青の9番ボート
初ミステリー作品です。至らない点が多々あると思いますが、それでも最後まで読んでいただければ幸いです。
今日一日分のゴミを出し終えた吉川美晴は腰に手を当てて一息ついた。今日も一日忙しかったなと振り返った。額にはほんのり汗を掻いていた。8月の終わりとはいえ、外はまだまだ暑い。ゴミ自体は涼しい従業員通用口を通って運べたので良かったが、集積所は外にあるのでここは蒸し暑くて嫌いだった。蒸し暑さに身体中の気力が奪われそうなるからだ。額の汗を制服の袖軽く拭った。早く涼しい季節にならないかなと美晴は思った。そんなことを思っていたら、他のエリアの従業員が同じようにゴミを出しにきた。ここ"ジェネシスパーク"ではキャスト同士が裏ですれ違ったりした際には必ず笑顔で挨拶をしなければいけない規則があった。その規則に則り、吉川美晴は笑顔でお疲れ様ですと言った。すると、向こうも笑顔でお疲れ様ですと返してきた。吉川美晴は自然と力が湧いて来るような気がした。やはり、笑顔は何物にも勝る活力だと改めて思う。この規則を作ったジェネシスパークの生みの親であるロバート・ジェネシスは本当に素晴らしい経営者だと思う。そんな小さな幸福に満たされた吉川美晴はゴミ集積所を後にして、持ち場へと戻った。
ジェネシスパーク内にある子供向けのアトラクション等があるエリアがあり、そこはピクシーガーデンと呼ばれていた。そのピクシーガーデンの中にピースフルワールドと言うアトラクションがある。このアトラクションはボートに乗って世界中の子供達が平和を願った歌を聞きながら世界を一周するするというアトラクションであった。そのピースフルワールドに吉川美晴は所属していた。
美晴が従業員通用口を抜けると、アトラクションの入り口で二人の仲間が額を寄せ合っていた。
吉川美晴は何事かなと思いながら、二人に近付いた。
「あ、美晴さん」
吉川美晴の気配に気付いた一人の若い男の子がいった。
「どうかしたの?園田君」
園田と呼ばれた若い男は少し困った顔で状況を説明し始めた。
園田進は1年前からバイトで入社し、人懐っこい笑顔と天然な発言で皆から弟のように可愛がられていた。
「実は、今からアトラクションに乗りたいって言う女の子が来たんですよ」
美晴はそれが何故困ったことになっているのか分からなかった。
「乗せてあげれば良いじゃない」
美晴はさも当然のようにいった。
「それがその女の子一人なんですよ」
「ああ、なるほど」
美晴はようやく合点がいった。
美晴達が勤めるアトラクションは親と一緒でなければならないという暗黙の了解があった。何故なら、小さい子供だけで乗せてしまうと、ボートから転落したり、セットの上に乗り込んでしまう可能性があるからだ。中には防犯カメラがあるが、何かあってからでは遅い。それが万が一でも死亡事故にでも繋がればばジェネシスパーク全体の評判に響くことは間違いない。世界でもトップクラスのテーマパークだからこそ事故や事件には人一倍敏感にならなければならない。
「その子はどんな子なの?」
美晴は進に聞いた。
「とても物静かです。と言うより、何も話してくれません。一人じゃ乗れないって言っても頑なに動かないんです。どうしてもこれに乗りたいのって聞いたら小さく頷いてはくれました。だから、今どうしようかと話しあっていた所です」
園田進は参ったという顔をした。日々色んなお客様が来るが、このようなケースは初めてなのでどう対応して良いのか分からないのだろう。
「そう、分かったわ。とりあえず、その女の子に会ってみるわね」
美晴はそういってアトラクションの入り口のすぐ側にあるベンチに俯きながらポツンと座っている女の子の方に歩みだした。進も美晴の後ろをひょこひょこと付いていく。もう一人の仲間も美晴が来たことによって、少し救われたような顔をしていた。どんな怒っていたお客様も美晴と話すと、怒りが収まり自然と笑顔になって帰っていく現場を何度も園田進は目にしたことがある。園田進は美晴に熱い視線を向けながら事の成り行きを見守った。
美晴が女の子の前に来ると、女の子はスッと顔をあげた。美晴は一目見てとても可愛いなと思った。年は小学2、3年生くらいだろうが、それにしては顔が完成されている。美少女といって差し支えなかった。美晴は膝を地面に付けて女の子に目線を合わせた。
「今晩は」
美晴は優しく微笑みながらいった。しかし、女の子はじっと黙ったままだった。大人に囲まれて緊張してるのかもしれないと思った。美晴は一旦立ち上がり、二人に中へ入るように指示を出した。しかし、園田進は言うことを聞かずに自分が最初に対応したから最後まで側で対応したいといった。美晴は渋々了承して、再び女の子の元へと歩み寄った。女の子はじっと二人を見つめていた。
「お名前を教えてくれる?」
先程と同じように目線を合わせた格好で訪ねた。すると、女の子はボソボソといった。
「ごめんね。もう一度言ってくれるかな?」
美晴は聞き漏らさないように右耳を近付けた。女の子が先程よりほんの少し大きい声でいった。
「みか」
「みかちゃんって言うのね」
美晴が確認すると、女の子は小さく頷いた。
当然ながら、ジェネシスパークには迷子マニュアルが存在する。そのマニュアルには、家族の存在を聞くというマニュアルがある。それに倣って美晴は聞こうとした。
「パパとママは?」
隣で見ていた園田進が聞いた。
すると、みかと名乗った女の子は肩をビクッと震わせた。まるで、怖がっているように見えた。みかは口を動かしていたが、声が上手く出ないのか何も聞き取れなかった。
「ちょっと、園田君。ダメでしょ。いきなり質問したら。怖がったちゃったじゃない」
美晴は園田を軽く窘めた。
「すいません。つい。迷子かもしれないので、聞いておこうかなって」
進は屈託のない笑顔でいう。
「もう仕方ないわね」
その笑顔が可愛らしくてついつい許してしまう。弟を持ったらこんな感じなのだろうかと全く関係無いことを考えた。
「一人なの?」
美晴は改まってみかに向き合い、人差し指を立てて聞いた。すると、みかは俯いて黙ってしまった。肩が小刻みに揺れている。やはり、大人が怖いのかもしれないと美晴は思った。美晴と進は困ったように顔を合わせた。とりあえず、どうするべきか話し合うためにみかから少し離れた。
「困りましたね。親は何をしてるんでしょうか」
進がもっともなことを口にした。美晴も進と同意見だった。いくらジェネシスパークとは言え小学校低学年の女の子が一人で来るとは思えなかった。
「ねぇ、迷子の連絡が行ってないか確認して来てくれる?」
美晴は進にいった。
「分かりました。女の子はどうするんですか?」
「頑なにここにいるってことは是が非でもアトラクションに乗りたいのかもしれない。だから、中まで案内するわ」
美晴がそう言うと、進は少し不服そうな顔でみかを見た。
「ほら、お客様の前でそんな顔をしちゃダメよ。どんな理由があるにせよあの子は私達の観客なの。しっかり笑顔を見せなさい」
美晴はピシャッと進を叱った。そして同時に、自分にも言い聞かせていた。
二人は再びみかの前まで行った。
「みかちゃん。このアトラクションに乗りたいの?」
美晴は努めて優しい声で聞いた。みかは小さく頷いた。
「分かった。じゃぁ、お姉さんが中まで連れていってあげるから、一緒に行こう」
美晴は笑顔を見せた。その笑顔を横から見ていた進の胸はドキドキした。
先程まで怯えるような表情を見せていたみかも同様で、美晴の笑顔に励まされてか肩の震えは収まっていた。美晴は左手を差し出した。みかは恐る恐る右手を出して美晴の左手を握った。美晴はその小さな手を優しく握り締めてみかを入り口から中へと案内した。二人の後ろを進は付いていく。
アトラクション内はエアコンが効いていて快適だった。ほんの10分程度しか外に居なかったのに、背中には嫌な汗が流れていた。その汗をエアコンの風が拭い去ってくれた。美晴は横目でみかの様子を盗み見た。相変わらず、俯き加減で顔を上げようとはしない。それにしてもと美晴は思った。どうしてこの子はこのアトラクションにこんなにも乗りたがっているのだろうか。アトラクションの担当者としてこんなことを思うのは申し訳ないが、ジェネシスパークに来て絶対に乗りたいアトラクションかと聞かれればそこまでではないと思う。このアトラクションは小さなボートに乗って、世界各地をモチーフにしたエリアをゆっくりと回るだけだ。お客様からはジェネシスパークの小休憩所と揶揄されているのも知っている。勿論、ジェットコースター系には乗れない小さなお子様等をお連れした家族連れにはありがたい乗り物かもしれないが、それでも閉園間際に乗りたいかと言われたら首を縦に振る人間はそうは居ないはずだ。事実、この女の子以外にお客様は居なかった。
みかと手を繋いだまま階段を降りてボート乗り場へと向かう。乗り場には青色と赤色のボートが乗り場を挟んでプカプカと揺られていた。右側の青色のボートの船体には9と書かれている。ボートは青いボート6つ。赤いボート6つの全部で12あり、1番から順番に付けられている。つまり、この青いボートは9番目のボートであることを示している。
美晴は然り気無く左手に付けていた腕時計を見た。時間は閉園3分前を示していた。美晴は一つの懸念を抱いた。この娘を一人で乗せることは仕方ないにしても、問題は防犯カメラが一時的に止まってしまうことだった。このジェネシスパークのアトラクションにはお客様から絶対に見えない位置に防犯カメラが幾つも仕掛けられている。その防犯カメラは閉園時間を迎えると自動的に一時的に停止ようになっていた。経費削減の一環として、現社長の意向で防犯カメラは21時を持って停止することになった。防犯カメラは本社の管理センターで一括管理されているので、アトラクション内で操作することは出来ない。なので、ボートを見送ってしまったら、この女の子を見張る術が無くなってしまう。かといって、お客様と一緒に乗ることはご法度だし、エリア毎に人を立たせる訳にもいかない。
乗り場に着いたのに、一向に美晴が手を離さないのを不思議に思ってか、みかがじっと美晴の方を見た。
「あ、ごめんね。じゃぁ、このボートに乗ってくれるかな?」
美晴は手を離して急いで笑顔を作った。手が離れるとみかは無言のまま青い9番ボートの一番前に乗った。美晴は乗り場からボートを動かすスイッチがある場所へと移動した。そこには山本文花という大学生のバイトがいた。その山本文花が美晴が側にくると小声で囁いた。
「本当に一人で乗せて大丈夫なんですか?防犯カメラももう停止してしまいますし」
文花は不安そうにいった。
「大丈夫。あの女の子は大人しそうだし、賢そうだから、やって良いことと悪いことは判ると思うわ」
美晴は覚悟を決めていた。色々不安はあるが、お客様を信じることに決めた。それこそ、ここ夢と奇跡のテーマパークであるジェネシスパークで働く従業員だと考えたからだ。
「押して」
美晴がいった。
「はい」
文花がスイッチを押した。
青いボートがゆっくりと動き出す。みかと名乗った女の子はじっと前を見据えていた。美晴はその小さな背中を見送り、早く親が迎えに来てくれることを願った。スイッチを押した文花がお手洗いに行くと言って、一旦持ち場を離れた。
間もなく女の子が乗ったボートが一周して帰ってくる頃だった。だがその前に、迷子の確認をしてきた園田進が戻ってきた。走ってきたのか息を切らしていた。
「どうしたの園田君。そんなに慌てて」
「今、迷子の確認をしてきましたけど、誰も迷子の子供を探している人は居ないとのことでした」
園田進の顔は少し青ざめていた。
「嘘でしょ。だって、あんな小さな子を一人で来させるはずないわ」
美晴は自分の鼓動が早くなるのを感じた。他の仲間も一様に不安げな顔をしていた。
「とにかくもう戻ってくるから、みかちゃんから詳しく聞き出してみる」
美晴は気が急いて仕方なかった。もしかしたら、警察沙汰になるかもしれないと覚悟した。
少し遠くにある曲がり角からみか乗っている青の9番ボートの船体が見えた。ボートがゆっくりと曲がり全体が見えてくる。美晴はおろか誰もが自分の目を疑った。そのボートには本来であれば乗っているはずのみかが乗っていなかった。誰もが驚愕の表情を浮かべる中、空のボートだけが美晴達の前に戻ってきた。
午前8時45分。鳥遊守は中央線快速新宿駅で降りて、中央東改札口を抜けて歌舞伎町方面へと向かう。MOA2番街を抜けて靖国通りの大きな横断歩道を渡りセントラルロード通る。ゴジラの顔で有名な建物の右手の道を歩くとタテハナビルと書かれた大きな白い看板が見える。その看板の右斜め前に少しの登り坂になっている道がある。鳥遊守は迷わずその道を突き進んだ。そして、2つ目の曲がり角を右に曲がった。鳥遊守はそこの路地にあるアタックビルの前で足を止めた。見上げた看板には幾つかのテナント名が書いてある。その一つに白地に赤字で『メープル探偵事務所』書かれている看板があった。その探偵事務所が鳥遊守の仕事場だった。ビルは全部で四階ある。一階は中華料理を営んでいる中国人夫妻の店が入っている。そして、二階がメープル探偵事務所だった。ちなみに、三階は埋まっていないく、四階はあまり深入りしない方が良い人達が事務所として借りているらしい。鳥遊守は小汚ない階段を上り事務所へと向かう。事務所の入り口の前に着きドアノブを捻ってみた。しかし、扉は開かなかった。鳥遊守は軽い溜め息をカバンの中から事務所の鍵を取り出してドアノブに差した。鍵を開けて事務所の中へと入る。部屋の電気は付いていなかったので、まず電気を付けた。やや埃っぽい電球に晒された部屋は思っている以上に綺麗に片付いている。左手の窓際に会社等でよく見掛けるデスクが置いてあり、部屋の中央には簡易的なソファとテーブルが置かれている。奥の壁には扉を挟む形で本棚が並んでおり、大衆小説から専門書、この部屋の借り主の趣味で揃えられた雑誌がずらっと並んでいる。
鳥遊守はデスクの上のデジタル時計を見た。時刻は9時5分前を示している。果たして、今日は何時に起きてくるのだろうか。一時間以内には起きてくれればありがたいなと思った。守はソファに座り、カバンを降ろしてノートパソコンを取り出した。事務所の主が起きてくるまで依頼内容等をまとめようとした。すると、どこからともなく一匹の猫がテーブルの上に乗ってきた。雄のベンガル猫だった。名前はシロップ。この事務所の主のペットであった。
「おはようシロップ」
守が声をかけると。シロップは一声だけ鳴いた。どうやらお腹が空いているみたいだ。守は腰を上げてエサがしまわれている棚から猫用フードを取り出し、近くにあったエサ皿に適当に入れた。シロップがやってきたそのままエサにありついた。守はシロップを優しく撫でた。
突然、本棚に挟まれた扉の奥から大きな音が響いた。守はやれやれと言った顔で扉の方を見つめた。音がしてから数秒後、奥の扉がゆっくり開いた。そこから現れたのはボサボサの長髪に寝ぼけ眼でダル着の女だった。
「いった~。また落っこちた」
女は右腕をさすりながらいった。
「何回落ちたら気が済むんですか?」
守はいった。
「ああ、守ちゃん。おはよう。今日も早いわね」
守に気付いた女は暢気に挨拶を寄越した。普通なら、寝起きかつだらしない格好を見られた恥じらいを見せてもおかしくないが、この女は何とも思っていないようだった。
「おはようございます。もう開店時間過ぎてますよ。早く着替えて準備してください。秋山先生」
守は淡々といった。
秋山楓。それが女の名前だった。シロップの飼い主でありメープル探偵事務所の所長であった。
一時間後。ポール・スミスのグレースーツを完璧に着こなした秋山楓は先ほどはうってかわって颯爽とした女性へと変貌していた。楓は仕事の時は必ずスーツを着ているようにしていた。それはアメリカで仕事をしていた時の名残り故だった。そのため、楓のクローゼットにはブランド物のスーツが並んでいる。一方で、守はファッションに全く関心が無い。しまむらやドンキで適当に安く買った服を着回している。二人が横に並ぶとあまりにの対比に周囲から浮くのだが、二人ともその事に関しては全く気にしてなかった。
守は毎回この変貌具合は詐欺ではないかと思っている。ボサボサ髪のダル着の楓は今や、デスクに座って凛とした佇まいで優雅にコーヒーを飲んでいた。見た目だけで言えば芸能界にも通じる美貌だと守は思っている。ストレートの黒髪はツヤとハリで輝いていて、スタイルはモデルのみたいに手足が長く、顔は奥二重に切れ長目の眼に、鼻筋はスッと通っていて高く、唇は薄い。頬は綺麗にシャープしていて穴らしい穴がない顔立ちだ。片や守は天然パーマが強すぎる髪で、背も楓より小さい。これといった特徴のない至って平凡な顔をしている。
あまり綺麗とは言えないデスクでもブランド物のスーツを着た楓が座っているだけで一流オフィスに見える。そんな美人探偵と一緒に仕事出来るなんてさぞ幸福と思いきやそんなことはなかった。確かに、見た目は女優にも負けないが、性格に難がありすぎる。何度も辞表を叩きつけたくなることがあった。それでも辞めないのは、楓の放つ圧倒的なカリスマと能力の前に守の不満はいつもかき消されてしまうからだった。
「さっきからジロジロ見てるけど、何か用?」
新聞に目を通したまま楓がいった。守は首を竦めた。いつこっちの視線に気づいたと言うのか。
「いえ、何でもありません」
「何か依頼はあった?」
楓は間髪いれずにいった。
「あるにはありますが、特にこれと言ったものは・・・・・・」
守はパソコンのメールに目を通しながらいった。
メープル探偵事務所が依頼を引き受ける方法は3つある。一つは、守が持ってるノートパソコンにメールで依頼内容を送る方法。この事務所ではこれが一番主流だった。二つ目は手紙を事務所のポストに送る方法。今の時代では滅多に来ない。3つ目は、直接事務所に来る。これも滅多にいない。そもそも、歌舞伎町にある探偵事務所の時点で来る人間はほとんどいない。来るとしても、冷やかしかメールや手紙にすら依頼内容を証拠として残しておきたくない人間だけだ。大方、その手の人間の内容は不倫や浮気の調査だ。
「平和で何よりね」
楓は新聞を畳み、背もたれに体を預けた。
「そうですけど、僕達には死活問題ですよ」
守は溜め息混じりにいった。
有名な興信所ならともかく、歌舞伎町の錆びれたビルにある無名の探偵事務所が儲かる訳もなく、探偵事務所の会計は常に火の車だった。給料は完全歩合制なので、依頼が無ければ当然0である。ここの給料だけではやっていけないので、守は深夜のコンビニのバイトをしている。本来であれば、給料を支払わなければならない立場の楓はそんなことを気にする素振りもなく、暢気に爪にマニキュアを塗っていた。そんな雇用主の態度に軽い憤りを覚えていると、パソコンに一通のメールが届いた。守はすぐに開き内容を確認する。メールの内容を一読した守はすぐに楓に話しかけた。
「先生大変です。とんでもない依頼が来ました」
興奮気味に話す守に釣られることなく楓は冷静にいった。
「どんな依頼なの?」
「とにかく読んでみてください」
守はそう言うとノートパソコンを楓の前に置いた。
楓は依頼内容に目を通し始める。内容はこんな内容だった。
秋山 楓様へ
初めまして。知人からあなたの話しを耳にしたので、依頼をしてみることにしました。少し奇妙な話しになりますが最後まで読んで頂ければと思います。
私は株式会社マジカルエンターテイメントに勤めております。名前と身分はここでは明かせないことをお許しください。そのマジカルエンターテイメントが経営するジェネシスパークで実に奇妙なことが起こりました。8月29日のことです。閉園間際にとあるアトラクションに一人でボートに乗り込んだ女の子がそのまま行方知れずになってしまったのです。私達でアトラクション内を隈無く探したのですが、結局見つけることは出来ませんでした。警察に相談しようと思っていたのですが、事情を知った社長は私達に連絡することを固く禁じました。どうしたものかと考えあぐねていた矢先に秋山さんのお話しを聞きました。イタズラだと思うかもしれませんが本当のことなのです。なので、どうかこの奇妙な出来事を解決する為に力を貸してください。もし、力を貸して頂けるのであれば、明日の19時に舞浜ディメンションゲートホテルの2011号室にお越しください。そこで、私の身分と合わせて詳しいことをお話しします。お待ちしております。
メールを読み終えた楓は大きく息を吐きながら背もたれに寄りかかり目を閉じた。
「中々、興味深い依頼ね」
楓は目を閉じたままいった。
「ですよね。受けますか?」
守は急かすようにいった。
「そうねぇ」
楓はあまり乗り気ではなそうだった。
「何か躊躇う理由でもあるんですか?」
守は聞いた。
「何となくめんどくさいのよね」
理由を聞いた守はずっこけそうになった。事務所の所長が放っていい発言ではない。守が何か言う前に楓が続けた。
「だって、要は消息事件でしょ。しかも、密室の。めんどくさいことこの上ないわよ。それにこういったオカルトチックな案件には、私達よりもっと依頼して然るべき人達がいると思わない?」
楓は守に問いかけた。
「誰ですか?然るべき人達って」
「この世界にはいっぱいいるじゃない。偏屈で変人の物理学者とか貧乳の女性マジシャンとか・・・・・・」
「先生。もうその辺で控えてください。各方面に怒られますから」
守はヒヤヒヤといった。この人は何てことを言い出すんだと思った。
守に注意された楓はつまらなそうな顔をして何も言わずに肩を竦めた。
「それで受けるんですか?受けないんですか?」
楓はまだ考えあぐねていた。その時、またもメールが届いた。守は早速開けて読んでみた。別の意味で驚く内容だった。
「先生・・・・・・・今依頼してきた方からのメールで凄いことが書いてあります」
守は何か信じられないといった雰囲気で言った。
「んー何ー?」
楓は興味が無いのか、自分の爪をいじっていた。
「依頼を受けていただけるのであれば、前金で50万を渡しますって書いてあります」
守がそういった。
「何ですって!」
爪をいじっていた楓は前のめりになりながらいった。
「ここにそう書いてあるんです」
「50万・・・・・・・」
あまりの金額の大きさに楓も驚きを隠せないようでいた。それは守も同じだった。これほどの金額の依頼は未だかつて入ったことがない。しかも、引き受けるだけで50万も貰えるのである。もし、解決することが出来たら、成功報酬として3桁もあり得るかもしれないと守は思った。
「どうするんですか?」
守は楓の様子を窺った。
「受けるに決まってるでしょ。早く返事を出して」
楓は一瞬で心変わりしたみたいだ。
守は敢えて意地の悪い質問をしてみた。
「でも、先ほどまではめんどくさいと」
「そんなの言ってみただけ。だって、50万よ。受けない理由が無いわ。今から夢が広がるわねえ」
楓は早くも爆買いしている自分に酔っているみたいだった。
そんな楓を見た守は苦笑いを浮かべた。金でこんなにもやる気を出すなんて、これでは貧乳の女性マジシャンと同じだと思ったが、口にはしなかった。ともあれ、これだけ大型案件は確実に事務所の会計を救ってくれる。守は50万で何を買うというより、余計なストレスが減ってくれることの方が嬉しかった。
ジェネシスパークは浦安市の東京湾沿岸部の一部を埋め立てそこに造られた施設だった。最寄り駅は海沿いを走る京葉線の舞浜駅という。この舞浜駅はジェネシスパークのために作られた駅と言っても過言ではない。その舞浜駅で守は楓と待ち合わせをしていた。時刻は午前11時を指そうとしていた。夜勤明けの守は欠伸をかいた。本来であれば、まだ家で爆睡している頃だ。守は昨日の楓とのやり取りを思い出した。
「先生。お疲れ様でした」
守は楓に挨拶をした。守の出勤時間は18時までとなっている。
「お疲れ様」
楓はパソコンから目を離さずにいった。さっきの依頼を受けてからずっとパソコンと睨めっこしていた。その集中力は畏怖を覚えるレベルだった。守はそんなことを思いながら、事務所を出ようとした。
「あ、守ちゃん」
パソコンを見ながら楓が呼び止めた。
「何ですか?」
守は手にかけていたドアノブから手を離した。
「明日、11時に舞浜駅集合ね」
「え?19時に来てくれって書いてあったのに、どうしてそんなに早く集合するんですか?」
「決まってるでしょ。現地調査よ」
そんなことは当然だと言わんばかりの口調だった。
「現地調査って言っても、どのアトラクションか分からないじゃ無いですか」
「メールにヒントがあったでしょ。幾つか候補があるけれど、どのアトラクションなのかは検討ついたわ。そうゆう訳だから、明日11時によろしく」
楓は守の返事も聞かずに、一方的に決める。
「自分、今日はコンビニの夜勤で朝の5時までバイトなんですか?」
「コンビニが5時に終わって、守ちゃんの家まで10分。5時半には寝れるわね。守ちゃんの家から舞浜までは約40分。準備時間を考慮しても9時半までは寝ることが出きる。人間4時間も寝れば十分だわ」
楓は反論する余地すら与えない早口で捲し立てた。守はこれ以上何か言い返した所で、楓の意見を覆すことが出来ないことは経験上分かっている。守は楓を睨みつけた。しかし、楓は全く意に介することなくパソコンを見ている。守は少し乱暴に扉を開いて探偵事務所を後にした。
「眠い。人間4時間睡眠じゃ絶対足りない」
そう愚痴っていると、目の前に白いTシャツにデニムといったラフな格好をした女性が目の前で立ち止まった。守は誰だろうと思って、顔を見ると驚いた。その女性は楓だったからだ。
「おはよう。守ちゃん。良い天気で良かったわね」
楓はそう言うと長い黒髪を颯爽と靡かせた。
「お、おはようございます・・・・・・」
守は楓を凝視しながらいった。
「何?私の格好が何か変かしら?」
目ざとく守の視線に気づいた楓は不愉快そうにいった。
「あ、い、いえ。先生の私服姿に驚いてしまって。てっきり、スーツで来るのかと思っていたので」
守がそう言うと、楓は呆れるように笑った。
「あのね、ジェネシスパークにスーツで来る女がどこにいるのよ。どう考えても浮くでしょう」
「そ、そうですよね。それにしても、先生の私服が見慣れなくて」
見慣れなくて当然である。守が楓の私服姿を見たのはこれが初めてだったからだ。楓の元で働き始めてから2年も経つのに、スーツかパジャマ代わりのダル着かの二パターンしか見たことがなかった。それ故に、楓の私服姿は新鮮そのものだった。
「まさか私がスーツしか持ってないと思ってた訳じゃないわよね。私だってカジュアルな服くらい持ってるわよ」
「それにしても、ラフ過ぎますよ。普段とのギャップが凄くて一瞬誰か分かりませんでした」
「それはただの観察力不足ね。寝不足だからって観察は常に怠ってはダメよ」
楓はいった。
守は寝不足は誰のせいだと思ってるんだと言いたかったが、何とか飲み込んだ。
「さ、早く行くわよ。チケットを買いにいかないと」
楓は振り向いてさっさと歩き始めた。守は慌てて楓の後をついていく。
チケットを買った二人はチケットに書いてあゲートへと向かった。二人のチケットにはフォントゲートと書いてあった。楓と守はフォントゲートの入り口の前に立っている係の女性にチケットを見せてトンネルへと入った。
「うわ、凄いですね」
守が少し引いたようなの声をあげた。それもそのはずである。トンネル内の壁一面には英文字がびっしりと書かれているからだ。
「先生。これ何か意味あるんですか?」
守が質問した。
「もちろんあるわ。この壁に書かれている英語はジェネシスが書いた小説の一文よ。よーく読んでみると小説の文になってるわ」
「へぇー凄いですね。じゃあ、他の入口も似たような構造になってるんですか?」
「そうよ。ジェネシスはパークへの入口を特にこだわったみたいなの。ジェネシスパークは現実世界から非現実世界への旅行だから、その入口から雰囲気を作るのが大切と思っていたみたいね。私達が歩いている入口はフォントゲートと呼ばれて、今言ったようにジェネシスが書いた小説の文章が羅列されてるわ。残りの三つはアニメーションゲート、フィルムゲート、ピクチャーブックゲートとなっていて、アニメーションゲートはジェネシスが作ったアニメーションを観ながらトンネルをくぐるように、フィルムゲートはジェネシスが初期に作ったモノクロ映画が流れる中を、ピクチャーブックゲートは色鮮やかな絵本の世界の中を歩くように出来てるの。つまり私達は、小説、アニメ、映画、絵本のいずれかを楽しんでいる内に、その世界に吸い込まれたってことになってるわけよ」
楓は暗記した社会のテストのようにスラスラと説明してみせる。
「チケットはランダムで配布されるわ。だから、どのゲートかは運次第。ちなみに、一番人気な入口はアニメーションゲートみたいね。その次がピクチャーブック。私達が歩いているフォントゲートは一番地味と言われてるわ」
楓は淡々と説明をする。
守は一体いつこんな豆知識を叩き込んだのか気になった。そして、すぐに気付いた。昨日、ずっとパソコンを見ていたのはジェネシスに関する情報を見ていたのだと。それにしても、たった1日でここまでの情報をスラスラと説明出来るなんて、やはり並の人間では無いと思った。
「そう言われると、他のゲートも歩いてみたいなって思いますね」
守はそう感想を漏らした。
「そう思ったのなら、既にマジカルエンターテイメントの思惑に操られているわよ。どんな綺麗事を並べた所で商業化してる時点でジェネシスパークの最大の目的はお金を稼ぐことよ。入口を四つ作ったのもその為。一つ知ったら、他も知りたくなる。けど、入口は毎回ランダムだから、必ずしも4回で全部綺麗にくぐれる訳じゃないわ。だから、次こそっと思って高いチケット代も躊躇いも無く支払う。ギャンブルと同じ心理ね。ダメだったからこそ、どんどん引っ込みがつかなくなってしまう。勿論、ジェネシスパークにはそれだけの魅力が備わっているのも確かなんだけどね」
楓の言い分に守はどう反応して良いのか分からなかった。それにしても、相変わらず言いにくいことをズバッと平然と言ってのける人だと思った。今の話しを生前のジェネシス本人に言ったらどんな顔をするのだろうと興味が湧いた。
「でも、確かにここを歩いていると非日常空間に包まれて来る感じがして、別世界に行くようなワクワク感を感じます」
「全てのトンネルは出口まで歩いて3分になってるそうよ。この3分間で私達は現実世界から非現実世界への旅行気分を高める準備が整える。そして、その準備が整いトンネルを抜けるとジェネシスパークという夢と奇跡の世界に辿り着く」
楓が話し終わったタイミングで、トンネルをくぐり抜けると眩しい日差しに全身が照らされた。守は眩しそうに目を細めた。
「さぁ、守ちゃん。夢と奇跡の遊園地。ジェネシスパークに到着よ」
楓は高らかにいった。
プリンセスの衣装を着た小さな女の子が嬉しそうに飛び跳ねている。若いカップルは彼女の方が彼氏に手を引っ張って歩いている。若い女性2人組は顔を寄せ合って自撮りをしている。その誰もが笑顔であり、まるでこの世には悪いことなんてないと言うような表情をしている。そんな空気に当てられた為か、先ほどまで寝不足で不機嫌気味だった守の気分も自然と上向いていた。
「いやーそれにしても、凄い空間ですね」
守が率直な感想を漏らした。
「その言い方を見ると、もしかしてジェネシスパークに来るのは初めてかしら?」
「はい。あまり遊園地などは好まないので」
守は頭を掻いた。
「そう。まあ、私も日本のは初めてだけどね」
「日本のはってことは、海外のジェネシスパークには行ったことがあるんですか?」
「ええ。アメリカで暮らしてた頃は、ジェネシスパークの本家本元のフロリダにあるジェネシスワールドにはよく行ってたわ」
楓の声は少し沈み、どこか遠くを見るような目つきでいった。そして、その横顔は寂しげだった。
「そうだったんですね」
守は敢えてその話題に深入りするような質問はしなかった。
「仕事の一環とは言え、せっかくお互い初めて来たんだから楽しましょう」
楓は明るくいった。
「そうですよ。わざわざ早起きしてまで来たんです。仕事の時間になるまでは依頼のことなんて忘れてジェネシスパークを楽しみますよ」
守も明るく応えた。
そうして二人はどこから回るのか決めるために、手元にあるパーク地図を開いた。
混雑する三つのジェットコースターを連続して乗った二人は、喉の乾きを潤すためにパーク内にあるカフェで飲み物を購入していた。二人はジェネシスパーク内限定のハニーレモンスカッシュを頼んだ。守は最初烏龍茶を注文しようとしたのだが、楓にいつでも飲める物をわざわざここで頼む意味が分からないと言われ、半強制的にハニーレモンスカッシュにされたのだった。
「あー美味しい」
ハニーレモンスカッシュの爽やかな酸味が喉を駆け抜ける。喉だけではなく全身が爽快感に包まれるような気がした。楓の隣で飲んだ守もその美味しさに目を丸めていた。
喉を潤し次のアトラクションに向かおうと歩みを始めた途端に、突如楓が足を止めた。守は何事かと楓の顔を見た。その顔は少し青ざめていた。楓は一点を凝視したまま動く気配を見せない。守は楓の視線の先に目を向けてようやく納得した。二人の視線の先には一羽の鳩が道端に落ちているポップコーンをつついていた。強く賢く美しくを地でいく楓にも決定的な弱点があった。それは鳩である。楓は鳩が大嫌いで、どれくらい嫌いかと言うと見ただけで嫌悪感が身体中を巡り、一瞬動けなくなる程嫌いだった。楓の足が突如止まったのも、前方に鳩を発見したからであった。
「守ちゃん・・・・・・別の道を行くわよ」
まるで窮地に追い込まれたような緊迫した声だった。守は笑いを堪えるのが大変だった。
「たかが鳩じゃないですか。そんなに怖いんですか?」
いつもやり込められているので、怖がる楓をからかうにはまたとない好機だと守は思った。
「あの模様が無理なのよ。何なのあの絶妙に汚い色使いは。気持ち悪いくて鳥肌が立つ」
「鳥嫌いなのに、鳥肌は立つんですね」
守が皮肉を言うと、楓は睨んだ。
「それ以上私を怒らせてみなさい。あなたの大切にしてるアニメキャラクターのフィギュアを片っ端から粉々してやるわよ」
楓は恨みのこもった声でいった。
「そうですか。なら、先生の考えが変わるまでもう少しここにいましょう」
守は一歩も引かずに応戦する。ポップコーンをつつき終えた鳩はあっちへふらふら、こっちへふらふらとしながらも、確実に楓達の方へと近付いていた。後、数メートルというところで楓が守の腕を掴んだ。
「分かったから。私が悪かったから。早く違う道に行きましょう。お願いだから早く」
もはや悲壮な声で嘆願する楓を見て満足した守は鳩の居ない道へと楓を連れ出した。
「ありがとう。助かったわ。全く本当に気持ち悪い」
鳩から逃れた楓は何事も無かったかのように、いつもの凛とした態度を取り戻した。あまりの変わりように先程までの腰が引けてたのが幻と思えるほどだった。
「鳩が好きって人はそう居ないですが、そこまで嫌う人はそれはそれで珍しいですけどね」
守はいった。
「何が好きか嫌いかなんて人それぞれでしょ。その事に口を出すのは良くないわよ。理解出来なくても黙って受け入れてあげる度量こそ人間として大切よ」
楓は長い髪を払った。
「急にまともなことを言われても反応に困りますよ」
「なら、今後は好き嫌いに口出ししないこと。さ、本命のアトラクションに行くわよ」
楓は颯爽と歩きだした。
楓の言った本命のアトラクションはチャイルズエリアにあるピースフルワールドと言うアトラクションだった。楓と守がアトラクションの入り口に近付くと、入り口に立っていた女性従業員が笑顔で迎えてくれた。その笑顔に見送られて二人は中に入った。中はエアコンが効いててとても涼しかった。中は天井高く広々した空間だった。壁は色とりどり塗られていて、明るい雰囲気を醸し出している。足休めの客が多いせいか子供よりも大人の方が多い。
楓はアトラクション内全体を見渡している。顔は真剣そのもので早くも仕事モードになっているのが分かった。
「先生。質問があるんですが」
守は囁くようにいった。前と後ろの間隔が近いので、あまり大きな声では話せない。
「何?」
全体を見渡していた楓は守の顔に少し耳を近付けた。
「どうして先生は、ここが例の現場だと思われたのですか?」
守は一番聞きたかったことを聞いた。昨日、帰り際に場所がほぼ特定出来たと言われてたから、守も考えみたがさっぱり分からなかった。
「ああ。そのことね。昨日も言ったように、ヒントは依頼文にあったじゃない。ボート、一人の小女、閉園間際。これはもう答えも言ったも同然じゃないかしら?」
「そうかもしれませんが、ボートに乗るアトラクションは他にもいくつかあります。例えば、最初に乗ったノア・マウンテンでデビルズハウスとか」
「依頼文に小さな女の子と書いてあったでしょう。ノア・マウンテンは座席にロックが掛かるから、そもそもとして座席から立てないでしょう。小さな女の子でも抜けられるような作りでは無かったしね。デビルズハウスは暗闇をゆっくり回るアトラクションで座席にロックはかからないけど、小さな女の子が閉園間際にたった一人でホラー系のアトラクションに乗るかしら?もちろん、その可能性もあるけれど、とても低いと思うわ。それはホラーテイストの強い海賊カインの冒険にも同じことが言える。それらを踏まえると、女の子が一人で乗れる可能性が一番高いのはこのピースフルワールドってことになる」
楓の澱みない流れるような推理に守はつい聞き入ってしまった。
「さすが先生ですね。それだけの情報でここまで推理を展開するなんて」
守は素直に褒めた。
「大したことではないわ。それよりも、本当にここが現場なのか確かめる術が欲しいわね」
「従業員に聞いてみますか?」
「バカね。そんなことを不穏なことを聞いたら、一発で出禁よ。それとジェネシスパークでは従業員と呼んではダメよ。あの人達はアクターズって呼ばれてるみたいだから」
「アクターズ?」
護は訳がわからないといった顔を見せた。
「このジェネシスパークはジェネシスが生み出したキャラクター達の国ということは理解しているわね?」
楓に質問に守は黙って頷いた。
ジェネシスが生み出したリッキーラビットは世界一有名なウサギと言われている。世界各地にあるジェネシスワールドやパークはリッキーラビットとその仲間達の国を再現したという設定があった。
「そのキャラクター達はジェネシスパークのホスト。つまり、主人ってことね。そして、そのキャラクター達と共に暮らし、私達をもてなす存在がアクターズと呼ばれているわ。アクターズとは“演じる者“という意味で、各エリアに存在しているわ。この人達はジェネシスパークの世界観を守るために、それぞれのエリアでそれぞれのエリアにある衣装を着てそのエリアだけに通じる言語や歴史に精通しているプロフェッショナルな存在なのよ。ここへやって来る人達の夢を壊さないために演じている存在だから、敬意を込めてアクターズと呼ばれているわ」
「へーそうだったんですね。じゃあ、皆凄い人達なんですね」
守は関心したように近くにいたアクターズを見た。
「それはどうかしら。結局は仕事だし、アクターズの中には大勢のバイトもいるわ。その全員がジェネシスの理念を元に働いているか問われればそうとは言えないでしょうね。あくまでも、そうゆう設定なだけだから、アクターズにも実力差があって当然よ。ただ、他の企業に比べてただのバイトでも働いていくうちに接客術はかなりのレベルになるそうだけど」
一気に喋って喉が渇いたのか、楓はカバンからペットボトルのお茶を取り出して喉を潤した。
「ジェネシスのキャラクターがホストで、共に暮らしてる人間がアクターズなら、僕達のような客にも呼び方があるんですか?」
守はふと浮かんだ疑問を尋ねてみた。
「ええ、あるわよ。ジェネシスパークはいわゆる一つの劇場又は舞台とも捉えられてるの。つまり、私達はホストであるキャラクターやアクターズの演劇を観にきているということにもなってる。だから、私達はオーディエンスと呼ばれているわ」
「オーディエンスですか」
守は咀嚼するようにいった。
「私達は観客なのよ。キャラクターやアクターズが創り出す明るくて夢のある世界を楽しんでる観客っていうこと。ジェネシスパークが出来た当初はゲストって呼ばれてたみたいだけど、よくよく考えたら私達はお金を払ってここに来ているのであって、招待された訳ではないからゲストって呼ばれるのはおかしな話しよね」
「大分、生々しい呼び方になりましたね」
「私達の前では言わないわよ。オーディエンスはアクターズ達の裏の呼び方。皮肉を込めて誰かが付けたみたい」
「付けた人は大分ひねくれてますね」
「そうね。ジェネシスト達は自分達のことをゲストと信じて疑わないし、誰も気にして無いから好きに呼んでくださいって感じね」
「ジェネシストって?」
「ジェネシスを愛してやまない人達のことよ」
「ああ」
守は納得顔で頷いた。
「変ね」
ボートが発車する場所を見ていた楓はポツリといった。その言葉に釣られて守はボート乗り場を観察したが、何が変なのかさっぱり分からなかった。
「何が変なんですか?」
守は聞いた。
「ボートの数が合わないわ」
「ボートの数?」
守はますます分からなくなった。
「動かしてない青いボートの方を見てご覧なさい。数が5艘しかないわ。調べによると赤いボートと青いボートを合わせると12艘あるってなってたわ。どうして一艘ないのかしら」
「単純に一艘故障してて直してる最中なんじゃないですか?」
守は自分の考えを言ってみた。
「今日がただの遊びだったら、そう考えたわ。でも、依頼を受けている状況で、現場となり得るアトラクションのボートが一艘無いのは、大いに疑問に持つべきだわ。私の推理通りなら、ボートが無いのは、そのボートが消えた女の子が乗っていたボートだからよ。アクターズからしたら気味が悪くて使いたくないんでしょうね」
そう言われればそうかもしれないと守は思った。
「でも、どうやって確認するんですか?」
守は聞いた。
「まぁ見てなさい」
楓はそれだけしか言わなかった。
二人がボートに乗る順番が近付いてきた。
「何名様ですか?」
これまた可愛らしい笑顔の女性のアクターズが二人に聞いた。
「二名です」
守が答えた。
「では、三番乗り場でお待ちください」
女性アクターズは手で示した。
「一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
突然、楓がアクターズに質問した。一瞬、虚をつかれた顔をした女性アクターズだったが、すぐに笑顔で対応してきた
「はい。何でございますか?」
「向こうの青いボート一つ数が少ないみたいだけど、どうしてかしら?」
楓の質問に女性アクターズの表情が明らかに固くなった。
「それも9番のボートが無いみたいね。故障?」
楓は立て続けに聞く。
「えっと、その、故障です。はい」
明らかに狼狽した女性アクターズは笑顔も忘れ、たどたどしい口調で答えた。
「そう。私のラッキナンバーは9だから、それに乗りたかったんだけど残念ね」
楓はやるせない表情を作った。もちろん、これは演技であるが、横で見ていた守ですら本当に残念がっているように見えた。
「申し訳ございません」
女性アクターズは謝罪した。
「仕方ないわよね。手間を取らせてごめんなさいね」
「とんでもございません。それでは、楽しんできてください」
女性アクターズはまた笑顔を作った。楓もその笑顔に合わせて薄く微笑みを浮かべ大人しく三番乗り場へ向かった。
「おはようございます」
美春はピースフルワールドの裏にある事務所に入るやいなやいった。美春は遅番出勤の日だった。
「あ、おはようございます」
園田進が笑顔でいった。事務所には進の他に誰もいなかった。
「園田君休憩?」
「そうです。今さっき入りました。居ても特にやることなかったので」
進は笑いながらいった。
「今日はそれだけ暇ってことなのね」
「夏休みが信じられない程忙しかったんで、丁度良いくらいですよ」
進はだらしなく背もたれ体を預けた。そんな進の姿を見て美春は小さく笑った。
事務所の扉がノックされ一人の女性が入ってきた。その女性は山本文花だった。
「ふみちゃん。おはよう」
美春は文花に笑顔で挨拶をした。
「おはようございます」
文花も同じように笑顔で返した。
「ふみちゃんも休憩なの?」
美春が聞いた。
「あ、私は今日は上がりです」
「そうだったんだ。お疲れ様」
美春はまた笑顔でいった。美春が笑顔を見せる度に進の胸はドキドキした。
「そう言えば、上がる少し前にめちゃくちゃ綺麗な女性オーディエンスがいたんですよ」
文花は少し興奮した口調で話し出した。
「そんなに綺麗だったの?」
今度は美春が聞いた。
「モデルかと思えるくらいに美人でした。周りの人もチラチラ見てました。男性と一緒に居ましたが、こう言ってはなんですが、あまり釣り合ってるようには見えませんでした。カップルのような雰囲気も見受けられなかったので、恋人同士では無いなと思いました」
「そう言えば、休憩行く時に僕もチラッと見ました。あまりの綺麗さに思わず二度見しましたもん」
「そんな綺麗な人が居たんだ。私も観てみたかったな」
美春は呑気にいった。
「ただ、その女性オーディエンスに青いボートの数が一つ少ないって言われたんです」
文花がそう言うと、美春と進の顔が強張った。
「あまりにも唐突な質問だったので、上手く答えられなかったんですけど、向こうから故障と聞かれたので、何とか答えることは出来たんですけど、その女性オーディエンスは例の9番ボートに乗りたかったって言われた時は冷や汗が止まりませんでした」
文花は少し暗い表情になった。
例の消息事件が起きてからまだほんの3日しか経っていない。その日いた誰もが口を噤んでいるが、誰もが心に大きな影を落としているのは間違いなかった。ましてや、文花はその日女の子が乗っていたボートの発車のスイッチを押した人間なのだ。いくら責任を感じ無くても良いと言われても、責任を感じるなと言う方が無理だった。
「どうしてその女性オーディエンスは青の9番ボートに乗りたかったんですか?」
進が恐る恐るといった感じで聞いた。
「自分のラッキーナンバーが9だからそれに乗りたかったと言ってました。心底残念そうな言い方をしていたので、多分嘘では無いと思います」
「何となく嫌な偶然ですね。ねぇ、美春さん」
進が眉毛を曲げながらいった。
「え、ええ。そうね。でも、変に気にしなくて大丈夫よ」
美春はいつもの笑顔で答えた。
「ま、そうっすよね」
美春の笑顔を直接向けられたせいか進は少し照れたように髪を掻いた。その仕草を見た文花は二人に気付かれないように小さく笑う。
「さてと、そろそろ私は行くね。ふみちゃんお疲れ様。園田君は暇そうだったら、休憩延ばしても良いからね」
美春はそう言い残して事務所から出ていった。
「今日も可愛いわね美春さん」
文花がいった。
「そうだな」
進は何故か照れ臭そうにいった。
「もう、さっさと次に進みなさいよ。美春さんだっていつまでも独身とはいかないかもよ?」
「や、やめろよな。もし誰かに聞かれてたらどうするんだよ」
「あんたが美春さんのことを好きなのは本人以外全員気付いてるから、気にすることはないのよ。それで?デートに誘ったりしないの?」
「う、うるさいな。放っておいてくれよ」
進は拗ねたようにいった。
「全く。根性なしね。まぁいいや私も帰るね。バイバイ」
文花は進に手を振った。
「ああ。じゃあな」
進は手をあげて応える。
文花が居なくなり一人事務所に残された進は財布から二枚の紙切れを取り出した。それは美春をデートに誘うために取ったミュージカルのチケットだった。美春が以前ミュージカルを観るのが趣味だと言っていたのを覚えていたので取ったのだった。しかし、まだ誘えていない。進は手元にあるチケットを見て溜め息を吐いた。
ピースフルワールドを出た楓と守はコーヒーカップのアトラクション近くにあったベンチに座っていた。
「先生。どうでしたか?」
守は早速楓の推理を聞いた。
「間違いないわ。あのアトラクションが例の消息事件の現場ね」
楓はそう言いながら、さっきやり取りした女性アクターズの反応を思い出していた。自分が質問した途端に、目は泳ぎ口調も乱れていた。ただの故障ならばあんなに狼狽えるはすがない。現場がピースフルワールドと結論付けた楓はアトラクション中はひたすらエリアの観察に神経を注いだ。だが、ボートの上から見える範囲などたかが知れているので、あまり参考にはならかった。後はこれから会う人物から詳しい話しを聞いてからではないと無理だと判断した。腕時計にチラッと目をやると、時刻は18時を示そうとしていた。依頼の時間まで後1時間。少し早いが楓は準備に取り掛かることにした。
「立って守ちゃん」
スマホを見ていた守が楓を見た。
「次は何に乗るんですか?」
「もう何も乗らないわ。準備してホテルに行くわよ」
「準備って何を?」
「決まってるでしょ。私の戦闘スタイルに着替えるのよ」
楓はニッと笑った。
舞浜駅にあったコインロッカーにスーツを置いてあった楓はジェネシスパークの別邸とも言われているイクスピアリのトイレで着替えを済ませた。
「お待たせ」
Alexander・McQueenの黒のスーツに身を包みJIMMY CHOOの赤いピンヒールを履いた楓が出てきた。先程までのラフな格好とは違い、バッチリと決まったスーツ須方に守は感嘆した。やはり、この人はスーツ姿が一番映えるな思った。
「まさかスーツを持ってきていたとは思いもしませんでしたよ」
「車で来たから大した手間じゃなかったわ」
「それにしてもですよ」
「スーツ姿じゃないと仕事に身が入らないのよ。それに、今から行く舞浜ディメンションゲートホテルは一流ホテルよ。正装するのは当たり前でしょ」
「えっ!」
守は自分の服装を見た。今日は全身ユニクロコーデだ。いやコーデとすら呼べない。ただ着ただけである。一流ホテルならばドレスコードもあるだろう。もしかしたら、自分は入れないかもしれないと思った。そんな守の心を見透かしたように楓がいった。
「一流ホテルだけど、そこまで厳しいドレスコードは無いから安心しなさい。著しく周囲を不快にさせる格好や体臭を撒き散らせてなければ特に問題ないそうよ」
「はぁー。良かったです」
守は胸を撫で下ろした。
「この先も一流ホテルに呼ばれることもあるかもしれないから、これを機に自分の服装を見つめ直す良い機会にすることね」
楓はさらっと嫌味を放つ。
「余計なお世話ですよ」
守は口をへの字に曲げた。
楓は口許を緩めた。
「さぁ、行くわよ」
楓は表情を引き締めた。遊びの時間はもう終わる。これから果たして何が待ち受けるのか。楓は力強く1歩を踏み出した。
舞浜ディメンションゲートホテルは30階だてのホテルだった。このホテルの最大の特徴は例の4つ入り口以外で唯一ジェネシスパークへと通じる入り口があることだった。もちろん、それはここに泊まった者のみだけが通れる入り口だった。
「豪華ですね」
ホテルのロビーに足を踏み入れた守は興味津々と言った形で上に横に顔を動かした。広々としたロビーには高級ソファが群れをなすように置かれている。天井からぶら下がっている絢爛豪華なシャンデリアは世界でも有数の美術品と謳われている。
「恥ずかしいから止めなさい」
楓はピシャッといってから、腕時計を見る。約束の19時まで後30分もあった。
「少し早く着いてしまいましたね。どうしますか?」
守が聞いた。
「そうね。下手に動いて怪しまれたりでもしたら面倒だから、そこら辺のソファにでも座ってましょう。時間が近付けば相手側から何かアクションがあるかもしれないわ」
楓の提案に守は頷いた。二人は空いていたソファに移動して座って待つことにした。
「それにしても豪華なホテルですね。1泊いくらくらいするでしょうね」
「部屋にもよるけど、一番安い部屋で今回の前金で貰った金額の十分の一は超えるわね」
楓の言葉に守は目を見開いた。ホテルに1泊するのに、そんなにもかかるなんて信じられなかった。
「そんな金額でも人が来るんですか?」
「フロントを見なさい。ひっきりなしに宿泊客が来てるでしょう」
守はフロント見るために後ろを振り向いた。チェックイン客でフロントには列が出来ていた。守は何か恐ろしいものを見たように首を振った。
「僕に一生無理です。ホテルに5万も使うなんて。例え宝くじで3億円当たっても無理ですよ」
「ジェネシスパークと言うのはそう言う意味でも魔法をかけてくるのよ。金銭感覚を狂わせる魔法ね」
「それにしても、このホテルの名前って特徴的ですよね。舞浜なんでしたっけ?」
「舞浜ディメンションゲートホテルよ。それくらい1発で覚えなさい」
「意味とかあるんですか?」
守は聞いた。まるで生徒と先生のような会話だった。
「もちろんよ。ディメンションゲートを和訳すれば何となく分かるはずよ」
「ディメンションゲートだから、次元の扉ってことですよね。まさかこのホテルはどこか異次元の空間と繋がっているって言うんですか?」
守は驚きながらいった。楓はクスクス笑った。
「そんなわけ無いでしょ。次元と言うのはこの場合ジェネシスパークのことを指すの。つまりこのホテルは例の4つのゲートを通ることなくジェネシスパークへ直接行けるホテルなのよ。向こうを見て」
守は楓が指差した方に顔を向けた。視線の先には重厚な黒い扉があった。そした、その扉の前には黒いスーツを着ている大柄な男の子が二人立っていて、更にその前で何人かの宿泊客が二列になって立っていた。すると、黒服の男二人がその扉を開き始めた。宿泊客はその扉に吸い込まれるように消えていった。
「ね?あそこがディメンションゲートな訳なのよ」
「このホテルに泊まった人間しか通れないってことですよね?」
「当たり前でしょう。ただ、さっきの4つの入り口と違って内部での撮影は一切禁止されてるみたいよ」
「え?どうしてですか?」
「何でもそのトンネル内にはジェネシスが残した暗号文が隠されているそうよ」
「本当ですか?」
守は疑わしげな眼を向けた。
「信憑性は定かではないけど、無い話しではないそうよ。実際、創造者でもあるジェネシスは謎解きやクイズが大好きな人間だったそうだから、暗号の一つや二つがあってもおかしくはないわね」
「僕はそうゆう都市伝説等は一切信じないので、無いと思いますけどね」
「その答えはあの扉をくぐれば分かることでしょうね」
「ちなみに、あのゲートはどこに繋がってるんですか?」
「ジェネシスパークの象徴であるヘブンスタワーの秘密の庭園よ。その庭園は四季折々の美しい花が咲き誇る庭園で、このゲートを潜る人間にしか入れない特別な庭園よ」
「世界一入場料の高い庭園ですね」
守は皮肉った。
「そうね。それでも一見の価値はあるそうよ」
「それにしてもヘブンスタワーって名前はどうなんですか?ジェネシスパークはあの世にも繋がってるんですか?」
「その考え方で間違ってないわ。ヘブンスタワーは生みの親であるジェネシスのために作られたからよ」
「どうゆうことですか?」
「ジェネシス一家は敬虔なクリスチャンなの。だから、ジェネシスが天国へ行けるようにって建てたのよ。後、来るべき終末に復活できるように頂上にはジェネシスの遺体が冷凍保存されているって話しよ」
「また眉唾物の都市伝説ですか」
守は呆れたようにいった。守からすれば聖書のなんて昔の人が書いたファンタジー小説にしか思えず、それを信じるのは現代で言えば、ハリー・ポッターの世界が本当にあると信じるくらい馬鹿げた考えだった。
「さすがの私もそれはやりすぎと思っているわ。さ、10分前になったわ。そろそろ動きがあってもおかしくはないわね」
楓のその言葉が合図になったかのように、背筋をピンと伸ばした黒いショートヘアの女性が二人の元へと歩いてきた。
「いよいよね」
楓はスーツのジャケットのボタンを締めた。そして同、にリラックスしていた気持ちも引き締めた。守は唾を飲み込み、姿勢を正した。
「秋山楓様でございますね?」
近付いてきたショートカットの女性が聞いてきた。思いの外ハスキーな声だった。
「ええ。あなたが依頼人ですか?」
楓は聞き返した。
「いいえ。私は依頼人の専属秘書です。秋山様を連れて来るように言われました。今からお部屋までご案内致します」
専属秘書という存在が守に緊張を与えた。相手が社内でもかなりの地位であることが容易に推察することができるからだ。
「まさか専属秘書とはね。では、案内してもらいましょう」
楓は立ち上がった。守も慌てて立ち上がる。
「それでは私の後に付いてきてください」
専属秘書は踵を返して歩き出した。二人はその背中を追った。
ロビーにあるエレベーターから指定された20階へと向かう。これから極秘依頼を受けるからか、エレベーター内の三人の空気は重たかった。
「秘書さん。あなたのお名前は?」
重苦しい空気を払うかのように楓が質問した。
「藤森茉里奈と申します」
藤森は丁寧に答えた。
「どうして私が秋山楓と分かってたのかしら?」
「ホテルの支配人が教えてくれたからです。今回の依頼は私とホテルの支配人だけが知っております。支配人にはあなたがホテルに入ってきたら、私に教えるように言っておりました」
藤森は淀みなく答える。
「だったら、どうしてもっと早く声をかけなかったのかしら?」
「ジェネシスパークを楽しんで来られたらそうなので、ホテルについてすぐにお呼びするのはどうかと思いまして。なので、少しお時間を空けました」
楓と守は驚いた。
「まさかジェネシスパークに行ったことを知られてるとは思わなかったわ。それとも、ジェネシスパークにもあなたのスパイが?」
楓の言い方がおかしかったのか、藤森は微笑んだ。
「詳しいお話しは依頼人が直接致しますので」
藤森は楓の質問には答えずそれだけいった。
藤森がそう言うと同時に目的の20階に着いた。エレベーターを降りて再び藤森の後ろを付いて歩く。程なくして目的の部屋である2011号室に着いた。藤森が3回ドアをノックしてから、3人で部屋に入った。2011号室は絢爛豪華な部屋だった。目につく家具や装飾品が全て一級品であり、部屋はゆうに10人は寛げる程の広さを誇っている。守はあまりの豪華さに呆けた。
そんな豪華な部屋に目もくれずに楓の視線は窓際で仁王立ちしているグレーのスーツを着た男に注がれていた。細身で背が高く、ポケットに両手を突っ込みながら窓の外を眺めていた。その後ろ姿から放たれているオーラは只者ではないと楓は気付いた。楓達の存在に気付いてないのか、楓達がすぐ後ろに来ても男は眼下に広がるジェネシスパークをじっと見たまま動かなかった。
「秋山様をお連れしました」
藤森が男の背に向けて静かにいった。すると、ゆっくりとした動作で男が振り向いた。男は楓の想像していた以上に若かった。塩顔のイケメンで髪の毛は綺麗に短くまとめられている。エネルギッシュな表情からは自信が漲っている。恐らく四十代前半くらいだろうと楓は推察した。
「ありがとう藤森君」
男は藤森に手をあげた。それが合図なのか藤森は男と楓達に丁寧に一礼すると、ホテルの部屋から退散した。
男が楓達に近くまで歩み寄った。
「あなたが秋山楓さんですね」
男がいった。
「そうです。早速ですが、お名前と役職を教えてくださいますか?」
「私はマジカルエンターテイメント専務取締役の山城兼次と申します。よろしくお願いします」
楓と守の顔に衝撃が走った。
山城は右手を差し出した。楓は信じられないような面持ちでその手を握り返した。
「そう言えば、そちらの連れの方の名前を聞いていませんでしたね」
山城の視線が守を捉えた。守は背筋を伸ばした。守は内心、相手の役職を聞いた途端に緊張感が一気に襲ってきたのだった。
「あ、えっと、」
面接でもあるまいのに守は言葉を上手く出せなかった。すると、楓が助け船を出した。
「彼は私の助手で鳥遊守と言います」
「鳥遊さんですか。よろしく」
山城は守にも同じように右手を差し出した。守は恐る恐る手を握った。山城は固く握手をした。
「それにしても、まさか専務取締役が依頼人だとは思いもしませんでした。本当に驚きましたわ」
楓はそういった。楓や守が驚くのも無理は無かった。マジカルエンターテイメント専務取締役と言えば現社長である廿楽社長の右腕であり実質会社のNo.2だ。前金で50万と言い、さっきの専属秘書と言い、かなりの地位の人物だと予想はしていたが、ここまでだったとは、予想はしていなかった。
「メールでは身分を隠していたことを謝ります。依頼しておきながら失礼な話しではありますが、完全に先生のことを信用していなかったのです。万が一依頼文を会社に送り届けられたりしたら大変なことになってしまうので、身分は隠させていただきました」
大企業の専務取締役という地位にいる山城だが、その態度には一切の傲りは感じられなかった。
「メールである人から私の話しを聞いたと書いてありましだか、誰なんですか?」
楓の質問に山城はニヤリと笑った。
「あんなママですよ」
「あんなママからですって?」
楓は身分を明かされた時以上に驚いた。
「ええ。あんなママとは以前から顔見知りなんです。今回の件を話した所、秋山先生を紹介されました」
あんなママとは楓行きつけのバーユリアンナのオーナーのことだった。
「まさかあんなママの紹介だったとは。色々驚かされてばっかりですわ」
楓はやれやれと言わんばかりに首を横に振った。
「私も驚いています」
山城がいった。
「何にですか?」
「あんなママから秋山先生は大変お綺麗だと聞いていたのですが、聞いていた以上にお綺麗です」
「ありがとうございます。私も想像していた以上に紳士でイケメンなお方でしたので驚きましたわ」
楓は優雅に微笑みながらいった。
端から聞いていた守は二人を見比べた。確かに、並んで歩いていたらお似合いなカップルだなと思った。しかし、仮に山城が楓にどんなアプローチをしても絶対に口説けないと守には分かっている。
「それだけの美貌の持ち主ですから、男性からのアプローチを大変多いことでしょう」
「そうですね。でも、すぐに無理だと分かって手を引きますよ」
楓は意味深にいった。
「それはどうゆう意味でしょうか?」
「私はレズです。男性には一切興味ありませんの」
楓は満面の笑みで堂々と同性愛者と言い放った。あまりの堂々とした態度に山城は一瞬虚をつかれた表情になった。
これが守には二人がどんなにお似合いでも無理だと分かっていた理由だった。楓は生粋のレズビアンであった。性同一性障害と言う訳でもなく、ただただ女性が好きなのである。本気で女性に恋をし、愛する女性と結婚したいと心から思っている。男には眼中が無いので、寝起きのボサボサ髪の姿を守にさらけ出すことも全く気にしないのだ。
「そ、そうでしたか。いやはや・・・・・・」
あまりにも予想だにしてなかったのか山城は動揺を見せた。
「何かいけませんでしか?」
「と、とんでもないございません。何と言いますが、自分が同性愛者だと堂々と言える方に今まで会ったことが無かったので、少しだけ面を食らっただけです」
「何も恥ずかしいことは無いので、隠す理由がありません」
「その通りですね。では、今は女性の恋人がいらっしゃるのですか?」
「今はいません。それ以上のお答えは控えさせていただきます」
楓は口調を強めた。
「無粋な質問にも答えてくださりありがとうございました」
「私からも質問をしてもよろしいでしょうか?」
楓がいった。
「どうぞ」
「あんなママから私の話しを聞いて依頼をしてくださったのは分かりましたが、他の方に依頼をしようとはお考えにならなかったのでしょうか?」
楓の質問に守は嫌な予感がした。
「他の方とは?」
山城は楓の質問の意図があまり分かってないようだった。
「密室の消失事件と聞いて喜ぶ人はいますよ。例えば、蝶ネクタイをした小学生・・・・・・」
「わあああああ」
守は大声で叫びながら慌てた楓の口を塞いだ。守の大声に山城は驚き一歩引いた。
「ごめんなさい。山城専務。今の質問は聞かなかったことに・・・・・・」
守がそう言いかけると、楓の肘内が腹に入った。守は声が詰まり、楓の口から手を離した。山城は不思議そうにただ二人を見つめていた。
「全く。上司の口を突然塞ぐなんて」
楓は不機嫌そうにいった。
「あのですねぇ」
守は反論したかったが、お腹に鈍い痛みがあり反論する気力を奪われた。
「えーと、秋山先生に依頼をするにあたって、私なりに秋山先生のことを調べさせていただきました」
山城は遠慮がちに切り出した。
「どうして私のことを?」
「これは私の性分なので、あんなママを信頼してないという訳ではありません。私は人づてに聞いてもすぐには行動を移さないんです。まずは自分でしっかりと下調べをしたから行動をするように心掛けていまして。それで、秋山先生のことも調べました。以前はアメリカでFBIに勤めていたそうですね」
楓は目を見開いた。よもやそこまで知られているとは思ってもいなかった。
「その情報はどこから仕入れのでしょうか?」
楓がFBIに所属していたことは非公開にしていて、その事を知っているのは日本では守と他数名だけだった。
「その情報源は教えられません。ただ秋山先生も知っている人物だと言うことだけは言っておきます」
楓は怪訝な表情を浮かべた。
「そうですか。確かに、私は以前FBIに勤めていました」
「その方からはかなり優秀な捜査官だとお聞きしましたので、少し試させていただきました」
その言葉に楓は納得した。
「なるほど。だから、あの依頼文には場所を特定出来そうなヒントを書いていたのですね。私がそのヒントを頼りにピースフルワールドへ辿り着くかどうかをみるために」
「そうゆうことです」
「もし私がジェネシスパークに事前に行くと決断しなかったら、どうするつもりでしたの?」
「それはないと聞きました。秋山先生なら必ず動くはすだとその方は言ってました。私と同じでまずは自分の眼で確認しにいくはずだと」
「ムカつく程その通りですね。まんまと踊らされました」
「不愉快にさせてしまったのであれば謝罪します」
「特に気にしてませんわ」
「実際に乗ってみて何か分かったことや感じたことはありましたか?」
「残念ながら何も。なので、詳しく聞きたいです。その日に何が起こったのかを」
楓は山城を真っ直ぐ見据えた。ついに本題に入る時が来たと守は更に緊張感が高まってきた。
「話しは長くなりますので、どうぞお掛け下さい」
山城はソファに座るよう二人を促した。山城は座る前に手際良く三つのインスタントコーヒーを作りそれをテーブルの上に置いてからソファに座った。そして、自ら淹れたコーヒーを一口含むと、深く息を吐くと、重々しく口を開いた。
「それでは例の出来事についてお話しします」
山城は前屈みの姿勢になり、膝に手を乗せて自分の掌を合わせた。
話しを終えた山城はまた一つ大きく息を吐いた。
「話しを聞いてどう思いましたか?」
「そうですね。実に摩訶不思議な事件だと思います」
楓はそういうとすっかり冷めたコーヒーを飲んだ。
守も楓と同じことを思った。正直、話しを聞く前は大袈裟に言っているだけだと思っていたが、話しを聞くうちに、決して大袈裟でも誇張しているわけでもなく、本当にピースフルワールドのアトラクション内から女の子が一人消えてしまったのだ。 守は事件の重大さに気づくと、果たして自分達の手に負えるのか心配になっていた。
「いくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」
楓はいった。
「どうぞ」
「アトラクションのエリアには非常口なり抜け口があると思いますが、そこを使われた形跡は無かったのですか?」
「はい。ジェネシスパークにあるアトラクションの全ては非常口がついておりますが、両面鍵で施錠されておりますので、鍵が無ければ開けることは出来ません」
「そうですは。鍵は普段はどこに?」
「ボートを動かす装置の場所にあります。ちなみに、鍵はスペアも含めてありました。なので、持ち出された可能性は無いかと」
「鍵を持ち出して複製出来ることは?」
「それも無理でしょう。非常口の鍵は閉園後は退勤する前にバックヤードにある金庫にしまうようにしてあります。朝出勤したらそこから取り出すまでは誰も取れません。もちろん、開園中は1時間に一回鍵を確認することを義務づけておりますので、開園中に盗み出すことも不可能です。なので、今回非常口が使われたということはないでしょう」
「なるほど」
楓は眉間に皺を寄せた。
「まだおかしなことがありまして」
「何ですか?」
楓と守は同時に目を向けた。
「その女の子がどのゲートから来たのかも分からないのです」
「どうゆうことでしょうか?」
楓が怪訝な顔をした。
「私の方で密かにその女の子がどのゲートからきたのか調べるために、事件の起こった8月29日のゲートにある防犯カメラを全てチェックしたのですが、どのゲートにも女の子の姿はありませんでした」
「そ、そんな・・・・・・」
守は絶望的な声を出した。どこから来たのかも分からない少女。まさかここまでオカルトチックな話しになるとは思ってもみなかった。守はホラー話しには滅法弱いので、この時点で依頼から手を引きたいと思った。
「そこまでしていながら、どうして警察に届け出なかったのですか?社長は何をお考えで?」
楓は少し非難めいた口調で問い詰めた。
「社長は消えたのではなく見逃したと。つまり、その女の子はどこかのエリアに隠れていて、私達が探す間を上手く切り抜けて外に出たんだと仰いました。私達はそんはずは無いと訴えてましたが、全くの聞く耳を持たずでした。あまつさえ、こんなことで警察に連絡をしてジェネシスパークの評判を貶めた者は名誉毀損で訴えることも考えると言い残し、警察に連絡することを禁止したのです」
山城は肩を落としながらいった。
「社長に話す前に専務のご判断で警察に言うことは出来なかったのですか?」
「もちろん、考えました。しかし、社長が先に事情を知ることになったので、仕方なく社長判断に従う他ありませんでした」
「専務が社長に話したのでは無いのですか?」
「違います。丁度、警察に連絡をしようとした時、社長から連絡が来たのです。何でも、再来年に開業する新エリアのことで良いアイディアが浮かんだから、今から話しを聞いてほしいとのことでした」
山城の話しを聞いた楓は思案げな表情を浮かべた。
「秋山先生?」
山城が声をかけた。
「ああ、失礼しました。それで専務はどうされたんですか?」
「ああ、はい。それで社長に居場所を尋ねられたので、ピースフルワールドにいると答えました。当然、どうしてそこにとなって、事情を説明することになりました」
「電話で事情を聞いただけで、廿楽社長は警察に連絡はするなと?」
楓がそう聞くと、山城は否定した。
「いいえ。事情が事情なだけに社長もピースフルワールドにやってきました。そして、改めて私やアクターズから話しを聞いた上でさっきのようなこと言ったのです」
山城の口調には明らかに悔しさが滲んでいた。
それもそのはずだと守は思った。山城の立場からすれば、オーディエンスの一人が消えてしまったことは信じられない程の大惨事である。だがそれは、社長でも同じはず。なのにどうして、廿楽社長は暴論とも言える論理で警察に連絡することを禁止したのか不思議に思った。
「最初は、1日経てば居なくなった女の子のご両親が連絡から連絡が来るはずだと思ってました。しかし、3日経過しても連絡は来ませんでした。徐々に社長の言ったことが正しいと思い始めてました。社長の命令に逆らって警察に連絡しようとも思ったのですが、少女が消えたという証拠は状況証拠しか残っていませんでしたし、仮に連絡をしてもし本当にただの手の込んだイタズラだったと分かった場合を考えると、警察に連絡することを躊躇ってしまいました。そんな矢先にあんなママから秋山先生のお話しを聞いたので、これだと思い依頼することにしたのです」
山城は神妙にいった。
「山城専務のお気持ちは察し致します。それでも、言わせていただきますが、消えたことが分かった時点で警察に届け出るべきでした。社長命令やパークのイメージも分かりますが、人が一人消えたというのは立派な事件です。もしこれが、ただのイタズラでは無かったら、専務にも責任の一端はあることでしょう。それはご理解していますでしょうか?」
楓は厳しく言及した。
「返す言葉もございません。我が身の保身のために連絡を怠った責任は必ず取ります。なので、この奇妙な事件を解決するためにお力を貸してください」
山城は立ち上がって頭を下げた。
「厳しいこと言わせていただきましたが、ここへ来たということは協力するということです。ご期待に添えるか分かりませんが、私達で良ければ力をお貸しします」
楓の言葉に顔を上げた山城の顔には嬉しそうな表情が広がっていた。
「ありがとうございます。出来る限りサポートします」
「差し当たって、一つお願いがあるのですか?」
「何でしょう」
「事件を解決するまでの間はこの部屋を拠点にさせてもらってもよろしいでしょうか?」
楓の図々しいお願いに守は冷や汗を掻いた。いくら依頼された側とはいえこの一泊10万はゆうに超えるだろうと予測される部屋を拠点にしたいと当たり前のように言ってくる人間を雇いたいと思うだろうか。もしかしたら、破談になるかもしれないと守は思った。しかし、守の心配は杞憂に終わった。
「もちろんです。むしろ、そのつもりでここへ来ていただいたのですから」
山城は快諾した。
楓は満足そうに頷いた。
「それでは秋山先生。何卒よろしくお願いします」
山城は今一度右手を差し出した。
「こちらこそよろしくお願いします。必ず解き明かしてみせましょう」
立ち上がった楓はその右手を力強く握った。守も慌てて立ち上がる。
「鳥遊さんもお願いします」
「は、はい」
守はぺこりと頭を下げた。
「もし今後何か必要とありましたら、秘書の藤森に連絡を寄越してください。これが藤森のパソコンのメールアドレスです」
山城はスーツの内ポケットから紙切れを取り出し、テーブルの上に置いた。
「遠慮なく使わせていただきますわ」
楓はそれを手に取って一瞥すると守に渡した。守は丁寧に折ってポケットにしまった。
「では私は仕事に戻ります」
山城はいった。
楓と守は山城を見送るためにドア近くまで付いていく。
「山城専務」
山城がドアノブに手を掛けた瞬間に楓は声をかけた。
「何でしょうか?」
山城はドアノブから手を離して楓と向き合った。
「例えどんな答えが出ようとも揺るがない覚悟はおわりですね?」
楓は不思議な光を帯びた眼で山城を見据えた。山城もしっかりと見つめ返した。
「もちろんです。私のことは気になさらず答えを出してください」
山城は力強くいった。そして、ドアを開けて部屋を後にした。
山城が部屋から出ると、先程までの緊張感が一気に取り払われたのか全身の力が一気に抜けるのを守は感じた。
「それにしても、依頼人が専務取締役とは驚きましたね」
高級ソファに座りながら守はいった。こんなにも座り心地が良いソファは初めてだった。
「そうね」
楓はそれだけ言うと、窓際に立った。部屋に入った時に待っていた山城と同じように窓から見えるジェネシスパークを見下ろした。ミニチュアのように小さく見える大勢の人間がいる。表情まで見えるはずが無いのに、どの人間も楽しげな様子が見て取れるから不思議だ。それもジェネシスパークと言う特異な空間が見せる魔法なのだろうか。
「先生何を見てるんですか?」
守に声を掛けられて楓は我に返った。
「景色を眺めてただけよ。私はこれから出掛けるからお留守番よろしくね」
楓は守の返事も聞かずにスタスタとドアへと向かった。
「え、先生。ちょっと待ってください」
守はソファから慌てて立ち上がろうとしたが、バランスを崩して立てなかった。そんな守に眼もくれずに楓はさっさと部屋を出ていった。残された守は唖然としたが、追いかける気も起きずソファに体を預けた。すると一気に眠気が襲ってきた守はそれに抵抗することなく眠りについた。
朝日に照らされた守は眩しそうに眼を開けた。一瞬、ここが自宅だと思っていた守は二度寝しようと眼を閉じたが、閉じた瞬間に昨日のことを思い出して勢いよく跳ね起きた。どうやらあのままソファで眠りこけてしまったようだとようやく気付いた。守はキョロキョロと辺りを見回した。すると、窓際に立っているスーツ姿の楓を見つけた。守は冷や汗をかきはじめた。
「せ、先生」
守は恐る恐る声をかけた。すると、楓はくるりと前を向いた。
「あら、守ちゃん。おはよう。よく眠ってたわね」
楓の声は快活だった。その声に守は面を食らった。間違いなく不機嫌な声だと思っていたからだ。
「すみません。先生のことを寝ずに待っていようと思ったのですが」
「ああ、別に良いのよ。誰かさんがぐっすり眠ってたお陰でホテルのフロントにわざわざドアを開けてもらった女がいることなんてね」
楓の言葉に守の血の気が引いた。
「本当にすみません」
守はソファの上で正座をした。
「気にしなくて良いって言ってるでしょ。それより早く準備してもらえるかしら?15分後に仕事が始まるわよ」
「えっ?」
「事件当日にいた人達の話しを聞くために、昨夜の内に藤森さんに手配してもらったわ。その最初の人が9時に来ることになってるの」
守には寝耳に水な話しだった。しかし、本当に寝ていたからそれもそのはずである。
「どうして起こしてくれなかったんですか?」
「あまりにも気持ち良さそうに眠ってたから可哀想だと思ったのよ。話しを聞くだけなら私一人でも問題無かったしね」
てことは、もし起きていなかったら見ず知らずの人間に寝相を見られていたということになる。想像しただけで恥ずかしさで顔を覆いたくなった。
「起きたのなら早く用意してくれるかしら。約束まで後10分よ」
楓が顎で壁時計を示した。楓の言う通り残り10分しか無かった。守は知らぬ間に体にかかっていた毛布を剥がして急いで洗面所に向かった。
9時になった。何とか体裁を整えた守はどんな人が来るのかソワソワし始めた。すると、部屋の中にチャイムが鳴り響いた。守はドアに近付き小さな穴から覗いた。ドアの前に立っていたのは黒髪ショートボブの愛らしい顔立ちをした若い女性だった。守は見覚えのある顔だと思った。ドアを開けた守と目が合った女性は緊張した顔を見せた。
「こんにちは」
守の方から挨拶をした。
「こ、こんにちは」
緊張で声が上ずっているのが分かった。
「山本文花さんですか?」
守は聞くと、女性は黙って頷いた。
「お待ちしてました。どうぞ中に入ってください」
守はドアを押さえるように立ち通り道を作った。
文花は少し躊躇う素振りを見せたが、ゆっくりと部屋の中へと入った。文花が部屋の中へと進むとソファに一人の女性が座っていることに気付いた。その顔を見て文花は驚いた。
「あ、あなたは・・・・・・」
文花は驚きのあまり言葉に詰まった。文花の驚きは最もだった。何故なら、楓にボートのことで質問を受けたのは文花だったからだ。
その様子を見た楓は頬を緩めて立ち上がった。
「山本文花さんね。初めましてと言うには微妙だけど、初めまして。私は秋山楓よ」
楓はにっこり笑った。
「あ、初めまして」
文花はまだ驚きで頭が上手く回らないようだった。
「驚くのも無理は無いわよね。事情を説明するから、とりあえず座ってくれるかしら?」
楓は文花に座るように促した。
文花は困惑しながらも大人しくソファに座った。
「何か飲む?」
楓が聞いた。
「い、いえ。あの、本当にどうゆうことでしょうか?」
「驚かせて申し訳無いわね。実は私は探偵なの」
楓の言葉に文花は脳天を衝かれたような衝撃を受けた。この超絶美女が探偵だったとは夢にも思わなかった。
「どうして探偵が・・・・・・」
「8月29日に起こったことを調査するように依頼されたのよ」
文花は咄嗟に身を固くした。その話しが出てくるとは予想してなかった。文花は帰りたくなった。
「緊張しないで。聞かれたことに正直に話してくれればそれで大丈夫よ。あなたを追い詰めたり、問い詰めたりは決してしないわ」
楓は優しい声でいった。これはFBIの取り調べではない。恫喝紛いのような事情聴取は絶対にしてはいけないと強く言い聞かせていた。
楓の優しい口調に感化されたのか文花の体の固さが少し取れた。
「あの、聞いても良いですか?」
文花は恐る恐る聞いた。
「どうぞ」
「どうして今更例のことを調べるんですか?それに、あなたが探偵と言うのは本当ですか?」
文花は怖じ気づきながらも、強い目で楓を見据えた。
「調査する必要があるからよ。私が探偵である証拠を見せてあげるわ」
楓はポケットからスマホを取り出した。そして、操作をして一つの動画を文花に見せた。その動画を見た文花はますます驚いた。その動画に映っていたのは、山城専務取締役だったからだ。動画では山城が楓に依頼した旨の説明をしていた。疑り深い文花でももう信じざるを得なかった。ちなみに、この動画は昨夜の内に楓が藤森に依頼して用意したものだった。
「疑ってすみませんでした」
「良いのよ。それくらいの警戒心は大切よ。これで分かってもらえたかしら?山城専務は本気で例の出来事を解明するために私に依頼したということを」
「は、はい。でも、私の話しが役に立つとは思えません」
「役に立つかどうかを決めるのは聞き手の私よ。さっきも言ったけど、正直に話してくれればそれだけでも十分よ。早速、話しを聞いていくけれど、準備は良い?」
「は、はい」
文花は背を伸ばした。どんな質問されるのか少し怖かった。
「えーと、まずは簡単な質問からするわね。名前は聞いたから年齢と出身を教えてくれる?」
「あ、はい。えと、歳は19歳で、出身は横浜です」
緊張で少し声が上ずった。
「横浜からここに通ってるの?」
「そうです。大学が東京なので、平日は学校終わりから来てます」
「なるほど。ちなみに、大学はどこ?」
「明治大学です」
「賢いのね。どうしてジェネシスパークでバイトしようと思ったのかしら?」
楓の質問に文花は思わず笑いそうになってしまった。質問内容が事情聴取というよりは面接みたいになっているからだ。
「ジェネシスパークでバイトしてると業種によっては就職に有利だと聞いたので」
自分の回答も面接のそれだと思った。模擬面接でも受けている気分になってきて、少し余裕が出てきた。
「将来を見据えた素晴らしい志望動機ね。若いのに感心だわ」
「ありがとうございます」
文花は褒められたことに対してのお礼をいった。こんな美人に褒められるのがとても嬉しかった。
「さて、本格的な質問に入るけど、女の子が消えてしまったことについて、あなたはどう思った?」
楓は文花の眼を覗き込むように聞いた。
唐突に核心的な質問をされたので文花は動揺した。
「えっと、その、とにかく驚きました。その日は何が起こったのかあまり考えられなくて、時間が経つにつれてとんでもないことが起こってしまったんだって思って、怖くりました。ボートの発射ボタンを押したのは私なので私のせいで消えちゃったんじゃないかって・・・・・・」
文花の肩が小刻みに揺れ、涙も溢れてきた。後ろで話しを記録していた守は同情するように頷いた。
文花の様子を見た楓は立ち上がって文花の隣に移動した。そして、 そっと肩に手を回して優しく囁いた。
「そう怖かったよね。人一人が消えてしまったんだもの。でも、大丈夫よ。あなたのせいでは絶対に無いわ。あなたは真面目に仕事をしただけ。決して、自分を責めてはいけないわ。誰が押してたって結果は変わらなかったのよ。だから、怖がる必要も責任を感じる必要は無いわ」
楓は泣いてる文花の頭を優しく撫でながらいった。その暖かい手と優しい声のお陰で文花の気持ちは少し楽になった。
その景色を見ていた守の心も温かくなった。寝ていた自分に毛布をかけてくれたように、なんだかんだ楓は優しい。守はそうゆう所も含めて楓についているのだった。
「もう大丈夫そう?」
「はい。すみません。ありがとうございます」
楓は頷くと再び文花と向き合うように座った。
「質問しても大丈夫かしら?」
「はい」
「ありがとう。それでその日のことなんだけど、何かいつもと違うことはあった?」
楓の質問を受けた文花は記憶を探った。しかし、何も思い出せることは無かった。
「何も無かったと思います。自分が知らないだけかもしれないですけど」
「そう。じゃあ、次の質問だけど、女の子が消えた後、専務を含めその場にいた皆でアトラクション内を探したと聞いたけど、その時に誰か不審な言動をした人はいた?」
楓の質問は文花にとって辛いものだった。
「いいえ。そんな人は居なかったと思います。それに、その時は消えた女の子のことで頭がいっぱいだったので、誰かを見たりする余裕はありませんでした」
文花は申し訳なさそうにいった。
「そう落ち込まなくて大丈夫よ。ただの形式的な確認だから。見てないならそれで構わないわ」
「あの、後どれくらい質問があるんですか?」
文花は堪らず聞いた。この先にいくつ質問されても有益な答えが出来るとは思わなかった。
「次で最後よ」
「もう最後ですか?」
「ええ。もっと質問されたいの?」
「あ、いや、そうゆう訳ではないです」
あまりの呆気なさに文花は拍子抜けした。
「じゃあ、最後の質問だけど、廿楽社長が言ったように、今回の件は女の子のただのイタズラだと思う?」
「そ、それは・・・・・・」
文花はどう答えるべきか迷った。
「正直に答えて。あなたが何と言おうが、誰にも言わないと約束するわ」
楓の言葉を信頼した文花は一呼吸置いていった。
「おかしいなと思いました。私だけじゃなくて皆がそう言ってます。女の子が知らぬ間にアトラクション内から出るなんて不可能です。隅から隅まで探しましたし、それに、念のため入り口に1人置いてました。だから、ただのイタズラな訳は無いと思います」
文花は熱を込めていった。
「分かったわ。ありがとう」
楓はその熱をしっかり受け止めるように頷いた。
文花を見送った楓は紅茶を淹れた。次の人物が来るまで後10分程あった。
「とりあえず1人目が終わりましたけど、何か収穫はありましたか?」
「何も」
楓は短くいった。まだ1人を聞き終えただけだ。いかに優秀な楓でも何かを判断するには早計すぎた。
10分が経ち、再び部屋にインターホンの音が鳴った。さっきと同じように守がドアの覗き穴から来訪者を確認する。今度も女性だった。文花より大人ぽかった。髪は暗い茶髪でポニーテールにしている。顔立ちは楓ほどでは無いが、ハッキリしていて十分美人の部類に入るなと守は思った。
守はゆっくりとドアを開けた。
「こんにちは」
守が挨拶をした。
「こんにちは」
女性は頭を下げた。
どうやらさっきの文花と違い、それなりの余裕があるようにみえた。
「吉川美晴さんですか?」
守が聞いた。
「そうです」
美晴は頷いた。
「どうぞ中に入ってください」
守は横にずれてドアを押さえた。
美晴は軽く頭を下げて部屋に入った。
美晴が部屋の奥に入って行くと、さっきと同じく楓がソファに座って待っていた。
「こんにちは。吉川美晴さん。どうぞおかけになって」
楓は座ったままソファに座るよう促した。
美晴は特に躊躇う素振りも無くソファに座った。
「初めまして。私は秋山楓と言います。よろしくね」
楓は業務用のスマイルで自己紹介した。
「よろしくお願いします」
美晴は頭を下げた。
美晴の動揺の無さを意外に思った。いきなりホテルに呼び出されて見ず知らずの人間2人に出迎えられたら、少しは困惑したり怪しんでもおかしくはなさそうだが、美晴の様子からはそんな態度は一切見受けられなかった。
「あなたの態度を見る限り、話しは文花ちゃんから聞いてそうね」
「はい。さっきまで電話でやり取りしてました。昨日の夜から、何だろうと話しあっていたので、トップバッターのふみちゃんが教えてくれました」
「事情を話す手間が省けて助かるわ。そうゆう訳だから、正直に話してちょうだいね」
楓は長い髪を払った。
「あ、はい」
「では、生年月日と出身地を教えてくれる?」
「1994年11月17日です。出身地は大阪です」
美晴の生年月日を聞いて守は少し意外に思った。94年生まれとういことは今年で27歳になる。美晴の見た目はもう少し若く見える。
「大阪のどこ?」
「堺市です」
「大阪にはいつまで?」
「小学校5年生まで住んでました。その後は千葉に住んでます」
「どうして大阪から千葉へ?」
「実は親が事故で亡くなったので、千葉の親戚に引き取られたんです」
美晴は少し悲しそうにいった。
「そうだったのね。辛いことを聞いてしまって、申し訳なかったわ」
楓は素直に謝罪した。
「いいえ。もう昔の事なので。後、大学は大阪の大学に進学したので、4年間は大阪で1人暮らしをしていました」
「どうしてまた大阪の大学へ進学したの?」
「1人暮らしに憧れたんです。親戚の人達は優しかったですが、やはりどこか遠慮しながら生きていたので、息が詰まることもしばしばありました。なので、大学は1人で暮らそうと思ったんです。大阪の大学にしたのは、単に大阪が懐かしかったからです」
美晴は淡々と答える。
「アクターズになった切っ掛けは?」
「えっと、実は卒業後はこのホテルに就職しました」
意外な返答に楓は目を丸くした。
「あら、そうなのね。どうしてこのホテルに?」
「親戚の人達がよく連れてってくれました。多分、両親を亡くした私を元気づけるために連れていってくれたんだと思います。そして、高校の入学祝いに親戚の人がこのホテルに泊まらせてくれました。それでこのホテルに圧倒されて、こんな凄い空間で働けたらなと思いました。それで面接を受けて合格した時は本当に嬉しかったです」
「良い話しを聞かせてもらったわ。ただ、それだけ嬉しかったはずのホテルからアクターズになったのは何故?」
「それは・・・・・・」
美晴の言い淀んだ。
「色恋沙汰?」
「ち、違います。その、このことは他の人に言わないでくれますか?」
「事件に関係が無ければ口外しないわ」
楓はお決まりのセリフをいった。
美晴は困惑した表情を見せたが、思い切って言うことにした。
「異動したのは出世のためです」
美晴の発言に守は驚いた。印象では出世欲とは無縁そうに思えたからだ。一方で楓は特に驚くこともなくいった。
「アクターズになることが出世の条件なの?」
「そうです。このホテルもそうですが、親会社系列ホテルの支配人になるには、アクターズとしての経験が3年以上が必須なんです」
「そうなのね。野心が高いことは素晴らしいことね。別に隠す必要は無いと思うけど、あなたが言わないでほしいと望むならみだりに口外はしないわ」
「ありがとうございます」
「さて、そろそろ本題に入りましょう。聞いた所によると、消えた女の子とやり取りしたのは美晴さんだそうね」
「ええ、まあ。あまり話せませんでしたけど」
「その女の子に何か印象に残ってることはある?
「印象と言っても、とても物静かな子だとしか」
美晴は申し訳なさそうにいった。
「その女の子とはどんな会話をしたの?」
「確か、名前を聞いて家族の有無を聞きました。それから、どうしてもアトラクションに乗りたいことを確認したので、中へ連れていきました」
「女の子の名前は何て言うの?」
「みかって名乗ってました」
「みかちゃんの服装を覚えてる?」
「はい。薄いピンクのTシャツにデニムのショーツでした。靴も薄いピンクのスニーカーだったと思います」
「そのみかちゃんはアトラクション内に入った時の様子はどうだった。そんなに乗りたかったのなら、さぞかし喜んだのでは?」
「いいえ。特に様子が変わることはありませんでした。最初から最後まで物静かで大人しかったです。知らない大人に囲まれて無邪気な様子を出せなかっただけかもしれませんが」
「そう。ちなみに、みかちゃんは何歳くらいに見えた?」
「小学校低学年くらいかなと。年齢の割には落ち着いてるなと思いました」
「ありがとう。美晴ちゃんは今回の出来事はみかちゃんによる単なるイタズラだと思ってる?」
「そう思いたいところですけど、そうでは無いと思ってます。でも、こんな事は初めてだったので、何がどうなったのか今でも少し混乱してます。閉園間際のボートが戻ってくる時は必要以上に緊張してしまいます。また同じことがあったらどうしようって。なので、解決してくれることを願ってます」
美晴は切実に訴えた。
「あなたの気持ちは受け止めたわ。必ず解き明かしてみせるわ」
楓は美晴をしっかりと見据えて頷いた。
三人目の来訪者は園田進だった。
「うわー現実に美人探偵って本当にいるんですね」
楓から名刺を貰った園田進は好奇心全開の目でいった。事情聴取にも関わらず全くと言って良いほど、緊張感が見受けられなかった。
「進君も大学生?」
楓はテンションを合わすことなく聞いた。
「いいえ。僕は専門です。大学に入れるほどの学力はないので」
進は照れ臭そうに頭を掻いた。
「碌でもない学生生活を送るくらいなら、大学に行く意味なんて無いわ」
楓は容赦なく言い放つ。
「僕もそう思ってます。それだったら、ちゃんと就職に有利な専門に行こうってなりました」
「学校は東京?」
「そうです。ぼく、静岡から出てきたんですよ」
「へーそうなの。静岡のどこに住んでたの?」
「富士吉田市です」
「とんでもないジェットコースターがあるって有名な遊園地があるところね。どうして静岡から東京へ?静岡にも専門学校はあるでしょう」
楓の質問の進はまた照れ臭そうに笑った。
「恥ずかしいことなんですけど、高校の時に付き合ってた彼女と東京の学校に行くことを約束してそれで東京に来たんです。まあ、その子とはもう別れちゃったんすけどね」
笑いながらいう進の顔には後悔といったものがないことが見てとれた。
「甘酸っぱい青春話しね。ほっこりするわ。今は彼女はいないの?」
「彼女はいないっす」
「彼女はってことは好きな人はいるの?」
楓はぐいぐい踏み込んだ。
「やめてくださいよ。恥ずかしいなあ」
そうは言うものの進は嬉しそうに笑った。
「もっと詳しく聞きたいけれど、その手の話しは時間がかかりすぎるから、本題に入らせてもらっても良いかしら?」
「あ、どうぞどうぞ」
「アトラクションに来たみかちゃんを最初に対応したのは進君のそうだけど、その時のことを詳しく話してくれる?」
「あ、はい。その日はいつものように入り口の外で戻っていくオーディエンスを見送っていました。そしたら、ふらっとみかちゃんがやってきて俺達の前で立ち止まりました。そこで俺がみかちゃんに聞いたんです。アトラクションに乗りたいの?って。そしたら、みかちゃんは頷きました。でも、一人だったので、一旦一緒にいた先輩とどうするべきか話し合いました。とりあえず、家族はいるのか聞こうとしたら丁度美晴さんか戻ってきてくれたので、後は美晴さんに対応を任せることにしました」
「ふんふん。なるほど。こんなことを聞くのもあれだけど、美晴ちゃんの対応に不審な点は無かった?」
楓の質問に園田進は強く首を振った。
「とんでもありません。その場でずっと一緒に見てましたけど、美晴さんは丁寧な対応をしてました。途中で僕が横から口を挟んでしまって怒られました」
進はいたずらっ子な笑みを浮かべた。
「何て口を挟んだの?」
「僕が横からパパとママは?って聞いたんです。そしたら、みかちゃんが肩をビクッと震わせたんです。いきなり横から質問したら怖がるから止めなさいって怒られました」
「それでみかちゃんは何て答えたの?」
「俺を叱ってすぐに美晴さんが一人なの?って聞いたんですけど、それからまた黙っちゃって」
「なるほど。ところで、みかちゃんを捜索している時に出入口で見張りをしていたそうね」
「はい」
「本当に誰も通らなかった?」
「通ってません。出入口は一つしか無いですし、いくら小さな女の子でも見逃すはずがありません」
「それはそうよね」
「そう言えば、美晴さんがみかちゃんと話してる時に何か違和感を持ったんですよね」
「どんな?」
「それがよく覚えてないんです。ただ、本当に小さなことだから、大したことではないと思うんですけど」
進は自信無さげにいった。
「大したことかどうかは私が決めるわ。もし思い出したら、すぐに連絡を頂戴。ちょっと名刺を貸してくれる?」
「ああ、はい」
進はポケットにしまってあった名刺を楓に渡した。楓は名刺にさらさらと何かを書いた。
「私の携帯番号を書いておいたわ。思い出したら、すぐに連絡して。良いわね?」
楓は念を押すようにいった。
「分かりました。何とか思い出してみます」
「お願いね」
それから先程から聞いてるような質問を幾つか進に聴いて、楓は進との事情聴取を終えた。
それから二人の事情聴取をこなし、気付けばお昼を迎えようとしていた。
「はー疲れた」
聴取を終えた楓が第一声でいった。
「お疲れ様です。感触はどうでしたか?」
「まずまずね。でも、まだ分からないことが幾つもあるわ」
「本当に解けるんですか?」
守はつい聞いてしまった。守も側で事情聴取を聞いていたが、とてもじゃないが何一つ事件に繋がる鍵が見つかったとは思えなかった。それに楓の質問も事件内容よりは質問者の人となりを調べるような質問が多かったように感じた。何か考えがあってのことだろうか、この怪奇現象のような事件を本当に解決出来るのか疑問だった。
「当たり前でしょ。それよりお昼を食べないと。腹ペコで死んじゃいそう」
楓はお腹をさすった。
「何か買って来ましょうか?」
守が聞いた。
「いいえ。せっかくだからジェネシスパークで食べてくるわ。守ちゃんも好きに食べてきて良いわよ」
楓はそう言うやいきなり着ていたスーツのジャケットを脱ぎ始めた。
「ちょ、先生。いきなり何してるんですか?」
守は慌てて
「何ってジェネシスパークに行くから着替えるのよ」
楓は呆気からんという。
「なら、せめて着替えのある部屋に入ってから脱いで下さいよ」
守はいった。
「別に守ちゃんに見られても私はどうでもいいもの」
楓は守に構わずYシャツのボタンを外していく。守は両目を塞いだ。本当に困ったものだと思った。もう少し男の前でも恥じらいをもって欲しいと心底思った。
「じゃあね」
着替え終えた楓は颯爽と部屋を出ていった。
昨日と同じように部屋に残された守はUber Eatsで出前を頼もうとしたが、このホテルは配達圏外だった。守は溜め息をついて仕方なく外へ出ることにした。楓と鉢合わせは避けたいので、ジェネシスパークではなく舞浜駅に直結しているショッピングセンター『サンクチュアリ』に行くことにした。
ジェネシスパークでお昼を済ませた楓はホテルのロビーに戻っていた。部屋に戻らなかったのはある人物とここで会う約束をしたからだった。
「お待せしました」
楓の背後からハスキーな女性の声が聞こえた。楓が振り返ると、そこには山城の専属秘書である藤森が佇むように立っていた。
「こんにちは藤森さん。どうぞ座って」
楓は自分の前に座るように手で促した。藤森は小さく一礼するとソファに腰掛けた。
「わざわざ呼び出してしまってごめんなさいね。どうしても聞きたいことがあって」
「気になさらないで大丈夫です。専務にも今は秋山先生への協力を最優先しろと言われているので」
「ありがたい話しですわ。それで早速聞きたいのだけれどよろしいですか?」
「はい。確か廿楽社長の経歴や人物像についてでしたよね?」
藤森がいった。
「そうです」
「廿楽社長はこの会社の社長に就任したのは社長がエンターテイメント施設の再建にとても強いな方だからです。この会社に着任する前は静岡、横浜、大阪にある遊園地をそれぞれ再建してきました。秋山先生も知っての通り、五年前のウイルスの影響でジェネシスパークも甚大な影響を受けました。そこで経営の立て直しの為に白羽の矢が立ったのが廿楽社長でした。社長が就任してから四年が経ちますが、その手腕は本物でジェネシスパークの収益は確実に増しました。ウイルスの影響も今ではほぼ無くなったと言っても良いでしょう」
「かなりやり手なのは聞いていたけれど、そこまで優秀だったとは」
「ただ、人物の方は・・・・・・」
藤森は気まずそうに言葉を切った。会社の社長である。悪いことを言うのは憚れるのだろう。
「あまり深くは追及しないけど、人としての評価は手腕ほど評価されていないのね」
藤森は小さく頷いた。
「豪腕にありがちなワンマン社長ってことね。なまじ優秀なだけに始末が悪そうね」
楓は額に皺を寄せていった。
「山城専務は社長のことをどう思ってるのですか?」
「山城も何かしら思うことはあるとは思いますが、その事をみだりに口にすることはしてません。誰が社長であろうと、とにかくひたむきにジェネシスパークに向き合うんだと常日頃から言っております」
「あの専務らしい発言ね」
楓は小さく笑った。
「秋山先生のことをいたく評価されてました。少し話しただけで、どれほど優秀なのかすぐに分かったと。そして、必ず今回の出来事を解き明かしてくれるとも」
「あらあら、とんでもないプレッシャーですね。これで解き明かせ無かったら、ジェネシスパークにあると言われている地下牢に幽閉されそうだわ」
「そんなことはしませんよ」
藤森は静かに笑った。
「地下牢がないとは言わないのね。おお、怖い。私の身のためにも必ず解き明かさないとだわ」
楓はわざとらしく体を震わせた。
「それにしても、今回の奇妙な出来事は何故起こったのでしょう。今までこんなことは起こったことなんて無かったのに」
藤森は物憂げな顔をした。男なら守ってあげたくなるような表情だった。自ずと楓のレズ心がくすぐられたが、楓はすぐに邪念を払った。
「それは起こした本人に聞かなければ分からないことですね。そう言えば、例の物は持ってきてくれましたか?」
「はい。この封筒の中に入ってます」
藤森はてに持っていたB5サイズの四角い封筒を渡した。
「ありがとうございます」
楓は礼をいって受け取った。
「渡しておいて言うのもあれですけど、本当にそれが役に立つのでしょうか?」
「役に立つかどうかを確認するために必要なんです。どんな些細なことでも気になったら調べる。これはFBI時代からの私の教訓です」
「素人が口出してすみませんでした。また必要な物があれば仰ってください」
「ありがとうございます」
「それでは私はそろそろ退散します。秋山先生引き続きよろしくお願いします」
立ち上がった藤森は丁寧に頭を下げてその場を後にした。
藤森の背中を見送った楓は封筒の中身を取り出した。楓は部屋に戻ることもなくその場で受け取った物に書かれている内容を読み始めた。
「いやー貴重な体験をしましたね」
園田進が愉快そうにいった。
事情聴取を終えた進、美晴、文花の三人はショッピングセンター内にあるファミレスに集まっていた。
「そうね。まさか専務が探偵を雇うなんて思っても無かったわ」
美晴がいった。
「事情聴取って聞いて身構えてましたけど、事情聴取って言うより面接を受けてるみたいでした」
文花が楓のやり取りを思い出すかのようにいった。
「私も同じことを思ったよ。あの美人探偵さん事件のことより私のことを掘り下げてるような感じがした」
美晴が言うと進は同意した。
「分かります。凄いラフな感じだったから、本当に例の出来事を解くつもりあるのかなって思ったりしました」
「でもどうして、専務は今更例の出来事を調べる気になったんでしょうね」
文花は首を捻った。
「そうねえ。社長に警察に通報したら訴えるって言われて悩んだ挙げ句探偵を雇ったのかもしれないわね」
美晴は山城の心理を見透かすようにいった。
「もしかしたら、例の出来事に社長が関わっているのかも知れませんよ。その証拠を探させるために探偵を雇ったのかも」
文花は面白がるよういった。
「こら。仮にも私達の社長よ。冗談でも言わない方が良いわ」
美晴は軽く窘めた。
「でも、あの美人探偵に本当に解けるんですかね。そんな都合良く解くことが出来るなんて小説やアニメの世界だけでしょうし」
進は皿に残っていたチョリソーをかじった。
「園田君の言う通りよ。そんなにサクサク解き明かせるなら警察は要らないもの。探偵をやっているけど、実際の所優秀なのかも怪しい」
美晴がいった。普段は優しいが批判する時はとことん批判するタイプだった。
「貰った名刺には歌舞伎町に事務所があるみたいですけど、それがまた怪しさを増長させてますよね」
文花も批判的にいった。
「とりあえず俺達にはもう関係ないですよ。早くあの事は忘れましょう」
進は固い背もたれに寄りかかった。そして、何気無く隣を見た。店員が丁度注文を取っている所だった。その時、店員のある仕草を見て進の頭の中に違和感の正体がくっきりと浮かんできた。
「園田?」
文花が進に声をかけた。
「え?ああ、なに?」
文花が怪訝そうに進を見ていた。
「あの店員さんに何か用でもあるの?じっと見てたけど」
「い、いや何もないよ。一瞬、知り合いに似てたから驚いただけだよ。ごめん、俺ちょっとお手洗いに行ってきます」
進は席を立った。
トイレに入った進はすぐに楓から貰った名刺を取り出した。そして、名刺に書かれている番号を打ち始めた。コールボタンを押そうとした所で指が止まった。本当にこのまま楓に話して良いのか迷った。違和感と言っても本当に些細な事だった。意識していなければ今も思い出していなかっただろう。一旦、自分の思い違いにしようと思ったが、楓の言葉が頭をよぎり進は意を決してコールボタンを押した。この時、進の話した違和感の正体が解決に大きく近付く事になるとは知る由も無かった。
昼食を食べ終えた守が部屋に戻ると、楓がソファで瞑目していた。守は楓の思考を邪魔しないように、音を立てずに椅子に座った。15分くらい経った頃だろうか。瞑目していた楓が突然勢いよく立ち上がった。
「守ちゃん」
楓は背後にいる守に呼びかけた。
「何ですか先生」
守がそう言うと、楓は守の方に振り向いた。
「大至急調べて欲しいことがあるわ」
楓は真剣な表情でいった。守は唾を飲み込んだ。この真剣な表情が何を表すのか守は知っている。楓が限りなく真相に近づいてる証拠だった。
事情聴取の翌日。今日も残暑は厳しい日だった。暑い陽射しを避けるように楓は1人ジェネシスパークあるカフェ『シュガーポップ』のテラスで涼んでいた。名前の通り甘い物が売ってる店だった。楓はアイスキャラメルコーヒーを頼んでずっとここで目の前を通るオーディエンスやアクターズを観察していた。通り過ぎる誰一人として悲壮な顔付きの人間はいなかった。ここにいると世界中に存在する悪意や憎悪をつい忘れてしまう。FBIに所属していた時は、常に悪意や憎悪との闘いの連続だった。人間がここまで酷い事が出来るのかと絶望を覚えたこともある。探偵としても幾つか事件に関わったが、FBIの時に比べたら可愛い内容のものばかりだった。しかし、今回の件はこれまでとは違うと楓は確信していた。この夢と奇跡に溢れた世界の下に埋もれた悲惨な事件の全貌が楓には見えていた。
「こちらにいらしていたんですね」
楓の耳に不意に落ち着いた男の声が聞こえた。気付けば、目の前にスーツ姿の男が立っていた。
「山城専務」
楓は少し驚きながらいった。
「少しお邪魔してもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
山城は椅子を引いて楓の目の前に座った。
「どうしてここにいると分かったのですか?」
楓が聞いた。
「ジェネシスパーク内にあるカフェやレストランに片っ端から電話を掛けたんです。今、背が高くて物凄い美人の女性のお客様は来てるか?って。そしたら、ここでヒットしました」
山城はイタズラな笑みを浮かべながらいった。
楓は少し呆れつつも愉快そう笑った。
「女性を口説くのが得意そうですね」
「そんな事はありません。こう見えても硬派な男です」
「硬派な男性は簡単に美人とは言いませんよ」
「硬派で正直なのです」
「そうゆうことにしておきますわ。ところで、明後日は休園日だそうですね」
「ええ。大規模な工事がありまして、仕方なく1日だけ休園にしました」
「なるほど。だから、この時期にしたのね」
楓はポツリと呟いた。
「え?」
「何でもありません。ところで、私を探していたと言う事は何か用でもあるんですか?」
「ええ、現時点での進捗状況をお聞きしようかと思いまして」
「すこぶる順調です。もうじき解決します」
楓はさらりといった。
「ほ、本当ですか?」
山城は思わず身を乗り出してしまった。あまりの勢いに楓は少し顔を引いた。
「失礼しました」
山城は一旦咳払いをしてから、改めて聞いた。
「本当にもう解決すると?」
「ええ、そうです。事件も全体像は把握しました。今、助手の鳥遊に証拠を集めさせています」
守は楓のいう証拠集めのために、昨夜からとある場所に出掛けていた。
「そんな」
山城は信じられないというような面持ちだった。依頼してから僅か1日しか経っていない。こんな短時間で解き明かせるものだったのかと拍子抜けそうになった。
「今の段階で聞いてもよろしいですか?」
「お気持ちは分かりますがダメです。まだ何も語れる段階ではありません」
予想通りの答えだった。山城はもう少し粘ってみることにした。
「それなら、証拠が集まった時点で先に私に真相をお話していただけることは出来ますか?」
「申し訳ありませんが致しかねます」
楓は丁重に断った。
「そうですか」
山城は落胆な顔を浮かべた。
「私から今言えることは一つだけです。今回の件はただのイタズラなんかではありません」
「やはりそうなんですか・・・・・・」
山城は唾を飲み込んだ。果たして楓が辿り着いたという真相が気になって仕方なかった。
テーブルの上に置いてあった楓のスマートフォンが鳴った。
「失礼します」
楓は断って電話に出た。
「もしもし。ああ、守ちゃん。どうだった?」
電話の相手は守だった。山城は神経を集中させて会話を盗み聞きしようとした。
「そう。やっぱり思った通りね。守ちゃん悪いけどすぐに戻ってきて。今日で決着をつけないといけないわ」
電話を終えた楓は山城に微笑んだ。
「山城専務。今夜、ジェネシスパークが終わったら、私が言う人を全て事件のあったピースフルワールドに集めてください」
「それはつまり・・・・・・」
「そうです。謎は全て解けました」
楓の目には強い光が宿っていた。
山城は光を受け止めるように目を瞑った。そして、目を開いていった。
「分かりました。それで誰を集めてれば良いのでしょう」
山城は覚悟を決めた。
壁の時計は21時を指していた。ここへ来た時と同じく楓は眼下に広がるジェネシスパークを眺めていた。そして、一旦目を閉じて瞑想に耽った。
これから自分が解き明かす真相がこの夢と奇跡に満ちた世界にどれほどの影響を与えるのか想像もつかない。しかし、どんな結果になろうとも許されざる罪を暴かなければならない。楓は静かに目を開けた。窓に移る自分の瞳の奥が燃えているのが分かる。
「先生。そろそろお時間です」
守がそっと声をかけた。
「よし」
楓はスーツのジャケットを勢い良く羽織った。
「さぁ守ちゃん。夢と奇跡の下に潜む悪意と憎悪を暴きに行くわよ」
楓が召集をかけたの社長、山城、藤森、進、文花、美晴の六人だった。楓達がピースフルワールドに着くと、何やら揉め事のような会話が聞こえてきた。二人が階段を降りると、一人の男が山城に詰問していた。
「いきなりここに呼び出して、どうゆうつもりなんだ」
男は厳しい表情で詰め寄っている。
「申し訳ありません。もう間もなく全てをご説明出来ますので」
山城は恐縮した態度でいった。
「皆さまお待たせしました」
凛とした楓の声が響きその場にいた皆が楓の方に目を向けた。楓は階段を悠然降りて集まってる人達の前まで行った。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
楓はもったいぶるようにいった。
「誰だお前は?関係者以外立ち入り禁止だぞ」
先ほどまで山城を問い詰めていた男が今度は楓を睨み付けた。
「初めまして廿楽社長。私はメープル探偵事務所所長秋山楓と申します。後ろにいるのは助手の鳥遊です。よろしくお願いします」
楓は廿楽を真っ直ぐと見据えて挨拶をした。
廿楽社長は痩せ型で楓よりも背が低かった。それでも、赤ら顔で目は猛禽類を思わせるような鋭く、一睨みで相手を萎縮させるようなオーラを放っていた。
「探偵だと?」
廿楽は怪訝そうにいった。
「名刺をお渡ししましょうか?」
「そんなものはいらん。探偵がどうしてここにいる?」
廿楽が詰め寄る。
「雇われたからです。そこにいる山城専務に」
「なんだと?山城どうゆうことだ!」
短気な廿楽は山城に向かってほとんど怒鳴るようにいった。
「黙っていて申し訳ありませんでした。実は、例の件のことを調査してもらうために私的で探偵を雇いました」
「貴様!何勝手なことをしているんだ!」
今にも殴りかかりそうなばかりに廿楽は吠える。
「勝手なことをしたのは百も承知です。しかし、私はあの出来事がただのイタズラだとは到底思えませんでした。なので、探偵を雇い調査をしてもらいました」
山城は廿楽の逆鱗に触れても怯むことなく淡々と説明した。
「自分が何をしたのか分かっているのか?素人に調査なんかさせやがって。専務の地位をドブに捨てるつもりか!」
廿楽は拳を握りしめた。楓以外は皆ハラハラしながら事の成り行きを見守っている
「私が地位をドブに捨てたかどうかの答えはその方が持っています」
山城は楓を指差した。
「専務の言う通りです。これから私が導き出した答えを聞いてください」
「誰が素人の話しなんか聞くか。私は帰らせてもらう」
帰ろうとする廿楽の前に楓が立ちはだかった。
「今この場から離れるのは社長でも許しませんよ」
楓は瞳を燃やして静かにいった。その静謐なオーラに廿楽はたじろいだ。
「社長素人素人と仰っていますが、秋山先生は元FBI捜査官です」
山城がそう言うとその場がざわついた。廿楽も目を丸くした。
「楓さんFBIに居たんですか?」
進が聞いた。
「ええ。2年程前に辞めたけどね」
「マジかよ。すげぇな」
進は尊敬の目を向けた。
「話しを聞いていただけますか?」
「聞くだけ聞いてやろう。だが、しょうもない話しだったら、後で容赦はしないからな」
廿楽は唸るようにいった。
「どうぞご自由に」
楓は廿楽の脅しを気に留めることもなくいい、長い髪を払ってその場にいる全員を見渡した。
「さて、それでは本題に入りましょう。8月29日に起きた奇妙な出来事について今から全ての謎を解き明かしてみせましょう」
楓は口元に優雅な笑みを浮かべた。
「まずは簡単にその出来事のおさらいしましょう。8月29日の閉園間際にみかと名乗る小学校低学年くらいの女の子がここピースフルワールドのアトラクションに乗り、そのまま消失してしまった。そして皆さんは、アトラクション内を隈無く探したが、結局その女の子を見つけることは出来なかった。間違いないですね?」
楓の問いかけに誰もが頷いた。
「密室のアトラクション内で煙のように女の子が消えてしまう。これだけ聞けば摩訶不思議な出来事にしか聞こえません。しかし、一つ一つ考えていけばおかしな箇所がいくつも生まれます。そしてそれは、幽霊や未知の何かの力ではなく、紛れもない人為的な力が働いてます」
「それはつまり今回の出来事は誰かが仕組んだと言うことですか?」
山城がきいた。
「そうです。それでは、順を追って説明していきましょう。まずはみかちゃんがどこから来たのか。実は山城専務はみかちゃんが消えた翌日にどのゲートから誰と来たのかを確認するために、4つのゲートの防犯カメラを全て確認しました。しかし、どのゲートにもみかちゃんらしき女の子は映っていませんでした。ただ、山城専務はある事実を見逃していました。それはゲートは後一つあるということです」
「もしかして・・・・・・」
山城の隣にいた秘書の藤森が何かに気が付いたように呟いた。
「藤森さんのお察し通りです。皆さんもここまで言えば分かったと思います。残る一つのゲートとはディメンションゲートホテルにあるゲートです」
「山城専務が見落としてしまったのも無理はありません。10歳にも満たないであろ女の子がまさか高級ホテルに一人で宿泊してるなんて思えません」
「宿泊?」
山本文花が聞いた。
「8月29日のシフトに入っていたホテルの男性フロントに話しを聞いた所、事件の当日の29日の16時過ぎ頃に一人でフロントにやってきた小さな女の子が居たそうよ。その男性フロントは女の子に家族の存在を聞いたら、その女の子は後で来ると言って部屋代を現金で男性フロントに支払いました。男性フロントはいつその女の子の家族が来るのか気にしていたみたいだけど、その後、チェックイン業務で忙しくなって女の子のことを忘れてしまったみたいだけど、防犯カメラ映像を見てもらったら鮮明に思い出してくれました」
楓は更に続ける。
「そして、そこにいらっしゃいます支配人の葛木さんとフロントに設置してある防犯カメラを確認した所、今回消失した女の子と風貌や服装が一致していることが分かりました」
「そうゆうことだったのか」
山城が一人呟いた。
「更にディメンションゲートの防犯カメラを確認しましたが、ゲートが開く最終時間の21時半にゲートを潜るみかちゃんの姿が確認出来ました」
楓は一旦間をおいた。そして、各々の反応を見るために素早く視線を走らせる。特に動揺している者はいなかった。
「姿を確認出来たからって何だって言うんだ」
廿楽がいった。
「これでみかちゃんはどこから来たのかと言う疑問は解決しました。さて、次の疑問へと移りましょう。みかちゃんは何故閉園間際にわざわざピースフルワールドに来たのでしょうか?」
「そんなものはただの偶然だろう」
廿楽が間髪いれずにいった。
「果たしてそうでしょうか?失礼を承知で言いますが、ピースフルワールドはわざわざ閉園間際に来て乗りたいアトラクションだとは思えません」
「そんなことはないだろう。その女の子はピースフルワールドが大好きなアトラクションだったってことだ」
「確かにそうかもしれません。しかし、大好きなアトラクションに乗れるのに、ろくにリアクションもしなかったのはおかしな話しです」
楓の指摘に廿楽は黙り込む。
「リアクションの有無だけで決めつけるのは無理があると思いますが」
山城がさらっと助け船を出した。
「私もそう思います。しかし、そのみかちゃんがピースフルワールドが大好きだったとして、本来であれば子供一人では乗れないアトラクションをアクターズの計らいで乗れることになったことを考えると全くリアクションが無いのは不自然かと思います。いくら引っ込み思案でも、嬉しければ何らかの反応が見て取れるはずです。だけど、事情聴取をした3人はいずれも特に反応は無かったと言ってました。つまり、みかちゃんはピースフルワールドに来たくて来た訳ではありません」
「本人の意思で来たわけではないと?」
山城が聞いた。
「そうです。みかちゃんは誰かに呼び出されたと考えています」
「じゃあ、今回のことはみかちゃんの単なるイタズラではないと言うことですか?」
文花が遠慮がちに聞いた。
「もちろん違うわ。廿楽社長はイタズラとお考えになったそうですが、むしろどうしてそう考えたのか不思議に思います」
楓は廿楽を見た。廿楽は怒りの目を楓に向けていた。プライドがすこぶる高い廿楽からすればバイトの前で真っ向から自分の考えを否定されるのは屈辱だった。
「なら聞くが、質の悪いイタズラじゃないなら何だと言うんだ」
廿楽は挑むように聞いた。
「そもそも、みかちゃんがイタズラをする理由はなんですか?ボートから降りてわざわざ隠れるなんてそんなリスキーなことをする意味が分かりません。ましてや、10歳にも満たないであろう女の子がそんな大それたイタズラをしますか?もし見つかればこっぴどく叱られた挙げ句、出禁になってもおかしくはないでしょう」
楓の冷静に説明してみせた。
「それにどんな隠れ方をすればあの狭いピースフルワールドのエリア内で隠れ続けることは出来ると言うのですか?仮に捜索していたアクターズの目を上手く逃れたとしても、出入り口には進君がいました。けど、誰も見てないと言ってます。社長はこれをどう説明致しますか?まさか透明人間になれるなんて非科学的な事を仰るつもりですか?」
楓は廿楽に質問と皮肉を返したが、廿楽は唇を噛んで言葉に窮するだけで何も答えられなかった。
「つまりこれは、イタズラではなく事件だということです」
楓は強い口調で断言した。
事件という言葉にその場にいる全員に一気に緊張が走った。
「・・・・・・一体誰が何の目的があってみかちゃんを呼び出したんでしょうか」
藤森がいった。
「それにどうして、ピースフルワールドに呼び出したんですか?」
今度は進が聞いた。
「決まってるじゃない。ピースフルワールドに呼び出した張本人がいるからよ」
楓の発言にその場がどよめいた。
「呼び出した本人は今ここにいるわ」
楓はぐるりと皆を見渡し、深呼吸をしてその名を告げた。
「あなたよね?美晴ちゃん」
まるで友達を呼ぶかのような気軽さだった。誰もが驚愕した表情で一斉に美晴に目を向けた。呼ばれた美晴本人も目を丸々とせていた。
「あなたがみかちゃんを呼び出したのよね」
楓の声はこれまでにないくらい柔らかかった。
「な、何を言い出すんですか。そんなことしてません」
美晴は目一杯否定した。あり得ないとばかりにしきりに首を横に振っている。
「今全てを話せば情状酌量の余地があるわ」
楓は証拠を突き付ける前に必ず自白を促すようにしている。そうすれば裁判でも多少の情状酌量をしてもらえるからだ。
「話すって何をですか。変な言い掛かりをつけるのは止めてください」
楓の口調が優しいと思った美晴は強気に出た。
「最後のチャンスよ。話してごらんなさい」
楓は柔らかい口調を崩さずにいった。
「いきなり犯人呼ばわりして話せって何様のつもりですか?元FBIってそんなに偉いんですか?」
美晴は一気に捲し立てた。そんな美晴を楓は憐憫の目で見つめた。
「残念ね。なら、あなたが呼び出した張本人であることを証明するわ。完膚なきまでに叩きのめしてあげるから、覚悟はよろしくて?」
先程の柔らかい口調が一転して、楓はその場の空気が凍ってしまうくらいの冷たい声でいった。その冷徹な恐ろしさを感じ取ったのか、美晴は思わず身構えた。
「みかちゃんがチェックインしたのは8月29日の16時半過ぎ。チェックイン業務が忙しくなる前の絶妙な時間よね」
東京ディメンションゲートホテルのチェックが忙しくなるのは大体17時を過ぎてからが多い。
「それがなんですか?」
「元々ホテルのフロントで業務をしていたあなたなら何時に混むか熟知してるはずよね。ただでさえ高級ホテルに女の子が一人でチェックインしたら印象に残りやすいし、忙しい時に来たらより強い印象を残してしまうし、他のチェックインするお客さんにも不審な印象を与える可能性がある。そこであなたは暇な時間にチェックインさせて、後々の忙しさでみかちゃんの印象を薄めようと考えた」
「確かに、私はあのホテルで働いてましたから、いつが暇で忙しいのか熟知してます。けど、そんなことジェネシスパークで働いてる大勢のアクターズは知ってますそれだけの理由で犯人呼ばわりだなんて」
美晴は信じられないとばかりに呆れて見せた。
「本当に何も知らないと?」
「知りません。これ以上言い掛かりをつけるなら名誉毀損ですよ」
「大きく出たわね。じゃあ、どうしてあなたは私に嘘をついたの?」
「嘘?」
美晴は眉を潜めた。
「事情聴取の時にあなたは私に言ったわ。みかちゃんに家族の存在を確認したって。でもあれは正確ではないわね。進君によると、家族ではなくご両親の存在の有無だけを確認したそうね」
楓の指摘に美晴の顔は強張った
「どうして嘘をついたのかしら?」
「そ、そんなのどちらでも変わらないじゃないですか。家族には変わりありません」
「いいえ。大有りよ」
楓はぴしゃりといった。
「守ちゃん。あれを出して」
楓の後ろに控えていた守がカバンから小冊子を出して楓に渡した。
「これが何か皆さんならご存知ですよね。これはここで働くアクターズ全員に入社時のオリエンテーションで配られる迷子対応マニュアルです」
楓はそういってA4サイズのマニュアルを顔の高さに掲げた。
「このマニュアルの最初のページのある箇所を抜粋して読みあげます」
楓はパラッとページを捲って事前に蛍光ペンでチェックしてあった箇所を読みあげ始めた。
「迷子のお客様への確認事項として氏名、年齢、同行者の連絡先、同行者との関係(友人、恋人、両親、兄弟姉妹、祖父母、親戚を必ず聞くこと)となっているわ」
楓の言わんとすることが皆にも分かってきた。
「あなたがご両親の存在以外聞かなかったのは、みかちゃんが一人で来ていることを知ってたからじゃなくて?」
「ち、違います。その時はただ聞くのがめんどくさかっただけです。それにマニュアルはあくまでもマニュアルです。他のアクターズも迷子の確認する時は基本的に両親しか聞きません。聞けばオーディエンスの方から誰と来たのか話してくれますから」
美晴の答えは理に適っていた。だが、楓は動じるこなく攻め立てる。
「まだ認めないのね。なら、次の不審な点を聞くわ。アクターズはオーディエンスに人数を確認する時に指で人数を示すようにしてるけど、その時に指はどこら辺に置いて示すの?オーディエンスが二人来たと思ってやってみてくれる?」
訳の分からない質問すぎて美晴は困惑した。
「ほら、早くやってみせて」
楓に急かされ美晴は戸惑いつつ顔のすぐ横に人差し指を立てた。楓は満足そうに頷いた。
「これに何の意味があるんですか?」
美晴だけでなく誰もが怪訝な表情を浮かべていた。
「事情聴取をした日に進ちゃんがある違和感を私に教えてくれたわ」
美晴は少し離れて横にいた進に視線を流した。進は気まずそうに美晴の視線を受け止めた。進の目には、はっきりと悲しみの色が宿っていた。美晴は進から目を逸らして楓の方に顔を戻した。
「違和感ってなんですか?」
美晴の声は震えていた。
「進ちゃんが言うには、美晴ちゃんがみかちゃんに向かって一人なのと聞いた際に、人差し指を顔の横ではなくて唇の前に置いたと言っていたわ」
楓の説明に美晴は雷が打たれたような表情をした。まさか進がそんなところまで覚えているなんて思ってもいなかった。
「あなたは皆の前で明確に顔の横に持っていったわ。なのに何故、みかちゃんの時は唇の前に持っていったのかしら?この事はどうやって説明してくれるの?」
「そ、それは・・・・・・」
これまで反論してきた美晴が初めて言葉に詰まった。何とか反論をしようと試みるが目をぱちぱちとさせるだけだった。
「あなたが説明出来なら私が説明するわ。あなたが唇の前に指を持っていったのは数字を示す為じゃないわ。ご両親のことを進君に聞かれたみかちゃんに余計なことを話すなと言う意味で唇の前に持っていったのよね」
「ち、違います。そんなことありません。きっとたまたまです」
「たまたまその時だけ指を唇の前に持ってきたと?」
「変だとは思いますがそうです。それに、私が唇の前に人差し指を立てたら、どうしてみかちゃんが黙るんですか?そんなのただの楓さんの妄想じゃないですか」
美晴は強引に反論した。だが、美晴の指摘はその通りだった。しかし、楓は眉一つ動かすことなくいった。
「まだ認めないのであれば、最後の切り札を出させてもらうわ」
「最後の切り札?」
楓の言葉に美晴は怯えた。
「実はある方達を待機させてあります。今からその方達をここへ呼びます」
楓はスマホを取り出して電話をかけ始めた。短いやり取りを終えた楓は電話を切った。
「すぐ来ます」
誰もが入り口に目を向けた。すると、入り口から二人の男達が入ってきた。男二人は無言のまま階段を降りて楓達が集まっている場所にやってきた。一人は背は高くないが厳つい顔をした中年の男で、もう一人は顔が白い背の高いほっそりとした若い男だった。
「お久しぶりです。上山さん」
名前を呼ばれた上山は嫌なそうに鼻を鳴らした。
「あなたが噂の美人探偵の秋山楓さんですね。初めまして皆川です」
上山の後ろにいた若い男が前に出て挨拶をした。
「初めまして」
楓は特に興味をもつことなく挨拶を返した。
「おい。何をしてるんだ。話しの途中で暢気に挨拶なんか交わしやがって。そもそも誰だあんたらは?」
廿楽が至って真っ当な突っ込みをいれた。
「失礼しました。このお二人は千葉県警の警察官です」
その場にいた守る以外の全員が三度驚いた顔をした。
「ど、どうして警察が・・・・・・」
廿楽が狼狽えた。
「今回の事件に当たって非公式ではありますが、お二人に協力していただきました」
刑事二人はその場にいた全員に向かって軽く頭を下げた。
「ふ、ふざけるな!何を勝手なことをしてくれてんだ!」
廿楽が烈火の如く怒りだした。
「お怒りは分かりますが、今は収めてくださいますか?まだお話しの途中ですので」
楓は冷静に制した。
廿楽は拳を握りしめありったけの怒りの目を楓に向けて何とか押し黙った。
「では、横道に逸れましたが軌道を修正しましょう。美晴ちゃん。あなたはもう一つ嘘をついたわね。どうして大学を病気で半年間休学してたことを教えてくれなかったのかしら?」
楓の質問に美晴は動揺を隠せなかった。
「そ、それは、特に言う必要が無いかと思って」
「何の病気だったのか教えてくれるかしら?」
「い、嫌です」
美晴の喉はカラカラだった。
「入院先だけでも良いわ。どこの病院に入院してたの?」
「・・・・・・・どうしてそんなことを聞くんですか?」
美晴は警戒するように聞いた。
「あくまでも、答えないつもりね。まぁ良いわ。私はある可能性に気付いて、守ちゃんと皆川刑事にある物を探してもらう目的で大阪に行ってもらったわ」
楓の発言に美晴は唾を飲み込んだ。
「そして、二人は見つけてくれたわ。守ちゃんあなた達の成果を出してちょうだい」
「分かりました」
守は背負っていたリュックから透明なクリアファイルを出した。そこから一枚の資料を取り出して楓に渡した。
「これはある病院のカルテのコピーです」
「ある病院?」
山城がいった。
「カルテに書いてある病院名は佐田産婦人科。堺市にある小さな産婦人科です。このカルテは今から8年前に作成されたものです」
「産婦人科だって?」
山城が驚いていった。
「検査内容は妊娠の有無の確認。結果は・・・・・・陽性となっています」
またもその場がざわついた。そして、楓が次に何を言おうとしてるのかその場の全員が認識していた。
「この検査を受けた人の氏名は吉川美晴。あなたになっているわ」
名指しされた美晴は顔を真っ青にさせて体を震わせていた。
一番知られてはいけない秘密を暴かれた美晴はもはや言葉も出ず、ただ首を振るだけだった。
「あなたは9年前にある男性と関係を持ち妊娠した。大学を半年間休学していたの妊娠した事実を周囲に知られたくなかったから。何か反論はあるかしら?」
「・・・・・」
止めを刺された美晴は力なく項垂れた。
「さて、先程私は人数を示すと見せ掛けてみかちゃんのことを黙らせたのではと言いました。しかし、美晴ちゃんの反論したように、赤の他人が唇に指を立てた所で黙る道理はありません。しかし、親子ならばどうでしょう?皆さんも一度は親から静かにしなさいと人差し指を立てられたことはあるのでしょう」
「楓さんまさか・・・・・・」
藤森が信じられないといった面持ちで呟いた。楓はその呟きに頷きいった。
「消えたみかちゃんはあなたの娘ね」
楓が衝撃の事実を口にした。
顔面蒼白の美晴は唇をわなわなと震わせている。
「あなたは誰にも言うことなくみかちゃんを産みここまで育ててきた。そうでしょう」
美晴はもはや茫然自失といった表情だった。
「皆川警部後はお願いしても?」
楓は皆川にバトンタッチした。
「吉川さん。あなたは今新木場のアパートに一人暮らししているそうですね。だけど、秋山さんの話しを聞いてあなたのことを調べました。すると、あなたの過去のスマホ履歴からベビーシッターを派遣する会社と家庭教師への通話記録が残っていました」
次々に明るみに出る事実に誰もが呆然としていた。
「それに加え、あなたが船橋にあるマンションに出入りしてるのも突き止めました。あなたは娘さんをそこに匿っていましたね。あなたはベビーシッターを雇い娘さんを見張らせた。ちなみに、みかちゃんをベビーシッターしていた人も見つけて話しを聞きました。娘さんは失語症で会話が出来ないから学校には行ってないそうですね。でも、事実は違いますよね?」
皆川は刑事らしく厳しく追及する。
美晴はへなへなとその場に崩れ落ちた。楓は膝をおって美晴の目線に合わせた。
「全てを認めるわね?」
楓は聞いた。
その澄んだ眼に見つめられた美晴は「はい」といった。
「吉川美晴。監禁及び保護責任者遺棄の容疑で逮捕します」
皆川は美晴を立たせて手錠をかけた。そしてそのまま、外へ連れ出された。
「さてと、一件落着・・・・・・とはいきませんよ。ここからが本番です」
楓の言葉に誰もが疑問の表情を浮かべた。
「最も大きな謎が明かされてません」
「大きな謎というのは?」
山城が聞いた。
「みかちゃんがどこへ消えたのかということです」
「それは吉川さんが知っているのでは?」
「いいえ。美晴ちゃんは知りませんわ。何故なら、彼女はみかちゃんをここへ呼び出しただけですから」
「どうゆうことですか?」
「みかちゃんを消失させた真犯人がいます」
楓がきっぱりと断言した。
「ま、待ってください。では、今回のことは彼女単独でやったことではないと言うことですか?」
驚きを隠せない山城がいった。
「その通りです。そもそも、みかちゃんが姿を消したとされる時間は美晴ちゃんには絶対的なアリバイがあります。それは他のアクターズの皆さんが証明しています」
それを聞いて進や文花が頷いた。あの時、美晴はどこにも行ってない。それは間違いなく断言出来た。
「なので、間違いなく複数人による犯行です。美晴ちゃんが呼び出し、誰かがみかちゃんを連れ去った」
「連れ去った目的は何なんですか?」
山城が聞いた。
「そもそも、どこかに連れ去ったのかも分かりません」
「それはどうゆう・・・・・・」
意味なのかと聞こうとした山城だが、ハッとなって気付いた。
「もしかして、みかちゃんはこのジェネシスパーク内にいるのですか?」
「そうです。ただし、物言わぬ存在となって」
楓の言い回しに藤森や文花は恐ろしさのあまり口を覆った。
「しかし、どうやって真犯人はみかちゃんに近付いたと言うのですか?」
「簡単な話しです。エリアにある非常口から近付いたのでしょう」
「だけど、鍵はかかってましたし、鍵もちゃんとありました。スペアキーも借りられた形跡はありませんが?」
「鍵を持ち出すことは不可能でしょう。しかし、事前にすり替えることは出来ます。予め似たような鍵の束を作っておき、タイミングを見計らってすり替えたんですよ。鍵の有無を確認をすると言っても、一つ一丁寧に確認するわけではありませんから、1日くらい誤魔化すことは可能です」
「なるほど・・・・・・」
「鍵をすり替えたのは美晴ちゃん。前日の最後の鍵の確認表にチェックを付けてましたから、その時にすり替えたんだと思われます」
「その鍵を使って真犯人は非常口からエリアに出てみかちゃんを・・・・・・」
山城はその後の言葉を噤んだ。
「それでは、一体誰が真犯人なのか明かしましょう。真犯人は・・・・・・」
楓は鋭い視線をある人物に向けた。
「廿楽社長。あなたですわね」
美晴を名指しした時と同じように全員の視線が廿楽に向けられた。
「バ、バカなことを言うな!私が真犯人だと?名誉毀損にも程がある!」
廿楽は物凄い剣幕でいった。
「社長と美晴ちゃんが結託してみかちゃんを殺害した。これが今回の事件の真相です」
「何が真相だ!でたらめばかり言いやがって!人を貶めるのもいい加減にしろ!」
廿楽は楓に激しく詰めよった。しかし、楓は一歩も引き下がらず、冷めた目を廿楽に向けた。
「無駄な抵抗は止めて潔く罪を認めるのも社長の器ですわよ」
楓は挑発するようにいう。
「ふ、ふざけたことばかりいうな!いきなりやってきて勝手に推理して人を殺人犯呼ばわりするなんて無礼にも程があるだろ!」
「母親も母親なら父親も父親ですね」
楓は呆れ果てたようにいった。
楓の発言に廿楽は凍りついたように固まった。
「い、今何ていった?」
廿楽は狼狽えた。
「父親も父親と申し上げました。社長が美晴ちゃんの相手でみかちゃんの父親なんでしょう?」
楓の問いかけに廿楽は一歩二歩と下がった。先程までの怒りは影に潜め、顔は恐怖に戦いていた。
「何故それを知ってるって顔をしていますね。藤森さんからあなたの経歴を聞かせてもらいました。丁度美晴ちゃんが大阪の大学に在学中、あなたは大阪にある遊園地の再生を手掛けていました。そこで二人は出会われたのでしょう。出会った場所は美晴ちゃんがバイトしていたバーですね」
「ち、違う。わ、私は何も知らない。あの女も知らない」
先程までの剣幕は鳴りを潜め廿楽は唇をわなわなと震わせながら、うわ言のように呟いた。
「そもそも、今の美晴ちゃん一人の経済力で二つの家を借りられるわけありません。間違いなく裏にスポンサーがいること明白です。そこで、上山警部に美晴ちゃんの口座を調べてもらいました。するとどうでしょう。美晴ちゃんのある口座に毎月30万円もの入金記録が分かりました。その入金者は廿楽社長あなたでした」
楓は二人を繋げる決定的な証拠を告げた。
その証拠を突き付けられた廿楽は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。その場にいた誰もが目の前で起きた俄に信じ難い結末に言葉を失っていた。かくして、夢と奇跡の遊園地で起きた少女消失事件は終幕した。
事件を解決に導いた楓は後の事を呼んだ刑事二人に任せた。外へ出ると、暖かい秋風が楓の長い髪をくすぐった。
「先生。お見事でした」
後ろから付いてきた守がいった。
「守ちゃんもよく働いてくれたわ。ご苦労様」
楓は素っ気なくいった。本来であれば解決に導いた爽快感や高揚感があるものだが、どこかスッキリしないしこりが胸の中にあった。
「しかし、これから大変なことになるでしょうね」
守は重たい口調でいった。それもそのはずだった。楓が解き明かした事実はジェネシスパークが潰れてもおかしくないレベルの大スキャンダルである。夢と奇跡の遊園地で行われた残忍な事件は未来永劫ジェネシスパークの汚点として語り継がれるであろうと楓は思った。
「秋山先生」
呼ばれた楓は足を止めた。振り向くと、追いかけてきた山城が立っていた。
「山城専務」
「何を申し上げれば良いのか。でも、まずはお礼を言わせてください。私達は信じられない過ちを犯す所でした。ありがとうございます」
山城は頭を下げた。
「いいえ。私は仕事を果たしたまでです」
「ただ秋山先生に一つお伺いしたい事があります」
頭を上げた山城がいった。
「何でしょう?」
「どうして今回の件に廿楽が関わっていると分かったのですか?」
「私は専務とホテルでお話しした段階で廿楽社長が関わっていると睨んでました」
楓の返答に山城はまさかという顔をした。
「私が何か言いましたでしょうか?」
「どうして社長はいきなり専務のスマホに掛けたんでしょうか。普通なら、まずは専務の執務執室にかけたりや秘書の藤森さんに聞くはずです。藤森さんに当日の専務用の執務室の内線記録を調べてもらいました。しかし、廿楽社長から連絡はありませんでした。それに、事件が発覚した時間ならば、専務が帰宅している可能性だって充分にあります。それなのにプライベート用のスマホにいきなり掛けて、まだ会える範囲にいるかのようにどこにいると聞くのはおかしな話しです。つまり、社長は専務がどこで何をしているのか知っていた可能性が高いと思いました。いきなりスマホに掛けたのは専務が警察に通報するのを防ぐためでしょう」
楓は淡々と説明した。
「私は何故そこに気付かなかったんだ・・・・・・」
山城は見抜けなかった己の情けなさを嘆いた。
「イレギュラーなことが起こっていましたから」
楓はフォローした。
「事件が発覚した時に私がその違和感にすぐに気づいていれば」
これまで頑なに事件と言わなかったが、山城はついに事件といった。
「専務。私がこれがただのイタズラでは無かったら、あなたに責任があると言ったのは覚えておりますか?」
「・・・・・・はい。責任を痛感しています。いくら事件に関与はしていないとは言え、警察に通報しなかったのはあるまじき失態です。責任を取るべき専務を辞職します」
山城は覚悟を決めた表情でいった。そんな山城を楓は黙って見つめ、やがていった。
「無責任な責任の取り方ですわね」
楓は氷のように冷たい声でいった。あまりの冷たさに山城はたじろいだ。
「ここで辞職を決断するのは、無責任もいいところですわ」
「しかし、秋山先生は私に責任を取るべきだと仰いました」
「ええ、いいました。だけど、辞めるべきとは一言も言ってません。どうして、責任を取る=辞職になるのですか?専務が辞職すれば今回の事件は水に流せるとでも思っているのでしょうか?それとも、この先に待ち受ける困難から尻尾を巻いて逃げたいのですか?」
「秋山先生。それは言い過ぎなのではないですか?」
楓の挑発的な物言いに、温厚な山城も僅かに気色ばんだ。しかし、楓は臆することなくいう。
「今回の事件が公になれば、ジェネシスパークは大きな危機を迎えるのは明白です。専務はそんな危機を迎えるジェネシスパークを放って置くのですか?」
楓の言葉に山城はハッとなった。
「私は専務にどんな答えが出ようとも覚悟はありますねと尋ねました。それは専務に辞職をする覚悟をあるのかを知りたかったのではなくて、困難に直面するジェネシスパークを支える覚悟があるかどうかを知りたかったからです。ここで働くアクターズや本社の社員は言われなき風評被害に晒される羽目になるでしょう。専務はそれを見捨てるわけですか?今専務が辞めたら、誰がアクターズや社員達を守るのですか?私が専務に求めることはただ一つです。決して辞めないでください。この危機に立ち向かい夢と奇跡のジェネシスパークを何としてでも存続させてください」
楓は強い意志を込めた目で山城を見つめた。山城は唇を噛み締め、眼から一筋の涙を溢した。やがて、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
「では、失礼します」
楓はさっと振り向いて足早にその場を去った。山城はその後ろ姿に最大限の敬意を込めて頭を下げた。
廿楽と美晴は取り調べで洗いざらい話した。結局、楓の推理通り廿楽前社長と吉川美晴の間には肉体関係があったことが判明した。酔った勢いでの一夜限り関係だけなはずだったが、美晴は妊娠してしまった。堕ろすことを考えた美晴だったが、ひょんな事で相手の素性を知った美晴は中絶出来ない週まで隠すことにした。そして、ある日廿楽に妊娠している事実を告げた。廿楽は激しく動揺し中絶を迫ったが、中絶出来ないことが分かると美晴の言いなりになるしかなかった。美晴は子供を産みそれを世間には隠した。戸籍登録をしていないので、学校に通わせるにはいかなかった。廿楽の金でマンションを借り、そこに娘のみかを住まわせた。美晴は自分が働きたいがために、障害持ちで学校に通わせられないと嘘をつき、ベビーシッターと家庭教師を雇った。何故そんなことをしたのかと取り調べで聞かれた美晴は元々、子供を産む願望はなかったが、妊娠させられた相手が既婚者で裕福な人間と知り、自分のお金で育てなくて良いからわざと妊娠の事実を隠していた。そして、子供を産んだのは良いが、子供がいる事実を知られたくなかったので、役所には申請せず隠して育てることにしたとこう供述したという。何故殺しに加担したのかと問われると、相手が完全犯罪を思いついたのと、子育てに飽きたから加担したと語ったそうだ。それを後日聞いた楓は何て胸糞悪い事件だと吐き捨てた。
娘を殺した廿楽は麻袋に死体を入れて大規模工事する場所にあらかじめ掘っていた穴に埋めた。もし、事件が解決されなければ、みかの死体は永久にコンクリートの下に埋もれていたはずだ。楓が解決を急いだのも、廿楽の狙いが分かっていたからだった。工事は急遽中止になり、警察が廿楽の証言を元にみかを捜索した。死体は発見され、みかの首から廿楽の皮膚の一部のDNAが検出された。そして、二人がみかの親であることも証明された。
こんな大事件が隠し通せるはずもなく、楓の予想通り事件が公になると、ジェネシスパークには一斉に非難の目が向けられた。現社長とその社員によるあまりにも身勝手な殺人事件は令和の一大事件として新聞やテレビ、YouTubeを大きくがせた。騒ぎは日本国内だけで収まらず、ジェネシスパークを経営するマジカルエンターテイメントの親会社であるワールドワイドコーポレーションのCEOが遺憾の意を表明する事態となった。当然、殺人事件が起きたテーマパーク等に行きたがる物好きはそういなく、チケット代の払い戻しやジェネシスパーク周辺のホテルや飲食店の予約の取り消しが相次いだ。そして、警察が現場となったアトラクションを公表しなかったため、ネットではどこのアトラクションが殺人現場になったのかを予想するスレが立ちまくった。そのスレはどんどんエスカレートしていき、しまいにはあらぬ都市伝説や怪談話がでっち上げられた。世間では夢と奇跡のテーマパークではなく悪夢と恐怖のテーマパークと揶揄されるようになった。そんな火中の栗を拾うべく新たな新社長が発表された。
事件から2週間が経過した9月中旬の日曜日に楓は一人でジェネシスパークに訪れていた。約束の時間までまだ時間があったので、楓はパーク内をぐるりと歩くことにした。気持ちの良い秋晴れの休日だと言うのに、パーク内はまばらにしか客はいなかった。その客層をよく見ると、家族連れの客は皆無だった。少し寂しい気持ちを抱えながら、ヘブンスタワーに着いた。ヘブンスタワーの扉の前には今回の事件の犠牲者である美香ちゃんへの献花台が置いてあった。献花台には白百合が多く供えられていた。楓は手に持っていた一輪の白百合を献花台に置き、目を閉じて黙祷を捧げた。美香への黙祷を終えた楓はピースフルワールドに足を伸ばした。アトラクションの入り口に見知った顔がいたので、楓は近づいた。
「1名・・・・・・あ、楓さん」
楓に気付いた進は驚いた顔をした。
「進ちゃん。元気にしてた?」
楓は微笑みながら聞いた。
「何とか。今日は何か事情でもあるんですか?」
「おたくの社長に呼ばれたのよ。でも、約束まで時間があるから散歩してたの。進ちゃんは辞めずに残ってくれたのね」
事件が発覚した後は、大勢のバイトのアクターズが退職を申し出た。働いていた文花も辞めた一人だった。
「凄い悩みましたけど、ジェネシスパークには罪は無いと思ったら、まだ働きたいって思ったんです」
進は少し照れ臭そうにいった。
「あなたみたいな人が残ってくれれば、パークの未来は明るいわ。頑張ってね」
「楓さんにそんなこと言われると照れるなぁ」
進は屈託の無い笑顔を見せた。
「それと事件が解けたのは進ちゃんお陰だったわ。進ちゃんにとっては辛い結果になってしまったけど」
進が違和感の正体に気付かなければ楓は真相に辿り着くことは出来なかった。美晴に好意を寄せていた進だからこそ気付いた違和感であり、その意味では皮肉な結果になってしまった。
「正直、今も事実を受け入れられていない自分がいます。僕が知ってる美晴さんは誰よりも優しくて綺麗な女性でしたから」
進は声を落とした。
「進ちゃんの前で見せていた姿も美晴ちゃんよ。ただ進ちゃんに見せられない姿もあっただけ。だから、あなたの恋の思い出を色褪せさせることはないわ」
楓は優しく語りかけた。
「ありがとうございます。楓さんほど賢くて綺麗な女性に会ったのは初めてです」
「嬉しい言葉だけど、私に惚れちゃダメよ。私はレズだから男には興味ないの」
楓のカミングアウトに虚を突かれた顔をした進だったが、すぐに破顔一笑した。
「そうだったんですか。じゃあ、チャンスは無しかー。残念だな~」
進はおちゃらけた感じでいった。
「でも、進ちゃんは良い男よ。私が保証する。必ず素敵な人と巡り会えるわ」
「楓さんのお墨付きなら自信が湧いてきました。今日からまた頑張ります」
進は持ち前の単純さで早くも立ち直りかけた。
「じゃあ、私はそろそろ行くわね。また会える日を楽しみにしてる」
楓は進に手を振った。
「今日はお会いできて本当に良かったです。ありがとうございました。いつでもお待ちしてます」
進は頭を下げた。
楓はその姿を優しく見つめて歩きだした。
途中二回ほど鳩のいる道を避けて着いたのは『シュガーポップ』だった。約束の相手はテラス席に座っていた。相手は楓の姿を認めると、席から立ち上がった。楓は相手の方へすたすたと歩いていった。
「お待たせして申し訳ありません」
相手の前に立った楓はいった。
「いえ。今日はわざわざお越しいただきありがとうございます」
相手の男は丁寧に頭を下げた。
「こちらこそお呼びいただきありがとうございます山城専務。いえ、今は山城社長でしたわね。遅くなりましたが、就任おめでとうございます」
「恐縮です。楓さんの言葉がなければ今ここにいません」
楓の前で辞職を表明した山城だったが、あの日の楓の言葉で目を覚まし、辞職するのではなく危機に直面するジェネシスパークを救うべく社長へ就任した。今この状況で社長への就任は栄転とは言いづらいが、山城はジェネシスパークそしてジェネシスパークに関わる全ての社員を守るために山城は矢面に立つ覚悟を決めた。
「素晴らしいご決断をなされて嬉しい限りです。ジェネシスパークの未来も安泰ですわ」
楓の称賛を受けた山城は照れ笑いを浮かべ、楓を椅子に座るように促した。
「さて、改めまして本件では大変お世話になりました。秋山先生がいなければ私は知らぬ間に大きな罪を背負うことになってました。このご恩はどんなに感謝を重ねても足りません」
「私が解明したせいで会社が大きな危機を迎えましたが、その事について私に恨みを抱かなかったのですか?」
「とんでもない。そんなことを思うわけがありません。確かに会社は大きな危機を迎えてますが自業自得です。秋山先生を恨む筋など一切ありませんので、どうかご安心ください」
「それは良かったですわ。それで今日は私に何の話しがあるのでしょう?」
「これから話すことは先生にとって辛いことを思い出させるかもしれませんが、聞いてくれますか?」
山城は真剣表情でいった。
「お聞きしますわ」
楓は少し間を置いてからいった。
「最初にホテルでお会いしてお話しをした時に、私が秋山先生が元FBI捜査官であったことをある人物から聞いていたと話したことを覚えてますか?」
「ええ、もちろん。お話ししたように日本で私がFBIだったことを知ってる人は限られてます。誰に聞いたのかある意味最大の謎です」
楓の言葉に山城は小さく頷いた。
「実は私が知ったのは日本ではありません。もっと前から秋山先生がFBI捜査官であることを知っていました」
「それはつまり、私が引退する前から知っていたと?」
楓は怪訝な表情をした。アメリカ時代に山城とは面識はない。
「リリー=ホワイト」
山城の口からそう発せられた。楓は信じられないものを見る目付きで山城を凝視した。
「・・・・・・どうしてその名前を?」
楓の声は少し震えていた。
「私はリリーの実の兄です」
「なっ・・・・・・」
楓はあまりの衝撃に言葉を失ってしまった。
「驚かれたでしょう」
「本当に・・・・・・本当にリリーの兄なのですか?」
楓の質問に山城は黙ってスマートフォンを楓の前に置いた。楓はそれを手に取り画面を見た。そこには紛れもなく楓の最愛の女性であるリリーが写っていた。自由の女神像を背景に山城と一緒に笑顔を浮かべている。楓の心に懐かしくて切ない気持ちが一気に押し寄せてきた。リリー=ホワイトは楓の最愛の女性だった。
「リリー・・・・・・」
楓は今にも泣きそうな声で呟いた。楓はしばらくその写真を眺めて、目に浮かんだ雫を溢さないようにそっと拭った。
「リリーにお兄様がいるとは知りもしませんでした」
楓はスマホを返しなが、いった。楓は社長呼びを止めた。楓にとって社長であることよりもリリーの兄である事の方がずっと大切だった。
「リリーとは異父兄妹です。私が小学生の頃に離婚した母の美江はアメリカに旅立ちました。そこで出会った今の旦那との子供がリリーです」
「そう、、、だったのですね」
「秋山先生のお話しはリリーから会うたびにずっと聞かされました。当時の私はリリーがトランスジェンダーであることを知らなかったので、秋山先生のことをずっと男性だと思っていました」
「いつそうであると知ったのですか?」
「リリーが亡くなった後に母から聞きました」
山城は少し言葉に詰まりながらいった。
「リリーは私にお兄様のお話しをしたことがありませんでした。それは何故ですか?」
楓はリリーのことで知らない事があったのが、少なからずショックだった。リリーとは文字通り以心伝心で相思相愛の関係だったからこそ、兄という大きな存在がいたことを隠されていたのが悲しかった。
「リリーは私と先生を会わせることによって、自分がトランスジェンダーであることがバレるのが怖かったんだと思います。リリーが昔日本人からその事で苛められていた過去をご存知ですよね?」
山城の質問に楓は小さく頷いた。
中学生の時にふとしたことでバレてから、リリーは度重なる嫌がらせや暴言を吐かれた。何度も自殺を考えたが、結局は死ぬのが怖くて実行することは出来無かったと言っていた。
「リリーの中でその事はトラウマとして記憶に残ったと聞いてます。リリーにとって秋山先生や私以外の日本人は性的差別者の人間でした。母親に話すのですら、相当な躊躇いと葛藤があったそうです。ですから、いくら実の兄でも日本人と言うことで知られたら冷たくされるのではと恐怖心を密かに抱いていたのだと思います」
山城の話しに楓は深く納得した。初めてリリーと会った時の強い敵意や冷徹な目は今でもよく覚えている。
「お兄様も最初はリリーと仲良くされるのは大変だったでしょう」
「それはもう。最初の頃は何を言っても無視されました。けど、リリーは相手の本質を見抜ける子だったので、根底にある日本人嫌いは拭えなくても、自分に良くしてくれる人には心を開いてくれます。いつからかリリーの方から遊びに誘ってくれるようになりました」
山城は嬉しそうに語った。
「それにしても、こんな形でリリーのお兄様と関わるなんて思いもしませんでした」
「それは私も同じ思いです。ただ、FBI時代も直接ではないですが、間接的には関わっていますよ」
「どうゆうことですか?」
楓は首を傾げた。
「犯人を捕まえる度にリリーとジェネシスワールドに来られていたでしょう」
楓はまたも驚いた。リリーはジェネシスワールドが大好きだった。山城の言う通りリリーは犯人を逮捕して、休暇があると必ずと言っていい程チケットを持ってきて楓に行こうと誘ってくれた。
「私は本社であるワールドワイドコーポレーションに勤めていました。その時に、リリーから犯人を逮捕した直後にチケットをねだられていたんです。頑張ったご褒美として欲しいと。私も日々危険な任務をこなしアメリカの秩序を保ってくれているリリーに応えたくてあげていました。だから、秋山先生がジェネシスワールドに行く時は必ず私がリリーに送ったチケットで行ってたんですよ」
「リリーは知り合いから貰ったって言ってましたけど、お兄様からでしたのね」
楓は感慨深くいった。
「今回、あのホテルの部屋をご用意させていただいたのは、お礼も兼ねてです」
「何のお礼ですか?」
「もちろん、リリーのことです。リリーは秋山先生と出会われて、本当に自分が好きになれたと言ってました。その時は、私には真の意味には気づきませんでしたが、リリーの兄として秋山先生にはずっとお礼を伝えたかったんです」
山城はテーブルに手をついて頭を下げた。
「ありのままのリリーを愛してくださってありがとうございます」
「お兄様頭を上げてください。頭を下げるのは私の方です。リリーは・・・・・・リリーは・・・・・・私のせいで命を落としてしまったのですから」
楓は昏い顔でいった。
リリーは3年前のとある事件で命を落としていた。その事件を最後に楓はFBIを辞職して日本に戻って探偵事務所を開いたのだった。
「無論、リリーの殉職を聞いた時は大きなショックを受け、悲しみに暮れました。だからと言って、あなたを責める理由などありません。あなたは職務を全うし、今後出ていたかももしれない被害を防ぎました。その事は誇りに思うべきです」
「しかし、私がリリーの命を優先していればリリーは助かったはずです」
「それはそうかもしれません。しかし、リリー本人が秋山先生に犯人を追いかけるように背中を押したのだから、それはリリー自身のの決断で命を落としてしまったことと同義です。リリーも同じように思っているはずです」
楓は驚き顔をあげた。まさに山城の言う通りだったからだ。
「何故リリーがそうするように言ったのを知っているのですか?」
「リリーならばきっとそうしたと信じていたからです。秋山先生はリリーを助けようとしたのでしょう。だけど、リリーがそれを許さなかった。例の事件が起こっている時に一度だけリリーと会いました。その時リリーは、たとえ自分の命を犠牲にしてでも、あの犯人を捕まえると言ってました。それだけあんな事件を起こした犯人が許せななかったのでしょう。だから、犯人を捕まえられる千載一遇のチャンスを逃して欲しくなかったんだと思いました。秋山先生にとって本当に苦しい決断だったと思います。でも、リリーはその背中を頼もしく、そして嬉しそうに見守っていたはずです。秋山先生ならば必ず捕まえてくれるそう信じて」
楓の脳裏にあの日の出来事が再生される。腹を銃で撃たれ苦しそうに顔を歪めながらも、強い意志の篭った目であいつを捕まえてと言ったリリー。本音を言えば、楓はリリーを助けたかった。後でどんなに責められても、リリーを助けたかった。山城の言った通りリリーの目がそれを許さなかった。楓はリリーの側から離れ犯人を追いかけ見事に逮捕した。そして、犯人逮捕の一報を聞くと、リリーはその場で静かに息を引き取った。
「リリーは幸せ者でした。あなたような方に心から愛されたのですから」
楓の頬を一筋の涙が伝った。
「今日は貴重なお話しをしてくださりありがとうございました」
楓は丁寧に腰を折った。
山城おに話しが終わり、二人はシュガーポップの前で別れの挨拶をしていた。
「秋山先生にとって辛いお話しになってしまったことを謝ります。それでも、伝えたいことをやっと伝えられホッとしてます」
山城は晴れやかな表情を見せた。
「あの、こんなことを言うのもあれですが、先生と呼ぶのは止めてください。私はリリーと結婚するつもりでした。リリーのお兄様ならば家族同然です。私を認めてくださるならば、下の名前で呼んで欲しいですわ」
楓の提案に山城は一瞬目を丸くしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「確かに、家族に先生を付けるなんて変な話しです。ただ、いきなり呼び捨てには出来ないので、楓さんと呼びますね。楓さんも様なんて付けないでください」
「じゃあ、私は兼次さんと呼びますね」
楓は満面の笑顔だった。
「あ、そう言えば、今回の事件に対する報酬を渡していませんでした」
山城はそう言うと、スーツの内ポケットから小切手を取り出した。
「ここにお好きな額を書いてください。依頼した社長として必ずお支払いします」
山城は小切手とペンを楓に差し出した。
「そんな結構です。前金で50万円もいただいてますから」
楓は固辞した。
「これはビジネスです。依頼に対しての報酬を支払うのは家族であっても当然です。それに私の気持ちが収まりません」
山城は一歩も引かなかった。
楓は困ったが、山城は決して引かないだろうと思った。楓は躊躇いがちに小切手を受け取ろうとした。その時、ある考えが浮かび手を引っ込めた。
「どうしたんですか?」
山城は首を傾げた。
「報酬が決まりました。リリーと同じく私が探偵として事件を解決する度にジェネシスパークのチケットをください」
山城は虚を突かれたように瞬きを繰り返した。
「私もお金は欲しいです。けれど、いくらビジネスでも兼次さんから大金を受け取るのはこれ以上はお断りです。だから、リリーがねだっていたように私も兼次さんにチケットをねだります。報酬はそれで十分です」
山城は数秒楓を見つめた後、思いっきり笑った。
「本当に参りました。楓さんがそう決めたのであれば、依頼人として拒絶するわけにはいきませんね。喜んでチケットを渡しましょう」
「交渉成立ですわね」
楓は右手を差し出した。
「今度、ゆっくりと食事でもどうですか?楓さんの口からリリーの話しを聞きたい」
山城は手を握り返しながらいった。
「ええ、喜んで」
楓は微笑みながらいった。
「ありがとうございます。では、気を付けて帰ってください」
「これから本当に大変だと思いますが、頑張ってくださいね。私も出来る限りの応援をします」
「ありがとうございます。必ず乗り越えて見せます」
「お食事楽しみにしてます」
楓は背を向けた。
「楓さん」
山城に名前を呼ばれた楓は足を止め振り向いた。
「なんですか?」
山城は少し迷った素振りを見せたが、すぐに意を決した表情でいった。
「来年リリーのお墓参りに一緒に行きませんか?リリーはきっと楓さんに会いたがってる」
唐突な提案に楓は何と答えるべきか悩んだ。楓はまだ一度もリリーのお墓参りをしていない。一昨年も去年も行こうとしたのだが、リリーの墓を見る勇気が湧かなかった。楓が返答に窮していると、突風が吹いた。そして、どこからともなく一枚の白百合の花びらが楓の足元にひらりと舞い落ちた。楓は花びら拾い上げた。目を閉じて耳を澄ませると、リリーの声が聞こえたような気がした。楓はそっと目を開けた。
「よろしくお願いします」
静かな決意を込めた目でいった。
山城は頷いて頭を下げた。
楓は山城に背を向けた。空を見上げると、青い空がどこまでも続くように突き抜けていた。