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レベル32

 王都セルゼリッカ――。

 ゼイドーアン王国の中心に聳えるこの大都市は、栄光と陰謀、知恵と戦いのすべてを包み込む大地。昼下がりの陽光が石畳を照らす中、王都の冒険者ギルドには、今日もまた幾多の冒険者たちが集っていた。


 その中で、ひときわ目立つ存在があった。


 魔戦士アルフレッド。

 魔法使いミリア。

 重戦士バルト。

 魔法戦士セレナ。

 そして、僧侶クレア。


 彼ら五人の名は今やゼイドーアン王国中に知れ渡っており、初級者たちの憧れであり、王宮からも名指しで依頼が舞い込むほどの存在となっていた。


「ふーん、今日も依頼掲示板は賑わってるわね」

 セレナが軽く伸びをしながら言った。鎧の肩当てがきらりと光る。


「けっこう面倒な依頼が多いな。貴族の警護だの、失踪者の捜索だの……」

 バルトが掲示板を見ながら鼻を鳴らす。


「でも、どれも報酬は高めですね。王国が本気で冒険者たちに頼り始めてる証拠かもしれません」

 クレアが冷静に告げる。


「……それだけ不穏な兆しも増えているってことよ」

 ミリアは腕を組んで、掲示板の一枚の依頼書に目を留めた。


「……これ、どう?」


 ミリアが指差したのは、一見地味な調査任務だった。


【依頼名】封じられし深層の目録

【依頼内容】

西方山岳地帯に存在する古代の地下遺構「リューセ遺跡」にて、不可解な魔力反応が観測された。

調査隊の一部が行方不明となり、異常な気候変動も発生している。

封印されていた魔道兵器の復活が疑われるため、遺跡の深部へ潜入し、原因の調査および必要であれば鎮圧を依頼する。


【難易度】Aランク(王国直轄)

【報酬】5,000ゴールド+王国貴族の特別推薦状


「リューセ遺跡……聞いたことがある」

 アルフレッドが静かに口を開く。「千年前、魔導戦争の兵器が埋められた場所だったはずだ」


「封印が緩んでるってことは……誰かが狙ってる可能性もあるわね」

 ミリアの瞳が鋭く光った。


「面白そうじゃねぇか。久しぶりに腕が鳴るぜ」

 バルトが拳を鳴らしながら笑う。


「ええ……これこそ、私たちにふさわしい仕事かもしれません」

 クレアが祈りの紋章を胸元に握りしめる。


「なら、決まりね。王国の危機を見逃すわけにはいかないわ」

 セレナが静かに頷く。


 ギルドの受付に向かい、アルフレッドが一言だけ告げた。


「この依頼、俺たちが引き受ける」


 受付嬢は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに深く頷いた。


「……分かりました。すぐに王国からの正式な書類を手配します。くれぐれも、お気をつけて」


 ギルド内が静まり返る中、五人の冒険者が掲げた新たな挑戦。

 その背に王国の命運が重なっていることを、彼らはすでに知っていた。


 次なる冒険が、今、始まる。



 ゼイドーアン王国、その歴史と威光を象徴する王都セルゼリッカの中心にて、静かなる決意のもと、新たなる冒険の一歩が踏み出された。


 アルフレッドたち五人の名は、もはや一介の冒険者ではなく、王国の未来を支える柱として囁かれるようになって久しい。彼らの影は街の灯火よりも鮮やかに映え、その歩みは王宮の石壁すら震わせると語られていた。


 冒険者ギルドを後にした一行は、夕刻の石畳を踏みしめながら、重厚な沈黙の中を歩いていた。誰一人、軽口を叩く者はいなかった。彼らの眼差しは皆、北西の彼方に横たわるリューセ遺跡へと向いていた。


 西方山岳地帯――人の踏み入ることを拒む峻厳な大地。その奥深くに眠るリューセの名は、歴史の闇に埋もれし魔導戦争の忌まわしき遺産として、今なお語り継がれていた。血で書かれた歴史が、かの地には静かに息づいている。


「かつて、王国は魔導兵器によって滅びかけた。あの遺跡はその終焉の地でもあった……」

 ミリアが、低く呟いた。その声には、ただの知識を超えた、畏怖の色が滲んでいた。


 その言葉に誰も返さなかった。ただ、夕日が彼らの影を長く引き伸ばし、沈黙の行進に一層の重みを与えていた。


 やがて、城門を抜け、馬車と荷馬がひしめく外門の集落を抜ける頃、バルトが口を開いた。


「なあ、あの封印ってのは、本当に『兵器』だけなのか?」


 アルフレッドが答えたのは、ほとんど独り言のような声だった。


「……誰にも、分からない。だからこそ、俺たちが行くんだ。何が眠っていようと、それが再び目を覚ます前に――」


 セレナは黙ってその背を見ていた。風にそよぐマントの音が、どこか決意の鼓動のように響いていた。


 一行はその日のうちに、西方へ向かう街道沿いの宿へとたどり着き、明朝の出立に備えて束の間の休息を取ることとなった。宿の灯りは薄く、静寂に包まれた夜の帳が彼らを包み込む。


 クレアはその夜、祈りの書を開き、一人静かに唱え続けた。ミリアは星図を見つめ、過去の記録に目を通しながら、己の知識を武器に変える術を思索した。バルトは研磨石を片手に、斧の刃を何度もなぞる。セレナは窓辺に立ち、夜風に髪を揺らしながら、何かを見つめていた。アルフレッドは剣を膝に置き、深い瞑想に沈んでいた。まるでその瞼の奥に、これから始まる未来の戦場を見据えるかのように。


 こうして、王国の運命を左右する冒険の前夜、五人はそれぞれの覚悟を胸に眠りについた。


 リューセ遺跡――千の夜を越えて再び目を覚まさんとする禁忌の影が、彼らを待っていた。

 そして、運命の歯車は静かに、だが確実に回り始めていたのである。



 黎明。まだ夜の帳が空に薄墨を垂らすかのように残る時刻、アルフレッドたちは無言のうちに起床し、それぞれの装備を確かめていた。火を入れた暖炉の前には、昨夜から乾かしていたマントや鞘が静かに佇んでいる。どの動作にも、迷いも緩みもなかった。歴戦の者にだけ許される、緊張と信念の均衡がそこにはあった。


 やがて、一行は宿を後にし、馬車に荷を積み、セルゼリッカの北門をくぐった。王都の喧騒が徐々に遠のき、彼らを包むのは、凍えるような静寂と、冬を越えぬく大地の呼吸だけだった。


 ――リューセ遺跡。


 それは地図の上では西方の山深き渓谷、名もなき霧の森の先に点在する、忘れられた廃墟の一つに過ぎなかった。しかし、この地を記録する古文書の数は少なく、語り部たちの伝承の中でも、いくつもの時代を越えてなお「語られてはならぬ忌まわしき遺跡」として扱われていた。


 かつて、魔導帝国と呼ばれる異文明があったという。技術は進み、魔力は空を裂き、世界をも操らんとする叡智が築かれた。だが、その栄華の代償に生み出されたのが、「動力兵器」と呼ばれる、人の理を超えた存在だった。


 そしてリューセは、その兵器を封じる最後の封印が施された地であったと、記されている。


 アルフレッドたちは、霧深き森を抜ける峠を越え、昼を過ぎた頃、一つの古びた石標にたどり着いた。そこには風化しかけた文字が彫られていた。


 ここより先、祈りを捧げよ。光なき者、道を失うだろう。


 セレナが指で苔を払いながら、慎重に読み上げる。


「祈り……か。クレア」


「ええ。これは古代神官たちの警句に似ている。光によってしか開かれない結界かもしれません」


 クレアは聖印を取り出し、跪くと小さく囁いた。


「天の声よ、我らが道を導きたまえ。封じられし知の扉を、我らが叡智と覚悟で開かんことを……」


 静寂の中、彼女の祈りに応えるかのように、石標の奥にある岩壁が、低く重々しい唸りをあげながら軋んだ。


 岩が開き、冷たい風が地下より吹き上がる。光なき回廊の奥、その先にあるのは忘却と封印の深淵であった。


 ミリアは霊視の水晶を翳した。


「反応がある……間違いない、この下に何かがあるわ」


 バルトが肩を鳴らし、斧を担ぎ直す。


「さあ、始めようか。俺たちの仕事は、いつだって危なっかしい場所からだったな」


 アルフレッドが頷き、静かに剣を抜いた。


「進もう。王国のために。そして俺たち自身のために」


 五つの足音が、石の階段を静かに降りていく。かつて誰も戻ってこなかったという深層へ、今、歴戦の冒険者たちが足を踏み入れた。


 リューセ遺跡。その封じられた知識と力が、彼らを試すために目を覚まそうとしていた。


 ――そして、闇の奥で蠢く影が、彼らの訪れを待ち構えていた。



 階段は果てしなく続くかに思われた。石の一段一段が、まるで忘れられた時代の記憶を刻むように、重く、ひやりと湿っていた。かつてこの地に生きた人間がいたとは信じがたいほど、地下へと延びる通路には、生命の気配がなかった。だが、その静けさの裏には、確かに「何か」が眠っていた。


 クレアの手に灯る小さな聖光が、漆黒の空間に柔らかい揺らめきを与える。


 「空気が……変わった」


 ミリアが呟いた。魔力の流れに敏感な彼女の眼が、遠くに浮かぶ霧のような魔の残滓を捉える。無数の魔力が重なり合い、澱のように沈殿している。かつてこの場所で、どれほどの禁術と死が交錯したのか、それを語るには余りある。


「この先が本命かもしれねえな……」


 バルトが斧を構え直し、足音を沈めて前に出る。彼の背中に続くように、セレナは剣の鍔に指をかけながら警戒を高める。


 やがて一行がたどり着いたのは、広間とも言える巨大な空間だった。天井は高く、壁は魔術的な刻印で埋め尽くされている。その中心には、かつて祭壇であったらしき黒曜石の台座があり、無数の鎖がその周囲を取り巻いていた。


 だが、その鎖の一部は……断たれていた。


 「封印が……壊されてる」


 クレアの声が、緊張の糸をさらに張り詰める。彼女が祭壇に近づき、神聖なる視線を注いだ瞬間、空気が歪み、何かが――目覚めた。


 ゴウウウウウウッッ……!


 地鳴りのような音と共に、黒曜石の台座が震え、そこから漆黒の霧が溢れ出す。霧は瞬く間に広間を覆い、まるで奈落そのものが口を開いたかのように、絶望的な気配が広がった。


「出たか……」


 アルフレッドが剣を抜いた刹那、空間の中心にそれは姿を現した。


 ――黒き翼を持ち、半ば人の形を保ちながらも、その顔は仮面のように無表情で、眼窩の奥には燃え盛る紅の炎が揺れていた。


「我は封じられし理の背反、呼ぶ者なきデビリスプリス……」


 その声は、まるで脳に直接響くような感覚を伴い、五人の意識に強制的な干渉を与える。思考の流れを阻害し、過去の恐怖や罪の記憶を呼び覚ますような禍々しさがあった。


「精神干渉系……!」


 ミリアが術式を展開し、即座に結界を張る。


「みんな、集中して! 意識を保てば、効かないはず!」


 だが次の瞬間、デビリスプリスが片手を掲げた。空間そのものがねじ曲がり、重力が逆転するような錯覚の中、闇から無数の刃が出現し、冒険者たちに襲いかかる。


「来るぞ!」


 アルフレッドが跳躍し、空中で一閃。闇の刃を打ち払うと同時に、バルトが前に出て盾となり、セレナが魔力を込めた斬撃で残滓を弾き飛ばした。


「これが……デビリスプリスの力……!」


 クレアが祈りの言葉を紡ぎながら、仲間たちに祝福の光を降らせる。


「油断すれば、意識ごと呑まれる……!」


 ミリアは叫び、次なる魔術の詠唱を開始した。デビリスプリスはただの敵ではない。これは、世界そのものを歪める存在だ。倒すためには、五人の力を一つに束ね、今まで以上の意志と信頼で対抗せねばならなかった。


 戦いは、まだ始まったばかりだった。



 空間を満たす闇は、もはや「夜」などという優しい言葉では語れなかった。それは、万象の理を蝕み、時間の流れさえ曖昧にする虚の霧。五人の冒険者は、もはや深淵そのものの中に踏み込んでいた。


 「行くぞ……!」


 アルフレッドが静かに言葉を落とす。声はまるで鐘のように仲間たちの胸に響いた。その剣にはすでに、魔戦士の力が宿りつつあった。蒼き雷光が刃に走り、奈落の霧を切り裂くように淡く輝く。


「援護は任せて!」


 ミリアが呪文を詠唱する。足元に描かれた魔法陣から、氷と雷の複合魔法が編まれていく。彼女の詠唱は、詩のように響き、広間の空気を次第に震わせる。


「光よ、聖なる響きを。闇を打ち祓え……!」


 クレアが手を高く掲げ、聖なる祝福を放つ。冒険者たちの体に力が満ち、闇の干渉を拒絶する光の盾が一人ひとりに宿る。


「よし、やるぜ……!」


 バルトは咆哮と共に、重々しい一歩を踏み出す。戦斧を構え、闇の波を裂きながら突進する。デビリスプリスの前に立ちはだかる、鉄の壁となって。


「私も行く!」


 セレナが風のごとく駆け抜け、影のようにデビリスプリスの背後を取る。剣に宿る魔力が鋭く、静かに、致命を狙う。


 だが。


「愚かなるものども……」


 デビリスプリスが、仮面のような無貌の口を開いた。空間が軋み、天地が歪む。黒き翼がゆっくりと広がり、その羽ばたき一つで、結界が揺らぎ、魔力が逆巻いた。


 ――世界が、壊れる。


「くっ……!」


 アルフレッドが剣を振るう。だが、デビリスプリスの爪が一閃。受け止めた刃に、耐えきれぬほどの負荷が走り、剣が甲高く悲鳴を上げる。


「ミリア、今だ!」


 バルトの怒声と共に、ミリアの詠唱が完了する。


「封鎖せよ、虚空の門よ――重奏の凍雷槍!」


 広間に、十数本の雷氷の槍が咆哮と共に撃ち出された。それは正確に、デビリスプリスの影と、四肢、翼を穿つ。闇の一部が裂け、広間に火花が散った。


「うおおおおッ!!」


 バルトが吠え、渾身の力で斧を振り上げる。魔力の援護を受けた刃が、デビリスプリスの腕を――その仮初の肉体を切断する。


「いけるわ……!」


 セレナの剣が続くように、咽喉元をかすめ、赤黒い血が飛び散った。


「今です、アルフレッド!」


 クレアが祈りの声で一行を包む。光の加護がその身に宿り、再び、アルフレッドが前へ躍り出る。


「終わらせる!」


 雷の剣が火花を散らしながら、デビリスプリスの胸元を深く貫いた。


 デビリスプリスが呻いた――いや、それは呻きではなかった。笑いだった。口が、開いていた。


「なるほど……愚かではない。だが……間に合うか?」


 その言葉と同時に、デビリスプリスの身体が崩壊を始める。だがその代償として、空間の中心、奈落の門が、再び動き出そうとしていた。


「まずい……!」


 ミリアが叫ぶ。


「こいつは……自らを生贄にして門を開こうとしている!」


 ――真の終焉は、まだ来ていなかった。



 空間の歪みは、もはや裂け目の域を超えていた。


 広間の中心──デビリスプリスが崩れ落ちたその場所に、漆黒の穴が生まれていた。蠢く闇、脈動する虚無。光を飲み込むその口は、まるで飢えた獣のように、世界を貪ろうとしていた。


「止まらない……! 結界が……!」


 ミリアが顔を強張らせながら叫ぶ。霊視の水晶が赤く点滅し、空間の魔力密度が危険域を超えていることを示していた。


「このままじゃ……あの門が完全に開けば、何が出てくるか分からん!」


 バルトが斧を握り直す。すでに満身創痍、だがその瞳に怯えはなかった。仲間と共に幾度も死線を越えてきた男の眼光が、闇を睨み据える。


「封印魔法を試みるわ……でも時間がかかる。守って!」


 クレアが膝を地につき、両手を合わせて聖なる祈りを始めた。白金色の光が、天から差し込むかのようにその身体を包み、遺跡の床に古の封印陣が浮かび上がる。


「任せて。あたしたちが守るから」


 セレナが静かに呟き、剣を構え直した。その姿は風のように軽やかで、雷のように鋭く、仲間の前に立つ者すべてを切り伏せる覚悟に満ちていた。


 アルフレッドは静かに剣を地面に立てると、仲間たちを見渡した。


「待てみんな。ここで終わらせよう。デビリスプリスを利用しようとした何かがいるはずだ。それが門の向こうにいるなら、俺たちが封じる」


「……この門の先に?」


 ミリアが顔を上げる。


「そうだ。俺たちが見てきた闇は、まだ全てじゃない。だが、クレアが封印を完成させれば、この門は永遠に閉じる。……なら、その前にやることは一つだ」


「中に入る気か」


 バルトが唸るように言う。


 アルフレッドは頷いた。


「おそらく門の奥には、デビリスプリスを操っていた主がいる。封印が完成する前に、そいつを叩く。……戻れなくなるかもしれないが、それでも、今しかない」


 その言葉に、一瞬の沈黙。


 だが誰も反対しなかった。セレナが剣を肩に担ぎ直し、ミリアがフードを上げ直し、バルトが斧を背に構え、クレアが祈りを止めて立ち上がった。


「なら……早く終わらせるべきね。封印はその後で」


 アルフレッドたちは頷き合い、奈落の門へと足を踏み入れた。


 ――それは、光なき深淵。万象を呑む漆黒の世界。


 だが五人の足取りは、決して揺らがなかった。


 魔戦士、魔法使い、重戦士、魔法戦士、僧侶──歴戦の冒険者たちは、今まさに、奈落の最奥へと挑もうとしていた。


 次なる戦い、それは決してこの世に属さぬ敵との邂逅となるだろう。


 世界の果てに立つ者たちの物語が、今ここに幕を開ける。



 奈落の門を越えた瞬間、世界は沈黙した。


 そこにあったのは、現世の理を否定するような空間。天も地もない。上も下もなく、ただ無限の闇と、そこに浮かぶ幾何学的な光の残滓が、遠い宇宙の残響のように漂っていた。


「……息が、苦しい……わけじゃないのに……圧がある」


 ミリアが低く呟く。言葉すら、ここでは余韻のように遅れて耳に届く。


「まるで、世界そのものに見られてるような感覚だ……」


セレナが剣を抜き、周囲を警戒する。彼女の剣先が、ぼんやりとした何かに映るのを見て、バルトが呻くように言った。


「……あれを見ろ」


 そこには、形になりきれぬ存在がいた。無数の目を持ち、手とも翼ともつかぬ影を蠢かせながら、重力を持たぬ地に浮かぶ、それは――


「虚構の王……この空間の主だ」


 アルフレッドが呟く。その声が届いたかのように、それはゆっくりと振り向いた。


 その眼差しは、万象の終焉を語るものだった。


「我が名は、ゼオ=グラム。奈落の深奥を統べる本来在ってはならぬ者……汝ら、境界を越えて来たりし愚者よ」


 その声は言葉ではなかった。意識に直接刺さる情報であり、理解を拒むほどに深淵だった。


「アルフレッド、やるしかない!」


 バルトが叫ぶと同時に、空間が震えた。


 ゼオ=グラムが、ただ視線を向けただけで、空間が引き裂かれ、無数の黒槍が降り注いだ。


「――っ、展開!」


 ミリアが瞬時に魔力障壁を展開し、クレアが聖なる結界を重ねる。


「セレナ! 右から!」


「任せて!」


 セレナが音もなく宙を駆け、アルフレッドと同時に突撃する。


 だが、それは動かない。


 否、動く必要がなかった。


 ただ意識を向けただけで、空間が歪み、重力が変質し、時間すら軋んでいく。


「……これが、神にも等しい力……!」


 アルフレッドの剣がその身体を貫こうとする――だが、刃は、届かなかった。


「否、違う。神ですら、これを創ることはできまい」


 ゼオ=グラムの声が響く。


「我は、存在の影。創世の裏側に堕とされた最初の否定」


 その瞬間、空間が――色を失った。


「ミリア、いったん引いて!」


 クレアが叫ぶ。ミリアの魔法すら、拡散して霧散していく。


「魔力が……吸われてる……?」


「ここじゃ、法則が違う! 考えろ、アルフレッド! どうする……!」


 だが、アルフレッドは答えなかった。彼の瞳は、どこまでも冷静だった。


「奴は、世界の否定そのものだ。だから、俺たちが世界とつながる力……想いを断ち切らなければ、奴の中に入れないんだ」


「つまり、意志の強さが鍵ってこと……?」


「そうだ。お前たち、あのデビリスプリスと戦ったとき、何を想った?」


 セレナが微笑した。


「仲間を守る。……それだけよ」


 ミリアが頷く。


「この世界を、ただ信じたいの」


 クレアが祈る。


「生きとし生けるものが、希望を見失わぬように」


 バルトが斧を振るう。


「俺は、戦うためにここにいる!」


 そして、アルフレッドが剣を構える。


「俺たちは、在るべき世界の側の者だ。ならば――」


 その意志が、五つの力を結ぶ。


 ゼオ=グラムの黒き空間に、五つの輝きが走った。


 それは、どこまでも淡く、だが確かな灯火。


 光無き深淵に、いま一閃の反撃が始まる――!



 五つの意志が交わったその瞬間、闇の只中にひとすじの風が吹いた。


 それはただの風ではなかった。言葉にすれば、希望と呼ばれようか。あるいは、意志。あるいは、命の灯。それは重ねてきた歩みの軌跡であり、この世界を信じるという、愚かで、しかし確かな魂の力だった。


 ゼオ=グラムの身体がわずかに揺れる。


 無貌の顔に、仄かな動揺の気配が走った。


「……それが、貴様らの答か。だが、無為である。この空間では、理は意味を持たぬ。意志も、感情も、記憶すら……」


 だが、その言葉を遮るように、ミリアが叫んだ。


「――想いは、消えない!」


 その声に呼応するように、彼女の両手から魔力の光があふれる。


 紅と蒼、二色の輝きが混じり合い、ひとつの紋章を描く。


「双律結界――!」


 放たれた魔法は、周囲の空間を塗り替えた。ゼオ=グラムの放つ黒き虚無を中和し、ほんの一瞬、彼らの足元に現実の大地が浮かび上がる。


「いまだ! セレナ、バルト!」


 アルフレッドの声が鋭く響いた。


「行くわよ、バルト!」


「おうよ!」


 セレナが風のように駆け、バルトが大地を踏み割って突進する。


 ゼオ=グラムが視線を投げた瞬間、空間が裂ける。だが、クレアが祈りの声を重ねる。


「聖盾の祈り――皆に加護を!」


 光が奔り、裂け目は収束する。その隙に、二人は跳躍する。


 セレナの刃が虚無を裂き、バルトの斧が闇を打ち砕いた。


「お前にこの世界は渡さない……!」


 重なった一撃が、ゼオ=グラムの外殻を貫いた。


「……貫通、した……!」


 ミリアが呟く。


 だが、次の瞬間――


「――フ……フフフ……フアアアアアアアアアッ!!!」


 闇が、悲鳴のような咆哮と共に拡大した。


 それは、怒りとも、嘲りともつかぬ声。


「汝ら……よもや、我が核に触れんとは……なるほど、人間とは、愚かゆえに強い」


 その声と共に、ゼオ=グラムの身体が変貌していく。


 虚無の形骸に、形が宿り始めた。無数の目はひとつに集まり、巨大な人型へと姿を変えつつある。


「来るぞ……本気だ……!」


 アルフレッドが身構える。


「ここからが本当の戦いね……!」


 セレナが剣を構え直す。


「このまま押し切る……! 私たちの想いで、虚無を斬り裂く!」


 ミリアが叫ぶ。


 そして、虚空の王が吠える。


「ならば、滅びの理を与えよう。我は世界の余白。光と闇の狭間に棲まう忘れられた力!」


 空間が砕け、時間が歪み、異界そのものが咆哮を上げる。


 だがその中心に、剣を掲げたひとりの男が立っていた。


 魔戦士――アルフレッド。


「……この世界を、生きている者の手に、戻す!」


 最終決戦の火蓋が、いま切って落とされる――。



 時の脈動が乱れ、空間そのものが呻きを上げる。


 虚空の王ゼオ=グラムが変貌を遂げた姿は、かつての魔物などという範疇ではもはや語れぬものだった。六本の腕に握られし剣槍と鎖鎌。背より生えた漆黒の翼は次元の膜すら引き裂く。足元には、崩れゆく地平と、過去に滅びた幾千の世界の残響がこだましていた。


「これが……虚空そのもの……!」ミリアの声が、震えを孕んで漏れる。


「退く理由は、ないな」アルフレッドが言い放つ。声には微塵の迷いもない。


「当たり前だぜ。ここで終わらせなきゃ、王国も、世界も、みんなも……守れねぇ」バルトが斧を握り直し、肩で息を吐いた。


「来るわよ……! 奴が、動く!」クレアが聖印を構える。


 次の瞬間、空間が音もなく歪んだ。


 ――刹那の沈黙。


 それは、神話の時代に語られた、虚無の剣が振るわれる直前と同じ。


 ゼオ=グラムの六本の腕が一斉に動く。鎖が空を裂き、槍が時間を貫き、刃が空間を断ち切る。


 

 アルフレッドは立ち塞がった。彼の剣が、すべての力を帯びていた。


「魔双閃・天破!」


 彼の剣が閃いた瞬間、三本の攻撃を弾き返すが、残りの三撃はパーティの後衛へと迫る。


「クレア、展開して!」セレナが言うと同時に、


「聖なる盾よ、我らを守れ――!」


 クレアの祈りとともに、金の光が全員を包む。


 それでも、ゼオ=グラムの一撃は容赦なく突き抜けた。


 爆風が炸裂し、吹き飛ぶ破片の中、ミリアの魔道服が裂け、血が滲む。


「ミリアッ! しっかりしろ!」


「……大丈夫……解析は、進んでる。あの腕の動き、パターン化できる……!」


 彼女の声は、傷の痛みに歪みながらも、希望の欠片を宿していた。


「奴の核……今は、中心ではない……翼の奥にずらしてある!」


「なら、そこを狙えば……!」


 セレナの言葉に、バルトが頷いた。


「ならよ、俺が突っ込む。そいつを引きずり出せば、後は任せた!」


「バルト、無茶は――!」


「言うな。ここで無茶しなきゃ、いつするんだよ!」


 彼は笑った。仲間のために、世界のために。


 その背中を、クレアが見送った。


「祝福の加護・全能……あなたの勇気に、神の守りを!」


 光が重戦士の身体を包む。バルトはそれを感じながら、全力で地を蹴った。


 黒き王の翼の奥へ――!


「おおおおおらああああああああッッ!!」


 巨体の戦士が、巨大な虚無の主へと挑みかかる。


 その姿はまるで、遥かなる神話の英雄のようだった。


 次なる瞬間、世界は再び、静寂と咆哮の狭間へと飲まれていく。


 ――決着の刻は、近い。



 バルトの一撃は、凄まじい爆発を伴ってゼオ=グラムの翼を打ち裂いた。咆哮とともに虚空の王の体が一瞬よろめき、その翼の奥に、鈍く脈動する何かが姿を現した。


「見えた……あれが核よ!」


 ミリアの目が鋭く光る。


「今しかない! 全力を叩き込むわよ!」


 セレナが叫び、魔法剣を高く掲げる。その刃には風と雷、そして己の意志が宿る。


「雷風斬・裂界!」


 放たれた斬撃が空間を縫うように走り、虚空の王の身体を裂いた。


「オラァッッッ!」


 バルトが再度、渾身の斧を振り下ろす。その一撃は翼の中の核をむき出しにし、ゼオ=グラムが初めて悲鳴とも呻きともつかぬ声を上げた。


「核が露出した! 今だ、ミリア!」


「任せて……!」


 ミリアが指を天へとかざす。


「星よ、我に応えよ――アルカ・レグルス・インフェルナ!」


 天井のない空間の中、星々が一斉に煌めき始める。そして次の瞬間、眩い光が収束し、巨大な魔法陣がゼオ=グラムの頭上に出現した。


「これが星の炎……!」


 クレアが呟いたその刹那、星のように輝く火柱が一条、天より降り注いだ。


 轟音。


 光。


 世界が一瞬、白に染まった。


 そして――


「まだ……終わらぬ……我は……虚空そのもの……!」


 ゼオ=グラムがなおも立ち上がろうとした。その声は、肉体ではなく存在そのものから響いてくるようだった。


 だが、そこへアルフレッドが歩を進める。


 剣を携え、魔と神の力を合わせたその刃に、確かな意志を宿して。


「お前が虚空そのものでも関係ない。俺たちは、生きるという光で、お前を打ち払う!」


 剣が煌き、最後の一閃がゼオ=グラムの核へと届く。


「斬ッ!」


 世界が震えた。


 核が砕け、ゼオ=グラムの身体が崩壊し始める。闇が引き裂かれ、虚空は、光とともに消えていった。


 沈黙。


 闇は去った。異界の門は、閉じられた。



 離脱した一同。


 静かな風が、戦いの余韻を撫でていった。


「……終わったのか……」


 バルトが崩れ落ちるように膝をつき、深く息を吐いた。


「うん……やった……やり遂げたのよ、私たち」


 ミリアの頬には、笑みが浮かんでいた。


「よくやったわ、みんな……」


 セレナが傷ついた剣をそっと収め、空を仰ぐ。


「ありがとう……神よ、導きに感謝します……」


 クレアが胸元の聖印をぎゅっと握り、祈る。


 そして、アルフレッドがそっと剣を地に突き立て、静かに言った。


「これが……俺たちの答えだ」


 こうして、ゼイドーアン王国を覆っていた虚空の脅威は打ち払われた。


 冒険者ギルドに戻るその日まで、あとわずか。


 だが、彼らの旅は――まだ終わらない。



 虚空の王ゼオ=グラムを打ち倒し、戦場に静寂が戻った。天は晴れわたり、薄雲の向こうから陽光が差し込む。どこか遠くで鳥のさえずりが聞こえるのは、長く閉ざされていた世界が再び「日常」を取り戻し始めた証だった。


 戦いの痕跡が残る遺跡の石畳の上で、アルフレッドたちはそれぞれに深く息をつき、地に座り込む。


「……まったく、ここまでやるとは思わなかったぜ」


 バルトは額の汗を拭きながら、へらりと笑う。斧を傍らに置き、背をもたれかけて空を仰ぐ。幾度となく死地を越えてきた重戦士の表情には、どこか清々しさすらあった。


「でも……これで本当に異界の門は閉じられたのね」


 セレナが剣を鞘に収めながら囁くように言う。彼女の銀髪が微風に揺れ、陽にきらめいた。


「ええ。ゼオ=グラムの力が消えた今、封印は再び完全なものとなったはずです」


 クレアが柔らかく微笑み、聖印をそっと掲げる。淡い光がその手元に集い、まるで彼女たちの勝利を讃えているかのように周囲を照らした。


「でも……私にはまだ信じられないの。あんな存在が現実に存在していたなんて……」


 ミリアが、静かに両手を見下ろして呟いた。己の魔力が、どれほど強くなろうと――あの異形は、別次元の存在だった。だが、彼女はその深淵と渡り合い、乗り越えた。


「信じられなくても、終わらせたのは俺たちだ」


 アルフレッドが、静かに立ち上がる。魔剣を背に戻し、ギルドの紋章が刻まれたマントを風に揺らす。かつては若く、未熟で、不安の中を手探りで進んでいた冒険者だった男が――今や王国の命運を背負う英雄へと変わっていた。


「さあ、帰ろう。報告もしなきゃいけないし……俺たちには、まだやることがある」


 その言葉に皆が頷く。背筋を伸ばし、戦いの疲労を抱えたまま、それでも一歩ずつ進み始める。


 ゼイドーアン王国。

 王都セルゼリッカの空は、今日も高く、蒼い。


 数日後。


 冒険者ギルド本部は、いつになく活気に満ちていた。英雄たちの凱旋の噂はすでに王都中に広まり、彼らの帰還を祝う者たちが門前にまで集まっていた。


「おかえりなさいませ、皆さま……!」


 ギルドの受付嬢が深く頭を下げる。その声の震えには、感謝と尊敬、そして安堵の気持ちが混じっていた。


「うむ、ちゃんと帰ってきたぞ」


 バルトが得意気に胸を張る。


「異界の門は完全に封じました。ゼオ=グラムの力も、二度とこの地に及ぶことはないでしょう」


 クレアが正式な口調で報告すると、ギルドマスターが感嘆の声を漏らした。


「本当に、お前たちは……いや、諸君らこそが、ゼイドーアンの英雄だ。これ以上の言葉はいらぬ」


 ミリアとセレナが互いに顔を見合わせ、静かに頷いた。

 アルフレッドは前に進み、こう告げる。


「でも、俺たちはまだ旅の途中です。英雄だなんて呼ばれるには、まだ早い」


 ギルドマスターは深く笑った。


「ならば、次の冒険の依頼を用意しておこう」


 こうして、伝説に連なる冒険者たちの物語は――

 まだ、終わることなく続いていく。

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