レベル39
――帝都ミハノルティ南端、旧市街地の更に下層。かつて地下貯水区画として使われていた広大な構造体が、今では巡回兵が立ち寄る以外ほとんど誰も近づかぬ忘れられた区画として存在していた。
最近、その地下で兵士が次々と行方不明になる事件が頻発し始めている。
関係者は皆、最後の目撃地点が「記録にない通路」であること、そして不自然なまでに記録装置が全て停止していたという共通点を残していた。
王都セルゼリッカでもたびたびその名が囁かれた、闇の結社《セイセス=セイセス》。
その残響が、ついにダウニシア帝国の心臓部をも蝕もうとしていた。
【冒険者ギルド《黒槍亭》・応接室】
「この依頼、受けてくれるか?」
そう口にしたのは、軍部情報局の中尉を名乗る黒衣の青年だった。
彼は顔を覆い隠すようにフードを深くかぶり、軍人としては珍しく、明確に冒険者たちの力に頼ろうとしていた。
アルフレッドは静かに書類に目を通す。
「失踪者、計十八名……地下構造区画での捜索任務か。それにしても、探索班が全滅とあるが?」
「連絡が途絶えた直後、救援部隊を二度送った。だがいずれも帰還せず、記録も残っていない。生還者はゼロだ」
「そちらの兵ではなく、外部の適応した者を求めている……つまり、我々は切り札か」
セレナが言うと、男は頷いた。
「正直に言えば、そうだ。我々はあれに干渉できない。だが、君たちは過去に門を封じた。ならば、可能性はある」
「それに、件の《セイセス=セイセス》の紋章が、地下の旧扉で確認された」
「……ドリスコルか」
アルフレッドは短くそう呟いた。
報酬は破格。だが金ではない。
一行はすでに知っている。あれらが何を求め、何を歪め、何を蘇らせようとしているのかを。
「ミリア、準備を」
「あたしの魔導書はいつでも開けるわ」
「セレナ、クレア。警戒を怠るな」
「了解」「任せて」
「バルト、装備点検を頼む」
「任せておけ。盾の準備は出来てる」
アルフレッドは、最後にひとつ頷くと、ギルドを背にして言った。
「帝都の地下に、俺たちが降りる。何があろうと――引き返すつもりはない」
仲間たちは、それに迷いなく続いた。
かくして一行は、ダウニシア帝国・地下最深層の沈黙都市へと足を踏み入れる。
その先にあるのは、再び人知を超えた闇か、それとも封じられた過去の真実か。
物語は今、新たなる局面へと進む。
【帝都地下構造区画・第十七層:沈黙都市への入口】
帝都ミハノルティの下には、古代文明の遺産とも言える膨大な地下構造が張り巡らされていた。
現代ではその多くが封鎖され、軍用倉庫や研究区画として再利用されているが、今回の依頼対象となった第十七層は、完全に記録から外れた旧文明の領域――すなわち、【沈黙都市】と呼ばれる場所であった。
「ここから先は軍も踏み込めていない。公式には崩落で通行不能とされているが……」
ギルド職員が最後の通達を伝えた後、扉を開く。
石材と金属で組まれた頑強な壁の先に、地下への斜路がぽっかりと口を開けていた。
「空気が重い……」
ミリアが眉をしかめる。魔力の流れが、ここから先では微細に乱れていた。
「霊的な拒絶反応……いや、これは記憶されない領域特有の干渉かもしれないわ」
クレアが静かに祈りを唱え、聖印に手を添える。
「いずれにせよ、前に進むしかない」
アルフレッドは魔剣の柄を握り、ひと足先に闇へ踏み込んだ。
バルトがそれに続き、鉄槌を肩に担ぎながら言った。
「こういう所は……嫌な記憶しかねぇ。だが、やるしかねぇよな」
【第一層:崩れた回廊】
沈黙都市の入口は、かつての公共回廊と思しき場所だった。
だが、天井は崩落し、柱は黒ずみ、床面には奇妙な符号が刻まれている。
「この文様……《セイセス=セイセス》の結界痕ね。完全に消えたわけじゃない」
セレナが指先で石材をなぞりながら呟く。魔力の残滓が、皮膚にぞわりとまとわりつく。
「見て。壁面の奥、通気孔が封じられている。中から何かが出るのを防ぐように」
ミリアの指差す先、格子の奥に沈黙した影のような何かが存在していた。
「気をつけろ。気配が近い」
アルフレッドが言った直後、回廊の天井がわずかに揺れた。
ガラガラ……!
崩れ落ちる石の雨とともに、異形の存在が姿を現す。
――それは、人の姿を模しながら、皮膚がなめらかに剥がれ落ち、顔のない元人間だった。
「……こいつら、生者じゃない!」
バルトが身構える。セレナが魔術詠唱に入るより早く、第一体がクレアに向かって跳躍する。
「遅い!」
アルフレッドの魔剣が一閃、飛び込んできた敵の腕を叩き落とす。
だが切断面からは血も骨も出ない。ただ――記録されない霧のような黒い靄が噴き出すのみだった。
「完全な変質体……何かに書き換えられた人間よ!」
ミリアの魔法が爆ぜ、壁面を焼き払う。背後の通路に潜んでいたもう一体が火に包まれ、影のように溶けて消えた。
「くそ……何体いる!?」
バルトが叫ぶ。
そのとき、クレアが強い口調で祈りの言葉を唱え、聖印を高く掲げた。
「聖光よ、我らを照らせ……《浄化陣・連環》!」
淡い光が一帯に広がり、異形たちの動きが明らかに鈍くなる。
「いまだ、叩け!」
「了解!」
アルフレッドとセレナが前に出て、敵の中枢を叩き潰す。――戦闘は、数分で終了した。
全てが静まり返った地下の回廊。
「どうやら、これは始まりにすぎないようね」
セレナがそう言うと、遠くから、別の何かが扉を叩く音が聞こえてきた。
――沈黙都市、その中心部には、まだ何層にもわたる闇が眠っていた。
崩れた回廊を抜けた先は、古びた居住区のような構造だった。小さな区画が規則正しく並び、床には生活用品の名残や、焦げた布の切れ端が散乱している。
「ここ……人が暮らしていた痕跡がある」
ミリアが落ちていた錆びた食器を拾い上げ、眉をひそめた。
「けど、完全に異常だわ。時間の流れが歪んでる。腐敗がほとんど進んでない」
「いや、それだけじゃない」
バルトが周囲を見回し、壁に刻まれた文字の列を指さす。
「これは――日記だ。壁に直接、ナイフか何かで刻んである」
『三日目。外へ出ようとしたが、扉が消えた』
『六日目。仲間のひとりが話さなくなった。声を忘れたらしい』
『十日目。自分の名前が思い出せない。妻の顔が思い出せない』
『十五日目。俺は、俺は――俺は……』
「精神を削る、記憶喪失の瘴気……この階層全体に広がってるわね」
セレナの声にも緊張が混じる。
クレアが聖印に触れ、仲間の額へ順に魔法の加護を与えていく。
「忘れないように。私たちは、何のためにここにいるのかを」
すると、不意に遠くの空間で鈍い鐘の音が鳴った。
「誰か……いる?」
ミリアが身を低くした刹那、ひとつの扉が音もなく開いた。
中から出てきたのは――
ひとりの老人だった。
肌は干からび、服は数世代前の様式。だが、その目だけは確かに生きていた。
「……外の者か……?」
かすれた声が、沈黙都市の空間に落ちる。
「あなたは……なぜここに?」
アルフレッドが問いかけると、老人は薄く笑い、こう答えた。
「我らは……忘れられた者。帝国に捨てられ、ここに記録されずに閉じ込められた」
「誰に……?」
「黒き書記官だよ。帝国の奥底で、全てを編纂し直す者がいる。名も顔も、存在すら……その意志で書き換えられるのだ」
一瞬、冷たい風が吹き抜けた。
セレナの瞳が細められ、彼女は呟く。
「黒き書記官――もしかして、《セイセス=セイセス》の中枢にいる存在?」
老人は頷きも否定もしなかった。ただ、最後にこう言った。
「この階層の奥に、門がある。そこは、かの書記官の影が通る場所……それを越えるには、記録を取り戻さねばならぬ」
そう言い終えると、老人の姿は、まるで煙のように消えていった。
「……行こう。次の階層へ」
アルフレッドの言葉と共に、パーティは門を目指し、第二層の奥へと歩を進めていく――。
石階段を下りきると、そこは静まり返った異空間だった。
広がるのは巨大な記録庫――だが、そこに並ぶのは書物ではない。
鉄と硝子の棺。中には、人の姿を留めながら、どこか異様に変質した者たちが横たわっていた。
「……これは」
アルフレッドが足を止め、手をそっと剣の柄にかける。
ミリアは傍らの装置を見やると、驚きに息を呑んだ。
「魔力制御管と……生体神経の接続回路。これ、完全に実験だわ……人体を改造するための……!」
バルトが棺の中のひとつを指差した。「見ろ。こいつは――帝国軍の徽章をつけてる」
「……失踪した兵士たちだ」セレナが険しい声で言った。「ここに連れてこられて……こんな姿にされて……!」
棺のひとつが、軋むような音を立てて開いた。
中から現れたのは、顔の半分が変質し、眼には虚ろな光を宿した帝国兵の青年だった。
「――助けて……くれ……」
彼の声はかすれ、言葉の端々が不明瞭になっていた。
だがその瞳には、わずかながらも助けを求める意志が残されていた。
「無理するな、俺たちがここに来たのは、君たちを助けるためだ」
アルフレッドはそっと青年の肩に手を置いた。
だが、青年の体が痙攣し、何かに抗うように呻き声を上げた。
「制御、されてる……魔法じゃない、呪術と術式の混合……!」
クレアが叫ぶ。
そのとき、部屋の奥にあった重厚な扉が音を立てて開いた。
そこから――一人の男が現れる。
レックス・ドリスコル。
深紅のローブをまとい、魔導の気配を全身にまとった男。
「……間に合ってしまったか」
静かに、だがどこか嗤うような声で彼は言った。
「セイセス=セイセス……!」
ミリアが詰め寄るが、男は応じない。
「いや、私はただの一端にすぎないよ。だが、お前たちのような不確定因子には少々困っている。実験は順調だった。帝国の軍人を新たな兵士に変えるこの計画――だが、目障りな冒険者どもが記録の狭間にまで踏み込んでくるとはね」
バルトが剣を構える。「ふざけるな。人の命を……魂を弄ぶなッ!」
ドリスコルは首を傾け、悲しげに見せかけた微笑を浮かべた。
「弄んでなどいない。これは進化だ。人が器に還るただの過程にすぎない。君たちはその進化を止めるつもりかい? なら――止めてみろ」
その言葉を合図に、棺から改造体たちが起き上がる。
人ならざる姿に変貌した彼らの眼には、もはや言葉も理性もなかった。
改造された帝国兵たちが棺の中で身じろぎを始める中、空気が鋼のように重く凍りついていく。
だが、剣を抜くにはまだ早かった。
ミリアは、傍らの魔導装置に目を走らせながら、唇を強く噛み締めた。
「術式の構造、これ……あのときの廃都と似てる。セイセス=セイセス、やっぱり繋がってる……」
彼女の目は揺れていた。魔術師として知識を追い求めてきた日々。その果てに待っていたのが、こんな人間の加工だったとは。
「これを知ること自体、何かを失っていくみたい……」
けれども彼女は、震える指先を自ら叱るように拳を握りしめた。「それでも、私は止まらない。知るべきことから逃げない。誰かのために使うって、決めたから……!」
セレナは改造兵の棺に静かに近づき、その胸元で聖印を結んだ。
「これでも、まだ魂があるなら……どうか、苦しみから解放されますように」
彼女の声には、怒りでも呪詛でもなく、哀悼と覚悟が宿っていた。
「罪を犯したのはこの人たちじゃない。私が刃を向けるべきは、彼らをこうした者……その罪と力の連鎖」
その祈りの声は、場の沈黙の中にかすかに染み渡った。
バルトは沈黙していた。だが、彼の剣の刃先は、一瞬の迷いもなく正面の敵を捉えていた。
「……俺には、複雑なことはわからねぇ」
彼はぽつりと呟いた。「でもよ、こんなことを許したまま前には進めねぇってことだけは、はっきりしてる」
バルトの右拳は、剣を強く握りすぎてか血がにじんでいた。
彼はその痛みをもって、決意を身体に刻んでいた。
クレアは足元の魔法陣の構成に目を落とし、静かに息を吐く。
「知っていた……きっと、こういうことがあるって」
彼女の目はどこか遠く、だが確かに現実を見据えていた。「私の癒しの魔法は、すべてを救えない。ならせめて、最後の瞬間だけは……優しさを与えたい」
そして――
アルフレッドは、一歩前に出た。
棺のひとつから呻くように声を上げる兵士に、まっすぐ視線を向ける。
「お前が戦場で剣を取った理由……誰かを守るためだったんだろ?」
その問いは静かで、揺るがなかった。
「なら、今度は俺たちが、お前を――この地獄から、解き放つ」
彼の言葉に、誰かが泣いたような気がした。
それは目の前の兵士の魂の残響か、それとも、遠い記憶の片鱗か――
やがて、敵が動き出す。
鋼の肉体を揺らし、魔導の力に染まった改造兵たちが、牙をむいて迫ってくる。
そして、戦いの幕が――切って落とされた。
棺が開いた。
金属のきしむ音とともに、かつて人であったものが立ち上がる。
背筋を伸ばすこともできぬほどに筋肉と装甲が歪み、骨の上から鉄が被せられたような姿。
片目には魔眼の刻印、背中には小型魔導炉を背負い、呼吸音ではなく魔力漏れの音が周囲に響いた。
「アルフレッド、右から三体来る!」
ミリアが叫ぶやいなや、すでに三体の改造兵が駆け出していた。
その速度は驚異的だった。
人間離れした脚力で床を砕き、振るわれた魔力剣が石壁を裂く。
「来い――!」
アルフレッドは一歩も退かずに剣を構えた。
魔剣が呼応し、赤い燐光が刃に走る。
最前の兵士の剣撃を弾き、瞬時に懐へ――
「はぁッ!」
斬撃が決まった。だが、相手は呻きもせず、片腕を失いながらも逆腕で掴みかかってくる。
「……しぶといな!」
ミリアの魔弾が脇から飛ぶ。
雷光が胸部装甲を穿ち、魔導炉に直撃した――爆発。金属片が床を跳ねた。
一方、左翼――
「行かせない……!」
クレアが聖印を掲げて支援魔法を構築しようとした、その瞬間。
別方向から突進してきた二体の改造兵が、背後を狙ってきた。
「しまっ――!」
そのとき――
風がうなった。
「そこは通さないッ!」
青白い輝きを帯びた剣が、旋風をまとって飛来する。
セレナの一閃。彼女の魔力剣が、正確無比な斬撃と共に敵の動きを断ち切った。
二体のうち一体の足が、根元から吹き飛び、もう一体の視界に閃光が走る。
「風閃・裂陣!」
叫びとともに、剣先から奔った魔力の波が敵を吹き飛ばし、壁に叩きつけた。
「クレア、続けて!」
「……うん、ありがとう!」
セレナの顔に、汗が一筋。だが、その眼には冷静な光が宿っている。
「この程度、私の剣で通じるなら――まだ希望はあるわね」
彼女は一歩前へ出る。
片膝を折った敵の前に立ちふさがり、剣を地に突き立てると、
周囲の空気が震えた。
「――風よ、我が声に応えなさい」
《風神封陣》
その瞬間、セレナの周囲に複数の風刃が構築され、
押し寄せてきた改造兵たちの機動を、完璧に阻害する結界となって張り巡らされた。
「バルト、今よ! 私が足を止めてる!」
「おう! あとはぶっ壊すだけだ!」
セレナが引き寄せた敵を、バルトの一撃が砕き、
アルフレッドたちはその突破口を利用して、制御装置のある奥部へと突撃する。
《沈黙都市:中枢制御区画・深部》
中央にそびえる祭壇のような魔術構造体。その上に佇む一人の男――それが、レックス・ドリスコルであった。
だが、その姿はすでに人の形を留めていなかった。
黒い法衣は裂け落ち、そこから覗く肌はまるで灼け焦げた石像のようにひび割れていた。
全身を覆う魔術紋は生き物のように蠢き、胸の中央には深紅に輝く魔晶核が埋め込まれている。
背後には禍々しい漆黒の翼状魔力の残滓が漂い、空間そのものが歪むような圧が満ちていた。
それは肉体の翼ではなく、魂の魔力が染み出し、半物質化した異形の象徴――魔族の如き変質。
「……レックス・ドリスコル……あれが……」
ミリアが低く息を漏らす。「完全に、人を超えた何かに成り果ててる……」
「これが……あいつの選んだ結末か」
アルフレッドが呟く。剣の柄を強く握りしめた。
「私はようやく辿り着いた」
ドリスコルの声は重く、まるで地の底から響いてくるようだった。
「魔術文明が幾度も滅び、記憶だけを残しては埋もれていった理由……その果てにある真理を、私はこの地で見出した」
彼の足元、暗き液体の中から異形の者たちが現れる。
かつて兵士であったであろう彼らは、もはや人の言葉を話さず、顔には仮面のような肉が張り付き、牙の生えた口が咆哮を上げる。
「……帝国兵が、あんな姿に……」
クレアが震える声で言う。「命ではないわ……魂すら、別の意志に塗り替えられている……!」
「セイセス=セイセスの秘術と、古代の禁呪が繋がったのね」
セレナが剣を構えながら前に出る。「こんなものを野放しにしたら、帝国どころか大陸全土が……」
「遅いのだよ」
ドリスコルがゆっくりと両腕を広げた。「この地の魔脈は、もはや我らのもの。人間どもの魂など、いくらでも器として使える」
魔晶核が轟くように脈動し、空間が震える。
「終わらせるぞ――お前の、歪んだ実験も、魔の理想も!」
アルフレッドが叫び、剣を掲げる。仲間たちもそれに応じ、それぞれの構えを取った。
「……行くわよ。ここが――境界線よ!」
セレナの魔力が爆発するように広がり、後方に聖なる防壁を展開した。
バルトが大盾を構え、クレアが祈りを紡ぎ、ミリアが魔術を精製する。
ドリスコルが嗤った。
「ふふ……よかろう。ならば見せてみるがいい。貴様らが未だ人に縋る理由を!」
魔脈の鼓動が空間全体に響いていた。
廃都の地下、黒き魔晶核が露出した魔術構造体の中心――そこはもはや地上の理から切り離された、魔の領域と化していた。
レックス・ドリスコルがその中心に立ち、両手を広げる。
「魂の境を越えし者たちよ。ここが、貴様らの墓標となる」
その声を皮切りに、地の裂け目から咆哮が響く。かつて帝国兵であった者たち――今や仮面と異形の肉に覆われた魔の従者たちが、群れとなって押し寄せてくる。
「くるぞ!」
アルフレッドが剣を抜き、正面に立った。「――全員、俺に合わせろ!」
真っ先に動いたのはバルトだった。巨躯を活かして前衛へ飛び出し、
「前は俺が受けるッ! そっちは魔術で削れ!」
と叫びながら、大盾で突進してくる魔の従者たちを受け止める。
盾が火花を散らし、圧倒的な膂力で敵の前進を止める。バルトの盾に叩きつけられた従者は骨が砕けた音を響かせて吹き飛び、後続が崩れる。
「今よッ、セレナ!」
叫ぶのはミリア。彼女は両腕を掲げ、空間に術式を描く。
「――《破魔の槍陣》!」
空中に複数の魔法槍が形成され、バルトの背後から一斉に飛翔する。
魔の従者たちの体を貫く純白の魔力、聖属性の槍が敵の核を撃ち抜いた。
「背後、任せてくださいッ!」
クレアが祈りの言葉を紡ぎ、詠唱を終えると地に手を触れる。
「《神気の障壁――カエルム・サンクティス》!」
神聖な光が展開され、仲間たちを包むように多層結界が張り巡らされる。
炎の息、毒の矢、黒き瘴気の波――すべてがその結界で防がれる。
「聖印の力で、決して通させません!」
その隙にセレナが前線へと跳躍する。
「私の剣を通すわ。覚悟しなさい!」
彼女の魔力は瞬時に実体化し、剣に輝く光をまとわせた。
「《断魔閃光・烈》!」
魔導剣から放たれた一閃は、前方にいた複数の従者を一刀両断し、直線状に魔を消し飛ばした。
その光は魔の霧を裂き、敵の陣形を崩す楔となる。
「さすがセレナだ……この剣、まだ伸びるぞ……!」
アルフレッドが彼女と並び、魔剣を抜く。
「……斬る。全てを、断つ!」
《魔剣・ヴァリュクス》が咆哮するように赤黒く輝き、斬撃が竜の尾のようにうねって魔の従者を薙ぎ払う。
刃は数体を吹き飛ばし、そのままドリスコルの台座へと一直線に軌道を描いた。
だが――
「甘いな。貴様らの力……まだ届いていない」
ドリスコルが片手を掲げる。魔晶核からあふれる黒炎が障壁を形成し、アルフレッドの斬撃を受け止めた。
そして地面が鳴動する。
「来るぞッ……!」
ミリアが叫ぶ。
地下の魔脈から、巨躯の従者――まるで人型の魔獣のような、実験体の最終個体が立ち上がる。
その身体には刻まれた呪印が脈動し、眼窩のない頭部から絶え間ない咆哮が響いた。
「次の波だな……」
バルトが盾を構え直す。
「なら、こっちも次を見せてあげましょうか」
セレナが、剣を真横に構えた。
戦いはまだ始まったばかり。
魔脈の歪みが唸るように揺れ動き、戦場の空気がさらに重く沈む。
そこに現れたのは、かつて人であった面影すら失った巨体の従者。
魔術実験によって限界まで膨張した筋肉、内側から浮き出すように刻まれた呪紋、そして喉元からあふれる異様な魔力。
「こいつは……もう、人じゃねえな……」
バルトが低く唸る。
巨体の従者が咆哮と共に突進してくる。その速度、質量、すべてが凶器だった。
「バルトッ! 前を頼む!」
アルフレッドが叫ぶと同時に、バルトは盾を地面に突き立てた。
「――来いよ、怪物! 俺が止めてみせる!」
その瞬間、従者の腕が振り下ろされ、バルトの前に激しい衝撃が走る。
盾と大地が砕け、地面に衝撃波が広がった。
「ぐっ……まだだッ!」
バルトが片膝をつきながらも踏ん張り、敵の動きを封じる。
その巨体を狙って、ミリアの魔法詠唱が完了する。
「――《雷鎖封陣・グラディウス》!」
天井から伸びた雷の鎖が魔の従者を絡めとり、呪紋の部分に雷撃が集中する。
苦悶の咆哮が響き、巨体がわずかにひるんだ。
「今だッ、セレナ!」
アルフレッドが叫ぶ。
「任せて!」
セレナが剣を引き、魔力を込める。
「《斬輝・連刃乱舞》!」
光の刃が連なるように閃き、魔の従者の腕と脚を斬り裂く。
次の瞬間、アルフレッドが斬り込んだ。
「《魔剣・連牙断》!」
漆黒の魔剣が閃き、セレナの光と交差するように従者の胸元を深く斬り裂く。
二人の連携が完璧に決まり、巨体が悲鳴を上げながら膝をついた。
「これで……!」
ミリアがさらに魔力を高め、最後の詠唱に入る。
「《爆雷穿滅――グラン・アストル》!」
雷と爆発の複合魔法が従者の頭部を直撃する。
閃光と音が戦場を包み、その中心にいた巨体は、ついに崩れ落ちた。
静寂。
だが、それは一瞬のことだった。
「やるじゃないか……だが、まだ終わらんよ」
高台の上でドリスコルが呟く。
その身体に刻まれた術式が、血のような輝きを放ち始める。
「見せてやろう。本当の姿をな」
ドリスコルの身体が黒き霧に包まれ、異形の魔力が膨張していく。
背から現れたのは――歪な翼と、第二の顔。
「……来るぞ、次の段階が!」
クレアが仲間を守るべく、再び神気を展開する。
闇の魔導士、レックス・ドリスコルの身体は、赤黒い魔素の霧に包まれながら変貌を遂げていた。
その輪郭は人のそれをかろうじて保っていたが、背からは黒き翼が生え、顔の半分は仮面のような異形へと変じていた。
かつての知性と狂気が融合した、まさしく魔そのもの。
「どうだ……この力。神をも嘲る《秘儀・術屍変換陣》の極致だ」
ドリスコルの声は、肉声と魔気のこだまが混じる二重の響き。
腕を振るえば虚空が軋み、地を踏めば魔脈が震える。
「行くぞ! ここで決着をつける!」
アルフレッドが魔剣を構え、先陣を切って突進した。
その一撃をドリスコルは掌の結界で受け止めると、炎を帯びた衝撃波を放つ。
「ぐっ……ッ!」
吹き飛ばされたアルフレッドを、バルトがすかさず受け止めた。
「無茶すんな、まだ奴の動きが見えてねぇ!」
「ええ、こちらの対応が遅れれば即死するわね……!」
ミリアが歯を食いしばり、魔法陣を複数展開しはじめる。
セレナが横合いから飛び込み、斬撃の嵐を放つも、ドリスコルは身を影のように崩し、霧とともに再形成される。
「攻撃が抜けてる……?」
セレナが驚愕を滲ませる。
「いや、あれは魔霧化による位相分離……物理干渉が通らない状態!」
ミリアが叫ぶ。「一定時間ごとに実体化するはずよ!」
「じゃあ……その時を狙って――」
「――私が露出を作ります!」
クレアが前に出る。「《聖光束:アウレオール・クロス》!」
爆光が戦場を照らし、ドリスコルの身体が一瞬、輪郭を戻した。
「今だっ!」
バルトの盾の一撃が、空間に響く衝撃音とともに炸裂した。
その突進による一撃は、鈍色の鉄塊ではなく、守りと攻めを兼ね備えた破城槌のようだった。
ドリスコルが咄嗟に展開した魔力結界が、鋭い裂け目を伴って割れる――音すらも悲鳴のようだった。
吹き飛ぶ魔力の破片。ひび割れた結界の向こう、血のように赤い魔装衣を纏った男が後退しながら呪文を詠唱する。
「――我が術は、理を焼き尽くす! 《黒焔焦土陣》ッ!」
足元から噴き出す業火。しかし、その詠唱の最中、すでにセレナの姿はその視界から消えていた。
「……遅いわ、ドリスコル!」
刹那――
彼女の赤いマントが翻る。空間ごと斬り裂くような速度でセレナが疾駆し、影と火の只中に踏み込む。
放たれた魔焔を剣閃で強引に散らし、至近から剣を逆手に取って突き刺す。
「《連牙断》!」
ドリスコルの結界が砕け、魔装衣に風穴が穿たれる。
しかし――それだけでは足りない。
「セレナ、下がれ!」
続いてアルフレッドの声が響く。
彼の足元には、瞬時に魔法陣が組み上げられていた。剣を掲げ、魔力を刃へと注ぎ込む。
「《斬閃乱舞》――!」
白銀の魔剣が閃光をまとい、五連の斬撃が螺旋を描いて敵へと突き刺さる。
一撃ごとに魔導士の防御が削れ、最奥の核――レックス・ドリスコル自身の身体に、決定的な亀裂が走った。
「ぐ、あああ……っ、ば、馬鹿な……!」
その言葉に、セレナが容赦なく追い打ちをかける。
「力を操ってるだけのあなたに、私たちの連携は見切れないわ」
剣を構えたままのセレナの瞳が、鋭く細まる。
ドリスコルはその視線に、かつて自らを人形として弄んできた魔導士としての優越感を崩されるのを感じていた。
「……私たちは、仲間よ。あんたの計算の外で、生きてるの」
魔導士の口から、血の混じった吐息が漏れる。
「っ、く……連携ごときで……この私が……!」
男の身体がぐらりと傾ぐ。
崩れるように膝をつき、次の瞬間、表情のない仮面が砕けるように、レックス・ドリスコルの体が白霧となって空間に散っていった。
燃え残った黒炎もまた、何かに喰われるように霧へと吸われ、やがて静寂が辺りを包み込む。
戦いは終わった。
残されたのは、焼け焦げた石床と、血と魔力の残滓、そして――
彼らが勝ち得た、確かな勝利の証。
ただし、それは完全なる終わりではなかった。
戦いの余韻の中、魔脈の間の奥に、一つの黒い水晶のような核が残されていた。
それが、ドリスコルの魔術を支えていた力の根源――《黒曜の門核》である。
ミリアが慎重に封印の呪文を施しながら言った。
「ここは……終わりじゃない。これは序章に過ぎないわ」
クレアが神気を収め、皆の傷を癒しながら頷いた。
「ドリスコルは確かに敗れましたが、セイセス=セイセスそのものは……まだ生きています」
アルフレッドが、闇に覆われたその門核を見つめながら、静かに呟く。
「俺たちは……このまま進むしかない。すべての闇を終わらせるまで」
帝都ミハノルティの一角にある冒険者ギルド《黒槍亭》。
石造りの重厚な建物に、今日もまた各地から集う冒険者たちの声が響いていた。
その一角、半ば静まり返った個室の一室。
アルフレッドたちは報告を終え、ようやく腰を下ろしていた。
「ドリスコル……本当に、あれで終わったのかな」
セレナがぽつりと呟く。手にはまだ、戦闘時に生じた小さな火傷の跡が残っている。
「奴が使っていた術式、普通の禁術とは系統が違っていた。セイセス=セイセスと呼ばれる存在……無視できないな」
ミリアは魔導記録を閉じ、眉間に皺を寄せた。
「だが実験施設は完全に崩壊した。人々を攫い、歪めていた元は断ったはずだ」
クレアは静かに祈りの印を切る。「もう、あそこに連れて行かれる者はいない」
「……にしても、妙にあっさりしすぎてたんだよな」
バルトが腕を組み、椅子を軋ませた。「あのドリスコル、最後に何かを言い残してたよな。確か――」
「門はすでに開かれた」
アルフレッドが低く呟いた。
全員が、言葉を失う。
それがただの虚勢でなければ――
まだ、この帝国の地下、あるいは世界のどこかで、何かが進行している。
そのとき、ギルドの受付がドアをノックした。
「アルフレッド様方。新たな依頼が届いております。内容は……帝都地下遺構にて異常反応が観測されたとのこと。調査をご検討いただけますか?」
全員が顔を見合わせる。
深い溜息を吐いた後、アルフレッドが椅子から立ち上がった。
「……休む間もないな。だが、行くしかない。俺たちが見た闇が、まだ残っているなら」
「ええ。放っておけない」
ミリアが頷き、魔導書を再び手に取った。
「面倒ごとにゃ慣れてるぜ」
バルトが立ち上がり、背の大剣を背負い直す。
「……聖なる灯火が導く限り、進みましょう」
クレアは聖印を手に、静かに祈った。
「なら、次は私が先陣を切るわ」
セレナが微笑んだ。先の戦いで燃え残る炎は、まだ胸の奥で赤く灯っていた。
こうして――
一行はまた、地の底に隠された真実を求め、新たなる階段を下りていく。




