第255話 王家の引っ越し
前回までのあらすじ
仲睦まじいことはいいことですな。来年あたり、もう一人産まれるかもね(白目)
形式的な戴冠式も終わり、夫ケビンとの仕事の分散も軌道に乗った頃、やっとエルミニア王女一家の引っ越しが行われた。
当たり前のことではあるが、歴代の国王一家はブルゴー王城に住んでおり、当のエルミニア本人もケビンと結婚するまではそこに住んでいた。
もっとも彼女の母親――ジャクリーヌ・トレイユが亡くなる3歳までは離宮に隔離されていたのではあるが。
それはさておき、とっくに即位も終わって新女王としての仕事も始めていたにもかかわらず、なぜ今までコンテスティ公爵家の屋敷に住み続けていたのかと問われれば、それは前国王イサンドロの妻――エグランティーヌを慮ってのことだった。
国王が亡くなりました。
あなたはもう王妃ではありません。
だから出ていってください。
などと、夫の死に悲観するエグランティーヌに喪も明けぬうちから告げるわけにもいかなかったし、彼女の今後の身の振り方も決めなければならない。
さらに離宮には側妃のウルリケも住んでいるので、同時に彼女の処遇も考えなければならなかった。
とは言え、二人は粛々と自身の運命を受け入れた。
イサンドロの死を告げられた時には、さすがの二人も取り乱し、悲嘆に暮れたのだが、時間の経過とともに徐々に落ち着いていったのだ。
恐らくそれは、彼女たちが一人ではなかったからだと思われる。
確かに正妃と側妃の関係ではあったが、イサンドロの妻としての地位を共有する二人には、互いに共感できる部分があったようだ。
その証拠にイサンドロの死以降、彼女たちの距離は急速に近づいていき、最後には一緒に一晩中飲み明かすほどの仲になっていた。
そのような経緯もあり、王国府から督促される前に二人は自ら進退を決めて王城から出ていったのだ。
ちなみにエグランティーヌは実家のモンテルラン公爵家には戻らず、離宮に入って先王の未亡人としての生涯を送る道を選んだ。
そして側妃のウルリケは、実家のヘルツェンバイン伯爵家に戻ると、形見分けしてもらった財産をもとに悠々自適の生活を始めたのだった。
そんなわけでやっとエルミニア一家は王城に引っ越せることになったのだが、その猶予はたったの1日しかなかった。
しかもできれば半日で終わらせてほしいとも言われていたのだ。
それ以上は国政が滞ってしまうと散々事務方から脅しをかけられていたので、夫婦揃って慌ただしい時間を過ごすことになってしまった。
そのためエルミニアは、以前から隙間時間を見つけては持っていくもの、置いていくもの、捨てるものの選別を進めて屋敷の者たちにその指示を出してきた。
ちなみに夫のケビンはこの手のことが本当に苦手らしく、当初彼に丸投げした時には屋敷中のものを持っていこうとしたらしい。
さすがにそれには盛大にダメ出しをしたエルミニアは、結局自身主導のもとに準備を進め、遂に今日その日が来たのだった。
「わぁーい!! 引っ越し、引っ越しぃー!! 新しいお家ぃー、楽しみらねぇ!!」
3歳三女のロクサンヌは今日も朝から元気だ。
母親譲りの天真爛漫な青い瞳を輝かせて、「るるらららぁー」とばかりにドレスの裾を膨らませてクルクルと回っている。
そしてそれを眺める先々代国王であり祖父でもあるアレハンドロが、その愛らしすぎる姿に思い切り眦を細めていた。
さらにその横には、アーデルス公爵家の女主人にしてアレハンドロの茶飲み友達でもあるエルシュ・アーデルスの姿も見える。
彼女はエルミニア夫妻の4ヶ月になる四男リオネルを腕に抱きながら、同じような笑みを浮かべていた。
現在アレハンドロは、王城から徒歩で30分ほどの屋敷に隠居している。
しかし娘夫婦の王城への転居が決まった途端、自分も離宮に住むと言い出した。
もちろんそれは隠居した未亡人――エグランティーヌとは違うもう一棟の離宮であって、現在は誰も住まない空き家になっている。
なぜ唐突にそんなことを言い出したのかと思えば、それは孫たちの近くにいたかったかららしい。
とは言え、今もそれほど離れていない場所に住んでいるのだからそれで十分なのではないのかと思ってしまうのだが、アレハンドロに言わせるとそれでも遠すぎるそうだ。
彼の理想を述べるなら、常に孫たちを視界に収めていたいとのことだった。しかしその真意は少々違っているようだ。
決してアレハンドロは言おうとしないのだが、どうやら彼は次期国王――エルミニア夫婦の長男クリスティアンに自ら帝王教育を施したいらしい。
そのため容易に行き来できるように、同じ敷地内に住むことを希望したのだ。
王家に生まれた子息女が幼少期から帝王教育を施されることを考えれば、今年11歳になるクリスティアンは些か歳を取りすぎていると言えた。
しかしここに至るまでに、父ケビンからは剣技や騎士の心得などを、そして母エルミニアからは貴族としての常識から礼儀作法に至るまでの一般知識を、そして家庭教師からは基礎教養から始まる学問全般を学んでいたため、特に悲観する必要はなかった。
両親に似て聡明なクリスティアンは、それら全般について優秀な成績を残していた。さらにその中でも、特に剣技について非凡な才能を見せつけたのだ。
その強さは同年齢の貴族子息のなかでも抜きん出ており、世辞抜きに「さすがは魔王殺しの息子だ」と言われるほどだったのだが、それが彼のプレッシャーになっているのも正直否めない。
父親同様クリスティアンも「魔力持ち」として認定されている。
しかしその才能はケビンの「勇者」レベルに遠く及ばず、あくまで一般的な水準に留まっていた。
とは言え、ケビンの能力が常人を遥かに凌駕する異常なレベルであることを鑑みれば、凡人でしかないエルミニアの子でもある彼の能力はむしろ立派と言えたのだが。
そんなわけで、魔力持ちと言いながら父親のような勇者にはなれず、かと言って魔術師になれるほどでもないクリスティアンに対して、以前からアレハンドロは思うところがあったらしい。
しかし彼がこの度正式に次代の国王となるのが決まったことから、アレハンドロは孫息子の教育に残りの人生を捧げようと思い立ったのだ。
そして将来立派な支配者になれるようにと、己の持つ全てのものを教え込もうと希望に燃えていたのだった。
屋敷の引き上げが一通り終わると、その足でエルミニア一家は新居――ブルゴー王城へ向かった。
まさしくゾロゾロといった様子で総勢10名にもなる一家が王城に到着すると、すでに正門前には大勢の重鎮と役人、そして使用人たちが迎えに出ていた。そして、皆口々に歓迎の意を口にした。
突如大勢の視線に晒された子どもたちは、その顔に緊張と恐れを浮かべてしまう。
特に5歳次男のアルフォンスなどは、恐怖のあまりエルミニアの後ろに隠れてしまうほどだった。
そんな子どもたちの姿を見た途端、それまで些か緊張気味だった使用人たちの顔にも笑顔が見え始める。そして興味津々にその姿を見つめていた。
これが次期国王かと長男クリスティアンを値踏みする者、双子の兄妹リオネルとクリステルに感慨深い視線を送る者、9歳長女ヘルミーナと7歳次女カタリーナの愛らしさに目を奪われる者とその反応は様々だったのだが、そこへ小さな二人が飛び出してくる。
「よろちくお願いいたちましゅ、なのれす!!」
「だーしゅ!!」
それは3歳三女ロクサンヌと1歳三男コンスタンだった。
ともに母親似の彼らは、同じような銀色の髪と真っ青な瞳、そして真っ白な肌をしており、その二人が手を繋いで頭を下げる様子は、まるで天使が舞い降りたのかと思うほどだ。
そして甲高く舌足らずな声で挨拶する姿は、全ての者たちの微笑みを誘っていた。
数年に渡って世継ぎ問題に揺れた前国王イサンドロから一転、すでに次期国王となるべき長子のみならず、その下にも7人もの子を持つ女王エルミニア一家は、ブルゴー王城から熱烈な歓迎を以て受け入れられた。
そしてその日以降、王城に響く幼い子どもたちの声は、それまで暗く沈んでいた雰囲気を払拭するとともに、この先に繋がる明るい未来を予感させたのだった。
――――
モンタネル大陸の南西部、小中規模の国家がひしめくその中に、ひときわ国土の大きな国がある。
それは北をハサール王国に、そして南をブルゴー王国に挟まれたアストゥリア帝国なのだが、その国名には少々曰くがあった。
皇帝を頂点とするアストゥリアは、その名が示すとおり複数の国家を従える帝政を敷く国だ。
しかしそれも今や過去の話でしかなく、今では属国ひとつ持たない「名ばかり帝国」と化している。
その歴史は古く、過去に遡るとハサール王国やブルゴー王国よりもその成り立ちは古い。
そもそもその二国が急ぎ国の体裁を整えたのも、当時急激に勢いを増していたアストゥリアに対抗するためだったし、その時から始まった小競り合いは現在も続いている。
とは言うものの、未だにアストゥリアと揉めているのはブルゴー王国だけだ。
北のハサール王国とは数度に渡り政略結婚を繰り返し、今では互いに親戚を自認する同盟国となっていたからだ。
ちなみにハサール国王ベルトランの妻マルゴットは、前皇帝の長女にして、現皇帝の妹だ。
そんなアストゥリア帝国の帝都タタルスカでは、今まさに国家の行く末をかけた会議が開かれていた。
それは皇帝エレメイ・ヴァルラム・アストゥリアを中心に複数の重鎮、役人からなるもので、もうすでに夜も遅い時間だというのに皆真剣な面持ちを崩せずにいる。
「――というわけで、カルデイアはブルゴーを本気で怒らせたようです。もとよりこの二国の間には過去の出来事により深い溝があったのですが、此度の国王暗殺により、その関係は決定的なものになりました」
「それはつまり?」
「はい。ブルゴーは間違いなくカルデイアを滅亡させるつもりです。すでに勇者ケビン自らが戦に出るとの噂も聞き及んでおりますゆえ、まず間違いないかと」
「そうか……そうであるなら、余計に計画を急がねばなるまい。 ――今以上に貿易を拡大するのであれば、海のない我が国においても海路の確保は欠かせぬ。それはまさに喫緊の課題なのだ。そのためにカルデイアに攻め込む準備をしていたというのに……このままではブルゴーに彼の地での覇権を許すことになってしまう。 ――早急になんとかせよ!!」
「お言葉ですが、皇帝陛下。我が軍を西進させるためには、その間に広がるファルハーレン公国に横断の許しを得なければ――」
「許しだと……? いまさらか!? その交渉にもう何ヶ月費やしていると思っているのだ!! いつまでも言うことを聞かぬというならば、実力を以て行使すると伝えよ!!」
「し、しかし……ファルハーレンには陛下の姪御様――アビゲイル様が嫁いでいらっしゃいます。にもかかわらず、もしも無理に軍を進めたりすればハサールのベルトラン国王がなんと言うか……」
「そうですぞ、陛下。確かに我が国とハサールは同盟を結んでおりますが、実の娘と義理の兄とを比べた場合、ベルトラン国王が前者をとるのは火を見るよりも明らか。 ――もしそうなれば、最早ハサールは敵対国と成り果てますぞ」
自分に対して必死に説得を試みる臣下たちを目の前に、アストゥリア帝国皇帝エレメイ・ヴァルラム・アストゥリアは、その顔に残忍な笑みを広げた。
そして言い放つ。
「それがどうしたというのだ。 ――アビゲイルと言ったか? 義弟ベルトランの娘になど、生まれた時に一度会ったきりではないか。そんな娘など、いまさら顔すら思い出せんわ。 ――ふむ、決めたぞ。皆の者よく聞け!! 今すぐファルハーレンに遣いを出し、交渉の決裂を伝えよ!! そして全軍をなだれ込ませるのだ!! ――我が意に背く者たちの末路を、身を以て教えてやろうではないか!!」
その言葉に部屋中の者たちが顔を強張らせたのだが、決して異を唱える者はいなかった。
そして一瞬で静寂が支配した会議室内に、低い笑い声だけが響き渡ったのだった。








