第274話 まさかのノープラン
前回までのあらすじ
敵兵は「ぬこ」の餌になってしまうのか!? それとも焼かれる!? 待て、次号!!
まさに「ロリババア」と表現するのが適当な、いつまでも若々しい容姿を保ち続けるリタの母親――エメラルダ。
その彼女の遺伝子を色濃く受け継ぐリタは、とっくに成人を迎えた15歳にしては少々幼く見える。
まさに8頭身かと見紛うような小さな顔と細く華奢(しかし巨乳)で可憐な姿は、小柄な体躯も相まってまるで妖精と言っても過言ではなく、初見の者であればまず間違いなく二度見三度見するほど愛らしかった。
そんな絵に描いたような完ぺきな美少女のリタではあるが、ここ数日ずっと機嫌の悪さを隠そうともしていない。
たれ目がちの二重の瞳は鋭く細められ、特徴的な細い眉はキュッと吊り上がり、小さく愛らしい口はずっとへの字に結ばれたままだ。
そして不用意に話しかけようものなら、「あ゛ぁ!?」などと即座に威嚇される始末だった。
そんな彼女に対して、周囲の者たちはまるで腫れ物に触るように接した。
しかし中にはそんな空気など全く読まずに、変わらず話しかけてくる者もいる。
それはラインハルトだった。
この次期ハサール王国東部辺境候にして次代のラングロワ侯爵家当主は、そんなリタに対して普段から無神経とも言える態度で接しており、その時も変わらぬニヤニヤ笑いとともに軽口を叩いた。
「おいリタ。ここ最近ずいぶんと不機嫌だが、なんかあったのか?」
「……うるさいですわね。あなたには関係ないでしょう? ほっといてくださいまし」
「しかし関係あるんだな、これが。お前の機嫌の悪さのせいで、ここ最近皆がピリピリしててな。はっきり言って良くない傾向だ」
「……」
「まぁもっともこの俺様には、おまえが何に苦しんでいるのかはわかっているけどな。 ――確かにそれは人に言ったところで解決できんだろう。しかしこの俺様であれば多少の手助けくらいならできるかもしれん。どうだ、ん?」
そう言いながら、ラインハルトがリタの顔を覗き込む。
いつも自信に満ち溢れたどや顔は、普段のリタであればイラっとしたかもしれない。
しかし今の彼女はそうではないらしい。
その証拠に一瞬戸惑うような仕草を見せたかと思うと、縋るような目つきでラインハルトを見つめたのだ。
するとラインハルトは、断りもなくいきなりリタの腹に手を当てた。
「で? どの辺が痛いんだ? この俺様が優しく摩ってやろうじゃねぇか。 ――言っておくが、これは特別だからな。フレデリクには絶対内緒だぞ?」
「えっ?」
「えっ? じゃねぇよ。なんだお前、腹が痛ぇんだろ? 違うのか?」
「はぁ? お腹が? ――別に痛くなんてないですけれど……?」
いきなり異性に腹を触られたことなどすっかり忘れて、思わず疑問を口にするリタ。
その顔には思い切り胡乱な表情が浮かんでいた。
すると負けじとラインハルトもその顔に怪訝な表情を浮かべる。
「なんだ? 俺はてっきり腹が痛ぇものだとばかり――」
「なぜお腹が? まったく意味がわかりませんけれど……」
変わらず胡乱な顔のままリタが質問を繰り返す。
するとラインハルトは表情を一変させると再びどや顔になった。
「なぜって……そりゃあお前、あれだ。女の機嫌が悪くなるのはアレしかねぇだろ? アレだよアレ。言わせんな恥ずかしい」
「……アレ? アレ……ア……あ゛ぁ!?」
言わんとすることを突如理解したリタは、凄まじい勢いでラインハルトの手を振りほどく。
そして全く予備動作もないまま、渾身の右ストレートをその左頬に叩き込んだ。
その動きはまさにあのジルを殴り倒したときに匹敵するほど鋭く、且つ力強かった。
ばきぃ!!!!
「うぐぁ!!!!」
「言うに事欠いて、いきなり乙女に何さらすんじゃい!! この無神経ハゲがっ!!!!」
きりもみ状に身体を回転させながら、激しく地面を転がるラインハルト。
それは決して身長153センチの小さく華奢(しかし巨乳)な少女に殴られたとは思えないほどの威力だった。
もちろんそれはただの拳ではなく、無詠唱魔法――ゼロ距離からの空気弾を纏わせたものだが、見た目には素手で殴ったのと変わらないため、誰もがその意外な腕力に驚いていた。
「ぬぉあぁぁぁぁ……」
うめき声を上げながら、頬を押さえて悶絶するラインハルト。
その姿をまるで汚物を見るような目で一瞥したリタは、最早興味を失ったとばかりに踵を返して立ち去っていく。
ドスドスと今にも音が聞こえてきそうなほど大股で歩く背中には、今や誰も声をかける者はいなかった。
その表情からもわかる通り、実際リタは不機嫌だった。
もともと彼女は先遣隊としてハサールを発った時からずっと機嫌が悪かったのだが、これまでそれを巧妙に隠していたのだ。
しかしここ数日は遂にその努力すらしなくなり、周囲に対して盛大に負の感情を巻き散らかしていた。
それではいったい何に対してそんなに腹を立てているのかと問われれば、それは単純なことだった。
それは――ジルの存在だったのだ。
騎士になりたいと願う幼馴染のカンデのために利用したとはいえ、これまで取るに足らない存在としか見ていなかったジル。
その彼との和解を促すような、嫌がらせとしか思えないラインハルトの企てもそうだったが、すっかり変わってしまったジルの態度も気に入らなかった。
まるで猪のような厳つい顔と、筋肉の塊のような巨大な体躯をしているにもかかわらず、自分の前では小さく丸くなり、おずおずと小声で挨拶を交わしてくるジル。
常に顔色を窺うようにチラチラと視線を寄越しながらも、決して話しかけてこないジル。
そこには以前のような最早バカかと思えるほどに突き抜けたところは微塵もなく、その言動全てが暗く辛気臭かった。
それだけでもリタをイラつかせるのに十分だったが、その後に知らされたジルの抱える心の闇は彼女の心を沈ませたのだ。
あの決闘事件については一切リタに落ち度はない。
浅はかなジルの一目惚れから始まったあの事件は、彼女としては降りかかる火の粉を必死に振り払っただけだったし、その後の襲撃も同様だ。
その結果多くの人間が命を落とす羽目になったが、そんなことはリタの知ったことではなかった。
まさにジル、そしてアンペール侯爵の自業自得としか言いようのないその結末は、つい先日まですっかり忘れていた。
それは彼女にとってはその程度の価値しかなかったからなのだが、ジルの弟の話を聞かされたリタは、彼に自身の弟――フランシスを重ねてしまったのだ。
間接的にではあるが、何の罪もない7歳の少年を殺してしまった。
その事実は重くリタに伸し掛かり、鬱々とした心情を持て余してしまう。
結果、今やジルに対するもののみならず、自身の感情にすらイラつきを隠せなくなったリタは、次第にその捌け口を求めるようになっていったのだ。
そんな時に、長年の宿敵ともいえるアストゥリア兵が現れた。
それは今世――リタとなってからは初めて相見える相手だが、その変わらぬ灰色に赤のワンポイントが目立つ軍服は、前世のアニエス時代に腐るほど蹴散らしてきた相手だ。
ブルゴー王国の宮廷魔術師になってから百年以上に渡り殺し殺されてきた彼らに対し、今やリタは欠片ほどの慈悲も持ち合わせてはいなかった。
確かに兵たちに罪はない。
彼らとて上からの命令で動いているだけなのだし、国に帰れば妻も子も、そして両親だっているだろう。
しかし殺らなければ殺られるのが世の常だ。それはジルの弟の時とはまるで事情が異なる。
それはなにも自分たちが望んだことではなく、突如降りかかってきた火の粉に他ならない。
弱肉強食のこの世界。生き残るために障害は全力で排除しなければならず、たとえそれが望まぬものであったとしても、むざむざ殺されるのは馬鹿げている。
その想いに駆られたリタは、無意識にその口角を上げていく。
美しくも愛らしいその顔に、罠にかかった獲物を見つめる猟師の如き笑みを浮かべると、まるで舌なめずりをするように小さな舌で唇を舐めた。
「ふふふっ……そろそろこの逃避行にも飽きてきたところでしたのよ。渡りに船とはまさにこのこと。 ――それではお言葉に甘えて、ひと暴れさせていただこうかしら。うふふふふ……さぁ、覚悟なさいませ」
『渡りに船』
今のリタにとっては、目の前のアストゥリア兵たちはまさにその言葉通りだった。
それは何故なら、自身のやり場のない感情の矛先をずっと求めていたからだ。
そしてまさに恰好の八つ当たり先を見つけたリタは、その顔にここ数か月で一番良い笑顔を浮かべたのだった。
「お前らはファルハーレンの者たちだな!? 武器を捨てておとなしく投降しろ!!」
隊長と思しき一際大柄な男が、威勢よく声を張り上げる。
するといったいどこにこれだけいたのかと思えるほどの人数が、砦の中と周囲の森の奥から集まってきた。
そしてリタ一行の周囲を完全に包囲してしまう。
ざっと見ただけでもその数は100を下らず、28名しかいないファルハーレン側は今や絶望的な状況だ。
勇ましく抜刀しているとは言え、騎士たちの顔には決死の覚悟が見えたし、今回が初実戦の若き騎士――ミカル・ベントソンなどは武者震いと称しながらも己の手の震えを抑えることができずにいる。
しかしそんな中でも、普段とそう変わらない者がいた。
それは誰あろう、リタとロレンツォとラインハルトだった。
彼らは皆一様に肩の力を抜いたまま、じわじわと包囲を狭める敵兵を眺めているだけで、特に行動を起こす様子すら見せない。
リタはニンマリとした妖艶な笑みを浮かべて、ロレンツォは「さて、どうしたものか」と思案顔で顎に手を当て、そしてラインハルトは「ヒャッハー!! 汚物は消毒だぁ!!」と今にも叫びだしそうな顔をしていた。
するとリタに隊長ルトガーが問いかけてくる。
その顔にはすでに死を覚悟した者特有の表情が浮かんでいた。
「それでだ、リタ嬢。見たところ敵の数は我々の5倍はいる。そのうえ剣を捨てろと警告された。 ――どうしたらいい!?」
ずこーっ!!
あまりと言えばあまりの問いに、思わずズッコケそうになるリタ。
しかし瞬時に気を取り直すと、呆れ顔で答えた。
「ルトガー隊長……まさかそこまで私にお訊きになりますの? 一応は貴方が隊長なのですから、貴方がお決めくださいませ。 ――で、隊長。訊くだけお訊きしますが、貴方はこの状況をどう見ますの?」
「あ? そ、そうだな……あまりに敵が多すぎるし、この人数で乱戦は無謀と言うほかない。とは言え、この馬車列をつれて正面突破も無理だろう。 ――しかし剣を捨てるなどもってのほかだ。騎士の名誉にかけて、それは絶対にありえん!!」
「……で? 具体的にはどうなさるおつもり?」
「……」
「まさか……ノープランですの?」
「面目ない……」
「……」
まさかと思いつつ聞いてみると、本当にそのまさかだった。
そのあまりの現実に眩暈がしたリタだったが、直後に姿勢を正した。
「ふぅ……仕方ありませんわね。それではこの私が特別にこの場を締めて差し上げますわ。 ――その代わり、どのような結果になりましてもご批判はお受けいたしかねます故、あしからず」
大義名分、隊長ルトガー自身にこの場を任されたと理解したリタは、未だがなり続ける敵隊長に向かって真っすぐに歩き出したのだった。








