転機
「電車はすすむ~よ、どーこまーでも♪」
軽快なわらべ歌。子供たちも好きだった、旅行の際に後ろで大合唱していたのに当時はやかましくもあったが、今となっては微笑ましくも思えた。車中の中で「電車」ではなく、「線路」だよと何度も突っ込んでみたが、子供にとってはそれがしっくり来ていた。
「野を越え、山こ~え、谷越えて~」
今移る景色と合致した歌だった。漆黒に包まれた山の稜線から美しい朝日が昇ろうとしている。高原を越えた後に見えるこの景色は見る者の心を洗うことだろう。見ることができれば。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
声にならない悲鳴が山にこだましている。悲鳴の主たちは美しい景観を楽しむことはできず、自分に課せられた激痛を堪能している。中世の拷問器具の一つに腹部に切れ目を入れ、腹圧によりはみ出た腸を遂げのついたリールで巻き付けて引っ張り出す、恐ろしい器具がある。こんな所業を受けたら普通は死に至りそうなものだが、そこは上級客室に入室できる資格のある強者ぞろい。痛みを怨みに変え、罵詈雑言を飛ばし、怒りの丈をぶちまけてくれるおかげで、列車の動力となる深き者共で出来上がった艶めかしい黒光りする節足の動きを活発にしてくれている。
世界に張り巡らされた墨泥の道を人類が過去に行った残虐非道の展覧会の見世物小屋が走っていく。小屋を引っ張っていくのは、姿かたちも変わりはて、唯一人としての姿に見られるのは口元から胸部の一部分だけである深き者共の王だ。もし彼の目に後ろで繰り広げられている一大スペクタルを見たら、その演目を中止させていただろう。
彼らの悲痛の訴えを聞くことも見ることもしない王は外に広がる絶景の景色に心奪われることはなかった。もし彼が王として担がれる前に家族とこの景色を眺めていたら、感動で心を満たし、その瞬間を愛する家族と分かち合えることに幸せをかみしめただろう。両腕で子供たちを抱きしめ、子供たちが痛いと非難しても離さずに、強く。そのあと子供たちの両手強く握りしめ、この世に感謝をしていただろう。しかしそれはあくまでも悲しい妄想でしかない。
現実は王が握りしめているのは大きな禍々しい鎌だ。歌を口ずさみながら、大きな鎌を二対左右の手に持ち振り回しまくっている。鎌に刈り取られた者は善悪関係なく墨泥の中に沈み込んでいく。たまに後ろの客室に回されるものもいるようだ。新たな乗客を迎え入れるために後ろは増車している。例え引き摺る車両が多くなったとしても、各車から出される怒りと絶望の思いが忙しなく滑らかに動く節足に力を与え、重さなどを感じさせないような動きをさせている。
朝日に照らし出された王の一団は絶景とは対照的な絶望を墨泥のレールの沿道にいる者たちに上映しながら進んでいる。しかし彼らも眺めることは一瞬でしかない。彼ら分別される、墨泥の中へ連れ込まれ混ざっていくか、幕が下りることのない地獄の舞台に放り込まれるか。選ばれた者たちは次々に舞台に上げら、今まで彼らが他人にしてきた仕打ちの限りを実体験していくことに。
「なんでそうやって、急に不機嫌になるのよ」
「あのな、会話をしていて急に、「私の意見は言ったから、あとは好きにすれば」といわれたら、誰だっていやな気持になるだろ?」
「あたしはそんな言い方していない」
「していなくても、こっちの意見を言って、そっちの意見を言って、交互に話していくのが会話じゃないのか?それを「そう、じゃぁそうしたら」と邪険にされたら、そうとるだろ?」
「だって、あたしが意見を言ったって、聞いてくれないじゃない?」
「自分の意見が通らないなら、話さなくていいのか?違うだろ、そもそも相手に自分の意見を押し通すことが会話じゃないだろ、お互いの意見を言って、最終的な結論を見出すものじゃないのか?自分の意見が通らないなら、イヤ。自分の意見でないなら、話す必要がないって、子供じゃあるまいし」
「あ~ヤダヤダ、変な上げ足取りして、女々しい。」
「おまえな、上げ足じゃなくて、事実を確認していっているだけだろ。論点整理して、話していこうとしているだけだろ、何が女々しいんだよ。」
「そうやって、うまく道筋建てて話しても、結局はあなたの意見を通すために言って来るだけじゃない。あなただって、自分の意見が通らせようとしてるくせに、わがままで自分勝手なのは自分じゃない。」
「はぁぁ~~、お前自分のこと棚に上げて何言ってんだ。」
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「あの時またはじまったんだ目の前のスノーノイズ。僕ね、テレビでザーザーいうのは何かなって調べて知ったんだけど、スノーノイズっていうんだって。パパもママも、なんで結婚したんだろうね。ほんとうに考え方が違うんだ。価値観が違うっていうの。難しい言葉も良く知っているでしょ。いっつも朝に口げんかするんだ。お互いが何が良いか違うから仕方ないのにね。口げんかするくらいなら離れればいいのに。でも僕がいるからなのかな?僕が二人に我慢させているのかな。
でもね、僕は自分が恵まれている方だって知っているんだ。テレビのニュースでパパとママが分かれることが多いって知っているし、子供の虐待のことを流しているし、先生が世界にはご飯も食べられない子がいるっていってたし、僕はラッキーなんだって。でも殴られなきゃ、僕は不幸じゃないの?ご飯をもらえなきゃ、悲しんじゃいけないの?僕はいつもパパとママがけんかしているのが嫌なんだよ?ご飯もおいしくなくなるし、そのあと気分も盛り上がらないし、憂鬱なんだ。なんで自分の嫌なものを他人の嫌なことと比べられなきゃいけないの、比べて僕の方がまだ良いなんて決められなきゃいけないの、しかも比べてまだまだって決めつけられたら、文句言っちゃいけないんだって。こういう考え方をすることすらいけないって。なんでだろ。
いじわるするような子たちのようにわかってないわけじゃないんだよ。ちゃんとわかっているのにな~。いじわるする子?そんなのラックたちに決まってるじゃん。あいつらお金持ちだからって、何でもできると思っているんだよ。貧乏人ってバカにするし、なんでも買ってもらって、いつも見せびらかすんだ。すっごいやな奴なんだ。ラックたちでも同じように不幸に感じることあるのかな?どうせ僕たちからすれば、うらやましい限りなんだろうけど。あれ、これじゃ、僕も比べているのかな?よくわかんないや。ねぇ、ところでもう帰っていいかな?急にママたちがいなくなっちゃったからさ、探さないと。
うん?いなくなった時、わかんない。学校に行くために玄関に向かったんだ。ママたちはまだケンカしてて、不機嫌だったの。その状態でこっちに来ようとしていたんだと思うんだけど、気にせず靴を履くために玄関に座ったんだ。今靴紐を履く練習しているからね。それで何かがぶわぁ~と後ろで通った気がして、振り向いたけど、何もなかったの。おかしいな~静かだな~って思ったけど、もしかしたら仲直りしてたって思ったんだ。それに時間もなかったし、学校に向かうことにしたの。だって、ママたちがもし仲直りしてたら、見ちゃいけないんだよ。パパが言ってた。
だから学校終わって帰ったら、今日はごちそうだなっって。でも、ママたちがいなくて探しに出かけたら、警察のおじさんたちに声をかけられてここに来たんだよ。ここにママたちがいるって。うん、うん、ほんとはね、ほんとはねわかってたんだ、ここにいないって。だって、あの時はなんか怖くて、見たくなくて、逃げたの、だから探しに行かないと、ぼくはおとこのこだから。うん、、ほんとにわかっているんだ、、ほんとはぶわぁ~ってした時に、、だけど僕怖くって逃げたんだ、いつものように学校行けば、いつものようにママが家で待ってくれてると思って。だけど、だけど、ちがっ、いなかったの、だから、探さないといけないの。僕が、ぅつ、悪い子だから、ひっ、いなくなっちゃった」
「現状を報告しろ!推測はするな!不用意に墨泥には近づくな!!」
団長は報告を上げてくる部下たちに指示を飛ばす。いつもなら、正確な判断の元、情報を統括し、報告をしてくれる優秀な右腕がいるのだが、現地調査に向かわせてしまったのがあだになった。下から上がってくる現状報告は、混乱時に起きる事実と推測の入り混じった混沌とした情報になっており、それを精査するだけでも一苦労だ。
団長は男尊女卑の主義は掲げていなかったが、厳しい現場において身体的に負担を追いやすい女性が危険な任務につくことを推奨していなかった。しかしその考え方を覆したのが右腕となった彼女だった。彼女を参謀的立場に置いた当初は個人的理由で横に置いているとやっかみを受けたが、今情報統制が取れていない現状を鑑みれば、彼女の有能性が証明されている証拠だ。
「やはり行かせるべきではなかったか。」
本来は現地調査に活かせるはずではなかった。現地での状況判断を適切に下し、部下に必要な情報を収集させるためには自分自身が赴くべきだった。もし自分に何かあっても、後釜など大勢いる。特に下の者との信頼関係を築けた彼女なら、俺がいなくなっても俺の立場でもうまく立ち回れる。所詮自分の立ち位置など上でふんぞり返っているバケ者共と下の血と汗水流している現場の兵士たちの折衝役でしかないからだ。彼女ならふんぞり返った奴らのドタマを打ち抜けるような活躍を見せてくれるかもしれない。
「団長以外に勤められる者はおりません。団長以外ならだれもついていきません」
参謀は俺にやや過大評価しているが、他の部下に曰く、お互いが自身に過小評価過ぎるらしい。下の者たちも初めの頃は副指揮官という立場の彼女を否定していたが、一緒に仕事をし、辛い訓練や地獄のような現場をくぐりぬけることで、彼女への信頼と尊敬を抱くようになった。部下との強い絆は彼女の功績そのものだった。だから部下たちの「何か起きても絶対に守ります!!」の言葉を聞き、「私の能力を信用なられていないのですか?」という返しに反論できずに行かせてしまった。
個人的な理由を持ち出せばとどまってくれたのだろうか。今となってはわからない。ただ今は彼女を失った喪失感より、彼女を救い出す使命感を全身に駆け巡らせ、疲労が蓄積する体を突き動かさせていた。入ってくるわずかな情報でも聞き漏らさないよう、かといってデマのような情報に踊らされないように、分析し対策を立てる。何としても彼女を取り戻す。自分の横には彼女でしかありえないのだ。
「かの者は666時間の眠りを経て、この現世に姿を現したのだ!!かの者の怒りを鎮めない限り、我らは地獄に飲み込まれてしまう!!原因となった大統領の息子を生贄にささげろ!!」
今某国では「ジュニアを生贄に」のプラカードを持ったでも集団が過激化している。もともと宗教色も強く、悪魔信仰なども存在していた国だったため、今起きている現象を自分たちが信じている教典に沿って解釈し、世界の破滅をうたっていた。かの王が日本を出発し、墨泥のレールに沿って初めて上陸したのが、南部だった。
今回の件は事件発生当時から友好国である日本の関係者を通じて情報は得ていた。現大統領は暴君のようだと揶揄されてはいたが、一部の国民からは絶大の人気を博していた。昨今の政治家にはいない、責任を他人任せにしない姿勢は共感を得るようだ。ある批評家が言った
「現大統領を批判するものにトロッコ問題を知っているか聞きたい。心理学の話で人が乗ったトロッコが進む先に二つの道があり、一人が括り付けられているレールと、複数人が括りつけられているレールがある。その進路をどちらかにするか決める内容だが、どちらかを選択することはさほど重要ではない。人は何か理由を付けて選ぶことは安易にできる。問題なのはその導き出した結論を果たして実行できるかが重要なのだ。他人にレールの切替えを任せるのではなく、自分の意思で、自分の決定した事項を遂行し、その責任を負う。大統領としての素質はそれで見極められよう。そしてわれらが現大統領は良い悪いは別として、その責任を遂行できる人物であり、素質はあると認めざるを得ない。」
レバーを切り替える者は「命令されたから」と言い逃れできるが命令した側はレバー引いた奴の罪の意識を、トロッコに乗った人間の罪悪感を含めて、責任を取れる人間などまずは居ない。無責任に言い逃れするか、そもそもそういった結論をしないか。しかし現大統領は自分の責任は自分でとる姿勢はどんなに偉くなっても変わらなかった。本来は称賛されるべきところなのだが、彼の選択と過剰なパフォーマンスがそれを打ち消してしまっている。
父は偉大だ、それが息子マシューの率直な意見だった。ただ父は偉大であって、全能ではない。彼の判断が正しいものとは限らないし、偏った意見でもあることが多い。それでも父のことを尊敬していたし、好きであった。それも大統領選へ向けて歩み始めたあたりから、マシューの周辺の変化とともに心境も変わっていった。
最初は応援が多かったと思う。父のことを信頼していた人や父に助けられた人が真っ先に駆け付け、担ぎ上げてきた。父もその人たちの思いに応えたくて、奮起していたし、母も父に心から期待する人たちの声によく耳を傾け、父に伝えていた。
時間が経ち、大統領選に近づくにつれて、周りの色合いが変わっていった。最初から支えてくれた人たちではなく、これから父から零れ落ちるであろう地位・名誉・名声・金欲しさに近づいてきた輩が増え始めていた。父は「有象無象」を御することは大統領として資質の一つと考えたのか、彼らを受け入れ、そのおかげで急成長していった。母も新たな取り巻きにちやほやされ始めたことを危険に感じつつも、もてはやされることに光悦感を覚えてしまっていた。
その頃になると家族の中で弱い者に対して攻撃をする者たちが現れ始めた。立場はそれぞれで、大統領選までの数々の対抗馬であったり、おこぼれにあずかれない者たちだったり、彼らは直接的ではなく、間接的に彼らはウィークポイントをつついてくる。そう、標的になったのが家族で一番下の息子であったマシューであった。
マシューはすぐに敬愛していた両親や兄弟に助けを求めた。彼らも相手の存在が分かると明確な敵としてみなし、マシューを守るように戦ってくれた。それは父が大統領になることを妨害するための工作だったからだ。家族一丸となり、対抗して、正しいと思う父の大統領への道を後押ししていった。その頃、家族の中でマシューだけが疑問を抱いていた、果たして父が大統領になることは本当に正しいのか。最初に支えてくれた人たちがほとんど周りにいなくなっているが大丈夫なのか。
父が大統領になると環境はがらりと変わった。当初父を支えてくれていた人たちは自ら父との距離を取るようになった。別に悪い意味ではなく、まるで巣立ったわが子を見送る親のように温かいものではあったが、「あいつのことだから、大丈夫だ」という根拠のない信頼によって、父の変化に目を向けようとはしてくれなかった。
父は以前に比べて、自分の意見が絶対正しいと思い込むようになり、周りの意見を聞かなくなっていた。確かに父は正しいことはある、しかしたまに強情というか理解しがたいこともあった。それがある時から賛同できる内容と反対したい内容の比率が逆転した。大統領に任命された時だ。まさか父が権力という劇薬によって、理解しがたい怪物になっていくとは思わなかったし、思いたくもなかった。
母も付き合う人を変えていた。以前までは貧富の差など関係なく分け隔てなく温かい笑顔で迎え入れていた。しかし今では貧しい人を迎え入れた後にする会話から、笑顔の裏に見下すような感情を抱いていることが読み取れるようになり、そういったことに敏感な貧しい人たちは母から離れていったし、母も考え方が違う人たちという括りで片づけてしまった。救いの手を差し伸べる母の手はもう新たなお友達の手を握るためでしかなかった。
兄弟たちも本質が変わったことに気が付いたときには自分だけが取り残されていることに気が付いた。正直自分以外の家族が環境の変化に順応していったことをうらやましく思うと同時に、恐怖した。その頃から一時の間、平和な時間があった。確かに家族は変わった、自分も変わるかもしれない。でもその変化を受け入れればよい。何も問題はない、自分もできるとマシューは安易に考えていた。
「ねぇ、僕たちは間違っているの、なんでお兄ちゃんのお父さんは僕たちをいじめるの?」
その質問に答えられなかった。そんなことはないと突っぱねられたらどんなに良かったか。肌の色が違う少年の言葉に応えられず、父に彼らの支援を懇願した。これを大統領は利用し、美談として報道され弱者を守っているアピールのために利用したのだ。結果多くの困窮者がマシューに嘆願し始めた。まだ変化しきれていなかったマシューは環境変化によって起きた災害に対応できない哀れな被災者のように、嘆きの嵐に見舞われていた。マシューに何かを起こす力があるか無いか関係ない、彼が動いてくれた事実が唯一の望みだったのだ。
以前は家族の外敵からウィークポイントとして痛めつけられたマシューが、今回は家族が起こした出来事の被害者たちにすがりつかられていた。縋りつく者たちや訴える者たちは大統領の家族で唯一の良心であるマシューを放さまいと必死だった。大統領からも下からの声を聴いてほしいと頼まれた。マシューは両方からの期待に応えようと必死だった。大統領へ、そして大統領を支える妻へ何度も切実な訴えをした。確かに荒唐無稽なお願いもあるし、大統領に対する誹謗中傷もある。しかし彼らの意見は決して間違ってなどいないし、生きている限り、持ちたい希望だったため、かなえてあげたいものだった。まだ心が変化しきっていないマシューにとって、彼らの声は正しく聞こえた。
しかし大統領は細かい者たちの意見より大局を見ろといった、その妻は彼らの言葉に惑わされてはいけないと諭してきた。他の兄弟はくだらない嘆願は無視しろと突っぱねた。マシューは大統領家族へ進化できなかった。一都市の良識ある権力者の家族のままだった。だから彼の足元に届けられる声を見捨てることなどできなかった。粗がいた、何度も大統領となった男は自分の愛した父だと信じ、声を届けた。大統領は何度も来る出来の悪い息子の叫びにたいしての返答はたった一言「下賤の者にかまうな」だった。
あの少年の言葉が無ければ、大統領に働きかけようとはならなかった。しかしそれがどう映るか考えもせず、行動してしまった。それが間違いではないのはわかっている、ただ身分不相応だったのか。家族は変わってしまっている。彼らの考え方が受け入れられるものではないことだけは明確になったことが、マシューを悩ませた。自分の家族なのだから、みんなと同じように下を切り捨てればよい、その考え方ひとつでマシューはどれだけ救われただろうか。それは家族が忌み嫌っていた非人道的な考え方だった、昔は下といった概念も持っていなかったはず、それでも受け入れてしまえればよかったのに。
その頃嘆く者たちは動かなくなってしまった希望の使者に働けと石を投げ始めた。お前の父を止めろと、お前の父が弱者をいじめていると、お前が止めるしかないのだ。必死に働いた使者に労いの言葉もない。日に日に弱っていくマシューにかつての外敵が襲い掛かる、その攻撃は家族を貶める類ではなく、マシューを壊すための言葉に変わっていた。その様子にマシュー以外の大統領家族はマシューが出来損ないとレッテルを張り、片手間の相手しかしなくなった。
かつて良識あると誇らしかった家族からの見下しとマシューに期待をし、絶望した者たちの怨み妬み嘆きのはざまで、心を壊した。その時初めて父である大統領は息子が自分の地位を脅かす危険なピースであると悟り、攻撃の対象外に逃れられるよう友好国の日本に極秘裏に送ったのだ。まさかマシューの心が壊れ事件を引き起こすなどとは思ってもみなかった。
日本文化を学ぶという名目で数か月日本でステイすることになったマシューは、本当のところは本土での攻撃から逃れるため、事情を知らず、知って居てもほぼ無関心で安全なとこに隔離することが父の意図していることだと理解していた。余計に心が軋んだ。大統領を、家族みんなの目を覚まさせたい。自分が父を、大統領を止めなければ、声が届かないなら行動に移すしかない。父が代わった原因である権力を引きはがさなくては、どうすればよい?もしかしたら自分が犯罪者になれば、父は失脚するのではないか。たとえ自分が犯罪者になっても、昔の家族なら立ち直ってくれる。これでみんなの思いに応えられる。
マシューは自分の考え方がすでに偏り、変質したことに気が付かずにいた。しかしマシューの周りは厳重な警備という監視体制が身動き取れず、何も行動できなかったことで、もう行動せずにはいられない衝動に駆られていた。あの日たまたま監視から抜け出し、どんなことをすれば良いか考えていた矢先、幸せそうな家族を見つけた。言葉はわからないがバースデイソングを歌っている。こんなに自分が苦悩し、苦しんでいるのに、世界のために父を止めようと手を汚そうとしているのに、彼らは何で、なんで、あんなに嬉々としているのか。許せないといった意味の分からない感情は彼らにはその代償を払ってもらおう、楽しい誕生日も過ごしたのだからもうと良いだろう理解不能の思考回路へとつながった。
マシューは潜伏した。奇跡的に父の手からは逃れ切れている。暗くなったら、行動に移そう。これで父も正気に戻ってくれるはず。もうマシューは正常な考え方を持っていなかった。もういろいろ考えたくない。今は衝動に駆られて行動したいだけ。
ピンポーン
「パパ来た!!!」
ガチャ
「だ、れ?!!!!!!!ふぐぅんふっ」
バタ、バタ、バタ、グイ、グイ。
「もう、どうしたの、キャーーーーー!!!お願い、子供を離してぇぇぇ!!!」
グザッ、グイッグィ
「かはっ、あ、あ、」
ドタ、ドタ、ドタ、ダッダッダッ、ドスン
「あれ、どうし・・・ママ!!ママ!!放せ!!!はなっせ!!!うぐっ!!」
バシッ、パシ、シュッ、シュッ、バサッ、ころころころ
「あーーーー、え~~~~ん、マ~マ、マ~マ、ふぐぅ、うぅ」
バタバタバタバタバタ、ぽとり
「Hahh,Hahh,Hahh」
終わった。終わったことによって、一瞬にして冷静になる。まるでマスターベーションのようだ。する時まではそのことだけしか頭になく、それをしなければ世界が終わるとまで感じ、実際に終わってしまえば羞恥心に苛まれる一連の流れそっくりだった。最後は羞恥心ではなく、罪悪感や背徳感、悔恨のるつぼに陥る違いはあった。
こんなに円滑に進められるとは思ってもみなかった。途中で自分を正気に戻す抵抗があると思っていた。廊下から押し込まれ、椅子にもたれたように座っている母親らしき女性の横に視線がいく。テーブルの上に豪勢な料理が並び、真ん中には七面鳥よりは小さいが大きな鳥の丸焼きがある。中には詰め物が入っているのだろうか?多分真っ二つに切り崩すようために置かれていた中華包丁で、息子の頭を切り離した。玄関で出迎えてくれた幼女の口をふさいで気絶したと思っていたが、まさか戻ってくるとは。玄関で出迎えるために走りこんでくる直前まで兄と遊んでいたおもちゃのレジセットのコードを首に回していた。
昨日彼らがバースデイソングを歌っていたのは、ここにいない、待っていた人を祝うため、誕生日を待ちきれない子供たちがハッピーバースデイをうたっていたことに気が付いた。この場にはいない父親だろう。マシューは世界の幸せをかみしめている笑顔を見せていた男のことを思い出した。これは現実ではないと考えるようにした。自分が引き起こした非日常からすぐ離れ、玄関の扉を閉めたことで、別の世界の出来事だと区切ってしまえた。これは現実ではないと思い込む、それでも頭がフラフラする。どれくらい歩いただろうかわけもわからずふらふら歩いていると、呼び止められた同時に拉致された。もともと抵抗する気もなかった。
彼らが父から指示を受けていた者たちだと気が付いたのは大きな建物についた後だった。彼らから質問を受けたがまともに返答をできないでいた。まだ整理が追い付かない。ただ彼らは優秀なようで答えてもいないのに、殺人を犯したかとかどうかを聞いてきた。様子を観察して、質問してきたのだろうっが、その質問で一気に現実を自分のしでかしたことをフラッシュバックした。
そのあとマシューはすべてを彼らに吐き出していた。何もかも。彼らは真摯に受け止めない。それは仕事ではないからだ。それでもマシューは誰かに話さずにはいられなかった。その途中で意識を失い、いつの間にか飛行機に乗せられていた。気が付いたときには母国に戻っていた。マシューを無事に父親のところに戻すことが彼らの仕事だった。
今マシューはうずくまり自分のしでかしたことに震えている。外の出来事はわからない。ただ代償がどんなことになるのか、それだけを考えていた。