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レベル36

 ダウニシア帝国・北境方面軍駐屯地《ヴァロス哨戒陣》にて、異常が報告された。


 最初の報告は曖昧だった。

「夜営中に一部隊が姿を消した」と。

 次いで、連絡を絶った補給部隊、見張り台の消失、駐屯兵たちの集団幻覚――

 そして、最後の報告が届いた後、陣地そのものが記録上から消滅した。


 報告文書の一部にはこう記されている。


「……該当陣地は物理的には存在している。しかし、誰もその場所へたどり着けない。道は存在し、地図も正しい。にもかかわらず、接近した者は全員、そこに何もなかったと証言して戻ってくる。まるで、世界から切り取られたように」


 帝国軍情報局はこれを軍規違反・報告捏造と断じ、内密に処理しようとした。

 だが、王都ミハノルティにおける高官筋の中には、かつての《異端結社セイセス=セイセス》の残響を感じ取る者もいた。


 ほどなくして、冒険者ギルド《黒槍亭》の掲示板に、一枚の依頼書が張り出される。


■ 緊急調査任務

依頼主:帝国軍情報局(※機密扱い)

任務名:北境駐屯地《ヴァロス陣》消失調査

概要:

北境にて駐屯地ごと消息を絶った事件について、現地調査および生存者の確保、原因の特定を依頼。

必要であれば敵対勢力との戦闘も想定。

高度な探索・戦闘能力を有する者に限る。

報酬:高位軍契金(+特別通行許可証)

備考:本件は国家機密につき外部への漏洩厳禁。


 そして、その依頼は――黒槍亭の奥、静かな相談室にて、アルフレッドたち五人の元に差し出される。


「……これは、ただの失踪事件じゃないな」


 重戦士バルトが眉をひそめて言う。

 ミリアは報告文に目を落としながら、囁くように応じた。


「記録に残らない領域……まるで、世界の裏側に入り込んだみたいな……魔術、それとも呪術?」


「あるいは、その両方かもしれない」


 セレナは静かに席を立つ。

「――でも私には、この気配が懐かしいの。前にも似た空気を感じたわ。ザヴレイスの旧遺跡群……《セイセス=セイセス》の残滓に近い」


「やはり、また奴らか……」


 アルフレッドの声が低く響く。

 かつて王国に蠢いた異端の魔術集団。国家転覆を狙った彼らの暗躍は断たれたはずだった。

 だが、その背後にいた者――黒き魔導士レックス・ドリスコルの消息だけが、今なお記録されていない。


 クレアがそっと聖印に手を添えた。


「もしまたドリスコルが蠢いているのなら……私たちが止めるしかないわ」


 帝都の空は、奇妙に晴れわたっていた。

 だが、その青の奥で、確実に何かが動いている。



 帝都ミハノルティの北東、帝国軍の第三駐屯地。かつて国境戦争の折には補給と増援の要を担ったが、現在は辺境警備の拠点として再編され、兵士たちの訓練と派遣が繰り返される静かな駐屯地となっていた――少なくとも表向きは。


 だが近頃、その駐屯地で不可解な人員の失踪が相次いでいた。

 理由は不明。戦闘も、侵入の形跡もない。夜間点呼で姿を消しており、兵舎の扉は内側から鍵がかかったまま。脱走の証拠すらなかった。

 不審なことに、軍上層部は事件の詳細を公にせず、現地の軍務官も口を閉ざしている。


「正規の調査団も派遣されたが、その報告書が……奇妙なんだよ」


 《黒槍亭》のカウンター席で、ギルドの調査担当官が声を潜めて言った。

 渡された報告書はほとんどが空白。わずかに記された文面は「発見された痕跡は記録に残すべきではない」とだけ。


「何かあるのは間違いない。軍部はこの件を民間に依頼することに難色を示していたが、上層部から特命として回ってきた……」

 男の視線が、アルフレッドたち一行へと向けられる。


「お前たちの実績は調べさせてもらった。ゼイドーアン王国での働き……いや、国境を越えても、その名は少しずつ耳に入ってきてるよ」


 そう言って、彼は苦笑を浮かべた。


「この依頼、報酬はそこまで高くない。ただ、真相に辿り着ければ――帝国の上層部に顔を売ることができる。そうなれば……今後の動きにも、広がりが出る」


 アルフレッドは短く頷いた。

「わかった。俺たちで行こう」


 ミリアが横目で報告書の一部を覗きこむ。

「記録に残すべきじゃない、か。ずいぶんと魔術的な香りがするわね……」


「兵士を消す魔法……いや、魔術というより、結界の類かもしれんな」

 バルトが腕を組みながら呟く。


「行ってみないと、始まらないわ。何より……この背後には、またあの結社がいる気がする」

 セレナが低く囁いた名――セイセス=セイセス。

 そして、その結社の黒幕――レックス・ドリスコルの影。


 クレアは聖印を指先でなぞるように触れ、祈るように目を閉じた。

「闇が広がる前に。私たちの刃と祈りが、少しでもそれを遅らせられるのなら――行く価値はある」


 こうして、一行は出立した。

 行く先は、帝国軍第三駐屯地。

 整然とした鉄の秩序の奥に潜む、沈黙と恐怖の影へ――



 帝都ミハノルティを発って三日。

 幹線を離れ、風に草が騒ぐ原野を抜けた先、帝国軍第三駐屯地は丘の上に静かに広がっていた。


 石造りの外壁は苔と風雨に晒されながらもよく整えられており、周囲に砦や見張り塔が点在している。だが、その整然とした風景の中に、何かが欠けているとアルフレッドは感じた。


「……門が、開け放たれてるな」

 バルトが低く言った。


「旗も、掲げられていない。通常、軍規に厳しい帝国なら考えにくいことよ」

 セレナが眉をひそめる。


 門をくぐると、広場には無数の足跡。だが、それは土の上に刻まれた古いもので、最新のものは極端に少ない。

 荷馬車、物資の箱、整備された鍛冶場……すべてがそこに在るのに、そこに人がいない。


「人気が……まるでないわね」

 ミリアの声は、微かな風音にさえ掻き消されそうだった。


 クレアは足元の土にしゃがみ込み、何かを確かめるように祈りの言葉を唱える。

「ここには、かつて祈りがあった。……けれど今は、祈る者がいない。空虚です」


 一行は警戒を強めながら、中央棟――司令官室や兵舎のある区画へと向かう。

 その途上、彼らの足を止めたのは――


 血痕だった。


 扉の前、石の床に、乾いた紅。乾いて久しいが、それは確かに誰かの存在がここにあった証。

 そして、その先には、部屋の中からわずかに漏れ出る魔力の残滓があった。


「……誰かがいる」

 アルフレッドが手を魔剣の柄にかけた。


 バルトが頷く。「先行する」


 重い扉が軋みを上げて開いたとき、室内には――


 がらんどうの部屋。その中央に、転送陣らしき魔法陣が残されていた。

 薄く淡い青の輝きを放つその陣は、誰かが急ぎ足で開いたものにしては、あまりにも整いすぎていた。


「誰かが、意図的にこの駐屯地を空にした……そんな感じね」

 セレナが陣の縁に指を這わせながら呟く。


「けど、なぜだ? 軍の兵士をまとめて消すような真似、帝国の誰が許可する?」

 ミリアの言葉に、答える者はいなかった。


 そのとき――魔法陣の縁から一瞬、黒い稲妻のような魔力の揺らぎが走った。


「……これは、次元魔術の残滓よ」

 ミリアが低く息を吐く。「空間そのものに切り取りが発生してる……尋常じゃないわ」


 クレアが神妙な面持ちで祈りを込める。「何かが、ここで現実を捻じ曲げた……そんな感じがします」


 そのとき、陣の中心に、一枚の札がゆらりと浮かび上がった。

 魔術的封印文の刻まれた、古びた羊皮紙のそれには、ただ一つの名が記されていた。


 ――《セイセス=セイセス》。


 沈黙が、場を支配した。



 転送陣の残光がかすかに揺れる中、一行はさらに奥の棟――かつては兵士たちの生活区だった場所へと足を踏み入れた。


 長い廊下。靴音が乾いた石を打つ。

 左右に並ぶ寝室、武具庫、食堂。そのすべてに人の気配はなく、むしろ人がいたはずなのに存在が剥ぎ取られたような違和感が満ちていた。


「……何かが、いる」

 クレアの声が低く震えた。「物理的な存在ではない、記憶の痕跡のような……でも、それはまだ、終わっていない」


「……感じる。空間が軋んでいる」

 セレナが魔術視を展開しながら足を止める。「あの部屋、奥の部屋が捻れてる。これは、時空の歪み」


 彼らがたどり着いたのは、大部屋。かつては兵士たちが交代で休息を取ったであろう広間だった。

 その中央に、異常があった。


 そこだけ、空間が凍っている。時間の流れを拒絶するかのように、青黒い靄が床を這い、天井を染め、壁を包んでいた。

 そしてその中心に、人の影のようなものが佇んでいた。


「……兵士?」

 アルフレッドがそう呟いたその瞬間、影が、振り向いた。


 だがそれは、すでに人ではなかった。

 軍服のようなものをまとったそれの顔は存在せず、黒い霧が仮面のように固まっているだけだった。

 手には帝国式の剣。その刃先には、かすかに赤黒い魔力がまとわりついていた。


「――既に堕ちた戦死者……これは、闇の残滓に侵されているわ」

 ミリアが震える声で言う。「闇の魔術によって誰かに変異させられたのよ」


「成仏していない……いや、死んでいないのかもな」

 バルトが剣を構えた。「来るぞ!」


 影は、音もなく滑るように飛びかかってきた。

 その剣閃は異様に鋭く、アルフレッドの魔剣と打ち合うたびに火花ではなく、黒い霧が弾けた。


「力はそれほどでもない、けど、速い!」

 ミリアが警告する。


 突如、影は分裂した。

 一つだった存在が、まるで砕けた鏡の破片のように六体へと変じ、各々が一行を囲むように動き出す。


「形なきもの……厄介ね」

 セレナが詠唱を開始する。「――《蒼雷、天を裂き、影を討て》!」


 蒼き雷撃が一閃し、一体の影を貫く。

 影は一瞬、暴風に吹き飛ぶ黒煙のように崩れ、かすかに呻き声を上げて消失した。


「消える、けど……また戻ってくる!」

 クレアの聖印が赤く光る。「これはただの亡霊じゃない、呪詛に縛られてる!」


「だったら、斬り切るしかない!」

 アルフレッドが魔剣を両手に握り、踏み込む。「来い、消された戦士よ。お前の叫びを、俺たちが受け止める!」


 ――この戦いは、ただの物理的な勝利では終わらない。


 それは、何が彼らをこうしたのかという真実に近づくための、ひとつの入口だった。



 戦闘の終焉は、唐突に訪れた。

 最後の影がアルフレッドの魔剣に貫かれた刹那、空間を満たしていた靄が弾けるように消え去り、凍てついていた空気が一気に融解する。


 静寂――。


 だが、それは死の沈黙ではなかった。

 むしろ、何かが解放されることを待っていたかのような、残響のような静けさだった。


「……見て、床に何かが」

 ミリアが囁き、瓦礫に埋もれていた床石を指差した。


 そこには、かすかに光を帯びる記録水晶が落ちていた。

 黒ずんだ金属の装飾が施され、かつては帝国軍の正式な装備品であったことを物語っていた。


「これは……帝国軍兵の個人記録だ」

 バルトが拾い上げ、軽く息を呑む。「まだ機能している」


 クレアが魔力を込めて封印を解くと、水晶が青く光り始めた。

 次の瞬間――周囲の空間に、淡い幻視が投影される。


 それは、ひとりの青年兵士の記憶だった。

 若く、真っ直ぐな瞳をした彼は、仲間たちとともにこの駐屯地に配属され、笑いながら鍛錬し、夜には歌い、日々を過ごしていた。


 だが、ある夜――記憶が暗転する。


「……上官が、何かの儀式を始めた。正規の命令じゃない」

「……兵士が一人、二人と、姿を消していく。まるで、最初から存在していなかったかのように」

「……あの名前を口にした者は、翌朝にはいなくなる。セイセス=セイセス。呪われた結社だ。僕はそれを記す」


 記録はここで途絶えた。


「消された……いや、抹消された記憶」

 ミリアが震える声で言った。「これが、帝国の内側で起きていたこと……」


「闇の結社が、軍の中枢にまで入り込んでる……」

 セレナが唇をかみしめる。「ならば、この事件は単なる駐屯地の異変じゃない。国家の中枢そのものが蝕まれている可能性がある」


 アルフレッドは無言のまま、剣の柄を握りしめた。


「レックス・ドリスコルか……ミリア、あの記録で言及されていた上官、もしかして?」


「……ええ」ミリアは目を伏せて呟いた。「……セイセス=セイセスが関わっているとしたら、レックス・ドリスコルなのかも知れない。どうやって帝国軍に入ったのかは分からないけど」


「何れにせよそれが今……闇の結社とともに、動いているというのか」


 沈黙が一行を包んだ。


 だが、彼らの中には確信が芽生えていた。

 これまでの冒険のように依頼をこなすだけでは、この国に巣食う闇には届かない。

 ここから先は――国家の核心、さらには世界そのものに繋がる、より深く、より危険な旅路となる。


「とりあえず……報告だな。今はまだ駒を進める段階じゃない。だが」

 バルトが剣を背負いながら言った。「この駐屯地で起きたことは、帝都の連中にも見せつけてやるべきだ」


「《黒槍亭》に戻ろう」

 アルフレッドが静かに言った。「ここで終わらせてはいけない。これは、始まりだ」


 陽はすでに傾きかけていた。

 だがその光は、これから歩むべき道を照らすには、まだ十分だった。



 帝都ミハノルティ――

 古い城壁を改修しながら発展したこの都市は、政治と軍事の中枢であり、文化と歴史の厚みを感じさせる荘厳な街並みが広がっていた。だが、どこか――人々の影が薄い。


 王都セルゼリッカにおける賑わいとは異なり、ミハノルティの空気は張り詰めていた。

 言葉少なな市民。監視の目を光らせる兵士。街角でうずくまる流民。

 そのすべてが、国家の膨張と崩壊の狭間にあることを物語っていた。


 その一角、冒険者たちの根拠地《黒槍亭》。

 重厚な石造りの建物には、ダウニシア帝国の象徴たる漆黒の槍を模した看板が掲げられている。

 戦争と策謀が日常であるこの帝国において、冒険者ギルドもまた一種の軍事機関であった。


「……戻ったか。お前たちか」


 受付を務めるのは、白髪の隻眼の男――《黒槍亭》ギルド副長、エルマー・ヴァンディール。

 かつては帝国軍の将校でありながら、その冷徹な現実主義から軍を離れ、今は冒険者を束ねる立場にある。


 アルフレッドは懐から記録水晶を取り出し、机に置いた。


「依頼完了。だが……この件、単なる駐屯地の異変ではない。結社《セイセス=セイセス》の影が、軍の中枢にまで及んでいる」


 エルマーは目を細め、水晶を掌に取った。

 淡い光が彼の顔を照らす中、記録映像が再生される。

 沈黙が、ギルドの空気を支配した。


「……なるほど。これは、軍上層部に直接報告せねばならん代物だ」

 エルマーは重く言った。「だが、それで全てが解決するとは思うなよ。――この帝都の中には、それでもなお黙殺する連中がいる」


「レックス・ドリスコルという名に、心当たりは?」

 ミリアの問いに、エルマーの片眉がわずかに動く。


「……知らんとは言えんな。かつて魔術研究庁で破格の才能を認められた男だ。だが、ある日を境に消息を絶った。……その裏には、機密保持を理由とした粛清があったとも聞いている」


「粛清されたはずの者が、今も生きて動いている」

 アルフレッドの言葉に、エルマーは黙したまま深く頷いた。


「お前たちの仕事は、確かに完了だ。だが……その先の道があることを、お前たちはもう知ってしまった。だとすれば――俺からお前たちに、次の依頼を出そう」


 空気が変わった。

 ギルド全体が、何か重みを孕んだような沈黙に包まれる。


「調査対象は、帝都南部にある旧研究施設《ノルドラム廃棄棟》。現在は封鎖され、正式には存在していないとされている場所だ。レックス・ドリスコルと《セイセス=セイセス》の痕跡がそこにある、という情報が入った」


「……行く価値はあるな」

 バルトが短く言い、クレアが頷いた。「浄化すべき場所があるのなら、私の力も役立てられるはず」


「まるで、迷宮のような話ね」

 セレナが皮肉気に笑う。「それでも私たちには、進む道しかない。――ここで終わるつもりはないから」


「帝都にはまだ、真実の入り口が眠っている」

 アルフレッドが最後に言った。「俺たちは、それを暴きに行く。必ずな」


 こうして、新たな地図が手渡される。

 それは、正規の記録には一切残っていない、黒く塗りつぶされた区域――


 《ノルドラム廃棄棟》

 かつて帝国の魔術研究と禁呪実験が行われていた、封印された地下研究区画。


 そしてそこへ向かうとき、彼らはまだ知らなかった。

 この道の先に、世界の輪郭すら変えるような真なる闇が待ち受けていることを。



 朝靄の残る帝都の街並みを、硬く刻まれた靴音が響いていた。

 アルフレッドたちは、まだ陽が高く昇らぬうちから《黒槍亭》を発ち、南へと延びる街道を目指していた。


 目指すは《ノルドラム廃棄棟》。

 帝都郊外、軍の演習場として指定された丘陵地帯のさらに奥、記録からも抹消された旧い施設が、そこにはある。


「帝国の記録局ですら、存在しないとした場所……」

 ミリアは旅装のまま、肩にかけた古文書を広げていた。「でも、地図の端に記されていた旧番地の名は、消しきれていなかった」


「こういう場所に限って、何かが棲みついてるもんだ」

 バルトが大剣の重さを背に感じながら、無骨に笑った。「しかも歓迎してくれない類のな」


「準備はできている。クレア、支援魔法は?」

 セレナが前方に視線を向けたまま訊ねると、僧侶は軽く頷いて答えた。


「聖域の加護を。呪詛や幻惑に抗する結界を張ってある。もし結界を破るような力があるなら――それは、もはや神の定めをも逸脱した存在よ」


 道中、街を出てすぐの小村――リューカ村にて、情報収集を行う必要があった。


 この村は十年前まで帝国軍の補給拠点として利用されていたが、現在は名ばかりの集落となり、民の多くが他所へ移った後の静けさに包まれていた。

 しかし、廃棄棟への道筋は、この村の裏手を抜けなければならない。


「ノルドラム? ああ、あの山の向こうさ」

 唯一残る宿の主人は、渋茶を啜りながら呟いた。「十数年前まで、軍の連中が入れ替わり立ち替わり出入りしていた。だが、ある時期を境に、誰も戻らなくなった」


「何があったんだ?」

 アルフレッドの問いに、男はしばし黙した後、ぽつりと答えた。


「夜になると、山の方から光が揺れる。風もないのに森がざわつく。子どもがひとり、戻らなかった。……今では誰も近づこうとせんよ」


「魔術的な現象の可能性もあるわね」

 ミリアが呟き、宿の外で風に揺れる鐘の音が響いた。


「最近、妙な兵士がこの村を訪れたって話は?」

 セレナがさらに問うと、男は目を細めて言った。


「一週間前だな。軍服のような装いだったが……胸元に帝国の紋章はなかった。無言で宿の前を通り過ぎて、森の方へ向かったよ。帰りは見ていない」


「それで十分だ。助かった」

 アルフレッドは礼を述べ、皆と共に村を離れた。



 森の入口、夕闇が降り始めた頃、空気が変わった。


「……感じるか」

 セレナが剣に魔力を込める。


 霧の中、輪郭を崩しながら現れたのは、人の形を模した黒衣の存在だった。

 その身体は人の兵士に酷似していたが、目には焦点がなく、腕に巻かれた呪符がひしひしと魔力を放っている。


「魔導兵……それも、肉体を失いかけている個体だわ」

 ミリアが警告する。「下手に生きている方が、なお厄介よ」


「構わん。突破するぞ!」


 アルフレッドが魔剣を構えた瞬間、黒い兵士たちは一斉に霧の中から飛び出してきた。


 バルトの大剣が一閃し、肉体のない兵士を薙ぎ払う。だが、傷口からは血ではなく、黒い瘴気が噴き出すだけだった。


「不死か!」

 クレアが浄化の光を放ち、瘴気を焼き払う。「これは……通常の魔法防御では足りない!」


「ならば、突破力で叩き潰すのみだ!」

 アルフレッドが剣に雷光を纏わせて一体を一刀のもとに切り伏せる。


 戦いは長くは続かなかった。

 だが、彼らの存在が何よりも雄弁に語っていた。


 ――この森の奥に、確かに何かがある。



 夕闇が完全に世界を支配する頃、霧の森を抜けた先に、それは姿を現した。


 《ノルドラム廃棄棟》――

 長く放棄され、記録からも抹消された軍施設の残骸。だが、それはただの廃墟とは、到底呼べないものだった。


 巨大な石造の構造体が、まるで山の一部をくり抜いたように沈黙して建っていた。扉は封じられ、石に刻まれた古い呪式の痕跡が、不気味な燐光を放っている。


「……生きているようだ」

 セレナが言った。「この建物そのものが、何かの意志に従っているかのように感じる」


「見て。魔術障壁がまだ稼働している」

 ミリアが魔術視の眼を開く。「外からの侵入を拒む、かなり古い型の封印ね……でも、何かが内側から破ろうとした跡がある」


「中に何かが残っているのか?」

 バルトが剣に手をかけた。


「あるいは、封じられ続けているのかもしれない」

 クレアが、胸元の聖印に手を添えて静かに呟いた。


 アルフレッドは扉の前に進み出ると、魔剣の柄に手を添えて言った。


「扉の呪式は……俺が断ち切る。道を開け」


 魔剣が淡い光を灯し、呪文の言葉が空気に刻まれた瞬間、封印は音もなく砕け散った。

 沈黙の中、扉がゆっくりと開いていく――その先には、冷たい石の回廊と、黙した死の気配が、息をひそめていた。


 廃棄棟の内部は、完全な無音だった。


 踏み出すたびに、革靴が濡れた石を踏みしめる音が反響する。

 壁には破損した記録端末や、崩れかけた兵舎の扉が点在し、ところどころに何かが爪で引き裂いたような痕跡が走っていた。


「……これはただの放棄じゃないわね。脱出の痕、争った形跡もある」

 ミリアが低く言う。


「人の手で封じられたのか、それとも……?」

 セレナが壁の文字をなぞる。「対象は暴走した、施設を封鎖する、D室への転送を中止せよ……帝国の内部記録文だ」


「地下があるようだ。記録上のD室もその下層か」

 アルフレッドが地図らしき破片を拾い上げる。「だが、地下への入口は……」


 そのとき――


 通路の奥、崩れかけた鉄柵の影で、ひとつの影が蠢いた。


「来るぞ、構えろ!」


 その影は、黒い煙を纏いながら、まるで水のように地面から立ち上がると、かつて人間だった形を取り戻した。

 ――だが、それは人ではなかった。


 両目は焼け焦げ、口からは黒い霧が噴き出している。

 肌は腐敗し、身にまとうは軍服の残骸。帝国兵――否、その成れの果て。


「まさか、実験体……?」

 クレアが呟いた瞬間、それは咆哮を上げて襲いかかってきた。



 敵の咆哮が石壁に響き渡った。

 アルフレッドの魔剣が唸りを上げ、振るわれた刃が影の兵士を斬り裂く。

 それは叫びもあげず、まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、黒い靄となって消えた。


「……魂が、ない」

 クレアの言葉に、一瞬、沈黙が流れた。


「何かに操られていたのか、それとも――自ら望んでこの姿に?」

 セレナは敵が残した軍章の破片を拾い上げた。「これは……正規軍の、特別編成隊の印。帝国直属の――」


「おそらく、失踪した兵たちだな」

 バルトが低く呟いた。「連中は、帰ってこなかったんじゃない。帰れない姿にされた」


「奴らの変化が偶然でないなら、これをやった誰かがいる」

 アルフレッドは地図の破片を見つめた。「そしてそいつは今もこの廃棄棟のどこかで、俺たちの来訪を待っている」


 壁のひび割れを抜けた先、錆びた鉄階段が、下層区画へと続いていた。


 封鎖区域――D室。


 それは記録にしか存在しない実験棟と呼ばれた区画だった。


 地下へと降りる階段は、深く、冷たい石の棺のようだった。

 灯りの届かぬ最下層。そこに広がっていたのは、かつて帝国が密かに進めていた魔導実験の名残。


「……見て。記録端末が一部、生きてる」

 ミリアが端末に魔力を送り込むと、かすれた映像が空中に浮かび上がった。


 《被験体第12号、変異進行度:想定を超過。精神汚染、臓器異常、魔力暴走。実験中止勧告。……だが、命令により継続。》

 《セイセス=セイセスの構成員、レックス・ドリスコルの立案に基づく計画導魔どうまの……》


「レックス……!」

 セレナの目が鋭く光る。「あの男、やはり生きているのね。あの儀式の後でも……」


「これは失踪なんかじゃない。帝国軍内部で、奴らが人間を実験素材として使っていた……!」

 アルフレッドの声に怒気が滲む。


 そのとき――


 通路の奥、封鎖扉の向こうから、低く濁った声が響いてきた。


 《……キミたちは、来すぎた……。ここから先は、道ではない。》


 全員が一斉に武器を構えた。

 その声には、魔力の震えと、何か……人外の異質な響きがあった。



 封鎖扉が、低く軋む音を立てて開いた。

 暗闇の中、そこにいたのは、かつて人であったと思しき異形だった。


 身の丈は三メートルを優に超え、肉体は金属と魔導肉の融合体。

 顔らしき部位には眼がなく、ただ幾筋もの魔力回路が脈動し、深紅の光を脈打っている。

 その背からは黒い魔導管が伸び、天井と接続されていた。まるで廃棄された施設自体が彼を生かしているかのように。


「……被験体第零号。封印、解除」

 空気に直接響くような声が、装置から漏れ出る。


 直後、巨躯が動いた。


「来るぞ――構えろッ!」


 アルフレッドの号令と同時に、戦端が開かれた。


 最初の一撃は、空間そのものを圧し潰すほどの衝撃だった。

 変異守護体の右腕が振るわれ、その重さと速さは常軌を逸していた。


 バルトがその一撃を受け止め、地面がひび割れる。

「重すぎるッ……! だがまだ……耐えられる!」


 セレナが即座に魔力を練り、風の盾を生成してバルトを援護。

「風の壁を強化したわ、次の打撃も耐えられるはず!」


 クレアの回復魔法が戦線を維持し、

「聖なる光よ、味方を包め、【癒光ヒーリングレイ】!」


 ミリアは装置周囲の魔力流に干渉し、敵の動力源を探っていた。

「魔力回路が……天井に繋がってる。供給源を断てば、動きが鈍るかも!」


「なら、やるしかねぇな!」

 アルフレッドは跳躍し、魔剣に火炎の魔法を宿し放つ――


「燃え上がれ、烈火の斬撃――《フレイムスラッシュ》!」


 炎の刃が空を裂き、変異守護体の背の魔導管を斬り裂いた。

 スパークと火花が飛び散り、敵の動きが一瞬だけ鈍る。


 その隙に、全員の攻撃が集中する。


「いける……!」


 誰もがそう思った瞬間、敵の身体が異様な音を立てて膨張した。


「――形態変化……!? こいつ、まだ……!」


 肉体が崩れ、骨と装甲が再構築されていく。

 今までは封印状態だったのだ。

 これが本来の姿――第二段階へと進化しつつあった。



 変異守護体の身体は、甲殻のような装甲を纏い直し、全身から黒い蒸気を噴き出していた。

 剥き出しだった魔導回路は深層に沈み、代わりに、外殻に刻まれた呪術式が脈動する。


「今のは、単なる序章か……」


 アルフレッドが剣を構え直す。目の前の敵は、もはや人が造ったものではない。

 それは怨嗟と実験の果てに生まれた、歪んだ存在だった。


「魔力反応、急上昇中。注意、全方位攻撃の予兆」

 ミリアが叫んだ直後、敵の周囲に浮かび上がる無数の円環陣。


「来るぞッ――!」


 敵が地を踏み鳴らすと同時に、衝撃波とともに魔導の斬撃が放たれた。

 紫電が奔り、空間が歪む。瞬時に反応できなければ、ただ蒸発するのみ。


 セレナが前に出る。

「私が防ぐ。魔装展開――《アルケイン・フィールド》!」


 魔法戦士の最大防御陣が展開され、衝撃波の一部を受け止める。

 だがそれでも、周囲の壁が砕け、クレアが吹き飛ばされそうになる。


「しっかり!」

 バルトが身を挺してクレアを庇い、敵の突進を受け止めた。

 全身がきしむ音がする。それでも、彼は踏みとどまった。


「バルト……助かったわ……!」


「感謝は後でいい。今は倒すことに集中しよう」


「外殻が固くなりすぎてるわ、通常攻撃じゃ効かない」

 ミリアの目が、魔導陣を走査しながら細められる。

「……あった。胸部装甲の内側、魔核が一瞬だけ露出する」


「つまり、そこを狙えってことだな?」

 アルフレッドが魔剣を握り直す。


「回り込めれば私が魔封で抑える。二秒だけ、核を露出させられるわ」


「分かった、任せてくれ。バルト、道を開けてくれ!」


「――任された!」


 セレナの魔法が陽動をかけ、クレアが再生魔法で前線を維持する。

 そして――ミリアの詠唱が完了した。


「封ぜられし理、律を裂いて顕現せよ――《魔封裂界》!」


 敵の外殻に走る封印式が軋み、ほんの刹那、胸部が開かれる。

 その奥、紫に脈動する魔核が――姿を現した。


「今だ――斬る!」


 アルフレッドが跳躍し、魔剣に雷光を帯びさせる。


「貫け、魔雷一閃――《ライトニング・レイド》!」


 その一閃が、魔核を貫いた。


 敵の動きが止まり、魔力の奔流が外へと逆流し始める。


「……まだ、動くか?」


 バルトが警戒を緩めぬまま問う。

 しかし、敵の身体は崩壊を始めていた。

 魔導の火花が散り、装甲は土塊のように剥がれ落ちる。


 やがて静寂が戻る。


 ――変異守護体、沈黙。


 だが、誰も喜びの声をあげはしなかった。


「この存在……何かを隠すための番人だった気がする」


 アルフレッドが静かに呟いた。


 その言葉に、誰も否定はしなかった。



 廃棄棟の奥へと進むたび、空気は重くなった。

 湿った鉄の匂い、焦げた魔素の残滓、そして……生臭い気配。


「……人がいた形跡があるわ」

 ミリアが足元の散らばった手帳と破れた制服の袖を拾い上げた。

 それは帝国正規軍の軍装――だが、胸元には不自然な切れ目と焦げ跡がある。


「まさか、ここで――」

 クレアの手が震え、聖印が淡く輝いた。残滓に宿る魂が、静かに助けを求めている。


「魂の痕跡が……まだ完全には消えていない。ほんの数日前まで、生きていたはずよ」


「急ごう。レックス・ドリスコルが関わっているなら、放っておけば被害は広がる」


 セレナの声音は冷たく、しかし鋭い意思を宿していた。


 廃棄棟最深部――かつて融合適合実験室と呼ばれた空間。


 そこは、もはや施設と呼ぶにはおぞましすぎた。

 魔導で歪んだ壁面、床に染みついた古い血痕。管の中に浮かぶ異形の死骸。

 そして、その中央に据えられた一基の円形台座――


「魔導式転送装置だな。使われた形跡がある」


 バルトがしゃがみ込み、地面に刻まれた魔法式を指でなぞる。


「座標は……帝都の地下区域、深部開発未区画」


「じゃあ、失踪者たちはそこへ……?」


「いや、これは片道の転送。戻ってきた記録はない。つまり……使い捨てだ」


 そのとき――警報が鳴った。


「侵入者確認。隔離措置、起動」


 どこからともなく響く無機質な音声。魔導装置の自動防衛システムが起動したのだ。


「罠か――っ!」


 瞬間、天井から複数の魔導ゴーレムが降下してくる。

 そのうちの一体が異様な姿をしていた。


「……人間の顔?」


 ミリアが言った通り、そのゴーレムの頭部には人の顔が縫い付けられていた。

 死体から剥ぎ取られた皮膚を装飾に用いる異常な術式――それは、レックス・ドリスコル特有の嘲弄だった。


「ゆるさねぇ……!」


 バルトが吼えた。全身の筋肉を膨張させ、盾を掲げて突撃する。


「ここで足止めを食っている場合じゃないわ。ミリア、転送装置の無力化を!」


「了解……五秒稼いで!」


「なら、やることは一つだな!」


 アルフレッドとセレナが左右から斬り込み、ゴーレムたちの注意を引きつける。


 クレアは仲間の後方で祈りを捧げながら、転送装置に封印の術式を重ねていく。


 五秒後――


「魔封完成! 装置は無力化した!」


 ミリアの声と同時に、魔導陣が消失し、施設が再び静寂に包まれる。


「ふぅ……無理やり動かされる前に止められてよかったわ……」


 そのとき、ふと背後から風が吹いたような感覚――


「……誰かが、見てる」


 アルフレッドが気配に気づき、剣を構える。


 だが、そこには何もいなかった。


 ただ――壁に、いつの間にか刻まれていた言葉だけが残されていた。


 『深淵で会おう――S=S』


 レックス・ドリスコルとセイセス=セイセスの陰が、はっきりと姿を現しはじめた。


 次なる目的地は、帝都ミハノルティの地下に存在する未開発区域。

 そしてその先に、より深い闇が待ち受けている。


 それを知る者は、いまだいない。



 帝都ミハノルティの地表から遥か下、かつて地下開発計画が中止された区域がある。

 未区画領域――行政記録にすら詳細は存在せず、帝国の住民でその存在を知る者もごくわずかだった。


「ここが、座標が示していた場所……地下層の第七環、東縁」


 アルフレッドが転送装置から導き出した位置にたどり着いた一行は、朽ち果てた監視施設の隙間から潜入を果たした。


 地下はまるで別の世界だった。

 赤黒く光る鉱石が点々と壁に浮かび、地面には奇妙な文様が焼きついている。天井には根を張るような魔素の瘴気が絡みついていた。


「まるで……この空間そのものが、生きているみたいだわ」


 ミリアの囁きに、クレアが神経質に頷く。


「普通の魔力汚染じゃない。意志を感じる……」


 その時だった。


 空間が一瞬にして歪み、冷たい気配が背後から迫る。

 振り向いた先に――いた。


「ようこそ、旅人たち。再びこうして相見えるとは」


 それは、確かにレックス・ドリスコルだった。


 以前、王国の封印探索において彼は一度姿を現した。

 だが今、目の前に立つ彼は、以前のそれとはまったく異質だった。


 顔の輪郭は同じだ。だが、皮膚は病的なほど蒼白く、瞳には血のような赤が宿る。

 かつては丁寧な口調であった声も、どこか別の何かと混じり合ったように響いていた。


「お前……ドリスコルか?」


 アルフレッドの問いに、彼は静かに頷く。


「そう名乗ったな。だが……それはもう私の表層にすぎぬ。

  名など意味を持たぬ。今の私は、彼らと繋がっている……セイセス=セイセスの真髄に」


「なぜ、帝国の軍人たちを消した? この地下で何をしている!」


 セレナが剣を構え問いただす。だが、ドリスコルは哀れむような目で一行を見た。


「問いには答えよう。なぜなら、君たちはいずれ理解する側に立つからだ」


 彼の背後――闇が波打った。


 門がある。黒く、深淵のように歪んだ扉。そこから、低く、呻くような声が漏れ出していた。


「この門の向こうにあるのは、人のことわりを超えた存在。

  私が呼び、彼らが応じ、いまや帝国の地脈を食らって目覚めつつある」


「ふざけるな。お前がどれだけ力を手に入れたつもりでも、俺たちは止める」


「そう、それが君たちの役割だ。だがな――」


 その瞬間、ドリスコルの身体がふわりと空中に浮かんだ。


「扉が開いた」


 門の隙間から、無数の眼がこちらを覗いた。

 常識では認識できぬ存在の視線が、一行を貫いた。


「下がれ!」

 アルフレッドの声に反応して全員が身構えた。


 だが――


 ドリスコルは一言だけを残して、門の奥へと消えていった。


「再び、深淵で会おう――そのときまでに、お前たちが人間でいられるか楽しみにしているよ」


 ――門が閉じる。


 残されたのは、血と、歪んだ魔素と、異界の瘴気。

 そして、廃棄棟に囚われていた軍人たちの破片と、深まる謎だけだった。



 帝都ミハノルティの夜は静かで、石畳にしっとりと冷気が降りていた。


 冒険者ギルド《黒槍亭》の奥、石壁に囲まれた小さな個室で、アルフレッドたちは一堂に顔を揃えていた。灯されたランタンの淡い明かりが、木製の卓上に置かれた記録書と、数杯の湯気立つマグを照らしている。


「……結局、門は何のために存在していたのか。ドリスコルの目的も、まだ掴みきれてはいないな」


 アルフレッドが、報告用の文書を見下ろしながらぽつりと呟いた。


「奴は自分の出番はまだ先だと言っていた。いずれ、開かれる日が来るということ……」

 セレナの指は、無意識に銀製の指輪を弄んでいた。ノルドラム廃棄棟で拾われた異質な文様の刻まれたそれは、いまだに解読の手がかりを持たない。


「けど、あれは予兆に過ぎなかったんじゃないかな」

 ミリアがカップを両手で包み込みながら、少しだけ微笑を浮かべた。「何かが動き出してる。世界の深層で、少しずつ、確実に。」


「放っておけば、帝国全土が巻き込まれる」

 バルトが低く言った。「あの兵士たちの失踪は、その一端だろう。ああいうことがもっと起きる」


「……でも私たちは、それを止める力を持ってる」

 クレアはそう言って、胸元の聖印に手を添えた。「祈りだけじゃなく、剣も魔法も、仲間も」


 一同は黙した。けれどその沈黙は重苦しいものではなく、いましがた終えた任務の余韻と、次なる戦いを前にした静かな覚悟を分かち合う時間だった。


「次は、帝国の地下を調査するんだろう?」

 アルフレッドが椅子に身を預け、天井を仰ぐ。


「そうね。ギルドの上層部から、すでに事前調査の要請が来てる。地下水道を通じてアクセスできる古の遺構……あそこには、また門にまつわる何かがある可能性が高いわ」

 ミリアが資料を開いたまま頷いた。


「それが、あの結社の次の標的かもしれないな」


 窓の外では、遠く夜警の笛が一つ、二つ、風に乗って消えていった。


 戦いはまだ、序章に過ぎない。


 だが、ここで確かに歩みを止めることなく進み続けている者たちがいる。


 アルフレッドたちは椅子から立ち上がった。それぞれの武器と装具を整えながら、仲間の目を見て小さく頷いた。


 明日、再び帝都の地下へ。


 門の謎が開かれるそのときまで、彼らの冒険は、止まらない。

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