第283話 無詠唱往復びんた
前回までのあらすじ
乳の代償は随分と高くついたようで……
なんとかその場を取り繕ったケビンとリタは、ちょうど話も終わったとして場を解散することにした。
そしてケビンは将軍を伴って軍議に出掛け、リタは仲間たちのもとへと戻っていったのだが、そこでまた一悶着起こることになる。
とぼとぼと何処か足元の覚束ない様子で自分のテントに戻ってくるリタ。
乱れた髪と着衣の胸元を気にしながら歩くその様は、直前に行われたであろう何かを予感させ、とても直視できるようなものではなかった。
仲間の誰もが声をかけようとするものの、果たしてなんと言えばよいのかわからず皆言葉を飲み込んでしまう。
そんな中、リタの姿を見つけた公妃アビゲイルが転がるように近づいてくると、その小さな体を抱き締めた。
「あぁ、リタ……リタ嬢……ごめんなさい、ごめんなさい……私達のためにあなたがその身を犠牲にするなんて……あぁ、何と言ってお詫びをすれば良いのか……」
ぎゅうぎゅうとリタの体に抱きつきながら、後悔の涙を流すアビゲイル。そして心配そうに周囲を取り囲む仲間たち。
その様子を見る限り、彼らが完全に勘違いしているのは間違いなかった。
この先ハサール方面へ向かうのであれば、ブルゴーの護衛は欠かせない。
もちろんリタ一人でもなんとかなるのかもしれないが、未だカルデイア軍が生きており、さらにアストゥリア軍も迫ってきている現状を鑑みれば、彼女一人に全てを背負わせるのはあまりに酷だ。
道中の安全のためには、少なくとも一個中隊規模の護衛を借り受ける必要があるし、その交渉は隊長であるルトガーが行うべきだろう。
しかしそれを言い出す前にリタが呼び出されてしまう。
しかも相手が王配ケビンであるうえに、付き添い不要と申し付けられ、さらに人払いまでされてしまったのだ。
いま思えば、ケビンの様子は初めからおかしかった。
何処かソワソワと落ち着きがなく、まるで見惚れているかのようにリタを見つめていたのだ。
言うなればそれは好みの女性に出会った漁色家のようにも見えて、色事が懸念されるようなものだった。
果たしてその心配は現実のものとなる。
理由は明らかにされなかったが、リタを呼び出した目的はその身体に違いない。
救国の英雄にしてブルゴー王国の王配でもある勇者ケビンは、ファルハーレンの公妃と公子を無事にハサールまで送り届ける代わりに、若くて美しいリタの身体を要求したのだ。
人の足元を見透かした、あまりに卑劣かつ薄汚い要求に誰もが憤ったのだが、結局は相手の強大さと己の矮小さを天秤にかけた結果、聞き入れざるを得えなかった。
もっとも当の本人――リタは全く気にする様子もなく淡々としていたので、悲壮感はそれほどでもなかったのだが。
いずれにせよ本来であれば守られるべき存在であるはずの少女を逆に差し出してまった事実は、決して消し去ることのできない後悔と忸怩たる思いを皆に植え付けたのだった。
「あぁ……未だ結婚もしていない乙女だというのに……それを差し出させてしまうだなんて……なんという取り返しのつかないことを私は……」
己に抱きついて、さめざめと泣き崩れるファルハーレン公妃アビゲイル。
その彼女に向かってリタは告げた。
「あ、あのぉ……皆様何やら勘違いされているようですけれど……私は特に何もされてはいませんわよ。そもそも殿下とはお話をしただけですし……」
安堵こそされても、それは決して非難されるものではなかったが、何故かリタは言いづらそうにする。そしてその顔にはバツの悪そうな表情が浮かんでいた。
すると驚いたアビゲイルが、素早く身体を離して両手をリタの肩の上に置いた。
そしてまじまじと顔を覗き込む。
「えぇ!! そ、それは本当なのですか!? リタ嬢……どうか私の目を見てくださいまし。 ――良いですか? 我々を安心させようとして、偽りを申してはいけませんよ?」
「い、いえ、そんなつもりはありませんわ。本当に何もされてはおりませんので、ご安心を。ケビン殿下はとても紳士的なお方ですから、なにも心配されるようなことはありません。誓って申し上げます」
「ほ、本当に? 本当に何もなかったのですか!?」
まるで信じられないと言わんばかりに、叫ぶアビゲイル。
どうやら彼女はすっかりリタが弄ばれたとばかり思っていたらしく、それまでの絶望的な顔にパッと喜色を浮かべた。
そんな彼女に尚もリタが告げる。
「はい、本当ですわ。そもそも私は殿下とは既知の間柄ですもの。彼がそのようなことをなさるお方でないことくらい知っていますわ」
「あぁ、リタ!! 良かった!! 本当に良かった!! 私はてっきり貴女が――」
嬉し涙を流すアビゲイルの背を優しく擦るリタ。
そのまま彼女が周囲を見渡してみると、仲間たち全員が安堵しているのが見えた。
するとリタは再度口を開いた。
「そうそう、皆様に朗報ですわ。予てからの希望通り、ケビン殿下から一個中隊を借り受けることができました。首都の近くまではこのまま同行いたしますが、その後ハサール方面へ向かう時には護衛が付きます。 ――これは殿下自ら約束していただいたことですので、決定事項と捉えて結構です」
「おぉ……」
「さすがはリタ嬢。相手が勇者であっても、かまわず手玉に取るか」
「あの容姿で、さらに交渉上手とは……末恐ろしいな」
「全くだ」
結局リタには何事もなかった。
その安堵感からすっかり気持ちが軽くなったファルハーレン一行は、同時に口も軽くなったのだろう。皆口々にリタの偉業を褒め称え始める。
それを何処かくすぐったそうに聞きながら、リタは自身のテントの中へと入っていくのだった。
――――
「おい、リタ。口ではあぁ言っていたが、お前本当に何もなかったんだろうな?」
リタがテントから出てくると、そこにラインハルトがいた。
彼女が出てくるのをずっと待っていたのだろうか。少々ジリジリとした姿からは彼の苛立ちが透けて見えた。
するとリタは足を止めて、面倒くさそうに半目になって答える。
「一体なんですの? 貴方にしては珍しく、随分と疑い深いですわね。 ――何を訝しんでいらっしゃるのか存じませんが、先ほども申し上げた通り、殿下とはただお話をしていただけですわ」
「話って……何の話だよ?」
「そんなの決まっているではありませんの。私どもの保護と、今後の護衛についてのご相談ですわ。 ――それ以外に何がありますの?」
「そ、それはわかってる……それ以外にはなかったのかと訊いている。だってよお前……あんなに大きな悲鳴を上げていたじゃねぇか。 ――お前が悲鳴を上げるなんて、よっぽどのことじゃ……」
いつも強気で俺様で、破天荒なラインハルトには珍しく、どうやら彼は本気でリタを心配していたらしい。
その顔には盛大に憂いが浮かんでいた。
するとリタは小さくため息を吐きながら再び口を開く。
「その前に申し上げておきますが、実は私と殿下は既知の間柄ですのよ。もっとも以前お会いしたのは、もう10年も前のお話ですけれどね」
などと告げながら、リタはケビンとの再会に至るまでの話を始める。
一言も発しないまま、真剣な面持ちでその話を聞くラインハルト。
しかしその顔の表情が変わることは最後までなかった。
「――ということがありましてね。殿下とは約10年ぶりに再会したのですけれど、何をとち狂ったのか、懐かしさのあまり突然抱き着いてきましたのよ。この私ともあろう者が、思わず悲鳴を上げてしまいまして。 ――まったく、不本意にもほどがありますわ……」
「そ、そうか……それは良かった」
「なにを仰るのです、全然良くなんてありませんわよ。 ――これでも結婚前の乙女なんですのよ? それなのに突然殿方に抱き締められるなんて、あまりに破廉恥すぎると思いませんこと?」
話しているうちに再び腹が立ってきたのだろうか。
まさに「ぷんぷんっ」といった体で怒り始めたリタに、変わらずラインハルトは憂いを含んだ視線を向け続ける。
「ま、まぁ、そうだな。俺には災難だったとしか言ってやれないが……それでお前の話はわかった。確かにその話はもっともだし、辻褄も合う。 ――しかししつこいようだが、それでも一つ確認していいか?」
「確認……? なんですの? 何の確認ですの?」
「お前……まさか無理してねぇよな? 皆を心配させないようにと気丈に振舞ってるが、本当はあの男に手を付けられたんじゃねぇのか? ――誰にも言わねぇから、本当のこと言えよ」
「えっ……?」
「もう十分わかっていると思うが、俺はな、切った張ったの世界のことはもちろん得意だが、この手のことも経験豊富だ。目の前の女が本当に生娘かどうかは、見ただけでわかる」
「……」
「俺はフレデリクに頼まれたんだ。お前を無事に連れ帰ってくれとな。そしてもしもの時には、体を張ってでも助けてほしいとも。 ――だから俺には責任がある。お前の身に本当は何が起こったのかを確認しなければならん。わかるな?」
「……全然わかりませんけれど」
「だから、見せろと言っている」
「何を?」
「わざわざ言わせんな。そんなの決まってる、お前のマ――」
ばっちーん!!
ばっちーん!!
「うぬぅおぁぁぉぁ……」
もはや言葉にもならない呻き声を上げながら、左右の頬を押さえて地面をのたうち回るラインハルト。
必死に痛みに耐えながら頬を押さえて悶える様は、凡そ次期辺境候だとかラングロワの放蕩息子などと呼ばれる人物には見えない。
そしてその横には、羞恥に顔を真っ赤に染めた一人の少女。
ハァハァと大きく肩で息をしながら、リタは身悶えるラインハルトをキッと睨みつけた。
「はぁ、はぁ、はぁ……うぬぅ!! 言うに事欠いて、よくもまぁ乙女に向かってそんないやらしい言葉を吐けますわね!! あまりに下劣なその口を縫い付けて差し上げましょうか!!」
「ぬおぁぅぉぁ……」
「そもそもなんですの!? 何もなかったと何度も伝えていますのに、それを疑うような真似をしくさりおって!! いい加減にせぇよ、このハゲがっ!!」
「うおぉぁぉあぉ……」
「それに見ればわかるですって!? 何が悲しくてそんな乙女の一番大切なところを、お前のようなエロバカチンに見せなあかんのじゃ!? あ゛ぁ!?」
「うぉあぁぉ……」
「未だ婚約者にさえ見せたことありませんのに、お前なんぞに見せるアホがおるかい!! 死ねっ!!!!」
未だ地面をのたうち回るラインハルトを散々罵った挙句、不意にリタは何処かへ走り去っていく。
そして数舜後に戻ってくると、再び怒鳴った。
「そんなに私の純潔が信じられないと仰るならば、見せて差し上げますわ。ほらっ!!」
そう言うとリタは、連れてきたユニコーンのユニ夫を力いっぱい抱き締めた。
「ブヒン、ブフン、ブフフフーン!!」
リタに抱き着かれて喜びながら、高く嘶きを上げるユニ夫。
それはこれまで何度も見てきたものだったが、しかしこれこそがリタの純潔の証しと言えた。
そして――を目視で確認するよりよほど信頼性があり、かつ誰もが納得する方法だったのだ。
左右の頬を真っ赤に腫らしたラインハルトは、その後リタからチクられたアビゲイルによって盛大に説教を食らう羽目になる。
そして女性に対する気遣いやその他諸々について、正座したまま滾々と言い聞かされたのだった。








