第253話 下された鉄槌
前回までのあらすじ
あぁーあ、ペネロペ……おわた。
バキィッ!!!!
「うがっ!!」
追い詰められたペネロペは、隠していた胸の内を思い余って叫んでしまう。
すると次の瞬間、その顔に拳がめり込んでいた。
丸腰のセブリアンに油断していたのだろう。まるで避ける間もなく、彼の拳を顔面で受け止めてしまったのだ。
盛大に鼻血を撒き散らしながら地面に倒れるペネロペ。
しかしセブリアンは情け容赦なくその身体に馬乗りになると、左右の拳で尚も殴り続ける。
ゴキッ!!
「ギャッ!!」
バキッ!!
「あうっ!!」
バグンッ!!
「ウギャ!!」
ひたすら無言のまま、悪鬼の如き形相で拳を叩きこんでいくセブリアン。
そんな鬼気迫る姿を眺めこそすれ、咄嗟に止める者はいなかった。
しかし直後に正気に戻ると、皆口々に主人の名を叫んだ。
「あぁ、お嬢様が!!」
「ペ、ペネロペ様!! へ、陛下、おやめください!!」
「へ、陛下、いけません!! 手を放して!!」
専属騎士から始まって、お付きのメイドや部屋女中に至るまで部屋中の者たちが集まってくる。
彼らは皆一様に叫びながら、二人の間に割って入ろうとしたのだが、突如ある人物に立ち塞がられてしまう。
それはゲルルフだった。
この暗殺者集団「漆黒の腕」の首領は、突如姿を現したかと思えば、ペネロペを救おうとする連中の邪魔をしたのだ。
誰一人通さんとばかりに行く手を阻むその姿は魔獣と見紛うほど巨大で、2メートルを超える身長と筋肉の塊のようなその肉体は、護衛騎士すら小柄に見えるほどだった。
そんな誰もがたじろぐような大男が、口元に皮肉そうな笑みを浮かべながら立っていた。
「ふふふ……落ち着きなされよ。このくらいでは人は死なん。精々鼻が潰れるくらいのものだ。 ――それにしても、止めに入るなどあまりに無粋。お主らもカルデイアの臣下と自認するなら、多少は陛下の想いを汲んでやったらどうだ? 惚れた女が殺されたのだ。その犯人が目の前にいたとなれば、一発や二発殴りたくなる気持ちもわかろうというもの。 違うか?」
「な、なにを言う!! 邪魔をするな、そこを通せ!! さもなくば――」
その言葉と同時に、護衛の騎士が音を立てて腰の剣を抜き放つ。
するとゲルルフは、それまで浮かべていた笑みを消し去ると、突如真顔になった。
「さもなくば……なんだ? ……死ぬぞ」
剣を抜いてもいなければ、拳を握ってさえいないのに、ゲルルフには殺気が溢れていた。
それは本職の騎士のみならず、戦いに関してはまるで素人のメイドや執事にさえわかるほど強烈だった。
その迫力に彼らが後退っていると、再び顔に皮肉そうな笑みを戻したゲルルフが言い放つ。
「とは言え……まぁ、この辺でやめておこう。このままではせっかくの別嬪が台無しだからな。せめて顔に傷が残る前に止めてやる。ふふふ……」
そう言うとゲルルフは、ペネロペに馬乗りになっているセブリアンを力任せに引き剥がした。
そして宰相に向かって、無造作にその身を放り投げたのだった。
「宰相殿。悪いがあとはお任せする。なにせこの場を締めるのは、あんたの仕事だからな」
「うぅぅ……ごほっ、げほっ……うぅぅ……」
「くそぉ……ペネロペめぇ……!!」
顔面から大量の血を流し、最早自力で起き上がることさえできないフーリエ公爵家令嬢ペネロペと、その姿を激しく肩を上下させながら睨み続ける大公セブリアン。
実のところ彼はまだペネロペを殴り足りていなかった。しかし立ち塞がるゲルルフのせいで近づけずにいたのだ。
もっともすでに柘榴のように成り果てた血塗れの拳では、これ以上どうすることもできなかったのだろうが。
直前まで全員のヘイトを集めていたゲルルフだったが、この時ばかりは彼に感謝する者すらいた。
何故なら、今や彼のおかげでペネロペが助かったと言っても過言ではなかったからだ。
見ればすっかり容姿が変わってしまった、哀れなペネロペ。
高く美しかった自慢の鼻は潰れて血を噴き出し、両頬は大きく腫れ上がっている。頬の一部が陥没しているところを見ると、頬骨が折れているのかもしれない。
薄緑色の輝くような瞳は真っ赤に染まり、その周りは輪の形に青黒く変色していた。
恐らく前歯が折れているのだろう。
半ば裂けかかった唇からは白いものが幾つも覗く。
その彼女をメイドたちが必死に手当てしていると、宰相ヒューブナーが声をかけた。
いつもの彼らしくもなく、その声には多分な怒気が含まれていた。
「ペネロペ様。そのようなお姿になったことを、本当に痛ましく思います。 ――ですが敢えて言わせていただければ、それは自業自得というものです。おわかりですね?」
「うぅぅぅ……な、なにを……おのれぇ……たかが宰相の分際で……」
前歯が折れて唇が裂けたせいで、まさしく「ふがふが」としか声が出せないペネロペではあったが、それでもその物言いには思うところがあるようだ。
すでにセブリアンが遠く離れた今となっては怖いものもなくなったらしく、必死に身体を起こすと小声で反論を試みた。
しかしそれにはまるで耳を貸そうともせず、尚もヒューブナーが滾々と告げる。
「陛下のお怒りは貴女にもよくおわかりになられたでしょう。そのようなお姿にされながら、それすらもわからぬと仰るのであれば、本当に救いようがないと申すもの。それはおわかりですね?」
「……」
「とは言え、それをご理解し、剰え謝罪されたところで、最早あなた様が許されることはないでしょう。それはジルダ殿を死に追いやったことのみならず、この国の命運すら決定付けてしまったことへの報いなのですから。 ――これもおわかりですね?」
「め、命運……らと……? なんら、しょれは……」
「そうですか、おわかりになりませんか……ふぅ……あなた様の頭の中は、本当にお花畑なのですね……あまりと言えばあまりに救い難いお方だ。 ――よろしいですか? 此度の一件は最早あなた様個人の問題ではないのです。事は我がカルデイアとブルゴーとの間にまで発展しているのですから」
「なに……? い、意味がわからにゅが……ごほっ、ごほっ……もっとわかりやすく言いなしゃい……」
「わかりやすく、ですか。ふむ……それでは……この戦は意図的にだらだらと引き延ばすつもりでした。何故なら、慣れぬ遠征に苦しむブルゴーの出血を意図的に強いるのが目的だったのですから。そして相手の方から撤退、もしくは和平の申し出をしてくるのを待っていたのですよ」
「……」
「にもかかわらず、愚かにもあなた様は敵将――ブルゴー国王などという決定的な人物を殺してしまった」
「わ、私はしょんなことはしておりゃぬ!! 私は殺してなどいない!!」
「いいえ。あなた様がやったも同然です。ここで幾ら言い逃れをしたところで、その結果は変わりません。 ――それで、国王を殺されたブルゴーは、今後どうすると思われますか?」
そこまで言われてしまえば、如何に頭の中がお花畑のペネロペでも察しがついてしまう。
突如ハッとした顔をしたかと思えば、その顔に真っ青に染めた。
とは言え、顔中に包帯を巻かれた彼女の表情は、今では読むことすらできなかったが。
それでもペネロペは、必死に声を絞り出す。
その声は今や絶望に染まっていた。
「しょ、しょれは……まさか……」
「そうです。やっと察しがつきましたか。 ――最早ブルゴーは絶対に引くことはありません。それこそ全力を挙げてこの国を潰しにかかるでしょう。そして陛下の首を取りに来るのです。 ――ところで伺いますが、イサンドロ国王亡きあと、その王座には誰が就くとお思いで?」
「……」
「ふう……本当に嘆かわしいことです。将来の大公妃などと嘯きながら、その実敵国の事情にすら疎いとは……いいですか? せっかくですからお教えいたしますが、ブルゴーの次期国王は前国王の妹――エルミニア王妹殿下です。そしてその夫は――」
「……」
「勇者ケビンです」
「えっ!!」
その名を聞いた途端、さすがのペネロペも事の重大さを悟ってしまう。
如何に世俗に疎い彼女であってももちろんその名は知っていたし、これまで何を成してきたかも十分理解していたからだ。
そんな化け物のような男が、ブルゴー軍を率いてこの国に攻め入ってくるのだ。
その様を想像するだけで、ペネロペには絶望しか思い浮かばなかった。
「さすがのあなた様でも、その名は聞いたことがあるでしょう? そしてこれまで彼が何を成してきたのかもご存知のはず。 ――彼は今までイサンドロ国王と上手くいっていなかった。だから此度の戦にも姿を見せていなかったのです。 ――それなのに、それなのに……」
「うぅ……」
「あなた様のせいですよ!! 遂に「魔王殺し」が出てくることになってしまったのです!! せっかく和平を結んで茶を濁そうと画策していたというのに、あなた様の馬鹿さ加減によって本気で相手を怒らせてしまった!! 事の重大さが、貴女にはおわかりですか!!」
未だ結婚していないとは言え、ペネロペは将来の大公妃であることに違いはない。
しかしヒューブナーは、その彼女に向かって情け容赦なく罵声を浴びせる。
その姿は、普段の彼からは想像できないほど感情的だった。
そして一気にまくし立てて肩で息をしていると、その続きをセブリアンが引き継いだ。
「ペネロペよ。今の話がわかったか!? 貴様のせいで、カルデイアは滅亡の危機に瀕することになったのだ!! どのように責任を取るつもりだ!? あぁ!?」
「しょ、しょんな……しょんな……私は……私はただ……ジルダを……」
事態の深刻さにやっと気づいたペネロペは、腫れ上がった顔を真っ青にしながら呟いた。
とは言え、包帯に巻かれたその顔を見ることはできなかったが。
それでも彼女がまるで独り言のように後悔の言葉を吐いていると、再びセブリアンが口を開いた。
「そんなにこの俺と結婚したいのであれば、望み通りにしてやろう。ジルダを殺した憎きお前を、望み通り大公妃として迎えてやろうじゃないか。 ――しかし絶対にお前とは子は作らぬ。離宮に閉じ込めて、一生飼い殺しにしてやるからそう思え!!」
「えぇ!! そんな……そんな……」
「とは言え、この国があとどのくらい持つのかはわからぬがな。恐らくブルゴーに――いやケビンにこの国は滅ぼされるだろう。本気で奴は俺の首を取りに来るのは間違いないのだからな。 ――そしてペネロペ、敗国の妃の行く末はお前にもわかるだろう? 衆人環視のもとで、まるで見世物のようにその首は刎ねられるのだ。 ――お前が望んだことなのだ。お前にはこの俺と、そしてこの国と運命をともにしてもらう。わかったな!? いまさら否やはないのだ!!」
「そ、そんな……うぅぅ……あぁぁぁぁ……うあぁぁぁ……あぁぁぁ……」
文字通り心と身体を打ち据えられたペネロペは、最早声もなく泣き崩れるしかなかった。
そしてその姿を、セブリアンもヒューブナーも、そして周囲の者たちも、全員が無表情に見つめていたのだった。








