前奏
「そこのお前。
武器を床に置いて後ろの壁に背を付けろ」
ロングコートの男がそう言うと、呼ばれた男はため息をついた。
「どうしても置かなきゃダメか」
「別に今これを撃っても構わないが、そうするか?」
「んん……それは面倒だ」
男は渋々2本のサーベルを腰から外し、床に置いた。
「あと俺の名前はダフニだ」
「お前の名前などどうでもいい」
「あっそ」
ダフニはつまらなそうな顔をしながら後ろへ歩き、壁にもたれかかった。
そして、ロングコートの男ではなくワッシュを見ながら言った。
「なぁアンタ。
なんで今そいつを攻撃しなかった?」
「?」
「俺に意識が向いてたんだから、助けてくれてもいいんじゃないか」
ワッシュは僅かに視線を逸らし、ロングコートの男の右側を見た。
曲がり角になっており、ワッシュの視界には入っていないがもう一人誰かが殺気を放っているのを既に感知しているワッシュ。
「銃弾ごときを撃ち込まれたぐらいで死ぬようには見えないが」
「それはそうだ。
でも面倒臭い」
「こいつが撃ったら出てくるのは弾じゃないだろ……はぁ」
ダフニがそう言うと、ロングコートの男が口を開いた。
「もちろん俺もたかが弾1発ごときでお前達が死ぬとは思っていない。
とにかく動かず2人共そこに居ろ……俺"達"の目的はお前達じゃない」
そう言いながら向けている銃口の軌道は、2人の眉間を確実に狙っていた。
ワッシュは表情を変えることもなく、身体の力を抜いたまま銃口を見つめる。
(撃ちだされるのは実弾ではなく能力の一種だろう。
喰らったとしても私には意味が無いだろうが……)
(ここは事態の中心から遠い場所。
……狙いは人形達か?)
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ワッシュとダフニが出会う2分前。
メインホールでは、舞台の幕が上がり音楽団達が演奏の準備をしていた。
「もうそろそろ始まるかな!?」
「ちょっと、声抑えてセロットさん。
司会が出てきましたよぉ」
興奮気味のセロットを落ち着かせようとする鬼。
「そ、そろそろでス。
今に始まりますヨ」
偶然メインホールで出くわしたケバットも隣に居た。
縞とタノス、ユーラはいつでも武器を手に取れるよう腕に力を入れていた。
(呑気にしやがってこいつら……
どうせ気付いてるだろうが)
(多分もうすぐ……"始まる"。)
程なくして、司会の人形が喋り始めた。
「皆さんお待たせ致しましタ!
音楽団は夜だろうと昼だろうと夢をお届けいたしまス!!」
舞台の上にはキルシカ、ケタールス、ニメトン、ピクリニ、ボイを含む人形達が動かず待っていた。
「"地中のパレード"も楽しんで頂けたかと思いますガ!
我々は弾き足りない……歌い足りない!
夢は終わらせてはなりませン!」
「昨夜の演奏とは一味違った独自のメドレーを響かせましょウ……さァ! 心行くままニ!!」
音楽団の演奏が始まるよりも速く、銃声が先に鳴り響いた。
「ッ!?」
司会の人形は驚き、辺りを見回そうとする。
「全員動くな」
目元に傷のある男が、構えた銃を音楽団の方へ向けながら言った。
気付けば、メインホール内に居た乗客の半分以上が銃を構え人形達やセロット達に銃口を向けている。
震えながら両手を上げて固まっているツインテールの女性。
銃口を向けられながらも俯いたまま動かない老人。
顔面蒼白で動けずに居るヤツガシ。
表情を変えず止まったままのスマイルとポーカー。
ビホンとボディーガードも、相手を睨みつけながらも動かずに居た。
「えっえっえっ!
何、何!? 怖いよぉっ!」
「わぁっ! う、撃たないで下さいよぉ!
何もしませんからぁっ!」
狼狽えるセロットと鬼。
(迫真の演技だなこいつら……)
呆れながらも、ユーラは傷のある男の方を見る。
「なっ……何故こんなことをするんだっ!
演奏会が今にも始まるところなのにっ」
困惑した表情で相手を睨みつけるダビット。
縞とタノスも、ユーラと同じように傷のある男を見ていた。
「この船はたった今俺達が占拠した」
(うわ! ベタなセリフ!)
怖がるフリをしながらも笑いそうになるのをこらえるセロット。
「ノクゥ、俺の声は聞こえているな?
現状を伝えるとする」
メインホール全体に響くよう大きな声で言う男。
「船のあちこちに爆弾を仕掛けた。
仮に見つけたとしても全てを取り除くのは不可能だ。作りすぎたからな」
(ベタなセリフにベタな展開じゃん! 100点なの!?)
顔が震えてきたセロット。
何も知らない他の乗客達や人形達は、爆弾の存在に驚き不安を隠せないでいた。
「俺が今から言う手順でトイヴァーの地下室からありったけの金品を持ってこい。
脱出用の小型ボートも用意しろ」
(ただの強盗じゃ~ん!)
ニヤけた顔になってきたセロットは、次の言葉を今か今かと待っていた。
「もし俺の手順通りに始めなければ――」
「爆弾の解除方法は教えない」
その言葉に、セロットは表情を変えた。
(違った、少しはちゃんとしてたねこいつ)
「解除……方法?」
思わず呟いたケバット。
傷のある男は、懐から小さなリモコンのようなものを取り出しながら言う。
「既に爆弾のタイマーは起動済みだ。
このスイッチを押しても爆発するが、スイッチを破壊したところで解除方法がわからなければ10分後には爆発する」
「ッ!!」
人形達がざわつく。
「爆弾解除には最低でも5分はかかる。
今すぐ総員で取り掛かることをオススメするが……どうするノクゥ」
ツインテールの女性は、震えながらも自分に銃口を向ける男に聞いた。
「な、なんで……
トイヴァーへの案内と護衛をしてくれる優しい一団だったんじゃないんですか……?」
「関係のない奴を巻き込んだ方が上手くいくこともある。
運が悪かったな嬢ちゃん」
「そんなぁっ……」
近くで話を聞いていたヤツガシの目元から涙が出始めた。
(てことは……僕を案内してくれた人も同じ……
あぁぁ! まずいまずいまずい……このままじゃ……っ)
「どうした?
もうそろそろ1分が経過するが――」
「わ、わかりましタ!」
司会を務めていた人形が声を上げた。
「ブンダオ様、今すぐ爆弾の解除方法を教えて下さイ!
ノクゥ様より既に人形達全員に指令が出ましたかラ!!」
緊迫した声で言う人形。
ブンダオと呼ばれた傷のある男が言う。
「解除方法を教えるのは金品と脱出ボートが揃ってからだ。
甲板後部に金品を先に運び出せ……それを確認出来なければ意味が無い」
「は、はイッ!」
「甲板後部に金品を運び出した人形共には爆弾のある場所を教える。
既にあそこには俺の仲間が何人か待機しているからな
……それと、このメインホールに居る人形は1体残らず動かすなよ」
セロットと鬼は、何かに気付いたように僅かに表情を変えた。
(ん?
待てよ、こいつら――)
話を聞いていた縞も、違和感に気付く。
(ボートが先じゃないのは妙だと思ってたが納得がいった。
金品を運び出した人形から先に爆弾のある場所へ誘導する……
本当に逃げるつもりなら、ボートに乗り込んだ時点で爆弾の解除方法教えた方が足止めにはなるだろ)
縞はブンダオの後ろ姿と、他の仲間の顔を確認する。
(地下室を手薄にして……
狙うのはノクゥ本体ってとこか?)
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トイヴァーの甲板前部、後部。
2階、3階。
レストランやそれ以外の施設内部。
あらゆる場所にブンダオの仲間が配置されていた。
人形達に銃を向ける者。
他の客に銃を向ける者。
合図を待って待機する者。
外廊下から地中の海を眺める碧には、ブンダオの指示通り誰も近付かなかった。
もしもここで碧に誰か一人でも敵意を向けていたら何が起こっていたか。
それを知る由は無いが、碧に対してのブンダオの判断は正しかったに違いない。
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そして縞の推測は正しかった。
ブンダオは、銃口こそキルシカに向けているものの――
本当に見ているのは、音楽団の居る後ろ。
彼は、ステージの奥にある立ち入り禁止エリアから地下へ繋がる道があることを確信していた。
(懸念要素はまだいくらかあるが……これでいい)
(仮に途中で交渉が決裂しようが――)
(音楽団は確実に吹っ飛び、活路は開ける)
不安そうな顔つきのまま動かないキルシカを見つめるダビットの身体に力が入り始めた。
(いざとなったら……俺がっ……)
ダビットの緊迫した様子に気付いたブンダオの仲間が銃口の狙いを動かそうとした。
ダビットの肩を掴んだユーラが小さく呟いた。
「落ち着けダビット」
「っ!」
「こいつらは金品さえ運び出して逃げられればいいんだ。
だったら動かず待つしかねぇだろ」
「だが……っ」
ダビットの今にも動き出しそうな身体。
ユーラはダビットに声をかけながらも、思考を巡らせる。
(まぁ本当に金品が目的かどうかは怪しいけどな。
客の払った金品全部なんてたかがボート数隻で運び出せるわけがねぇ)
(何か起きたらどうせセロットが動く。
そしたら……前は縞が居るから後ろをやるか)
ユーラは背後に居る気配の位置を再確認した。
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1階の廊下で待機していたブンダオの仲間が、近くの床が突然動き出したことに気付いた。
(始まったな。
地下に潜んでいる人形達が金品を運び出す)
蓋を開けたように開いた床の中から足音がし、中から人形が出てくる。
「は?」
身長、およそ2m。
上下共に赤色の軍服、赤色の軍帽を被った人形。
右の腰にはサーベルを帯刀していた。
異様な雰囲気を察知した男が銃を赤い人形に向け――
赤い人形は、両手を構え男に襲い掛かった。