35.雪中行軍隊を救助せよ! 後編
帰り道を探して彷徨するカンナン大尉。信じられないものを見る。
山小屋だ!
山小屋がある! 来た時にはこんなものは無かった。あったらとっくにそこに避難していたはずである。道を間違えたか? 戻るつもりが、先に進んでしまっていたのか? そこまで我々は道を誤ったのか!
いろんな考えが頭をよぎった。だがこんなところに山小屋があるなんてありがたすぎる。近づくと、行軍の全員が宿営できそうなぐらい大きい、二階建ての建物だった。もうこれは小屋というレベルではなかった。
見ると、その山小屋の入り口で、ランプをぐるぐる回している男がいる。
オレンジ色の防寒着を着こみ、この猛吹雪の中、まるで自分たちを出迎えるように。
「……天はわれらを見放さなかったというのか…………」
カンナン大尉は驚いて、力を振り絞って駆け寄った。
「お、おいっ! この山小屋はどこの山小屋だ!」
「おー、アーモリーの兵隊さんの方ですか?」
「そうだ!」
「ちょうど迎えに行こうかと思ってたとこです。兵隊さん二百人は無事ですかね」
「……助かった。無事とは言えないが、全員疲弊しておる。この山小屋に収容させてほしい! 頼む!」
「そのつもりですよ。皆さんから30メートルも離れていません、戻ってみんなにお伝えください。ここに逃げ込めってね」
男はそう安心させるように笑うのだが。
30メートル、30メートル……。
あの雪洞から雪をかき分けて、歩きに歩いてこの山小屋を見つけたつもりだったが、30メートルしか歩いてないだと?
カンナン大尉は距離の感覚も、このホワイトアウトした雪山で完全に見失っていた。低体温症になりかかっていたのかもしれない。
「……このへんに山小屋などなかったはずだが」
「建てたばっかりなんです。知らないのも無理はないですよ」
山小屋に明かりが灯った。窓が全部明るくなる。
屋根の上からも明るい照明が灯り、周りを全部明るくした。赤い色の光線も屋根から四方八方にぐるぐる回って回転していて、夜の吹雪の中、山小屋の位置が誰から見てもはっきりわかるようになった。
ざっざっざっ。
雪の中、誰か歩いてくる。
そりだった。
そりを引いて、誰かが来る。この猛吹雪の中。
「いたか?」
「五人」
その大男は、倒れて置き去りにされていた五名の兵士を乗せて、そりを引いてきたのだった。
それはカンナン大尉が全く前進できずに途中で放棄した、兵站運搬用のそりだった。
「まだいる。連れてくる」
「頼むわ。さすがだよジョン」
「南極より楽」
「おかえりなさい」
ビュービュー吹き荒れる吹雪の中、山小屋の扉が開き、別の男が顔を出した。
「準備できましたな。さ、要救助者を中に運ぶとしますかな」
中から出てきた男もオレンジの防寒服をかぶっていた。この男たちは顔にも毛糸のマスクをかぶっていて、目元だけしか見えなかった。逆光の中、男たちの表情はまったくわからない。
先ほど案内してくれた男と一緒に、そりから五人の兵たちを降ろし、中に引きずっていく。「途中で倒れた兵隊さんも救助して収容します。こっちでやっときますから、みなさんを呼んできてください。二百人いるんでしょ?」
カンナンを出迎えた二人の男と、さっきから無言の大男は、倒れた兵たちを山小屋に収容する作業の間ちょっと山を見上げて、その山小屋を見下ろせる高さの斜面の上に目をやった。三人、動きを止めて、なぜかその斜面の上に向って敬礼する。
ほかに誰かいるのか? あんな山の上に?
カンナンも斜面の上に目をやると、そこには明かりに照らされて黒い影がいた。
さっと身をひるがえして森に消える。
……クマ? 熊に見えた。
それは冬眠中をたたき起こされ、終始連隊を見守っていた、異世界救助隊監視員の月の輪熊太郎だった。
熊太郎、無事任務終了である。あとは春までゆっくり冬眠していただきたい。
「とにかくわかった! 感謝する!」
カンナン大尉は、来た時と違って、今は希望にあふれ、もうすぐ休めると思うとその足取りにも力が戻った。ほかの三隊員も同じようで、その顔には絶望が消えていた。
「隊に戻れ! 各雪洞部隊に連絡! 山小屋発見! 全員、山小屋に避難せよと!」
「はいっ!」
……カンナン大尉は、全員を引き連れて山小屋に入って驚いた。
驚くに決まっていた。そこは、自分たちが暮らしていた官舎そのものだったからである。見慣れたフロア、見慣れた間取り、見慣れた飾りに壁に掛けられた標語。
なにもかも、住んでいたアーモリー駐屯地の官舎そのままだった。
「……どういうことだ」
中ではストーブに火が焚かれ、やかんが蒸気を吹いていた。
厨房に行けば、棚や床に食料が大量に保管されていたままである。
事情を聴こうと思ったのだが、あのオレンジの服を着た男たちは、不思議なことにもういなかった。
次から次へと、弱り切った隊員たちが山小屋に入ってくる。
点呼を取って、数を確認する。
七名、足りなかった。
「官舎を捜索せよ!」
雪を落とし、ストーブに群がる隊員から数名、指示して官舎内を捜索させた。
驚くべきことに共同浴場の風呂が焚いてあり、足りなかった七名がその湯に放り込まれていた。
三階の士官室。鍵がかかっている。
鍵をぶち壊して入ると、そこには気絶して倒れている連隊長と、上官数名や官舎に残っていた世話係の兵員が床に寝転んでいた。
「どういうことだ……。これは? アーモリーから官舎が空を飛んでここにきたというわけでもあるまいに……」
後ろからヤマグ少佐がつぶやくが、まさにその通りだったことは、彼らはまだ知らない。
棚からウィスキーを出して師団長の口に含ませ、気付けにする。
「師団長、いったいなにがあったんです! 誰にやられました!」
疑わしいのはさっきの三人の男たちだが……、明らかに部隊を助けてくれたあの者たちが、師団長を気絶させてここに運ぶようなことをしたのだろうか? とカンナン大尉は疑問に思う。疑問、疑問、疑問。なにもかも疑問だらけだ。
「お化け……」
「は?」
気付いた師団長はわけのわからないことをわめく。
「お化けがいた! ガイコツ! ガイコツの男が、裸で踊ってた!」
何を言うのかこの師団長は。倒れて悪夢でも見たのだろうか。
「骸骨の男? 骸骨だったら、男か女かなんてわからないでしょう、師団長」
そこではない。いや、そこではないが……。
とにかく倒れていた誰に聞いても、それを見て絶叫上げて気を失ったということである。それでも誇り高い帝国軍人か。それで気絶して、この部屋に放り投げられ、閉じ込められていたということになるのだろうか。
「この官舎は空を飛んでここに来たのだ! 官舎は空を飛んでいた!」
そんなことを全員が言うのだ。もう何が何だかわからない。
……あの者たち、どうやったかは知らないが、確かに今いる山小屋は、アーモリー駐屯地の歩兵連隊官舎そのものに間違いない。
とにかく連隊は、そこでストーブの火で暖まり、各自自室に戻り濡れて凍った服を着替え、厨房で自炊して食事を取り、風呂に入ることができた。自宅に帰ったも同じであった。いや、自宅が山にやってきたのである。
凍傷でひどい状態だった隊員もいたが、その風呂に入ると不思議と、その凍傷が治っていくのだ。ありえない出来事だった。すべてが夢のようで、現実味がなさすぎた。
雪に閉ざされた謎の山小屋……。外は猛吹雪でもう動けない。
だが十分な資材も、燃料も、食料も確保できている。
このまま春まで駐屯地に帰営できなくても持ちそうだ。
どう報告すれば。
ありがたいことではあったが、カンナン大尉は、帰営したのちのことを考えると頭が痛かった。
あとで気が付いたのだが、一階フロアの伝言板の黒板に、チョークでこんなことが書き殴られていたのを発見した。
『異世界救助隊参上』
……まったくわけがわからなかった。
「ちーす、グリンさん!」
グリンさんのグリーンホエールに乗って、無事にパレスに帰投した太助、ハッコツ、ジョンの三人は、グリンさんとハイタッチして作戦の成功を喜んだ。
今はグリンさんもオレンジの防寒着を着ている。あの紐ビキニの上からだ。さすが北極海のクジラ、グリンさんも寒さに強い。
全員雪だらけだ。マイナス70度に耐える装備とはいえ、暖かいパレスに戻ればその表面の氷雪は溶け出してぐちゃぐちゃになる。すぐにお出迎えしてくれたヘレスが回収して、洗濯籠に入れていた。
「ようやった」
出迎えたルミテスが声をかけた。
「しかしおぬしら、帰ってくるのがちと早すぎないかの。奴らに文句の一つでも言うてやればよかったのに」
「いやあ、官舎を丸ごと盗んできましたってのはすぐバレるだろ? 相手が軍人さんじゃあ、俺ら捕まったり撃たれたりするんじゃないかと思って」
「まあいい。こんなバカな訓練を考えた上層部も、一緒に山に閉じ込められて、これで懲りたじゃろ。春まであそこで反省しておればよいのじゃ」
「まあ俺もそうなることを望むよ」
黒い悪人顔で女神様がふっふっふと笑って、立ち去った。
「あいつらもびっくりするだろうな。山小屋かと思って入ったら、住んでた家そのものなんだから」
「駐屯地の連中もびっくりするでしょうなあ。朝になったら建物ごとなくなってて、土台しか残ってないんですからな」
ハッコツもケタケタと笑いが止まらない。空飛んでる間、官舎に残ってたやつらが騒ぎ出したので、ガイコツ姿で脅してやったら簡単に気を失ったヘタレ連中が、帝国軍人だってのが可笑しくてしょうがなかったらしい。
ジョンはむすっとして機嫌が悪かった。また雪の中でそりを引かされて、南極のことでも思い出していたのかもしれない。
グリンさんが、「風呂にでも入ってゆっくりしたいの。おぬしらも一緒に来るの!」と言う。
「賛成!」
みんなでワイワイガヤガヤしながら、風呂場に行く。男湯も女湯もないが、このさい細かいことはいい。みんなで一緒に入ってしまえ、という気分だったが……。
「お湯がないの!」
「湯がありませんな……」
「すっからかんだ!」
空っぽになった神泉の大浴場には誰が置いたか知らないが、あの、ポンプ代わりのポータブル放水転送器が湯船の底に置いてあるだけだった。
「あーあーあー、あのハッコーマウンテンに置いてきた連隊官舎。共同浴場に『放水くん』でお湯を入れといてやったんだけど、あの湯本って、ここと繋がっててたのね……。調子に乗って、満タンにしてきちゃったよ」
グリンさんと一緒に風呂に入って温まりたかった太助は、腰にタオルを巻いただけで、がっくりと肩を落とすしかなかった……。
いつも誤字報告ありがとうございます。
特に「ドラちゃん」と「スラちゃん」を間違えたのは恥ずかしい……。
次回「36.海洋汚染を防げ! 前編」
 




