第251話 今日も今日とて茶が美味い
前回までのあらすじ
ゲルルフ……お前絶対面白がってるだろ。
カルデイア大公国大公の居城、ライゼンハイマー城。
一国の元首が住まうにしては地味すぎるその一角に、ひとつだけ雰囲気の異なる部屋がある。
よく言えば質実剛健、悪く言えば田舎臭い他の部屋に比べてそこだけ妙に垢抜けて、広さも倍はあるように見えた。
恐らく部屋の主の趣味なのだろう。
その部屋だけ真新しい壁紙が貼られ、床にはふかふかの絨毯が敷かれ、天井には巨大で豪奢なシャンデリアが吊るされている。
値段を訊くのも憚られるような、豪華な応接セットが部屋の中央に置いてあり、そこに一人の貴婦人が腰かけていた。
座っているのでよくわからないが、見たところスラリと背の高そうな妙齢の女性だ。
高く結い上げた薄茶色の髪と緑がかった瞳が美しく、豊かな胸とやや大きめの臀部は、健康な男であれば誰もが目で追ってしまうほど肉感的だった。
そんな誰が見ても美しい19歳のフーリエ公爵家令嬢――ペネロぺ・フーリエが、お気に入りの専属メイドを相手に午後のティータイムを楽しんでいた。
「うふふふ、ジルダ……つくづく馬鹿な女だこと。まさかこんなに首尾よく事が運ぶとは思わなかったわ。 ――それにしても、上手くいきすぎて少し怖いくらい。ねぇロース」
「はい、私もそう思います。さすがはお嬢様ですわ。その智謀には頭が下がる思いでございます」
「ふふふ……そんなに褒めても何も出ないわよ。とは言え、この城に詰めてもう半月。そろそろ一度領地に戻らなければいけないわね。戻ったらあなたに三日間のお休みをあげる。たまには実家に顔でも出してらっしゃいな」
「まぁ、お嬢様!! それはありがとうございます!! ですが三日もペネロペ様のお世話ができないなんて、私としては少々――」
「いいのよ、気にしなくても。あなたの実家――ブラーウ侯爵家は、我がフーリエ閥の中でも特に重要な家ですもの。時々は機嫌伺いくらいしておかなくちゃね。それに婚姻の儀が済んでしまえば、ともにこの城に住むことになるのよ。然う然う実家には帰れなくなるわ」
「……そうですね。それではお言葉に甘えまして。 ――いつもお気にかけていただき、ありがとうございます。このような素晴らしいお方のお世話ができることに、心から喜びを感じますわ」
「うふふふ、ありがとう。いいのよ、遠慮なんてせずとも。私とあなたとの仲じゃない――」
いつもと変わらぬティータイム。
高価なティーセットを惜しげもなく使い、カップに満ちる琥珀色の液体を満足そうに眺める次期大公妃ペネロペ・フーリエ。
茶に関して並々ならぬ拘りを持つ彼女は、わざわざ自領から取り寄せた茶を今まさに味わっているところだ。
さらに首都中のカフェや甘味処から茶菓子を取り寄せては、ああでもない、こうでもないと批評をするのが最近のマイブームらしく、今も新作のクッキーを満面の笑みで頬張ろうとしていた。
その姿を見る限り、戦時下などというものは、どうやら彼女にとって遠い世界の話らしい。
忙しく人々が行き交う城内とは対照的に、その部屋の中だけはゆったりとした時間が流れていた。
戦準備の手伝いとの名目でやって来ていたペネロペではあるが、セブリアンどころか他の者たちにもまるで相手にされていなかった。
それどころか、そんな暇などないと云わんばかりに避けられる様子は、完全に邪魔者扱いだ。
暇を持て余した彼女は、城内を散歩しているか、庭を散策しているか、部屋で茶を飲んでいるか、菓子を食べているかのいずれかでしかなく、最早ここにいる意味すら全く不明になっていた。
それならさっさと実家に戻ればいいと思うのだが、役立たずとして返されたと思われるのが癪だったために、意味もなくその場に留まり続けていたのだ。
そんな時にジルダの懐妊を知った。
結婚してもいないのに、側妃の方が先に妊娠してしまったものだから、さすがのペネロペも腸が煮えくり返る思いだった。
しかし、次第にこれを良い暇つぶしだと思い始める。
恵まれた美貌と容姿、押しの強い性格、そして持って生まれた身分の高さによって、昔からペネロペは人心を手玉に取るのが得意だった。
時に甘え、時に賺し、そして時に脅しては自分の思い通りに相手を操って来たのだ。
とは言え、ジルダは生粋の暗殺者だ。
さらに諜報員などという、言わば人を操るプロに対してそう簡単に事が運ぶとは思えなかった。だから彼女は、精々嫌がらせにでもなればいいと思っていたらしい。
しかし実際に試してみると、面白いように騙されてくれた。
人を騙す商売をしているにもかかわらず、良い意味でも悪い意味でも純粋なジルダは、まさしく思惑通りに動いてくれたのだ。
そしてあっさりと死んでくれた。
それも勝手に。
「ふふふ……あぁ愉快。なにが暗殺者よ。なにが諜報員よ。勝手に自滅するだなんて……本当に聞いて呆れるわ。 ――馬鹿じゃないのかしら」
「なにか仰られました?」
「いいえ、なにも。ただの独り言よ。 ――うふふ……さすがはロースね、今日のお茶もとても美味しいわ。それにこのクッキーがまた絶品なの。お土産に買って帰ろうかしら」
他人の不幸は蜜の味。
まさにそんな面持ちで質の悪い笑みを浮かべるペネロペ。
その彼女が、有名甘味処のクッキーを摘みながらお気に入りの茶を啜っていると、突如部屋の外から叫び声が聞こえてきた。
あまりの様子に騎士とメイドが外の様子を伺うと、直後に彼らは直立不動になってしまう。
その様子にペネロペが胡乱な顔をしていると、突如それは現れたのだった。
「ペネロペェェェ!!!! そこにいたか、貴様ぁぁぁぁ!!!!」
「へ、陛下!! お待ちを!! 落ち着いてください、陛下!!!!」
カルデイア大公国宰相ヒエロニムス・ヒューブナー。
前大公の時代からこの国の難しい舵取りを任されてきた彼は、続く気苦労のせいですっかりハゲ散らかしていた。
僅かな髪を未練がましく残しているが、いっそ全て剃り上げたほうがマシと思えるほどその髪型はおかしく、未だ50歳にもなっていないのにもかかわらず、深く刻まれた眉間のしわと艶のない肌、そして少ない頭髪のせいで優に10歳は年上に見える。
そんな宰相が、まさに必死の形相で一人の男を追いかけていた。
運動不足と肥満のせいで足元も覚束ないその様は、歩き始めたばかりの1歳児のようにも見え、走れども走れども一向に距離が縮まらない。
それでも彼は縺れる足を懸命に動かしながら、何とか追いつこうとしていた。
一体誰を追いかけているのかと思ってみれば――言うまでもなくそれは、カルデイア大公のセブリアンだ。
どこから持ってきたのかわからない両刃の剣を右手に持ち、言葉にすらならない叫びを上げながら部屋の中へと走りこんでくる。
そしてペネロペの姿を認めた途端、顔に憤怒の表情を湛えた。
「ペネロペェェェ!!!! よくも……よくもジルダを!! 貴様ぁ!! 殺してやる、そこへ直れぇ!!!!」
「ひぃっ!!」
悪鬼の如き表情で、思い切り剣を振り上げるセブリアン。
その姿にペネロペが悲鳴を上げていると、間に専属の護衛騎士が割り込んでくる。
「へ、陛下!! 何事でございますか!? な、何卒、何卒おやめ下さい!! 陛下!!」
「えぇい、邪魔だ、どけぇっ!! 俺はペネロペを殺しに来たのだ!! 邪魔立てするなら、貴様ごと斬り捨てる!! どけぇっ!!!!」
「陛下!!」
あまりの剣幕に己の息が上がっていることさえ気付かずに、大声でセブリアンは怒鳴り続ける。
その瞳は見開かれ、口は大きく開けられたまま、ただひたすらにペネロペに向かって凄み続けた。
そんなカルデイア大公に向かって、こちらも必死の形相でペネロペが叫んだ。
「へ、陛下!? な、何事でございますか!? お、おやめくださいませ!!」
己から「何事か」と尋ねておきながら、その実事の顛末を承知しているペネロペは、それでも敢えて訊き返す。
しかしその顔は、本気でセブリアンを恐れているように見えた。
「い、いったい私が、な、な、何をしたと仰るのです!? お、お願いでございますから、少し落ち着いてくださいまし!!」
「落ち着けだと!? ふ、ふ、ふざけるなぁ!! これが落ち着いてなどいられるかっ!! 貴様は……貴様はジルダを殺したのだ!! こればかりは絶対に許せん、叩っ斬ってやる!!!!」
「きゃぁー!!!!」
ギィーン!!
有無を言わさぬ勢いで、容赦なく振り下ろされるセブリアンの剣。
しかし勢いも力もまるで中途半端な太刀筋は、護衛騎士により容易に防がれてしまう。するとバランスを崩したセブリアンは、堪らず地面に転がってしまった。
己の主人として、騎士はペネロペに剣を捧げている。
だからたとえ大公であろうとも、主人に仇なす者は全力で排除しなければならない。
とは言え、彼とてもカルデイアの騎士なのだから、主人の主人――大公セブリアンの剣を弾き、剰え無様に転ばせたことを決して許されるとは思っていなかった。
そんな少々気の毒な騎士が、額から脂汗を流しながら声を上げる。
「へ、陛下、お願いでございます!! そのような無体はおやめください!!」
「何が無体だ、ふざけるな!! 此奴が仕出かしたことの方が、よほど無体だろう!? 違うか!?」
詳しい話もなければ説明もないため、その言葉がまるで理解できない騎士は思わずペネロペを振り返ってしまう。
すると彼女は慌てて叫んだ。
「わ、私は何もしておりませぬ!! ましてやジルダさんを殺そうだなんて、そんなことするわけが――」
「嘘を言うな!! お前がジルダをけしかけたのは間違いないのだ!! 証拠は揃っている!! 最早言い逃れは出来んぞ!!」
「そ、そんな……言い逃れなどと……そもそも私が彼女を殺す理由がありませんでしょう? 何故そのようなことを!?」
「えぇい、白を切るな!! ――ならば訊こう、何故ジルダの懐妊を黙っていた!? 知っていながら何故俺に教えなかった!? それこそが動かぬ証拠であろう!!」
「そ、それは……」
見ただけで人を殺せるほどの鋭い目つきで睨みながら、じりじりとペネロペににじり寄るセブリアン。
変わらず右手に剣を持ち、隙さえあれば斬りかかろうとさえしているが、間に立ちふさがる騎士のせいでそう上手くはいかないようだ。
そんな彼らが一進一退を繰り返していると、そこへやっと宰相ヒューブナーが追い付いてくる。
剥き出しの頭皮から汗を流し、乱れた息で激しく肥満体を上下させながら必死に声を絞り出した。
「お、お待ちを……!! ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……へ、陛下、何卒、何卒、お慈悲を……!!」
「慈悲……慈悲だと……ふ、ふざけるな!! 何が慈悲だ!! 此奴は己の保身のためだけにジルダを陥れたのだ!! ジルダの懐妊に危機を感じた此奴は、ジルダをけしかけたのだ!! そんな奴にかける慈悲などあるわけなかろう!!」
「し、しかし、ブルゴー国王を暗殺したのは、あくまでもジルダ殿の意思であり、彼女の独断なのです!! ――確かにペネロペ様が焚きつけたのかもしれません。しかし決して彼女が頼んだり、命じたわけではないのです。故にその行動は、なんら法に触れてはおりません!!」
「何を言う!! 法に触れさえしなければ、何をやってもいいというのか!! そのような理屈など到底納得できぬわ!! そもそもこの女が唆しさえしなければ、ジルダは死なずに済んだのだ!! 違うか!?」
「そ、そうかもしれません。確かに陛下の仰る通りかもしれません!! しかし、最後に決めたのはジルダ殿自身なのです!! そこを責めるのは、ペネロペ様に些か酷かと――」
「ぬあぁぁぁぁ!!!! うるさい、うるさい、うるさぁーいぃぃ!!!! 何奴も此奴もクソがぁぁぁ!!!!」
恐怖のあまり、今やその身を震わせることしかできないペネロペ。
そんな彼女を尻目に今度はヒューブナーと言い争いを始めたセブリアンではあるが、まるで怒りの矛先を見つけたかのように執拗に食ってかかる。
その様子に少なからず騎士が肩の力を抜いていると、突如セブリアンが振り向いた。
脇目も振らず、ペネロペに向かって一直線に走り出すセブリアン。
小太りで鈍重な見た目に反して、この時ばかりはまさに目にも止まらぬ速さだった。
不意を突かれてしまった騎士が咄嗟に動けずにいると、まるで隙間を縫うようにしてセブリアンが駆け抜けていく。
そして次の瞬間、ペネロペの身体に渾身の力で剣が振り下ろされたのだった。








