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女流探偵秋山楓  作者: 松風いずは
3/3

道化師の涙

   鳥遊守はいつも通りの時間に新宿に着き、メープル探偵事務所を目指していた。雇い主である秋山楓が今日は何時に起きるだろうだとか成功報酬とは言え最低賃金すら支払われてない労働環境を変えるために。そろそろ本気で労基署に訴えるべきだろうかとかそんなことをぼんやり考えながら歩いてると、あっという間に事務所に着いた。古ぼけて錆臭い鉄の階段を登り、事務所のドアを捻った。すると、驚いた事に抵抗なく扉が開いた。守は何事だろうと思わず身構えてしまった。まず間違いなくこの時間に楓が起きて事務所の鍵を開けていることはないからだ。守が恐る恐るドアを開けようとすると、中から大きな声が聞こえた。その声を聞いて守は安堵した。その声は聞き慣れた声だったからだ。ドアを勢いよく開いて中に入る。まず楓が気付いた。

 「あら、守ちゃん。おはよう」

 楓はグレーのスーツを着ていた。楓の前には肌が浅黒く焼けた大柄な男が座っていた。楓の挨拶でこちらに気づいたらしく、体を捻って守の方を見た。

 「おお。守君。久々だな」

 大柄な男は軽く手を上げた。

 「おはようございます。先生。そして、お久しぶりです。神林さん」

 守はぺこりと頭を下げた。

 「なぁに。そんなにかしこまる必要なんてないさ。ほら、早く座った座った」

 神林と名乗る男は守にソファに座るように促した。守は楓の隣に座った。

 「二人とも元気にやってるそうだな。それに、ここ最近では難事件を解決したそうじゃないか。いやぁ、さすが名探偵の楓さんだ」

 そう言うと神林は豪快に笑った。

 「いいえ。運が良かっただけですよ」

 楓は薄く微笑みながら返した。

 「いやいや。さすが、私が見込んだだけのことはある」

 神林は出されていたお茶を飲んでソファの背にもたれた。

 「恐縮です。しかし、私なんかより丈助さんの方こそ大活躍をされてるでしょう」

 「なぁに。俺なんて大したことなんてないさ。ちょっと店の経営が上手くいってるだけだ」

 神林は大したことないとばかりに顔の前で手を振った。

 この神林丈助という男はこの歌舞伎町でいわゆる水商売のお店をいくつか経営してるやり手のビジネスマンだった。神林が経営してるのはホストクラブ三件にキャバクラが五件。どの店の売り上げは順調で神林の懐は大いに潤っているはずだった。しかし、神林は成金アピールをわざわざするようなタイプではなかった。服装もパーカーにジーンズというラフな格好である。ただし、腕時計やクラッチバックは服に無頓着な守でも知ってる名のブランドだった。

 ちなみに、この部屋で飼ってるベンガル猫のシロップはこの神林が保護したのを楓が譲り受けたのだった。

 そして、何故この神林と言う男と楓が事務所で話しているのか。簡単な話しで、楓が事務所として使っているビルの持ち主がこの神林だったからだ。経緯はこうだった。失意の中、日本に帰ってきた楓は酒に浸っていた。そんなある日、女に飢えていた楓は女でも客として入店出来るキャバクラに入った。そのキャバクラを経営してるのが神林だった。楓が客で入った日にたまたまその店で窃盗事件が起こった。その窃盗事件を見事に解決したのがその場にいた楓だった。その一部始終を見ていた神林が探偵をやるのに事務所を探していた楓に自分の持っているビルの一部屋を探偵事務所兼住居としてタダ同然の金額で借りしたのだ。決して、外見は綺麗なビルではないが、内装を整えて家具まで全て神林が揃えた。経営が全く上手くない楓が今も歌舞伎町の一端のビルで事務所を構えていられるのも神林との仲があるからだった。

 「またそう遠くない内に店に遊びに行かせてもらいますわ」

 「来てくれ来てくれ。あの日以来、楓ちゃんのファンになった嬢がたくさんいてな。会いたがってるわ」

 神林は愉快そうに笑った。

 「守君もぜひ来てくれ。楓ちゃんの助手ならえらいサービスしてあげるわ」

 「は、はい。ありがとうございます」

 守は少し戸惑いながらいった。内心では、絶対に行かないと思っていた。自分のような人間があんな煌びやかな世界に足を踏み入れるなんて、想像しただけで不恰好すぎる。

 「守ちゃんがお店に行くには、もっときちんとオシャレを学んでからね」

 楓がさらりと皮肉を挟んでくる。守はムッとなったが、楓なりに守がお店に行かない理由を作ってくれたことが分かったので何も言わなかった。

 「まぁ、いつでも来たらいい。大歓迎するわ」

 守はぺこっと頭を下げた。

 「ところで、丈助さん。お時間はよろしいんですか?」

 楓の言葉で神林はチラッと腕時計を見た。

 「おっと、いかん。もうこんな時間か。楓ちゃんみたいな美女と喋ってると時間はあっという間に過ぎるみたいだ」

 「今の時代、そうゆうこと言うとセクハラで訴えられるみたいなのでお気をつけくださいね」

 「全くけったいな世の中になったもんだ。美しいものを美しいと言えないなんて生きづらくてかなわん」

 神林は膝に手をついて立ち上がった。

 「んじゃ、お二人さんまたな。楓ちゃんまた遊びに来るから退屈か思うけど、じじいの相手よろしくな」

 「私で良ければいつでも」

 楓は丁重に頭を下げた。楓は行き場のなかった自分を助けてくれた神林には心から感謝していた。

 「あ、そうだそうだ。これを渡すのを忘れておったわ」

 そう言うと、神林はパーカーのポケットから紙切れを取り出した。

 「二人ともサーカスは好きか?まぁ好きじゃなくても構わんが、これをやる」

 神林が少し端の折れた紙切れを差し出した。反射的に守が受け取った。守は紙切れに書かれていた内容を確認した。

 「サーカスのチケット?」

 「そうだ。地方にある小さなサーカス団。今、千葉県で巡業をしてるそうだ。一昨日くらいに店に来た客が嬢に俺に渡してくれと頼んだそうだが、俺はその日は行けないから。嬢も特にサーカスに興味ないみたいだから二人にあげる。暇潰しに行ってきたらいい。小さいサーカス団だけど、結構面白いらしい。観て損はないってくれた客が言ってたそうだ。嘘か誠かは観てみないと分からんがな。まぁ、どうするかは二人で決めえ。またな」

 一方的に話すと神林はサッと事務所から出て行った。

 「先生。どうしますか?」

 守はチケットを楓に渡した。

 「丈助さんはどっちでも良いって言ってたけど、あれは行ってきて感想を聞かせてほしいってことよ。乗り気ではないけど行かないとね」

 楓は書斎の後ろにある窓に近付いた。窓から下を見下ろすと神林がベンツに乗り込んでる所だった。楓は車を見送ると、改めてチケットを観た。

 「さ、守ちゃん。サーカスのことは一回忘れて仕事にとりかかってくれる」

 

 大谷は肩を怒らせながら無人の廊下を大股で歩いていた。大谷は頭の中で何度も許せないと呟きながら目的の部屋を目指していた。目的の部屋に辿り着くとノックもせずに勢いよく開けた。部屋に入ると机の上で老眼鏡をかけながら、何やら書類を見ている男がいた。

 「ノックをしないとは無礼な」

 男は書類から顔も上げずにいった。

 「団長。お話しがあります」

 大谷がそう言うと、団長と呼ばれた男が顔を上げた。その顔は醜悪そのものでガマガエルのような見た目をしていた。

 「なんだ。君か」

 団長はめんどくさそうに書類を脇に退けて老眼鏡を外した。

 「私に何の話しだ」

 団長は横柄な態度で聞いた。

 「何の話しか分かっているでしょう」

 大谷はつかつかと団長の机まで近付いた。大谷薫は190センチ近く背があるので、自然と座っている団長を見下ろすことになった。

 「もう決まったことだ。君がどれだけ反対したとて結論は変えられん。今更変えたところで先方は納得はしない」

 大谷は机に思いっきり両手をついた。

 「冗談じゃない!あんな話しを勝手に進めて、どれだけ気持ちを無視をすれば気が済むんだ!」

 普段は爽やかなイケメンの大谷も今ばかりは鬼の形相をしている。

 「何度も言わせるな。これはサーカス団の為の決断だ。君にとっては苦痛だろうが受け入れなさい」

 怒る大谷に合わせることなく淡々と団長はいった。

 嫌という程冷静な団長を見て、大谷はこいつを今すぐ殺してやりたい衝動に駆られた。

 「今まで苦楽を共にしてきた彼等に対する仕打ちがこれですか?あんたは人間じゃない」

 「何とでも言うがいい」

 「彼等を失ってサーカスが成り立つと思っているんですか?」

 「無論だ。何故なら、君がいるだろう。このアダムサーカスきってのスターであるピエロの君がいるんだ。最初は客も寂しがるだろうが、それもほんの数ヶ月だ。すぐに思い出として忘れる」

 「それに、あいつらもここで頑張るより楽になれると考えたらどうだ。痛みも感じるも無く一瞬だからな」

 団長は乾いた笑いをあげた。

 この瞬間だった。大谷がこの男を殺そうと決意したのは。しかし、今はまだダメだと必死に自分に言い聞かせた。今この豚を殺しても自分が捕まってしまう。自分がこのサーカスから居なくなれば結局は同じ事だ。彼等を守るのは自分しかいない。完全な形でこいつを駆除しなければ。

 「私の話しを聞いているのか?」

 団長は怪訝そうな顔で大谷を見た。

 「ええ。話しは分かりました。しかし、覚えておいてください。私はあなたを絶対に許さない」

 大谷はこれ以上この醜いガマガエルと顔を合わせたくないと思い、さっさと後ろを振り出て行こうとした。すると、大谷の背中に向けて団長がいった。

 「私を許す許さないのは君の自由だ。しかし、忘れてくれるな。君がこのサーカス団のピエロとして育てたのはこの私だ。親代わりに面倒を見てここまで育ててやったのだ。裏切ることは許さんぞ」

 団長は凄みを持たせた声でいった。

 大谷は何も言うことなく部屋を出て行った。これ以上ない力で握りしめていた両手の掌は薄らと血が滲んでいた。


 「ああもう!暑くて死にそう!」

 長い髪を振り払い、文句を言うのは楓だった。

 夏真っ盛りの7月下旬。2人は神林から教えてもらったサーカスを観にいくために千葉県の市原市に来ていた。電車を乗り継いで、着いた場所は真っ青な空がどこまでも広がっている田舎だった。最初は懐かしい田舎の新鮮な空気に和んでいた2人も歩くに連れて次第に元気が無くなっていた。

 「こんな場所でサーカスやるなんて人を集める気はあるのかしら」

 「ほんとですねぇ」

 「クーラーあるかしら?」

 「どうでしょうかね?古い劇場みたいですし、大型扇風機かもしれませんね」

 守がそう返すと、楓はへの字に曲げた。

 「それより、こんな暑いのにスーツで来るなんて」

 「当然でしょ。これはある意味仕事なんだから」

 楓はさすがに上着は着ていないものの、長袖の白いキーネックタイシャツにブラウンのパンツを履いていた。長袖は膝の辺りまで捲っている。

 「ジェネシスの時は私服だったじゃないですか」

 「あれはジェネシスワールドを周ること自体はプライベートでしょ。今回のはサーカスを観ることが仕事のうちでしょ。だから、スーツじゃないと乗り気にならないの。別にサーカス自体に興味があるわけでもないし」

 「先生はサーカス観たことあるんですが?」

 守はタオルで汗を拭きながら聞いた。

 「サーカスはないわ。ただ、ペニーワイズみたいなピエロの格好をした犯罪者を逮捕したことあるけど」

 「何したんですかそのピエロ」

 「強盗殺人よ」

 守の頭にペニーワイズが銃を持って家に侵入してくる映像が浮かんだ。

 「ホラーのItよりよっぽど怖いじゃないですか」

 「1番怖いのは人間よ。ここで働いていて実感してるでしょう」

 それについては反論出来なかった。実際、悲惨な事件を目の当たりにしてから、より人間の恐ろしさや残酷さに身に染みていた。ここで働いてからというもの人間を簡単には信用出来なくなっていた。ある意味では、警戒心が上がったので詐欺に引っ掛かることは恐らく無くなった。

 ひたすら真っ直ぐ歩いていると、やがて古ぼけた劇場に着いた。2人とも汗だくだった。チケットを受付の人に見せて中へ入る。クーラーが効いていて二人は天国に到着したかのように表情が和らいだ。開演まで時間がありすぐには劇場内には入れなかった。二人は仕方なくロビーと言っても、木のベンチが所々に置いてあるだけの簡素極まりないロビーで待つことにした。

 「ところで、アダムサーカスって何が売りなんすか?」

 守が楓に聞いた。今日の観劇を仕事と言い切っている楓ならアダムサーカスに関する情報をインプットしてるはずだと守は思った。そして、その予想は的中した。

 「このサーカスの最大の強味はピエロとそのピエロが従える動物達だそうよ」

 「ピエロと動物ですか?」

 「ええ。何でもこのアダムサーカスのピエロは動物と心を通わせてるって話しみたいだわ。馬もゾウもライオンも一匹残らずピエロには絶対服従してるみたいね」

 「それが強味なんですか?他のサーカス団でも動物は使ってるじゃないですか」

 「そうね。けど、鞭を使って調教したりしてるでしょう。でも、このアダムサーカスのピエロはそうゆう次元じゃないみたいな。文字通り一心同体で鞭も何も使わないそうよ。本当に家族のように仲が良くて丸腰でライオンの檻の中に入っても平気なんだって」

 「ひえー。ライオンの檻に入るなんて怖くないんですかね?」

 「怖がってたらパクッとやられてるわよ。それだけ対等に愛情を持って接してるんでしょうね。動物達の中でもライオンのパフォーマンスがこのアダムサーカスの一番の売りね」

 楓はそう言いながら手に持っていた受付で貰ったパンフレットの中央を指で軽く叩いた。パンフレットの中央にはよく見るピエロの姿をしたピエロが不敵な笑みを浮かべていた。メイクをしてるので、あまり分からないが若い人のように見えた。

 「あっちに人だかりが出来てるわね。何かしら?」

 確かに楓の見る方向には十数人が固まっていた。よく見ると、年配の女性が多かった。

 「ちょっと見てみましょう」

 2人はベンチから立ち上がって人だからの方へ向かった。近付いてみると、皆それぞれの手に色紙やらアダムサーカスのグッズやらを持っていた。楓はすぐにピンと来た。恐らく、サーカス団の誰かしらがファンサに来るのを待っているのだろう。すると、目の前にいたおばさん二人組の会話が聞こえた。

 「今日こそ、薫様のサインを貰わなくちゃ」

 頭を紫に染めたいかにも気が強そうなおばさんがいった。

 「でも、この位置で貰えるかしら」

 一方で老眼鏡をかけて黒髪に少し白髪が混じった温和そうなもう1人のおばさんがいった。

 「あの、すみません」

 楓は2人に声をかけた。いきなり後ろから声をかけられた2人は驚いて楓の方に顔を向けた。そして、楓の顔を見て目がパッと輝いた。

 「まぁまぁ、なんて綺麗なお嬢さんなのかしら」

 紫の髪をしたおばさんがいった。

 「あらあら、驚いたわぁ。名前はなんて言うの?」

 温和そうなおばさんが聞いた。

 「秋山楓と申します。いきなり声をかけてしまいごめんなさい」

 楓は仕事用の笑顔を二人に向けた。紫の髪のおばさんが堂上千佳子。温和そうなおばさんが市原理恵と名乗った。

 「いえいえ、こんな綺麗なお嬢さんに声をかけてもらうなんて嬉しいわ。どうかしたの?」

 堂上千佳子がいった。

 「人だかりが出来ていたので近寄ってみたのです。これは何の集まりなんですか?」

 「楓ちゃんはこのサーカスは初めて?」

 堂上千佳子は早くも楓をちゃん呼びした。

 「お恥ずかしながら」

 楓は丁寧な口調を崩さない。

 「このアダムサーカスの人達はサービス精神が旺盛でね。いつも開演前の1時間前くらいになるとファンサービスのために表に出てきてくれるのよ」

 今度は市原理恵が嬉しそうにいった。楓は内心で予想通りねと呟いた。

 「その薫様というのは誰でしょうか?」

 「あらあら、初めてでもそれくらいは知ってないといけないわ」

 堂上千佳子がほんのり叱咤するような、それでいて可愛い教え子にメロメロな先生のような表情でいった。

 「薫様って言うのはピエロをやっている方の名前よ。本名は大谷薫って言うの。あまり素顔を見せないのだけど、少し丸っこい童顔で、屈託のない笑顔が特徴なのよ。背も190センチ以上あってね。でも、話し方も優しくて良い子なのよ。もう私達のようなおばさん達が大好きなタイプの男の子よ」

 堂上千佳子はまるで自分の息子のように鼻高々と語った。

 「お二人は実際にお顔を拝見したことがあるのですか?」

 「そうなのよ。たまたまファン向けのイベントがあって、そのイベントで初めて素顔を見せてくれたの。皆んなが、イケメンって言って頬を赤く染めていたわ。メイクの上からもイケメンなのは何となく分かっていたけど、その想像を更に超えていたんだから、尚更ファンになってしまったわ」

 市原理恵が恋する乙女のようにいった。どうやらこの大谷薫という人物はかなりのおばさまキラーだと言うことが分かった。確かに、周りを見渡せば集まっているのはおばさまばかりだった。後は親に連れられた子供が複数人で若い女の子は2人しか確認出来なかった。

 「それにしても楓ちゃん。あなたも綺麗ねぇ」

 堂上千佳子が上から下まで検めた。

 「ありがとうございます。おばさまこそ上品で素敵ですわ」

 楓は社交辞令を返す。こうゆう時の楓の上面は良いので、堂上千佳子はにこにこした。

 「こちらの方は?もしかして楓さんの彼氏?」

 ようやく守の存在に気付いた市原理恵がいった。

 「いいえ。彼はそのまぁ仕事仲間のようなものです」

 いきなり自分は探偵でありその助手ですと自己紹介するのは気が引けた。

 「楓ちゃんは何かお仕事してらっしゃるの?」

 まるで、守が目の前にいることを認知していないかのように堂上千佳子は楓に話しかけた。しかし、守にとってはこんなことは慣れっこなので、特に反応を示すことはない。

 「普通のOLです」

 楓は適当に答えた。ここで探偵など言っても変に怪しまれるだけだ。

 「あらまぁ。こんな別嬪さんなんだから、モデルか女優なんかやってるかと思ったわ」

 別嬪と言う言葉を久々に聞いた気がする。今やほぼ死語と言っても過言ではないだろう。

 「本当お上手ですね。私なんて全然ですよ」

 「あらあら、謙虚な所も素敵ねぇ」

 市原理恵が顔を綻ばせながらいった。

 「ところで、その大谷さんと言う方はいつ出て来られるのですか?」

 仕事の話しをこれ以上振られたくない楓はさらりと話題を逸らした。

 「もうそろそろなはずよ。楓ちゃんもしっかりと拝んでおきなさい。本当にカッコいいから」

 堂上千佳子は顔をうっとりさせていった。

 「是非、拝ませていただきますわ」

 楓がそう言った途端に前方にあった扉がゆっくりと開いた。そして、扉からぬっと大きな男が出てきた。瞬間、堂上千佳子も市原理恵も金切り声を上げて前へ前へと進んでいった。無理矢理ねじ込んで来た2人に不快な顔をするファンもいたが、2人はそんなことをお構い無しにラッシュを掻き分けていった。楓はその様子を苦笑いで眺め、大きな男こと大谷に目を向けた。既にピエロのメイクを顔に施しているので、正確な顔は分からないが、それでも人懐っこい笑顔を浮かべて優しい表情をしているのは分かった。確かに、ああゆう息子系タイプの男はおば様達からすれば格好の獲物だろう。もちろん、生粋のレズビアンである楓からすればなんてこと無い男である。もはや悲鳴に近い声を上げてサインを求めているファン達を少し冷めた目で見ていた。

 迫り来るファン達にサインをしていた大谷がふと顔を上げた。大谷は背がファン達より頭二つ分高いので、後方で見守っている楓達が見えた。そして、大谷は楓を見て少し驚いた顔をした。物凄い美人だったからだ。少なくとも、大谷が今まで会ってきたどの女性よりも綺麗だった。大谷には楓から目が離せなくなりそうになったが、目の前にいるファン達がそれを許さなかった。もはや、誰が誰の色紙か分からないままねだられるサインをひたすら書いた。再びチラッと後方を見た時には楓は居なくなっていた。大谷はファンサービスを終えて控え室に戻る間、ずっと楓のことを考えていた。しかし、すぐにそれを振り払った。これから行う事を考えると楓のことなどすぐに頭から吹き飛んだ。この日のために熟考を重ねに重ねた。そして、ついにあの男を殺す算段をつけた。心臓の音がいつもより大きく聞こえる。緊張して怖気ついてるのかと不安になる。こうゆう時は大谷は常に自分にこう言い聞かせていた。緊張しているのではない自分は興奮しているのだと。こう言い聞かせることによって体の震えが止まり硬さがほぐれる。人を殺すことは重罪なのは承知している。それでも、もう後戻りは出来ない。ここであの男を殺さなければこのサーカス団に未来はないと本気で思っていた。大谷は瞑目して静かにその時を待ち始めた。


 空中ブランコで人が舞い、ナイフ投げで観客の誰もが肝っ玉を冷やしている頃、1人事務所でその様子をテレビで観ていた人物がいた。それはアダムサーカス団長の伊丹だった。目つきは真剣でサーカス団のパフォーマンスをしっかりと値踏みしているようだった。側には酒の入ったタンブラーが置かれていた。

 「もうすぐ彼の出番か」

 そう呟くと、部屋の扉がノックされた。伊丹はこんな時に誰だと訝しんだ。伊丹は椅子から立ち上がり扉を開けた。目の前に立っている人間を見て伊丹はただでさえ大きなギョロ目を一層開かせた。

 「な、何故・・・・・・大谷君が・・・・・・それにその格好は・・・・・・」

 驚愕のあまり後ずさりしようとしたが、その前に目の前の人物思いっきり押され、伊丹は仰向けに倒れた。そして、その人物は馬乗りして伊丹を押さえ付ける。伊丹はもがこうとするが、還暦に近い大谷との力は雲泥の差がありどうすることも出来なかった。

 「彼等を助ける為にはこうするしかありません」

 大谷は静かにいった。

 「は、早まるな。私が悪かった。あの事は無かったことにする。だから・・・・・・」

 「もう遅いですよ。私はあなたを殺す。そして、ここの団長に収まる。それで全てが解決します」

 大谷は右手に持っていた。サバイバルナイフをギラつかせた。

 「た、頼む。私の話しを聞いてくれて」

 息も絶え絶えに伊丹はそう言うのが精一杯だった。

 「さようなら」

 「や、やめろ・・・・・・助けてくれ」

 伊丹の力なき懇願は聞き入れられなかった。大谷は力いっぱいにナイフを振り下ろし、伊丹の首に刺した。伊丹は汚い断末魔を上げた。ナイフを抜くと血が噴き出し、大谷を赤く染める。伊丹の体がビクンビクンと跳ねる。大谷は伊丹の目から光が失われる瞬間を眺めて、ようやく立ち上がった。大谷は振り返ることもなく伊丹の部屋を素早く後にした。大谷はこの時よもやファンサービスの時に見かけた美女にトリックが看破されるとは夢にも思っていなかった。


 「いやー面白かったですね」

 興奮気味に守がいった。初めてサーカスを観劇したが、こんなにも面白いものだったのかと素直に思った。特にあの2人が言ってたように、ピエロと動物達のショーは素晴らしかった。人と動物はあんなにも一心同体になれるのかと感動すら覚えた。あれだけ動物と心を通わせることのできる大谷薫がどのような人物なのか自然と興味が湧いた。

 「そうね。想像以上に面白かったのは間違いないわ」

 楓もご満悦の様子だった。クソ暑い田舎道を歩いていたこともすっかり忘れてご機嫌なようである。

 「いやぁあんな風に動物を従えられるなんて凄いですね」

 守が興奮気味にいう。

 「ピエロが従えてるように見えなかったわ。本当に長年のパートナーのように深い絆で結ばれてるのが客席からでも分かったわね。どうやら大谷薫って人は天性に動物から愛される才能の持ち主のようね。でなければ、あそこまでのパフォーマンスをライオンから引き出すのは無理よ」

 「でも、目玉のライオンが居なかったのが残念でしたね」

 「そうね。まぁ体調不良なのはどうしようもないわ」

 「あらー二人ともここにいたのね」

 背後から声をかけてきたのは楓が色々と質問をした堂上千佳子だった。すぐ後ろには市原理恵も立っていた。

 「どうだった?」

 堂上千佳子は二人とも面白いと言うと半ば確信してるような表情で聞いてきた。

 「想像の上を軽く超えるくらい面白かったですわ。おば様の言うようにピエロのショーは圧巻でした」

 楓の感想に堂上千佳子は嬉しそうに何度も頷いた。

 「そうでしょうとも。彼のパフォーマンスは世界一よ。誰にも真似は出来はしないわ」

 千佳子は夢見る少女のようにうっとりした。

 楓が二人は無事に大谷のサインを貰えたのかと質問をしようとした時に、どこからともなくパトカーのサイレンの音が聞こえた。

 「あらあら、何かしら」

 市原理恵が不安そうにいった。

 「何か事件でもあったんですかね?」

 守は楓にいった。楓はスッと目を細めた。パトカーのサイレンがやがて止むと、複数の警察官が傾れ込んできた。ロビーにいた誰もが不安げな表情で警察官を見ている。警察官の雰囲気は側から見ても厳しいものがあり、誰もが嫌な予感を抱いてた。

 「先生もしかして」

 守は堂上千佳子と市原理恵に聞こえないように楓に耳打ちした。

 「ええ。間違いなく事件があったと見ていいわ」

 楓は警察官の行方を追いながら答えた。そして、楓は流れ込んでくる警察官の中に見知った顔を二人見つけた。その瞬間、楓は殺人事件が起こったことを確信していた。

 

 「ひでぇあり様だな」

 死体を見た瞬間に上山が呟いた。大量の血飛沫が床を濡らし、死体の首元はザックリと鋭利な刃物で斬られた後がありありと分かり、恐怖で引き攣った目をしながら倒れていた。

 「頸動脈を一突きですね」

 皆川は冷静にいった。まだ詳しく分からないが、それでも傷の深さから凶器は刃渡り10センチはあるだろうと予測された。

 「犯人は普段から刃物の取り扱いに慣れてる人物だな。じゃなきゃ、ここまで綺麗に一突きは難しいだろう」

 「一般人なら訳もなく見つけられそうですが、ここはサーカス団です。刃物の取り扱いに慣れてる人物はそれなりにいるでしょう」

 「んなことは分かってんだよ。だから、今回は犯人を見つける方法は二つだ」

 上山は不機嫌そうにいった。

 「ええ。犯人は馬乗りになって刺しているので、刃物を抜いた瞬間に大量の返り血を浴びているはずです。返り血を浴びた衣類を見つけると、被害者を刺した凶器が見つかれば自ずと犯人も見つかるはずです」

 「とにかくサーカス団員はもちろん観客もまだ帰すな。田舎の劇場らしく防犯には全く無頓着みたいだから、防犯カメラも何もない。サーカス中に客席を抜け出してこの部屋に来て刺すことも可能ってことになる」

 「そうなると、容疑者は500人近くいるってことになりますね」

 「それで第一発見者は誰だ?」

 「サーカス団に勤めているマネージャーだそうです。あまりにも惨い現場を見たショックで今は控え室で横になっているそうです」

 「そうかい。まぁこんな物を初めて見て気分を悪くしない奴は相当な反社会性パーソナリティの持ち主くらいだ。どっちにしろ話しは聞かなきゃならんから、話せるくらいに回復したら尋ねるか。後のサーカス団のメンバーはどうしてる?」

 「はい。同じく控え室で待機してもらってます」

 「もし、サーカス団の人間の中に犯人が居て、サーカス中に人を殺して何の動揺もなくいつも通り同じパフォーマンスをしてると考えたら、とんでもないメンタルの持ち主だな」

 上山は吐き捨てるよういった。

 「全くその通りですわ」

 突如、背後から聞こえた女の声に二人は一斉に振り向いた。そして、扉の所で立っている人物を見て目を見開いた。

 「楓さん」

 皆川がいった。

 「あ、あんたが何でこんなところに」

 滅多なことで動じない上山が動揺全開でいった。

 「お久しぶりです。上山刑事。相変わらず皮肉がお上手ですね」

 「そんなことはどうでも良い。こっちの質問に答えてくれ」

 「何でも何も、今日このサーカスを見に来たからですよ」

 「楓さんはサーカスお好きなんですか?」

 皆川が意外そうにいった。

 「いいえ。ある人からの依頼と言えば良いのかしら」

 楓はここに来ることになった経緯を話した。

 「なるほど。そのオーナーに頼まれてサーカスを観に来たのに、たまたま殺人現場に居合わせたという訳か。あんた前世でよっぽど行いが悪かったようだな」

 上山が皮肉をいった。

 「前世で行いが悪くても、現世で事件を解決して禊を済ませてるから問題ないですわ。そんなことよりも事件の概要を教えて下さるかしら」

 「悪いが、今回はあんたの出番はない」

 上山はドヤ顔でいった。

 「どうゆうことかしら?」

 「犯人はじきに見つかる」

 「それは本当ですか?」

 楓は少し驚きながらいった。

 「ああ。今回の事件はそんなに難しくない。一つだけ教えておくが、犯人は間違いなく団員の誰かだ。その犯人は幾つかの証拠をまだこの劇場内に隠してる可能性が高い。通報が早かったお陰で犯人は証拠を処分する暇はなかったはずだからな。その証拠が見つかり、犯行可能な人間を見つければ後は簡単だ」

 「なるほど。それでその証拠というのはなんですの?」

 上山は皆川に教えてやれと顎でしゃくった。

 「凶器と血痕の着いた衣類です」

 「凶器と衣類ねぇ」

 「はい。今回の殺人事件で使用された凶器と犯人が返り血を浴びるのを防ぐ為に着ていてであろう衣類が間違いなくこの劇場内のどこかにあるはずなんです。現在、複数の警察官が劇団員の荷物検査と劇場内を隅々まで捜索しています。流石に荷物検査で出るとは思いませんが、サーカスの最中の犯行なので外に出てその二つを隠すことは間違いなく不可能です。なので、劇場内を徹底的に捜索すれば凶器が出てくると私達は踏んでます。その二つが出てくれば犯人逮捕に一気に近づくのは間違いありません。被害者と争っている後もあったので、着用していた衣類から被害者の何かしらの痕跡が出てくる可能性も大きいでしょう」

 「流れるような説明をありがとう。それも上山さんの推理に基づいて動いてなさってるのかしら?」

 「はい。上山さんがそう推理して我々は動き始めてます」

 「お見事としか言いようがないですわ」

 楓はわざとらしく恭しく頭を下げた。上山はふんと鼻を鳴らした。

 「そうゆうことだからあんた達の出番はない。そうなれば、ここは関係者以外立ち入り禁止だから出て行ってもらおう」

 上山はいった。

 楓としてはこれ以上留まる理由はないので、大人しく踵を返した。

 「先生。上山さんの推理は当たってると思いますか?」

 ロビーは戻る途中で守が聞いた。

 「そうね。事件の概要が分からないから何とも言えないけど、捜査の方向性は間違ってないと思うわ。ただ・・・・・・」

 楓は言葉を切って足を止めた。

 「ただ?」

 「そうすんなりと犯行に使用された証拠等が見つかるとは思えないわ」

 「どうしてですか?皆川さんも言ってましたけど、劇場から出て外に隠しに行ける暇はなかったはずだと」

 「だからこそよ。仮に今回の事件が突発的に行われたのであれば、犯人はとっくにここから逃げ出してるはずだわ。しかし、犯人は逃げてない。それどころか返り血を浴びない為の工夫をしている。つまり、計画的犯行なはずよ。それなのに、ゆっくり証拠を隠せないサーカス中をわざわざ狙っている。つまり、警察がいくら証拠を躍起にして探しても見つからない自信があるのよ。どんなにアリバイが不鮮明でもその証拠見つからない限り犯人を捕まえることは出来ないわ」

 「どうして犯人はサーカス中に犯行に及んだんですか?劇団員の中に犯人がいると言ってるようなものじゃないですか?」

 守が至極最もな疑問を投げかける。

 「その答えは一つよ。サーカス中に犯行を及んだのではなくて、サーカス中じゃないと犯行に及べなかったのよ」

 「どうゆうことですか?」

 「残念ながら、私が推理出来るのはここまでよ。後は詳細を聞かない限りはただの仮説になるわ。まぁ、警察がサクッと見つけて時間が解決することを願うわ」

 楓はそういったが楓の願いは叶わなかった。

 楓達がロビー戻ってから1時間近く経過すると、楓の携帯が鳴った。着信の相手は皆川からだった。

 「私の力は要らないのではなかったのでは?」

 のっけから痛烈な皮肉を放つ楓に上山は苦虫を潰したような顔になった。先程の皆川からの電話は、案の定捜査協力の依頼の電話だった。楓達は改めて事件現場となった控え室にいたのだった。

 「別にあんたに事件を解いてもらおうなんざ思っちゃいない。ただ、別の角度からの意見が欲しかっただけだ」

 上山は精一杯の虚勢を張る。

 「そうでしたか。なら、私は帰りますわ。別に殺人事件の捜査に協力する義務はございませんので」

 「本来なら勝手に入ってきた時点で不法侵入で逮捕することも出来るんだぞ」

 上山が警察らしからぬ恫喝めいたことを口にする。

 「ご自由に。立派な不当逮捕ですし、そうなれば私の元同僚達が黙ってませんよ?」

 楓の強烈なカウンターに上山は言葉を詰まらせる。楓は元FBI出身で有能な捜査官として名を馳せ、FBI長官の覚えも良かった。そんな人間を日本の警察が不当逮捕したと知ったら、裏で大国アメリカの威信にかけて様々な圧力が降り注ぐのは容易に想像出来る。上山は潔く完敗を認めてスッと頭を下げた。

 「あんたの力が必要だ。捜査に協力してほしい」

 「分かりました。微力ではありますが力を貸して差し上げますわ」

 楓はどこまでも上から目線で答えた。そんなやり取りを見ていた守と皆川は苦笑いしながらお互いの顔を見た。


 改めて皆川が事件の概要を楓に話し始めた。

 「被害者はこのアダムサーカス団の団長である伊丹蓮三郎さんです。年齢は57歳。死因は頸動脈を鋭利な刃物で刺されたことによる失血死です。死亡推定時刻は18:00頃です」

 「他に刺した箇所は無いの?」

 「はい。犯人は頸動脈だけを一刺しで殺したいます」

 「中々の手練れのようね」

 「先程も言ったようにサーカス団の誰かの犯行なのは明白でしょう」

 「そうね。それは間違いと思うわ。凶器の扱いも手慣れている人間もいることでしょうし」

 「そして、恐らく犯行に使われた凶器はナイフだと言うことも判明しています」

 「どうしてナイフだと分かったの?」

 「捜査でサーカス団が普段使用しているナイフの一本が無くなっていたそうです。犯行目的で盗まれたものと考えています」

 「なるほど。いよいよサーカス団員の犯行なのは間違いないようね。団員の方達は何をしているのかしら?」

 「アリバイ的に犯行が不可能な人間と可能な人間に分けて控え室で待機してもらってます」

 「犯行が可能な人間は何人いたの?」

 「一人です」

 皆川の答えに楓は意表を突かれたような顔をした。

 「それはそれは。誰なの?」

 「このサーカス団でピエロを演じてる大谷薫です」

 楓は目を大きく見開くと同時に、開演前に大谷薫が柔和な笑顔でファン対応をしていた場面が過ぎった。

 「何とまぁ。このサーカスのスターが容疑者だなんて」

 「ご存知なんですか?」

 「サーカスが始まる5分前まで彼の凄さを嫌という程聞かされましたから」

 上山と皆川には何のことが分からなかったが、当然ながら守には誰のことを皮肉っていたのかすぐに分かった。

 「それで、その大谷薫は何て言ってるのかしら?」

 「何も知らないの一点張りです」

 「なるほど。ところで、大谷薫はナイフの扱いに長けているのかしら?」

 「他の団員の話しによると、大谷ならばこのサーカスで披露する技は全てこなせるとのことです。当然ながらナイフ投げも習得していますので、ナイフの扱いはお手の物かと」

 「彼に団長を殺す動機はあるのかしら?」

 「聴取の結果、大谷薫と団長の間でトラブルがあったとのことです」

 「どんな?」

 「動物を巡る処遇に関してだそうです」

 「詳細を」

 楓は続きを促す。

 「団員の話しによると、殺された団長は動物を処分して人間のみのサーカス団に方向転換したかったそうです。それに大反対したのが動物の管理を任されてる大谷薫でした。大谷薫は一ヶ月半前に団長室で怒鳴り声をあげて迫っていたそうです。普段は温厚で決して怒らならい大谷薫があそこまで怒りを露わにするのが珍しくて団員の間でも強烈な印象を残していたようです」

 「それにだ、次期団長が大谷薫と決まっていて、団長に何かあった際には自動的に大谷薫の団長就任が決まっていたそうだ」

 上山が付け加えた。

 「犯行可能で動機もある。この上ないくらいに怪しすぎて逆に犯人なのか怪しいわね」

 楓は肩をすくめながらいった。

 「気持ちは分かります。しかし、現状は大谷薫で間違いないかと」

 楓は徐に殺害されていた団長が座っていた椅子に座った。そして、いつものように腕を組みいつものように瞑目を始める。

 上山と皆川の話しからして大谷薫が犯人なのは間違いないはずだ。では、大谷薫を捕まえるにはどうすれば良いのだろうか。この殺害現場から彼に繋がる証拠が見つかれば良いが、まずそんな事はないと断言出来た。犯行は大胆だが、細心の注意を払いこの現場に自らの痕跡を残すようなヘマはしてないだろう。つまり、大谷薫を追い詰める術は犯行に使用された凶器等を見つけること。これに限るはずだ。ここまで自らが犯人と言ってるような犯行をしたのにも関わらず、何の動揺もなく平然と知らない態度を取れるのは大谷薫が証拠の隠し場所に絶対の自信を持っているからに違いない。大谷薫だけが知っている秘密の隠し場所。それを見つければ彼は犯行を認めさせざるを得ないはずだ。しかし、警察が隅々まで探したこの劇場内にまだあるのだろうか。被害者の死亡推定時刻は18時頃。その時刻から彼の出番まで約10分。この空白の10分で外に出て証拠を処分することは可能か。いや、それはほぼ不可能だと気付いた。僅か10分くらいでは行ける範囲も限られてるし、それくらいの範囲なら穴に埋めていてもいずれ警察が見つけ出すだ。それに、これほど大胆な犯行しながらも一切の証拠を残してない人間がそんな杜撰な証拠の処分をするはずがないと思った。つまり、証拠はこの劇場内にあると楓は確信した。とにかく、必要なのは、私自身による劇場全体の検証と大谷薫への事情聴取だ。楓は瞑目を終えると突然椅子から立ち上がった。

 「さて、守ちゃん。捜査の開始よ」

 楓の目にはメラメラと炎が燃え上がっていた。


 捜査に着手した楓と守はまずは劇場内を隅々と探索することにした。二人の後ろには不機嫌な顔の上山と楓の捜査に参加できることで少し浮かれている皆川が情報提供として従っていた。

 「この劇場には防犯カメラはあまり付いてないみたいね」

 楓はこの劇場に着いてからの疑問を早速口にした。仕事柄、建物内に入るとついカメラの位置を確認してしまう癖があった。

 「古い建物で特に盗まれるような物も置いてないから、最小限にしか付けてないそうだ。ちなみに、この通用口には一切付いてない」

 上山が答えた。

 「それも織り込み済の犯行ってことね。サーカスとして何回もこの劇場は使用しているから、カメラの存在の有無については把握してるはず。だから、殺人の舞台をこの劇場にしたのね」

 「それにしても、どうしてここにしたんでしょう。大谷さんなら幾らでも機会はあったはずだと思いますが」

 守はさっき言った疑問を再び投げかけた。

 「それに関しては分かってます。恐らく、普段の日常生活では殺す機会は皆無に等しいからです。被害者と大谷薫さんはサーカス団での繋がりはあれど、特に普段から親しい様子は無いそうです。個人的な連絡は無く内容はサーカスのことについてだけ。大谷薫さんは団長の家がどこにあるのかも知らないそうです。実際に会うのはサーカスの稽古の時くらいだそうです。もし、2人きりになったとしてもすぐに分かるそうですし、そこで犯行に及んでも、小さい稽古場では誰がいつ休憩に入ったりするか分からないですし、証拠を隠すのも難しいと思われます。逆に言えば今日みたいな本番は誰がどうゆう行動するのか把握出来ますし、稽古の時よりはチャンスがあったからこそ、この場所で犯行に及んだと思います」

 「家を知らないは本当かどうか分からないのではなくて?」

 「正直、知ってようが知ってまいがあまり関係ありません。被害者の住むマンションは防犯がしっかりしていて、入館する際には顔写真付きの身分証の提示が求められます。なので、誰がいつ来たのかまで記録されるんですよ。仮に容疑者が被害者の後を付けて家を特定したとしても、その制度を知ったら犯行は諦めるのは明白です」

 「そんなに入館が厳しいマンションがあるんですか?」

 守は驚きを隠せなかった。

 「今のタワーマンションには求められてしまうサービスになってきてる。これからもとにかく防犯に厳しいタワマンがどんどん出てくるはずだ。時代が進んで便利になっていく一方で、手間がかかることも増える」

 上山が皮肉るような口調でいう。

 「そうなると、チャンスはこの本番中しかなかったことになるのね。納得したわ」

 その後、四人はぐるりと劇場の一周した。分かったことはどの非常口にもしっかり鍵が掛かっていて、僅かな可能性を考慮していた外部犯の線が完全になくなった事くらいだった。

 「外部犯の可能性は極めて低いとなると、やはり全てにおいて怪しい大谷薫が犯人と見て間違いなさそうね」

 腕を組みながら楓がいった。

 「先生どうされますか?」

 守が聞いた。

 「こうなったら本丸を攻めるのみよ」

 楓の眼はギラリと光った。


 控え室では大谷薫がソファに腰をかけて祈るような体勢で座っていた。手には今も首元を刺した感触が残っていた。何とか必死で公演は乗り切ったものの、胸中は常に穏やかなになるはずもなかった。時折、これで本当に良かったのかと不安がよぎったものの、これしか方法は無かったと自分に言い聞かせた。警察がやってきてあれこれ聞かれたが、ほぼ黙秘を貫いた。自分が最有力の容疑者なのは知っている。と言うより、そうなるように仕向けたのだった。敢えて、サーカスで使ってる小道具のナイフで殺したのも、犯人を自分に特定させる為に選んだだけだった。なるべく証拠が片付けやすい絞殺にしたかったが、そうすると団員にも疑いの目が向けられてしまうと考慮して、ナイフを選んだ。ナイフをの扱いに長けている人間で且つあの時間に団長を殺せるのは自分しか居なくなるからだ。危険な賭けではあるが、大谷薫は捕まらないという自信を持っていた。どんなに犯行可能であれど、証拠が出なければ逮捕は出来ない。仮に警察に連行されて取り調べを行われようとも、自分は黙秘権を貫くことを決めている。知らぬ存ぜぬを突き通し、何も言わなければどんなに黒に近くても証拠が無ければ意味がない。警察は自白をするように促すだろうが、あの子達を守るという絶対的な防御がある限り、自分の意思が崩れることはない。問題はその証拠が見つかるかどうかだった。だが、あの場所が見つかるとは思えなかった。なのに、大谷薫の胸から焦燥感が消えることはなかった。むしろ、さっきよりも大きくなっている。あの悪魔を消し去り、このサーカスの団長に就任が決定しているのに、何故か不安がまとわりついてくる。まるで、大きな何かに追い詰められてるような感覚。大谷薫は頭を振り払った。大丈夫。俺は捕まらない。何度もそう言い聞かせた。


 四人は大谷薫の控え室の前に辿り着いた。上山が扉をノックする。

 「どうぞ」

 大谷薫の声が聞こえて、上山は扉を開けて中に入る。続いて皆川が入った。とりあえず、楓と守は外で待機している。

 「失礼します。大谷薫さん。突然ですが、あなたに会わせたい人物がいるのですかよろしいでしょうか?」

 皆川が要件をいった。

 「会わせたい人物?誰ですか?」

 「今回の捜査に協力してもらってる方です」

 大谷薫は怪訝そうに顔を顰めた。警察に協力している人物なんているのかと思った。しかし、それが本当ならばどんな人物なのか興味が湧いた。

 「まぁ良いですよ」

 大谷薫は承諾した。

 承諾を得た皆川は外にいる楓達を呼んだ。皆川の後に入って来た人物を見た時に、大谷薫は驚きで立ち上がった。入ってきたのは、公演前にファンサービスしてる時に最後にチラリと見掛けたあの美女だったからだ。

 「ん?どうかしたのか?」

 今度は上山が怪訝な顔で大谷薫を見た。

 「あ、いえ、その方々は?」

 大谷薫が言うと、刑事の後ろにいた。とびっきりの美女が前へと躍り出た。大谷薫は改めてその美しさに見惚れてしまった。

 「初めまして。大谷薫さん。私は秋山楓と言います。斜め後ろにいるのは、助手の小鳥遊守です。今日はよろしくお願いします」

 「あ、えっと。初めまして」

 大谷薫は何がなんだがさっぱり分からないまま、とりあえず頭を下げた。何故ここに、この人がいるのだろうか。

 「あのー刑事さん。この方はどうゆう方なんですか?」

 「東京で探偵をやっている方です」

 大谷薫は穴が開くほど楓を見つめた。この美女が探偵?モデルや女優とも張り合える美貌の持ち主が探偵とは。そもそも、探偵が警察に協力をしてるとはどうゆうことだろうなど大谷薫の中で様々な疑問が駆け巡った。

 「私が探偵をやってるのがそんなに変かしら?」

 大谷薫の心を読み取ったかのように楓がいった。

 「あ、いえ、そんなことは。その探偵の方に初めて会ったもので」

 大谷薫は言い訳じみた言葉を並べた。何故か、気を悪くさせたのなら申し訳ない気持ちになった。

 「そうですか。まぁ意外に思う気持ちは察するに余りあります。ところで、本日のショーは大変素晴らしかったですわ」

 唐突に今日の公演のことを褒められた大谷薫は面を食らった。

 「あ、ありがとうございます」

 「お話しに聞いていたように、本当に動物達と心を通わらせていらっしゃるのですね。あんなに生き生きとした動物達の表情を見たのは初めてですわ」

 楓はにこやかに話しを続ける。

 「そう仰って頂けて嬉しいです。彼らがいてこそのアダムサーカス団です。彼らが褒められるのは自分が褒められるよりも嬉しく感じます」

 大谷薫は顔を綻ばせながらいった。

 「その愛してやまない動物達を魔の手から救うために今回のような事件を起こしたという訳ですね」

 楓は笑顔のまま核心をつく爆弾を放った。その場にいた3人は驚きに目を剥いた。そして、楓の発言を受けた大谷薫から一瞬で笑みが消え去った。

 「ははは。いやぁ、参ったなぁ。いきなりこんな事言われるなんて」

 大谷薫はどう言い返して良いのか分からず困惑した。

 「先生。いきなりそれは失礼すぎるのでは」

 「あら、こんなの失礼な内に入らないわ。この世界には殺人現場にチャリで入ってきたり、一度疑い始めたら四六時中くっつく老獪な刑事もいる・・・・・・」

 そこまで言うと、案の定守が飛び出して楓の口を塞いだ。

 「先生。良い加減にしないと本気でマズイですって」

 「苦しいから離れなさい」

 いつものように守の腹にエルボーを喰らわせる。

 「全く。毎度毎度、良いところで邪魔するんだから」

 楓は不機嫌そのものでいった。

 守はありったけの恨みを込めた目で楓を睨め付けることしか出来なかった。

 当然、大谷薫には何が何だがさっぱり分からない。

 「まぁ良いわ。さて、話しを続けますわ。このような小さな劇場で、優秀な警察の目をも欺いて証拠を隠すなんて芸当は動物をあそこまで従わせるよりも遥かに難易度が高いですわ」

 楓は尚も挑発をやめない。

 楓がこう挑発するような発言をするのは無論理由がある。容疑者が1人に絞られ証拠が見つからない場合に一番有効な手立てはシンプルにその容疑者に口を滑らせることだ。FBI時代でも頻繁に使用していた手法で、相手を怒らせ感情を昂らせると本来であれば口走ってはいけない事を口走られさせる可能性が上がる。この大谷薫にそれが通用するのかは分からないが、やらないことには何も始まらない。なので、楓は開口一番でストレートを放ったのだった。

 「従わせるなんて言葉は言わないでいただきたいです。僕と彼らの絆には上下関係は存在しません」

 大谷薫は粛々と告げた。怒ってる訳ではないが、不快感を隠そうとはしなかった。

 「それは失礼しました」

 楓は素直に謝る。

 「それと、何か勘違いされていらっしゃるようですが、私は何もしていません」

 「警察からはあなたしか犯行可能な人間はいないと聞いてますか?」

 「もちろんです。僕が疑われてるのも分かります。しかし、僕はそれでも何も知りません」

 大谷薫は目を瞑って答えた。

 「なるほど」

 楓は最初の口を滑らせる手法は通用しないと悟った。

 「では、改めてお聞きしますが、団長が殺されて何を思いましたか?」

 「残念な気持ちもありましたが、安堵した気持ちもあったのも否めません」

 「安堵とは?」

 「心のどこかで彼らが処分されなくて済んだと思ったのは事実です」

 「一カ月前くらいに団長と激しい口論をしたそうですね。何故、そんな激しい口論に至ったのですか?」

 「団長から突然に、彼等をサーカスから追い出すと通達されたからです」

 「その時に殺意が芽生えたのでは?」

 「確かに、その時は殺してやりたいくらいに怒りを覚えました。しかし、このサーカスの窮状を語られてはどうにもすることが出来ないと悟り、最後は悔し涙を流しながら受け入れましたよ」

 「どうしてその動物達を処分しなければならなくなったのでしょう?差し支えなければ教えてください」

 「理由は単純ですよ。彼らを飼えるお金がもう無いんです。彼らの食事代はサーカス団の経営を日に日に圧迫していました。勿論、彼らも大切な家族です。何とかして資金を作って手放さないように頑張ってきました。しかし、とうとう限界を迎えてきたのです。団長もこの事実を伝える時は辛そうな顔をしていました」

 大谷薫は苦痛に顔を歪めた。その言葉は本心から言ってるように思えた。

 「そう言えば、聞くところによると団長に就任するそうです?大谷薫さんは彼らをどうするおつもりですか?」

 「その事についてはまだ何も決めていません。何せ団長が殺されるとは思ってもいなかったですから」

 大谷薫は淡々と答える。

 「それは意外ですわ。あなたが就任したところでサーカス団の景気が良くなるわけではないでしょう。それならば、彼らを処分するのは妥当なのではないですか?」

 「もちろん、その考えはあります。しかし、まだ再考の余地はあるはずだとも思っています。今は団員の皆んなはただでさえ動揺しているので、時間が経ち落ち着いたら議題に上げようと思ってます」

 「あなたの独断で処分をしないと決めることはしないのですね?」

 「当然です。むしろ、団長になったからこそ責任は重大です。可能な限り、皆んなが幸せになる選択を取るつもりです」

 大谷薫は力強くいった。

 「素晴らしい心掛けですわ。もっとも、あなたが団長として腕を振えればの話しですけどね」

 「僕が犯人だという考えは変わらないようですね」

 「ええ。今の所は」

 楓の返答に大谷薫は残念そうな顔をした。

 「とは言っても、あなたが犯人である証拠はありません。状況証拠的には限りなくクロであるというだけですが」

 「今は何を言ってもどうしようもないと言うことですね。まぁしかたありません。お好きに捜査をしてください」

 大谷薫は少し突き放したような言い方をした。

 「ありがとうございます。差し当たって、お願いがあるのですか」

 「何でしょう?」

 「動物達に会わせていただけませんか?」

 楓の申し出に大谷薫は僅かながらに動揺を見せた。

 「なぜです?彼らは事件に無関係でしょう」

 「いいえ。大いにありますわ。何故なら、今回の殺人の動機である可能性が高いのですから。それとも何か?会わせたくない理由でもあるのですか?」

 大谷薫は口を噤んだ。出来れば、今は人を近づけたくなかったからだ。しかし、これ以上強く拒めば意味もなく更に怪しまれることは明白だった。大谷のこめかみに嫌な汗が一つ垂れた。

 「分かりました。ご案内しましょう。ただし、触れ合いはなしです。サーカスの後で動物達も疲れているので、下手に刺激をすると襲われかねませんので」

 大谷薫は勝手な行動は許さないという意味で牽制を込めていった。

 「ありがとうございます。もちろん、動物ファーストでいきますわ」

 楓は丁寧にお辞儀をした。

 一行は控え室を出て動物達が休んでいる大部屋に向かった。大谷薫が鍵を開けて中へ入った。それに続いてぞろぞろと楓達も続く。入った瞬間から獣臭が一気に鼻を突いた。動物達は檻の中で餌を食べたり、寝転んだりと悠々自適に過ごしていたが、大谷薫が来たと分かった瞬間にあらゆる方向から鳴き声が聞こえた。

 「基本的には人間を襲うことはありませんが、さっきも言ったように今は疲れているので無用な手だしはしないでください。間違っても檻の中に手を入れないように。噛みちぎられてもこちらは責任を持ちませんので」

 改めて脅すようにいう。楓は平気な顔をして頷き、守は少し首を竦めながら頷いた。

 「それにしても、偉い歓迎ぶりですわね。それだけ大谷さんが愛されてる証拠かしら」

 楓がぐるりと見回しながらいった。

 「それもありますが、威嚇の声も混じってますよ。楓さん達が敵かどうかを見定めてるのでしょう」

 「それは当然ですわね。初めて見る顔に匂いでしょうから」

 楓は悠然とした足取りで檻から檻へと歩き、動物達を観察する。大谷薫は楓の後ろをピッタリと張り付いて、一挙手一投足を見逃すまいと監視していた。

 「そんなに強い視線で見られたら背中が痛いですわ」

 リスザルの檻を眺めていた楓が背後にいた大谷薫に顔を向けずにいった。

 「あ、すみません」

 大谷薫はつい謝ってしまった。

 「そんなに監視しなくても傷つけたりしないわ。私も家で猫を飼ってますし」

 「へぇそうなんですね。何の種類ですか?」

 「雌のベンガルです。名前はシロップですわ」

 「可愛い名前ですね」

 大谷薫は意外だなと思った。イメージ的にもっとカッコいい系の名前を付けてると思ったからだ。

 「メープル探偵事務所の猫だから名前はシロップなんです」

 大谷薫は一瞬考えたが、すぐに理解した。

 「なるほどメープルシロップになるわけですね。素敵な名前を付けましたね」

 大谷薫は今が自分がこの楓に犯人扱いされてる事を忘れてしまった。もし、こんな出会いで無ければ間違いなく大谷薫は楓に惚れていただろうと思った。あの時、初めて会った時から頭から離れない女性は生まれて初めてだったからだ。

 「どの子も素晴らしいパフォーマンスを見せていました。それだけに、その中でも別格と言われてるあの子の芸が見られなかったのが残念でありません」

 楓はある檻を指をさした。その檻にいる動物を見て大谷薫は現実に引き戻された。

 楓はゆっくりライオンの檻へと近づく。ライオンは近付いてくる楓を見定めるようにじっと見つめていた。

 「この子に名前は?」

 「え、ええ。名前はレオです。安易でしょう」

 大谷薫はわざとらしく笑った。

 「いいえ。シンプルな名前が一番ですわ」

 ついにレオの目の前に楓は立った。ゆうに300キロははありそうな巨躯からはこちらが萎縮してしまいそうなオーラが放たれている。しかし、眼を見るとこちらに対して警戒をしたり嫌がってるような感情は見えなかった。

 「大変に立派なたてがみですね」

 楓は心底感嘆した声でいう。

 「そうでしょう。これだけのたてがみを有してるライオンは日本でもほんの一握りなはずです」

 大谷薫は誇らしく答えた。

 「雄々しいのに可愛いですわ。触れたら良いのに」

 楓は残念そうに答えた。

 「触ってみますか?」

 「良いんですか?体調が悪いのでは?」

 「今はだいぶ落ち着いてきてますし、僕もいるので大丈夫です。それにレオなら大丈夫です。ちょっとそこを代わってください」

 楓と代わって正面に立つ。ゆっくりと膝を折りレオとは目線を合わせる。レオも大谷薫の目の前まで近づいた。

 「おいでレオ。そういい子だ」

 大谷薫は優しい眼差しと口調でレオに語りかける。すると、レオが大谷薫の手を一舐めした。そこから大谷薫もレオの顔を撫でた。

 「あの人がお前のことを触りたいってさ。良いかな?大丈夫お前を傷つけたりしない。僕の大事な友人だ」

 尚も優しく語りかける。楓はそんな大谷薫を黙って見守っていた。

 「楓さんどうぞ僕の隣に来てください。そして、ゆっくりとしゃがんでください」

 大谷薫は指示した。楓は言われた通りに大谷薫の隣にゆっくりしゃがんだ。目の前には、レオの顔があった。さすがの楓も少し肝を冷やした。

 「恐れないで。大丈夫です。レオは機嫌が良いみたいです。どうやら、ライオンにも美しい女性が分かるんでしょう」

 大谷薫は軽妙にいう。お陰でいくばかの緊張も解けた。

 「さぁ手を」

 楓は一旦躊躇う姿勢を見せたが、ゆっくりゆっくりと手を伸ばした。そして、檻の中へとその手を差し出す。心臓の音が聞こえた。嫌な想像が頭から離れない。レオは伸ばされた手を嗅ぎ始めた。楓はくすぐったくて手を引っ込めそうになったが、いきなり体を動かすのはNGだと言い聞かせて我慢した。すると、レオは楓の手をペロリと舐めた。楓は感動で隣にいた大谷薫を見た。

 「ほら言ったでしょ。さぁ顔を撫でてあげてください」

 楓は掌をレオの右頬に当てた。ゆっくりさするとレオは嬉しそうに喉を鳴らして、もっと撫でてくれと言わんばかりに頬を楓の掌に押し付けた。慣れてきた楓は愛おしむようにレオを撫でてあげた。

 「ほら守ちゃん達も触ってみたら?」

 大谷薫が遠巻きから恐ろしそうに見ていた3人に声をかけた。3人とも首を振って拒否した。そんな姿を見て楓は愉快そうに笑った。

 「レオとはどれくらいの付き合いなのですか?」

 「レオが子供の頃は育てているので、もう10年近くになりますね」

 「確かに、そんな小さい頃から一緒でしたら、処分するのも心苦しくなるのも間違いないですわね」

 「この子だけじゃありませんよ。どの子にもそれぞれ思い出がたくさんあります。家族同然です。そんな彼らを手放さなければならくなったのはひとえに自分達のせいで情けないです。もっと稼げてたら団長もそんな決断はしなかったでしょう」

 「愛を取るかお金を取るか。世の中は本当に残酷です。しかし、物は考えようでもありますわ」

 「どうゆうことでしょうか?」

 「彼らはこのサーカス団でたくさんの愛情を受けていたのがよく分かりました。安楽死してもらえるならばそれはそれで幸せなのではないでしょうか。特に今の時代、動物に爆弾を付けて突っ込ませるという残虐非道と言うにも足りないくらいな事が平気で行われてます。その子達に比べたらこの子達は本当に幸せだとは思います」

 「・・・・・・アニマル・ボムのことですね。本当にあんなのは人間の所業じゃありません。何の罪もない動物達の命を犠牲にするなんて、悪魔すらも可愛く見える所業だと僕は思います。初めてそのニュースを見た時は心底怒りに震えました。いいえ、どんなに時間が経てど胸糞悪くなります」

 大谷薫は拳を震わせ怒りを露わにした。

 「このような場で出す話題ではありませんでしたわ。大変、失礼しました」

 楓は丁重に謝罪した。

 「いえ、こちらこそ口が過ぎました」

 「間違っても、この子達はそんな運命に辿って欲しくないですわ」

 「そんなことは私の命をかけてもさせません」

 楓の目をしっかりと見つめていった。

 

 レオの檻から離れた後はゾウや鷹などを見て回った。鷹の所に来た時は、ライオンの時と打って変わって楓は決して近づこうとしなかった。鳩が一番嫌いだが、鳥全般が苦手だったのである。鷹が大谷薫の肩に止まった後は、楓は大谷薫と距離を取って歩いた。近くにいて突然肩に来られたらパニックになるからだ。そんな楓を見て大谷薫はますます楓のことが気に入った。

 一行は動物見学を終えて元の控え室に戻ってきた。

 「どうでしか?」

 「大変、有意義な時間でしたわ」

 鳥の脅威が去った今はいつものように凛とした佇まいを纏わせていた。後ろで守と皆川が苦笑していた。

 「それは良かったです」

 大谷薫はそれだけいった。事件に関わる何かを見つけたかと聞きたいところではあったが、下手に突っ込まない方が良いと判断した。

 「ところで、一つ質問があります」

 楓がいった。

 「なんでしょう?」

 「そのメイクにはどれくらいの時間をかけているのですか?」

 「30分はかかります」

 「ご自分で?」

 「はい」

 「凄いですわ。私なんて10分もしてられないのに」

 楓は感嘆しながらいった。

 「それは秋山さんが化粧をする必要がないからでしょう。しなくても十分にお綺麗ですから」

 大谷薫はお世辞ではなく本心からいった。

 「後もう一つだけお聞きしたいことが。サーカス団に入る前は何をされてらしたのですか?」

 「アメリカに留学してハリウッド俳優を目指してましたよ。日の目を見ることは無かったですが」

 「そうだったのですね。それが何故サーカス団に入ろうと?お気を悪くしないでください。純粋な興味です」

 「お気遣いなく。理由は至って単純ですの。向こうで友人とたまたまサーカスを観に行って魅了されたからです。アメリカでも数年サーカス団に入って技を磨きましたから」

 「サーカスをしてる時の大谷薫さんは誰よりも輝いてらしたわ。サーカスこそ天性を生かせる道だったっということに違いありませんね」

 「そう言っていただけて何よりです。ありがとうございます」

 大谷薫は胸を弾ませながらいった。

 「ありがとうございます。さてと、私はこれで一旦失礼させていただきます。大谷さんありがとうございました」

 楓は大谷にお礼をいって部屋を出た。残された三人も残っている理由はないので部屋を後にした。

 一人残された大谷薫は崩れ落ちるかのようにソファにへたれ込んだ。今になって手が震えていた。初めて空中ブランコに挑んだ時もこんなにも緊張したことはなかった。サーカスを終えた時以上の疲労を感じて大谷薫は横になりたかった。体が鉛のように重い。幸い、事件のお陰で明日の公演は中止になっている。しかし、自分が捕まっては何も意味がない。大谷薫は楓とのやり取りを思い出した。あの女性探偵に犯行を認めるようなことは言ってないし、また証拠の在り方のヒントになりそうなことも言っていない。調査は拍子抜けるくらいにあっさり終わった。それなのに、嫌な予感が頭の中から消えなかった。そして、それとは別にある想いを楓に抱いていた。大谷薫は完全に楓に恋をしてしまった。さっき実際に会って楓と話して大谷薫はそう確信してしまった。楓の淡い恋心がまた大谷薫の自己嫌悪を増大させていく。大谷薫はしばらく頭を抱えて俯いたまま動けなかった。


 大谷薫への聞き取り調査を終えた三人は事件現場へと戻っていた。楓が現場をまた見たいと言ったからだ。

 「それで成果はどうだった」

 部屋に着いて扉を閉めるやいなや上川が聞いた。

 「ええ。思ってた以上です。間違いなく彼が犯人でしょう」

 「どうしてそうと言い切れるのですか?」

 守が聞く。

 「動機が完全に判明したからですわ」

 「動機?それは動物のことを巡って対立してたからと分かっているはずですが?」

 皆川がいった。

 「それは当たらずも遠からずって所です。先程の会話で大谷薫が犯行を決意した動機が分かりました。恐らく、それで間違いないでしょう」

 「その動機とは?」

 皆川が期待を込めて聞く。

 「彼がさっきの調査で異常なまでに怒りを示した会話があったと思います。思い出せますか?」

 「もしかして、アニマル・ボムのことですか?」

 守が遠慮がちにいった。

 「素晴らしいわ守ちゃん。その通りよ」

 楓はよしよしと守の頭を撫でる。守は嫌そうに頭をよける。

 「恐らく、殺された団長はサーカスの動物達をアニマル・ボムにするつもりだったのでしょう。つまり、テロ組織に動物達を売るつもりだったはずです」

 三人は衝撃的な表情をした。

 「そんなバカな。テロ組織と取引をするなんて簡単ではない」

 上山がいった。

 「確かに、団長からコンタクトを取るのは簡単ではないでしょう。しかし、向こうからやってきたなら話しは簡単です」

 「テロ組織が殺された団長に取引を持ちかけたと言うのですか?」

 皆川が信じられない面持ちでいった。

 「私はそう睨んでます。そして、大谷薫はそのことを知ってしまった。さっきの調査で、大谷薫は動物達を処分しなければならないことは受け入れてる様子でした。ただし、それはあくまでも動物達が傷つかない方法でに限ります。例えば、安楽死やどこかの動物園に引き取ってもらうとかならば大谷薫も受け入れざるを得なかったことでしょう。しかし、団長が選んだのは一番最悪手ともいえる処分方法だった。だから、大谷薫は彼らを守る為に団長を殺すことを決意したのだと思われます」

 楓はテロ組織との取引があったと確信していた。大谷薫と実際に話してみて、彼が簡単に人殺しをするような人間ではないと分かったからだ。それ相応の理由があるはずと。その為に、わざとアニマル・ボムの話しを振ったのだった。明らかに、嫌悪感以上の憎悪を彼は抱いていた。

 「しかし、それが動機だとしても証拠がない」

 上山は渋い表情でいった。

 「被害者のパソコンを徹底的に調べてみますか?」

 皆川が提案した。

 「いいえ。恐らくパソコンには何もないでしょう。そんな危険な話しはテロへの警戒が強い現代では、むしろ簡単に露見してしまう可能性の方が高いですわ。間違いなく、やり取りは直接会って筆談でしてるはずです」

 「確かに、サイバー警察は少しでもテロに関わりがありそうなやり取りは全てチェックしてある」

 「とにかく、この部屋や被害者の自宅を徹底的に調べ上げるべきでしょう。本当に重要なやり取りをしたメモまたはそれを撮った写真は必ず残っているはずです」

 楓の発言を受けた上山はすぐさま電話を取り出してどこかに連絡をかけた。電話をかけ終えた上山は楓と守にいった。

 「今からこの部屋も調べる。悪いがその間2人はここから出てもらう。さすがに、家宅捜査中の現場に入れることは出来ないんでな」

 「分かりました。あ、そうだ。上山さんもう一つだけ質問があります」

 「なんだ?」

 「凶器探しの時は、動物の檻の中も探しましたか?」

 楓の問いに上山は強く頷いた。

 「無論だ。俺らもそこまでボンクラではない。大谷薫や他の団員の協力の元で動物を誘導してもらって、徹底的に浚ったが何も出て来なかった」

 「そうですか。さすがの彼も人を殺した凶器を檻の中に隠すような真似は出来なかったのね」

 「仮に被害者がテロとの取引があったとしても、それでも凶器が見つからない限りは奴を逮捕することは叶わん」

 「そうですね。何とかして見つけ出してみせます。それでは、気晴らしに散歩でもしているので、何か分かったらまた連絡をください」

 楓と守は頭を下げて部屋を出ていった。


 「先生。解決まではもう少しですか?」

 ロビーに戻る途中で守は聞いた。

 「そうねぇ。なんとも言い難いわ。近づいてるように見えるけど、まだ大きな謎は残ってるわ」

 「やはり、凶器の隠し場所ですか?」

 「それもあるけど、もう一つあるわ」

 「何ですか?」

 「さっき彼はピエロの化粧をするまでに最低でも30分かかると言ったわ。彼が団長を殺したのであれば、あの血の量では間違いなく顔まで血が飛んでいるはずよ。それもかなりの量の血が。それを洗い流してすっぴんに戻ったら、出番までに化粧が終わらないわ」

 「何か被り物をしたいのでは?適当な仮面とか」

 「そうね。でも、どんな仮面をしていたのかしら」

 「お祭りとかによくあるプラスチックの仮面とかでは?」

 「顔を守るだけならそれでも良いのかもしれないけど、恐らくあの血の量では顔のみならず髪の毛や耳にもかかるはずだわ。髪の毛にかかったら洗い流さなければならないし、またそんな時間もない。全体を覆えるような被り物を被った可能性が高いわね」

 「ドンキのパーティーグッズで売り場で売ってるような物とかですか?」

 「でも、いつ被ったのかしら。部屋に着く前に被っていて誰かに見つかったらさすがに怪しまれるわ。でも、犯行時間の短さから言うならば、事前に被ってないとおかしい。部屋に入って被害者の前で悠長に被ってる暇なんてなかったはず。それとも、誰にも会わない偶然に賭けたのかしら」

 楓は独り言のようにぶつぶつと呟く。

 そうこうしてる内にロビーへと出た。まだ観客は半分くらい残っている。徹底的な荷物検査を行われてるせいで、まだ帰れない客もいたのだ。楓は出入り口に並んでいる列を見た。開演前に出会った堂上千佳子と市原理恵の姿はどこにも見えなかった。楓は何気なしに列に近づいた。皆、不安と不満が溜まった顔をしていた。それもそうだろうと思った。楽しいサーカスを見て帰るはずが、殺人事件が起きて警察に問答無用の手荷物検査をされるなんて不愉快な出来事以外に何物でもない。もちろん、この検査で凶器やらが見つかるはずがないのだが、万が一を考えて動かなければいけないのが捜査機関だ。ここがアメリカでFBIとして働いてたとしても同じようなことを楓はしただろう。可能性の排除。これは犯罪捜査における重要事項の一つだ。それに大谷薫共犯者が居ないとも限らない。共犯者がいるのであれば、証拠の行方等のあらゆる謎が簡単に説明がつく。もっとも、共犯者が居たとしても警察が来るまで大人しく観劇するはずがないが。

 そんな事を考えながら列の側を通り過ぎる時に聞き捨てならない会話が楓の耳に届いた。

 「まっかさぁ。そんなはずないでしょう」

 一人の40代くらいの主婦らしき女性がいった。

 「本当だって。俺観たんだよ。すっぴんの大谷薫を」

 「でも、ほんの一瞬だったんでしょ。ただの見間違いよきっと」

 二人はどうやら夫婦みたいだった。楓は臆することなく二人に声をかけた。

 「失礼いたします。今、とても興味深い話しが聞こえてきて、つい声をかけてしまいました。今のお話しを詳しく聞かせてくださいませんか」

 突然、美女に声をかけられた二人はおっかなびっくりした様子で固まった。

 「あのーどちら様ですか?」

 女性の方がおずおずと聞いてきた。

 「これは名乗らずにごめんなさい。私、秋山楓と言います。このサーカスの大谷薫さんのファンで、その大谷薫さんのすっぴんを見たというお話しが耳に聞こえたので、つい声をかけてしまいました」

 楓は営業用のスマイルを向けた。

 美人に笑顔を向けられる。それだけで多くの人間は心を一気に許す。美人局が絶えないのも仕方ないと側で見ていた守は思った。案の定、夫婦は警戒心を一気に緩めたようだ。特に男性の方はこんな美人に話しかけられるなんてと言う表情がありありと出ていた。

 「大変申し訳ないのですが、旦那様を少しだけお借りしても良いですか?すぐそこで詳しくお聞きしたいのですか?」

 楓は心底申し訳なさそうな顔と上目遣いで妻の方を見た。この場合は旦那の許可よりも妻のお許しを得るのが鉄則だという事を知っていた。

 「こんな人の話しを聞いてもしょうがないと思いますけど、別に良いですよ。ただ、早く帰りたいので順番が来るまでには終わらせて欲しいのですが」

 「それはもちろんです。ありがとうございます」

 楓は純粋に喜んでるような演技をこなす。

 「旦那様。少しこちらへよろしいですか?」

 旦那は得意満面の顔で楓に促されるままに列を離れた。

 「それで、早速質問なのですが、大谷薫様のすっぴんはいつどこで見かけたのですか?」

 楓は間髪入れずに質問をする。余計な話しは無用だった。

 「あ、ああ。あれは彼の出番が来る15分前くらいかな?どうしても、トイレに行きたくなってロビーに出て行ったんだよ。そして、トイレに向かう途中で、ふとあの関係者入り口の方を見たんだ。そしたら、その扉の向こうに消える人間がいて、その人間がチラッとこっちを見たんだよ。その顔がすっぴんの大谷薫だったんだ。俺は驚いて少しその場で立ち止まったんだけど、すぐにトイレに行きたかったことを思い出してトイレに行ったんだ」

 「本当に大谷薫様で見間違いはないのですね?」

 「もちろん。あいつも信じないが、俺は目が良いんだよ。この年になっても視力は1・5あってな。トイレから通用口の距離なら字も読めるくらいハッキリ見える。いくら、一瞬だとしても見間違えないさ。それに、大谷君の素顔は何度も観てるし、俺もファンだから尚更見間違えるはずがない。でも、出番も近いのに、いつものピエロの化粧をしなくて良いのかと不思議には思ったけどな」

 楓のような美女に興味を持たれた旦那は饒舌になっていた。

 「大谷薫様はどんな様子でした?」

 「うーん、何というか表現は悪いけど、少し怖かったな。怒ってるような警戒してたような顔だったな。あまり人に見られたくないみたいな。まぁ、本番前だし、気が昂っていたのかもしれんし、もしかしたら、大谷君は俺に見つかって下手に騒がれるかもしれないと思って、警戒したような素振りを見せていたのかもしれないなぁ」

 旦那は一人納得したようにうんうんと頷いていた。

 事件のあらましを知っている楓からすれば、全く違う目線で見える。これから殺人を犯すからこその表情でその意味で気が昂っていたのだろう。

 「そんな大谷薫様もまた素敵ですわ。貴重なお話をありがとうございました」

 楓は頭を下げた。聞きたいことは十分に聞けた。そして、閃いたこともある。この男性には申し訳ないけど、これ以上相手にしてる場合ではなかった。

 「もう良いのかい?もっと聞いてくれても良いんだよ」

 男性は明らかにもっと楓と話したそうな様子だった。

 「もっとお聞きしたいのは山々ですが、奥様をこれ以上お待たせ出来ません」

 「ああ、そうだな。でも、また何か聞きたいことがあればいつでもきてよ」

 男は明らかに落胆した様子だった。

 「はい。ありがとうございます。素敵なお時間をありがとうございました」

 楓はありったけの笑顔で答えて。その場を去っていった。守もそそくさとその後ろをついていく。

 楓は公衆電話が置かれてる場所に身を隠すように入った。ここなら話しても誰に聞かれる心配はない。楓はスマホを取り出して皆川刑事を呼び出した。数分もすると、皆川が公衆電話の所にやってきた。

 「秋山先生。重要な話しがあるとのことですが何か気付いたんですか?」

 皆川の顔はほのかに熱を帯びていた。楓が何事件解決への糸口を見つけたと言ったから、興奮しているのだろう。

 「ええ。先ほど、ある男性から貴重な情報を手に入れましたわ」

 楓はさっき聞いた話しを皆川に話す。

 「なるほど。出番がもう少しで控えているのに、素顔の大谷薫さんを目撃したと」

 皆川は思案するように顎に手を置いた。

 「でも、先生。仮にその素顔で殺人を犯したとしても、10分足らずでどうやってあの化粧を顔に施したのですか?」

 皆川は至極もっともな質問をした。

 「それについてある考えがあるわ。だから、守ちゃんと皆川刑事には調べて欲しいことがあるの。恐らく、そう時間はかからないわ」

 楓は2人にある推理を披露し、今からすべきことを伝えた。推理を聞いた2人は驚きで目を合わせるも、納得したように楓の指示に従った。

 2人がある調べ物をしてもらっている間に、楓はこっそりと通用口を通って舞台裏へと戻った。

 今2人に話した推理は間違ってはいないだろう。しかし、決定的ではない。それを問い詰めた所でいくらでも言い訳は出来るだろう。もっと確固たる証拠が無ければ意味をなさない。果たして、大谷薫はどこに証拠の一切を隠したと言うのか。凶器のナイフ、返り血を浴びた衣類一式。これをどこにどう隠したら警察の目を掻い潜れると言うのか。探してない場所がまだあるのだろうか。楓は必死でこの会場の隅々まで思い出した。しかし、思い当たる場所は浮かばない。何か見逃してる。そう思えてならない。共犯者の線は捨てていた。そもそも、警察が来るはずなのに、サーカスの途中で抜け出す共犯者がいるとは思えない。そんな事をすれば自分が共犯者だと言ってるようなものだ。警察の手もすぐに伸びるし、あの大谷薫が誰かを今回の凶行に参加させているとは思えなかった。共犯者。その言葉に不意に強い違和感を覚えた。頭では共犯者説を否定しているのに、何故かそのワードから頭が離れない。楓は途中でトイレを見つけたので、そこに入った。すると、二人の女性の声が聞こえてきた。会話から察するにサーカス団員だと言うことが分かった。

 「そう言えば、今日の大谷君少しおかしかったわよね」

 「え、分かる。なんかいつもより動物達に触るの厳しくなかった?」

 「やっぱり、穂花も思ってたんだ。私、終わった後にレオ君の様子を見にいって撫でてあげようとしたら、結構な剣幕で怒られたんだよね。すぐに謝られたけど、あんなに語気を強めて怒られたのは初めてだったからびっくりしちゃった」

 「団長のことで虫の居所が悪かったんじゃない」

 穂花と呼ばれる女は少し声を潜めていった。

 「そうかもね。それより、大谷君が犯人って本当かな?信じられないんだけど」

 「私も信じたくないけど、あそこまで警察が大谷君だけ隔離してるのはやっぱりそうなのかなって思っちゃう。でも、正直大谷君が犯人でも同情しちゃうな」

 「だよね。皆、団長のこと嫌いだったし、最初殺された事を聞いたのはびっくりしたけど、別に悲しいとかならなかったもん」

 「私も。むしろ、せいせいしたくらい。早く解決して家に帰りたいなぁ。ずっと部屋に閉じ込められるの疲れちゃったわよ」

 「ねぇ。大谷君でもそうじゃなくても私達は帰してほしいよね」

 そう愚痴る2人の声が遠ざかっていった。楓はトイレの個室から勢いよく出た。今の二人の話しを聞いて、楓は今回の殺人事件の謎が全て解けたと確信した。そして、それは大谷薫にとってどれほどの苦渋の決断だったのかを知った。

 今すぐに上山に真相を告げるわけにはいかなかった。守と皆川が情報を得るまでにやることがあった。楓はふと閃いてある人に連絡をした。そして、自分の願いが届くようにと祈った。


 数時間後。上山、そして守と皆川の二人がそれぞれの調査を終えた。四人はすっかり無人となったロビーへと集まった。

 「三人とも大変お疲れ様でした。ありがとうございます」

 楓が三人の調査への礼をいった。

 「まずは上山さんの方から結果を聞いてもよろしいですか?」

 一般人に支持されるのが気に食わないのか、ありありと不満顔の上山だったが、淡々と語り出した。

 「結果から言って、あんたの推理通りだったよ。被害者の書棚にあった本の間からテロ組織との取引と思われる資料が出てきた。本部に渡して精査した所。取引相手は中東に拠点を置いているとある組織だった」

 「やはりそうでしたか。これで動機は確実になりましたね。大谷薫は自分の愛する動物達を卑劣なテロの道具にされない為に団長を殺したのは間違いないでしょう」

 楓の言葉に上山は無言で頷いた。

 「どんな取引内容だったかは教えてもらえないんですか?」

 守が遠慮がちにいった。

 「そいつは無理だ。テロ組織との取引情報は極秘扱いだ。それに、君がその情報を知ってることが組織にバレたら命を狙わらる。知らん方が身の為だ」

 「そうよ守ちゃん。コンクリートに詰められて東京湾に沈められるのが可愛く思えるくらいに凄惨な目に合うわ。この世には知らぬが仏ってこともあるのよ。それよりも、二人の結果はどうだった?」

 「こちらも楓さんの推理通りでした。県警の手の空いてる人者に実際に赴いてもらって証拠も固めてます」

 皆川の報告に楓は満足そうに頷いた。これで全てのピースは出揃った。楓は自分が辿り着いた真実が正しいものだと確信した。後はある人物からの連絡を待つだけだった。

 「それで謎は解けたのかい?」

 上山が痺れを切らしたように聞いた。

 「ええ。全ての謎が解けましたわ。結論から言えば、犯人は大谷薫で、そして彼が殺人に使用した証拠の全てはこの会場内にあります」

 楓の断言に三人は目を開かせた。

 「本当に解けたんですか?先生」

 「何?守ちゃん。私を疑ってるの?」

 「いいえ。ただ、警察が隅から隅まで探しても見つからなかった物が本当にここにあるんですか?」

 「ええ。あるわ。見事なまでに堂々と警察の目を掻い潜った場所があるの」

 「それはどこだ?それさえ見つかればすぐに奴を逮捕出来る」

 上山が興奮を抑え切れないまま楓に問い詰める。

 「申し訳ありませんが、まだ警察に教えることは出来ません」

 「何故だ?」

 上山は眉を顰める。

 「私は彼に自首して欲しいのです。いくらあの子達を守る為とは言え、してはいけない事を彼はしました。しかし、同情の余地はあります。私は自ら彼が罪を認めて警察に出頭するべきだと思ってます。だから、上山さんにお願いがあります。お二人に話す前に大谷薫と二人で話しをさせてください。私の推理を全て彼に話して自首するように説得させる時間をください」

 楓の無謀なお願いに上山は表情を曇らせた。本来であれば、今すぐにでも真相を明かしてもらって大谷薫を逮捕した所である。しかし、楓が居なければその真相に辿り着いたのかも分からなかった。それが悔しくて情けなくも感じていた。もちろん、楓の導き出した真相が間違っている可能性もある。だが、上山はそこに関しては疑ってなかった。この女のことは嫌いだが、その能力は自分より上だと認めている。上山は苦虫を潰した顔で楓にいった。

 「分かった。認めよう。ただし、二人の会話が聞こえるように通話状態にしてくれ。そして、あんたが容疑者に話して、その場で自首を決断しなかったら、俺と皆川がその場に乗り込み逮捕する」

 「分かりました。それで良いです。寛大なご判断に感謝しますわ」

 

 大谷薫はソファで目を閉じて横になっていた。スマホも無く外部との連絡をほぼ出来ずに、あまりにも手持ち無沙汰な状況なのと、精神的な疲労で体を起こしてるのが辛かった。だからと言って、眠れるわけもなく。目を閉じれば団長を殺した時の事が頭を駆け巡る。首にナイフを刺した感触、飛沫を上げる血。生気を失っていく目。頭の中でその光景がぐるぐると輪廻する。自分がやったことが許されることではないことは分かっている。それでも、やらなければならかった。罪悪感がない訳ではないが、それよりも正義感に近い感情の方が強い。もっとも、自分が犯した罪の大きさを覆い隠したいだけなのかもしれないが。そして、楓のこともまた思い出さざるを得なかった。楓の捜査がどこまで進んでいたのかずっと気になっていた。絶対に暴かれたくないと思う一方で、楓ならば暴かれても本望だとも思っている自分がいた。

 不意に部屋の扉がノックされた。

 「はい」

 大谷薫は返事をすると、ドアを開けてある人物が入ってきた

 「あれ?君は?」

 先ほど楓の後ろにずっといた男だとすぐに気付いた。

 「どうも。秋山楓の助手の鳥遊守です。先生に大谷さんを呼ぶように言われたので来ました」

 守は生真面目に答える。

 「秋山さんが僕に用?」

 大谷薫は平素や振りをしていたが、胸が高鳴っていた。

 「はい。何でも事件のことでお話しがあるそうです。今、先生はあの動物達がいる部屋で大谷さんを待っています」

 大谷薫の鼓動はどんどん早くなっていく。まさか全て見抜かれたのだろうか。大谷薫は行きたくない気持ちと行かなければという相反する気持ちが一瞬生まれた。しかし、答えはすぐに出た。

 「分かりました。会いにいきましょう」

 大谷薫は覚悟を決めた。

 「ありがとうございます。それではどうぞ」

 守は部屋の扉を開けて大谷薫を外は出るようにと促す。

 「一応、僕が部屋の前までお連れします。行きましょう」

 守が大谷薫を先導する。大谷薫は黙って俯いたままついていく。動物達への部屋はすぐに着いた。

 「それでは、僕は失礼します」

 守は軽く一礼するとその場を去った。守の姿が見えなくなるまで見送った大谷薫は扉と向き合った。扉を開けようにも腕が重く上がらない。不意にこの場から全力で逃げ出したい欲求に駆られた。大谷薫は目を固く閉じ、大きく深呼吸をする。幾分か気持ちを落ち着かせた。そして、ゆっくりと扉を開けた。中は入ってもすぐに楓の姿は見つかられなかった。

 「ここにいますわ」

 少し高飛車で真っ直ぐな声が耳に届いた。声のする方に顔を向けると、楓が優雅に笑って立っていた。その姿に大谷薫はまた違う胸の高鳴りを覚える。

 「今晩は」

 楓が挨拶を寄越した。

 「今晩は」

 大谷薫も返す。

 「ご気分はいいがですか?」

 「すこぶる悪いですよ。ずっと閉じ込められってぱなしだなら当然でしょう」

 大谷薫は肩をすくめながらいった。

 「それもそうですわね。でも残念ながら、すぐにまた閉じ込められっぱなしになりますわ」

 その言葉を聞いた瞬間に大谷薫の心臓が大きく跳ねた。何とか顔には出さないようにポーカーフェイスを保つ。

 「どうゆう意味ですか?」

 大谷薫は精一杯の虚勢を張る。

 「あら?私がここに呼び出した意味が分からないかしら?」

 「全く分かりませんよ。動物達を理由に僕をデートに誘ってくれたのかと思ったくらいですから」

 「申し訳ないけど、私が男性とデートすることはありませんわ。私はレズなので」

 思いもよらぬ発言に大谷薫は面を食らった。

 「レズ・・・・・・なのですか?」

 「ええ。生粋のレズビアンです。男性にはナノ1ミリも興味ありません。大谷さんも例外なく私の範疇には入りません」

 大谷薫は振られたようなショックを受けてしまった。まさか自分が本気で惚れた女性がレズビアンだなんて思いもよらなかった。

 「私がレズだろうがそうじゃなかろうが今はそんな事はどうでも良いですわ。守ちゃんから事件のことで話しがあると伝わっているはずです。大谷薫さん。今からあなたが団長を殺した犯人だと言うことを証明しますので覚悟はよろしくて?」

 楓は挑むように大谷薫を見据える。大谷薫は沈黙を貫いて楓を見据える。

 「それでは順序よく話していきましょう。まずはあなたが団長を殺すに至った理由をお話ししましょう。大谷さん。あなたはある動機がきっかけで団長を殺すことを決意した。その動機とは・・・・・・殺された団長がこのサーカス団の動物達を売り捌こうとしたからですわ。問題なのはその売り捌こうとした相手。団長は動物達をこともあろうがテロ組織へと売り捌こうとした」

 大谷の顔は醜く歪んだ。動機を当てられたと言うよりは思い出したくも無い吐き気がするほどの嫌悪感が体中を駆け巡ったからだ。

 「団長は密かにテロ組織と取引を交わしていた。売られた動物達がテロ組織でどう扱われるかは簡単に想像出来てしまいます。私が先ほどここで話しました。もし、動物達がテロ組織の手に渡っていたら、ほぼ十中八九アニマル・ボムの手段として使われることでしょう」

 大谷薫は拳を握りしめた。忌わしいあの会話が甦ってきて怒りに体が震えそうになった。

 「先ほど団長の控え室を隈なく捜査した所、テロ組織との取引記録であると思われる資料が数枚出てきました。大谷薫さん。あなたも何かの拍子でこの資料をご覧になったのでしょう。ただでさえ、許せない悪逆非道な行為をよもや自分の愛してやまない動物達がそんな目的で売られるだなんて怒りの沸点が限界突破してもおかしくないですわ。これがあなたが団長を殺害すると決めた動機です」

 楓はズバッと言い切った。

 大谷薫は己の心情を悟られまいと必死でポーカーフェイスを保つ。

 「さて、動機については判明したので、これからが本題ですわ。あなたはどうやって大量の血を避けて、団長を殺害した凶器らを隠したのか。まずはあなたが大量に浴びたはずの返り血をどうやって回避したのか説明しますわ。上半身と下半身に関しては難しくありません。薄いウィンドブレーカーを着ていれば返り血を防げます。最大の問題は顔まわりです。馬乗りになって刺したそうなので、吹き出した血は間違いなく顔に付着します。しかし、あなたの顔には当然ながらそんなものは付着していません。もちろん、洗い流した可能性もありますが、ピエロとしての出番が控えてる中で、30分以上もかかる化粧ごと洗い流しては出番に間に合いません。では、どうやって回避したのか」

 楓は大谷薫の周りをゆったりと歩きながら推理を話す。

 大谷薫は横目で楓を追う。今や大谷薫はライオンに狙いを定められた小鹿のような気分だった。じわじわと喉元に牙が食い込んでるような息苦しさを感じていた。

 「実はこの問いに対しての答えをある観客から聞きました。先ほど手荷物検査をしている所に行った所、男性からとても貴重なお話しを聴きました。それは、その男性がロビーのトイレに行った時でした、何と出番間近にも関わらず素っぴんのあなたが関係者入口へと消える姿を見たと言うのです。あなたの出番まで残り10分くらいだったそうです。私はあなたがハリウッド俳優を目指してたことを聞いたので、もしかしたら特殊メイクにもある程度は通じてるのではないかと思いました。そして、この話しを聞いてある可能性が閃きました。そして、その閃きは正しかったですわ。私の助手と皆川刑事に片っ端からある調べて貰いました。そして、見つけてくれました。二週間前にあなたからある特殊メイクの依頼があったと言う映画関係者の方を。あなたはその方に自分の顔を作って欲しいと依頼したそうですわね。その方は不思議に思ったそうですが、あなたがどうしてもと言うので作ったそうですね。まさか殺人の為に使用されるだなんて微塵も思ってなかったでしょう」

 大谷薫の眉がぴくりと反応した。

 「ここまで言えば何を言いたいか分かりますでしょう。あなたは化粧を施した顔の上からあなた自身の顔を被ったのですわ。その特殊メイクのあなたの顔で団長を殺害した。大量の血は特殊メイクに付くから、あなたの化粧を施した顔や頭には何も付かなかった。つまり、男性が見たのはあなたの素っぴんだけどそうじゃない顔を見たのです。あなたがその男性の存在に気付かなかったのは、特殊メイクの面を被っていたせいで、視界が狭まっていたからでしょう。不覚にも見逃してしまいましたわね。あなたのトリックを破る唯一の証人を」

 別室で聞いていた守、上山、皆川の三人はただ楓の推理に聞き入っていた。守も最初に楓から今の推理を聞いた時はたまげてしまった。よもや、自分の顔面の特殊メイクを作り、犯行時に着用していただなんて誰が思うだろう。いくら大谷薫が映画に出ていて特殊メイクの造詣があると知っていたとしても、そこに辿り着く思考回路はさすが楓としか思えなかった。

 大谷薫は天井を見上げだ。この女性探偵は全てを見抜いてる。徹底的な証拠の場所も知っていることだろう。もはや、大谷薫には楓と戦う気力はなかった。

 「ここまでか」

 大谷薫はポツリと呟いた。そして、下に向けていた顔を上げて楓と目を合わせた。楓の目には憐憫の情が浮かんでいた。

 「秋山さん。あなたのことですから、僕がどこに証拠を隠したのか分かっているのでしょう」

 「ええ。もちろん」

 守達3人はその隠し場所がどこにあるのかだけは聞かされてなかった。

 「ウインドブレーカーはこの劇場のゴミ回収が来た時点で回収されているはずなので、今頃は他のゴミと一緒に清掃工場へと向かっていることでしょう。そして、肝心な凶器とマスクはまだこの劇場に残ってますわ。もっと言うならば、この部屋にあります。そうでしょう?」

 楓に問いかけられた大谷薫は小さな笑みをこぼした。楓にはそれが肯定の意味だと分かった。

 「それでも、最後まで本当に分かりませんでしたわ。まさかレオのたてがみの中に隠してただなんて誰が思いつくことでしょう」

 驚愕の事実に守達3人はぶったまげた。

 「確かに、レオのたてがみの毛量なら隠すことも出来ますわね。こんなデットアングルを利用するだなんて警察も思いもするわけがありませんわ」

 楓は非難する口調というより感嘆してるようにいった。

 「見事としか言いようがありません」

 大谷薫は完敗を認めた。

 「レオに隠すことは皮肉にもあなたにとってのアニマル・ボムになってしまいましたね」

 「そうですね。ただ、団長を殺した事よりもレオの首輪に人を殺した凶器をレオの首元に隠している事実は何よりも苦しかったです」

 大谷薫はついに団長の殺害を認めた。

 「レオもきっと同じ苦しみを抱いていたはずですわ。動物の本能は侮れません。今日、レオが体調不良になったのもあなたが何をしでかすのか分かっていたのかもしれませんわ」

 大谷薫は楓の言葉にハッとなってレオを見た。レオはジッと大谷薫を見据えていた。大谷薫はレオの檻へと近づいた。

 「レオ・・・・・・」

 大谷薫が声をかけるとレオも鳴いた。そして、首を揺らす。あたかも、首に付いてる物を早く取ってくれと言ってるようだった。大谷薫は檻へと入り、レオのたてがみに手を入れる。首輪を見つけ出してその首輪に括り付けていた茶色のビニール袋を取った。

 「レオ・・・・・・ごめんな・・・・・・」

 大谷薫は震える声でそういった。檻のすぐ外で見ていた楓にはレオの瞳も濡れているように見えた。

 レオの檻から出てきた大谷薫は楓にビニール袋を差し出した。楓は白い手袋をはめて中身を確認した。楓の推理通り、そこには血のついたマスクと皮のカバーに入ってるナイフがあった。

 「全ての罪を認めますわね」

 楓は静かにいった。

 大谷薫は頷いた。楓はスマホを取り出した。

 「皆聞いてた?今すぐ来てください」

 楓はそう言うと通話中だった電話を切った。

 1分も立たないうちに別室で聞いていた3人がやってきた。守は楓の側に付き、上山と皆川が大谷薫の前へと進み出る。

 「大谷薫。殺人の容疑で逮捕する」

 上山がそう述べて大谷薫の手に手錠を嵌めた。大谷薫は抵抗も見せることもなく大人しく縛についた。

 「大谷薫さん。あなたのしたことは許されません。しかし、情状の酌量があるのも事実です。そこで今回は警察による逮捕ではなく、自首という形になってます。少しでも、あなたの罪が軽減されることを願ってますわ」

 大谷薫はただ目を閉じて黙礼をするだけだった。大谷薫は2人の刑事に歩き始めた。

 「それともう一つ。大事な話しを忘れてましたわ。ここにいる動物達の処遇についてです」

 楓の言葉に大谷薫はピタッと足を止めた。

 「私の知り合いにジェネシスパークの社長がいます。その方にこのサーカス団の動物達を引き取ってほしいと連絡をした所快諾してくれましたわ。何でも、ジェネシスパークの事業の一環でサーカス団を作るらしく丁度動物を探していたとの事です。つまり、レオ達は全員そのサーカス団で新しい生活を送ることになります」

 大谷薫は楓の方に振り返った。その目は驚きで見開かれていた。

 「その方は人格者なので動物達の待遇もきっと素晴らしく整えてくれるはずですわ。だから、安心して罪を償って下さい。時折、私がレオ達の近況をあなたに話しにいきますわ」

 楓は優しい瞳と口調で大谷薫に語りかけた。

 大谷薫は肩を震わせ大声で泣き始めた。

 「レオ達もあなたをきっと待ってるわ。残酷な運命から救ってくれたあなたを」

 「ありがとう・・・・・・ございます・・・・・・」

 泣き崩れる大谷薫を少し上の檻の中からレオが見守っていた。そして、レオは突然咆哮を上げた。その声はその場にいた人間の全ての心を揺さぶるような咆哮だった。レオの目には大切な家族がいなくなってしまう悲しみと自分を守ってくれた家族への深い愛情を宿した切なくて美しい瞳をしていた。

 

 「はー疲れたぁ」

 ようやく劇場の外へと出れた楓は大きな声でそういった。警察への調書に協力していたため、更に帰るのが遅くなった。

 「今回も名推理でしたね」

 守がおだてる。

 「ありがと。守ちゃんもよく見つけてくれたわ」

 楓は上機嫌で守を褒めた。

 「ただ、先生。一つ問題が」

 「うん?」

 「今日、どうやって帰るんですか?」

 「あれ?今何時?」

 「もう23時半になりますけど」

 「電車あるでしょ」

 「ここから駅まで歩いてる内に電車終わっちゃいますよ。東京みたいに0時過ぎまであるわけじゃないので」

 「うそ!そんなに終電早いの?」

 「田舎なんてそんなもんですよ」

 「どうしてもっと早く言わないのよ。こんなことならパトカーで送ってもらったわ」

 楓は髪を払いながらいった。

 「あのですねぇ、僕は最初から送ってもらった方が良いって言いましたよ。なのに、先生がパトカーに乗るのは嫌だって言って上山さんも皆川さんも先に帰っちゃったんじゃないですか」

 守は呆れたようにいう。

 「だって、その時は終電のことなんて頭になかったもの」

 「とにかく歩いて駅まで行きましょう。近くにホテルくらいあるかもしれないですし」

 守はやれやれといった感じでいった。

 「そうだわ。守ちゃんこうするのはどう?」

 「何ですか?」

 「サーカス団の象に乗って帰るのは?楽しいそうじゃない?」

 「出来るわけないじゃないですか!そんなこと!」

 「残念。とても良いアイディアだと思ったのに」

 楓は本気でやろうとしていたみたいに残念がった。

 「全く。困った人だ」

 守は肩を落として楓に聞こえないように呟く。その時、靴紐が解けていることに気付いた。守は靴紐を結び直す。

 「守ちゃん。早くしなさい。置いていくわよ」

 楓はとっくに早歩きで歩いていた。

 「ちょっと待って下さいよぉ」

 守は小走りで楓を追いかける。

 2人は月明かりだけに照らされた夜道をピエロのように戯けながら歩いて帰っていった。

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