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幕末陰傳 飛頭蛮  作者: 猛士
1/11

飛妖

「第101回オール讀物新人賞」一次通過作です。

改行およびルビの調整以外は応募時のままして投稿させていただきます。



 ふぅ――と、吐き出した息が糸のように細くたなびいた。


 それも一瞬。更に細く吐くも、たちまち溶けるように夜気に消えていく。

 寒い――師走である。当然だ。あと半月もすれば年が明ける。


 草木も眠る丑三つ刻――身体の芯から凍てつくような寒さに身が震えたとてなんの不思議もない。空には雲ひとつない。

 蒼々とした月の光が、冷たい刃のように煌めき、凍えるような寒さをより一層際立たせていた。


 じっ――と、気配を殺し、氷のように冷えた瓦の上に腹ばいになり、(いち)は蒼い夜空を見つめている。その傍らには、四尺ほどの黒い棒のようものを携えていた。


 種子島。あるいは火縄とも呼ばれるそれ――銃である。

 近年外国より輸入されている『げーべる』やら『みにえ』などではない。柔らかな曲線を描く杖のよう形に、芥子(けし)の花のようにふっくらとした柑子(こうじ)は、堺の職人の手によるものである。

 一度火を吹けば、鎧すら撃ちぬく必殺の火槍。そんな命を奪う為だけの凶器に、なんとも繊細な鳥の象嵌が施されている。


 市の白い指が、意識するともなく象嵌(ぞうがん)された黒い鳥の翼をなぞる。すると不思議な事に、熱など生じるはずのない鉄と木の塊から、市の指先を伝わり、仄かに温もりが広がっていく。

 市がこの世に産まれ落ちた瞬間から――否。産まれる前から己が血肉と共にある存在。不釣り合いな細い指先で銃身をなぞれば、己に流れる血の重みを、嫌というほど思い知らされる。

 だがそれは呪いであり、また祝いでもあるのだ。


 無意識に自嘲めいた笑みを浮かべ、前方に広がる(いらか)の波を見つめた。

 大江戸八百屋町。途方もなく密集された巨大な町並みを喩えるに、これほどの適した言葉はあるまい。 

 そして、その全てを眼下に治め、睨みつけるようにそびえ立つ巨影。月下に照らし出された江戸城は、市の瞳には、薄っぺらな舞台の書割(かきわり)のようにみえた。それがなんだか、堪らなく滑稽に思えてしかたなかった。


 すると突然。ぽつん――と、本丸の脇に、黒い染みのようなものが現れた。

 相対的な距離から測れば、鳥くらいの大きさなのであろう。だとすれば、このような深夜に飛ぶ鳥などフクロウかミミズクの類い。そうでなければ蝙蝠だろう。


 突如現れたそれは、木の葉が風に揺れるようにゆらゆらと舞い上がっていく。そのような飛び方の鳥など、市は知らない。強いていうならば、蝶のような飛び方である。

 だがそれは蝶や蛾の類いとも明らかに異なる。蛇のように長い尾を揺らしながら飛ぶ蝶などいるわけがない。まるで糸の切れた凧。


 そう見れば合点がいく。

 いずれにしても、不安な気持ちを掻き立てられ気味が悪い。だが、風に舞い上がるようにそれが、天守の屋根瓦の辺りまで上昇したその途端。

 旋風にでも煽られたのか。いきなりそれが、猛烈な勢いで天守の周囲を回り始めた。風もないこの状況で到底考えられぬ動き。まるでそのものが意志をもっているかのような、恣意的(しいてき)な飛び方である。


 ぬっと、城の影から飛び出したそれは、突如すさまじい速さでこちらに向かい近づいてくる。


「なんだあれは……」

 

 ぐんぐんと、猛烈な勢いで飛んでくるそれを見た瞬間、市の唇から思わず声が零れた。それは長い髪を絡みつかせた女の生首だった。


 くわっ――と、緑色に光る眼を見開き、耳の下まで裂けた唇からは朱く長い舌が覗く。

 一瞬、それは確かに市と視線を絡ませた。咄嗟に、市の手が銃を握る。だが、怒りとも喜悦ともつかぬ表情を浮かべたそれは、蒼い月光を纏いながら西の空へと遠ざかっていく。


「あ、あれが飛頭蛮ひとうばん……ろくろ首か――」


 声を震わせながらも、紅く艶やかな唇に笑みが浮いていることに、市は気が付いていなかった。


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