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レベル37

 帝都の朝はどこか重苦しく、空気には湿り気が混じっていた。だがそれは、ただ天気のせいだけではない――


 《黒槍亭》の執務室にて、アルフレッドたちはギルド上層部の者と短い打ち合わせを済ませると、すぐに出発の支度に移っていた。


「地下遺構カヴェルノ旧下層……正式には、帝都建設以前の祭祀区画だったようだ」

 ミリアが地図を広げながら説明する。「都市の水脈管理施設に繋がっているけれど、長らく封鎖されていた場所よ」


「理由は不明、か」

 セレナが眉をしかめる。「帝国軍の記録も断片的だし、最近になって再調査の動きがあった……その直後に関係者が消息を絶った」


「門に繋がっている可能性が高い」

 バルトが斧を背負いながら言った。「ドリスコルの動きと無関係とは思えん」


「ともかく、行ってみなきゃ分からないわね」

 クレアが小さく息を吐き、祈りの言葉を胸に抱く。


 正午前、一行は帝都中央の旧水路管理棟に到着した。そこに設けられた簡易封鎖をギルドの許可証で解除し、地下へと続く石階段を下りていく。


 足音は次第に硬い音へと変わり、空気は冷たく、古びた石の匂いに包まれていく。


「静かだな……」

 アルフレッドが呟く。


「……でも何か……違和感を感じる」

 ミリアの声はひそやかだった。


 やがて一行の前に、広大な円形空間が現れた。祭壇のような構造物、朽ちた柱、天井から吊り下げられた奇妙な鉄輪。すべてが静止し、時間に忘れ去られたかのように沈黙していた。


 その中心には、奇妙な痕跡があった。


 焦げ跡――いや、何かが燃え尽きた後の空洞。魔力の残滓が微かに残っており、明らかに異常なものだ。


「何かが……召喚された?」

 ミリアが指先を石床に触れる。


「あるいは、逃げ出した可能性もあるな」

 バルトが警戒を強める。


「注意して進もう。ここには開かれてしまった扉がある」

 アルフレッドが前へと歩を進める。


 ――その奥に、何が待つのか。

 帝国の地下に息づく過去の罪、未完の儀式、失われた神代の記録。

 それらすべてが、今、彼らの行く手に横たわっている。



 石階段を下りきった先、広がっていたのは苔むした石造りの回廊。壁には風化しかけた帝国初期の標章が刻まれているが、どれも表面が黒く焦げ、文字の判別は困難だった。空気は重く、息を吸うたびに古代の塵が肺を刺す。


「……この辺り、妙に静かだな」

 バルトが警戒の声を漏らす。「音が吸い込まれてるような感じがする」


「魔法的な静音結界の痕跡があるわ」

 ミリアが指先で空気を撫でた。「でも不完全。封じられていたものが……何かを抑えようとした跡」


 アルフレッドは黙して進む。その手には、黒銀の魔剣ルーンブレイカー。魔力の脈動が微かに共鳴していた。剣は、地下の瘴気に反応している。


 やがて、先頭を歩くセレナが立ち止まる。

「前方に開けた空間。……魔力の痕跡も強くなる。準備を」


 一行が部屋へと踏み入れた瞬間、床の文様が鈍く輝いた。石畳に刻まれていたのは――召喚陣。だがそれは崩れ、中央には何かを封じていたはずの円形の穴が穿たれていた。


「これは……召喚ではなく封印の陣式よ」

 ミリアの顔が険しくなる。「でも、中心の制御石が破壊されてる……中から?」


 その時だった。部屋の空気が震えた。

 闇が、形を成して滲み出る――


「――来訪者ヲ、排除スル」


 声ではない。思考の波が脳内に直接響く。空間の奥に、浮かぶ黒き人型――かつて帝国で開発された戦術兵装、虚形の番人の一体。失敗作とされ、封じられた魔道兵。


「出るわよッ!」

 セレナが叫ぶと同時に、魔力が弾けた。


 ──戦闘開始。


 バルトが盾を構え、真正面から突撃。黒き番人は無音のまま右腕を変形させ、鋭い刃状のアームを展開。火花が散る。


 ミリアは後方から高位の《雷鳴の連鎖》を放ち、アルフレッドは横合いから一閃。

 だが、番人は単なる物理存在ではない。術式によって分裂し、幻影を残しながら移動する。


「これ、実体がどれか分からない……!」

 クレアが叫びつつ、仲間に防護結界を展開。


「見極めろ! 魔力の密度が違う!」

 アルフレッドが目を細め、真正面の幻影を貫いた──


 ギィィィン!


 実体を捉えた。番人が軋む音を上げ、抵抗を始める。


 その背後に、ぼんやりと浮かぶ魔力の残滓があった。そこには――人間の影が残っていた。誰かが、ここで何かを封印しようとし、そして敗れたのだ。



 アルフレッドの魔剣が虚形の番人の実体を貫いた瞬間、仮面のような黒い装甲が割れ、内部から濁った魔力が溢れた。番人は呻くように震えながらも反撃の姿勢を崩さず、空間を歪ませるように刃を振り上げる。


「来る……!」


 その直前、クレアの放った《聖封の障壁》が一行を覆った。刃が閃き、結界と激突して火花を撒く。衝撃に階層全体が揺れたように感じられた。


「こんな化け物を……帝都の地下に眠らせていたのか……!」


 バルトが呻きながら、戦斧を振るう。

 それに応えるように、セレナが唱えた魔法陣が完成する。


「《烈光・閃滅》!」


 魔剣と魔術の光が交錯し、番人の幻影をすべて焼き払う。光が霧を照らし、ようやく動きが鈍ったその本体に向けて――アルフレッドが踏み込んだ。


「これ以上、過去の亡霊に踊らされるな……!」


 魔剣ルーンブレイカーが黒き中核を斬り裂くと、番人の身体が空中で崩れ、音もなく霧散していった。


 その場に残されたのは、ただ一つの《記録石》。

 封印されていた魔導兵の制御核が、最後の痕跡として淡く光を灯していた。


 ミリアが慎重に拾い上げ、眉をしかめる。


「……この魔力反応、ただの制御記録じゃない。誰かの記憶が――刻まれてる」


「帝国の兵士か、それとも……」


 セレナが言いかけ、口をつぐむ。


 そのとき、記録石が静かに浮かび、淡い幻影を映し出す。


 ――映し出されたのは、かつてこの地下施設で任務に当たっていた一人の軍魔導士。

 彼は、ある禁じられた実験の責任者だった。


『……実験対象第7号、失敗。精神喪失、異界との交信継続不能。』


『ドリスコル卿より再度の命令。封印維持優先。……ここには、もう戻らないと伝えておこう。』


 顔は影に包まれ、名は明かされない。だがその声には焦燥と諦念、そしてどこかに、恐怖が滲んでいた。


『もし、これを見ている者がいるなら……"門"を探せ。そして、開けるな――決して。』


 映像はそこで終わる。


 一行の間に、重苦しい沈黙が流れる。


「……門、か」


 アルフレッドが低く呟くと、壁の奥から微かな風が吹いた。まるで、それが彼らの行く手を待っているかのように。


「俺たちは……まだ入口に過ぎなかったようね」


 ミリアの言葉に、誰も反論しなかった。


 《カヴェルノ旧下層》――この帝都の地下に秘された闇は、ただの亡霊ではない。

 それは、かつて異界の門をこじ開けた者たちが残した、封印そのものだったのだ。



 記録石の輝きが消えたその瞬間、空気が一変した。

 それは気圧の変化でも、風向きのせいでもない。空間そのものが、なにか見えざる意志に膨張を促されているような、異常な膨らみを孕んでいた。


「……下層のさらに下に、隠された層があるはずだ」


 ミリアの言葉に、クレアが神経質に頷く。


「感じるわ。深層から、抑圧された霊気が噴き上がってきてる……まるで、生き物の呼吸のように」


 アルフレッドは前へ歩を進めた。破砕された番人の残骸を踏み越え、封印の記憶が指し示す先――地下の中央構造部へ。


 やがて彼らの前に現れたのは、古びた祭壇と朽ちた鉄の門扉。

 祭壇には、かすれた古代帝国文字でこう刻まれていた。


「――此処より下は、還らざる地。ことわりに触れる者、汝、覚悟を問われるべし。」


 バルトが眉をしかめた。


「どこかで見たような警句だな。……おい、これ、開けるつもりか?」


「開ける必要はないわ」

 セレナが祭壇に手を当て、目を閉じた。「けれど、私たちは門の存在を確認しなければならない。それがこの帝国の地下に何を残しているかを」


 儀式的な沈黙が流れたのち、扉は――音もなく、ゆっくりと内側へと開いた。


 その先には、時の流れを拒絶するかのような沈黙が支配する、広大な石造りの空間が広がっていた。

 高天井には、かつて封印結界を支えていたと思われる魔導装置の残骸が浮かび、床には儀式陣が無数に重ねられている。


「……ここが、門の間……?」


 クレアが祈るように呟いた。


 そして、その奥にあった。


 円形の大理石の基壇。黒曜石と黄金で象られた巨大な環状構造――《門》。


 半ば崩壊しながらも、なおもその中心部には異質な空白が存在していた。

 そこには何もない。だが、何かがある。それを感じ取れる者にとって、それは圧倒的な異質として迫ってくる。


 ミリアの声が震えた。


「……空間の縫い目。現実と異界を隔てていたはずの織り目が、ここで解かれてる」


 セレナが剣を抜いた。


「ここで誰かが開いた。そして、何かが通ったのよ。……もしかすると、もう中にいる」


「……だとしても、ここで止める」


 アルフレッドが魔剣を構えた。


「過去の過ちだろうと、異界の意志だろうと、俺たちはこの門を前に立ち止まるわけにはいかない。これは、帝国の未来のための戦いだ」



 帝都ミハノルティ――


 帰還したアルフレッドたちは、《黒槍亭》にて探索の報告を終えたのち、帝国情報局分室に呼び出された。

 そこで彼らを待っていたのは、威厳と沈黙を纏った一人の男。帝国の軍政に関わる高官――ゼラーノ・ヴァンクラフト大佐である。


「……貴公らが目にしたのは、本来であれば存在しないはずの空間だ」


 椅子の背に両肘を置きながら、ゼラーノは低く言った。


「ノルドラム廃棄棟地下の《門》――あれは古代帝政時代、帝国魔導院が封印し、記録から抹消した儀式施設だ」


「なぜそれを今まで……」


 セレナの問いに、大佐は無表情のまま書類を一枚ずつ指でめくった。


「なぜなら、それが帝国の禁忌だからだ。過去のある時期、我らが先祖は、異界から力を引き出し兵器化しようとした。だが――それは制御不能だった。だからすべてを封じ、語ることを禁じたのだ」


 ミリアが静かに息をのむ。


「……それを、今になって再び開こうとしている勢力がある」


 ゼラーノは頷いた。


「セイセス=セイセス……おそらく、奴らは《門》の座標を掌握している。目的は不明。だが、何らかの鍵を手に入れ、再びあれを――」


 そこで彼は言葉を濁した。


「……今後、貴公らには帝国顧問局付き特別探査官として、任意の捜査権限を与える。今後の行動は我々と連携して行ってもらう」


「帝国が動くのか?」


 バルトが低く唸る。


「いや……帝国が動かざるを得なくなる前に、我々が先んじて真実を押さえる必要がある。それができるのは、もはや君たちのような、王国と帝国、双方に立てる者だけだ」


 その夜、宿に戻ったアルフレッドたちは、静かな食卓を囲んでいた。

 窓の外では帝都の街灯が規則正しく灯り、表面上は何事もない日常が流れている。


 だが、アルフレッドは、遠く空に浮かぶ黒雲のような違和感を拭えなかった。


「門の力が再び動き出す前に、止めなければならない。……あれは、放っておけばまた、あの時のように――」


「アルフ……」


 クレアがそっと声をかけ、皆の目が彼に向いた。


「……進もう」

 魔戦士は立ち上がった。「このまま世界が闇に呑まれるのを黙って見ているつもりはない」


 剣を抜かずとも、心の中に火は宿っていた。



 翌日、アルフレッドたちは再び《黒槍亭》を出て、帝都地下へと足を踏み入れた。

 今回の目的は、門に関するさらなる情報、特にかつてそれを研究していた者たちの痕跡――封印された知識の在処を探し出すことにあった。


 案内役として同行したのは、帝国情報局付きの若き魔導士、リゼ・ノルフェン。

 彼女は帝国大学の魔導記録室に籍を置きながら、極秘の歴史資料を解析していた人物である。


「ここです」


 彼女が立ち止まったのは、帝都中央広場の下層に広がる旧時代の排水路跡。

 鉄格子を抜けた先には、人工のアーチが並ぶ、崩れかけた回廊が延びていた。


「門に関わる初期の研究者たちは、この地下にサブルームと呼ばれる隠密研究所を設けていた記録があります。封鎖はされていますが、まだ完全には崩れていないはず……」


 セレナが周囲に視線を走らせる。


「気をつけて。気配がある。ここ、ただの遺構じゃないわ」


 その言葉通り、静寂の中にひそやかな気配が紛れていた。

 回廊の奥、苔に覆われた扉の向こう――確かに何かが、息を潜めている。


 扉をこじ開けると、中は完全な闇に包まれていた。

 クレアの灯火の魔術が淡く部屋を照らすと、壁一面に書き殴られた古代文字と、円形に描かれた魔法陣の痕跡が浮かび上がる。


「……ここが、サブルーム……」


 リゼが息を呑む。だがそのとき――


「来るぞ!」


 バルトの声とともに、影が動いた。

 魔法陣の中心、暗黒の染みがわずかに膨張し、異界反応体――《幻影喰らい(ファントム・ヴォア)》が姿を現した。


 異形のそれは、記憶に寄生し、精神の隙間に浸食する存在。

 研究者たちの記憶が封じられたこの場所に残された、かつての実験体――あるいはその成れの果て。


「ここは……我らが……知を…………隠した、場所……」


 呻くような音とともに、黒い瘴気が渦巻いた。

 エヴァンたちは即座に構え、戦闘態勢に入った。


 アルフレッドが前に出て剣を構える。

「これは、過去のカルマが生んだ亡霊だ――ならば、俺たちが断つ!」


 ミリアが詠唱を開始し、セレナが支援魔法を重ねる。

 バルトがその巨体で前線を維持し、クレアは後方から仲間に祈りの力を与えた。


 《幻影喰らい》の攻撃はすべてが精神への干渉を伴っていた。

 過去の記憶、恐怖、後悔、見たはずのない幻――だが彼らは揺るがなかった。


「俺たちは、誰かの記憶じゃない。自分の意志でここにいる!」


 アルフレッドの魔剣が黒き影を貫いた。

 断末魔のような囁きが響き、そして……闇は霧散した。


 戦いの終わりとともに、部屋の奥に残されていた記録冊子が魔力によって封印を解いた。

 そこに書かれていたのは――


「門の起源……? いや、それだけじゃない。開門に至る鍵……?」


 リゼが記録を読み上げた。


「帝国の地下に眠る試作鍵……場所は……南東の遺棄鉱区……《シルヴァーン・サイト》……」


 アルフレッドたちは互いに視線を交わした。


 闇は深まっている。


 だが、そこに道があるのならば――彼らは歩むだろう。



 風が鳴いていた。

 帝国南東部、標高の低い盆地に広がる《シルヴァーン・サイト》は、今や地図からも抹消された存在しない場所だった。


 かつてこの地は希少鉱石〈ルマナイト〉の鉱脈として帝国の軍需を支えた要地であった。

 しかし、数十年前に突如として発生した大崩落によって坑道の大半が閉ざされ、多くの鉱員や魔導技師が命を落としたという。


「この空気……ただの封鎖じゃない。結界が張られてる」


 セレナが眉をひそめ、空間を撫でるように魔力を探る。


「術式は旧式だが強固だな。封印というより、中から出さないためのものだ」


 ミリアの呟きに、クレアが聖印を掲げて祈る。

 僅かに反応した結界の歪みに、バルトが得物を手に進み出た。


「どのみち俺たちには、進む以外の選択肢はないってことだ」


 アルフレッドは頷くと、魔剣の柄を握り直し、結界の中心へと歩み寄った。


「開けるぞ」


 結界を貫く一閃。

 ――瞬間、封じられていた空間が揺らぎ、埃混じりの風が吹き出した。


《シルヴァーン坑道・第零区》

 内部は暗く、冷たい静寂に包まれていた。

 ただしそれは死の静けさではなかった。


 通路の壁には、魔力によって浮かび上がる旧帝国語の標識があり、その奥には防衛用の機構――かつての自律兵器の残骸が散乱していた。


「誰かが、ここを守っていた」


 リゼが低く呟く。

「いえ、もしかしたら……何かを出さないためかもしれません」


 そのとき、足元で金属音が響いた。

 坑道の奥から、錆びた装甲をまとった異形の兵士たちがゆっくりと起動する。


 《機甲守衛種ガーディアン・オート・第零号》


「戦闘体勢、整えなさい!」


 ミリアの叫びとともに、光が散り、音が吠える。


 ――第零区の守護者たちとの戦いが、幕を開けた。



 甲冑のごとき装甲をまとい、巨大な腕を唸らせて襲い来る機甲守衛。

 その一撃は、地を穿つほどに重く、無慈悲なまでに正確だった。


「っ、バルト、右からもう一体来る!」


 ミリアの警告と同時に、バルトは戦斧を振り抜いた。

 鈍い衝突音。火花が散り、敵の関節が破砕する。


「見た目以上に頑丈だな……だが、芯を砕けば沈む」


「ならば貫いてみせる!」


 セレナが跳躍し、魔力を纏った刃で空間を裂く。

 その斬撃は敵の胸元へ――しかし装甲に阻まれ、浅く弾かれる。


「やはり旧帝国の兵器……魔導障壁が張られている!」


「ならば――俺の魔剣で穿つ!」


 アルフレッドが魔剣を逆手に構え、濃密な魔力を刃先へ集中させた。

 一瞬、周囲の空気が粘性を持ち、霧のように揺らめく。


「《黒閃ノ斬》――!」


 斬撃が閃光となって守衛の胴を両断する。

 機械の叫びが響き、機構は火花とともに崩れた。


「まだだ。背後――!」


 クレアの声と同時に、聖なる光が仲間を包み込む。

 機甲兵の拳が空を打ち抜いた瞬間、バリアがその衝撃を拡散した。


「ふぅ……ひとまず、ここは片付いたわね」


 最後の一体が倒れ、坑道に再び静寂が戻る。


《坑道・第零研究室》

 戦闘を終え、奥の扉を進むと、そこには封鎖されたままの旧式の研究施設があった。

 錆びたプレートには、《第零特別観測区》の刻印。


「観測区……何を、観ていたの?」


 ミリアが壁の端末を調べ、記録装置を起動させる。

 埃混じりの光が舞い、古い映像が投影された。


《記録映像 第零計画観測報告》


 対象は依然安定せず。門の断片より抽出された魔核は干渉性を保ち続けている

 接続試験、失敗。門の座標は変動中――もはや空間ではなく、概念の揺らぎに近い

 封印維持には自動防衛機構の常時稼働が必要


 最後に、記録官と思しき女性の声が響いた。


「……もしこれを視る者がいるのなら、お願い。中枢に触れないで。まだ、あれは目を覚ましていない。けれど、繰り返しは、もう――」


 映像が途切れた。


「門に関わる研究……それも、帝国が独自に行っていた?」


「この場所、やはり帝国は何かを……いや、誰かを見ていたのかもな」


 セレナが遠くを見る目で呟いた。


「……次は、その中枢とやらへ向かうのか」


 バルトの問いに、アルフレッドは静かに頷く。


「俺たちがここに来た理由を、確かめる必要がある。世界に近づきつつある災厄の正体を知るために」



 深部へと続く坑道は、かつての鉄道用搬送路だったものらしく、巨大なレールが苔と錆に覆われて続いていた。両脇には崩れかけた金属パイプと、かろうじて稼働する非常灯が点在し、まるで地底に脈打つ静脈のように赤く脈動していた。


「空気が……変わったな」


 バルトが低くつぶやく。鉄の匂いではない。古い魔力の残滓――それは生き物のように漂い、皮膚にまとわりつく不快さがあった。


「……この先に、あるのね。かつて門と呼ばれた何かが」


 セレナの声は硬く、だがどこか震えていた。それは、無意識の恐れか、それとも懐かしさか。


「……気を引き締めていこう。何があっても、おかしくない」


 アルフレッドが魔剣の柄に手を置いた。仲間たちも頷き、無言のまま最奥へと歩を進めた。


《観測炉心・中央実験室》

 扉が開いた瞬間、霧のような魔力の奔流が吹き付けてきた。そこは、巨大な環状の実験室だった。天井高く積まれた計測機器の群れは今や沈黙し、中央には――


 虚空にぽっかりと開いた裂け目があった。


 それは明らかに、この世界の物理法則から逸脱していた。闇でもなく、光でもなく、ただ穴として存在していた。


「……門、か」


 クレアが小さく息を飲む。


 だが、その瞬間――


 ガシャン、と背後の扉が自動で閉じた。


 そして、耳を劈く警告音が響く。


 >《観測炉心封鎖開始。第零実験コード再起動――対象存在、接近中》


「来るわ。何かが、門から」


 ミリアの言葉と同時に、裂け目の周囲の空間がひずんだ。


 そこから姿を現したのは、半ば物質、半ば霧としか言いようのない存在だった。


 ──それは、かつての研究記録にあった断章体。


 帝国が門から取り出し、形を与えようとしたが、制御不能として封印された失敗作。


 だが今、その断章体は黒い煙のように絡み合い、明確な意思を宿して一行に牙を剥いた。


「来るぞ――!」


 アルフレッドが魔剣を抜き放つ。その刃先に濃縮された魔力が走り、戦いの合図となった。


 断章体は低く呻くような音を発しながら伸縮し、複数の触手のような腕を生み出した。一本はバルトの防御を弾き、一本は天井を貫く。


「防御不能、触れれば呑まれる!」


 クレアが叫び、聖印をかざして防護の結界を張る。


「ならば、先に核を見つけて壊す!」


 セレナが空間を裂き、斬撃の連続魔法を叩き込む。だが、断章体は霧のようにそれをかわす。


「そう簡単には……!」


 ミリアの詠唱が終わる。高密度の雷撃が一点に収束し、断章体のコアらしき部位に直撃――


 悲鳴のような音が響く。だが、それは進化の兆しでもあった。


 断章体が再び霧に戻り、空間を浸食しながら姿を変えていく。


「進化……!?」


「違う、門と接触している……!」


 ミリアの目に映ったのは、門から伸びた魔力の糸が断章体に接触し、新たな形を与えようとする様だった。


「まずい、これはまだ前哨戦だったのか……!」


 アルフレッドが剣を構えなおし、仲間に言う。


「ここで終わらせる。さもなくば、門が開く!」



 断章体を辛くも退けた一行の前に、異変は唐突に起きた。


 門が、開いた。


 それは開くという言葉では追いつかぬ、世界そのものが引き裂かれるような感覚だった。空間が軋み、音のない断裂が走る。そして、そこから何かが這い出してくる――


「これは……ッ!」


 ミリアが思わず後退る。霧でも魔でもない、概念そのものが形を取り始めていた。


 それは門の向こう側の存在、帝国の魔導技術者たちが呼び寄せてしまった外界の意思。


 だが、それを器として迎え入れる存在がいた。

 ──そう、断章体は、いまや完全な媒介となっていたのだ。


「奴が……受け入れようとしている!」


 セレナが叫ぶ。その瞬間、霧がうねり、かたちを得る。


 現れたのは、人の姿を模した異形。無数の顔を纏い、背には黒き羽根のような構造物、全身に帝国の研究施設から溢れた魔術文字が浮かぶ。


 それは、かつてこの実験を主導した魔導士――レックス・ドリスコルの魔力と知識、そして異界の意思が融合したもの。


 《深界の代弁者――ドリスコル・アフター》



「まさか……自らを器としたのか、レックス・ドリスコル!」


 アルフレッドの怒気が魔剣を震わせる。


「いいや、我はもはやその名を超えて在る。我は啓示。人よ、お前たちの語るべきものなき時代に終わりを告げに来た」


 その声は、人の声帯を使っていながら、人の理からは外れていた。


「……黙れ、そんな歪んだ終末を、俺たちは受け入れない!」


 アルフレッドが魔剣に封印されし《緋刃・イクシード》の力を解放する。


 第一撃――空間を裂く赤黒の一閃。

 だが敵はそれを避けず、霧のように通過させる。


「効かない!? いや、干渉が弾かれている……!」


 ミリアが即座に詠唱を変える。「空間収束、対象実体の特定を――!」


 その隙を縫って、バルトが正面から突撃し、セレナが背後へ回り込む。


「聖なる加護を、今こそ!」


 クレアの祈りが、全員に浄化のオーラを纏わせた。

 敵の攻撃――霧のような手が迫るも、光の加護が一撃を防ぎきる。


《戦いの終焉と門の封印》

「ミリア、今だ!」


「座標確定、転移弾の干渉軸をコアに照射――《レイライン・アンカー》!」


 魔力の結晶から放たれた光が、異形の核に突き刺さる。

 その瞬間、外界の意思との接続が断たれた。


「──門が……閉じようとしている!」


 霧が逆流し、ドリスコルの姿が軋み、崩れ落ちていく。


「……知識は、罪なのか……」


 最期の瞬間、かつての彼の声だけが残った。


 門は収束した。裂け目は消え、世界は再びこちら側に戻った。



 数日後、帝都の冒険者ギルド《黒槍亭》にて、アルフレッドたちは報告を終えた。


「これで、本当に終わったのかな……?」


 セレナの問いに、誰もはっきりと答えることはなかった。


 門は閉じた。しかし、その存在は確かにあった。


「……次は、何をする?」


 アルフレッドが問いかけた言葉に、ミリアは静かに答えた。


「たぶん、まだ終わらない。世界のどこかで門はまた開こうとしている。私たちが止めない限り」


 だからこそ、歩みは止めない。

 それが、彼らの冒険の宿命なのだから。

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