4 「アルダー家の問題児」
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「おいおいおい、どういうことだよ?」
一人では不安すぎたので、フィンリー様と少しは面識のあるお兄様と共にウォルナット侯爵家を訪れると、フィンリー様はすでに出来上がってるご様子でお酒のグラスを片手にご機嫌でいた。
「ついこないだまで婚約は考え直すって話をしてたんじゃないか? それがどうだ。向こうの家に連日泊まり込むとは!」
「い、いや……その、俺がリディア嬢の研究室で怪我をしたから、オーク伯爵家の人達が責任を感じて『完治するまで面倒を見させてくれ』って言って聞かなかったんだよ」
なんだか直感的に、この人にはあまり言わないほうが良い気がして仲良しアピールはやめておいた。けれど。
「おい、照れてんのか? お前の家族にも確認したぞ。『リディア嬢と一緒に過ごしたい』って言ったらしいじゃないか」
もうそっちまで訊いてたのか! 彼の嗅覚の鋭さと行動力を甘く見てはいけないと背中が寒くなる。
「いやぁ、それは……うちの母が彼女を気に入ってるからリップサービスみたいなもので」
「あ? なんだつまんねぇなー。ま、一杯飲め。お前の大好きなやつだ」
グラスに蒸留酒をストレートで注がれ渡される。ううっ、私お酒弱いのに。でも飲まないと疑われるよね? フィンリー様と乾杯し、覚悟してグイッと飲む。濃いアルコールが喉を焼いた。
「……あれ?」
美味しい? あっ、そうか。お酒が弱いのは私の魂ではなく体質。ローレンス様の身体はお酒に強いんだ!
「ははっ。やっぱりお前は良い飲みっぷりだなぁ」
フィンリー様はご機嫌でお代わりを注いでくれる。私たちはチェスをしながらお酒を飲み続けた。
「俺さぁ、心配してたんだよ……。俺だけじゃないぞ。今日の遠乗りのメンバー全員心配しててさ……。でも喜んでもいたんだよ。やっとお前にも春が来たんじゃないかって」
酔いが回ってトロンとした目でチェスの盤面を眺めながらフィンリー様が言う。
「春?」
「今回の事だよ。お前さぁ、最初の婚約がダメになって以来、ずっと上手くいかなかっただろ……?」
「ああ……」
なんとなく話は聞いている。ローレンス様は昔、幼馴染の伯爵令嬢と婚約を結び、いずれは婿入りする予定だったのだそう。ところが彼女が16歳でデビュタントボールに出た時、とある男やもめの公爵に見初められてしまった。家格も財力も遥かに上の相手に幼馴染もその家族も舞い上がり、ローレンス様との婚約を正式に解消して公爵の後添えとして結婚してしまったのだそう。
勿論ローレンス様には何の瑕疵もないし慰謝料も公爵から払われた。だから次の婚約者候補もちゃんと見つかった。けれどいよいよ正式にその相手と婚約を結ぼうとなった段階で、長年その女性を想っていたという別の男性が現れて、女性も彼の事を憎からず思っていたらしい。それでローレンス様は二人が幸せになるならと身を引いてしまった。
2回も婚約話が流れてしまったせいで結婚適齢期が過ぎつつあり、しかも次男で伯爵位は継げない。将来は子爵となり片田舎の小さい領地を貰うだけの予定のローレンス様に良い話はなかなか来ない状態に。そんな彼は園遊会で出会ったご令嬢と今度こそと息巻いていたらしいが、その彼女もすぐに他の伯爵家の嫡男と良い仲になってしまったとか。
もうここまでくると彼は陰で「アルダー家の問題児」と呼ばれるようになった。しかも女性たちの間ではこっそりと「二番手」というもっと不名誉な仇名まで付けられて。これは彼が次男という事もあるけれど「ローレンス様に近づいた女性にはもっと良い相手が現れる」と言うジンクスのようなものがまことしやかに語られるようになったからなの。だから彼と上辺だけ仲良くしようとする令嬢はそこそこ居ると言う最悪な状況。
それでも彼は近づいて来る女たち全てにヘラヘラと優しくしていたらしい。私は以前その女性たちが陰で嗤いながら彼を馬鹿にした話をしているのを聞き、あの人は頭の中がお花畑じゃないの? と呆れたものだ。後に、まさかそのローレンス様本人と婚約する事になるとは思っていなかったけれど。
「だけどさぁ、俺たちは皆お前がすっごく良い奴だって知ってる。だから幸せになってほしいんだよぉ。でもさ、お前って女運だけは無いじゃん?」
そうね。無いわ。よりによって私と婚約するなんて。
「実を言うと、あの男爵令嬢は俺は怪しいと思ってたんだ。オークのご令嬢は……」
フィンリー様はお兄様の方をチラリと見て、聞こえない様に声を潜める。
「(魔女だとか言われてるけど)将来子爵領の片田舎で生活するお前についてきてくれるんだろ?」
「ああ……」
「社交界で派手な付き合いも無いみたいだし、贅沢も望まない良い子じゃないか。俺は嬉しいよぉ」
「良い子、かな……」
私の胸がチクリと痛んだ。ローレンス様は良い人だ。一見して馬鹿でお花畑だと思えてしまうほど真っ直ぐで。でもカリーナ嬢から吹き込まれた私の悪口を鵜呑みにはせず、そして棚が倒れた時には咄嗟に私を抱きしめて庇ってくれた。おまけに魂が入れ替わったことを嘆いてはいても、私を責めたり怒ったりは一度もしていない……。
だけど私は良い子なんかじゃない。彼を条件だけで見て裏切った元婚約者とそう変わらないわ。
「あっ!? その手があったか……」
「えっ……あっ」
ローレンス様の事を考えながら私が無意識で置いたナイトの駒は、相手からすると意外でありながら、よく見ると最善と思われる強力な手だった。
「お前、いつの間にチェスがそんなに強くなったんだ?」
「あの……その」
しまった。つい手加減を忘れてしまった。フィンリー様は酔っていながらも疑いの目を向けてくる。と、お兄様が横から助け舟を出してくれた。
「頭を打ってすぐは身体を動かすと良くないから、ローレンス様は暫くの間、妹とずっとチェスをしていたんですよ。妹は女だてらになかなか強くてね。俺も敵わない」
「へー! リディア嬢はチェスも強いのか! ますます良いじゃないか」
フィンリー様はもっとご機嫌になり、私のグラスに更にお代わりを注いだ。