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第十一章「岩の坂」

 奴苦獣(どくじゅう)巣窟(そうくつ)である、上宿(かみしゅく)(いわ)(さか)」への攻撃予定日。その日の午後、ひなは巨大な風呂敷包みを背負って「(うら)」にやってきた。「新藤楼(しんふじろう)」の上がり(かまち)に荷を下ろして「ふう」と息をつく。

「どうしたの、そんな大荷物」

 (みん)が尋ねる。

「家出してきました」と、ひな。

「家出?」

「昨日の夕方、山崎(やまざき)さんが家に来たんです。叔父とお酒を飲みながら、結納(ゆいのう)とか何とかの話をして。わたしも当事者として席につかされて、台所からお料理を運んだり、お(しゃく)したりしてたんですが、酔っ払った山崎さんがご不浄(ふじょう)に行こうと立ち上がった拍子によろけて、ヅラが大きくずれちゃったんですよね。叔父は見ないふりをしてたんですが、わたしは何かツボにハマっちゃって、『ヅラー』と指さして大笑いしちゃったんです。山崎さんはあからさまに気を悪くして、そのまま帰ってしまうし、叔父はめちゃ怒りまくりで、わたしに期日未定の外出禁止を申し渡したんです。図書委員活動も禁止。女学校にも行くな、って。それで今日半日はおとなしく部屋にこもってたんですが、何か馬鹿馬鹿しくなっちゃって。身の回りのあれこれを全部まとめて風呂敷に包んで、家を出て、そのまま『裏』への通用口をくぐって来ちゃいました。こんなことが自分にできたなんて、正直驚きです。明さん、あきれてますか?」

「いや別に、あきれてませんけど」

「明さんのおかげなんですよね」

「あたしの?」

「叔父の家を出ても、裏に行けば明さんがいる、と思ったら、何か心が弾んでしまって。同じ結婚でも、山崎さんみたいなんじゃなくて、好きな殿方(とのがた)にお嫁入りするって、こんな感じなんでしょうか。あるいは駆け落ちとか」

「嫁! 駆け落ち!」

 明の脳裏がヒートアップする。

「あ、あたしは、まだ心の準備が…」

「例え話ですよお」

 ひなはコロコロと笑う。

「でも、いよいよ今夜ですよね」

 きりりと表情を引き締める。

(ひなちゃん可愛いよひなちゃん)と明は不穏に胸キュンだ。


 二人にとっての「基地」である、遊郭(ゆうかく)「新藤楼」で、ひなと明は身支度を整える。

 ひなは三つ編みをお団子にして鉢巻を締める。たすきをかけて着物の袖をまとめる。下は(はかま)スタイル。手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)で手足をしっかり固める。足元はショートブーツだ。それら一式が風呂敷に包まれていたわけだ。

「とにもかくにも動きやすい格好じゃなきゃって、わたしなりに工夫してみました」

 ひなは、いつもの扇子の代わりに鉄扇(てっせん)を二本、帯にさしている。

「飛ぶのにはちょっと重いですが、強力な『フレチャ』を撃ち出せます。開けば盾として防御用、畳めば金棒(かなぼう)として攻撃用の武器にもなります」

「鉄扇ですか」

 明は思い出す。令和日本の京都の図書委員は、ひなのようなウェンタが主力で、上級生は「天狗(てんぐ)」を自称しているのだが、その標準装備は強化アルミ製の扇子だった。優美でカラフルな大和絵(やまとえ)を印刷して装身具に見せかけているが、実質は金属製の「武具」だ。飛ぶだけなら「軽さ」が有利。でも木と紙の扇子は武器としては貧弱すぎる。

(ひなちゃんは百年先の図書委員の戦術を先取りしている。もしかして「天才」なのかも)

 明は革ツナギにブーツのライダースタイルだ。拳銃を入れたショルダーホルスタ-を身につけ、バイクバッグを背負う。

「まずはマナの補給ね」と明。

 ひなは本郷派の「楚辞(そじ)」、明は板橋派の「古事記(こじき)」と、それぞれが所属する図書委員の流派指定の本を合掌した両手に挟み、念を集中する。本がぼおっと光り始める。ひなの「楚辞」は緑色に、明の「古事記」は赤色に。

「うぃんぶろー」と、ひな。

「いぐにっしょん」と明。

 それぞれウェンタとイグナの図書委員の起動ワードをリンガ・ビブリアで唱える。

 ひなには緑の光球、明には赤の光球が空中に生じる。それを両手から体内に吸収する。


挿絵(By みてみん)


「マナ充填完了。行きましょう、ひなちゃん」

「はい。明さん」

 明とひなはギュッとハグしあう。互いに、ちゅっ、ちゅっと二回、左右の頬にキスする。図書委員複数が戦いに赴く前の「友愛の確認」だ。実戦に臨んで、武運つたなく敗北し、二度と会えなくなる事態をも覚悟しての。

 明はひなにヘルメットをかぶらせてオートバイの後ろに乗せる。セルモーターを回してエンジンをかける。ひなが後ろからしっかり抱きついているのを確認して、ギアをローに入れてバイクを発進させる。いよいよ決戦へと出撃だ。板橋宿(いたばししゅく)の北の外れ、岩の坂へ。時刻は日没の直前だ。


 坂の下にバイクを駐めて待機する。明はホルスターから拳銃を抜く。ひなは帯に挟んでいた鉄扇を抜いて両手で構える。

 日が沈んでいく。周囲が夕闇に閉ざされるのを待ち構えていたように、明とひなの前方の地面から真っ黒な霧が染み出してくる。

 明がつぶやく。

「吸血鬼ドラキュラと戦う映画ってあるじゃない。よくあるのはドラキュラ城にたどり着いたら、ちょうど日が暮れて、ドラキュラが棺桶から出てくる、というの。あれ観て、馬鹿だなあって思ってたのよ。夜中に出立して早朝、日が昇ると同時に城を襲撃すれば、棺桶ごとドラキュラを火葬にできるじゃない、って。

 でも、今理解できた。棺桶に入っているのが本物のドラキュラかどうかは分からない。ダミーを火葬して勝ったつもりになってたら、夜になって本物が襲ってくるかもしれない。そして、相手が本物かどうかは実際に戦ってみなけりゃ分からない。敵の力を引き出した上で、正面突破で粉砕するんじゃなきゃ、完全にやっつけることにはならないって」

「映画…活動写真ってほとんど見たことがありませんが、明さんのおっしゃることは分かります」と、ひな。

「ここにいる奴らは、まぎれもない本物よ。DQ素(どきゅそ)がビンビンに匂ってきてる。息が詰まりそう」

 黒い霧が凝縮してテニスボールくらいの大きさになる。四肢を生やしてネズミのような形をとる。ラット級奴苦獣だ。その数五十、いや百?

「攻撃開始!」


挿絵(By みてみん)


 明が号令し、拳銃を撃つ。ぱあん!とイグナの真紅のマナが発射されてショットガンのように広がり、奴苦獣どもに命中する。ひなも両手の鉄扇を振るって「フレチャ」を連発で撃ち出す。明の拳銃一発で五匹、ひなの「フレチャ」でも一度に数匹は倒せるが、奴苦獣は後から後から湧き出してくる。

「これってちょっと、数多過ぎかも」と明。

 さらに明とひなを囲い込むように、左右の家や地面からも奴苦獣どもが出現する。

「明さん、後ろからも」

 今や、数百ものラット級が前後左右から、明とひなを包囲している。二人の攻撃を警戒してむやみに突っ込んではこないが、じりっじりっと包囲陣を縮めつつある。

「岩の坂だけじゃない。上宿全体にDQ素汚染が進んでいたんだ。あたしたちは今、地雷原ならぬDQ素原のど真ん中にいるってわけね。岩の坂の面積から割り出した敵戦力の、倍の火力を用意したつもりだったんだけど、敵の数は想定の四倍以上。いえ十倍近いかも。計算を間違ったかな。さすがに相手が多過ぎ」

「どうします?」

「転進しましょう」

「正面突破じゃなかったんですか?」

君子豹変(くんしひょうへん)、前言撤回。退却よ!」

 明はひなを後ろに乗せてバイクで走り出す。前方から迫る奴苦獣どもを()き潰し、包囲陣を突破する。そのまま石神井川(しゃくじいがわ)を越えて、仲宿(なかじゅく)へ。「表」への通路がある「路地」まで退却する。

「ひなちゃんは表に戻って。後はあたしが何とかする。最悪でもバイクで一晩逃げ回っていれば朝になるわ」

「ダメです。わたしも戦います。明さん一人を残して、ここから逃げるわけにはいきません」

 ひなは両こぶしを握り締めて断言する。その頬は紅潮し、瞳は絶対の決意に燃えている。

 ひなちゃんは当然そう言うよな、と明は思う。逆の立場なら、あたしも百二〇パーセントそう言うだろう、と。

 でも、天敵である図書委員の存在を感知したDQ獣は、バイクの(わだち)をたどり、あたしたちの匂いを追って、石神井川を渡って、中山道(なかせんどう)をまっすぐ攻め込んでくるだろう。総力を上げて。このまんまじゃ、下手すりゃ二人して「アラモの砦」状態で全滅だ。どうする、どうする、明? あたし自身はともかく、ひなちゃんを死なせないためには?

 明の脳裏で、ひなが無数の奴苦獣に襲われて、地面に倒れ伏し、そのまま力尽きる光景が浮かぶ。全力でそのイメージを消去する。明はしばし熟考する。

「あたしが変身すれば互角以上の戦いに持ち込めるかもしれない。でもマナが足りない。手持ちの『古事記』は残り五冊。ざっくりその十倍以上のマナ補給が新たに必要。でも、板橋町(いたばしちょう)には図書館も古書店もない」

「女学校に図書室があります」

「ひなちゃんが校長先生にお願いして去年開いたっていう図書室でしょ。本も皆新しい。新しい本じゃダメなのよ。古い本でなきゃ。それも大量に」

「古い本ならありますよ」

「どこに?」

「山崎さんのお屋敷です。大きな書庫があるって自慢してました。江戸時代からの古い本をたくさん集めてるって」

「それだ! 行きましょう、山崎屋敷へ」


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