそ、剣を研ぐのさ。次も全員で戻るためにね」
「はは、説得力あるな」
バルトが豪快に笑い、アルフレッドも小さく微笑んだ。
疲労は深かったが、それ以上に仲間との絆が胸を温めていた。
夜が更け、《紅玉の旗亭》の灯火が静かに揺れる。
この日、彼らは大きな試練を越えた。だが同時に、新たな列石の存在、そして黒衣の魔導士の影を強く意識せざるを得なかった。
嵐はまだ始まったばかり。
だからこそ、束の間の安らぎを――彼らは噛み締めた。




