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姉と弟の矜持 その1

前回までのあらすじ


夫婦の営みにも色々あります。それが他人から見ておかしかったとしても、二人が幸せであればそれでいいのです。

 リタが第一子を出産して半年が経った頃、実家であるレンテリア伯爵邸の主人が変わった。

 その理由は、ついに家督を長男へと譲り渡したレンテリア伯爵――セレスティノが、住み慣れた首都屋敷を引き払って領地の片隅で隠居生活に入ったからである。

 もちろんリタの両親もともについていき、年老いていく父と母の面倒を見ることになった。


 有力伯爵家に生まれたものの、リタの父親――次男のフェルディナンドに家督の相続権はない。兄にもしものことがあれば代わりに家を継ぐこともあったのだろうが、兄の長男もすでに成人している今となってはその可能性も(つい)えた。


 もっともそんなことなどフェルディナンド自身は全く気にしていない。

 レンテリア家といえば、ハサール王国を代表する財閥系貴族である。加えて国の屋台骨を支える財務を有し、上下を問わず多くの貴族家とも繋がりは深い。

 そんな家なものだから、良く言えば優しい、悪く言えば優柔不断な性格のフェルディナンドでは家を切り盛りできるわけもなく、押しが強く、理知的で落ち着いた性格の兄が家督を継ぐのは当然の結果だった。

 

 リタの両親と祖父母の(つい)の棲家は、レンテリア領とムルシア領の境目にある町――トレノスにある。

 ここは穏やかな気候と風光明媚な観光地として昔から有名で、年寄りが余生を過ごすには最適といえた。さらに言えばムルシア領の領都までは馬車で二日とこれまでよりも一日ほど近くなったため、リタの里帰りも幾分かは楽になった。


 というわけで、リタの両親と祖父母たちが新しい屋敷へ住み始めてから一か月。今日はそこへ久しぶりの客人が姿を現そうとしていた。




「ただいま帰りました。……じゃ、おかしいわよねぇ。あそこは私の家じゃないし。それじゃあ、ただいま戻りました、かしら?」


「あの……リタ様は他家へ嫁いだ身なのですから、『戻りました』は縁起がお悪いのではないかと」


「た、確かに。まるで出戻ったみたいで人聞きが悪いわよね。それじゃあ、どうしようかしら」


「無難に『参りました』でよろしいのではありませんか? といいますか、そんな細かいことなど誰も気にしないと思いますよ?」


「まぁね。どうせ自分の実家なんだし、出迎えも両親と祖父母だけだしね。そんなのいまさらどうでもいいかぁ」


 カポカポと響く小気味良い馬の蹄の音を聞きながら、馬車の中で二人の少女がどうでもいい会話を繰り広げていた。

 いや、正確に言うならその内の一人は少女ではない。

 確かに見た目は成人前の少女のようであるものの、実年齢は十八。月齢六ヶ月を数える赤子の母親でもある。そして次期ハサール王国西部辺境侯夫人であるうえに、「ムルシアの魔女」と恐れられる将来の宮廷魔術師候補でもあった。


 もちろんそれはリタである。

 紆余曲折あった初めての出産から六ヶ月。相も変わらず彼女は元気そうだった。


 そのリタの対面に座るのは、専属メイドのミュリエル・デュラント。

 王国西部に領地を持つデュラント子爵家の長女である彼女は、三人いるリタ専属メイドの一人。年齢は十五歳。成人の儀――デビュタントを間近に控えて、ここ最近は公私ともに忙しい日々を過ごしていた。


 そしてその隣に座っているのが、ミランダ・ペロー、二十一歳。

 彼女はリタの娘――ヴィルヘルミーナの乳母を務める女性で、ペロー子爵家の若奥方でもある。

 リタの出産の二ヵ月前に自身の男児を産んでいたので、この度めでたくもヴィルヘルミーナの乳母として抜擢されていたのだった。

 

 侯爵家と子爵家では爵位に大きな隔たりがあるため、大任を言いつけられた際にはとても恐縮していたのだが、有力侯爵家の若奥方とは思えないほどの気さくなリタの態度に安心したらしく、今ではその任を楽しむようになっていた。


 今も右の乳を自身の息子であるディオンに吸わせ、左の乳をヴィルヘルミーナに吸わせている。貴族とは名ばかりの下級貴族家のミランダではあるけれど、その見事なまでの二刀流はさすがのリタも尊敬の念を抱かざるを得ないほどだった。


 とは言え、リタには愛しい我が子を人任せするつもりなどこれっぽっちもない。

 上級貴族家の若奥方といえば、育児は乳母に任せっぱなしで自身は社交に勤しむのが普通である。しかしとある事情から母親に直接育てられたリタが、己の子を己の手で育てようとするのは当然のことだったのだ。


 もちろん有力貴族家の若奥方として多忙を極める身なので、常に娘の面倒を見られるわけではない。それでも公務の間隙を縫うようにして娘の世話をしようと試みる。

 さすがに娘をおんぶしたまま客を出迎えようとしたときには慌てて周囲が止めたものの、生粋の貴族にはないその心意気は使用人たちも理解を示すものだった。


 そんなリタたちを乗せた馬車が緩々(ゆるゆる)と速度を落とす。そしてこれまでよりもかなりこじんまりとなった新たなレンテリア邸の前にゆっくりと停車したのだった。




「お祖父様、お祖母様。そしてお父様、お母様。リタでございます、ただいま参りました。」


「やぁ、お帰りリタ。しばらくぶりだけれど、変わらず元気だったかい?」


「おかげさまをもちまして、私及びムルシア家一同みな息災にございます。お爺さまたちは如何(いかが)ですか? 新居にはもう慣れましたか?」


「あぁ、私達も元気だよ。ここはとてもいい町だし、新しい屋敷も快適だ。なにも心配はいらないよ」


 馬車の扉が開かれて、最愛の孫娘が姿を現す。そして告げられた挨拶に、リタの祖父――前レンテリア伯爵セレスティノが相好を崩した。

 平均寿命が五十代半ばであるこの時代。すでに齢六十四を数えるセレスティノは立派な高齢者と言っていい。六十二歳になる妻のイサベルとともに、もはや長くもないであろう余生をこの田舎町で過ごすことを決めていた。


 その祖父母がヴィルヘルミーナに会いたがった。

 老い先短いこの命。この機会を逃せばもはや曾孫に会うことも叶わず。などと(いささ)か縁起の悪い言葉を漏らしながらリタへ乞うてきたのだ。

 もちろんリタに是非はない。可愛い可愛い我が自慢の娘。彼女を愛でてくれるのなら、誰であろうと拒まない。エブリバディ、オールオッケー!!


 とは言え、年寄りに対して二日も馬車に揺られて会いに来いなどとはとても言えない。祖父母にはこれまでの恩もあれば感謝もある。だからこの度は里帰りも兼ねてリタのほうから実家へ顔を出すことにしたのだった。

 

 御者に手を引かれながら、ゆっくりとリタが馬車から降りてくる。すると授乳期間中につきさらに二割増しの巨乳と化した彼女の胸の中に小さな眼差しが見えた。


 父親と同じ薄茶色の瞳。それを物珍しそうに瞬かせながら、リタの胸の中からヴィルヘルミーナが顔を覗かせる。見た途端、周囲の者たちが釘付けになった。


「おぉ……ヴィルヘルミーナ……すっかり大きくなって……」


「ふふふ……随分と顔立ちがはっきりしてきましたわね。やはりリタ、あなたにそっくり。将来が楽しみです」


「ありがとうございます。前回お会いときは生まれて間もない頃でしたから。今や娘も六ヶ月。まだ短い時間ですけど、やっとおすわりもできるようになったんですよ?」


 顔に満面の笑みを浮かべながら近寄ってくると、孫娘そっちのけで祖父母が曾孫を構おうとする。

 すると遅れてリタの両親――フェルディナンドとエメラルダも声をかけてきたのだが、ともにその顔はクシャクシャになっていた。


「あぁ、ヴィルヘルミーナ! 可愛い可愛いヴィルヘルミーナ! こんにちは、お爺ちゃんでちゅよぉ!」


「あぁーん、ヴィルヘルミーナ! よく来てくれまちたでちゅねぇ! はぁーい、お婆ちゃんでちゅよぉ! 元気にしてまちたかぁ?」


 周囲に居並ぶ執事とメイド。その他にも使用人が多数いるのだが、そんなことなどお構いなしにリタの両親が幼児言葉を連発する。その姿には、王国一の財閥系貴族家の一員である矜持は全く見られなかった。


 年をとったと言いつつも、未だ四十一歳のフェルディナンドと三十七歳のエメラルダは元気いっぱいである。先月も馬車を飛ばして孫娘に会いに来たばかりだったにもかかわらず、まるで数年ぶりの邂逅であるかのようにヴィルヘルミーナとの再会を喜びあった。


「はぁーい! それじゃあこっちへおいで。一緒にお家へ入りまちょうねぇ! お爺ちゃんとお婆ちゃんと遊ぼうね!」


「うぅーん、ヴィルヘルミーナ! なにして遊ぼうか? はいはい、こっちでちゅよぉ!」


 ともすれば奪い合うようにヴィルヘルミーナを取り上げて、そのままリタの両親が屋敷の中へと入っていく。その背中を見つめながらリタがぽつりと呟いた。


「あ、あの……お父様……? お母様? ヴィルヘルミーナが可愛いのはわかるけど、それでも私に対してなにか一言ないわけ? 私だって久しぶりなんだけど……」


 祖父母に高い高いされてキャッキャと声を上げて笑う赤ん坊。

 その天使のような姿を見送るリタの顔には、じっとりとした半眼が浮かんでいたのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] まぁ嫁に行った娘が孫を産んだら、孫に首ったけになって帰省した娘ほったらかしってあるあるだから・・・
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