第57話 真夜中の密会
前回までのあらすじ
やはりエメの乳の大きさは半端ではなかった。
少なくともフェルが貴族の地位を捨てようと思うほどには。
「フェルディナンド様。それではそろそろ帰りましょうか」
オットー子爵のもとへは既に早馬を走らせていたが、そこから返事と使いの者が駆け付けるまで二日はかかる。
しかしエッケルハルトを含めレンテリア家の者たちはそれまで待っているわけにもいかなかった。
何故なら今回の彼らの目的は既に達成しており、すぐにでもレンテリア家に戻らなければならなかったからだ。
もちろんその目的というのは、「フェルディナンド及びその家族の保護」だ。
三日前、ゲプハルト男爵の名で多数の手配書がばら撒かれると、それを偶然拾ったレンテリア家の使用人がエッケルハルトに見せた。
するとそれを見た当主のセレスティノ伯爵が即座に探しに行けと指示を出し、エッケルハルトがそれに従ったのだ。
簡単に言うと、今回の件はそういうことだった。
下手をすれば、息子たちは罪人として捕らえられてしまうかもしれないし、最悪の場合処刑されることもあり得る。
そうなる前に是が非でも保護しなければならない。
伯爵はそう思ったのだろう。その判断と指示はとても素早いものだった。
そして指示を受けたエッケルハルトが、まず手始めにゲプハルトが逗留している地方執行官事務所を訪れてみたところ、なんとそこであっさり目的を達成してしまったというわけだ。
今回のリタ一家の保護は、セレスティノ伯爵の素早い判断、指示、そして度重なる偶然によるところが大きい。
その何処か人知を超えた存在の意図を感じさせるような出来事は、その場の全員に何かを思わせるものだった。
やっとの思いで実家へ帰るチャンスを得たリタ一家は、それぞれの胸に様々な想いを秘めながら馬車に乗り込む。
フェルは実家の父親への釈明とリタの保護を求めること。
エメも夫同様にリタの保護を願うことと、彼の両親にどんな顔で会えばいいのかということ。
そしてリタは、貴族の家ならきっと美味しいものが食べられるであろうこと。
最後にピピ美は――ひたすら眠そうにしているだけで、特に何も考えてはいなかった。
全員が着席したのを確認すると、エッケルハルトが御者に合図を送る。
すると馬車は、レンテリア伯爵邸のある首都アルガニルへ向かって緩々と動き始めた。
――――
リタ――アニエスがいるハサール王国と彼女の生まれ故郷のブルゴー王国は、その間に広がるアストゥリア帝国を挟んで約500キロ離れている。
つまりアニエスが自国に帰ろうとすると二か所の国境を超えなければならないのだが、実際にはそれは少々難しかった。
アストゥリア帝国とハサール王国との出入りはそれほどでもないのだが、アストゥリア帝国とブルゴー王国間のそれは非常に厳しいので有名だ。
何故ならこの二国は昔から犬猿の仲として有名だからだ。
この二国間の歴史は小競り合いの歴史と言っても良いほどで、もともと国を跨いで移動が許されているはずの商工ギルドの隊商や冒険者ギルドのギルド員であっても、その入出国には相当時間がかかるほどだった。
だからブルゴー王国内からハサール王国の情報を得るには相当時間がかかるはずなのだが、自前で諜報部隊を持つ一部の者にとっては、それらの制約はあまり関係がないようだ。
しかしそんな組織を持つ者は限られる。
それこそ相当な権力と資金力がなければ、そのような組織など到底持ち得ず、それは余程の豪商か一国の王族でなければ難しいだろう。
しかしここに、そんな力のある人物がいた。
「なに、失敗した!? それはどういう意味だ!?」
ブルゴー王国の王城の奥にある王族専用の部屋の一室に、男の声が響き渡る。
しかし思わず大声を出してしまったことに気付くと、すぐに声を潜めた。
それは暗い表情が目に付く背が低い小太りの男だった。
年の頃は二十代半ばのようだが、見るからに不健康そうな白い肌の色が彼の年齢をわかり辛くしていた。
着ている衣服は見るからに豪華で、それだけで彼の身分が相当高いことを伺わせる。
そんな暗い顔の男があからさまに不機嫌な顔をしながら、黒づくめの男と何か話をしていた。
「――はっ、申し訳ございません。魔女の居場所を知ると言われるギルド員を襲った四名ですが、その場で全員死亡しました」
「……お前、そいつらは相当の手練れだと聞いていたが、それは間違いだったのか? それともそのギルド員とやらが暗殺者以上の手並みだったと?」
「それは……その……」
「なんだ、はっきりと言え」
「は、はい。報告員の話では、小さな人形に殺られたと……」
「人形? お前の言うことはさっぱりわからぬ。もっと有り体に言え」
その言葉がまるで気に入らないと言わんばかりに、ぎろりと黒ずくめの男を睨みつける。
その視線に緊張した男は、身を固くした。
「そ、その人形はゴーレムだったそうです。恐らく魔女が作ったのだと思われます」
「……と言うことはなにか? 刺客が来ることは予測済みだったということか? つまり、まんまと裏をかかれたということなのか?」
暗い顔の男の両手が小刻みに震えている。
そして見るからに怒りを我慢している姿に、黒づくめの男の身体が一層固くなる。
「お、畏れながら申し上げますが、まさかそんな手を使ってくるなどと、我々も――」
「言い訳はいい!! つまり我々は、先手を打ったつもりがヤツの掌の上だったということなのだな。 そうなのだな!?」
「うっ…… そ、そういうわけでは……」
「それで? その死んだ四人とやらは、何も残していないのだろうな? もしも何か出れば、それこそ国際問題だぞ」
「それは大丈夫です。四名のうち二名は即死。残りの二名も即座に自害しました」
「当たり前だ!! そうではない。その者たちの着衣、持ち物などの話をしているのだ!!」
「そ、それも大丈夫です。彼らは何一つ証拠は残しません。あなたに繋がるものは何も出ません」
「ふんっ、まぁよい――それで、もう片方はどうした?」
意識して声を下げた男の様子に、黒づくめの男の表情が少し柔らいだ。
「はっ。もう一人の方は即座に吐きました。その後すぐに殺しましたので、足はついていません」
「それで?」
「魔女の転生先は『オルカホ村のリタ』だとわかりました。しかし……」
そこまで言うと、またもや黒づくめの男の表情が強張る。
その先の言葉を言うのが相当憚られるのだろうか。
「しかし? 勿体ぶるな、結論から言え」
「は、はい。実際にそこへ行ったのですが……いませんでした」
「いなかった!? 騙されたのか!?」
男の剣幕に、黒づくめの男の肩がびくりと動く。
そして慌てたように言い募る。
「ち、違います!! そうではありません。村人に訊いたところ、魔女はそこの領主と揉め事を起こして家族もろとも突然いなくなったそうです」
「……で? もちろんその後の足取りは掴んでいるのだろうな? もちろん――この意味がわかるな?」
「も、申し訳ありませんっ!! 現在捜索中です。もうしばらくの猶予をっ!!」
「……ふんっ、何奴も此奴も使い物にならぬ奴らばかりだな」
「も、申し訳――」
「ええい、もういい!! お前はさっさと魔女の捜索を続けろ!! 次に会う時にはいい返事を期待しているからな!! 行け!!」
「は、はいっ!! 失礼いたします!!」
蝋燭の明かりの届かない暗闇に黒づくめの男の姿が溶けていくのを見届けると、その場で振り返って大きなため息を吐く。
相変わらずその顔には、何かに憑りつかれたような暗い表情が浮かんでいた。
するとその背後から、今度は別の男の声が聞こえてくる。
「殿下。宮廷魔術師の椅子には予定通りルンドマルクを就けました。いまアニエスに戻って来られでもすれば――」
「わかっている、その話は何度も聞いた。だからこうしてヤツを亡き者にしようとしているではないか」
「それは重々承知しております」
「俺とて馬鹿ではない。いま、このタイミングを逃してアニエスを抹殺することはできぬ。ここに戻って来られてからでは遅いのだ」
「存じ上げております。それだけは絶対に避けねばなりません」
「……わかっているだろうな? もしもあの事が周囲に知られてしまえば、俺もお前も破滅だぞ。俺とお前は同じ穴の――何と言ったか?」
「貉でございますね。……はい、承知しております」
「……ふんっ、わかっておればいい。とにかく計画通り事を進めて、一日でも早く父上には勇退していただく。そして俺が王座に就いてしまえば、もう何も怖れるものはないのだ。そのためには、早くあの婆を――」
その時何処からともなく吹いた風が、一つだけ点けられた蝋燭の火を揺らした。
すると闇の中から、ブルゴー王国第一王子セブリアン・フル・ブルゴーと、同国宰相カリスト・コンラート――コンラート侯爵の姿が浮かび上がったのだった。








