7 そこにローレンス様の幸せはあるのかしら
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「お嬢様! 絶対にメイクと髪の毛を触らないでくださいね! 私が命を懸けてセットしたんですから!!」
セーラの厳しい声が飛び、私は手を引っ込めた。そうは言ってもこんなにお化粧を塗りたくったり髪をあちこち結ったりした事がないから気になるんだもの……。
「あと、その顔! ローレンス様は常に笑顔をキープしていらっしゃいましたよ! お嬢様も見習ってください!」
「うう……」
我ながら情けない。まさか男性のローレンス様に淑女の笑顔で負けるとは。でも普段あまり笑わない私は頬の筋肉がコチコチに固まっているのか、上手く笑えないのよね。つい悪だくみをしているみたいに……あれ?
鏡の中の私は、とても自然な微笑みになっていた。
もしかして、ローレンス様のお陰で頬の筋肉が柔らかくなったのかしら。
「そうそう。それを忘れずに。お嬢様、とても綺麗ですよ」
仕立屋から届いたドレスは私にぴったりだった。ローレンス様の瞳の色である鮮やかなブルーの色が、裾に向かってグラデーションで徐々に私の瞳の紫色になっている。ところどころ締め色で黒のレースが入っていて甘すぎず大人のデザイン。今までの私だったら恥ずかしいし似合わないと決めつけて絶対に着なかったろう。でも、悔しいけれど似合っているわ。セーラの頑張りである凝ったヘアメイクもあっていつもの私とは別人のようだと自分でも思う。
「リディア!! 凄く綺麗よ!! ああこんな日がくるなんて……」
お母様は感激の涙を流していた。今まで一人娘が着飾るのを嫌がっていたから内心寂しかったみたい。恥ずかしいけれどくすぐったくて嬉しくなった。たまにはこういうのも良いものね。
「ローレンス様がいらっしゃいました」
執事に言われて、玄関ホールに向かう。大きい身体を燕尾服に包み、綺麗な姿勢で立っていた彼はこちらを見た途端ビクリと震え、真っ赤になった。
「あ、あの……」
「? ローレンス様、素敵なドレスをありがとうございました」
仕立屋から「お代はアルダー伯爵家から既に頂いております」と言われた時は驚いたわ。ローレンス様が贈ってくださったって事になるわよね、これ。薬瓶をかなり割って薬草もいくつも無駄になったからお詫びのつもりなのかしら。それにしたってドレス代の方が高いと思うけど。
「あ、ああ……リディア嬢、行こうか」
「はい」
彼と共にアルダー家の馬車に乗り、王宮に向かう。馬車の中では気まずい空気が流れた。ローレンス様はちらちらとこちらを見ているけれど目が合うとふいっと逸らされる。
……そうよね。プライウッド男爵令嬢や彼に近づいていた令嬢たちに比べたら、こんな醜くて行き遅れが幾ら着飾ったところで滑稽なだけだわ。きっと直視できない程の私の醜さに、彼もいたたまれなくなっているのだわ……と思うと胸がぎゅっと苦しくなった。
今回は、まだ私が彼の婚約者だからエスコートされることになったけれど、それも今日で終わり。彼はプライウッド男爵令嬢の事を負い目に思って自分から婚約解消を言い出しにくいに違いない。でもどのみち解消するなら早い方が良いわ。パーティーが終わったら私から婚約解消を申し出よう。
だって私は彼の事を、彼の人柄が好きで婚約したんじゃ無いんだもの。美人でもなく、治療薬の研究にかまけて行き遅れた私に嫁の貰い手なんてそうそうない。でも私は薬の研究を捨てる気にはなれなかった。だからローレンス様との婚約が持ち上がった時、彼をよく知らないのに条件だけで判断した。
田舎の子爵で満足するような野心のない男性。しかも単純でお花畑の馬鹿とくれば夢幽病の秘密を使ってのしあがるなんて事は考えないでしょうし、私は着飾ることも社交も嫌い。だから彼と結婚したら田舎に引っ込んでたくさんの薬草を採取したり栽培したりして研究に没頭できるし、ぴったりの条件だと思ったのよ。
私は私だけが幸せになることしか考えていなかった。そこにローレンス様の幸せはあるのかしら。ないわよね。あんなに真っ直ぐな男を、私なんかのエゴで縛り付けてはいけないわ。
「リディア嬢!?」
ローレンス様の驚いたような大声で、私はハッと気が付いた。目から涙が落ちそうになっている。ああ、化粧が崩れたらセーラに怒られてしまうわ! 私は慌ててハンカチを取り出し、目頭を押さえた。
「……そんなに俺のエスコートが嫌だったか?」
「えっ?」
何を言ってるのこの人は。そんな変なことを言って馬鹿なんじゃないの? そうだわ馬鹿だったわ。馬鹿正直で人を疑うことを知らなくて、世の中の皆が皆、気の良い奴だと思ってる頭がお花畑な、すごく優しくて真っ直ぐな人。そんな彼のエスコートが嫌なわけないじゃない。
私はまたこぼれそうな涙を必死でこらえながら、首を横に振る。
「で、では、やはり夜会が嫌で……?」
「? ……嫌は、嫌ですけど」
ローレンス様の言っている意味がわからない。私が夜会どころか、嫌味と蔑みと罠が渦巻く汚い女たちの社交界そのものが嫌いだと、彼自身がお茶会に行って理解したんじゃないの?
「俺が必ず守る。守りますから」
「?」
彼がまじめな顔で見つめてくるのを、私は意味がわからず受け止められなかった。
◆◇◆◇◆
「アルダー伯爵家次男、ローレンスと申します。殿下の誕生を祝う素晴らしき日にお目にかかる事ができ、誠に光栄にございます。こちらは私の婚約者でオーク伯爵家の長女、リディアです」
本日の主役であるイレーヌ王女殿下の前でローレンス様が挨拶をすると、光り輝くような美しさを持つ殿下は私に向かって微笑んだ。
「ええ、この度はご婚約おめでとう。また後で」
「……? は。失礼致しします」
ローレンス様は殿下の言葉の意味を十分には理解できなかったけれど、挨拶をする貴族はまだまだ後ろにつかえているし、こちらから意味を問いただすなど恐れ多くてできない。それで素早くその場から退いた。
「おっ、ローレンス! 殿下への挨拶も終わったか」
「フィンリー!」
「あ、そちらが噂の婚約者殿だな」
「初めまして。リディア・オークと申します」
私が名乗るとフィンリー様がにんまりとした。
「いやぁ、怖い魔女だとか聞いていたけど噂はあてにならないなぁ。なかなか美人じゃん!」
「えっ」
「フィンリー! お前……」
「そんな怖い顔すんなよ。あっちで皆がお前の話を聞きたいってさ。リディア嬢、ちょっとだけローレンスを借りてもいいかい?」
「は、はいどうぞ」
「ではせめてリディア嬢も一緒に!」
えっ、無理無理無理。ボッチの私がローレンス様のお友達の輪に入れるわけ無いわ!
「いえ、ここで待っておりますわ」
「いや、でも」
「はいはい。素敵な婚約者殿とべったり一緒に居たいのはわかるけど、俺たちとも付き合えよ」
ローレンス様はフィンリー様に引きずられていく。
「リディア嬢、すぐに戻ってくるから……!」
残された私は一人壁沿いで目立たないようにしていた。どうしよう。ボッチだから話す人もいない。お父様とお母様を探そうかしら。お兄様は婚約者と楽しそうにしているからお邪魔よね……。
「性懲りもなくローレンス様と来たのね」
身に覚えのある声が背後から聞こえ、ゾッとして振り返る。金髪を煌めかせ、豊かな胸元を強調したドレスに身を包んだプライウッド男爵令嬢がそこにいた。それに、いつもローレンス様に近づいていた令嬢たちもその後ろでクスクスと忍び笑いをしている。