義妹へ会いに行こう! その6
ムルシア侯爵夫妻と嫁のリタ。三人を乗せた馬車列が、緩々と東へ向けて進み続けていた。
その数三台。先頭の馬車には執事と従僕が、真ん中にムルシア家の面々、そして最後尾にはメイドなどの使用人が乗る。
前後左右を並走する馬上の騎士たちが絶えず周囲へ視線を配り、少しの異変も見逃さないように警戒し続けた。
泣く子も黙る西部辺境候、ムルシア侯爵家の紋章を掲げているため滅多なことは起こらないだろう。けれど夜盗、盗賊なんでもござれのこの時代、果たしてなにが出てくるかわからない。
もっとも、守るべき要人――オスカル自身が三度の飯より闘いが好きという「脳筋馬鹿」のうえに、同乗するリタが「歩く核弾頭」とも言うべき人物なのだから、たとえ襲われようとも即座に返り討ちにするのは目に見えていたのだが。
ムルシア領を発ってすでに7日。
久しぶりの馬車旅に初日こそ楽しそうにしていたリタではあるが、延々と続く同じ景色にはさすがに飽きてしまう。今では半眼のまま外を眺めながら、身じろぎせずに瞑想状態に陥る始末だ。
その前には義父母のオスカルとシャルロッテが座る。
彼らもリタと同じような表情のまま、起きているのか眠っているのかもわからない姿を晒していた。
互いに会話もないまましばらくそんな状態が続いた後に、ふと思い出したようにオスカルが口を開いた。
「リタよ。つかぬことを訊くが、お前は現在の東部貴族どもをどう理解している?」
「……いきなりどうなさったのです? 随分と唐突ですけれど」
「ふむ、許せ。俺は回りくどいのが好きではないからな。――それでリタよ、ここのところ東部からあまり良くない噂が流れてきているのは知っていよう。それでお前の思うところを訊いてみたいと思ってな。ここには我らしかおらぬ、忌憚なく述べてみよ」
「あぁ……そうですわねぇ……」
オスカルの唐突な質問にリタが小首を傾げて胡乱な顔する。それから器用に片眉だけを上げて答えた。
「ラングロワ侯爵家が東部辺境候となって2年と少し。やっと対抗派閥の残党も軍門に降りつつあると聞いておりますが、それも一筋縄ではいかないとか」
「うむ、概ねその認識で間違いない。ラングロワ家が東部貴族の筆頭となったのは事実だが、それが薄氷を履むが如き危うさなのは未だ変わらぬままだ」
「はい、存じ上げております」
「例の粛清騒ぎによって、アンペールに連なる一族はことごとく取り潰しになった。しかし東部貴族どもは相変わらず一枚岩ではないのだ。それどころか、新たにラングロワ家の転覆を狙う者たちまで現れる始末だ。――アンペールとともに連座で取り潰しになったレオジーニ侯爵家とその閥族。半月後に開かれる総会では、それらの家々の復権審議が諮られることになっているのだが、それらもその一端と言えよう」
「アンペール……」
その名が出た途端、端正なリタの顔が盛大に歪んだ。
人妻となった今も変わることなく、まるで妖精のように清楚で可憐なリタ。そんな顔をしていると、彼女が先代東部辺境候――アンペール侯爵家を叩き潰した張本人であることが嫌でも思い出される。
オスカルが見つめる中、まるで苦虫を百匹纏めて噛み潰したような顔でリタが告げた。
「名を聞くのも汚らわしい、くそったれアンペール! その閥族が未だ暗躍しているのは私も聞き及んでおりますわ。いずれ難癖をつけて追い込んで、全員ぶち殺して差し上げようかと思っていたところですのよ」
感情も露わにリタが物騒な言葉を吐く。
その様子に思わずオスカルが苦笑を浮かべていると、横からシャルロッテが口を挟んできた。
「リタ……言葉を慎みなさい。次期侯爵夫人ともあろう者が、そのような言を口にしてはなりませぬ。あまつさえ『アンペールの豚野郎』などと罵るなどもっての外です」
侯爵家の嫁にあるまじきリタの口の悪さに、さすがのシャルロッテも苦言を呈した。
とは言え、言葉とは裏腹な表情を見る限り、シャルロッテもシャルロッテなりにアンペール家には思うところがあるらしい。もっともそれは無理もなかった。例の「決闘事件」において、彼女は目の前で最愛の息子を殺されかけたのだから。
もしもあの時リタの助けがなかったならば、間違いなくフレデリクは殺されていた。事実、リタの献身こそがフレデリクの命を取り留めたと言ってもよかったのだから。
言うなれば、あれは決闘騒ぎに見せかけた策略だった。
ムルシア家を陥れるためのアンペール家の陰謀。惚れた腫れたの痴話と見せかけて、フレデリクは危なく謀殺されるところだったのだ。
そんな二年前の事件を思い出しながら、リタが義母の言葉に小さく突っ込みを入れた。
「いやいや、さすがの私も『豚野郎』までは言ってないし……奥様が言いたいだけなのでは?」
「なんですか?」
「な、なんでもありません……そ、それで侯爵様。先ほどのお話なのですが――」
慌ててリタが視線を逸らす。それからオスカルに話の続きを促した。
シャルロッテ同様、やはりオスカルもアンペール家に対しては色々と含むところがあるらしい。脳筋で単純な筋肉馬鹿の彼にしては珍しく複雑な表情を見せた。
「うむ。例の事件の後、主犯のアンペールとともに幾つかの閥族までも取り潰しになったのだが、さすがにそれはやりすぎだったのではないかと最近になって言われるようになってな」
「やりすぎもなにも、そもそもあれは国王陛下の勅命だったはず。異を唱えるは不敬となりましょう」
「いや、まさにそのとおりだ。しかしそれは陛下も暗に認めるところでな。怒りに任せて粛清したものの、あまりに影響が大きすぎた。実のところ、それが東部貴族の再編が進まぬ遠因にもなっている。今やラングロワ侯爵家一強ではあるが、その他の家は様々だ。正直なところ全てを掌握し切れておらん」
「それで総会での復権審議なのですね」
「そうだ。そこで野に下った中堅の家々を幾つか再興させようという話が出てきたのだ。その者どもに、その他の勢力を纏めさせようという魂胆だな。とは言うものの、それも一筋縄ではいかないらしい。もしも極端な旧アンペール派の復権が認められたなら、東部貴族どもはまたぞろ旧体制へ逆戻りだ。場合によってはラングロワ家自体が東部辺境候の座を引き摺り下ろされかねん」
「それは……」
思いのほか深刻な事態を知らされて、意図せずリタが言い淀んでしまう。
すると今度はシャルロッテが口を開いた。
「もちろんわたくしたちはラングロワの味方です。大切な娘の嫁ぎ先なのですから当然のこと。エミリエンヌはあなたにとっても義理の妹にあたるのですから、無論味方となってくれますでしょう?」
「えぇ、当然ですわ。次期東西辺境候夫人としてともに切磋琢磨しましょうと、互いに誓い合った仲ですもの。どんなことがあったとしても、私はエミリーの味方であり続けますわ」
「うむ。その言葉こそがなによりも頼もしい。だからこそ我らは、わざわざこの機会に東部へ赴くことを決めたのだ。なにも、娘へ出産祝いを届けるのだけが目的ではない」
「うふふ……もちろん存じ上げておりますわ」
思いもよらぬオスカルの言葉。けれどリタは、さも当然と言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
ラングロワ侯爵家へ嫁いだ、ムルシア侯爵夫妻の長女エミリエンヌ。彼女が赤子を出産して一ヵ月が経つ。産後の肥立ちもよく母子ともに健康そのもの。そろそろ様子を見に行ってもいい頃合いになっていた。
その赤子は父親――ラインハルトそっくりの男児で、名を「フェリクス」という。ラングロワ家にとっては待ちに待った嫡男――後継ぎということもあり、屋敷のある領都では領民挙げてのお祭り騒ぎとなった。
そのタイミングでラングロワ家を訪問しようというのだ。誰が聞いてもムルシア侯爵夫妻は初孫に会いに行くのだと思うだろう。事実彼らはフェリクスに会うのが楽しみだと周囲に話していたし、指折り数えて出立を心待ちにしていた。
しかしそれは表向きの理由に過ぎない。その証拠に、オスカルは馬車内に視線を走らせながら真相を告げた。
「半月後に開かれる東部貴族の総会。そこで復権を許される貴族家が多数決により選ばれるのだが、旧アンペールのシンパ連中はそこに食い込もうと必死になっている。この機会を逃せば、二度と家の再興は許されん。票を得るためなら、恫喝や脅迫などの強硬手段も辞さずといったところだろう」
「まさにアンペールの亡霊……ですわね」
「ふはは、亡霊か。まさに言い得て妙だな。連座とは言え、なぜ自分たちまでが取り潰しになったのか。今一度胸に手を当てて考えればわかるであろうに」
「まったくですわ」
「うむ。それでリタよ、そのアンペールの亡霊どもだが、総会の前に動き出すのは間違いない。どんな手段を講じてでも、自分たちの復権が認められるようにしてくるはずだ。しかし決して其奴らを復権させてはならぬ」
「当然です。親アンペールの閥族だなんて、聞いただけで反吐が出そうですもの」
眉間にしわを寄せ、小さな舌をペロリと出して「おえっ!」っとリタが吐く真似をする。
その様に思わず笑いそうになりながら、オスカルが話を続けた。
「とは言え、できることは少ない。当たり前の話だが、東部貴族でない我らは総会への出席はできぬし、もちろん投票権もない。精々が総会の行方を見守る程度だ」
「それはまた歯痒いですわね」
「まったくその通りだ。親戚であるラングロワ家に対して、我らは何もしてやれぬのだからな。忸怩たる思いとはまさにこれを言うのだろう。――それで亡霊どもなのだが、総会では多くの票を持つラングロワ家に対して間接、直接問わず手を出してくるのは想像に難くない。場合によっては策謀を用いてくることも十分あり得る。ならばそれを暴き、白日の下に晒すのが我らの役目と心得よ。――面倒な役回りであるのは重々承知しているが、お前ならば必ずできると信じているぞ。なぁ、リタよ」
一気に言い放ったかと思えば、ニヤリと悪い笑みを浮かべてオスカルが息子の嫁を見つめる。
なんだかんだと言いながら、彼は全ての面倒をリタに押し付けるつもりなのは間違いなかった。いや、もしかして試されているのかもしれない。
咄嗟に理解したリタは、思い切りすっとぼけた顔をする。
「失礼ながら侯爵様。ちょっとなに言ってるのかわかりませんけれど」
「ふはははは、ぬかしよる! その言葉、了承と受け取らせてもらおう。――ならば頼んだぞ、ムルシア家の嫁にして次期侯爵家夫人たるリタよ! お前の才を如何なく発揮してもらうぞ!」
相手の事情など顧みず、言いたいことだけを言い放つオスカル。その隣で薄く笑みを見せるシャルロッテ。
いつもと変わらぬ二人の姿からは、義理の娘に対する絶大な信頼が透けて見えた。
そんな義父母に向けてリタが言う。
「うふふふ……なにを仰いますか。此度の目的は、あくまでエミリーの赤ちゃんを見に行くこと。それに尽きますわ。けれどせっかくですから、この機会に東部貴族たちを一度締めておくのも悪くないかと。――あくまで『ついで』ですけれど」
紅い唇に限界まで弧を描かせて、まさにニッコリとした笑みを見せるリタ。その顔からは、直前までの眠たそうな表情は完全に消え去っていた。








