第307話 告げられなかった名前
前回までのあらすじ
セブリアン……本当に狂っているのか、それとも……
「仇……そう、お前はジルダの仇なのだ!! ――さぁ、剣を抜け!! そして俺と戦え!! ジルダの受けた痛みと悲しみ、そして無念さをそっくりそのままお前に返してやる!! さぁ、思い知るがいい!!」
まるで人が変わったように、突如剣を突き付けるセブリアン。
少々だらしなく太ってはいるものの、元来小柄な彼は背は低く手足も短い。確かに腕は多少太く見えるが、それも殆どが贅肉という為体だ。
にもかかわらず、まるで不釣り合いなほど太く長い剣を持つ様は、何処か滑稽に見えた。
剣の自重すら支えきれずにプルプルと右手は震え、額からは大粒の汗が噴き出る。未だ剣を振ってもいないのに、太く短い脚はすでに震えていた。
思わずそれは笑いを誘う姿だったが、誰一人として笑う者はいなかった。何故ならそこにはセブリアンの決死の覚悟とともに、恐ろしいまでの狂気が滲んでいたからだ。
とは言え、そもそも誰も本気でケビンに勝てるとは思っていなかった。
すでに第一線を退いているものの、彼の「魔王殺し」の実力は全く衰えておらず、先日の凄まじいまで戦いぶりを見る限り、どれほど名だたる剣士であっても決して勝てるとは思えない。
そんな相手を前にして、セブリアンは剣を抜いているのだ。
最早それは殺してくれと言っているようなものでしかなく、その無謀さは彼が一番よくわかっているはずだ。
それが理解できるが故に、ブルゴー兵たちは哀れみこそすれ、決して彼を笑おうとはしなかった。
凄まじい形相で剣を構えるセブリアンと、棒立ちのままのケビン。
その状態が優に30秒は続いただろうか。徐にセブリアンが斬り掛かった。
「うぬあぁー!! 死ねぇ、ケビン!!!!」
大きく威勢の良い掛け声とは裏腹に、まるで勢いのない太刀筋。それを見たケビンは後ろに下がって軽く躱す。
何もない空間を通り過ぎる剣と、勢いを殺すことさえできずにヨロヨロと転びそうになるセブリアン。
その姿をケビンが無表情に見つめていると、振り向きざまにセブリアンが叫んだ。
「ケビン、さっさと剣を抜け!! 俺を馬鹿にするな!!」
「教えろ、セブリアン。お前の言うジルダとは一体誰のことだ? 何故俺が殺したなどと言う? 全く身に覚えがないぞ」
「やかましい!! 俺は……俺は……ここでジルダと静かに暮らそうとしていただけだ!! それなのに……それなのに……ジルダは……ジルダは……うぬあぁぁぁぁ!!!! よくもジルダを殺してくれたなぁ!!!!」
叫び声とともに再びケビンに突っ込んでいくと、セブリアンは闇雲に剣を振り回す。
もとより第一王子として生まれた彼は、幼少時から剣技を叩きこまれているはずだ。しかし見たところ、全くその成果は見られない。
隙のありすぎる構えといい、ブレまくる太刀筋といい、それはまるで素人同然だった。
そのためケビンは、剣を抜きもせずに軽く去なした。
「おいセブリアン、話を聞け。全く会話になっていないぞ」
「こんな戦など、俺は望んでいなかった……ジルダとの平和な暮らしだけが望みだったのだ……それなのに……それなのに……そもそもこの戦は貴様らが仕掛けてきたものではないのか!? 何故だ!? 何故貴様はこの戦を起こした!? 戦さえ起こさなければ、ジルダは……ジルダは死なずに済んだのだ!! それなのに……それなのに……ぬあぁぁ!!!!」
ヒュン!!
「……」
「そこまでしてこの戦は必要だったのか!? 起こさなければいけなかったのか!? 果たしてそこに大義はあったのか!? ――どうなんだケビン、答えろ!!!!」
ヒュン!!
ブンッ!!
「大義か……」
矢継ぎ早に問いかけながら剣を振るい続けるセブリアンと、無手のまま躱し続けるケビン。
今やその姿は対照的だった。
確かにこの戦はケビン自らが起こしたものではない。いや、それどころか、戦を起こそうとした当時の国王――イサンドロに異を唱えたばかりに無理やり幽閉されてしまったのだ。
だから正確にはケビン個人に責任はないのだろう。
しかし現ブルゴー王国の実質的な支配者でもある彼は、決して言い逃れはできなかった。
国の責任は己の責任。その逆もまた然り。
たとえそれが過去に遡ったとしても、その全てを背負って立つ覚悟がなければ国の支配者になどなるべきではない。
この世の中には幾多もの国があるが、それを理解している支配者がどれだけいるかはわからない。しかし少なくともケビンはそれを十分理解していた。
セブリアンが指摘するように、イサンドロに大義があったかと問われれば甚だそれは疑問だ。
戦を決めた時もまるで夕食のメニューを決めるかのようにお気楽なものだったし、終始ニヤついた様子からも、そこに深慮があったとは決して思えなかった。
結果、無理に戦を起こして彼自身が暗殺されてしまい、その尻ぬぐいのためにケビンが出てくる羽目になったのだ。
そしてセブリアンの言う「ジルダ」とやらも死んでしまい、最後にはカルデイアも滅亡した。
果たしてそれが正しかったのかと今さらながらに思ってみても、そこに答えはない。あるのはその原因と結果だけであり、善悪を評価するのは後の歴史家に任せるしかなかった。
ゆえにケビンはここで戦の正当性を主張するほかなく、亡国の主たるセブリアンの前では決して迷いは見せられない。
そのため彼が何気に言い淀んでいると、さらにセブリアンが斬り掛かってくる。
「貴様は……貴様は……俺からジルダを奪ったのだ!! 生まれて初めて愛してくれた……そして愛した女……それを……それを……貴様は無残にも殺したのだ!!!!」
ブンッ!!
ヒュン!!
ザシッ!!
渾身の力で振った剣を避けられてしまい、勢い余ったセブリアンは地面に剣を突き立ててしまう。
そして踏鞴を踏んでよろめいていると、その腕をケビンが抑えつけた。
「もうやめろ。どんなにお前が剣を振ろうが、俺を殺すことなどできやしない。それはお前にもわかっているはずだ。 ――無駄なことはよせ」
「うあぁぁ!! 放せ!! 俺に触れるな!! 俺は……俺は……貴様を殺すとジルダに誓ったのだ!! おとなしく殺されろ!!!!」
「セブリアン……」
「ぬあぁぁぁ!! 死ね死ね死ね死ねぇ!!!!」
「やめろと言っている!! これ以上暴れるなら、この場で殺すしかなくなるぞ!!」
「なれば斬れ!! 俺を斬り殺せ!! 今すぐ俺を殺せ!! うおぁぁぁぁ!!!!」
最早ケビンの言葉にすら耳を貸そうとせず、ひたすらセブリアンは暴れ続ける。
いくら避けられようが躱されようが関係なく、渾身の力で剣を振るい続けた。
そんな彼に思わずケビンが哀れむような視線を向けていると、突然背後から声が聞こえてきた。
「何を仰いますのセブリアン!! あれだけのことを仕出かしておきながら生洒々と自分だけ死のうだなんて、あまりに虫が良すぎますわ!! ジルダだか何だか知りませんけれど、それがどうしたというのです!? 貴方はそれ以上に人を殺めてきたではありませんの!!」
凡そこの場に似合わない、ともすれば可愛らしいとも表現できる少々甲高い声。それがケビンの頭越しに響き渡った。
咄嗟に周囲の目が集まると、その先に一人の少女が立っていた。
もちろんそれはリタだった。それまで黙って二人の話を聞いていた彼女は、ここにきて遂に口を開いたのだ。
特徴的な細い眉を吊り上げて、小さく紅い唇を不機嫌そうに真一文字に結ぶ。
彼女がそんな顔をしていると、言いようのない迫力とともにその美貌に目を奪われてしまう。
そんなリタに、セブリアンが怒鳴り返した。
「なんだ女!! 貴様は関係ない、黙っていろ!!」
「これが黙っていられるものですか!! ――王位継承などという国家の大事を揺るがした重罪人が、気付けば隣国の支配者になっていた。これに物申さねば、それこそ世界中からいい笑いものになってしまう!! そのくらい貴方にもわかるのではなくって!?」
「知るかそんなこと!! やかましいぞ、女が余計な口を挟むな!!」
「やかましいのは貴方ですわ!! 人の話を聞きもせず、ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん喚き散らせばいいものではありませんでしょ!! ――いいですこと? あの時私は警告しましたわよね!? 『一度は見逃す、しかし次はないぞ』と。よもや憶えていないとは言わせませんわよ!!」
その言葉に思わず胡乱な顔をしてしまうセブリアン。
それまで振り回していた剣を片手にぶら下げると、窺うようにリタを見つめた。
「あの時……? 見逃す……? なんだそれは? ――おい女、もっとわかるように言え」
「これだけ言ってもまだわかりませんの? 随分とその禿げかけた頭は動きが鈍いようですわね。 ――26年前、貴方はエルミニア女王の母君――ジャクリーヌ様を殺した。卑怯にも病死に見せかけて毒殺しましたわよね? 今さら忘れたとは言わせませんわよ!!」
「なに……?」
「偶然にも貴方の出自を知ってしまったジャクリーヌ様。それはもう気の毒なほど心を痛めていらっしゃいましたわ。そして一人で背負い込むには重すぎると申されて、私に相談を持ち掛けてきましたの」
「き、貴様は……何を言っている? 何を知っている?」
「もちろん私だって驚きましたわ。自国の第一王子がまさかの托卵児だったなんて露にも思いませんでしたもの。しかし国家の分裂と内紛を恐れた私は、断腸の思いで蓋をすることにした」
「ばばさ……いや、リタ嬢。周囲には人がいる。それ以上は迂闊だ」
「失礼ですが殿下。お気持ちはわかりますが、何卒最後まで言わせてくださいまし」
さすがにまずいと思ったのだろう。喋り続けるリタをケビンは遮ろうとしたのだが、それを手振りと身振りで拒絶すると尚も彼女は口を開いた。
そんなリタに向かって諦めたようにケビンは告げる。
「あぁ……わかった。しかしヤバいと思ったら容赦なく止めるからな」
「えぇ。その時はお願いしますわ」
不機嫌そうにしながらも、それでも無理やり笑顔を作るリタ。
それを見たケビンは、彼女が話しやすいように一歩後ろに下がった。
「それでセブリアン。今だから告白しますけれど、あの時の選択を未だに私は後悔していますのよ。いっそあの時全てを詳らかにしていればと、今さらながらに思いますわ。 ――確かに当時のブルゴーは、北のアストゥリアと南の魔国に悩まされていた。そのうえ内紛まで起こしている余裕など全くなかった。けれど、それを差し引いたとしてもやはりその選択は誤りだったと、そう思わない日は一日たりともありませんでしたわ」
「き、貴様……貴様は一体……」
「ジャクリーヌ様はとても真摯で真面目な方でした。その彼女が告げたのです、誰にも秘密を漏らすつもりはないと。彼女は本気で墓まで持っていくつもりだったのです。 ――なのに……それなのに……なぜお前は彼女を殺った!?」
「なっ!?」
「お前は幼いエルミニアから母親を奪ったのじゃ!! お前とて3歳の時に愛する母親を亡くしておろう!? なればその悲しみも苦しみも容易に理解できたじゃろうに!! ――己の保身、ただそれだけのために罪のない者を殺め、剰え実の妹を悲しみの淵に叩き落したのだ!! この人間のクズめが、恥を知れ!!」
「き、貴様は誰だ!? 何者だ!? なぜそれを知っている!?」
突如様子が変わったリタに、思わずセブリアンは後退ってしまう。
まさに貴族令嬢然とした佇まいであるにもかかわらず、まるで人が変わったかのように様子を一変させたリタ。
その彼女に訝しさと驚きが複雑に入り混じった表情を向けていると、尚も彼女は口を開いた。
「さらに罪のない冒険者にまで襲い掛かり、未だ幼い子供の母親を殺したな!? 遠い他国にまで手を伸ばし、よくぞそんなことができたものじゃ!! そして……そしてお前は、敬愛するバルタサール卿まで手にかけたな!!」
「バルタサール……?」
「わしはな……わしは彼が好きじゃった。人として尊敬できる、あの爺様が好きじゃったんじゃ!! いずれは義理の祖父になるはずだった爺様を、無残にもお前は殺した。 ――このわしの目の前でな!!!!」
これまで会ったこともなければ見たこともない、10代半ばの他国の少女。にもかかわらず、なぜか彼女は近しい者しか知り得ない事実を知っていた。
そもそもそれは遠い昔の出来事であって、リタのような少女が知っているはずがないのだ。
セブリアンはそんな彼女が不気味に見えてしまうと同時に、無性にその正体を知りたくなった。
「ま、待て!! さっきから貴様は何を言っている!? そもそも貴様は何者だ!? まずは名を名乗れ!!」
「名前……? あぁ、そういえば未だ名を名乗っていませんでしたわね。よろしいですわ。一度しか申しませんから、その耳かっぽじってよくお聞きなさいませ。 ――私はハサール王国レンテリア伯爵家が二男フェルディナンドの長女、リタ・レンテリアですわ。ここには貴方を捕えるために助っ人として加わりましたの。 ――ちなみに生まれはハサール東部の国境沿い、オルカホ村ですわ。もっともそんなことなど先刻ご承知だとは思いますけれど」
先ほどまでとは打って変わって突然口調が戻るリタ。
慇懃無礼とはまさにこれを指すのだろう。そう思わざるを得ないほど、その口調は馬鹿が付くほど丁寧だった。
その彼女を気味悪く眺めながら、必死にセブリアンは考え続ける。
リタ・レンテリア。
確かにその名は聞いたことがある。しかしそれが何処でなのかが思い出せない。
聞けばよくある名のようでもあるし、とても大切な名のような気もする。ただひとつ言えることは、それは間違いなく忘れてはいけない名であるということだ。
リタ……レンテリア……ハサール王国……オルカホ村……
同じフレーズを何度も頭の中で反芻するセブリアン。しかし遂に真実に突き当たってしまう。
「リタ……オルカホ村のリタ……リタ……リタ!! なにぃ!! リタだとぉ!!??」
衝撃の事実に気付いた彼は、突如両目を見開いてぱくぱくと口だけを動かした。
それでも震える口に力を込めて、必死に声を絞り出す。
「憶えている、憶えているぞ!! オ、オルカホ村のリタと言えば、彼奴の生まれ変わりではないか!! つ、つまり貴様は……貴様は……ま、魔女アニエ――」
ザシュッ!!
遂にセブリアンがその名を告げようとした瞬間、目にも留まらぬ速さでケビンの右手が一閃する。
そして――セブリアンの首は宙を舞った。








