第十章「悪の娘たち」
翌日から毎日、明は、ひなの奴苦獣退治を手伝った。コウモリ級は空を飛べるひなに任せて、キティ級、パピー級の地上型を拳銃で掃討する。仕事の後は「表」に戻るひなとバイバイして、「花の湯」で湯に浸かり、「新藤楼」で一人宴会だ。
明は仕事の片手間に、遊郭を回って帳場を略奪していた。持参のプラスドライバーにイグナのマナを込めて、引き出しの鍵穴に当てる。
「ぷるさーて えと あぷりえーとぅる」
リンガ・ビブリアの解錠の呪文を唱えると、ピンと音がして錠が外れる。引き出しを開けて、中の現金をちょうだいする。
ひなには内緒の悪事だ。一週間ほどで五千円をゲットする。
明は、ひなから聞いた大正十一年現在の米価を基に、令和との通貨価値の差をごくざっくりと試算していた。軽く千倍以上だ。すなわち、この五千円は令和日本においては五百万円以上に相当する。
明は紙幣を巾着袋に詰めて、ひなに差し出す。
「ひなちゃん、受け取って。拒否はダメ。あたしが許さない」
「明さん、でも、これって」
「あたしがあたしの責任でやったこと。ひなちゃんは関係ない。でも、これでひなちゃんは叔父さんの家から出ることができる。ロリペド爺と結婚しなくても済む。いいでしょ、それで」
「はあ。…うふふ、うふふふ」
ひなは笑い出す。明はきょとんとしている。
「ごめんなさい、笑ったりして。わたしも、こっそり『裏』からお金を盗んでたんです。学校のお友達と買い食いしたり、読みたいご本を買ったりするのに、叔父におねだりしなくてもすむように。でも、帳場には鍵がかかってたから取れなかった。明さんはマナの力で開けられたんですね」
「そうだったの」
「明さん、わたし、明さんが思ってらっしゃるように純情でも善人でもありません。けっこう悪い娘で、いろいろと悪事を企んでいるんですよ」
ひなは、にっこりと微笑む。
「悪い娘って、そりゃあたしは言わば確信犯ですけど、ひなちゃんは違うでしょ?」
「違いませんよ。山崎さんとの結婚だって、すんなり承諾して、その代わりに結納金をたんまり弾んでもらおうって期待していたりして」
「そんな、お金のためにジジイと結婚するなんて!」
「それで、式を挙げた後の初夜で、お布団に思いっきりおしっこを漏らしちゃったらどうだろう、とか」
「おしっこ?」
「その場で離縁されますよね、きっと。寝小便女房なんてとんでもない、って」
コロコロと笑うひな。
「このお金があれば、お布団を汚したりせずに済みます。ありがたくちょうだいいたします、明さん」
そう言って、ひなは深々と頭を下げる。
(大正娘って強いんだ)
明は内心で舌を巻く。自らの思い込みを反省する。
昔の女の子は弱いって誤解してた。親や殿方たちの言いなりになるしかない、無力な存在だって勝手に思い込んでた。でも、違うよね。貧乏な家に生まれついて、口減らしで「奉公」に出されるとか、「遊女」として売られるとか。あたしの時代じゃ思いもよらないことを、こどもの頃から身近に見せられ、自分もそうなるかもしれないって考えさせられてきた。そんな時代の女の子なんだ、ひなちゃんは。そんな運命に対しても絶望しない「強さ」を持ってなきゃ生きていけなかったんだ。
そして明は我が身を省みる。
どれだけ恵まれていたんだ、あたしは。お父さんはプロの無職で海外放浪。家の収入はお母さんが勤めてる編集プロダクションのお給料。それにあたしの図書委員としての活動による「寸志」がちょっとばかり。家は志村坂下の都営住宅の年代物のアパート。そこにお母さんと双子の弟たちとの三人暮らし。学校のクラスの友達と比較して「うちって貧乏?」と密かに思ってたりしたけど、「大正時代」のひなちゃんと比べれば、めちゃくちゃ恵まれてる。
ひなちゃんはほんと不憫で、不憫で可愛くて…と明の感情は暴走する。両目から涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「ひなちゃんって、ひなちゃんってば…」
明が突然泣き始めたので、ひなはびっくりする。明に歩み寄ってその身体をハグする。身長が違う分、めいっぱいに背伸びして。
「ひなちゃん…」
明はひなをハグして、さらに泣き続ける。
「ありがとう、ごめんね、泣いたりして。でも、でも、ひなちゃん」
「大丈夫ですよ、明さん」
明が落ち着いた後、ひなが説明する
「わたしなりに考えてみたんですが、今わたしたちがいる「裏」の世界は、「表」とは形だけがそっくりで、でも本来は『まっさら』な世界じゃないかと。例えて言えば「表」が絵だとして「裏」は絵を描く前の真っ白な紙。空には太陽も月も星もあり、大地があり空気があって川も流れていますが、それ以外は何もない世界。でも、板橋町だけは表と裏が繋がっていて、その結果、表の板橋町が、版画みたいに裏に写されているのでは、と。
裏の板橋町は表そっくりなんですが、違うところがいくつかあります。まず、人間が一人もいないこと。人間だけじゃありません。犬も猫も、雀やカラスなどの鳥たちも。魚や虫すらいないようです。いるのは奴苦獣だけ。表の『写し』で裏ができているのですが、地形や建物などの自然物や無機物、木や草のような植物は写せても、人間も含めて、生きている動物は写せないんだと思います。
もう一つ違うのは、水道から水は出ても、電気が来ていないこと。つまり、板橋町を中心として、板橋浄水場までを含んだ、ある程度の広さの土地が写されていても、そこから遠く離れた土地…発電所があるところまでは写されていないんです。
その写しなのですが、わたしたちが具体的に触れたり、動かしたりしたものは上書きできない。それもこの現象の特徴です。動物が写せないのと同じ理由だと思います」
「そう言えば」と明。
「あたしが食べたり飲んだりしたお膳や一升瓶はそのまんまだし、寝てたお布団もそのままなのに、それ以外のお膳やお酒やお布団は消えたり、位置が違っていたり、別のものに変わったりしてる。不思議に思っていたけど、そういうことなのね。でも、どうして?」
「そういう『現象』なのだ、としか言いようがありません。静止しているものをのみ、表から裏へと版画みたいに写し取る。でも奴苦獣にとっては都合が良いのではないか、と」
「DQ獣にとって?」
「明さんもご存じの通り、奴苦獣を生み出すのは、人間の心の暗い部分です。怒りとか恨みとか悲しみとか。それが大気中に滞って、やがて凝縮して真っ黒な澱となり、奴苦素となる。その奴苦素から奴苦獣が生まれるのですが、もしも奴苦素が表から裏に写されて、裏では表よりずっと早い速度で奴苦獣に変わるのだとしたら?
奴苦獣は動物みたいなものですから、上書きされずに裏に残ります。次に写された奴苦素も奴苦獣に変わる。それを果てしなく繰り返せば?」
「そうか。表のDQ素を裏で何千倍、何万倍に増殖させ、大量のDQ獣を生み出すことが可能になる。そのDQ獣は表に侵入し、DQ素を撒き散らす。それがまた裏に複写されて…」
「そうです。だから東京府内に比べて、板橋町の奴苦獣案件が十倍以上なんです」
板橋町の地図を開いて、ひなは明に説明する。
「『岩の坂』に奴苦獣の大きな巣があります」
「岩の坂?」
「上宿の一番北の、板橋宿の北の入り口です。わたしが最初に明さんに出会ったところ。だから思わず明さんに『人間に化けた奴苦獣かしら?』なんて言ってしまったんです。失礼でしたね。ごめんなさい。本当に」
ひなは明に向かって深々と頭を下げる。
「その巣を滅ぼせれば何とかなるかもしれません。わたし一人の力じゃ無理でも、明さんのイグナの火があれば、あるいは」
「臭いニオイは元から断たなきゃダメ、というやつね。やりましょう、ひなちゃん」
「ただ一つ問題があります。夜戦になります。岩の坂の奴苦獣は日が昇っている間は隠れているんです。おそらく身体を溶かして奴苦素に戻し、地面にしみこんでいるんじゃないかと思います。日没後に奴苦獣に戻って活動を開始します。闇の中での戦いは、かなり大変だと思います」
「敵の戦力を分析して、きちんと作戦を立てなきゃ、ってことね」と、明。
「大丈夫よ。おねえさんに任せなさい!」




