2 うわっ、この顔の私、ブスね。
◆◇◆◇◆
「夢幽病!?」
クセのある黒髪に紫のキツイつり目を持つ私の身体で大声で叫ぶのはローレンス様。
一方我が家の私の部屋で、座り慣れたハズの椅子に大きな体を押し込めて窮屈な思いをしているのは、ローレンス様の身体に入った私。
他には私付きの侍女セーラと執事と私の家族。つまりオーク伯爵である私のお父様、お母様、そしてお兄様がこの部屋にいる。お父様が厳しい顔をして言った。
「そうだ。聞いたことくらいはあるだろう。リディアは昔その病気にかかっていた」
夢幽病とは、眠っている間にその魂が肉体から離れてしまう病気の通称。これは生まれもっての魔力が高い人間にごく稀に起きる大変珍しい病気で、自身でコントロールできないほど有り余った魔力が肉体から魂を剥がそうとする。特に幼少期から思春期の、体の成長と魔力のバランスが安定しない者に起こりやすい。
症状が悪化すると段々と眠る時間が長くなり、やがて肉体が衰弱して死に至る恐れすらある。私の一族は高い魔力をもって生まれる人間が多く、そのぶん夢幽病になる人間の確率も他家よりはかなり高かった。
「我がオーク伯爵家には、ある薬草を使用することで症状を和らげる方法が代々伝えられている。リディアもだいぶ楽になったが完治までは出来なかった。だから娘は自らその薬の研究を始めたのだ。そして精神系魔法の魔力を練り込む事で薬を完成させ、自ら病を克服した」
お父様の言葉を受け、私の身体に入ったローレンス様(ややこしいわねこれ)の目がまたもやまん丸になる。自分のビックリ顔が見られるなんて不思議な感じね。
「では、巷でリディア嬢が怪しい薬を作る魔女だと言われているのは……!」
「その薬こそ夢幽病の治療薬だ。魂が肉体から離れないように安定させ、魔力を調整する働きがある」
私が口を挟む。
「ただ、その薬の調合は非常に繊細なのです。季節や温度によって細かい調整が必要ですし毎回全神経を使って作っています。それに大変危険です。使っている薬剤の中には、量を誤ると返って肉体と魂の剥離が進んでしまうものもあるくらいですの」
ローレンス様はごくりと唾を飲み込んだ。
「つまり、その薬が先ほど落ちて……」
あら、意外と呑み込みが早いわ。
「ええ、ローレンス様の頭の上に落ちてきた瓶の中に、その量を誤ってはいけないものが混ざっていました。私も咄嗟に魔力を解放したのが更に悪かったのですわ。それで私達二人の魂が肉体から剥離し、その後肉体に魂を安定させる粉末の薬剤が舞った空気を吸い込んだ。魂が入れ替わったまま、ね」
ローレンス様の顔色がみるみる悪くなる。
「ど、どうすればいいんだ!? 戻れるのか?」
「同じ理屈で薬の割合を変更したものを調合すれば或いは……」
「或いはって、上手くいかない場合はどうなる!?」
「責任を取ってください」
「責任?」
私は私の顔をした婚約者様を真っ直ぐ見据えた。
「このまま、リディア・オークとして私のふりをして過ごしてください。どっちみち薬が完成するまではそうしていただかないと困りますの」
「何故だ!」
「夢幽病の治療薬のことは秘密だからです。婚約者の貴方にもお伝えしていなかったでしょう? これはオーク伯爵家の人間と、夢幽病患者しか知り得ない極秘事項なのですわ」
「む……無理だ」
「無理ですって!?」
私が睨むと、ローレンス様は眉を目一杯へんにゃりと下げた。うわっ、この顔の私、ブスね。普段もお世辞にも美しいとは言えないけどこの表情はヤバいわ。
「だって俺、秘密とかそういうの苦手なんだよ! 黙っていようと思えば思うほど、その事を考えて……いつかうっかり言ってしまいそうだ!!」
「「「ああ……」」」
私と兄と父から同時に同じ言葉が漏れた。確かに彼ならやりかねない。
ローレンス様は悪い人じゃない。寧ろとても良い人だと思う。だけど秘密とか腹芸とかとは明らかに無縁だもの。逆に他人を疑うこともないから、私の研究内容は植物の栄養剤か何かって事にしておけば結婚してもバレないかもとすら考えていたのだったわ……。
「で、でもそこを頑張ってください! 大丈夫です。私は友達がいないボッチなので、あとは使用人にバレないようにしていれば問題ありません!」
「それだって自信が無い……」
涙目のローレンス様に、お父様が喝を入れる。
「ダメだ。これは任務だと心得て、死ぬ気であたっていただこう。無理なら死あるのみだ」
「し、死!?」
「わからないのか。これは国家レベルの機密事項だぞ」
「お父様!?」
たった今、秘密を守れないと言ってた彼にそこまでバラしちゃうの!?
「ローレンス殿、この国が隣国との戦争を終えて平和条約を締結して久しいが、これが他国に漏れたらどうなると思う?」
「良い事じゃないですか! リディア嬢の悪い噂は払拭され、他の国の夢幽病患者も救われます!」
「表向きはな。忘れてはならないのは夢幽病患者は皆魔力が並外れて高いということだ。例えば炎属性など、攻撃的な魔力を持つ者がまだ年若いうちから病状が安定すれば、そこから魔法を磨くことに専念できる。……数年後には殺戮マシーンの誕生だ」
「!!」
「それだけじゃない。リディアは精神系魔法の使い手だ。これが表沙汰になれば娘は治療薬の作り手として、そして他人の魂を肉体から剥離させる暗殺者候補として、各国から狙われる。もし夢幽病になった者がいればリディアの仕業と濡れ衣を着せられる可能性すらあるのだぞ」
お父様、流石! これなら一番の秘密は伏せたままローレンス様を懐柔できそう。……でもそんな怖い事まで考えていたのね。まっ、私は薬の研究がしたいだけだから汚名を濯ぎたいたいとか、ましてや暗殺なんて大それた事は考えもしなかったけれど。
「しかし、それでは他国の夢幽病患者が気の毒では……」
ローレンス様の人柄がわかるような言葉に、お父様は眉間のシワをフッと緩めた。
「夢幽病は元々我がオーク伯爵家の人間以外は滅多に出ない奇病だ。もし他国から相談があれば王家を通じて薬草の効果を伝えるか、場合によっては治療薬も都合する。だがその交渉は我々がでしゃばってする事ではない。この家の者は無駄な混乱や争いを生まぬ為に目立たぬべきなのだ」
「……」
「おわかりいただけたかな。リディアの為に死ぬ気でこの秘密は守って貰う。一生だ」
ローレンス様はスッゴいブスな顔で(私の顔を歪めないでよ! おでこのシワがクセになったらどうするの!)、こくりと頷いた。