第81話 若奥方の独演会
前回までのあらすじ
なぁにぃ!!
やっちまったなぁ!!
「わかりました、私も義父同様にあなたのことが気に入ったのです。是非とも我が家へ嫁に来ていただきましょう!!」
「――はぁぁぁぁぁ!?」
そのあまりの想像の斜め上の言葉に、思わずリタは間抜けな声を上げてしまう。
その目は大きく見開かれ、その口も同様だ。
ややもすれば間抜けにしか見えないような顔のまま、今度はリタが固まる番だった。
そんな顔をすると年齢相応の四歳児にしか見えない彼女に向かって、シャルロッテが再び口を開く。
「リタ嬢ならびにこの場の皆さま。これまでの無礼の数々、謹んでお詫び申し上げます。この通りでございます、どうかお許しください」
ムルシア侯爵家次期当主夫人は、座っていたソファから立ち上がるとリタ及びその両親に深々と頭を下げた。
その顔には直前までの般若のような形相は欠片も見られず、すでに元の美しい顔に戻っていた。
そんな上位貴族の奥方を、フェルディナンドとエメラルダが慌てたように押し留めようとする。
「そ、そのようなことはおやめください!! なにも私どもは気分などは害しておりませんので…… あぁ、お願いです、頭を上げて頂けませんか!?」
部屋中の者の視線が集中する中で長い漆黒の髪の女性が頭を下げると、その場は何故か謝罪をされた方が逆に慌てるという謎の状態になっていた。
するとその最中に、一人のお付きの者がシャルロッテに声をかけてくる。
それは初老の男性だった。
年の頃は五十代半ばだろうか、白髪混じりの髪をオールバックにして真後ろに流している。
服装を見るに、彼はムルシア家の執事だろうと思われた。
恐らく若奥方が外出すると言うので、彼も一緒についてきたのだろう。
その立ち居振る舞いを見る限り、彼はシャルロッテの補佐役なのだろうが、もしかするとバルタサールに付けられたお目付け役――監視役なのかもしれない。
思わずそう思えてしまうほど、彼はシャルロッテの行動に目を凝らしていたのだった。
そんなロマンスグレーの似合う落ち着いた物腰の執事が、謝罪するシャルロッテに声をかける。
「若奥様。もうその辺でよろしいかと。リタ様もそのご両親もあなた様の謝罪をすでに受け入れて頂けているようでございます故」
その声を合図にしてやっとシャルロッテが頭を上げると、直立したまま周りを見回していた。
その姿はまさに絵に描いたような美しい立ち姿で、同じ女性のエメラルダをして思わずため息が漏れそうなほどだった。
リタはシャルロッテが立ち上がっているところを初めて見た。
すると意外な事実に気が付いた。
彼女は思っていたよりも少し背が低かったのだ。
とは言え、成人女性としては平均よりも少し大きいのだろうが、リタがこの部屋に入って来た時からずっとソファに座ったままだったのでわからなかった。
そして実際以上に彼女が大きく見えた理由は、やはりその態度の大きさと、はち切れんばかりに膨らんだ大きな胸のせいだろう。
だからいざ彼女が立ち上がると、その存外な背の低さにリタは少しだけ意外な印象を受けていたのだった。
そんなムルシア家の若奥方が、相変わらず立ったままリタに話しかけてくる。
「さぁ、リタ。こちらへおいでなさい。この私を真正面から言い負かした女子の顔を、もっとじっくり見たいのです」
「あ、あい……」
事の結果に茫然とした顔のままリタが佇んでいると、シャルロッテが手招きをしてくる。
しかし未だこの結果を受け入れられないリタが、ずりずりと重い足を引きずるように近づいていと、その様子を見たシャルロッテは暫し怪訝な顔をした。
「どうしたのです? そのような暗い顔をして。これであなたは正式に私の義理の娘になることが決まったのですよ? もう少し喜んで頂けてもよろしいかと。それとも私が怖いのですか?」
そう言いながら近づいてきたリタの両肩に手を置くと、改めてしげしげとその愛らしい顔を見つめた。
「正直に言います。最初にあなたの話を聞いた時には、とても許せるものではないと思いました。確かに強い『魔力持ち』だとは聞いていましたし、実際に魔術師としての適性を認められた話も聞き及んでおりました。しかし私は、やはりその爵位とあなたの特殊な生まれに拘ってしまったのです」
「爵位と……生まれ……?」
「そうです、爵位と生まれです。下位の者は上位の者に逆らうことができませぬ。その身分で生まれて育ってきた者は、たとえ上位の貴族に嫁いだとしてもその身に沁みついた卑屈な感情は抜けないものです。……あなたのお母様は子爵家の娘。我が侯爵家と比べると二つも下の爵位です」
「……」
以前リタがロレンツォから聞いた話では、バルタサールの息子――オスカルとシャルロッテは親同士が決めた結婚ではないらしい。
それはどうやら、シャルロッテに一目惚れしたオスカルが熱烈にアタックした末の結婚で、彼女自身は侯爵家の上のバルテリンク公爵家の三女らしいのだ。
公爵家と言えば、その成り立ちを辿ると現ハサール王室に繋がる、言わば王族の親戚筋だ。
だから彼女が王族の親戚であるうえに、夫よりも妻の実家の方が爵位が上だという、なんとも難しい関係があるらしい。
そのために、あのバルタサールをしても今回の婚約騒ぎをゴリ押しできなかった理由だったのだ。
そのあたりに、シャルロッテが爵位や生い立ちに拘る理由がありそうだった。
「そしてあなたの生まれです。今でこそあなたはこの二人の娘――レンテリア家の正式な娘として認められていますが、たとえお母様が子爵家の娘とは言え、直前までレンテリア家から認知を受けた存在ではありませんでした。私はそんな者を家族として受け入れるのは恥だと思ったのです」
あまりに歯に衣着せぬその発言に、さすがのリタもどう答えればいいのかわからずに押し黙ってしまう。
するとその姿に苦笑を浮かべながら、尚もシャルロッテは話を続ける。
「ふふふ…… 私の話は難しいですか? まぁ、独り言だと思って聞き流していただいても結構ですのよ。――いいですか? あなたが将来嫁ぐ予定のムルシア家は『脳筋一族』と陰で揶揄されているのはご存じですね?」
「は、はい……恐れながら……」
「ふふっ、正直ですね。正直な者は好きですよ。……そうは言われていますが、実態としては現当主のバルタサール――義父は相当な策略家です。恐らくあなたもその片鱗を見たことでしょう。しかしその息子――私の夫はまさにその『脳筋』そのものなのです。ですから私がこのように裏で動かなければなりません」
「はぁ……」
「言わば私が脳で、夫が身体といったところでしょうか。なんにせよ、夫婦二人が揃っていなければ家を保つことすら難しいのです。そしてこれは、我が息子フレデリクにも当てはまります。だからこそ、私は息子の妻になる者に対して多くを求めすぎたのかもしれませぬ」
「多くを……?」
「そうです。きっと欲張り過ぎたのでしょう。 ――まぁ、これ以上のお話は、実際にフレデリクに会って頂ければわかるでしょう。こうしてあなたを受け入れた以上、近いうちに両家で婚約の儀を執り行います故、続きはその時にでも」
リタの両肩に手を乗せたままそこまで一気に言葉を続けると、シャルロッテはギュッと強くリタの身体を抱きしめた。
その仕草はとても優しく、直前までの般若のような面影は全く見えなかった。
「ごめんなさいね。怖かったでしょう? しかし、私もあなたが怖かったのですよ。まるで心の中を見透かすようなあなたのその目。レンテリアの灰色の瞳――それが怖かったのです」
「はぁ……」
「初めてあなたの姿を見た時、ただ見目が良いだけの普通の女子だと思いました。そして何の変哲もないただの幼児だとも。しかしそれはとんだ勘違いでした……ふふふっ、何を言っているのかわかりませぬか?」
「……」
「それにしてもあなたは器量がよろしいですわね。まるで天使のよう。これならば将来のムルシア家当主の婚約者として、何処に連れ出しても恥ずかしくありませぬ。 ……いいえ、それどころか大変な自慢になるでしょう。まるで私の時のように。ふふふ……」
などと最後に自分でオチをつけたシャルロッテだったが、もしかするとその言葉は冗談ではなく本気だったのかもしれない。
それほどまでに彼女は「絶世の美女」と言われてもおかしくない容姿をしているからだ。
しかしリタの目には、その背の低さだけが些か残念に見えた。
そして、胸の大きさだけならエメの方が勝っていると内心思っていたが、敢えてそれも口には出さなかった。
それから少しの間、呆気にとられる周りの者たちなどどこ吹く風といった体で、シャルロッテの独演会は続いた。
そして最後にやんわりと執事に窘められた彼女は、名残惜しそうにしながらも、そのまま自宅へと帰って行ったのだった。
「はぁぁぁぁ…… つ、疲れた……」
「そうねぇ、もうぐったりね……」
ムルシア侯爵家の若奥方が帰っていくと、屋敷のリビングでは緊張感から解き放たれたフェルとエメがぐったりとしていた。
そして今回のMVPともいえるリタの小さな身体を優しく抱きしめる。
「リタ、お前は凄いな。あの侯爵家の若奥方を相手に一歩も引かないなんて……それどころか完全に論破したんだ」
「そうね、そのとおりね。リタは凄かったわ。あなたがいなければ、今頃はどうなっていたか……」
両親が口々に娘を誉めそやすのを、執事のエッケルハルトが壁際から見つめている。
常に微笑みを絶やさないはずの彼の顔には、何処か複雑な表情が浮かんでいた。
その顔を見る限り、彼は今回の一幕で何か思うことがあったのは間違いなかった。
もしもあの時自分が彼らの発言を遮っていなかったら、もしもあの時リタがシャルロッテを言い負かしていなければ、きっと今頃大変な事になっていただろう。
あの若奥方に言質を取られた挙句、婚約は破棄。
そして彼女のことだから、きっとその責任も押し付けられていただろう。
もっともあの真っすぐなバルタサールがそのようなことを許すはずもないと思うが、この魑魅魍魎の跋扈する貴族社会では何が起こるかわからない。
それこそ今回の騒動に紛れてレンテリア家の転覆を目論む者たちがいたかもしれないのだ。
それを考えると、今回のリタの働きはまさにお手柄と言うべきで、当主の留守を預かる執事の身としては、彼女に感謝してもし切れることはなかった。
そんな両親の抱擁とエッケルハルトの眼差しのもと、リタは一人で茫然としていた。
「どうしてこうなった……?」
その言葉は今の彼女の思いを端的に表していた。
自分はあの女に嫌われるために全力を尽くしたのではなかったか?
そしてあの女を怒らせて、嫌われて、この婚約も破棄されるはずだったのだ。
それがどうして……どうしてこうなった……?
おのれぇ……許すまじ……
「ひっく、ひっく……ふえぇぇぇ」
そんなことを考えていると、思わずリタは泣きたくなってしまう。
そしてその感情を抑えることなく放置していると、遂に瞳から大粒の涙が溢れてきた。
すると直後にその愛らしい口から嗚咽が漏れ始めたのだった。
「ふえぇぇぇぇん、うわぁーん、うあぁぁぁぁん!! かかしゃまぁー!!」
目の前にある母親の豊かな胸に顔を埋めて、リタが泣きじゃくる。
その年相応に幼く頼りない姿は、それまでずっと張りつめていた気持ちが急に途切れたようにしか見えなかった。
どんなに大人顔負けの交渉ができたとしても、所詮は四歳の幼児なのだ。
今の彼女には母親の豊かな胸が必要だった。
そしてその後、涙が枯れ果てたリタは、そのまま母親の胸の中で静かに寝息を立て始めたのだった。








