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第二話 よろずや

 まるで泡沫の夢のように、夢現にわたしは歩く。

 動かしている足は確かに地面についているはずなのに、何処かふわふわとしていて現実味がない。

 時折視界に映る奇々怪々な存在をちらりと横目に視つつ、久閑さんの声に耳を傾ける。


「さっきの猫たちは『踊り猫』っていう一応歴としたあやかしなんだ。名前の通り、数匹集まってはああして踊っていてね。気のいい奴らばかりなんだけど、あいつらの踊りに付き合ったら何時間も踊り続けることになるから気をつけた方が良いよ」

「……どう気をつければ?」

「踊りに誘われてもはっきりと断る。はっきりと、ね」

「あ、はい」


 強調されて言われた言葉に、ただただ頷くことしかできなかった。

 不意に久閑さんが歩みを止めた。


「着いたよ」


 目の前には二階建ての建物が在った。

 白い壁に緑青色の枠の窓が映えている。石の階段の先には格子戸があって、一見ただの古民家にも見える。

 だが、ここが目的地ならばただの家ではなく店なのであろう。

 石段の先の格子戸に近づく。

 わたしは引き戸のガラス部分に記された文字を読み上げる。


「……『よろずや』?」

「そうだよ」


 ――こんなところにお店があるなんて知らなかったな。

 今住んでいるアパートに引っ越してきてから約二年。つまり、この土地にやって来てから約二年経つというのに。

 ――といっても、わたし元々出不精だし、知らないのも当然といえば当然か。

 スーパーとか本屋とか出歩く場所は決まっていて、使う道もいつも一緒。近道しようとか散策しようとかそういう気持ちも特に起きなくて。

 友人と何処かに出掛けるなんてこともなく、休日は家に引き籠っている場合が多い。

 ――うん、知らなくて当然だな。


「さあさ、入って入って」

「……失礼します」


 久閑さんが引き戸を開けて、店の中へと促してくれた。

 わたしはゆっくりと店内へと足を踏み入れる。

 レトロな照明や剥き出しの電球が天井から吊るされている。淡く仄暗い店内には音楽はかかっておらず、壁掛けの振り子時計のカチカチという音が聞こえてくる。

 形も大きさも様々な机や陳列棚には、何種類もの文房具や色とりどりの食器類、籠やら小物入れやらアクセサリーやらが綺麗に並べられている。

 他には絵本やぬいぐるみやおもちゃがあり、見たところ雑貨屋のようにも思える。だが、懐かしの駄菓子や冷凍庫に保存されたアイス、かぼちゃやじゃがいもといった野菜類の食べ物等があることから、普通の雑貨屋ではないと窺えた。


「ただいまー」


 久閑さんが緩い声で言うと、がたりとレジカウンターの方から何やら物音がした。


「おかえり」


 ひょこりとレジカウンターから顔を出したのは少年だった。

 見た目の年齢は十歳前後くらいだろうか。真っ白な髪と黄昏色の瞳が印象的である。


「ふむ、無事に辿り着いたようで何よりだ」

「物騒なことを言うなよ白宇しろう


 白宇と呼ばれた少年と久閑さんが軽い掛け合いをする。

 一回りくらい年齢差がありそうなのに、遠慮なんてものは二人には感じられない。寧ろ、久閑さんよりも少年の方が尊大な態度をとっているように思える。

 ――兄弟、なのかな?それにしては似ていない……って思うのは、失礼か。いとこ、親戚……うーん、わからない。

 どういう関係なのかわからないが、会話からして気心の知れた仲なのだろう。

 わたしがぼんやりと思考していると、黄昏色とばちりと目が合った。

 少年がカウンターに手をついて、ひらりと身軽にそれを飛び越える。

 運動神経良すぎでは!?

 わたしが驚いている間に少年がこちらへ歩み寄ってきた。そうかと思えば、律儀にもぺこりと頭を下げた。

「よろずやへようこそ。おれの名前は白宇。これからよろしく」

「……えっと、古澄留花です。白宇くん、ですね。こちらこそ、よろしくお願いします?」


 少年の言った『これから』に何処か引っ掛かりを感じたため最後に疑問符がついてしまったが、わたしも丁寧に頭を下げる。

 白宇くんが「ふむ」と頷いた。


「空気の読めるおれが閉店準備をしておくから、二人は奥でゆっくりと話してくるがよい」

「……それじゃあ、お言葉に甘えて。古澄さん、こっち」


 何か物言いたげな顔をした久閑さんだったか、結局何も言わずに店の奥にある扉を開けた。

 奥へと進んでいく際、背中越しに「頑張るんだぞー」という白宇くんの声が聞こえてきたが、わたしには何のことだかさっぱりだった。



   *



 案内されたのは、とある一室だった。

 机や椅子だけではなく、テレビや電子レンジ、冷蔵庫なども置かれており、更には簡易的なキッチンも備え付けられている。

 久閑さんに促されるまま、わたしも椅子に座る。緊張していますと言わんばかりに、自分の背筋は真っ直ぐに伸びていて。


「疲れるから楽に座って」


 と、久閑さんにも苦笑されてしまった。

 何となく気恥ずかしくなったわたしは視線を下に向ける。そして、促されるままゆっくりと椅子の背もたれに背中を預けた。


「それじゃあ、お話しようか。先に僕から質問させてもらうね。あやかしが視えるようになったのっていつから?」

「……一ヶ月ぐらい前からですかね。気づいた時には視えるようになっていました」

「きっかけに心当たりは?」

「特にありません。……あの、わたしも質問しても良いですか?」

「どうぞどうぞ」

「久閑さんはいつから視えているんですか?」

「昔からだよ」

「……えっと、きっかけに心当たりは?」

「ないね。多分生まれつきだから」


 久閑さんはあっさりと答えた。あやかしが視えることが当たり前のように言うなぁ……彼にとってそれが日常なのかもしれない。

 けれどもわたしは違う。あやかしが視えるようになって約一ヶ月。まだまだ慣れてなどいない。わたしにとってあやかしが視えることは当たり前のことではなく、それは非日常的なことだ。

 思わず顔を曇らせてしまったのが自分でもわかった。


「あの……わたしの場合、一過性のものなのでしょうか?」

「……さあ、どうだろう。それは僕にはわからないな」

「そう、ですか……」


 久閑さんに首を振られて、がっくりと肩を落とす。

 何故こうなってしまったのか原因もわからない。今後元に戻るかどうかもわからない。

 不安に駆られてぎゅっと両手を握りしめる。口を結び、震えそうになる手を何とか押さえ込んだ。

 静まり返った部屋の中で、ゆっくりと久閑さんが口を開いた。


「あのさ、もし良ければここで働かない?」

「……はい?」


 突如告げられた提案に、思わずわたしは間の抜けた声を発してしまった。


「仕事探しているんでしょ?」

「何故それを……」


 だって求人情報誌を持っていたから」

 確かにそれだけでもわたしが仕事を探していたと推測するのは容易いだろう。

 見透かされたことに多少恥ずかしくなりながらも、「その通りです……」と小さく首肯した。


「あの……無知で申し訳ないんですけど、そもそもこの店って一体どんなお店なんですか?」

「よろずやは日用雑貨とか食べ物とか、いろんな商品を取り扱っているんだ。今でいうコンビニみたいなものかな。何でも屋とも言われるんだけど、そのせいか便利屋と間違えられることも時々あるんだよね」


 困ったものだよ、と久閑さんが溜息をつく。


「業務内容はレジと接客、品出し、商品整理に掃除……まあ、細かいことは働き始めてから教えるよ。営業時間は日によって変わるんだけど……古澄さんの労働時間は一応十時から二十時までってことにしておこうか。その間なら何時からでも都合の良い時間に働いて良いよ。週休二日は約束するし、勿論都合が悪い時は休んでもらっても構わないから。ああ、そうそう大事な大事な給料の金額は――」


 提示された数字はこの辺りの相場としては高い金額。しかも、シフトも自由に組んでも良いときた。かなりの好条件だ。


「もしここで働いてくれるなら、あやかしについて色々と教えてあげることもできるし」


 他の店では絶対に見つけられそうもない好条件が更に追加されてしまった。

 こちらとしては願ったり叶ったりな好条件……でも、いくら何でも好条件過ぎでは?

 すぐさま頷きたくなったが、いや待てそんな美味い話があるかと思いとどまる。

 難色を示していると、久閑さんが苦笑した。


「ま、怪しむのは当然か。すぐバレると思うから先に言っておくと、うちってあやかしのお客さんもよく来るんだよね」

「……つまり?」

「古澄さんみたいにあやかしが視える人が働いてくれるとすっごく助かる。因みに、扱っている商品は普通の物ばかりだから、そこは心配しなくても大丈夫だよ」

「……なるほど」


 働く大前提が『あやかしが視える人』ならば、好条件も納得できる。この世の中、あやかしが視える人がどれだけいるのかわからないが、どう考えても視えない人の方が多いだろう。この間まで自分もその中の一人であった訳だし。

 答えは出ているけれど、どうしようかなぁと悩むわたしに、あともう一押しだなと言わんばかりに久閑さんが畳みかけてくる。


「古澄さんが今まで視てきたあやかしはそこまで危険な奴はいなかったかもしれないけど、中には人間嫌いなあやかしもいるからなぁ」

「人間嫌い……?」

「この御時世、視える人間は貴重だからね。目を付けられたらどうなることやら……正直、よく今まで無事でいられたなとすら思うよ」


 しみじみと何やら不吉なことを呟かれて、わたしは身震いした。

 視えるようになってからは何とかあやかしを無視し続けてきたけれど、それにも限界があるというのはわかっていた。

 今日みたいに直接的に関わったことなどなかったが、見た目がグロいあやかしを視て、「ひぃっ!?」と思わず叫んでしまったこともあるから。……やっぱり女子力がない叫び方なのはこの際置いておくとして。

 今まで視てきたあやかしたちは奇々怪々ではあったが、襲ってくるモノはいなかった。

 でも、それはただ単に運が良かっただけで、これからもそうだとは限らない。

 あやかしとの関わり方が全くわからない自分は、人間嫌いのあやかしたちにとっていたぶるには都合の良い相手だろう。

 そもそも、あやかしに関して話せる相手は久閑さんしかいないのだ。

 そんな彼がこうして提案してくれている。わたしにとってそれはとてもありがたいことだった。

 意を決して視線を上げれば、久閑さんと目が合った。

 手にぐっと力が入る。心臓がどきどきしている。

 口を開こうとしたその時、先に言葉を紡いだのは久閑さんだった。


「よし、決まりだね」

「……まだ何も言ってないです」

「断るつもりだった?」

「……いいえ」


 ――何だろう、この敗北感は。

 何となく悔しくて、わたしは不服そうに少し眉根を寄せてしまった。それを見た久閑さんがふふっとふき出した。

 これは揶揄われているなぁ……。

 そう思いながらも、あどけない久閑さんの表情に、優しくてあたたかな雰囲気に、不思議と嫌な気持ちは起きなかった。


「あの……このこと店主さんには?」

「了承は得ているから大丈夫。……というかあいつが連れて来いって言ったんだし」

「……それってどういうことですか?」

「いや何でもないよ。おっと、危ない危ない。連絡先の交換をし忘れるところだった」


 何やら取り繕うように久閑さんがズボンのポケットから携帯端末を取り出した。


「初日の出勤時間とか持ち物とか詳しいことはメールで送るね。店と僕の連絡先を教えておくけど、店にいない時もあるから、基本的に僕の方に連絡してきてくれると助かるかな。急用で休みたい時とかあやかし関連で困った時とか」

「わかりました」


 そういうことかと思って、わたしも携帯端末を取り出す。


「あやかし関連以外でも何か困ったことがあったり、話し相手がほしいと思ったりしたら、気軽に連絡してきていいからね」

「……はい」


 にこりと笑って言われた言葉に、わたしは生返事した。

 あやかし関連なら兎も角、それ以外で連絡することなんてまずないだろうな。

 他人に頼るのは苦手だし、無駄に迷惑を掛けたくはない。自分で解決していかなくてはひとりで生きてはいけないのだから。

 ――そういえば、連絡先が増えたのはいつぶりだろう。

 高校生になって携帯端末を持つようになった際、「連絡先交換しようよ」とクラスメイトに言われてその場の流れで交換したことはあった。けれど、それだけだ。当たり障りなく高校生活を送ってきたわたしに、私情のメールを送ってきたり、電話で話したりするような特別仲の良い友人などいなくて。

 働き始めてからもそうだ。職場の連絡先しか知らないし、一緒に働いている他の人たちの連絡先など一人も知らなかった。それが当たり前だと思っていたから、他の人たちが職場以外でも遣り取りをしていることを小耳に挟んだ時はびっくりしたものだ。

 必要最低限にしか他人と関わって来なかったのだから仕方がないなとは思った。でも、――

 わたしって本当に人間関係が希薄なんだなぁ……。

 そう、改めて気づかされた。

 特に落ち込むことはないし、ひとりでいることには慣れたけれど、時々ちょっぴり寂しく思う時はあって。


「――さん、古澄さん」


 久閑さんに声を掛けられて、はっとして我に返った。

 いつの間にか連絡先の交換は終わっていて。

 うわー、ぼんやりし過ぎでしょわたし……。

 若干恥ずかしくなりながら、そそくさと携帯端末をしまった。


「それでは、古澄さん。これからよろしく」


 差し出された手のひらに、わたしはおずおずと手を伸ばす。ゆっくりと自分よりも大きな手のひらを握る。


「こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いします、久閑さん」


 そう挨拶をすれば、久閑さんが不自然に固まった。


「どうかしましたか?」

「……いや、何でもないです」

「何故敬語」

「ほんっとうに何でもないから気にしないで」


 そうは言っているものの、久閑さんの様子から何でもないとは思えない。

 手を差し出して来たのは久閑さんの方からだし……あ、もしかしたら、わたしの手汗が酷かったのかもしれない。

 そう思い至って、久閑さんから手を離そうとしたものの離れない。


「……」

「……」


 何とも言えない沈黙に苛まれていたちょうどその時、ノックの音とともに「入るぞー」と声が聞こえてきた。

 返事も聞かずに扉が開く。


「さて、そろそろ話も纏まりましたかな……って、ん?」


 扉を開けたのは白宇くんだった。

 そのまま部屋に入って来ようとしたのであろう足をピタッと止めて、白宇くんは視線を動かした。

 未だ繋がったままの二人の手。

 その視覚情報を得て導き出された答えに、「ふむふむ」と白宇くんが何やら意味深げに頷く。


「どうやら、お邪魔だったようで。これはこれは失礼しました」


 白宇くんはぺこりと頭を下げて、そそくさと扉を閉めた……かと思えば、また扉が開いた。


「そうそう留花ちゃん。もし司樹が不埒なことを仕出かして不快に思ったら、大きな声で叫ぶように。おれが直ぐに駆けつけるから。それでは、失礼しました」


 今度こそ、パタン、と扉が閉まる。軽快な足音が遠のいていく。

 無言で顔を見合わせた久閑さんとわたしは、どちらからともなくそっと手を離した。


「……何か、うちのがすみません」

「……いえいえ」


 何処か気まずい空気の中、わたしも久閑さんも顔が少し赤くなっていたのはここだけの話。

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