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第八章「ひなの生い立ち」

 風祭(かざまつり)ひなが(みん)に語る。


 わたしが生まれたのは東京府本郷区(ほんごうく)です。「本郷も『かねやす』までは江戸のうち」で、こう見えても江戸っ()なんですよ。ぎりぎりですけど(笑)

 父は町医者で、母は看護婦でした。二つ下に弟がいました。自分の家の半分が「風祭医院」で、父母が患者さんたちを毎日診察していました。父はあごヒゲを生やしていて、それが赤っぽかったんで「赤ヒゲ先生」と呼ばれて、地元の人たちに慕われていました。

「こどもが高熱を出した」「お婆さんが卒倒した」などと知らせがくれば、日曜日でも夜遅くでも、父は母を伴って往診に出かけていきました。その間、わたしは弟と二人で、遅くまでお留守番。ちょっと寂しかったけど、そんなことは絶対に言いません。わたしは長女ですから。弟のおねえさんなんですから。

 わたしが尋常(じんじょう)小学校に入学した時の「図書委員検査」の結果が「(こう)」で「ウェンタ」すなわち「(かぜ)」属性が認定されました。わたしは「図書委員見習い」になりました。東京…というか関東には、ウェンタはあまりいません。でも、幸運なことに同じ学校の高等科にウェンタのおねえさまがいらっしゃって、親身に指導して下さいました。図書委員の言葉である「リンガ・ビブリア」のいろはから。本郷区図書委員の指定図書である「楚辞(そじ)」の読み方、覚え方。本からマナを引き出し、身体(からだ)に取り込んで使う方法。

 マナの力で「風」を起こすのはすぐにできるようになりましたが、そこからが難しいんです。「風」を使って空を飛ぶのが、ウェンタの特技です。最初に習うのは「羽衣(はごろも)」。言葉は優雅ですが、要するに木綿の敷布です。敷布団に敷く布。その四隅に紐をつけて両手両足に()わえる。そして、ウェンタのマナで引き出した「風」を敷布に受けて、空中に浮かび上がるんです。

 これが基本中の基本。飛行機械で言うなら「熱気球」段階。そこから空中で自由自在に動けるように、言わば「飛行船」「飛行機」へと鍛えられていく。「羽衣」を使うのは最初だけです。思いっきり大きなだぶだぶの着物を着て、両手に大きなうちわを持って飛ぶのが第二段階。そして、普段着と両手の扇子で「風」を受けて飛べるようになるのが第三段階。

 おねえさまが教えて下さったのは、そこまででした。

 わたしが尋常三年生の時に「スペイン風邪(かぜ)」と呼ばれる疫病が世界的に流行しました。日本にも感染が広がって、たくさんの人が死にました。お気の毒なことにおねえさまも。スペイン風邪は何度も流行を繰り返しました。父と母は懸命に防疫(ぼうえき)と治療に従事していましたが、不運にも感染し、二人とも亡くなりました。その少し前に幼い弟も。

 孤児となったわたしを引き取ってくれたのが、叔父夫婦です。叔父も医者で、ここ北豊島郡(きたとしまぐん)板橋町(いたばしちょう)で開業していたのですが、スペイン風邪を恐れて、流行のごく初期から板橋を離れ、感染者が少ない北海道に避難していました。

 わたしは板橋町の女学校に転校しました。板橋尋常高等小学校です。本郷区と同じ公立の学校でしたが、図書室がありません。校長先生に直接お願いして、新たに図書室を作ってもらいました。そして板橋町唯一の図書委員として、活動を開始したんです。

 そこで分かったのが、板橋町における奴苦獣(どくじゅう)案件の多さ。東京府内のざっくり十倍です。その原因は「(うら)」の存在。裏から奴苦獣が板橋町へ侵入し、奴苦素(どくそ)を撒き散らして、人々の知性を曇らせ、民度を下げまくっています。

 わたしは学業の傍ら、奴苦獣退治を始めました。それが一年前のこと。


「たった一人で?」

 明は驚く。

「板橋町の図書委員はわたし一人です。わたしがやるしかない仕事です」

「叔父さんは力を貸してくれないの? 誰か殿方(とのがた)を『(さむらい)』に雇ってくれるとか何か」

「叔父は…姪のわたしの口から言うのも何ですが、医者と言ってもお金と自己保身にしか興味のない人間です。図書委員の仕事についても『そんな金にならないことはやめろ』の一点張り。それにわたしが来年の春、女学校を卒業したら嫁に出すって」

「嫁? お嫁さん?」

山崎(やまざき)さんっていう、お大尽(だいじん)がいるんです。叔父よりずっと年上で、五十歳くらいかな。米相場や高利貸しで儲けていて、大きなお屋敷に住んでいらっしゃいます。叔父は山崎さんのかかりつけ医で、開業の時にお金を借りたり、何かとお世話になっています。その山崎さんは、その…ちょっと変わった人で」

「変わった人?」

「女好きなんですが、カフェーや銘酒屋(めいしゅや)にいるような、若いおねえさんには興味がなくて」

「ババア趣味なの?」

「逆です。幼い女の子にしか興味がないんです。遊郭(ゆうかく)に上がっても花魁(おいらん)じゃなくて、見習いの禿(かむろ)に手を出そうとして出入り禁止になった、とか」

「最低ね」

「その山崎さんが、なぜだか、わたしにご執心で、女学校を出たら嫁にくれって叔父さんに」

「最悪の最低!」

 明は軽くキレる。

「叔父さんは言うんです。『孤児のおまえが野垂れ死にもせず、遊郭に売られもせずに学校に通えるのは誰のおかげだ。その恩を返すのは人として当然のことだよな』って」

「でもそんな、五十歳だなんて。ひなちゃんのお父さんというよりお爺ちゃんじゃないの。そんなジジイがひなちゃんと結婚するなんて」

「でも元気なんですよ。叔父が支那(しな)から特別に取り寄せた薬を処方していて…」

「もういい、そこまで。うう、何か気分が悪くなってきた」

「わたし、大丈夫ですよ。ちゃんと対策を考えていますから」

「対策って?」

「わたしは風使いのウェンタです。山崎さんがわたしに無体(むたい)なことをしようとしたら、突風で、すぱっと吹き飛ばしちゃいます。首から上と下をそれぞれ反対方向へ。ああ、それとも周りの空気をうーんと薄くしてあげるのもいいかも。ゴム風船みたいに膨らんでパチンと弾けたりして」

 恐ろしいことをサラっと言って、うふふ、とひなは笑う。

「でも、山崎さんを亡き者にしてしまったら、わたしは警察に捕まっちゃいますよね。『図書委員会』が助けてくれたとしても、一般人に危害を加えた咎で、図書委員資格は永久剥奪(はくだつ)です」

「ま、まあ、確かにそうよね」と、明。

「でも大丈夫。図書委員の力はパンピー相手には使えないように『(かせ)』がかかってるから」

(それを外すには、めんどくさいチートが必要だし)

 図書委員会には絶対内緒だが、明自身は中一の時の「上級生男子複数殴打(おうだ)事案」をきっかけに、そのチートを使って「枷」を解除している。一般人だろうが誰だろうが、明がその気になれば「焼く」のが可能になっている。実際にやったことはまだないが。「まだ」。

「その時になってみなけりゃ分からないかも。心底嫌だと思ったら『枷』も何も吹き飛ぶんじゃないかと思ってるんですよね」

 と、ひなは言って、コロコロと笑って見せる。

「明さん。明さんはわたしより二つ上で十六歳ですよね。お嫁に行ってても不思議のない年だと思いますけど、結婚について、どうお考えですか?」

「あ、あ、あたし?」

 いきなり核心を突かれて、明は動転する。

「あたしは、その、あの」

「女学校を出てすぐに嫁に行く、なんて話はよくありますけど、明さんは女子でも高等学校に進学されたとのこと。結婚なんてとんでもない話だと思いませんか?」

「ううう」

 ひなの言葉が「結婚は明が成人してから」という一郎の言葉に、まんま重なるのが、明には非常に辛いところだ。

「女子であっても、若いうちは勉学に専念し、学業を全うした後でこそ、殿方に嫁ぐべきなのでは? それをあきらめて嫁に行くなんて…」

 そこまでひなに言われて、明はようやく腹をくくる。

「ひなちゃん。実はあたし、もう結婚してるんです。人妻(ひとづま)なんです」

「えーっ!」

 ひなは仰天(ぎょうてん)する。

「十六歳の誕生日に結婚式を挙げて、それから一週間とちょっと。いわゆる新妻(にいづま)ってやつですか。はは」

「新妻…」

 ひなは絶句する。その頬が真っ赤になる。頬だけじゃない、顔全体が。

(来るか、来るのか?)

 と明は警戒する。「どうだった?」「痛かった?」「こどもはいつ?」の三連コンボが来るのを。でも、ひなは肩まで真っ赤になってうつむいている。

「ごめんなさい、明さん。わたし、失礼なことを言って。結婚なんてとんでもない、なんて言ってしまって。年上の、お姉さまで、図書委員の先輩で、現に人妻の、それも今日会ったばかりの明さんに向かって、そんな失礼なことを…」

 うつむいたひなの目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。明はあわてる。

「いいのよ、いいの。全然気にしないで。あたしは、もう十六歳なんだし、結婚してても当たり前のこと。妻と学業もしっかり両立させてるしさ。じぇんじぇん無問題なのよ、無・問・題!」

 考えるより先に言葉がどんどん出てくる。とにかくひなちゃんを慰めなきゃ。

「そうですか?」

 と顔を上げたひなを明はぎゅっとハグする。

「結婚なんて人それぞれなんだからさ。あたしの場合はオケーオケー。ひなちゃんの場合はロリペド(じい)相手なんてダメ絶対。そういうこと。そういうことなのよ」

「明さん…」

 ひなはハグを返して、泣き顔を明の胸に押し付ける。

(ひなちゃん可愛すぎ。爺の代わりにあたしが結婚してやるぜ!)と不穏な明である。


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