第279話 壮絶な答え合わせ
前回までのあらすじ
よし、いけっ!! 全力でしばき倒してやれ!!
場所は変わって、こちらはカルデイア大公国内。
救国の英雄「魔王殺し」の異名を持つ勇者ケビンに率いられたブルゴー王国軍は、首都ベラルカサに向けて今も北上を続けていた。
開戦前の目論見では、今頃はとっくに首都を制圧しているはずだった。
そして勝利の美酒に酔いしれながら、懐かしい祖国へと凱旋する途上にあったはずが、実際には未だ首都にすら到達できずにいる。
そもそもこの戦は前王イサンドロが始めたものだ。
だからその顛末も彼が見届けるべきなのだ。
しかし開戦直後に暗殺されてしまうという、最悪にお粗末な最期を迎えてしまったために、その妹――エルミニアが尻ぬぐいをする羽目に陥ってしまった。
とは言うものの、これまで軍事に全く縁のなかった彼女が急に采配など振れるはずもなく、結果、夫である勇者ケビンの出番となる。
そしてその結末はご存じの通りだ。
ブルゴー軍の前に立ちはだかった、カルデイアの勇将ダーヴィト・ヴァルネファーとその参謀ジークムント・ツァイラー。
この二人に苦戦を強いられたブルゴー軍は長らく足止めを食らっていたのだが、それもケビンの介入により一気に解決された。
しかしそこに至るまでには一悶着あったのだ。
まさか一国の王配自らが単騎で敵軍に突っ込むなど、これまで誰も聞いたことがなければ当然許せるはずもなく、最早蛮勇としか言えない無謀な行動をもちろん周囲は必死になって止めようとした。
如何に「魔王殺し」と言えども、こんな数千人に及ぶ集団戦闘において何かできるとも思えなかったし、万が一その身に何かあれば、それこそ士気はだだ下がりになってしまう。
それだけは避けなければならなかった。
実のところ、これまで誰もケビンの戦いを見た者はいなかった。
確かにあの魔王を倒したのだからその実力は疑いようもないのだろうが、それももう10年以上も前の話だし、その時は他に強力な仲間もいた。
特に当時世界最強と謳われた魔女アニエスの存在は、魔王討伐においては相当な助けになっていたはずだ。
軍と軍とがぶつかり合う集団戦闘において、個人ができることなどたかが知れている。
市井で人気の英雄活劇でもあるまいし、たった一人で多数の敵をバッサバッサと切り捨てるなどできるはずがないのだ。
にもかかわらず、この男は自信満々にやってみせると言う。
果たして勇者一人で何処までできるのだろうか。
そしてその実力は如何ほどのものか。
誰もが危惧と期待に顔を染めながらケビンの出陣を見届けたのだが、その結果は想像を遥かに上回る凄まじいものだった。
ブルゴー王国の王配、勇者ケビン。
救国の英雄にして「魔王殺し」の勇者ケビン。
彼さえいればこの国は安泰だ。
どんな外敵からも、どんな困難からもこの国を守ってくれる。
今や信仰と言っても過言ではない信頼を集めたケビンは、変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま進軍を続けていたのだった。
「失礼いたします、ケビン王配殿下。たったいま東部派遣隊から早馬が入りました」
まもなく日も暮れるかという時刻に、ケビンの夜戦テントに一人の伝令が走り込んで来る。
するとケビンは、手に持っていた羽ペンを止めた。
今彼はブルゴー王国の女王であり、自身の妻でもあるエルミニアに宛てて手紙を書いているところだった。
それは、道中に見つけた珍しい花や見たことのない動物、現地の食べ物や夕食のメニューなど、凡そ他人から見ればくだらない内容でしかなかったが、その端々には妻に対する愛情が垣間見える。
そして結びには必ず「愛する妻へ」と書き記し、変わらぬ愛を伝えていた。
一緒にいる時には絶えず愛を囁いていたものの、今となってはそれすらも叶わない。
唯一できることと言えば、このように短い手紙を送るだけ。
遠く離れた異国の地で奮闘する彼にはそんな貴重な時間ではあるのだが、今はそれより優先すべきことがあった。
それまで少々緩んでいた顔を引き締めると、ケビンは顔を上げた。
「早馬が? 遂にアストゥリアと接触したか?」
「はい、どうやらそのようです。 ――すぐに伝令をお通しいたしますので、詳しくはそちらからお聞きください」
その後通された早馬からの報告を身動ぎせずに聞き続けたケビン。
彼は途中で聞き返した。
「……何故そんなところにファルハーレンの公妃と公子がいたんだ?」
「はい。突如越境してきたアストゥリア軍に居城すらも包囲されそうになったため、命からがら逃げてきたそうです」
「命からがらって……そもそもあの二国は親戚同士なのではないのか? アストゥリアの皇帝はファルハーレン公妃の叔父だったはずだが?」
伝令の報告に意図せず胡乱な顔をしてしまうケビン。
すると自国の王配に睨まれたと勘違いした伝令は、思わず息を呑んでしまう。
「は、はい!! た、確かにその通りなのですが……」
「落ち着け。何も俺はお前を責めているわけではないのだ。この顔は生まれつきだ、気にするな」
「も、申し訳ありませんっ……そ、それなのですが、カルデイアに向かう軍を通過させよとのアストゥリアの要求を突っぱねたところ、どうやら強硬手段に出られたらしく……今やアストゥリアにとって、ファルハーレンは邪魔な存在と化しているようです」
「ふぅん……そうか。どうも彼の国が騒がしいと思ったら、知らぬ間に仲間割れをしていたとはな……」
その事実に顎を撫でながらケビンが考えていると、横から将軍コランタン・クールベが話しかけてくる。
どうやら彼はこの件に思うところがあるらしく、怫然とした表情を隠せずにいた。
「失礼ながら、殿下。仲間と申しましても、ファルハーレンは取るに足らない弱小国。それを理解しているからこそ、ファルハーレンは此度の要求を突っぱねたのでしょう。 ――今後の立ち位置を慮れば、カルデイアにおけるアストゥリアの覇権をどうしても容認できなかったに違いありません」
「……しかし血の繋がった叔父と姪だぞ? そんなことが罷り通るなど、それではあまりに――」
「お言葉ながら、殿下。現在のアストゥリア皇帝であるエレメイは、先代と違って人の心がわからぬとか。現に奴が新皇帝となった時には、己の対抗派閥だった者たちを多数粛清したとも聞き及びます。 ――己の思い通りにならぬなら、それが姪であろうと排除する。如何にも彼の御仁らしいかと」
「……」
その説明を聞いた途端、ケビンの顔に嫌悪の表情が浮かんだ。
ご存知のように勇者ケビンは、妻エルミニアとの間に8人もの子供がいる。
それは自分たち夫婦に些か節操がなさすぎた結果だとケビンは笑うのだが、それでも彼は子どもたちに惜しみない愛情を注いできた。
もちろん我が子と姪では単純に比べられないのはよくわかる。
しかし同じ血縁者に対する感情はそれほど変わらないはずだし、それを無視できるアストゥリア皇帝がケビンには全く理解できなかった。
盛大に眉間にシワを寄せて、面白くなさそうな顔をするケビン。
その彼に、恐る恐る伝令が再び声をかけた。
「そ、それでその公妃と公子なのですが、我々に対して保護を求めてきたのです。その返答を殿下にいただくために、現在こちらへ護送中でございまして……」
「そうか。それではそのファルハーレンの一行とやらは、こちらへ向かっているのだな?」
「は、はい……」
「なんだそれは? お前たちは馬鹿なのか? いくらなんでも軽率にもほどがあろう!! その行いが将来政治問題に発展することを危惧する者はいなかったのか?」
突然口を挟んできたかと思えば、まさにギロリと音が聞こえそうな勢いで睨みつける参謀シモン・ルッカ。
その視線に盛大にたじろぎながら、それでも健気に伝令は告げた。
「は……いや……その……如何に国交のない国と言えども、仮にも一国の公妃と公子ですので、無下にするのもどうかと隊長が申しまして……最終的に殿下のご判断を仰ごうと――」
「国交がないとか、そのようなことを言っているのではない!! ファルハーレンなど、言わばアストゥリアの属国のようなものではないか!! ――お前とて、我が国とアストゥリアの因縁は知っていよう!? それなのに、何故そのような国を助けようと――」
王配の御前であるからか、必要以上に居丈高に怒鳴り続ける参謀ルッカ。
するとケビンは彼の肩に手を置いて、やんわりと告げた。
「ルッカ参謀。もう少し肩の力を抜け。 ――俺の前だから仕方ないのもわかるが、今は事実の確認が先だ。部下を詰るのはあとにしろ」
「はっ!! も、申し訳ありません!!」
「それからもう一つ言っておく。伝令というものは、ありのままの事実を伝えるのが仕事だ。故にその内容について問い詰めるのは全くのお門違いだと知れ。 ――わかったか?」
「はっ……!! も、もちろん、それは……」
突如至近距離から顔を覗き込まれたルッカは、まさに直立不動のまま固まってしまう。
そして得も言われぬ迫力に身体を震わせていると、ケビンは小さく鼻息を吐いた。
「……わかればいい。 ――それでは伝令、隊に戻って伝えろ。ファルハーレンの二人を保護するかどうかは、直接会ってから決める。予定通りここまで護送しろ。 ――いいか? 相手は一国の公妃と公子だ。くれぐれも失礼のないように、丁重に扱え。わかったか?」
「はっ!! かしこまりました!! その旨、早速隊に戻ってお伝えいたします!!」
パッと喜色を浮かべた伝令が、そのまま足速に去っていく。
そしてそのあとに続くようにケビンがテントから出て行くと、まるで全身の力が抜けたかのようにルッカはその場に座り込んでしまったのだった。
――――
伝令が戻った4日後、やっとケビンのもとにファルハーレン一行が到着した。
相変わらず馬車酔いの酷いアビゲイルではあったが、さすがは一国の公妃というべきか、到着して一時間で何事もなかったかのように取り繕うと早速会見に臨もうとする。
とは言え、長旅のせいでさすがに少々煤けていたし、そのうえ長らく苦しむ馬車酔いのためにげっそりと窶れているのは隠せなかった。
それでも彼女はファルハーレン公国の公妃然とした態度を崩すことなく、終始毅然とした態度を取り続ける。
そして会見用に建てられた大きめのテントの中で緊張の面持ちを隠せずにいると、遂にケビンが姿を表したのだった。
「お初にお目にかかる。私がブルゴー王国女王エルミニア・フル・ブルゴーが夫、ケビン・コンテスティだ。よしなに頼む」
テントに現れた途端、形式など無視してケビンはそう告げる。
するとアビゲイルは、まるで伺うように注意深く彼の姿を見つめた。
年の頃は30過ぎくらいだろうか。
ここモンタネル大陸では珍しい黒い髪に黒い瞳。そして浅黒い肌。
お世辞にも体格に恵まれているとは言えず、見たところ身長は170センチ少々にしか見えない。
確かに鎧の上からでも鍛え抜かれた体躯なのはわかるが、そんなに驚くほどとは思えなかった。
事実、体格だけなら自分の専属騎士の方がふたまわりは大きいだろうし、見た目にも威圧感がある。
あの「魔王殺し」の異名を持つほどの人物なのだから、よほど筋骨隆々の大男を想像していたが、まるでそれには当てはまらなかった。
そんな少々肩透かしを食らったアビゲイルではあったが、一切顔に出すことなく口上を述べる。
「私はファルハーレン公国公王エンゲルベルト・バルナバス・ファルハーレンの妻にして公妃でもあります、アビゲイル・ベルトラン・ファルハーレンでございます。そしてこちらが私の息子であり公子でもあるユーリウス・エンゲルベルト・ファルハーレン。 ――此度は不躾な訪問とご挨拶を、何卒お許しくださいませ」
そう言って軽く頭を下げたアビゲイルではあったが、ケビン同様それも形式から外れた作法だった。
どうやら彼女はケビンの思惑をくみ取ったらしく、意図してそれに合わせてきたようだ。
実のところケビンは、この場を公式な場にするつもりはなかった。
それは何故なら、この先の話がどのように転がっていくか皆目見当が付かなかったからだ。
これまで仮想敵国とさえしてきたファルハーレンから、突然保護を求められたのだ。
しかしこれまで全く想定すらしていなかった、まさに降って湧いたような話に、彼とて正解を持ち合わせていなかった。
これまでのアストゥリアとの因縁を鑑みれば、その身内とも言えるファルハーレンを助けるなど広く世論の理解は得られない。
とは言うものの、ここで恩を売ってファルハーレンを抱き込めば、今後の対アストゥリア戦略を有利に進めることができのも事実だ。
対して、ここで彼らを人質にとり、今後の対ハサール戦略を有利に進めることもできるし、その逆に保護して恩を売ることもできる。
さらにそのどちらも選ばずに、このまま放り出すのもアリだ。
その場合、彼らはアストゥリア軍やカルデイアの残党に襲われるかもしれないが、そんなことはこちらの知ったことではない。
とは言うものの、心情的には彼らを助けてやりたいとは思う。
亡国の危機に瀕して、必死に逃げ惑う母と子。
この二人には自身の妻や子どもたちの姿が重なってしまい、決して他人事とは思えなかった。
しかしケビンには、それ以上に重要な使命があるのだ。
長引く遠征により兵は疲弊し、補給も尽き、増援も見込めないこの状況において、可能な限り早くカルデイアの首都を落とさなければならない。
その現状を鑑みた場合、彼らを保護するのも人質に取るのも余計な手間としか思えなかった。
そう思った途端、ケビンは全てが面倒臭くなり、そこで思考を止めてしまう。
その後もしばらくケビンはアビゲイルと話を続けていたが、終ぞその考えを翻すことなく、遂に結論を出したのだった。
そしてその重い口を開く。
「確かにあなたたちの窮状は理解できるし、助けてあげたいとも思う。さらに言えばハサール王国まで送り届けるのも吝かではない。 ――しかし実際我々には余裕がないのだ」
「えぇ……? そ、それでは……」
「遠く他国まで遠征しながら、十分な補給も得られない現状、あなた達を抱え込む物的、心理的余裕ははっきり言ってない。大変申し訳無いのだが、ここは――」
表情を消し去り、今や淡々と語り始めたケビン。
その彼が全てを語り終わる前に、すでにアビゲイルには落胆の表情が浮かんでいた。
そしてその顔にケビンがチクリと胸を刺されていると、ふとその後ろに目がいった。
あれは魔術師だろうか。
特徴的な灰色のローブに身を包んだ、若い女性――いや、未だ少女と言っても過言ではない――が佇んでおり、ケビンのことをジッと見つめていたのだ。
いや、正確に言うならその瞳は「ジッと」ではなく「ジトッと」していた。
そしてケビンと目が合った途端、ニヤリとほくそ笑んだ。(≖ᴗ≖ )
金糸と見紛うような輝くプラチナブロンドの髪に、深く透き通るような灰色の瞳。
まるで神の造形かと思うような整った顔に、気が強そうにキュッと上がった細い眉。
その顔をケビンは何処かで見たことがあった。
しかしそれがいつ、何処でなのかが咄嗟に思い出せない。
とは言え、彼にはファルハーレンにもハサールにも知り合いなど一人もおらず、唯一心当たりがあるとすれば、それは今現在ハサール王国で両親とともに幸せに暮らしているはずの――
「はああああああああああ!?!?!?!?!?」 (((;°Д°;))))
突如降って湧いた、壮絶なまでの答え合わせ。
その事実に勇者ケビンは、貼り付けていた無表情をかなぐり捨てて突然大声で叫び出したのだった。








