初陣
掲示板の雑談スレを見て、それを参考に色々と必要な品々を購入した俺は、銅の剣を装備して実際に振ってみた。
だが、剣道の経験など無い俺にはこれがちゃんとした素振りになっているのかすら分からず、素振りをしてみた結果に首を捻るしかない。
そう、俺は剣道に限らず、武術の経験が全くと言っていい程に皆無なのだ。
「……不安しかないんだが」
俺のように武術未経験の者など沢山居るだろうと思われるが、その人達は大丈夫なのだろうかと心配になる。
まぁ俺が人の心配をしている余裕は無いと言えば無いのだが、それでも考えてしまうのだ。
しかし、もし迷宮内で死んだとしても、俺達挑戦者や使い魔は復活出来るのだから、その辺りは心配する必要はない。
怖いのは怪我に対する事柄で、痛みのせいでトラウマとなり迷宮探索が出来なくなってしまうのではと考えてしまって、そう思うと不安になるのだ。
「でも行くしかねぇよな。DP稼がなきゃ餓死するし」
少し怖い思いもあるが、行くしかないのだと己を鼓舞し、俺はいつの間にか出来ていた迷宮へと続く扉を開いた。
そして、その扉の先を覗いて生唾を飲み込む。
よくあるビル内の通路のようなトンネルが、まるで挑戦者が来るのを待ってましたと言わんばかりに鳴動したように見えて、知らず知らず鳥肌が立った。
「怖ぁ……」
恐る恐る一歩を踏み出し、扉を潜る。
迷宮の通路は、横幅5メートル程で高さは同じく5メートル程。余裕をもって剣を振れるだけのスペースはあるようだ。
ドキドキと激しく鳴る心臓を宥めるかのように、俺は優しく胸を何度も擦る。
「よし、行くぞ」
不安ばかりが心を支配するものの、俺は勇気を振り絞って進み始めた。
出来る限り足音は鳴らさないように、ソロリソロリという感じの実に遅い速度ではあるが、前方を睨み付けるようにして注意深く進む。
そうして暫くはモンスターと遭遇せずに居たのだが、通路を進み始めて200メートル程すると事前情報通りの臭いモンスターに遭遇した。
「うわぁ………マジでゾンビが居るじゃん。スッゲー怖いわ」
映画やゲームで見るようなゾンビが、両手を前に突き出した状態で呻いている。
まだ此方には気付いていない様子で、何やら壁へと視線を向けているように見えた。
それを見て今がチャンスだと悟った俺は、数度の深い深呼吸の後に全力で駆け出した。
ゾンビが俺の足音に気付いて此方へと視線を向ける前に間合いに入ると、躊躇無く銅の剣をゾンビの後頭部へと打ち込む。
剣の刃が上手く当たらなかったせいでベキャッと嫌な音が鳴り、そして剣を掴む手に届く鈍い感触に顔を顰める俺の前で、ゾンビはうつ伏せの姿勢で倒れた。
「………死んだのか?」
倒れ伏したゾンビが死んだのか分からず、俺はじっと見詰め続けた。
するとゾンビの肉体が、うっすらと透け始めたかと思えば回復薬らしき物を残して消え去った。
「アイテムか? 事前情報では無かったけど……」
回復薬だと思わしき代物を片手に掲示板の内容を思い出してみるものの、それっぽい情報は無かった筈だと小首を傾げる。
スケルトンからは錆びた剣、そしてゾンビからは何も無かった筈だ。
「レア物とか? それとも、他の挑戦者はたまたま手に入らなかっただけとか?」
よく分からないが、何はともあれ記念すべき初アイテムには違いない。
案外ゾンビは楽に倒せたし、これなら正面から戦っても問題無いだろう。
そう機嫌良く思いながら、俺はアイテムボックスとやらを念じる。
すると何も存在しなかった目前に、突如異次元へと繋がる拳大くらいのトンネルが出現した。
「これがアイテムボックスってヤツ? 手を入れて本当に大丈夫だろうな?」
おっかなビックリと言った感じで、手に持つ回復薬らしき代物を入れてみた。
少し変な感覚を感じたが特に何も起きず、俺はアイテムを異次元空間で手放し、空になった手を引き戻す。
「お、おぉ……どうなってんのか分かんないけど、こりゃ便利だなぁ」
確か探索中に手に入ったアイテムは、一度アイテムボックスに入れると拠点に帰らない限りは取り出せないと説明に記してあった筈だ。
それと、拠点に自力で帰還せずに死んで強制転移させられた場合は、探索中に取得した代物の全てを失うらしい。
その事実を考慮すると、確かに便利に感じはするけど一長一短なのだなと少し落胆もする。
まぁそれでも便利は便利なので、これからも取得した代物は全てアイテムボックスに入れるつもりだが。
ともあれ、初戦闘は無事にこなせた。これなら俺でも充分にやっていけそうだ。
しかし、油断は禁物である。ゾンビとは戦ったが、スケルトンとはまだ戦っていないので集中を切るべきではない。
「……スケルトンは剣を所持しているらしいし、多分ゾンビ以上に危険度は高いんだろう」
初戦闘を楽々と勝利に終わらせた俺だが、ここで弛む精神をビシッと締め直し、スケルトンを探して通路を進み始めた。
そして、その目的のモンスターとは直ぐに遭遇する事に成功する。ゾンビとの戦闘場所から僅か100メートルほど移動した曲がり角での対面だった。
遭遇したスケルトンは既に此方へと視線を向けており、明らかに俺の存在に気付いている。
背後からの一撃を打ち込むのは不可能だと諦める他無かった俺は、剣を野球選手のように構えながらジリジリと間合いを詰めた。
剣が届く距離になったら全力フルスイングしてやろうという算段だったのだが、此方の想定を無視してスケルトン野郎は剣を上段に構えたと思えば突撃して来た。
その速度は人間からしたら遅いと思えるものの、自分の想定外の動きをされた事で軽いパニックに陥ってしまった俺は、頭が真っ白になって身を強張らせてしまう。
まるでスローモーションのように振り下ろされ始めた剣を見ながら、他人事のように『あっ、ヤバいんじゃね?!』などと考える。
しかし真っ白になっていた頭とは正反対に、身体は勝手に反応してくれた様子で、一歩だけだが後退する事に成功していた。
それが功を奏して、スケルトンの振り下ろした剣は俺の額の薄皮を切り裂くだけに留まった。
その事実を認識した俺は、半ば反射的に銅の剣を出鱈目に振り回す。
きっとその姿を客観的に見ていれば、正に目も当てれないという状態なのだろうと思う。
だが、此方としては本当に必死な行動の結果であり、頭で考えている余裕など微塵も無かったのだから仕方ない。
「う、うわうわうわぁぁぁああ!!」
滑稽にしか見えないだろうその出鱈目に振り回される剣は、何度か空振りになるもののスケルトンの頭部を強かに打つ事に成功。
バキッという大きな打撃音とともに、スケルトンの頭蓋骨に罅が入り、それと同時にスケルトンの頭蓋骨だけが地面へと落ちた。
それを見てスケルトンの死だと認識してホッと胸を撫で下ろす俺は、その瞬間に額から滴る血によって視界が塞がれ、もう少しで死ぬところだったのだと気付き背筋に冷たい感覚を覚えた。
「あ、危なかった。……剣道五段の奴の情報を鵜呑みにするのはヤバいな」
掲示板に書き込まれていた情報では、ポカをしない限りは余裕であると書いてあった。
だが、それはあくまでも剣道五段の奴の感覚ではという話であって、俺のような武術未経験の者では充分危険度が高い話なのだと今になって理解させられた。
「もうちょっと慎重に行動しよう」
可能ならば、背後からの一撃を狙えなければ諦めるという選択肢もある。
と言うより、俺のレベルが上がるまではそうするべきなのだろう。
そして充分にレベルを上げたならば、その時には正面から戦ってみればいい。
「安全第一を心掛けてやるべきだな」
ゾンビを倒せたからと油断していた。いや、油断したつもりは無かったのだが、そもそもゾンビとは正面から戦って無かったので、それはつまり戦闘にもなっていないという事だ。
それなのにも関わらず、俺はゾンビとの戦闘に勝った気でいた。それが何よりの間違いだったのだ。
そんな風に正しい認識をした俺は、その後はモンスターに見付かる前に此方が先に発見する事を旨とし、確実に無防備な背後からの強烈な一撃を叩き込む事を心掛けた。
そして一体一体確実に仕留めながら進むと、軈て下へと続く階段を発見する。
どう考えても下層へと続く階段なのは間違いなく、しかし当座の指針を立てた俺は下層へと続く階段を前に踵を返し、拠点へと戻る事にした。
下層に行けば、恐らく遭遇するモンスターも強くなるだろうと思えたからで、拠点に戻る判断は間違っていないと思えたからの帰還の選択である。
まぁ帰還を選択したと言っても、どうやら再びモンスターはリポップしているらしく、真っ直ぐの帰還とはいかなかったが。
しかし、レベルを上げる事が目的となった俺には好都合であり、確実に背後からの一撃を入れる事に注意して無事に帰還を果たした。
「………メチャクチャ疲れたわ」
無事に帰還出来たという事実に気が緩んだのか、ドッと疲れが押し寄せて来るのを感じながらパソコンへと向かう。
初めての迷宮探索は終了した訳だが、確認しなくてはならない事が沢山あるのだ。
先ずは、戦利品の確認とその戦利品をDPに変換する事。次に自分のステータスを確認する事。
ステータスはパソコンでしか確認出来ないので、レベル上昇に必要な経験値が貯まったかどうかは迷宮探索中には分からないので致し方ない。
「えぇと………錆びた剣が三十四本に回復薬が二本か。ゾンビとは20回以上戦った筈だけど、アイテムドロップの確率は低いみたいだな」
スケルトンは必ず錆びた剣を落とすが、その反面ゾンビはなかなかアイテムを落としてくれず、手に入れられた回復薬は二本だけだった。
恐らく、回復薬というのがレアなのだろう。
だとすると、DPに変換したら高い値段がつく可能性がある。
そう考えると疲れが吹っ飛ぶのを感じ、俺は期待を込めてカーソルを売買へと移動させクリックした。
モニター画面が切り替わると、購入、売却、出品、という三つの選択画面になる。
その中の出品は挑戦者達の間でアイテムのやり取りが出来るツールなので、今は関係無いので無視し、俺は売却を選択してクリックする。
するとテーブル上に置いた戦利品の全てがパソコンに表示され、その品物の正式名称を知れる事が分かった。
★★★★★★★★
錆びた銅の剣×34
毒消し薬(下級)×2
★★★★★★★★
回復薬だとばかり思っていたが、どうやら回復薬ではなく毒消し薬だったらしい。
そうと分かって見てみれば、確かに初心者セットにあった回復薬とは色が違っている事に気付く。
回復薬は薄い水色をしているが、毒消し薬は薄い緑色だ。
「ん? ゾンビから毒消し薬が手に入るという事は、もしかしてゾンビの攻撃を食らうと毒状態になるのか?」
大抵のゲームでは、毒を持つ生物を倒せば毒消しのアイテムが手に入ったりする事が多い。
ともすれば、ゾンビの攻撃を食らえば………無いとは言えない可能性の一つだろう。
思わずゾッとして鳥肌の立った腕を擦る。
「危なかったかもな。……どんな毒だったんだ?」
俺は一度もゾンビの攻撃を食らってないので分からないが、その効果次第では死んでいた可能性すらあったかもしれない。
そう考えると、動きの遅いゾンビとは言え決して油断していい敵ではないと言える。
「明日は今日以上に注意して探索するべきだな」
俺は決意を新たに、毒消し薬は必要になるかもしれないので残す事にして、錆びた銅の剣は全て売却する事に決めた。
そして、売却した後に画面に示されている自身のDPを視認して首を傾げる。
戦利品を売って増やしたDPにしては、明らかに多過ぎるのだ。
「は? 何でだ?」
不自然に増えたDPに対して、理由は知らないけどラッキーなどと楽観的にはなれず、俺は真面目に考察した。
それで思い出したのだが、モンスターを倒していれば確率でDPが入手出来る事を思い出す。
確か十分の一の確率だった筈だ。
「成る程。それで850DPもあるんだな」
初期DPを上回る結果を初日で出した事に、俺は自然と笑みが浮かんだ。
幸先が良いと思える結果を目にすれば心が弾む。
「よしよし、いい感じじゃん」
この分ならベッドの購入も意外と早いかもしれない。
まぁそうは言っても一番安いベッドであるが、それでも回復を早める作用があるらしいので今は切実に欲しい一品なのは間違いない。
明日の探索で今日よりも少し頑張れば、恐らく手に入れる事が可能だろう。
嬉しい事実に笑みを深くする俺は、テーブル上に残っていた毒消し薬をアイテムボックスへと収納し、マウスを操作して自身のステータスをチェックする。
★★★★★★★★
level:3 +3
名前:久遠湊
性別:男
種族:ヒューマン
ギフト:テイム、アイテムボックス
スキル:無し
武器:銅の剣
盾:無し
頭:無し
胴:布の服
腕:布の服
足:布の服
装飾:無し
★★★★★★★★
レベルが3になっている事に、俺の気分は更に良くなった。
倒したスケルトンとゾンビを合わせれば、多分六十体を越えるモンスターと相対して倒した筈だ。
そこまで頑張ったのだから、このレベル上昇はかなり嬉しい。
レベルが上がれば身体能力が向上すると説明に書いてあったのだから、きっとあらゆる面で強くなっているのであろう。
明日の探索が楽しみに思えてきた。
俺は気分の高揚を感じつつ、初心者セットで手に入れていたパンを一つ手にしてニヤニヤと笑みを浮かべながら口に運ぶ。
そして、噛んで心底ビックリした。
「硬っ!? え? ……いやいやいやいや、これパンの硬さじゃないんだが」
嬉しさが吹っ飛ぶくらいのパンの硬さに、自身の噛み跡があるそれをまじまじと見詰める。
「……一番安い便器は中古品だったよな。つまり、他の製品も一番安いのは中古品なのだろう。或いは、メチャクチャショボいんだろうな。
で、食品関係の一番安いのは………こういう事って訳か?」
水に浸して食べるとかしないと、とてもじゃないが食べられそうにない。
少なくとも、俺の顎では無理だと思える。無理して食べていると歯が悲鳴を上げる事になるだろう。
「……ベッドを明日に購入というのは無理そうだ」
必要な栄養を摂取する為には、様々な調味料や食品が必要不可欠だし、歯の為にも少しいいパンを買わねばならない。
とするなら、明日にベッドの購入というのは無理。少々我慢しなければならないだろう。
上げて下げるという事を狙ってやった訳ではないのだろうが、少し神様が恨めしく思えた瞬間だった。