第263話 不機嫌な出陣式
前回までのあらすじ
リタ……お前けっこう面白い奴だったんだな……知ってたけど
未だ朝靄も明けやらぬ早朝のハサール王城。
その広間に先遣隊に選ばれたメンバーたちが続々と集まっていた。
もちろんその中には国王肝入り人事であるところのリタの姿もあり、今は愛しの婚約者と暫しの別れを惜しんでいるところだ。
肝入りとは言うものの、それは他の者たちには伏せられていた。
その思惑はどうであれ、先遣隊の表向きは近衛騎士団副団長のルトガー・ハッシャーを中心とする部隊となっており、あくまでリタは戦闘時のサポート要員となっていた。
そのため作戦行動中は、隊長ルトガーの指示に全て従わなければならない。
とは言うものの、そもそもリタ――アニエスは他人を押し退けてまでリーダーシップを発揮するようなタイプではない。
それどころか、魔術師の例に漏れず彼女も個人主義的な質なので、もとより部隊を率いることは得意ではなかった。
その証拠に過去の魔王討伐の折には、隊のまとめ役はケビンが担当しており、最年長者であるにもかかわらず、アニエスは出しゃばることなくサポート役に徹し続けた。
しかしどうやら、国王ベルトランの真意はそうではないらしい。
彼が言うには、融通が利かず、どうしても正面からの力押しになりがちな騎士団をさりげなくフォローしつつ、リタには好きに動いてほしいとのことだった。
もちろん隊の秩序を守るのは当然だし、表向きとは言え隊長の指示にも従わなければならないが、いざという時には自身の判断を優先してほしい。
そして手段の如何にかかわらず、必ずやアビゲイルとユーリウスを連れ帰ること。
それが彼の指示だった。
今作戦における先遣隊は、一応はルトガーを隊長とする体裁をとってはいるが、結局のところベルトランは、全てをリタの好きにさせたかったらしい。
そうすることによって作戦の成功可能性を少しでも引き上げたかったのだろう。
それは裏を返せば、それだけリタを評価し、信頼している証拠であって、他の誰にも託すことのできない希望をリタに委ねたということだった。
そんな思惑を知ってか知らずか、瞳を潤ませ、頬を染めながら愛する婚約者と絶賛見つめ合い中のリタだったが、突如背後から声をかけられた。
そしてそこに居並ぶ面々を見た瞬間、その表情が一変する。
突如変わった凄まじい目つきで睨みつける先にいた者――それは次期東部辺境候にして次代のラングロワ家当主、そして将来の義弟でもあるラインハルト・ラングロワだった。
そしてその後ろを歩く大柄な男は――
「おぅ、リタ!! ちょっとお前に話が――ぬわぁぁぁ!!!!」
バリバリバリッ!!!!
どごーんっ!!!!
「うわぁー!!!!」
「な、なんだっ!! なにが起こったぁ!!!!」
「のわぁー!!!!」
突如響き渡る、鼓膜を破るような激しい爆発音。
同時に直視できない眩しい光が満ち溢れ、それとともに王城広間に悲鳴が響き渡った。
中にはあまりの衝撃に腰を抜かす者まで出る始末で、その場の誰もが一体何が起こったのか理解できずにいる。
周囲に充満する焦げた臭いと真っ黒な煙。そして悲鳴と絶叫。
次第にそれが晴れてくると、その中心に一人の少女が姿を現した。
そして叫ぶ。
「ラインハルト様!! 何故に……何故にそのような者がここにいるのです!?」
少々甲高く、透き通るような美しい声音。
神がかり的に整った面差しと成人女性としては些か小柄で華奢(しかし巨乳)な体躯。
動きやすいパンツスタイルではあるものの、如何にも貴族令嬢然とした高貴な佇まい。
そう、それは言うまでもなくリタだった。
その彼女が、まさに般若の如き表情を浮かべながらラインハルト一行に指を突き付けていたのだ。
その彼女が尚も叫び続ける。
「念の為にお訊きしますが、よもやその者も同行者ではありませんわよね? もしもそうであるなら、貴方のユーモアセンスを心底疑ってしまいますわ!!」
まるで詰るようなリタの言葉。
しかしラインハルトはそんなことにはまるでおかまいなしに、思い切り大声で叫んだ。
「と、突然なにしやがる、この野郎!! 危ねぇじゃねぇか!! こ、殺す気か!!!!」
「ギャーギャーうるさいですわよ、このスカポンタン!! さっさと訊かれたことにお答えくださいまし!! ――返答次第によっては、本当に殺して差し上げてもよろしくてよ!!」
特徴的な細い眉を跳ね上げて、目を三角にして怒りまくるレンテリア伯爵家令嬢リタ。
まさに淑女然とした直前まで様子からはまるで想像できない変貌ぶりに、周囲の者たちは皆開いた口が塞がらない。
それと同時に、なぜこんな小さく華奢(しかし巨乳)な少女がこの遠征メンバーに敢えて選ばれたのかを理解した。
一般に魔法とは、長々とした呪文詠唱の後にやっと発動されるものだと理解されている。
しかもその威力は術者の能力により千差万別で、場合によっては剣で直接斬りつけたほうが早い場合もあるほどだ。
特に近衛騎士などのように己の腕一つで成り上がる者たちにしてみれば、魔法とは訳のわからない少々眉を顰めるようなものでしかなかった。
しかし図らずもその威力の一端を見せつけられてしまった彼らは、瞬時にリタの存在を認めざるを得なくなってしまう。
そして本物の攻撃魔法のあまりの威力を目の当たりにして、思わず唾を飲み込んでしまうのだった。
誰の目にも留まらなかったが、実のところリタは、咄嗟に雷撃を放っていた。 ――もちろん無詠唱で。
そして凄まじいまでの閃光と爆音を上げながら文字通り周囲を煙に巻いた。
それはまるで衝動的かつ直情的な行動に見えていたが、その実彼女はしっかりと周囲に気を配っており、その証拠に電撃は牽制のようにジルの足元に着弾していたし、周囲の誰にも怪我を負わせたりすることもなかった。
そんなリタに向かってラインハルトが口を開く。
彼にしては珍しく、その顔は少々青ざめていた。
「て、てめぇ……ま、まぁいい。 ――それで、こいつの話だったな。おぅ、ご明察だ。察しの通り、こいつもお前らの護衛の一人だ。 ――腕のほどはこの俺が保証する。なんてったってこの俺様が手塩にかけて育て上げた逸材だからな。泣いて喜べ」
「な、何考えてるのよ……あなたって本当にいい性格してますわね!! 腕の立つ護衛なら他にもたくさんいるでしょうに、よりによって彼を選ぶ必要はないでしょう!! ――一体どういうおつもりなのかしら!? まさか本当に嫌がらせではありませんわよね!?」
「何言ってやがる!! 誰を護衛に選ぼうと勝手にしろって言ったのはお前だろうが!! いまさらそれを女みたいにグジグジぐだぐだ言ってんじゃねぇよ!!」
「あぁ!? なんじゃとぉ!? そもそもわしは女じゃ、このバカちんがぁ!!!! なんなら証拠を見せちゃろうか、おぉ!?」
「そんなもん、見たくなんぞないわ!! このロリ巨乳がっ!!」
「ぬぉー!! だから、乳をネタにすんなや!!!!」
一触即発。まさに今にも掴みかからんばかりのリタとラインハルト。
するとその間に割って入る者がいた。
もちろんそれはフレデリクとロレンツォで、彼ら二人ともが何処か諦めたような顔をしながら止めようとする。
「リ、リタ、もうやめなよ!! とにかくラインハルト殿の話を聞いてあげようよ!! 少し頭を冷やして――」
「お、落ち着いてください。そう頭ごなしに怒鳴られては、余計にリタ様の頭に血が昇って――」
彼らの必死の努力にもかかわらず、一向に怒鳴り合いをやめようとしない将来の義姉と義弟。
今や呆気にとられた周囲の者たちまでもが遠巻きに見つめる中、突如その背後から声をかけてくる者がいた。
「ラインハルト様……それにリタ様。 ――もとより私がこの場にいるのが悪いのです。責められるべきは私であって、あなた方同士ではありません。ですからどうか、言い争いはおやめください」
突如その場に響いた、低くくぐもった声。
滑舌が悪く、些か聞き取りにくいその声は、間違いなく何処かで聞いたことがあるものだった。
その声にリタとラインハルトが同時に振り向くと、彼はそこにいた。
それはジルだった。
ハサール王国前東部辺境候嫡男にして、次期東部貴族家筆頭とかつては謳われた巨漢の男。
とある事情により廃嫡された挙げ句に、市井に平民落ちした貴族家子息。
年齢こそリタ、エミリエンヌと同じく今年16歳になる彼だが、その巨躯と彫りの深い顔立ちのせいで凡そ同い年に見えないうえに、ここ最近の騎士見習いとして殴られ続ける日々の中で、その風貌は余計に大人びて見えた。
そのジルが巨体を丸めながら、何処かおずおずとした仕草でその身を晒す。
するとリタが即座に反応した。
「ジル!! 腐れ外道のくせして、いったいどの面下げて私たちの前へ現れようと思ったのかしら!? ほんの少しでも良心が残っているなら、決してその顔は見せられないはずではなくって!?」
「ジ、ジル……君は……」
今やラインハルトに対するものが生易しいと思えるほどに、凄まじい目つきで睨みつけるリタ。
しかしその表情とは裏腹に口調そのものは落ち着いており、その様は不思議と冷静にすら見えた。
むしろその横に呆然と佇むフレデリクの方が動揺を隠せずにいるほどで、まるで対象的な二人の様子に、ラインハルトもロレンツォもどう声をかければよいのかわからない。
するとジルが再び口を開く。
その厚ぼったく細い瞳は、決してリタを見ることはなかった。
「どの面……そうですね、確かに仰るとおりです。今さらあなた方の面前に顔を出せる義理でないのは十分承知しております。そして不快に思われる気持ちも」
「そこまでわかっていながら、何故ここに姿を現したのかしら!? 普通の神経をしているなら、二度と私達の前には姿を見せられないはず。 ――ラインハルト様に誘われたから!? それともこの作戦に志願して、起死回生を狙うつもりだとでも!? ――もしそうであれば、随分と虫のいい話だこと。虫唾が走りますわね!!」
「……」
実を言うとジルは、あの事件の後これまで一度も謝罪をしていなかった。
もちろんそれはリタたちに合わせる顔がなかったというのもあるが、そもそも彼には、リタたちに会う伝手がなかったのだ。
片や武家貴族家筆頭にして西部辺境侯爵家の嫡男。片や財閥系貴族の名門伯爵家令嬢。
そんな彼らに対して今や一介の平民にすぎないジルが面会など申し込めるわけもなく、どれほど頑張ったところで果たされるわけもなかった。
もっとも彼に伝手があったとしても、フレデリクはどうであれ、リタは決して会おうとはしなかっただろうが。
する気がないのか、できないのかはわからないが、リタの剣幕に一切の言い訳もしないままひたすら身を小さくするジル。
その彼に尚もリタが言い募る。
「それで!? まさか本当にこの私の護衛を申し出るわけではありませんわよね!? もしもそのまさかであるのなら、どれだけ恥知らずで、どれだけ面の皮が分厚くていらっしゃるかと本気で感心するところですわ!! ――どうなんですの!?」
ひたすら自身を詰り続けるリタに対して、それでもジルは決死の覚悟で口を開いた。
「そ、そのまさかです。私は貴女様の護衛をするためにこの隊に参加しました。そ、それは国王陛下もご存知です……。あ、貴女様はこの姿を見る……いや、この声を聞くことすら不快であるのは重々承知しております。 し、しかし、何卒、何卒お許しいただきたく!!」
「っ……!!」
興奮のあまり全身を小刻みに震わせながら、それでも何かを言い募ろうとしたリタだが、既のところで飲み込んだ。
そしてその小さな口を大きくパクパクと意味もなく動かしていると、ジルの背後から見知った顔が現れた。
それはリタのオルカホ村での幼馴染――カンデだった。
ベテランの近衛騎士や強力な魔術師、そして手練れの密偵たちの醸す雰囲気に飲み込まれそうになっていた彼は、ジルとは別の意味で身体を震わせていた。
それでも彼は、必死にリタに食らいつく。
「リ、リタ様!! お願いでございます!! 貴女様とジルとの間には容易に解くことのできない蟠りがあることは、この私も十分に理解しております!! そしてそれを忘れてほしいなどと、決して口が裂けても言えないのもわかっているのです!!」
今やジルとともに、同じ同期として騎士見習いの道を歩むカンデ。
その経緯はもちろんリタも知っていたし、陰ながら応援していたのも事実だ。
そして憎きジルがカンデの友として、仲間として、そして盾として、ずっと先輩騎士のいじめから守ってくれていることも知っていた。
さらに言えば、そんなジルに対して心の底では感謝していたのも事実だ。
しかしそれとこれとは全く別の話であって、ジルが過去に仕出かした事実を「はい、そうですか」と許せるわけなどあり得るわけもなかった。
果たしてなんと言い返せばいいのだろうか。
一瞬リタが迷った隙に、再びカンデが言葉を差し込んでくる。
「確かにこいつは、口が悪くてぶっきら棒で、粗野で乱暴で頭だって良くありません。そして過去には取り返しのつかないことをしてしまったのも事実です。だけど……だけど……こいつは良い奴なんです!! 決して悪人なんかじゃないんです!!」
「カンデ……」
「だから……だから……お願いです!! 何卒……何卒ジルの同行をお許しいただけないでしょうか!? このとおりです!!!!」
言いながらカンデは、硬い石畳の床にその額を擦り付けた。
今では平民と貴族という明確な身分差があるとは言え、年下の、しかも幼少期の幼馴染の少女に向かって、プライドを捨て、卑屈に土下座せざるを得ないその思いは如何ばかりか。
しかも自分自身のことではなく、友人のためにしているのだ。
確かに彼には普段からジルに守られているという負い目があるのかもしれない。しかしそれとてジル自身に課された使命であることを鑑みれば、決してカンデにそこまでのことをすべき義務はないはずだ。
にもかかわらず、彼にそこまでのことをさせたジルへの友情、そして信頼は恐らく本物なのだろう。
そこに思い至ったリタは、思わず肩の力を抜いて小さく鼻息を吐く。
そしてジルに向かって言い捨てた。
「すでに陛下の許可をもらっている以上、最早私から言うことはありませんわ!! 同行したければ勝手にすればよろしいでしょう!! ――ただし言っておきますが、私は私で自身の身は守れますので、今後一切話しかけないで下さいまし!! よろしいですわね!?」
「リ、リタ様……」
「もう、何をボサッとしているのです!? ほら御覧なさい、あなたのご友人が地に額を擦り付けているではありませんか!? あなたも彼の友人だと自負されるのであれば、さっさと起こして差し上げてはいかがですの!?」
「あっ……あぁ……」
その言葉にハッとしたジルは、慌ててカンデを立ち上がらせようとしゃがみ込む。
そして半ば強引に頭を引き上げているのを見ながら、再びリタが言葉を投げた。
「ふんっ!! とにかく今はそのご友人に感謝なさい!! そして彼にそこまでのことをさせてしまった自身の業の深さを、悔いることね!!」
そう言うとリタは、最早興味を失ったとばかりに身を翻してその場から歩き出す。
そして今や不機嫌な顔を隠そうともせず、むっつりと黙り込んでしまうのだった。
こうしてある意味波乱含みの幕開けとなった先遣隊の出陣ではあったが、その後は特に問題もなく街道を南へ向かって進み始めた。
その内訳は、近衛騎士10名、密偵2名、攻撃専門魔術師2名、補助魔術師1名、その他護衛3名からなる総勢18名であり、その人数は戦闘を行うには些か心もとないものではあったが、もとより任務が要人の救出であることを鑑みれば、それは程よい機動性が確保されているとも言えた。
そんな中、長年の相棒であるユニコーンのユニ夫に跨ったレンテリア伯爵家令嬢リタは、変わらず終始不機嫌なままだった。
そして同行する護衛役のジルとは、未だ一言も口を聞かないままだという。








