観光万歳?
鎖骨を少し過ぎた辺りでバッサリと切り揃えられている紫色の長髪、スラリと伸びる手足、男に好かれる事間違いなしの胸とお尻、あらゆる事象の全てを悉く見抜きそうな鋭い眼光。一見するとただただ美しいその外見の美女の頭部には、左右のコメカミ辺りから捻れた二本の角が生えていた。
明らかにヒューマンでも獣人でもない。かと言って、他に知っている人種とも違う。ハルちゃんの鬼人のように謎の種族であるのは間違いない。
そんな存在に俺が気付いて咄嗟に武器を構えると、それで他の面々も気付いたのか一斉に戦闘態勢へと移行した。誰も彼も油断など微塵もない。
そう、油断など全くしていなかったのだ。それなのにも関わらず、この場所に感動していたのは事実だが、同じ場所にポツンと佇んでいた美女に気付かない程に油断してはいなかった筈。
この空間に来た当初は誰も居なかった。それは間違いない。とするなら、この場所に感動している時に俺達が気付かない程に存在感を消して姿を現した事になる。
ゾッとせざるを得ない。全く気付かれないで行動するなど、以前に遭遇した超越者のベルセルクを嫌でも彷彿とさせる。
「反応はまずまず。だが、ここまで接近されたのはマイナスだ。オレをこれ以上ガッカリさせるなよ?」
ゾッとする程に恐怖を駆り立てる美女の声に、俺の全身がブルリと震えた。怖くて怖くて堪らないと言った感じだ。
その恐怖に対抗して、盾をグッと握り締めながら腰を深く落とす。謎の美女を相手に先ずは防御を固め、尚且つ俺に注意を向けさせる意味で構えた訳だ。
しかしそんな風に行動しつつも、頭では目の前の美女が日本語を話していた事実ばかりに思考が集中していた。そう、目の前の謎の美女は確かに日本語を話していたのだ。俺に理解出来る言語だったので間違いない。
「アハハハ! 健気な雄だ! 雌を守る為に逸早く構えて注意を集めようとはな!」
美女が声を発する度に悪寒が身体全身を駆け巡る。美女は間違いなく強者だ。それも想像を絶するレベルの強者。
「あ、アンタは何者で何が目的だ?!」
ジリジリと間合いを詰めつつ、恐怖に支配されまいと咄嗟に口から出た問い。この状況で本当に聞きたい訳じゃない。もう逃げられないと悟っている状況で聞くべきではない問い。しかし、咄嗟に出てしまった問い。
それを耳にした美女は、何故かガッカリしたように溜め息を吐く。
「おいおい、戦わねばならない状況というのは理解してる筈だろ? 何故そんな詰まらん言葉を吐く?」
言葉の最後に再び溜め息を吐いた瞬間、俺は無意識に行動を始めていた。生物にとって息を吐き出した瞬間というのは紛れもない隙となる為、これまでの数千を越えて万に達するだろう戦闘経験が無意識下での攻撃を可能にしたのだろう。
美女が息を吐ききって今度は息を吸う。その際に目で見て分かるレベルで動く胸を狙い、俺は突きを放った。
これは間違いなく決まった。そう思える最高の突きであったのは間違いない。
しかし、これは避けられてしまうだろうと経験が教えてくれてもいた。何故なら、俺の動きや相手の動きが全てスローモーションになっているからだ。これには覚えがある。超越者であるベルセルクと戦った時も同じだった。
あぁ、これは駄目だろうな。避けられた後に回避不能な一撃を食らうのだろう。
何もかもがスローに感じられる中、俺はそう考えながら自身の放った突きの結末を眺める。剣は十数センチも前に進めば突き刺さるが、ここから素早い動きで避けられてしまうのだろう。
諦めが混ざる中で少しずつ前へ前へと愚直に真っ直ぐ進む剣。その剣は、俺の予想とは反して美女の柔肌に到達した。
何故避けない、何故攻撃して来ない、何故、何故、何故、とそんな疑問がスローモーションの視界の中で繰り返し脳裏を過った。そしてその疑問は直ぐに判明する。
「っ!?」
「何だ何だ、油断させる為の言葉だった訳か? やるじゃないか挑戦者」
柔らかそうな乳房の間に突き入れた剣は、胸骨に阻まれたとかそんな次元ではなく、筋肉でもなく、皮膚によって防がれていた。意味が分からないが、今確実に起こっている目の前の現実だ。
その理解不能な出来事に、俺より少し遅く飛び出していたハルちゃんが足を止めて美女の横で絶句している。剣は上段に振りかぶったままの態勢で、俺の剣を驚愕の眼差しで見詰めていた。
「いいぞ。攻撃を仕掛ける瞬間は最高だったし、その後続の雌の動きも最高だった。惜しむらくは、腕力が著しく低い事だな。オレに挑むにはレベルが絶望的に足りん」
ガッカリして溜め息を吐いた時とは打って変わって、今度は嬉しそうに笑いながら一方的に喋り続ける美女。彼女は何者で何が目的なのか全く分からないが、そんなもの最早どうでもいい。
この異常な存在から逃げる術は無いだろう。帰還の杖を使用する隙も無いだろう。ならば出来る限りパーティーメンバーを逃がす事に集中するべきだ。俺に残された手段はそれだけだ。
「俺が殿! 全力で撤退だ!」
最悪でも俺が死ねば、メンバーは死を経験する事なく拠点へ強制的に帰還出来る。それを狙って、俺が最前線で戦って死ねる状況を生み出す為の指示を出した。
しかし、俺の指示はアッサリと無視され、メンバー全員が謎の美女に対して攻撃を開始してしまう。これまで一度も指示を違えた事のないメンバーが、全員一斉に無視したのだ。
その事に混乱している間に、魔法やら接近戦攻撃やらを駆使して全力で戦うメンバー。本当に容赦無く繰り出される攻撃は、一撃一撃がその辺のモンスターなら必殺となる威力だ。
「ワタクシ達にはマスターの考えが手に取るように分かるぞ!」
「そうです! だからこそ指示には従いません!」
「種族進化したアタシとナっちゃんの力を見せ付ける時!」
「妾の前にひれ伏すのじゃ!」
「僕に任せときなって!」
「マスターは死なせないわ!」
「フシャアアアア!」
「ワァオーーーーーーーーン!」
「ウチのハンマーを食らってろですぅ!」
攻撃の合間に叫ぶメンバーの言葉を耳にして、俺はこそばゆい思いに嬉しくもあり情けなくもあり、堪らず大きな声で叫んだ。絶望的な状況で、ただ絶叫した。心の底から溢れる熱い何かに身を委ねるようにして、ただただ叫んだ。
すると何が起きたのか判然としないが、恐怖が吹っ飛んだ気がした。色々と吹っ切れたのかもしれない。彼女達と肩を並べ、命を天秤に全力で戦おうと、無意識にもこの時そう決断したのだと思う。
「勝てんと理解して尚抵抗するその気概は素晴らしい。普通なら現実に絶望し、自身の未来を想像し、嘆き悲しむものだ」
俺を含めて全力全開での攻撃が幾度も幾度も美女の身体へと到達するが、その全てが悉く効いていない。全てがただの皮膚によって阻まれているのだ。本来なら命に届く攻撃が、こうも通じないとなると笑うしかない。
「それぞれの武器を考慮しての連携も申し分無い。威力は物足りんが、一つ一つの攻撃のタイミングも悪くない」
喉だろうが鳩尾だろうが攻撃の一切合切が通用しない。ゾウに立ち向かう蟻の気分だ。まさに絶望的である。
だが、心の底から沸き上がる熱い何かが諦めるという事をよしとしない。足掻いて足掻いて足掻き続けろと言われているようにすら感じられる。
「よく分かった。戦闘に関する技術や心意気は及第点をやろう。しかし、やはりレベルが圧倒的に足りておらん。この程度ではこのダンジョン内でもそこそこ存在する実力者としか言えないぞ、挑戦者の雄よ。
折角だ、オレの力を肌で感じて学ぶといい」
一方的に喋り続けていた美女が、微笑みながら一転して攻撃を始めた。辛うじて見える速度で放たれる回し蹴りや前蹴りによって、メンバーは回避するどころか防御する事すら満足に出来ず吹き飛ばれる。しかもそのダメージは甚大で、骨折やら脱臼しているのが目に見て分かった。
ヤバいと感じた俺は大きく一歩退くと、全力の火球を放つ。ただただシンプルに巨大な火球は、謎の美女目掛けて突き進む。
しかし、美女が朗らかな笑みで巨大な火球を手刀で簡単に掻き消してしまう。あのベルセルクを彷彿とさせる現象だ。
そう思った次の瞬間、謎の美女は俺の真横に立っており、満足そうにニヤリと笑んだのを確認した次には強烈な蹴りを胸に食らって吹き飛ばれる。金属製の胴鎧が凹む轟音と割り箸を折ったような耳障りな音が響いたが、恐らくその耳障りな音の正体は肋骨の数本が折れてしまった音なのだろう。
地面に大きく叩きつけられた俺の身体は、二十メートル程の距離を吹き飛ばされて漸く止まってくれた。しかし、止まってくれたとて嬉しくはない。胸が焼けるように痛いからだ。痛くて痛くて堪らない。
だが、その痛みをグッと堪えて立ち上がると、謎の美女は至極満足そうに頷いた。
「レベルは低いがやはりその心意気は素晴らしい。様々な人種の様々な者達を見てきたが、そんなオレでもここまでの気概を持つ者とは初めての邂逅だ。
ともあれ、どうだ? かなり手加減したからオレの攻撃は見えただろう?」
「…………ぐっ。何がしたい? 何の目的があって━━━」
「挑戦者の雄よ。ダンジョンを踏破したいのなら、まだまだ強くなれ。そしてオレの番として相応しい力を付けろ」
「っ?! な、何を━━」
「久しぶりに動いたら腹が減ったな。次を楽しみに待ってるぞ、挑戦者よ」
謎の美女は、また一方的に話すと視界から消え去った。恐らく目で見えない速度で駆けているのだろうが、本当に視認すら出来なかった。
日本語を喋れるとか、俺の事を挑戦者だと知ってるとか、此処がダンジョン世界だと理解してる事だとか、聞きたい事が山程にあったのに、俺の脳内には番って何を考えてんだあの美女は、という疑問しか残らなかった。




