第219話 痴話喧嘩
前回までのあらすじ
あぁ……やっぱりこいつか……こいつも脳筋だしな……
「うははははっ、話は聞かせてもらった!! 盗賊討伐などと聞いてしまえば、最早見逃すわけにはいかん!! ここは俺も一枚噛ませてもらうぞ!!!!」
低く響くようでありながら、何処か清々しさも感じさせる独特の声音。
その声はリタが先程聞いたばかりのものだった。
もちろんそれは、ハサール王国東部辺境候――ラングロワ侯爵家嫡男のラインハルトだ。
こっそり話を聞いていたらしい将来の義弟は、やる気満々に自分も混ぜろと要求してくる。
突然の呼び声に咄嗟に振り向くと、リタはその顔にため息混じりの渋い表情を浮かべた。
「ラインハルト様……盗み聞きとは少々お人が悪いですわよ。先程から気配を消しているから何事かと思えば……正気ですの?」
「おいおいリタ嬢……お前、そんなこと敢えて聞くまでもないだろう!? 盗賊討伐と聞いて、この俺様が黙っていられるか!! しかもこのような幼気な子供に力を貸さぬなど、それこそラングロワ家の名が廃るってもんよ!!」
ため息混じりのリタの問いに、鼻息も荒く返事を返すラインハルト。
自分のことを「私」と言い、リタを「貴女」と呼んでいた先程までとは全く違い、今やその口調を些かも取り繕うつもりはないようだ。
もっとも、ラインハルトの眼前で恥も外聞もなく思い切りブチ切れてしまったリタが、いまさらとやかく言う資格もないのだが。
いくら無遠慮に二の腕を揉まれたとは言え、格上の侯爵子息に対して「おまぁ!!」だの「ハゲが!!」などと言い放ったのだ。
さらに前世を彷彿とさせる完全に素の姿を見せたリタに対して、今やラインハルトは敬語を使うつもりすらないらしい。
そんな将来の義弟に向かって、リタは小さくため息を吐いた。
「いいえ、私が申しているのはそういうことではありません。 ――よろしいですか? 貴方様は今日の催しの主役なのでしょう? それなのに、もう一人の主役であるエミリーを放置なさるおつもり?」
「大丈夫だ、問題ない。事は一刻を争うのだ。きっと彼女もわかってくれるはず!!」
「しかし……エミリーにも立場というものが…… それでなくとも私が席を外しているのです。さらに貴方様までとなると、少々――」
「だからと言って、お前のような幼気な女子を一人で行かせるわけにはいかんだろう!? それこそラインハルト・ラングロワの名が廃る!!」
「い、幼気って……」
その言葉に思わず引いてしまうリタ。
ハサール王国史上最年少である弱冠13歳で二級魔術師に認められた彼女ではあるが、本来であれば一級の免状すら貰える実力を誇る。
それは魔術師協会のみならず市井の者たちの間でも有名な話だ。
しかし、若くて見目の良いリタは魔術師協会の話題作りのための絶好の広告塔なのだとして、その話に懐疑的な者が多いのも事実だった。
しかしある出来事によって、その認識は大きく変わっていく。
それはあのジル・アンペールを素手で殴り倒し、さらにアンペール家の屋敷を燃やし尽くしたあの事件だ。
そこで稀代の魔術師の実力を遺憾なく発揮したリタは、王国ナンバー2と言われた武家貴族家を文字通りぶっ潰したのだ。
さすがに話題作りのためだけにそこまでするとは思えなかったので、誰もが彼女の実力を求めざるを得なくなった。
今や彼女を「幼気な少女」などと呼ぶ者もいなくなり、それどころか、一部では「魔法少女リタ」と呼ぶ熱狂的な信奉者も出る始末だ。
小柄で華奢(しかし巨乳)な外見のせいで、ともすれば幼気にも見えるリタ。
しかしその正体は今や王国最強との呼び名も高い女魔術師――魔女であり、その実力は誰も疑う者はいなかった。
そんなリタが、丁寧でありながらも何処か呆れたような言葉を漏らしていると、婚約者及び関係者に許可をもらうためにラインハルトは再び会合の席へと戻って行ったのだった。
「ふぅん……盗賊討伐に行きたい? それで……この後の会食は欠席したいと仰るわけですのね?」
「そうだ!! 事は一刻を争う!! 今説明した通り、リタ嬢の知り合いが――」
「それで? この記念すべき両家の顔合わせの席で、私を一人になさるおつもりだと?」
「あぁ、そうだ!!」
「しかも、いつ戻れるかもわからないと?」
「おうよ!! 盗賊討伐なんてのは、そんなものだ!! そもそも女子供が口を出すような――」
会食が始まるまであと10分。
突然姿を消した婚約者――ラインハルトの姿を探していると、突然彼はエミリエンヌの前に姿を見せた。
そして満面の笑みで笑いかけてきたかと思えば、すぐにでも出かけると言い放つ。
あまりに斜め上の発言に思わずエミリエンヌの顔が般若のようになりかけたのだが、彼女は必死に耐え抜いた。
しかし瞬間垣間見せたその表情は、現西部辺境候であるあの脳筋オスカル・ムルシアさえ尻に敷く母親――シャルロッテを彷彿とさせるものだった。
遠目で見る限りその顔は決して怒っているようには見えず、それどころか、むしろ周囲の者には満面の笑みを浮かべているようにすら見える。
しかしその顔は、近距離から見るとまさに迫力満点だった。
母親に良く似たエミリエンヌは、美しいがゆえに怒ったときの表情はとても恐ろしく、豪胆で有名なラインハルトですら思わず後退りしてしまうものだった。
そんなエミリエンヌではあるが、周囲の者たちの注目を集めているのを十分に承知していたため、敢えて笑顔を絶やさずに会話を続ける。
そして顳顬をピクピクと痙攣させながら、柔らかく口を開いた。
「ラインハルト様……貴方様が仰りたいことはわかります。私とてリタ嬢とは無二の親友であると自負いたしますし、将来の義姉妹になることも決まっているのですから」
「そうか、わかってくれるか!! さすがはエミリエンヌ嬢、その物わかりの良いところも貴女の美点だな!!」
突然顔を輝かせたかと思えば、まるで意味のわからない褒め言葉を言い放つラインハルト。
その顔を見る限り、彼は本気でエミリエンヌを褒めているのだろうが、その発言は誰が聞いても斜め上だった。
そんな婚約者の腕に自身のそれを絡めると、そのままエミリエンヌは話を続ける。
「ですから貴方様の申し出に対して、決して『否』とはお答えできませんわ。 ――それどころか、むしろリタ嬢をお助けいただけますよう私の方からお願いするべきかと」
「おぉ!! それなら、早速――」
「それでは……どうかこちらへお越しくださいませ。少しだけ二人きりでお話をいたしましょう」
そう言うとエミリエンヌは、絡めた腕に力を入れてラインハルトをバルコニーの方へと引っ張っていく。
如何にも仲睦まじいそんな様子を見た周囲の者たちは、多分な微笑ましさと少々の妬みを含んだ視線で見送ったのだった。
「……で? この埋め合わせはどうなさるおつもりなのかしら? ラインハルト様」
バルコニーへと続く扉のドアが閉まっていることを確認したエミリエンヌは、そこからクルリと振り向きざまに婚約者を睨みつける。
そして非難がましい表情のまま再び口を開くと、ラインハルトは胡乱な顔で答えた。
「埋め合わせ? なんだ、それは?」
「埋め合わせは埋め合わせですわ。 ――このような大切な席であるにもかかわらず愛する婚約者を一人ぼっちにするのですから、詫びとして相応の貢物は必要なのではなくって?」
「貢物……? 何だそりゃ? ……なぁ、エミリエンヌ。悪いがもう少しわかるように話してくれないか?」
まるで意味がわからないと言わんばかりの反応に、思わず小さくため息を吐いてしまうエミリエンヌ。
その彼女にラインハルトは胡乱な顔を返した。
「な、なんだよ、そのため息は?」
「……私と出会うまで、貴方様は相当なプレイボーイとして名を馳せていたと聞いております。それなのに女心のひとつもご理解されていらっしゃらないのかと思えば、ため息の一つも出るというものです」
「そ、そんなことはどうでもいいだろ!! それよりも、そんな謎掛けのような真似はよせ。まるで意味がわからん」
「謎掛け……ですって?」
何処か意味ありげなエミリエンヌの視線。
それに些か苛ついたラインハルトは、語気も荒く言い捨てた。
するとエミリエンヌも負けじと苛ついた表情で言い募ったのだが、その言葉には棘があった。
「まだおわかりにならないのですか? ふぅ……なれば敢えて申し上げますが……この私に何か贈り物をしなさいと言っているのよ!! 言わせないでよ、恥ずかしい!! ――なにも高価なものなんていらないの。いま市井で流行っている『タピオカ・ラテ』と『ワッフル・ケーキ』で手を打ってあげようじゃない!!」
「はぁ!?」
あまりに予想外だったのだろう。
ポカンとした顔のまま思わずラインハルトは婚約者を見つめてしまう。
するとエミリエンヌは、男にしては美しいとさえ表現できる彼の視線に照れて赤く顔を染めた。
間が抜けたラインハルトと赤い顔のエミリエンヌ。
この二人が互いの顔を見つめ合ったまま不意に動きを止めたのだが、それでもエミリエンヌの憎まれ口は止まらない。
よせばいいのに、まるで照れ隠しのように紅い唇を尖らせた。
「幾ら剣の腕が立つといっても、婚約者の心すら読めないなんて随分と無粋な男なのね!!」
「はぁ?」
「しかも女の口からこんなことを言わせるなんて、こんな野暮な人だとは思わなかったわ!!」
恐らく照れ隠しのつもりなのだろう。矢継ぎ早に婚約者をディスり始めるエミリエンヌ。
その姿には、彼女の正体――ツンデレ気質が存分に現れていた。
初めは黙って聞いていたラインハルトだったが、ついにその整った眉がつり上がる。
「めんどくせぇーな、おい!! どうして女ってやつは、こうも七面倒くせぇんだよ、ったくよぉ!!」
「なんですってぇ!! 麗しの乙女に向かって『七面倒臭い』ですってぇ!!!! それが婚約者に言うセリフなの!?」
「おうよ!! めんどくせぇからめんどくせぇって言ってんだよ!! グチグチ、ネチネチ、まったく女の腐ったようなヤツだな、お前はよぉ!!」
「お、お、お、女の腐ったようなヤツですってぇ!!!! きぃーっ!!!! そもそも私は女ですから!! それに腐ってもいなければ面倒臭くもないわよ!! なによっ、自分だって戦うことしか頭にない脳筋のくせに!!」
「なんだとぉ!!??」
きっちりと扉が閉められているにもかかわらず、バルコニーで喚く二人の言葉が部屋の中まで伝わってくる。
するとその様子に気づいた親戚連中が慌てたように外へ出ると、今や掴みかかる勢いの二人の間に割って入った。
「一体なんですの!? ふたりとも、おやめなさい!!」
「ラインハルト!! このようなめでたい席で一体何をしているのです!!」
さすがは母親と言うべきか。
二人の間に割って入ったものの、どうすればいいのかわからずに右往左往する者ばかりの中で、真っ先に彼女たちが動き出す。
そして互いの息子、娘の襟首を掴み上げると引きずるように二人を引き離した。
「お、お母様!! これには事情が――」
「お袋!! ちょ、ちょっと待て!! これは――」
「あなた達は何をしているのです!? 今日はあなた達のための顔合わせなのですよ。それなのに、喧嘩などして……一体どういうつもりなのです!?」
「ラインハルト!! シャルロッテ様がお訊きになっているのです。きちんとお答えなさい!! あなた達は何を喧嘩していたのです!?」
片や21歳のラインハルトと、片や15歳のエミリエンヌ。
今やとっくに成人を迎えた二人は、まるで小さな子供のように母親に叱られてしまう。
それでも彼らは言い訳もせずに小さくなっていたのだが、ここまで言われたからには喧嘩の原因を説明しないわけにはいかなくなった。
そして二人は、渋々ながら皆の前で事情を話し始めたのだった。








