第二十二話:黒幕
部屋に入るとヴァイオリンの音が響いていた。ドアを静かに閉める。
舞う桜を背景にベッドの上でヴァイオリンを弾く愛歌の姿と演奏は悲しげながらも美しかった。
「あ、おかえりなさい。ごめんね。頼んでおいて通話できなくて」
演奏が終わり愛歌がそう話しかけてきた。
八岐大蛇との戦いから一ヶ月後、東京の治安を改善しつつ、リィナスエイジの足取りを掴むために調査を続けていた。
「いいよ。愛歌の体が優先だ」
「ありがとう。何か収穫は?」
歩きながらテレビのスイッチを入れた。
今愛歌は工房の部屋の窓際にベッドを置いて、調子が悪い日は基本その上で生活している。
入院したほうがいいと医者には勧められたらしいが、そもそも治る可能性のない病気のために治療を受けるのも馬鹿馬鹿しいと、ずっと家で療養している。
―――本日未明、都内の病院にて患者数名が突如暴れだしたのち、衰弱し亡くなる事件が発生しました。先月に引き続き同様の事件が増加しています―――
「これ、犯人リィナスエイジだろ?」
前から似た事件が時々起こっていたのだが、八岐大蛇を倒してから件数が増えた。
「えぇ、この事件でやっと亡くなった患者さんの血液と死亡診断書が手に入った。血液中のDNAは強人の物と変化の状態が酷似していたわ。薬の成分もほぼ同じ」
ヴァイオリンを丁寧に吹きながら話している。
「死亡診断書によるとね、患者さんが入院していた原因の病気や怪我はほとんど完治しているの。誰もかれも、余命宣告された人たちか、まだ完治まで半年以上はかかる人たちよ」
「というと?」
「この薬は戦闘力の向上を目的とした薬じゃない。病気や怪我の治療を目的とした物みたい。もっと詳しく説明するなら、人間の自然治癒能力を最大現にまで高める薬のようね。今までの強人薬を元に作られてはいるものの、その目的は異なっている」
つまり、リィナスエイジは病人や怪我人を治す万能薬を作ろうとしている?
確かに極東亜刑務所ではそんなこと言ってたけど。
「これがうまくいけば確かにすごいことよ。病気に関係なく、ほとんどの病気を治せてしまう。医学の常識が覆るわ。ただし今の段階では脳まで影響されて暴れだしてしまう。そして急激な変化に耐えられず、死に至ってしまうの」
「ただのバイオテロじゃねぇか」
「そうよ」
でもこれでパズルのピースがハマった。
悩んだ末に俺は、テレビのリモコンの電源ボタンを押した。
「? 白?」
愛歌のベッドの横のイスに座る。
「なぁ愛歌、正直に答えてくれ」
「ん?」
愛歌は何かを感じたのか、手を止める。
一度深呼吸した。
「……ずっと不思議に思ってたんだ。なんで俺の両親が烏天狗に殺されることになったのか」
愛歌が一瞬動揺を見せたのを見逃さなかった。
「いや、なんで、は愚問だな。ヒーローの親だったからだ。じゃあなんで烏天狗に、ノクティルーカ=青水白がバレたのか。愛歌がセキュリティを強化してくれていたのにだ。あいつが自力で調べ上げられるとは思わない。裏に誰かがいたはずだ」
愛歌は机に置かれた自分の手を見つめている。
「俺は残念ながら友達が少ないからな。自宅、愛歌の家、学校くらいしか行く場所がなかった」
今となっては愛歌の家だけになってしまったが。
「学校の人間にバレるとは思えない。なら他に犯人がいるとすれば……」
「ちょっと待って! 私じゃないわよ?!」
愛歌が話を遮ってそう言った。
「……話、変えようか」
立ち上がって窓に向かって歩いた。
俺も外を見る。
「リィナスエイジは今まで目立つような事件は脱獄事件くらいしか行っていなかった。強化人間がいることなんてこともバレてない。だっていうのに今は、こんな目立つ事件を何件も起こしている。都市伝説系YouTuberもその名前を出し始めた。どんな病気を治す薬を作るために病人を殺す、なんて矛盾を冒してまで方針を変えてきた。これじゃ本末転倒だと思わないか?」
「……」
「リィナスエイジはこの薬の完成を急いでいる」
窓を開けた。桜の香りが部屋に入り込んできた。
「世の中から病気で亡くなる人を減らしたい、というのであれば立派な精神ではあるけど、それで人を殺すのは少々変だ、だろ? じゃあ他に理由がある。例えばそう。リィナスエイジのお偉いさんが何かの病気でそれを治すためにやってる、とか」
キシっ。
少しベッドがきしんだ音がした。愛歌がベッドに体を預けた音だ。
「……一ヶ月前、八岐大蛇は嘘か誠かリィナスエイジの社長と名乗る人物と通話していた。そいつの話し方は、俺の知っている誰かに似ていると思った」
愛歌の方に向き直る。綺麗な緑色の瞳と目が合った。
優しい春風が流れ込む。
「リィナスエイジの社長は世利長義涼。愛歌のお父さんなんだろ?」
「……、えぇ。そうよ。間違いない」
隠さず愛歌は肯定した。