第39話 明け方の襲撃
前回までのあらすじ
熊のようなおっさんと、お腹の大きなロリ妊婦。
犯罪だな。
愛妻が腕を振るった料理に舌鼓を打った後、クルスは明日の朝一番に家を出ようと決めた。
買ったばかりのこの家を出ていくのはかなり癪だが、いまはそんなことを言っていられないだろう。
妊娠している妻とお腹の子の安全を考えると、とにかく今はここから遠ざかるべきだし、この家だって今回の問題が解決した後に戻ってくればいいだけのことだ。
命あっての物種という言葉の通り、生きてさえいればいつだってここに戻って来られる。それが無理であったとしても、別の場所で最初からまたやり直せばいいだけだ。
もう自分には一緒に生きていく最愛の妻がいるのだから、彼女と一緒であれば何処でだって生きて行けるのだ。
明日の朝は早起きになると思って早めにベッドに入ったが、昼間のギルド長の話を思い出したクルスはその後もなかなか寝付けなかった。
ベッドの中で鬱々とする気持ちを押し殺していたクルスは、ふと横で眠るパウラに視線を向けてみる。
いつもであればそこにはあどけない妻の寝顔があるのだが、その日はなぜか彼女も目を開けてクルスを見ていた。
結局、至近距離で互いに目が合ってしまった二人は、お互いの顔に苦笑を浮かべて見つめ合っていた。
「なんだパウラ。お前も眠れないのか?」
「うん、なんかね、目が冴えちゃって……」
「そうだよな。あんな話を聞いてしまった後に、落ち着いて寝てもいられないか……」
無精ひげの目立つ顔に苦笑を浮かべながらクルスが囁く。
決して人相が良いとは言えない彼だが、そんな顔をしている時は意外と可愛らしく見えて、そんな顔をする夫もパウラは大好きだった。
「まぁね。――ねぇ、仮に奴らに捕まってアニエスの居場所を吐かされたらどうなると思う?」
「……殺されるだろうな。奴らだって馬鹿じゃないんだ、自分達と接触した人間を生かしておくとは思えない。それも他国の王族が糸を引いているだなんて、万が一にも知られるわけにいかないだろ」
「……っていうか、もう知ってるし。あのさ、その情報ってどうしたの? 誰が知らせてきたの?」
「ギルド長は何も言わなかったが、恐らくケビンだろう。ブルゴー王国の勇者だな。前回のアニエス捜索の依頼主でもある」
「あぁ……お察しね。直接彼が動けないから、せめて警告だけでも、ってとこかしら」
「だろうな。――しかしよぉ、俺たちの身が危ないってわかってるんなら、ギルドも護衛くらい出してくれてもよさそうなものだがなぁ。あぁーあ、世知辛いねぇ」
「ほらまたボヤいてる。その癖やめなさいよ」
「……面目ねぇ。気を付けるよ」
「ふふふ……素直でよろしい。――そうだ、そんないい子にはご褒美をあげましょうか」
「ご褒美? なんじゃそりゃ?」
「これよ、これ」
ちゅっ
「ん……」
「おいおい、今夜は早く寝なくちゃいけないってのに…… どうしてくれるんだよ、これ」
「あらぁ、こりゃまた随分と…… そういえば暫くご無沙汰だったわねぇ……それじゃ、こうしてあげる」
「おうふっ!! こ、これは……」
「……たまにはこういうのもいいでしょ?」
「おぉう…… い、いいかもしんない……」
明日の朝は早いので今夜は早く眠ると言ってベッドに入った二人だったが、なかなかそう思い通りにいかないのは二人が若いからだろうか。
それでも彼らは、少しの間だけ嫌なことを忘れられたのだった。
「おいっ、パウラ、起きろ!!」
「えっ!?」
「囲まれてる!!」
「うそ……」
未だ夜も明けきらぬ午前四時、うっすらと明るくなりつつ室内にクルスの緊迫した声が響く。
それでも彼は外にいるであろう敵に悟られないように声を落としているのだが、それでもその切迫した空気は十分に伝わっていた。
その証拠に、夫の声を聞いた途端パウラはベッドの下へスルスルと身体を滑らせると、姿勢を低くして外の様子を伺い始めた。
「――三、四……四人ね。外に四人いる。全員が気配を殺すのに長けているわ。これはプロね」
「あぁ、間違いない――くそっ、こんなに早く現れるとは思わなかった。完全に油断した。パウラ、すまねぇ」
「謝って事態が好転するなら幾らでも謝ってもらうけど、今は結構よ。それより、これからどうするかを考えて」
「――もちろん、闘うさ」
さすがは現役のギルド員と言うべきか、起き抜けではあってもクルスは既に剣を抜き放っていた。そしてその柄にかまどの炭を塗り始める。
その様子を見たパウラは、身体を丸く縮めたまま小さな溜息を吐いた。
「ふぅ…… 今回ばかりは本当にヤバいかも……」
外の四人は、恐らく相当の手練れだ。
それは戦闘専門の職種ではないパウラにも十分に伝わっていた。
いや、スカウト(密偵)のスキル持ちの彼女だからこそ、それを感じ取ったのかもしれない。
しかもそんな相手が四人もいるのだ。
単純に数だけで言っても相手の方が倍も上回っている。
闘いは数だ。
数が上回ってさえいれば、多少の技術、力の差はないに等しい。
吟遊詩人が歌う唄や戯曲では、英雄が数で上回る相手を次々と切り伏せる場面があるが、実際の戦闘ではそんなことはまずあり得ない。
そもそも複数の人間を一人で同時に相手などできるはずがないのだ。
もしもそれができると言うのであれば、その技量や体格の差は余程だろう。
そのくらい戦闘では数が決め手なのだ。
「くそぉ、どうする…… どうすれば切り抜けられる……?」
さすがのクルスも、今回の絶望的な状況を薄々気付き始める。
相手は一国の王子から直々に依頼を受けるような者たちだ。その捜索能力も戦闘能力も折り紙付きなのだろう。
そんな四人に囲まれているのだ。
しかし冷静に考えれば、彼らの目的はあくまでもアニエスの居場所を訊き出すことだ。だから家を囲まれたからと言って、有無を言わさずいきなり殺しにかかることもないだろう。
それならば、ここは敢えて正面から突破するのも一つの方法かもしれない。
そう思ったクルスは、家のドアを開けて姿を見せることにした。
「こんな朝っぱらから何か用か? うちはこれから朝飯なんだ、悪いがあとで出直してくれねぇか? それとも、お前らも一緒に食うか? うちの嫁の飯は旨いぞ」
クルスが勢いよく自宅のドアを開けると、夜も明けきらぬ薄暗い家の周りには予想通り四人の男の姿があった。
彼らは皆同様に顔を覆った覆面から目だけを出してその素顔を隠している。
その姿は明らかに異様で、見ただけで彼らが只者ではないことがわかった。
そして、そんな手練れ四人が家を取り囲んでいるのだ。
「お前がクルスか?」
その中の一人――雰囲気から察するに、恐らく彼がリーダーだ――が徐に口を開いた。
彼はクルスの戯言に一切付き合うつもりはないらしく、端的に短い言葉のみを吐く。
しかしその言葉は覆面のせいで些か聞き取りにくかった。
「そうだとしたらなんだよ? 人に名前を尋ねる前に、まずは自分から名乗れとママに教わらなかったのか?」
「アニエス・シュタウヘンベルクの居場所を知っているだろう。教えてもらおうか」
やはりそうだった。
予想した通り、彼らはアニエスの居場所を探っている者たちだ。
それにしても動きが早すぎる。
まさかギルド長に警告されたその日に、早速襲われるとは思わなかった。
危機感が足りないと言われればその通りなのかもしれないが、そんな話を聞いてすぐに家を出られるかといえば、それは難しかった。
まだ妊娠三か月とは言え、身重のパウラが長期の外出をするにはそれなりの準備をしなければならないし、持っていく荷物の選別だって必要だ。
言い訳をするわけではないが、翌朝早くに出ていくので精一杯だったのだ。
それにしても、とクルスは思う。
これだけ動きが早いと言うことは、彼らはブルゴー王国からやって来たのではなく、もともとこの国に潜伏していたということなのだろうか。
「嫌だ――と言ったらどうする?」
「……無駄なことだ。お前たちにその気がなくとも、すぐに話すことになる」
「――お前たち、か」
身重のパウラは、家の入口からは見えないところに身を隠している。
この家にはクルス一人しかいないと彼らが思っているようであれば、彼女はそのまま身を隠し続けるつもりだったのだ。
しかし彼らの言葉は、パウラの存在も認識していることを意味していた。
「そうだ。家の中にもう一人いるだろう、さっさと姿を見せてもらおうか」
「ちっ……だが断る」
思わずクルスが舌打ちをしたが、最早パウラが姿を隠し続ける意味はないだろう。
それでも彼は愛する妻を胡散臭い連中の前に晒すわけにはいかなかった。
「そうか。ではさっさとお前を殺して、家の中に隠れているヤツにゆっくり訊いてみるとしようか」
「なんだと……てめぇ、ふざけんじゃねぇ。この俺がそんな簡単にやられるわけねぇだろうが。てめぇら全員死にてぇのか、おらぁ!?」
目の前の覆面男がボソボソと聞き取りにくい声を出すと、クルスは突然声を荒げた。
その太く荒々しい声は、聞く者すべてがその身を震え上がらせるほどの迫力だったが、彼にとってそれは、いつものパフォーマンスに過ぎなかった。
人相が悪く無精ひげの目立つ大きな熊のようなクルスが声を荒げながら大仰に凄むと、大抵の相手は腰が引けてしまうからだ。
実は剣闘があまり得意ではない彼は、そうしたハッタリをかますことによってこれまでもできる限り戦闘になるのを避けていた。
それは彼なりに身に付けた生き残り戦術でもあるが、さすがに目の前の相手には通用しないようだった。
「ふふふ…… そうか、面白い。そのうすらデカい図体でどれほど動けるのか試してやろう。――お前ら手を出すな。こいつは俺一人でやる」
そう呟くと、覆面の男は背負っていた剣を抜き放つ。
薄闇の中で鈍く光りを反射するそれは、緩く湾曲した片刃の剣だった。
軽く触れるだけで肉を切り裂きそうに鋭い剣を覆面の男が構えると、その只ならぬ雰囲気にクルスの喉がゴクリと鳴った。








