55.劇場の火遊びを消火せよ! 前編
「デートがしたいですわ! デート! デート!」
マリーが騒いでいる。
先日、太助とヘレスが、ホンヘイでデートしてきたのがうらやましくて仕方ないらしい。デートってことは、もちろん狼男のジョンと、ということになる。
「……太助。おぬしなんとかしてくれんかの」
さすがにルミテスもうんざりしていた。
「マリーさんにも休み必要でしょ」
ベルも気にならないようだ。むしろいないほうがいいのかもしれない。
「……休みほしかったら休んでいいですぞ。太助殿と私でずっとやってきておりましたしな、何とかなりますな」
ハッコツは別に気にすることもなしにあっさりとOKした。
「オレ、いらない子……」
ジョン。なぜお前が気を落とす。
「おー、行ってこい行ってこい。デートは楽しいぞ!」
ヘレスとラブラブな太助は、バカップル特有の「他のカップルにもこの幸せを分けてあげたい症候群」に脳を犯されている、というわけでもない。
「……ジョン、働き詰めはダメだ。お前つぶれるぞ? 『自分がいないと人が死ぬ』とか考えすぎるな。消防士だって自分の人生楽しんでいいんだ。な?」
太助にも覚えがあったことである。
人の命を預かるという多大なプレッシャー、自分が動かないと人が死ぬという過剰な責任感。そのことから休み無しでぶっ通しで働き続けていた時期もあった。
消防士として失格。一度死んだ太助はその不名誉を挽回しようと、この世界で取りつかれたように働いていたのかもしれない。
「自分はいつ死んでもおかしくない」
今日の日常は、簡単に全部が無くなってしまうのだ。死とは、そういうものだと死んでわかった。
だから死ぬ前にやっておかなきゃならないことを全部やるんだと。後悔が無いようにと思い込んでいた。
ヘレスと付き合うようになって、彼女との時間も作らなければと思うようになったのは事実である。ある意味、ヘレスは太助の救いとなっていたのかもしれない。いつまで一緒にいられるか、太助にも全くわからないのだ。だからこそ、一緒にいる時間が尊かった。
ジョンにだって心の余裕は必要だと思う。それが無ければ現場で引き際を誤って死ぬかもしれない。
それにパレスは空を飛んでいる。ある意味、空の牢獄であった。
「国際救助隊の連中はよくあの小島で我慢できていたなあ。いくら大金持ちでも、あんなところに兄弟五人でよくやってたよ」と変なことも考えてしまった。
太助は、ジョンにも、人生を楽しんでほしかった。
もうお前は奴隷じゃないし、彼女だっているんだからさ、と。
「………………デートってなにやるんだ?」
「そこからか……」
うなだれるジョン。言われてみれば太助もヘレスが初めての彼女で、ホンヘイでやったことと言えばレストランで食事して、ラブホ泊まって、散歩して買い物しただけだった。内緒で挙げた結婚式は人生の大きなイベントだったが、今は全て溶岩の下で、二人の思い出に残るだけだ……。
「全く心配いりませんわ!」
マリーがジョンの腕に抱き着く。もっふもふ、もっふもふの感触を楽しんでいる。
「わたくしの住んでいた街、イタルアの首都ナポリタンにいたします。わたくしがどこでもご案内できますわ!」
「ローム共和国とイタルアって違う国なの?」
「わたくしのいたイタルアは地方公国ですわね。ローム共和国は都市連合国家なのです」
確かに、ブーツみたいな形をした半島の中にイタルア公国があり、その上位はローム共和国で大統領がいて、飛び地を任されている市には大公がいて、さらにルミテス教総本山ローム教皇国は独立した市国でと複雑なのだ。
ロームはかつてのローム帝国。地中海の王者であった。帝政はずいぶん昔に廃止され、その後分裂されたあと一応の統一がされ現在は議会制共和国だが、もう複雑すぎてその構造はイタルア人でさえよくわかっていないのではないかと思われた。
「……マリーって国外追放されたんじゃなかったっけ」
「もうほとぼりも冷めていますし、どうせわたくしだと誰もわかりませんわ」
マリーはそんなこと気にもしない。
「ま、そういうことなら休みやれよ、ルミテス」
「もーいいわ。今からでも行ってこい。ベル、パレスをイタルアに向けよ。ジョン、マリー、さっさと準備するのじゃ!」
「ありがとうございます! ルミテス様!」
マリー大喜び。ジョン、マジかよって感じで表情が無い。
「お土産楽しみにしてますからね!」
ベルはそれさえあればどうでもよいらしい。
二人、金蔵というパレス内ATMで貯金を全額引き出してお出かけ準備。
マリー、金の感覚がちょっとおかしい。さすが元公爵令嬢。
「は? 機械が反応しませんぞ?」
なぜか一緒に来たハッコツ。どうやら残高照会をしたいらしいがATMが反応せず困り顔。いや、白骨だから表情はないが、さすがに開いた口でそれぐらいはマリーにもわかる。
「掌紋登録してないからですわ。手のひらをパネルに当てて登録してくださいな」とマリーは教えるのだが、「そもそもこの『タッチパネル』というやつが反応しませんな」とあきらめる。
あとでハッコツはこのことをルミテスに聞きに行ったのだが、「掌紋登録せい」と一言。
「私にはその『掌紋』というやつが無いのですがな……」
骨だけの手を広げて見せるハッコツ。
「知らんがな」
ハッコツ、愕然と口を開けっぱなしにした。
給料は全額貯金。引き出せない。たまる一方。なんとも気の毒な話である。
そんなわけで、誰にも見られないよう早朝に二人はドラちゃんに乗って静かにナポリタンの街に降り立ったのであった。
「一度乗りたかったんですの!」と大喜びでドラちゃんに乗るマリー。ジョンは相変わらず無重力風呂敷に入っているのだから笑えるが。
夜が明ける、人に見られないように街に降りるにはやっぱり教会の鐘突き堂に限る。夜明けの鐘が時を告げる前に、二人は螺旋階段を降りて、腕を組んでウキウキと教会の門から街に出た。まずは朝食のお弁当を二人で食べる。
「レストラン、お芝居、ブティック、雑貨店、美術館、植物園、あー行きたいところが多すぎて、大変ですわ!」
「オレはそれのどこにも行ったことが無い……」
「どこに行くにしても、まずは服ですわ! 服! ブティックに行きましょう!」
ジョンは救助隊制服のオレンジのツナギ。まあ労働者に見えなくもない。
マリーは令嬢風ドレス。荒野に放り出されていた時着ていた服を洗濯しつくろい直したものだったが、もう古ぼけてみすぼらしくなっていた。
「今から着るのですからオートクチュール(オーダーメイド)はダメですわね。不本意ですけど、吊るしの平民のお店にまいりましょう。実は公爵令嬢のころからそういうお店にも行ってみたかったんですの!」
マリーはジョンを引っ張って、店を開けたばかりの洋服店に向う。
「これは?! 似合いますわー! これも、いいですわー!」
いろいろ着せ替えされてジョンの表情はますます硬くなる。
ナポリタンの街にも獣人亜人は多い。だがみんな労働者階級だ。金持ちなどいない。
しかしマリーは平気で高級そうなスーツなどを持ってくる。
ジョンは訳が分からず、言われるままである。
「やっぱりタキシードの礼服がいいと思いますわ。ジョン様のサイズにも合うものがございますし!」
そんなわけでびしっとしたタキシードに身を包んだジョンを見てマリーが惚れ惚れする。
「わたくしは似合いの、このドレスにいたします!」
上品な濃い赤のドレスを選ぶ。
「……払えるのか?」
「まかせてくださいませ!」
マリーはハンドバッグからカードを取り出した。
「支払いはこれで」
「フ、フェラリー家のゴールドカード……。し、失礼いたしました!」
これには店員たちが驚いた。もうマリーたちへの態度が激変である。
「ふっふっふ、追放されたとき、まだ持っておりましたの」
「親御さんにツケが行くんじゃ……」
ジョンも心配になる。
「かまいませんわ。お父様にはわたくしに事情も聴かず一方的に追い出した罰です。フェラリー家のゴールドカードは無期限、無制限ですのよ」
そのカードはなぜかまだ有効だった。マリーは荒野に追放されてとっくに死んでいるものと、忘れられていたのであろう。
あとで請求が来て、フェラリー家の公爵殿はたいそう驚くことになるだろうが。
「さ、レストランにまいりますわ! バレないように、行きつけだったお店には行けませんけど、行ってみたかったお店がありますの!」
次にマリーが押しかけたのがナポリ繁華街の高級レストランである。
「お父様もフィリップ様もいつも同じレストランばかり。わたくしの行きたいところなんて全く無視なんですから!」
普通に他の客たちと同じように、テーブル席についてフルコース料理を注文する。
次々に運ばれてくる料理に、ジョンは目を白黒する。
「さ、いただきましょう!」
……悲しいかな、ジョンはマナーと言うやつを知らなかった。
皿に顔を突っ込み、ガツガツ食う。
手づかみで料理を食う。
客たちやボーイたちが、嫌そうな顔をしてそれを見る。
だが、マリーは全く気にしなかった。ナイフとフォークの手を止めて、うっとりとジョンを見る。残さずにガツガツ食べる。おいしいと思ってくれたに決まっていた。嬉しかった。
「……ワイルドですわ……」
「あの、お客様!」
たまらずボーイ長がテーブルに歩み寄って、この非常識な客を追い出そうとしたのだが、マリーは振り向きもせず背中越しにフェラリー家のゴールドカードをボーイ長に渡す。
「し、失礼いたしました!」
ボーイ長は驚愕し、うやうやしく頭を下げて、皿の上にそのカードを載せて、他のボーイたちを追い払いながら、厨房に戻って行った。
「まだまだ夜までは長いのですわ! たっぷり楽しみますわよ!」
次にマリーがジョンを連れて行ったのは劇場である。
「『真実の愛の物語』……、なんだかどこかで聞いたようなタイトルですのね。嫌な予感がいたしますわ……」
「芝居って、オレ、初めて見る」
「だったらもうなんでもいいですわね! 入りましてよ!」
劇場となれば名士も集まる。さすがに見つかってはいけないと、マリーは後ろの安席を取った。予約なしで座れる席がそこしかなかったということもあるが。
ジョンはちょっと浮かない顔だった。
いつもの無表情に変わりはなかったが、それでもその態度にいろいろ落胆していることがうかがえる。マリーは敏感にそのことを察していた。
ジョンが感じていたのは、貧しかった自分。マナーも礼儀もない自分。何もわからない教養のない自分。なにもかもマリーに頼らなければならない情けない自分であった。今ジョンはそのコンプレックスに打ちひしがられていた。
マリーは並んだ席のジョンの腕を抱き、体を寄せて、もたれかかった。
そんなあなたが大好き。マリーの腕は、ちゃんとそのことを伝えてあげたくて、しっかりと腕を優しく包んだ。マリーはジョンと出会い、ちょっとはいい女になっていた。
「わたくしはジョン様のかっこいいところを、たくさん見てまいりましたわ」
多くの現場で大活躍しているジョンを、マリーは指令室のパネルでいつも見ていた。歓声を上げ、応援し、心配もしたりして、いつも心は一緒だった。
かつての婚約者、フィリップ殿下なんか、もう下賤なくだらない男にしか思えなかったのである。
「だ、か、ら、そんな顔はもうよしてくださいませ。どうかお芝居、楽しんで!」
ニコニコ顔のマリーは、ジョンのヒゲをちょっと上に引っ張った。
少しだけ痛そうにしたジョンは、ちょっとだけ、笑顔になった。
客が全員起立する。ジョンとマリーも何かと思いつつも起立した。
遅れて入場してきて、ホール三階の貴賓席から手を振る男女。
「うげっ」
たまらず無礼な声を上げてしまったマリー。そこに見たのはかつての婚約者、イタルア公国第一王子、フィリップ・イーケメン・ドストライクと、泥棒猫であった。
うわっ……なんたる偶然の巡りあわせ。
マリーは思わず運の悪さに頭を抱えた。
今の自分にはもう関係ないこと。そのことはもう忘れることにして、舞台の開演の鐘の音に合わせて、マリーは他の客たちと一緒に着席する。
舞台は最悪の演目だった。
許されざる身分違いの二人の恋の物語。
それは、三世紀も昔の物語をなぞったものであったが、明らかにバカ王子と、泥棒猫と、それを妨害する悪役令嬢の三角関係を描いたもので、マリーを悪役令嬢に仕立ててバカップルの悲恋とハッピーエンドをあてこすったものだった。
昔話風にしていますけど、わたくしのことを悪役にして二人をヒーロー、ヒロインに仕立て上げた王室プロパガンダのご機嫌取り脚本ですわ、とマリーは腹が煮えくり返る思いであった。
こんなくだらないものを見せられて、観客は大丈夫かしら……と、貴賓席を見れば、招待されたらしい主賓の二人、感動して拍手したり、目を潤ませてハンカチで拭いたりと、客の貴族名士が見ていることを十分に意識した振る舞いで劇を盛り立てていた。
「……あの貴賓席も、一つの舞台と言えるのかもしれませんわね……」
マリーのつぶやきは、ジョンには意味が分からなかった。
「君は僕に真実の愛を教えてくれた。僕の世界は、もう君無しではありえない!」
「ああ! ハロップ様!」
マリーの心は、どんどん寒くなっていった。
次回「56.劇場の火遊びを消火せよ! 後編」
 




