2.ネコミミ村の延焼を防げ!
全身をカーキ色の防火衣で包み、消防ヘルメット、空気呼吸器と面体、ボンベに耐火手袋とフル装備の太助は、目の前に立っている、ヒラヒラの白いドレスの上に場違いな白衣を着た、金髪の背の低い少女を見下ろした。
消防士というとアルミ素材が入った銀色の防火服を思いだす人も多いだろうが、今は難燃、断熱性能が高い炭素繊維の一種であるアラミドでできている防火服が主流である。なので色は地味めで、そのかわり現場でも目立つように反射素材の帯が入ったものを太助は着ている。
「……あの、外人ちゃん、日本語わかる?」
「そんなことは後で良い。おぬし、消防士であろう?」
「そうだ。じゃねえそうです。火神市、名湧派出所所属、日乃本太助であります!」
「だったらこれを放っておく気かの?」
少女が指さした方向を振り向いた太助は、今まさに脱出した穴からも煙が噴き出し、火の粉を飛ばして燃える小屋を仰ぎ見た。
「ポ……ポンプ車は?! ホ、ホース! ホースが無い! え、みんなどこ行っちまったんだ! 燃え広がるぞ!」
既にまわりの小屋の藁ぶき屋根にも飛び火して火が燃え上がりそうになっている。
「これを使うのじゃ」
そう言って少女が放水ノズルを前に出す。
いや、筒先だけ渡されても……。
「ホースが繋がって無いじゃないか! ポンプ車は?! 消火栓はどこだ!?」
「そんなもんはいらん。これはホースレス放水ノズルじゃ」
「いやホースレスって……。冗談言ってる場合じゃねえだろ」
「いいから先をねじろ。火に向けてな」
なんだかわからないまま太助が先端をねじるといきなり水が出た!
「どこを狙っとる! はよう消火せい!」
ドドドドドドドド……。
すごい水量だ。反動が凄い。毎分二百リットルを越えていそうで、タンク車なら二十分で空になりそうだ。反動に耐えながら必死にノズルを押さえつけ、火事の小屋に向け燃え上がる屋根にかけてゆく。
「な、な、なんでこれホース繋がって無くても水出んの!」
凄い新装備である。いや、物理的にあり得ない。日本でも少量の水と圧縮空気で水を発射する「インパルス」という個人装備の消火器はあるが、この放水ノズルには水タンクも高圧ボンベも付いてないのだ!
「説明は後じゃ。その前のリングを回せば水量は調節できる」
「は、は、は、反動がきついんだけど!」
「いつもそれを使って放水しておるのではないのかの?」
「後ろにホースが無いから支える物がねえよ!」
いつもなら水圧でパンパンに膨らんだ重量のあるホースそのものがつっかえ棒となって、ある程度反動を押さえてくれていたのである。それが無いとなると、毎分二百リットルを超える放水の反動を全て太助の腕力で支えなければならない。その重みは20キログラムを超える。これはキツイ!
「ふーむ、改良点じゃの。反動を相殺するか、空中固定……、いやそれでは移動ができぬな。反重力を加えて……」
残念ながら藁ぶき屋根はもう燃え落ちて全焼の鎮火になっている。
太助はすぐに放水の方向を変え、周囲の小屋に飛んだ火の粉の消火にかかる。
「藁ぶき屋根じゃ。消えたように見えても中でくすぶっておるとまた火が出るのでの、たっぷり振りかけるのじゃぞ」
「わかってるよ! もうちっと圧力下げられないかコレ!」
直接放水を叩き込むのではなく、上から振りかけるようにしたいのだ。脆弱な藁ぶき屋根が吹き飛びそうだ。いくら消火だからって、吹き飛ばしていいわけじゃない。市民の命と財産を守るのが消防士だ。消火のために家を壊しては何のための消火かわからない。
「まだ水量調節だけなのじゃ。ふむ、圧力調整か、それも改良しないといかんわの」
「しょうがねえな!」
太助は放水を上に向け、雨のように降らせるように切り替えた。
「ほれ、アッチにもコッチにも延焼しとるぞ!」
「わかってるって!」
貧乏くさい村落を走り回って放水して回る太助。全身びしょぬれ、汗と泥とすすにまみれて全身ひどいことになっている。
一時間も消火活動を続けて、ようやく火は収まった。
放水の反動を支え続けた腕はもう力が入らず、鉛のように重い。
「はーはーはー……。なんなんだよここ」
へたばって座り込む太助の周りを村民たちが取り囲む。
ネコミミ、ネコミミ、ネコミミ。男も女も、大人も子供も、みんなネコミミ。服から出た腕や足には毛が生えていて、しっぽまで付いている。服装は粗末で現代社会にあり得ないどっかの原住民風な、どこの発展途上国だよ、という感じだった。
「どういう村だよ? みんなそろいもそろってコスプレって」
「コスプレではない、猫族の村じゃからな」
「冗談言うな。ここ日本だぞ。どこにそんな村があるんだよ」
「ここは日本ではないぞ?」
「なんだって!」
村民が声をかけてくれるのだが、わおわお、にゃおにゃおうるさくて何言ってんのか全く分からない。
呆然とする太助に、「そうか、おぬしコッチの言葉がわからんのだな。それじゃ不便じゃのう」とその少女は太助に歩み寄った。
さっきからどうも言葉遣いがおかしい、白衣の「なのじゃ少女」が座り込む太助の頭に手を当てると、急にふらっとした。
「ありがとう!」
「子供を助けてくれて、ありがとうございました!」
「火事、消してくれてありがとう!」
「村が全滅しかねなかったよ! 本当に助かった!」
「……やっぱりここ、日本じゃねーか」
みんな日本語喋ってるんだから、やっぱりそうだと太助は思う。
「そうではない。異世界言語翻訳能力じゃ。皆の言うことが全部いちいち翻訳しなくても直接頭でわかるようにおぬしの頭をいじったのじゃ。おぬしの喋る言葉も、こっちの世界の種族の言葉でしゃべるようにしておいたからの」
「……異世界?」
「そう、ここは日本ではない、地球とも違う。おぬしの知らない、別の世界なのじゃ」
「ええええええ!」
「さ、撤収じゃ。行くぞ」
「行くぞって、どこへ……」
ぴいいいいい――――。
なのじゃ少女が笛を吹く。
ひゅるるるるるるる……。ぶわっさぶわっさ。
物凄い羽音と共に、なにか上から降りてきた!
銀色の、硬そうなウロコで覆われた……。
「ど、ど、ど、ドラゴン!」
ゲームやマンガで見たような、巨大な、翼長12メートルはありそうな、大きな羽根を持ったドラゴンが、着地したのである。
「ドラゴンではない。ワイバーンじゃ」
ドラゴンは四肢がある上で羽があるが、その降り立った銀色の翼竜は、前肢が羽になっていた。なるほどワイバーンである。
村民が悲鳴を上げて逃げ出す。
「うわああああああ――――!」
太助も逃げようとしたが、体が動かない。
「面倒じゃの。言うこと聞いてさっさと乗らんか!」
身を伏せたワイバーンの上に、なのじゃ少女がロープの輪に足をかけて乗る。
「ほれ、来い」
ひゅるるるると風を切ってワイバーンは、ゆっくり羽ばたいて上昇を続ける。
「……ここは日本じゃないんだな?」
「そうじゃ」
「異世界ってことか」
「理解が早いではないか」
太助の前でワイバーンの鞍を握るなのじゃ少女。
「異世界……。ホントにあるんだな。俺のいた日本はどうなってんだ?」
「おぬしは死んだのじゃよ。覚えておらんかの?」
「あ――――!」
あの時、子供部屋で、上から燃えた瓦礫が落ちてきたアレか!
「俺死んだの! 死んだのかいアレで!」
「ここにおるのがその証拠じゃの。ま、おぬしに証拠じゃ言うても納得はできんかもしれんがの」
そこまで聞いて太助はいきなり思い出した。
「ばーさんは! 要救助者のばーさんはどうなった!」
「ああ、おぬしの探しておったばーさんは徘徊で外に出ておったわ、おぬしが日本で探しておったばーさんは最初からあの家にいなかったのじゃ」
「そうか……。よかった。いやよくねえよ。俺、無駄死にじゃねーか!!」
心底ガックリ来る太助。(あーあーあーやっちまったな俺)、と思う。残してきた両親も兄弟も泣くだろうか。隊長や消防署長もお上にタップリ絞られる。重大な責任問題であり、多くの関係者にめちゃめちゃ迷惑かけることになる。マスコミの追求だって過酷を極めるだろう。心配ばかり頭に浮かぶ。
「なんで俺こんなところに……」
「猫族の村で火事があった。子供が火の中に取り残されとった。誰かに助けさせようとしてわちが消防士を召喚した。そういうことじゃ」
「……なんで俺?」
「は?」
「だからなんで俺を選んだんだよ! 消防士は世界中にいくらでもいるだろう!」
「偶然じゃよ。たまたまわちが召喚したときに死んだ消防士がおぬしだったってことだけじゃ。どこかの世界で、別におぬしより先に死んだ消防士がいたら、そいつになっておったろうな。ま、幸運だったということかのう」
「死んだのに何で幸運なんだよ!」
なのじゃ少女は振り返って不本意そうにしかめっつらになる。
「普通死んだら魂は記憶を失ってなかったことになるのじゃぞ? おぬしはその世界からいなくなるのじゃ。たとえ異世界であろうとも、生き返って、その命永らえたのじゃから礼を申してあたりまえじゃろう。なにが不満じゃ?」
「いやそんなこと言われても……」
「とにかく、おぬしは消防士じゃ。火事を消すだけでなく、この世界のあらゆる事故、災害から民を守るのが使命じゃ」
「使命って……、使命って……。それ誰が命令するんだ」
「わちじゃ」
「お前なんなの?」
「わちか? わちはこの世界の管理者にして女神。女神ルミテスじゃ」
この出会いが、のちにとんでもない災害ばかりに巻き込まれることになる、消防士・日乃本太助の新たな人生のスタートとなった……。
次回「3.異世界を守れ!」