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階層の主

 チュートリアル迷宮の十階層には、階層主であるミノタウロス以外のモンスターは存在しない。そして、九階層までの通路とは違って巨大なミノタウロスが十全に動ける為に拵えてあるのか、とても広く大きな通路が蟻の巣のように広がっている。

 そんな十階層の第一印象は、臭い、の一言。一階層や二階層での腐臭とは違う獣臭だ。

 動物系のモンスターが出現する階層でも獣臭はしたが、しかしその匂いとは圧倒的に異なる重い匂い。そして嫌になる程に肌をピリつかせる言い様の無い緊張感には、思わず生唾を飲み込んでしまう。

 これまでの階層とは大きく違うその異様な十階層を進む事一時間、俺達は標的となる巨大なモンスターと対峙した。


 一目見て分かるその巨大な体躯。

 丸太の如き太い(かいな)

 二本の凶悪そうな捻れた角を生やす牛の頭部。

 数百キロはあるだろう鉄の塊としか思えない巨大な斧。


 この一ヶ月半、毎日イメージトレーニングしていたよりも遥かに恐ろしい姿をしたミノタウロスが、荒い鼻息で此方を視認していた。

 その視線を受けて、俺はこれまでに感じた事の無い恐怖を全身に叩きつけられた。

 何より恐怖を抱かせるのが、ギョロギョロと忙しなく動くミノタウロスの目だった。

 人間の目ではない牛の目が、確かに此方を見ている。

 その目がより一層の恐怖を感じさせ、俺は息をするのを忘れる程には身体を強張らせていた。


 怖い。

 逃げたい。

 拠点の中に籠りたい。


 そんなネガティブな想いが脳内を支配しようと渦巻く中、俺は無意識に叫んでいた。

 ウワァアだかオラァアだか自分自身でも分からないが、確かに俺は腹の底から精一杯に叫んだ。


ダヴァイッッ(掛かってこいや)!」


 無意識に叫んだ後の挑発を、何処ぞのロシア死刑囚を彷彿とさせる言葉を発する自分には心底疑問を感じるが、何故かその言葉を選択して無意識に発した直後、俺は駆け出していた。

 これは恐怖によって暴走した訳ではない。戦闘でのいつもの通りに、俺が敵の注意を引き付ける為の戦略である。

 無意識の叫びや無意識の挑発もそうだが、この行動も無意識のものだった。多分、毎日そうして過ごしていただけに、無意識の領域まで染み込んだ行動だったのだろう。

 この無意識の行動だが、これが何よりも幸運であった。何せ、他のメンバーも恐怖によって身を強張らせていたらしく、この俺の行動によって恐怖という足枷から解放されたのだから。


 そうして始まった戦闘では、俺が主にミノタウロスの攻撃を受け、その間に仲間が火魔法で攻撃を加えるという展開になった。

 ミノタウロスの一撃の破壊力は凄まじく、巨大な斧を持つ太い腕が振り下ろされると地面が爆発したかと錯覚する程で、それ故に一定距離から魔法を連発するというのは正道である。

 だが、仲間がその攻撃方法を選択している間は、常に俺の安全が脅かされているという事でもあり、少しの選択ミスで直ぐに俺が死んでもおかしくなかった。


 ミノタウロスが横に振った斧をしゃがむ事で頭部スレスレに避け、その隙に仲間による火魔法の火球がミノタウロスに直撃。俺はミノタウロスの皮膚が焦げる匂いを嗅ぎながら、次に振るわれる斧の動線を予測しつつ体勢を整える。

 そして火傷の痛みに苛立つミノタウロスが再び斧を振りかぶるのを見て、そこから繰り出される斧の行方を察して事前に回避行動に移る。その結果は勿論、無事に避ける事に成功した。

 そこでまた仲間からの火魔法が炸裂し、ミノタウロスはその火球が頭部に直撃した事によって毛がチリチリと音を立てて炎上した。


「チャンスだ! 最大級の火魔法を放て!」


 ミノタウロスは頭部の毛が燃えているのが原因で、呼吸が出来なくなっているらしく激しくのたうちまわっている。紛れもないチャンスだ。

 これ以上ミノタウロスの攻撃を回避し続ける精神力や体力が俺には無い。巨大なミノタウロスを前にプレッシャーを感じずに行動するなど無理なのだから、どうしても全身に無駄な力が入って余計に体力を消耗してしまうので仕方がないのだ。


 それ故に、後の事は考えずに全力の火魔法を仲間に要請し、仲間はその言葉に従って最大の火球やら火炎放射を放ってくれた。

 俺はそれに追従する形で、自身も身に付けていた火魔法の火球を放つ。


「ブモォオオオオオオオオッッッ!!!!!」


 ハルちゃん、ナっちゃん、アキ、フユ、そして俺の火魔法が直撃し、ミノタウロスは巨大な炎に包まれた。

 通常のモンスターにはこれ程に苛烈極まる攻撃などしないが、このミノタウロスにはそれでも即死の攻撃にはなり得ない。

 それを勇者の詳しい戦闘結果の報告から知っていた俺は、更にナっちゃんへと追加の指示を出す。弓での更なる攻撃である。

 それで燃えながら針鼠のようになったミノタウロスは、火が徐々に収まるにつれて動きも呻きも小さくしていった。


「まだまだぁあ!!」


 もう勝利は確実だと思えるが、しかし俺に油断は皆無。ミノタウロスにバーサクモードというのがあると推測されているのだから、完全に死に絶えるまで気を緩めるつもりはない。

 それ故に、火が収まって露出した部分の首を目掛け、俺はその太い首を両断する勢いで全力をもって鋼鉄の剣を振り下ろす。


 銅の剣や鉄の剣より遥かに切れ味のいい鋼鉄の剣は、ミノタウロスの首を半ばまで切り裂く事に成功。完全に切断出来なかったのは、単純に俺の腕力の無さと技術の無さが原因だ。

 しかし、首の半ば程までを切断する事に成功したのだから、これで死んだ筈である。


 そう思い一歩後退した瞬間、地に伏せていたミノタウロスが真っ赤に肌を変色させながら立ち上がった。しかもただ立ち上がっただけではなく、首も半分切り裂かれて頭部を完全に支えきれず顔を斜めにしているのに、その状態で素手の強烈無比な一撃を俺の鋼鉄の胴鎧に目掛けて打ち込んで来たのだ。


「なっ!? ━━━ぅぐっ?!?!」


 凄まじい轟音が自身の腹部から響き、その轟音の次には十メートルも軽々と吹き飛ばされて、そこから何度も地面を跳ねながら止まった時には、ミノタウロスから二十メートルも距離が空いていた。

 その事実に驚愕するが、それよりも呼吸が出来ない事実に心底焦る。そして胃が自身の意図とは別に、胃の中身を外に出そうと必死に押し出し始めた。


 呼吸が出来ず、内臓である胃が勝手に動く中、ふと胴鎧へと目を移せば大きくベッコリと凹んでいて、そんな諸々の現象にパニックになる俺は、ミノタウロスが炎上していた時のように今度は俺自身がのたうちまわる番となった。

 そんな俺の状態に気付いたのか、ハルちゃんが俺へと駆け寄って俺の胴鎧を無理矢理にひっぺ返す。それで漸く吐瀉物を吐く事が出来たかと思えば、それによって次には大きく酸素を吸えた。


「グハッ……!! ………ハァハァハァ。あ、ありがとハルちゃん、助かったよ」


 咳き込みながら呼吸を整え、それでまともに話せるようになってハルちゃんへと精一杯の感謝を述べた。

 そして俺をこんな目に遭わせた元凶へと視線を移せば、ナっちゃんやアキやフユから火魔法による集中砲火を受けており、それを嫌ったミノタウロスが真っ赤に変色した体躯を動かしナっちゃんへと巨大な斧を振る瞬間だった。


 それを見て危ないと叫ぶ余裕すらなく、ナっちゃんはミノタウロスの一撃を受けて俺と同様に吹き飛ばされるのを目にした。絶句した。

 だが、ミノタウロスの反撃はそこまでだった。半ばまで切り裂かれていた首が、ミノタウロス自身の激しい動きについていけず、その結果、真っ赤な血飛沫を上げつつ頭部が千切れ落ちたのだ。

 そして頭部を失った身体は、ゆっくりと血煙を撒き散らしながら背中から倒れた。

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