第三章「バイクと拳銃」
穂村…じゃなかった、天沢明です。新婚二週目です。ぽっ(赤面)。
夜明け前、あたしは旅立ちの準備を開始します。まずはシャワー。入念に泡立てた牛乳石鹸で全身を洗い清め、肩まで伸ばしたセミロングのストレートヘアをシャンプー&リンスします。ドライヤーで髪をざっと乾かし、入念にブラッシングします。
あたしは生粋の日本人で髪はストレートの黒髪なんですが、イグナのマナの力で変身すると真紅の赤毛に変わります。変身が解けると元の黒髪に戻るんですが、中二の頃からでしたか、左サイドの一房だけが赤いまんま残っちゃうんです。天然メッシュ状態。あたしが勝手に「ご先祖さま認定」した「北欧バイキングの赤毛のエイリークさんの呪い」と適当に話作ってましたが。ナチュラルにおしゃれっぽくて、実はけっこう気に入ってたりもしてました。
身長体重スリーサイズともにガタイがバーンと急成長した中三の秋以降は、そこらへんを歩いていると「赤毛の図書委員だ」とか「赤毛の明さんだよ」とか噂する声が風に乗って聞こえてきたりして。思わず胸張っちゃいましたね。とりわけ後者は「ミ」を「ア」に変えるだけでホラ、「赤毛のアン」になっちゃう。少女小説の永遠のヒロインさまに大出世じゃありませんか!
それまでのあたしの仇名と言えば「人喰いチワワ」とか「リーサル幼女」とか「ショコビ(『小学生』と言った瞬間殺されるぞビッチ)」とか、まあ、ろくでもないもんばっかでしたから。ああホント思い出すだに腹が立つ。体温がイッキに三〇〇度くらいまで上がります。
でもねえ、「赤毛」はいいんだけど「赤毛のドーベルマン」てのは正直勘弁してほしい。チワワが育ってドーベルマンですか? 要するに犬ですか? あたしってそんなに犬っぽいですか? 犬キャラですか? ガウガウ!
十分に乾いた髪を後ろで束ねてヘアゴムで結びます。小学生以来のヘアスタイルです。ショーツとブラを装着。グンゼの定番です。スポーツタイプのTシャツを着て、バイク用の革ツナギを着こむ。北区立上十条図書館司書の南アカネさん…区は違っても、あたしにとっては尊敬する先輩のアカネ姐さん…から拝領したもの。
「みんちゃん、女がバイク乗るんなら、しっかり身体をガードしなけりゃダメ絶対。頭はちゃんとしたメーカー製のフルフェイスヘルメット。革ツナギと革グローブと革ブーツ。それが最低限。暑い季節にタンクトップに短パン、サンダル履きでバイク乗ってる女がいたりするけど、もしもすっ転んだら、アスファルト舗装の地面と、むき出しのお肌とのガチンコ勝負になるわけさ。『頭を強く打つ』とかして、あっさり死ねればいいけど、生き残ったら、その後の『女の人生』どうなの?」
てな感じで散々脅されまくったので、あたしの装備は完璧です。もっとも、革ツナギはアカネ姐さんの、「ルパン三世」の峰不二子並みの、超グラマラスボディに合わせた特注品で、あたしが着ると身長は合っても、胸やら尻やら余ってしまうのが「涙」なんですが。
そして今日初めて公道に乗り出す、あたしの愛車はホンダFT五〇〇。八〇年代の伝説のダートトラッカー。三三馬力を単気筒で叩き出す爆発力が身上ながら、日本での人気は限りなくゼロに近かった、悲劇的オートバイ。
れでぃーす時代のアカネ姐さんが「赤羽艶慈EL」の初代ヘッドをつとめていらした時のチーム仲間が経営する、志茂のバイクショップの、ガレージの隅っこに残骸のように転がっていたのを見た瞬間、魂にピピっときて、超破格値の五千円でゲットしたんです。廃車状態から半年かけて整備して、練馬で車検をとりました。
荒川河川敷でアカネ姐さんに特訓していただき、大型二輪免許一発合格。免許証の交付日付は八月一日で、結婚式と同じくあたしの十六歳の誕生日。
ちなみにバイクショップの店主の、金髪ヤンキー兄貴は、アカネ姐さんの「元カレ」だったんですって。びっくりです。ああそうだ。アカネ姐さんはこれをキッカケに「元カレ」と交際再開し、なんと結婚することに。それもこれも「後の話」なんですが。
右ハンドルのスイッチで起動します。キックペダルがついていないのがこの車種の特徴。セルモーターがグルグルグルルンと力強くエンジンを回し、点火された半リットルの単気筒エンジンがドカンドカンドカドカドッドッドッと動き出す感じが独特でシビれるんですよ。
ああ、シリンダー内で混合気爆発してピストン動いてる。シリンダーの中でピストン動いてます。ピストン運動してます。ピストンピストンピストン! ギアをローに入れてクラッチ繋ぎます、繋ぎます、繋いだ繋いだ、バイク動き出した、動いて動いて、あたしを前へ前へとイカセてる。イクイクイクぅぅって。ちょっと卑猥でしたか。あからさまに卑猥でしたか(笑) でも実感なんです。処女ですが。
大型二輪免許といっしょに頂戴したのは、「穂村明ファンクラブ」板橋警察支部代表の菊池美代子巡査部長からの結婚祝い。なんとモノホンの拳銃。スミス&ウェッソンM36。五連発リボルバー。通称チーフスペシャル。相当に使い込まれた上、撃鉄を削って実弾を発射できないよう加工してあるけど、あたしには関係ない。イグナの「火」を効率的に撃ち出すための道具なんだから。
「見ての通りの年代物だけど完璧にオーバーホール済み。出処は聞かないで。少なくとも人は殺してないから安心してね。せいぜいで全治三か月程度」と、ちょと怖い由来説明。オケーオケーですよ美代子姐さん。
板橋署地下の射撃場をお借りして試射してみましたが、さすが実銃。今まで使ってたモデルガンとは段違いの安定感と精度で、射程距離が倍に伸びたように感じました。拳銃とセットの板橋警察署長名の「所持許可証」は、菊池さんが署長さんを脅迫もといスペシャル熱心に「説得」して、特例で発行していただいたもの。
「でもこの許可証、みんちゃんが板橋区以外で銃器不法所持で逮捕されるとか、よっぽどのことがない限り公に行使しないでね。みんちゃん助かる代わりに、ウチのボスの首とんじゃうから。まあそうなったらそれでウチらは板橋区役所前の『笑笑』貸し切っての宴会もんなんだけど(笑)」と美代子姐さん。もう有り難すぎて涙が出ます。
それにしても署長さん「下」に嫌われてませんか? 人心掌握こそがキャリアの出世における絶対条件ですよ。分かってますかー?