第226話 幼馴染の正体
前回までのあらすじ
フレデリクといいラインハルトといい、将来が思いやられますな……
どうしてこんなことになったのだろう。
ただ自分は騎士になりたかっただけなのに。
出来る限りのことはした。しかし結局騎士になることはできなかった。
15歳で田舎を出てから必死に努力をしたが、所詮はコネも人脈もない田舎者の自分には、その入り口にさえ辿り着けなかったのだ。
結婚を誓い合った幼馴染のビビアナには、騎士になって迎えに来ると大見得を切ったが、どうやらその約束も果たせそうにない。
その代わり――というわけでもないのだろうが、騎士と同じように、腕ひとつでのし上がれる職業に就くことができた。
もともとその職業は知っていた。しかし名前を聞いたことがある程度で、どんな仕事なのかはよく知らなかった。
それを教えてくれたのが、現ギルド副支部長のクルスだった。
夢破れて路銀も底を突き、頼る者もおらず路肩に蹲っていた自分を拾い上げると、仕事の世話をしてくれたのだ。
それが冒険者ギルドだった。
普通であればギルド員になるためには厳しい審査を経なければならないのだが、彼が身元を保証するとあっさり認められた。
もしも偶然彼に拾われなければ、とっくに死んでいたか食い詰めて山賊にでもなっていたかもしれない。
――あぁ、そうだ。山賊だ。
確か自分は山賊に殺されたのではなかったか……?
腹に刺された剣が、そのまま背中まで突き抜けたのを鮮明に憶えている。
あの状況で生き延びられるなど到底思えない。恐らく自分は死んだのだろう。
……本当にあっという間の出来事だった。
そのせいで、副支部長に別れの挨拶もできなかった。
副支部長……?
――いや、ちょっと待て。
自分が死んだのはいいとして、果たして副支部長はどうなったのだろう?
足に深手を負って立ち上がることさえできなかった彼を、守ろうとして自分は刺されたのだ。
あぁ、きっと副支部長も死んでしまったに違いない。
あの状況で山賊たちに取り囲まれてしまえば、万に一つも助かる道はないはずだ。
ここはあの世なのか……?
そういえばあたり一面真っ暗な世界だし、なにも音が聞こえない……
……いや、ちょっと待て。何か聞こえるような気がする。
これは……自分の名前か?
……間違いない。誰かが名前を呼んでいる。
この声はいったい誰だろう……?
聞いたことがあるような、ないような……それでいて何処か懐かしい気がするこの声は……いったい……
「あぁ、カンデ!! 気が付いたんだね、よかった!! 本当によかった!!」
薄闇の中で目を覚ますと、ぼんやりとした視界の中に誰かの顔が見えた。
これが夢なのか現実なのか釈然としないカンデは、まるで他人事のようにその光景を眺めてしまう。
しかし次の瞬間、慌てたように口を開いた。
「あっ……お、おかみさん……?」
「カンデ、身体の調子はどう? 何処か痛いところとか苦しいとかない?」
「えっ……?」
薄暗く焦点の合わない視界を覗き込んでくる一人の女性。
薄闇の中に映える燃えるような赤毛と黒い瞳に色白の肌のコントラストが美しく、小柄な体躯と童顔のせいで実年齢よりも10歳は若く見える。
それはギルドの副支部長クルスの妻――パウラだった。
2年前、突然夫が連れ帰ったボロ布のようなカンデを理由も訊かずに迎えてくれたうえに、まるで実の姉のように甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
そしてカンデがギルド員のパスを貰った時には、まるで自分のことのように喜んでくれた。
現在36歳のパウラはカンデの母親と同年代なのだが、敢えて姉と呼んだ方が相応しい外見をしている。
近くで見ればさすがに年齢相応なのだが、少し離れて俯瞰で眺めると、20代半ばと言われても信じてしまう外見だ。
それは彼女が小柄で童顔なのが大きいが、それだけ若々しい証拠でもあった。
しっかり目を見開いているはずなのに、まるで夢の中のように視界が狭い。
夢というには現実的すぎて、現実というにはぼんやりとし過ぎている。
そんな夢と現の狭間で、カンデが小さく呟いた。
「俺は……死んだのか? 生きているのか?」
「何言ってるの? 生きているに決まってるでしょ? それにここはあたしの家だし。 ――あんたは知らないと思うけれど、ある人が助けてくれたのよ」
その言葉にハッとしたカンデは、慌てたように自身の身体を弄る。そして、不思議そうな顔をしながら小さく呟いた。
その顔には何処か釈然としない表情が浮かんでいた。
「生きてるって……だって俺は腹を刺されて……あんな傷を負って生きてるだなんて……」
「信じられないだろうけど、間違いなくあんたは生きてる。これは夢でも幻でもなく、現実なのよ」
優しくやんわりとしたパウラの口調。
そこに嘘や偽りが含まれているとは到底思えない。
これまでの関係を思い返してみても、そんなことで彼女が嘘をつくとは思えなかった。
それでもカンデはその現実を受け止めきれない。
何故なら、意識を失う直前の光景が今でも脳裏に焼き付いているからだ。
間違いなく自分は腹から背まで貫かれていたはずだ。あの状況で生きていられるはずがない。
「えっ……でも……そんな馬鹿な……だって俺は剣で刺されて――あっ、そうだ!! 副支部長は!? クルスさんは無事なんですか!?」
そこで初めて大きな声を出した。
病み上がりのその声は決して大きなものではなかったが、それでもカンデが必死に絞り出した声だった。
するとパウラは、優しい笑みを浮かべながら穏やかに答えた。
「安心して、旦那は無事よ。あんたが守ってくれたおかげで、山賊にやられることもなかったわ」
「そ、そうなんだ……よかった……」
心の底から安堵のため息を吐くカンデ。
まるで自分のことのように安心しきった顔を見たパウラは、大きく顔を綻ばせた。
「あんたはね、本当なら死んでいたのよ。それに旦那も危うく殺されるところだった。それをある人が助けてくれたの」
「ある人?」
「そう、ある人。 ――そうね、あんたを驚かせたいから今は秘密にするけれど、会ったらきっと驚くわよ。意識を取り戻したら教えてくれって頼まれていたから、伝えておくわ」
「……えっ? 知ってる人? 誰……?」
「ふふふっ、今はまだ秘密。 ――そんな変な顔をしないの。あんたもよく知っている人だから、そんなに心配しなさんな」
「……」
パウラの一言をきっかけにして、胡乱な表情を隠せなくなったカンデ。
自分を救ってくれた人物とやらを推測するのに必死で、パウラの語りは半分も耳に入らない。
それでも病み上がりの身では長く起きていることも敵わずに、再びカンデは眠りについたのだった。
結局その後丸半日眠り続けたカンデは、翌日の昼前に目を覚ました。
前日よりも意識ははっきりしており、身体のダルさもマシになったことに安堵しながら、喉の乾きと空腹を覚えてしまう。
試しに身体を起こしてみれば、どうやら立って歩けそうだ。
カンデが矢庭に立ち上がろうとしていると、まるでその様子を見ていたかのように部屋のドアが開いた。
小さなきしみを立てながらゆっくりと開く木製のドア。
その影から小さな顔が覗き見る。
光り輝くプラチナブロンドの髪に、透き通るような灰色の瞳。
美しくも愛らしいその顔は、滅多に見られない美少女だった。
年の頃は10代前半にも見えるのだが、豊かに膨らむその胸はとっくに成人を迎えた大人の女性のようにも見える。
背はパウラよりも高いようだが、それでもその差は数センチ程度だ。
まさにそんな「低身長童顔ロリ細身巨乳金髪縦ロール」を地でいく美少女が、カンデに向かって勢いよく飛び込んでくる。
「あぁ、カンデ!! 目が覚めたのね、良かった!!」
ぎゅー。
ベッドの上に佇むカンデに、まるで躊躇なく抱きつく少女。
見事な胸の膨らみをまるで容赦なく押し当てるその様は、まさに彼女が知人であることを物語っていた。
しかもかなり親しい間柄らしい。
しかしカンデにはどうしても思い出せなかった。
この少女が誰なのか、どんなに記憶を探っても出てこなかったのだ。
もっともその思考の半分以上が、ぎゅうぎゅうと押し付けられる柔らかい胸の感触に邪魔されていたのだが。
相手は自分を知っている。
しかし相手が誰なのか自分にはわからない。
そんな気まずい状況に耐えきれず、ついにカンデは口を割ってしまう。
「えぇと……ごめん、君は……誰……だっけ?」
多大な気まずさと少々の怪訝さを混ぜ合わせた複雑な表情のカンデ。
その言葉とともに勢いよく身体を離した少女は、些か拗ねたような顔で口を開いた。
「えぇ……!? もしかして私がわからないの!? 嘘でしょ!?」
「いや、そのぉ……ごめん。誰ちゃんだっけ?」
胡乱な顔を隠さない少女。
その時カンデの頭には過去に通り過ぎた数人の女性が過ぎったが、何処にもこの少女は出てこない。
しかし彼女は当然のように自分を知っている。
名前を知っているのはもちろんのこと、突然抱きついて来たことからもわかる通り、彼女とはそれなりに親しい間柄のはずだ。
まるでずっと昔から知っているような、何処か懐かしいこの感じは……
懐かしい……?
いや、ちょっと待て。
この顔は何処かで見たことがある。
気が強そうにつり上がる細い眉とは対照的に、ともすれば気が良さそうにも見えるタレ目がちの瞳。
輝くようなプラチナブロンドの髪と、灰色の瞳……
灰色の瞳?
待て待て、もうずっと昔のことだが、その瞳の知り合いがいたはずだ。
それは突如村に現れた自分よりも2歳年下の小さな少女で、名は――
「リタ……? リタ……もしかしてリタなのか、君は!?」
やっとたどり着いたその名前を、しかし半信半疑にカンデが口にする。
するとその少女――リタは些か拗ねたような顔をした。
「カンデ……ちょっと酷くない? 10年ぶりとは言え、あなたの顔はすぐにわかったのに」
「ご、ごめん……そのぉ……記憶の中の君とは随分変わっていたから……今でも信じられないくらいだよ」
「あぁ、それは……」
一言そう漏らすと、リタは納得したように自分の姿を見下ろした。
10年前、オルカホ村で暮らしていた頃のリタは、いつも襤褸布のような服を着ていた。
今の姿からは想像できないほどそれは酷いものだったので、カンデがすぐにわからなかったのも無理はない。
するとリタは、その場でくるりとスカートを翻しながら悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「まぁの。あの頃のわしは本当に酷い恰好をしとったからの。今思い出しても笑ってしまうくらいじゃ。 ――ふふふ、これでどうかしら? あなたの記憶の中では、きっと私はこんな話し方をしていたのではなくって?」
「はははっ。あぁ、そうだ。確かに君はそんな話し方だったな。懐かしい。 ――やっと違和感の原因がわかったよ。どんなに見た目が変わっていても、君がリタなのは間違いなさそうだ」
「ふふふっ、そうね。さすがにこの歳であの話し方はしないわよ。まぁ、時々無意識に出てしまうことはあるけれどね」
「はははっ、そうなんだ。でもやっぱり君なんだな。 ――そんなに綺麗なのに、年寄りみたいな喋り方じゃやっぱりおかしいよ。だけど、やっぱりリタはあの口調のイメージが強すぎるけどな。あはははっ」
「それもそうね。ふふふ……」
昔を思い出しながら、屈託のない笑顔を見せるカンデ。
その姿を眺めながらリタも懐かしそうに笑顔を見せると、それからしばらく昔話に花が咲いた。
すると何を思ったのか、カンデは突然真顔に戻った。
「綺麗だ……本当に君は綺麗になったな。幼い頃の君も可愛らしかったけど、まさかこんなに美人になるなんて思わなかったよ」
まるで見惚れるような視線を向けながら、カンデは感慨深くそう告げた。
そして頭の天辺から足の先まで無遠慮にリタの姿を眺めると、徐に疑問を口にする。
「それはそうとリタ、いま君は何をしているんだい? 両親は健在なのか?」
「えっ、私? 私は…その……」
まるで予想だにしなかったその言葉に、思わずリタは口ごもってしまう。
何故なら、とっくにカンデは自分の正体を知っていると思ったからだ。
しかしどうやら彼は何も知らされていないらしく、子供のような無邪気な顔を向けてくる。
その彼にどう答えようかとリタが悩んでいると、突然後ろから声を掛けられた。
「あらカンデ、もしかして知らなかったの? リタ様のご身分もお立場も、何も聞いていないの?」
決して大きくはないが、少々高めの透き通るような美しい声。
たとえ振り向かなくても、その声の主が誰なのかリタにはすぐにわかった。
もちろんそれはパウラだ。
カンデのために持ってきたのだろう。水の入ったグラスと軽い食事をトレーに乗せて、パウラが部屋の中に入ってきたのだ。
そして答えづらそうにしているリタの代わりに、その問いに答えようとする。
「本人からまだ聞いていなかったのね」
「え? えぇ、まだなにも…… リタ様? ご身分? お立場? いったい何ですかそれ? その言い方って、まるで――」
「ふぅ……カンデ、知らなかったのなら教えてあげる。ここにいらっしゃるリタ様だけれど、あの名門レンテリア伯爵家のご令嬢なのよ。 ――いくらあんたでも、その名前くらいは知っているわよね?」
「えっ……?」
まるで答え合わせのような言葉に、思わずカンデは言葉を失ってしまったのだった。








