義妹へ会いに行こう! その4
「はぁぁぁぁぁぁ!? なんですとぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?」
大きく瞳を見開いて、これでもかと大口を開けてリタが叫ぶ。
まるでアホにしか見えないその顔は、のじゃロリ幼女時代の彼女を彷彿とさせた。一頻り叫んだ後にリタが口をパクパクしていると、遠慮がちにフィリーネが告げてくる。
「そのぉ……実を申しますと、出産と子育てに専念するために、もう少ししたらお暇をいただくことになっておりまして。大変恐縮なのですが、お仕事に復帰できるのは数年先になりそうです」
「そ、そう……それはとりあえず、おめでとうと言ったほうがいいのかしら……それとも寂しいと言ったほうが……?」
「ありがとうございます。言っていただけるのであれば、両方とも嬉しいです」
「ど、どういたしまして。えぇ……と、ところで相手は? 相手は誰なの? まさか、行きずりの男とか言わないわよね……?」
結婚後も変わることなく、まるで妖精のように可憐なリタ。その顔に怪訝な表情を浮かべていると、安心させるようにフィリーネが笑いかけてくる。
「あははは。いやですよリタ様、違いますよ。相手はちゃんとした方です。リタ様もよく知っている男性ですよ」
「えっ? 私も知っている……? 」
「そうです。わかりませんか? ――それじゃあヒントです。年齢は私と同じくらいですね」
「えっ……あなたと? フィリーネって今30歳だったっけ?」
「……違います。誕生日前なので、まだ29です!」
「あぁそうだった。でも、大して変わらないでしょ。どっちもアラサー――」
「なんですか?」
「な、なんでもない。そ、それでお相手の男性だったわね。えぇーと、私も知っている独身男性ねぇ……うーん、御用商人のベンノ? それとも会計士のヨーゼフかしら。もしや庭師のザシャとか?」
「ブー。どれも違います。――ほら、その三人よりももっと親しい男性がいるじゃないですか。リタ様が幼い頃から知っている」
「えぇ? 幼い頃から? うーん……」
「それじゃあ、ヒント2です。このお屋敷で働いている男性ですよ、ずっと前から。ここまで言えば、さすがにわかるでしょう?」
「ここで働いていて、フィリーネと年齢が近い独身の男性……? うーん誰かしら……マヌエルは……去年結婚したわよねぇ……まさかチーロじゃないだろうし……」
その名を訊いた途端、フィリーネの頬がぽっと赤くなる。それから数瞬逡巡した後に尋ねた。
「……どうしてそう思いますか? なぜ、チーロじゃないと?」
「えっ? だってあなた、前からチーロは好みじゃないって言っていたじゃない。細いし小柄だし、気が弱くて頼りないから彼には男としての魅力を感じないって。だから私は、敢えてあなたのお相手から除外していたのよ。……って、ちょっと待って! も、もしかして……もしかしてだけど……まさかチーロなの?」
「えぇと……そ、そのまさかです。お腹の子は彼の子なんです」
「えぇぇぇ! なんですってぇぇぇ!! ほ、本当に? そ、そうなんだ……」
「なんだかよくわかりませんが、なんかすいません」
「い、いえ、べつに謝らなくてもいいけれど……それはそうと、どうしてそんなことに?」
「それは……」
まるで信じられないと言わんばかりのリタの眼差し。そのたれ目がちの大きな瞳で見つめられたフィリーネは、なぜか申し訳無さそうに説明を始めた。
貴族の子女が他家へ嫁ぐ場合、お気に入りのメイドを一人連れていくのが通例だ。当然リタもそのように考えていたのだが、彼女の場合は少々事情が異なっていた。
嫁ぎ先がレンテリア家と同位の伯爵家であれば問題はなかった。けれど、それが上位の侯爵家であったために、随伴できるメイドは最低でも下級貴族――子爵家や男爵家出身の者以外は認められなかったのだ。
もちろんフィリーネも例外ではない。いかにリタが気に入っていようとも、貴族家出身でない彼女は随伴が許されなかった。
フィリーネの名誉のためにいうなら、メイドとしての彼女の能力に全く不足はない。と言うよりも、そもそもリタ自らが専属のメイドにと指名したほどなのだから、その能力は折り紙付きと言っていい。
それは現在ムルシア家でリタ専属になっている子爵家出身のメイドなどより遥かに有能と言ってもよく、できることなら取り換えてしまいたいと思うほどだった。
そのフィリーネなのだが、リタが嫁いでから暫くは他のメイドたちに混じって同じ仕事をしていた。貴族令嬢の専属メイドまで務めたのだから、本来であればそのままメイド統括に昇進していてもおかしくはなかったのに、彼女自身がそれを固辞したのだ。
なぜなら、フィリーネは「燃え尽きて」しまっていたからだ。
長年にわたり、まさに心血を注いできた主人の世話から解放されたフィリーネは、同時に生きる目標も失ってしまった。
あれだけ「できるメイド」として名を売っていたにもかかわらず、漫然と決められたことだけをこなす日々。
大げさに聞こえるかもしれないが、その時の彼女は、本当に抜け殻同然だったのだ。
そんな時だ。チーロに慰められたのは
廊下の片隅で力なく床磨きをするフィリーネ。ある日その背に声が掛けられた。
「や、やぁ、フィリーネ。あ、あのさ、そろそろ休憩時間だろ? これ作ったんだけど、あとで食べてくれないか?」
「えっ……?」
覇気のない瞳で見上げると、そこには一人の小柄な青年が立っていた。何かが載った小さな皿を遠慮がちに差し出してくる。
胡乱な眼差しとともに眺めるフィリーネ。するとそれは黄色いスポンジの上に白いクリームが塗られた三角形の菓子――ケーキであることがわかった。
意味がわからずに、フィリーネは何度もケーキとチーロの間に視線を泳がせる。するとチーロが再び遠慮がちに口を開いた。
「と、突然ごめん。え、えぇと、その……リ、リタ様がいなくなってから、ずっと君は元気がなかったからさ。俺……心配してたんだ」
「……」
「君は甘いものが好きなんだろう? 余り物の材料で悪いのだけれど、ケーキを作ったから食べてもらえると嬉しい。そして少しでも元気を出してくれると、もっと嬉しい」
「チーロ……」
恥ずかしそうに俯きながら、必死な形相でチーロがケーキを差し出す。見れば耳の先まで真っ赤になっていた。
その姿を見つめながら、今更ながらにフィリーネは思い出していた。
同じ屋敷に勤めながら、これまでフィリーネはあまりチーロと話したことがなかった。精々がリタの求めに応じて、厨房で副食(おやつとも言う)を受け取る時に顔を合わせる程度だ。だから彼女は、突然ケーキを差し出された意味がわからなかった。
そんな顔見知り程度の認識でしかなかったチーロであるが、実を言うとリタから一度だけ交際を勧められたことがある。しかしその時は好みではないからと断っていた。
男の魅力が強さや逞しさに求められるこの時代。細くて小柄な体格と、おとなしい性格のチーロは男性的魅力に欠けていると言わざるを得ない。
現に身長が162センチのチーロは、171センチのフィリーネにはどうしても弱々しく見えてしまう。
けれど親しく話してみると、チーロの優しさと温かさは今の弱ったフィリーネにはとても心地がよかった。
そして気付けば、すっかり心の隙間に突き刺さっていたのだった。
13歳の時からレンテリア伯爵家の厨房で働いているチーロは、27歳となった今では副料理長を任されるまでになった。
若くしてその役職に就いていることからもわかる通り、彼の料理の腕前は確かだ。腕試しにと参加した国王主催の料理コンテストでは三位に選ばれたし、彼の考案したレシピが首都中に広がるなど、今や彼の名を知らぬ者は料理人界ではいないほどだ。
このように若くして栄誉を手にしたチーロではあるが、なぜかこれまで浮いた話はなかった。15歳で成人し、20歳には子供の一人や二人がいるのが当たり前のこの時代。チーロの歳まで未婚の男などそうはいない。
名門貴族家お抱えの料理人にして、国王からも表彰を受けている彼ならば、縁談の話はそれこそ掃いて捨てるほどあったはず。にもかかわらずその歳まで独身を貫いたのは、ずっと昔からフィリーネに想いを寄せていたからに他ならなかった。
17歳でリタ専属メイドになって以来、その後12年にもわたり夜となく昼となく働き続けてきたフィリーネには、口ではなんと言おうと恋人を作る暇など全く無かった。
それを身近で見ていたがゆえに、チーロには告白する勇気が出なかったのだ。
けれどリタの嫁入りとともに転機が訪れる。
リタが去り、お役御免となったフィリーネは、メイド統括の話を蹴って一般のメイドして再出発する道を選んだ。
おかげで時間的余裕ができたうえに定期的に休みも取れるようになったのだが、見るからに元気はないし覇気もない。
このままではメイドを辞めて田舎に帰ってしまうかもしれない。
そう思ったチーロは居ても立ってもいられなくなり、気づけば唐突にケーキを作り始めていたのだった。
「それからですよ、彼との交際が始まったのは。とは言っても、職場恋愛禁止ですからねぇ……隠すのに苦労しましたよ」
「隠すもなにも……そのお腹じゃ、どうにもならんでしょ」
「あはははっ、確かに! 妊娠がわかってからというもの、そりゃあ戦々恐々としましたよ。バレたらクビだな、なんて。――いつ奥様に打ち明けようかとビクビクしておりましたら、いきなり若奥様に気づかれてしまいまして」
小さく舌を出しながら、全く悪びれもせずにフィリーネが答える。
するとリタが妙に納得した顔をした。
「あぁ……ぼんやりしているように見えて、意外とお母様ってそういうのに鋭いから」
「はい。まだお腹も目立っていなかったのに、いきなり訊かれましたから。『あなた、妊娠してない?』なんて」
「あははは。――それでどうするの? 今はまだお腹も小さいから働けるでしょうけれど、さすがに無理はさせられないし、皆と同じ仕事もできないでしょう?」
「そうなんです。それで今月いっぱいでお暇をいただくことになりました。お屋敷の近くに部屋を借りましたので、そこで愛する夫とともに赤ちゃんのお世話をしながら暮らします」
夢見るような、まるで少女のようなフィリーネの顔を見つめながらリタは思う。
自ら望んだこととは言え、フィリーネは17歳から29歳までの青春全てをリタの世話に費やしたのだ。思えばそれは、感謝してもしきれないほどのことだった。
まさに女盛りとも言うべき期間を主人に捧げ、主人が嫁に出た後は独り身のまま打ち捨てられる。もちろんリタにそんなつもりはなかったけれど、結果としてそうなってしまった。
結婚して子を生むことだけが女の幸せでないことはリタにもよくわかっている。事実彼女は、前世において212年に及んだ人生全てを魔法の研究に費やしたのだから。
それでも幸せそうなフィリーネの顔を見ていると、これで良かったのだと思える。しかも相手があのチーロであるなら、間違いなく彼女を幸せにしてくれるはず。
突然降って湧いたようなフィリーネの結婚と妊娠の話ではあったが、結果としてそれは長年にわたるリタの憂いを消し去ってくれるものだった。
心の底から幸せそうに微笑むかつての専属メイドを眺めながら、いつまでもリタはその顔から笑みを絶やすことはなかった。








