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4.森島夕璃子の予知夢(1)

 洗面器に張った冷たい水を、何度も何度も顔にかける。


 それは動悸を鎮めるためなのか、呼吸を整えるためなのか、とにかく気持ちを逸らすためなのか。夕璃子にはわからなかった。とにかく、なんとかして一度自分を立て直す必要があった。


 ロールスクリーンの紐を引きながら、コットンに染み込ませた化粧水を頬につける。淡いラベンダー色の空に、まだうっすらと星が見えていた。



 その朝、目を覚ましたのは明け方だった。自分の悲鳴で飛び起きたのだが、家族は気づかずに眠っていた。夕璃子の右には一歳になったばかりの次女が、左側には六歳の長女がしがみつくように眠っており、暖かかった。そして長女の隣では夫がすやすやと寝息を立てていた。


 いつもの朝の風景に、涙がほろり、とこぼれ出した。

 予知夢を見るたびに不安になる。幸せはいつまで続くのだろう。ここにいる家族も、離れて暮らす両親や弟たちも、誰も欠けずに過ごせる毎日は。




 夕璃子には、子どものころからの不思議な癖があった。


 現実に起きることが夢でわかるというもの。いわゆる「予知夢」だと彼女は考えている。毎日見るわけではない。本当に大切なことが起きるときだけだ。


 予知夢には、見分け方がある。それは、色。彼女が普段見る夢には色がある。目に見える現実の色味を、ワントーン淡くしたような色合いだ。実際に起こることが見えるときは違う。グレースケールの夢になる。



 今朝の夢もそうだった。一昨日会ったばかりの、中学時代の友人が車に跳ね飛ばされるシーンだった。彼女の体は人形のように力なく宙を舞い、強かに頭を打ち付け、そのまま海へと滑り落ち、沈んでいった。


 起きたあとも、じんわりと夢の恐怖が残っていて、体が震えていた。伝えなければ。でも、どうやって――?こんな力のことなんて、気味悪がられるに決まっている。




 小林星羅は、憧れだった。


 中学生のころ、放課後の教室に一人残って、宿題や予習を済ませるのが夕璃子の日課だった。ふと疲れると、窓辺に寄って、校庭を眺めていた。運動は苦手だから、陸上部の練習に励む星羅を眩しく思っていた。夕璃子がこっそり覗いていると、決まって彼女はそれに気がつき、手を振り返してくれた。


 黒くて艶のあるまっすぐな髪に、意志の強そうな濃い色の瞳。きゅっと跳ねた目尻が彼女を凛と見せているけれど、見た目に反して気は優しく、小さな心配りができる人だった。勉強は少し苦手で、体を動かすのが好き。そんな彼女はみんなに好かれていた。


 地味な見た目で、勉強くらいしか取り柄のなかった夕璃子と、どうして仲良くしてくれたのかわからない。でも、星羅とは互いの好きな漫画を貸し借りしたり、プリント裏に書いた手紙を交換したり、親しく付き合った。その交流はおとなになっても続いた。

 一昨日も、帰省したときに食事をしたばかりだったのだ。



 星羅には、中学生のころから付き合っていた恋人がいた。その人はサッカー部のエースというような存在で、背がとても高く、爽やかで、人気があった。


 いつ見ても仲睦まじい二人だったが、結婚間近で彼は亡くなってしまった。あれは何年前のことだっただろうか。そして星羅は、2年ほど前に結婚して地元に帰った。相手は再婚で、夕璃子も知る中学の同級生だ。そして、星羅とは幼稚園からの幼なじみだという。


 彼の話を尋ねたときに、星羅の表情が陰る。夕璃子はふとそれを思い出し、嫌な感じに心がざわめくのを感じた。





 心を落ち着けたいとき、夕璃子は手を動かす。それからもう一つ大事なことは腹ごしらえだ。


 冷蔵庫から昨日仕込んでおいたフレンチトーストを取り出した。食パン1枚につき、牛乳100ccと卵1つ、砂糖を大さじ1用意して漬けておいたもの。あとはバターをひいたフライパンで、弱火でじっくり焼き目をつけていく。砂糖を入れず、ハムとチーズを加えることもあるけれど、家族に好評な甘いフレンチトーストを作るほうが多かった。


 白菜をとんとんと細く斜めに切っていく。斜めに切ると繊維が断てるので食べやすくなるらしい。白菜のときはたいてい、この切り方にしている。白菜はポリ袋に入れて塩を振り、よく揉んでおいておく。キウイも同じように細長い形に切った。

 塩を振っておいた白菜からは水分が出て、しんなりとしている。ぎゅっと水けを絞ったら、キウイと一緒にボウルに入れて、オリーブ油、レモン汁、はちみつを加えて混ぜる。これでサラダのできあがり。




 家族の分を作るときは、もう少し品数を足そう。そう思いながら、夕璃子はフレンチトーストとサラダをワンプレートに盛りつけ、豆乳で作ったカフェオレを添えて、ダイニングテーブルまで運んだ。

 まだ全然動いていないのに、なんだか疲れているのだ。――予知夢を見たあとはいつもこう。不思議なことに、エネルギー消費が激しい。体の中にある根本的なものを、ごっそりと持っていかれるような感覚がある。


 エプロンを外し、トレイをダイニングテーブルに置いたころには、東の空が明るくなりはじめていた。ふと思い立ってテレビをつける。

 朝のニュースで流れるテロップは、夕璃子を打ちのめした。

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