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幕末陰傳 飛頭蛮  作者: 猛士
3/11

鉄砲野師


 馬鹿馬鹿しい――と、市は憮然とした顔で夕暮れの雑踏を歩いていた。


 そもそもが、気乗りのしない話だった。だが、相羽の元締めから頼まれれば、嫌とは言えない。

 相羽の五郎左は、江戸を中心に関八州に広く顔の効く、鉄砲野師の元締めである。鉄砲野師とは、いわゆる狩猟を生業とする者のことであるが、その土地に定住している猟師とは違い、猟場を求め移動しながら狩猟をおこなう者のことを、特に鉄砲野師と呼んだ。


 元々は、五郎左自身も腕の良い鉄砲野師であった。何処の生業でも同じであるが、よそ者が縄張りを荒せば当然の如く諍いが生じる。時にそれは刃傷沙汰に及ぶこともある。

 そうならないように、地元の猟師と鉄砲野師の間を取り持つような事をしているうちに、いつしか五郎左は猟師たちの間に顔が効くようになった。

 そして、鉄砲仕事の斡旋ことが多くなり『相羽の元締め』と呼ばれるようになったのだ。早くに両親を亡くした市は、父の古くからの友人であった五郎左に育てられた。

 

 鉄砲の撃ち方は、幼いころより父親に叩き込まれた。だが()()は五郎左から教わった。いわばもう一人の父ともいえる五郎左に「頼む」と言われれば、市に断ることなど出来ない。

 だが、依頼の可否は好きにしろと言ってくれたことが、市にとっては救いだった。つまり、五郎左も気乗りする仕事ではなかったのだ。五郎左がどこまで仔細を聞かされていたかはわからない。だが知っていたからこそ「好きにしろ」だったのかもしれない。


 ろくろ首を撃ちとってくれ――など、呆れて笑うしかないではないか。

 市も鉄砲撃ちであるのだから、山野に分け入り、樹々の中に潜み、森に溶け込むようにして獲物を追う。無論、昼夜問わずである。そのような時、確かに只ならぬ気配を感じたり、得体の知れぬ鳴き声を聞いたりしたことはある。


 だが、物の怪や妖怪の類いなど、一度も眼にしたことなどない。

 見たことがない――ならば市にとっては、妖怪などと言うモノはいないということなのだ。

 呆れて失笑を洩らす市に、折重はおもむろに仕事の報酬を提示した。それは、ゆうに三年は遊んで暮らせるだけのものだった。この様な荒唐無稽な依頼に、破格の仕事料――児戯戯れと思えた話が、途端に生臭くなった。


「重ねて申しますが、政に関わる一大事ゆえ、仔細についてはご容赦を」


 言葉を濁しながら折重が語ったのは、概ね次のような事である。

 


 ある晩――本丸の外を、何かが飛んでいるのを、警備のものが見つけた。最初はフクロウか蝙蝠の類いであろうと思い、気にも留めなかった。だが、風に揺れる凧のように長い足をたなびかせつつ、近づいてきたそれは、髪をふり乱した若い女の生首であった。

 あまりの怪異に驚愕しながらも、一大事と刀を抜き奮迅するも、女の生首はその姿を嘲笑うかのように、城外へと飛んで行った。


 夢でも見たのか……そう思いこもうとしたのだが、その夜を境に女の生首はたびたび姿を現すようになった。目撃される刻限や場所は様々であった。出没する間隔も決まっていない。だがどうやら、いつも現れるのは決まって西の丸――つまり大奥の辺りであった。 


 ならば女の生首の正体は誰か? 様々な憶測が乱れ飛び、悪意のある噂が飛び交うのは必然であった。そのような状況で、ひとりの御半下おはしたの名前があがったという。

 御半下とは、大奥の雑用一切を受け持つ下女である。奥女中の多くは旗本や御家人の娘などが多いが、行儀見習いと称し、商家などの娘が上がることも少なくなかった。その際は武家に養女縁組をし、形式を整えて大奥に上がるのである。名前のあがった御半下も、そうした町人上がりの娘であった。


「ならば、暇をだせば良いのではないか」


 親元に帰してしまえば、それでよいではないかと、市は思う。


「そうはいかぬから、このようなお願いをいたしておるのでございます」


 その御半下は、天璋院の覚えめでたい女中であった。天璋院てんしょういん――先の将軍家定の御台所である篤姫である。家定の死後、落飾し天璋院を名乗っている。


 確かに市の言う通りに出来れば、事は簡単に済むのであろう。だがそのような事情があれば、確証もなく放逐するわけにはいくまい。


「ですから、その奥女中の首を差し出せば、ご納得頂けるであろうと」


 ねちゃり――と、笑みを浮かべながら、腹を揺らす折重に何とも言えぬ嫌悪感を覚えた。決して悪くない仕事かと――と、懐より手付金を出す折重の頼みをにべもなく断り、市は料亭を後にしたのだ。


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