第48話 妻の矜持と薄汚い騎士
前回までのあらすじ
ポ、○プ子は……?
「妖精の小道」によって一日分の移動時間を稼いだリタたちは、慎重にエステパの町を迂回しながらさらに西に向かって進み続ける。
庶務調査官が放った見張りがいるために主要な街道を通ることはできなかったが、それでもその道程は順調だった。
勝手に決められた自分の名前に当初ヘソを曲げていたピクシーも、嫌々ながらその「ピピ美」という新しい名前を受け入れつつあり、やっと最近その名で呼ばれても気付かずにスルーすることもなくなった。
普段のピピ美は歩くリタたちの周りをふよふよと飛んでいるか、リタの背負い袋のポケットに入っていることが殆どだ。
たまにその姿が見えない時は、偵察のために少し先の方まで飛んでいる。
彼女はそこで見張りや警邏の姿がないかを確認してくれるのだ。
それは、人に姿を見られたくないリタ達にはとても有難かった。
もしもピピ美が一緒にいなければ、その歩みはもっと慎重で鈍重になっていただろう。
そして口々に感謝の言葉を口にするリタたちに、早速ピピ美は自分の居場所を見つけたような気がしていた。
しかしそんな一見順調な旅路も、そう長くは続かなかった。
それはエステパを迂回した翌日の午後だった。
その時もピピ美が前方の偵察をしてくれていたので、リタ一家は安心してその歩みを進めていたのだが、突然背後から馬の蹄が駆ける音が聞こえて来たのだ。
慌てて彼らが背後を振り向くと、そこにはオットー家の紋章を付けた二名の騎士が追いかけてくる姿が見えた。
ここは主要な街道からは外れた細い農道だったのでそう簡単に見つからないと思っていたが、こんな細い道まで追っ手を放つところからも庶務調査官の本気度がわかる。
しかし今の彼らは、そんなことに感心している場合ではなかったのだ。
三人がこのまま横の林に逃げ込むべきかを思案しているうちに、あっと言う間に騎士に追い付かれてしまう。
「どうどうどう―― おい、お前たち!! 名前は!? どこから来た!? どこに向かっている!?」
一家の背後に肉薄した二名の騎士は、矢継ぎ早に質問を投げてくる。
その様子を見るに、彼らはリタ一家の正体に未だ気付いていないようだった。
しかし手に持った手配書のようなものを見つめる彼らの視線を追っているうちに、それも次第に怪しくなってくる。
「おい、男!! 名は?」
「へい、あっしはボリスでさぁ。こっちは嫁のイレナでこれが娘のマルタでぇ」
「どこから来て、何処へ向かっている!?」
「へい。エステパからポリチクへ向かってまさぁ。嫁の母親が病気で、顔を見に行くんでぇ」
可能な限り平静を装って、フェルが農民を演じる。
しかしその手は小刻みに震えていた。
するとフェルの答えを聞いた騎士の眉が上がる。
「ほぉ……エステパから来たのか。では訊くが、町から出るときに手形を受け取ったはずだ。それを見せて見ろ」
フェルの肩がピクリと震えた。
以前はエステパの町の出入りに手形など必要なかったが、急に変わったのだろうか。
それともこの二人は鎌をかけているのだろうか。
いずれにしてもフェルの返答次第で今後の対応が変わることになるのは間違いなかった。
そんなことを考えるフェルの背中に、何か冷たいものが流れる。
その感覚に身震いしそうになるのを必死に堪えながら、馬の上から威圧的に声を出す騎士に向かってフェルは口を開いた。
「そんな手形なんて知りやせんがねぇ。最近変わったんですかい、旦那?」
その返事を聞いた騎士は、面白くなさそうに鼻息を吐く。
どうやら今の回答が正解だったようだ。
フェルが予想した通り、やはり彼らは鎌をかけていただけらしい。
しかし彼らの追及はそれで終わることはなく、その手を休めようとはしなかった。
彼らは彼らなりに、リタ一家に対して思うところがあるのだろう。
手元に持った手配書と三人の姿に何度も顔を往復させながら、ジロジロと無遠慮な視線を向けてくる。
特にエメを見る視線には、何処かいやらしいものが含まれているように見えた。
「そうか。いずれにしても我々と一緒に来てもらおうか。旅の三人家族は見つけ次第全員連行せよとの命を受けておるのでな。釈明は取り調べの席でしてもらう。さぁ、来い」
どうやら彼らは有無を言わさず連れて行くつもりのようだ。
詳しい取り調べはあとでするとして、取り敢えず手当たり次第に連行しているのだろう。
しかしそうはさせられないフェルは、何とか騎士に食い下がろうとする。
「き、騎士様。おねげぇですから見逃してくんせぇ。これの母親がもう死にそうなんでさ。なんとか死に目に間に合わさねぇと」
「ふんっ、そんなの俺の知ったことか」
鼻息も荒く一人の騎士が言い放つと、もう一人の騎士が横から口を挟んでくる。
その顔には何処かいやらしい笑みが浮かんでいた。
「……まぁ、お前の返事次第では見逃すのも吝かではないな。俺の話を聞いてくれれば、だが」
「……な、なんでやす? その話って」
何となく嫌な予感がしたフェルだったが、この場ではこれ以外の返答のしようはなかった。
するとその騎士は、予想通りの答えを返したのだった。
「お前の嫁を少し貸せ。事が済んだら行かせてやろう」
「なっ――」
「お前、何言って――あぁ、確かにこれは上玉かもしれんな。少し汚れているが、よく見ればなかなかの別嬪だ。……しっかし、お前も好きだよなぁ、なにも農民の嫁にまで手を出さなくても……」
そう言いながらも、もう一人の騎士も今更気づいたかのようにエメの容姿を眺め回し始める。
確かに相棒の言う通り、これはかなりの上玉だ。
年の頃は二十歳過ぎだろうか。
目深に被ったフードのせいでその顔の表情はよくわからないが、ちらりと見えるその顔立ちはとても整っているし、ぱっちりと開いた大きめの青い瞳はその顔立ちを少し幼く見せている。
その顔立ちは、十人いれば十人は美人だと言うだろう。
恐らく夏の間は日に焼けて真っ黒だったのだろうが、冬になりつつある今ではそれもだいぶ薄くなっているようだ。
服の裾から見える地肌を見る限り、その粗末な服の中はむしろ色白なのかもしれない。
決して背は高くないし全体的に痩せて小柄ではあるが、厚手の洋服の上からでもわかるほどにその胸は豊かなようだ。
そしてよく見ると、男好きするようなしっかりとした腰回りをしている。
「あぁ、これはいいな。そうだな、お前の後に俺も借りるとしようか……」
「ふんっ、お前だって人のこと言えないだろうが。この助兵衛が」
「ははは、それはお前に言われたくないな。この人妻食いが――」
目の前に夫がいるのも忘れて、騎士二人は早速エメの服の中を想像しながらニヤニヤといやらしい笑いを浮かべ始める。
その様子にすっかり怒り心頭のフェルだったが、この段階ですでに彼らの申し出を断る選択肢は有り得なかった。
フェルが断りの言葉を吐いた途端、ここは修羅場と化すのだ。
しかし最愛の妻を人に貸すなどと、そんなことができるわけもなかった。
見れば騎士の言葉を聞いたエメは、すでにその身を小刻みに震わせて今に卒倒しそうになっていたのだった。
騎士の言葉を聞いたエメは初めこそ恐怖にその身を震わせたが、彼らのいやらしい視線を受けるうちに次第に諦めに似た感情が湧いて来る。
夫以外の男を受け入れるなど、まさにその場で自害してもおかしくないような屈辱だ。
しかし、暫しの間自分が我慢しさえすれば、この場を収めることができるかもしれない。
それはこの場から逃げ出したり戦闘を始めるよりも、よっぽど現実的な解決方法のような気がした。
そもそもこの旅の目的は、可愛いリタを保護するためなのだ。
だからその目的を達するためならば、その手段を問うことはできない。
たとえそれが己の矜持を汚すことになるとしても、それで目的が達成できるのであれば敢えて目を瞑るのもアリだろう。
「おい、それでどうするんだ? 嫁を貸すのか、貸さないのか、はっきりしろ」
「そ、そんなこと承知できるわけ――」
「わかりました、私がお二人の相手をします。その代わりそれで満足していただけたのなら、私たち家族を見逃してください。お願いします」
騎士の催促に遂に断りの言葉を投げようとしたフェルだったが、その言葉を言い終わる前にエメが大きな声を出した。
はっきりとした決意が込められたその声は、しかし些か震えていた。
「お、お前、何を言って――」
夫の叫びを完全に無視したエメは、その言葉と同時に目深に被っていたフードから顔を出す。
瞬間、その美しいプラチナブロンドの髪と透き通るような青い瞳が陽の光を反射して輝いた。
フードの下から出て来たエメの顔は、騎士たちが想像で補完していた美貌の何倍も上を行っていた。
確かに少し汚れてはいるが、それでも彼女の美しさは微塵も損なわれておらず、むしろ生活疲れの漂うその姿は、人妻食いと言われた騎士の大好物のようだった。
「おぉ……これは想像以上だ。いいだろう、事が済んだら解放してやる。――おい、男!! 俺たちが終わらせるまで余計な真似はするなよ!! 少しでも怪しい動きをしたら、この女の命はないと思え!!」
「うぅ……くそ……」
怒りのあまり両拳を握り締めるフェルだったが、それ以外にこの場を切り抜ける方法を思いつくことはできなかった。
だからと言って最愛の妻の身体に汚らわしい男の手が触れるのも許せない。
そして怒りのあまりすでに正常な思考ができなくなった彼は、後先も考えずに動き出そうとする。
しかしその時、エメの後ろでずっと無言で俯いていたリタが顔を上げた。
フェルもエメも、そして騎士の二人も、彼女は恐怖で竦んでいるのだと思っていたが、実はそうではなかったことを知った。
リタの顔には例えようのないほどの怒りが浮かんでおり、その表情はまさに以前エメが見たことのあるものだった。
そう、その顔は騎士二人を瞬時に潰した時と同じだったのだ。
見れば彼女の身体からは、何やらオーラのようなものが立ち上っているのが見える。
その様子はまさに彼女が魔法を発動する直前の姿そのもので、放って置けば間違いなく目の前の騎士二人の命はないだろう。
しかし前回と違って、そんな娘を両親は止めようとはしなかった。
本当に恥ずかしい話なのだろうが、この局面を打開するには娘の力に縋る以外には思いつかなかったからだ。
そんな両親の想いを汲んだのだろう。怒りのあまり顔を真っ赤にしたリタは、同様に怒りに震える唇を開く。
「おまぁら、たいがいにせぇよ。わちのかかしゃまには、指一本触れしゃせん。ととしゃまにもじゃ。おまぁらのようなヤツらは、死なんとわからんのじゃ…… ほんに、覚悟せぇよ」








