5.山火事を消火せよ!
いつのまにかパレスの高度が下がってきている。下から煙を吹いて山が燃え広がっていた。
カラカラに乾燥し所々に雑木が生えた茶色の山だ。緑は少ない低木林で、アメリカやオーストラリアのニュースで見るような山火事である。いや、あれより規模はかなり小さいが。
「アレを消せってのかよ!」
「訓練と道具のテストにはちょうど良いであろう」
ルミテスが笛を吹くと、ぶわっさぶわっさと銀色のウロコのワイバーン、ドラちゃんが飛んできて庭園に着地する。
どこから飛んできたの? そんな笛の音がそんな遠くまで聞こえるの? 太助は突っ込んでもしょうがないとは思っても疑問は疑問なんだからしょうがない。
「そろそろ消してやらんと人が住んでおる所に到達しそうでのう」
下を見る。直径数キロにまで大きくゆがんだ円を広げて燃え広がっていくようだ。その先には農家らしい畑と住居が点在する。山に近い農家は危ないだろう。
「あのさ、ルミテスは神様なんだろ? 土砂降りの雨でも降らしてやれば済む話なんじゃないの?」
「気候を操るのはさすがにわちでもできん。では行け」
「あんたはいかねえのかよ! ちっくしょ――――!!」
太助はワイバーンに乗って、縛り付けられている鞍にしがみついた。
ほとんどまっさかさまの急降下だ。猛烈な風圧に耐え、着地の衝撃に備える。
「ドラちゃん! ドラちゃん! 俺の言うことわかるか!?」
銀色ワイバーンが首を曲げて太助をチラ見して、軽く頷く。
「あの農家に一番近い火に向かってくれ!」
民家への延焼だけは、なんとしてでも食い止めなければ。
ごうごうと燃え上がる枯草たちの手前で、ドラちゃんは首を上げ、着地姿勢に入った。羽根を大きく広げて減速する。ものすごいGがかかり鞍に体が押し付けられる。
「ルミテス! 聞こえるか!」
「聞こえとるよ。感度良好じゃ。大声出すな」
「ど……ドラちゃんに安全ベルト付けてくれ!」
「おおそうじゃの。それは改良点じゃ!」
「それから、この『放水くん』だけどな、肩に担げるようにベルトつけてくれよ!」
「忘れとったのう」
着地したドラちゃんから飛び降りた太助は、ノズルを開き、放水を開始した……。
山火事の消火は簡単だ。今燃えている火頭に放水して消火、湿らせてやればそこで延焼は止まる。ただ、その大量の水を用意するのが恐ろしく困難なのだ。
水さえあれば。そんなわかりきったことを用意できないから山火事は大被害を引き起こす。山には消火栓も水源も無いのである。そしてポンプ車もタンク車も侵入できない。全てが人力なのだ。だから山火事は燃え広がる。延焼範囲が広がれば広がるほど消火は困難となる。ヘリコプターが運べる水量も500リットルがせいぜいだ。
火を全部消して回るのは後回しである。まず太助は放水圧力を高めにして草木を削るように、土の表面が出るように乾燥して枯れた草原地帯を駆け回る。一時間ほどかけて周囲に山火事と家屋を分断する防火帯を作るのだ。強力な放水能力がある『放水くん』ありきの作戦である。
たとえ一時的に放水で火を消しても、迫り来る火に炙られて乾燥し、結局延焼しては単なる時間稼ぎにしかならないから、ここでの防火帯の設置は一人で作業をするしかない太助にとれる最善の方法ではある。上空から周囲の状況を前もって見ることができていたのが幸いした。
いくら軽い装備とはいえ大半が山歩きだ。息を切らせ、全身汗まみれになりながら山を上り下りするのは体力的にかなりキツイ。火に囲まれないように距離を取りながらの安全作業だ。それでも、ホースを引きずらないでいいのだから機動力が違う。通常の消防士1チーム以上の仕事が一人でできる!
「どうじゃ調子は」
無線シールを張っているのは頬なのに、なぜかルミテスの声が耳元で聞こえるのは不思議である。
「火頭と民家の分断は終了! これより鎮火にかかる!」
「ほう、なかなかの手際じゃの」
「腹減った! 水飲みたい――――!!」
「うるさいのう……。待っておれ。そっちに届けてやるからの」
幸い風は穏やかだ。湿らせた草木にまで到達した炎は、自然に鎮火してきた。
あとはまだ燃えている木立である。山火事となれば生木である木立も燃える。乾燥していればなおさらだ。これは火の粉を飛び散らせ、炭の熾火になっていつまでたっても火の元になり続ける。
斜面の上はあきらめる。斜面の下から上に向かう火の回りは徒歩のスピードを超える場合もあり、また煙に巻かれることが多く危険すぎる。斜面の下から常に火と煙を見上げるように放水を続ける。放水を上に向け、土砂降りの雨を降らすように木々を濡らしてゆく。
「ご苦労様でーす!」
ベルが飛んできた。驚くべきことに自分よりでっかい四角い風呂敷包みをぶら下げている。
「おまっ、よくそんなもん持って飛べるな!」
「ルミテス様が特注した『無重力風呂敷』です。これに包んだものはなんでも重量がゼロになるんですよ」
「……なんつー便利な。それ弁当?」
「はい」
「ありがとな。お前も危険だから離れてろ」
「はいー」
包みを受け取ると本当に発砲スチロールみたいに重さが無い。これなら妖精のベルでも運べるわけだ。風呂敷包みを開けるとホットドッグが三本と、コルクで栓をした水の入った瓶が二本入っていた。手を止めずに仕事しろということだろうか。ブラックな上司である。
「じゃ、頑張ってください!」
そう言ってベルはぱっと消えた。
……ここまで飛んできたベルも凄いと思ったが、消えると言うのがまた凄い。そう言えば現れ方も突然だった。瞬間移動でもできるのだろうかと太助は思う。
「ペットボトルは無いのかよ……。科学力がアンバランスすぎるわ」
口にホットドッグ押し込んで、水をがぶ飲みして、一本はポケットに突っ込んで消火を続ける。
風下に回ってきた。
火の粉や煙が飛んでくるし、逃げ場を失いやすい危険区域だ。
低い木を選んでじゃんじゃん水をかけて燃え広がらないようにしなければならない。
「おわっと!」
鹿の群れが目の前を駆け抜けてゆく。野生動物たちも逃げるのだ。住処を奪われるのは人間だけではない。太助は、安全優先で燃やすに任せる場所もあっても仕方が無いと思っていたが、気合を入れなおして消火を急ぐ。
ノズルを上に向けて自分自身の周囲に散水し、水を土砂降りのようにかぶりながら進む。既に燃えてしまった所は炭になっているので蒸気が立ち込める。
恐る恐る、熾火になっている上を歩いてみるのだが、平気だ。ルミテスのくれた耐火長靴の性能はたいしたものである。
一度燃えて火が収まったところは逆に言うともう安全だ。ただし酸素が少なく一酸化炭素が充満しているのでホースレス空気呼吸器をつけて進む。ボンベと違って時間制限は無し。これも驚くべき性能だ。
「世界中の消防士に嫉妬されるな俺……」
山を二周して、これ以上燃え広がらないようにできたところで、ごうごうと木々よりも高く炎が上がっている火事の中心部分まで来た。
もらった水の瓶を、もう一回飲んで、気合を入れなおし、本格的に消火作業にかかった。
水量、水圧とも最大にして、上から土砂降りのように雨を降らす。
物凄い蒸気が立ち込める。さすがに燃え上がる生木の消火は容易ではない。
「どうじゃ? 順調かの?」
「全然手が足りねーわ! 一人だぞ一人! 俺一人じゃ限界あるって!」
ルミテスの通信に怒鳴り返す。
「うーん、まあそれは考えておくがの、今日は一人で頑張るのじゃ」
「こんなペースじゃ夜までかかるわ!」
「かかってもよい。別に要救助者がいるわけじゃないからのう」
「こっちの身にもなれってんだ!」
さすがにキレかける太助。
「……晩飯はいらんのかの?」
「いえ、いります。はい、続けます」
「よろしいのじゃ」
結局、まだくすぶっている木々にも水をかけて回っていると、東の空が明るくなってきてしまった。
「夜食でーす!」
黒焦げの切り株に座ってへたばっていると、ベルがまた風呂敷持って飛んできた。
「……もう朝食だよね、それ」
ベルの持ってきたハンバーガーを食べながら、まだ少し煙がくすぶる焼け跡から村を眺める。
農村である。村民がリヤカーだの馬車だの出してこっちを見上げている。避難するところだったのだろう。夜が明けて見たら山火事が消えているのだから驚くはずだ。
遠目なのでよくわからないが、毛が白い。ヤギ人間かウサギ人間か……。
やっぱり異世界なんだなあと思う。
太助も、これを一人で消火したというのは驚きだ。『放水くん』様々である。
「消火、無事終了ですかね」
「ああ、今からどこか燃え出しても炭の中だ。もう燃え広がらないよ。たぶんね」
ぶわっさぶわっさ。上空ではドラちゃんが旋回している。
迎えだろうか。太助を見つけて着陸姿勢に入ったようだ。太助が座っている切り株のすぐそばに着地する。
「ごくろうさんドラちゃん。ベル、もう帰っていいってこと?」
「はい」
「ルミテスは? 無線入らないんだけど」
「まだ寝ていますよ」
「寝てるんかい! クソッたれ!」
「ルミテス様はクソはたれませんが……」
「そういう意味じゃねえんだよ! いや、女の子が『クソ』とか言っちゃいけませんっ」
「いいから乗ってください」
そんなこんなでまたドラちゃんに乗って太助はパレスに帰還した。
村の連中、大騒ぎして見上げている。
焼け跡にワイバーンが飛んできたんだから当然ではある。後でどういうウワサになるか、そこ、太助は少し心配した。
「ワイバーンが火を消してくれた」とかの伝説になるんだろうか。俺タダ働き? なんだかそんなことを想像して苦笑した。
次回「6.消防士をやり直せ!」