第十五章「浄火」
明とひなは、翌日から「裏」の板橋町の後片付けに取りかかった。最初は板橋町役場だ。木造二階建て白ペンキ塗りの瀟洒な洋館だが、前夜の明と巨大奴苦獣との戦いの際に盛大に噴出した奴苦素をまともに食らって、建物の三分の二以上が真っ黒に染められている。
「ここまで汚染されたら、丸ごと焼き払うしかないです。放っておくとDQ獣の巣になります」
明は拳銃を抜いて一発撃つ。ぼおん!と爆音がして、ナパーム弾を食らったように建物が炎上する。周囲の建物も検分の上で、汚染された部分を一つ一つ焼き、イグナの炎で「浄火」していく。
街道の周囲の雑木林に付着した奴苦素は、ひながウェンタの風を吹き付けて中和する。
時おり出現する小型奴苦獣を明が拳銃で駆除する。
二人は朝から夕暮れまで働く。マナは随時、山崎屋敷のエロ本書庫で補充する。「花の湯」で入浴し、「新藤楼」で宴会して、花魁座敷で寝る。もう当然のように一つ布団で抱き合って眠る。
眠りに落ちる前に、ひなは明に「お話」をねだる。
「明さんの時代のことを教えてください。百年後の日本って、どんな国なんですか?」
「一言じゃ言えないけど、それなりに豊かで、平和な時代が続いてる。戦争が終わってから七十年以上、ずーっと平和」
「戦争って?」
「ああ、そうね。何から話せばいいんだろう。今ひなちゃんが暮らしている大正時代は平和だったけど、次の時代…『昭和』っていうんだけどさ、昭和時代は世界的に景気が悪くなって、国同士の関係も険悪になって、あちこちで戦争が始まったの」
「ちょっと前に欧州で大きな戦争がありましたけど、日本も戦争になるんですか?」
「その『大きな戦争』をあたしの時代じゃ『第一次世界大戦』と呼んでいるの。そして一九三九年に、ドイツがポーランドに攻め込んで始まるのが『第二次世界大戦』。もっともっと大規模で酷い戦争で、ヨーロッパだけじゃなく、世界中が巻き込まれる。最終的に何千万人もの人が死ぬことになる。日本はその何年か前から支那と戦争していて、一九四一年の十二月にはアメリカ、イギリスとも戦争を始めてしまう」
「そんな、信じられません。勝てるわけないじゃないですか」
「んー、それでもやっちまったわけですよ。ハワイを奇襲してアメリカの太平洋艦隊を撃沈して、東南アジアからイギリス、オランダ、フランス全部を駆逐した、と。最初は調子良かったんですが、すぐにジリ貧になって、最後はソ連…ロシアにまで攻めこまれて、ボロ負けして、最終的に降伏したのが一九四五年八月十五日」
「日本はどうなったんですか?」
「全土をアメリカに空襲されて、爆弾や焼夷弾を落とされます。東京は半分以上を焼かれて十万人以上が死にます。沖縄にはアメリカ軍が上陸して地上戦になり、民間人にも多大な犠牲が出ます。さらに原子爆弾という超強力な新型の爆弾を広島と長崎に投下されて、それぞれで何万人もの人が死んで…」
「そんな…そんな酷いことが…」
ひなはもう涙声だ。
「昭和史」は明にとっては教科書で知って、高校受験用に頭の中に入れておいた「過ぎたこと」でしかないが、ひなは自分自身の「来るべき未来」として衝撃を受けている。
「その後は日本は平和になって、アメリカと安保条約を結んで、ずーっと平和で…って言っても、説得力ゼロだよね。ひなちゃんにとっては、酷すぎる話だよね」
明はひなの身体をぎゅーっと抱きしめる。ひなはぐすん、ぐすんと涙をすすりあげている。
翌日、明は自分の知識の及ぶ限りの歴史的事実を年表にして、ひなに見せる。高校受験の際に年号を語呂合わせで丸覚えしていた。「銃臭い(一九三一)満州事変」というように。それが助けになった。
一九二八年 昭和三年 張作霖爆殺
一九二九年 昭和四年 世界恐慌
一九三一年 昭和六年 満州事変
一九三二年 昭和七年 五一五事件
一九三六年 昭和一一年 二二六事件
一九三七年 昭和一二年 日中戦争
一九三九年 昭和一四年 第二次世界大戦
一九四一年 昭和一六年 真珠湾奇襲
「張作霖って誰ですか?」と、ひな。
「満洲の軍閥のボスで、日本が満洲に進出するのに、最初は便利に使ってたんだけど、あれこれトラブって、邪魔になってきたんで、乗ってた列車ごと爆弾で吹っ飛ばしちゃったのよ」
「乱暴すぎませんか?」
との、ひなの感想には明も百パー同感する。それはしかし、大正と令和という「平和な時代」に共通する感覚なのだろう、とも。
五一五、二二六の海軍、陸軍のクーデターについて、ひなは
「軍人さんがそんなことをするなんて信じられません」
と驚く。それが大正の常識。令和において、自衛隊がクーデターを起こすなんて想像する人間は誰もいないのと同じこと。
自分の知識のありったけを絞り出しつつ、明はひなに説明する。
「そもそも大震災の後の東京を再建するのにお金が必要で…」
と言ったところで、明は慄然とする。あたしってば、とんでもないことを失念していた。
「ひなちゃん、今は何年?」
「大正十一年です」
「西暦じゃ?」
「一九二二年ですね。明さんの『令和』のちょうど百年後です」
明は、ふうっと大きく息をつく。全身に吹き出した冷や汗を実感する。
(「遠くに見(一九二三)える大惨事」だ。まだ一年残ってた)
「今日は八月二二日。十日後が九月一日だよね」
と、明はひなにあらためて確認する。
「そうですが、それが何か?」
「でっかい地震が来るの。今から一年と十日後、一九二三年の九月一日に、巨大な地震が、東京から横浜まで、関東南部を直撃するの。大きな火事があちこちで起きて、町が丸焼けになって、十万人以上の人が死ぬの。それが『関東大震災』。あたしの時代じゃ九月一日が『防災記念日』で、避難訓練やらあれこれやるんだけど、そのルーツがそれ」
「十万人以上…ですか?」
「地震や火事以外にも、悪質なデマが流行して、濡れ衣を着せられた人たちがリンチで殺されたり、酷いことがたくさん起きたのよ。それが、今から一年後の話」
「一年後…」
「だから、だからひなちゃん、あたしはひなちゃんを…」
と明が言い出したのを、ひなはやんわりと制止する。
「明さんが何をおっしゃろうとしてるのか、わたし、分かりました。震災やら戦争やら、これから起きる『悪いこと』から、わたしを救ってくださる、と」
「そうよ! ひなちゃんを助けなきゃ」
「そのために、わたしをこの『大正』から明さんの『令和』へと連れて行ってくださる、と」
そう言って、ひなは明の目をまっすぐ見つめる。
「そ、そう。そう…なんだけど」
明の言葉は、そこでとぎれる。明は、ひなの言わんとするところを了解する。
ひなちゃんが、百年後の令和を単に「豊かで平和な時代」として認識してくれたなら、あたしと一緒に行ってもいいかな、と思ってくれたかもしれない。でも、そこに到るまでの「戦争の時代」を知ったなら、さらにその前の「関東大震災」を知ったのなら、可能性はゼロだ。
「その通りですよ、明さん」
と言って、ひなはにっこり笑う。
「あ、あたし、何か言ってた?」
「おっしゃらなくとも分かります。明さんの気持ちは全部。わたしの気持ちを明さんが全部分かってらっしゃるのと同じですよ」
「そっか、そうなんだ」
明はひなをハグする。ぎゅっと強く抱きしめて、髪をなでなでする。ひなも明の身体を抱きしめる。
「わたし、大丈夫ですよ。明さんにご心配をかけるような、弱い娘じゃありません。むしろ、ずるくて悪い娘です」
ひなは、ふふっと小さく笑う。
「地震は天災です。人間の力ではどうにもなりません。でも、それがいつ来るか、あらかじめ分かっていれば、備えることができます。崩れやすい建物を補強するとか、その日は火を使わないようにするとか」
「でも、来年の九月一日に地震が来るなんて言ったって、誰も信じないよ。どうやって他の人たちを説得するの?」
「そこが図書委員です。わたしは他の図書委員に明さんのことを話しますが、一つだけ嘘をつきます」
「嘘って?」
「明さんは『時』を司る図書委員だったって。すなわち『クロナ』です。明さんもご存じですよね」
「クロナのことは、図書委員見習いの時の研修で習ったけど。でも、百年に一人のテッラよりも、さらに稀な希少種で、日本でもヨーロッパでも存在した確証が無いって。もっと古いローマ・ギリシャとか、古代エジプトや支那やメソポタミア文明の時代の、伝説の図書委員だったって」
「名前だけ残っていて誰も知らない。だから説得力があるんですよ。証拠は、こないだ明さんからいただいた、この硬貨で十分」
ひなは「令和三年」と刻印された五〇〇円硬貨を取り出して、明に見せる。
「こんな精巧な硬貨は、今の日本、いえ、世界じゅうどこでだって作れません。そして五〇〇円もあれば、お米が五〇俵も買えます。明さんの時代の単位なら三トンですよ。それが硬貨一枚だなんて、今とは貨幣価値がまったく違う『未来』のお金だと分かるはずです」
「そうなんだ」
「一般人ならともかく、図書委員なら分かります。そして
『未来から来たクロナの図書委員がわたしに告げた。来年九月一日にとんでもない大地震が起きるって』
それだけで図書委員会への説得力は十分でしょう。図書委員会を納得させることができれば、国も動かせます。そのための『千代田条約』ですから」
「あたしは、そこまで考えてなかったよ。すごいね、ひなちゃん」
「わたしの嘘一つで、国まで動かせるなら、わたしは喜んで嘘つきになります。ね? とんでもなく悪い娘でしょ?」
ひなはにっこりと笑ってみせる。
「分かりました。ならばあたしもやりましょう、さらなる悪事を。中島みゆきさんが歌う通り、『君が笑ってくれるなら、ぼくは悪にでもなる』です。この際、とことんやらかしてやりますよ!」
その足で明は「花の湯」隣りの「安田貯蓄銀行」へ行く。一瞬の迷いもなく入り口を解錠して侵入し、金庫を破って、そこにあったありったけ、約十万円をゲット。令和の一億円以上相当だ。現金運搬袋にぎゅうぎゅうに詰め込んで、丸ごと、ひなに提供する。
「これだけあれば、とりあえずは何でもできるでしょう。ひなちゃんの自由自在です。余ったら赤十字にでも寄付してください」
「はあ…」
その後も明とひなの「仕事」は続く。仕事と言い訳しつつも、板橋宿全体を好き放題に使える贅沢生活に慣れ親しみつつある自分に、はたと気づき、明は慄然とする。
「このままじゃ、あたし、ダメになる」
「そうですね。毎日美味しいものを食べすぎて、お相撲さんみたいに太っちゃうかも」
と、ひなも同意する。
「でも『裏』が安定しているのは、夏の二か月ぐらいで、それ以外は未来だったり過去だったり、いろんな時間と繋がってるんです。わたしもうかつには裏へは入れません。空気が無かったことすらありましたから」
「空気が?」
「はい。多分、そこはとんでもない過去か未来の板橋で、人間はもちろん、動物も植物も、生き物一切が存在しない世界だったんだと思います」
「大丈夫だったの?」
「そこはほら、素早さが身上のウェンタですから。ぱっと表に戻って問題なしですよ」
コロコロと明るく笑うひな。
そして「浄火」の最終日だ。
明とひなは「岩の坂」を前にして立つ。ひなはマナを目一杯充填済み。明も変身こそしていないがマナは十分だ。
「さて。いよいよやるよ、ていうか、やらかすよ。ひなちゃん、準備はいい?」
「はい、明さん」
明は両腕を合わせて頭上に掲げる。
「いぐな ばすたんて」
リンガ・ビブリアを唱えると両手の先から長大な炎の柱が出現する。その長さはざっと二〇メートル。
ひなも合掌してリンガ・ビブリアを唱える。
「うぇんた ばすたんて」
ごおっと音を立てて突風が生じる。ひなを中心とした竜巻となって上空に立ち上がる。そして、明の炎柱と合体する。
「ふえご とるめんた」
明とひながリンガ・ビブリアで合唱する。二人を中心とした炎の竜巻が上空で、ろくろのように超高速で回転する。ぐうっと高度を下げて、地上の「岩の坂」の貧民窟を焼く。さらに背後の民家や商店も。石神井川から北の、上宿全体を焼き払っていく。
「これでDQ獣の巣は焼きつくした。DQ素はすべて浄火した。あたしたち二人がやったことだから、表からの複写はできない。それでいいのよね、ひなちゃん」
「そうです。もう裏を使っての奴苦獣生産はできません。板橋町は浄化されました」
「やったね! いい仕事したじゃん。最高のコンビだよね、あたしたち」
「明さん、万歳しましょう。万歳三唱です」
「ええ…万歳ですか?」
「誰もいませんから、恥ずかしくないですよ。さあ、ばんざーい」
「ばんざーい」と、明。
「ばんざーい!」と二人一緒に。
「ばんざーい!」と一緒にさらにもう一回。
二人の万歳三唱が、板橋町に響き渡る。




