第22話 純潔の乙女
前回までのあらすじ
ぬぅーん、ぬぅーん、だばだばだ――でゅびでゅば――
「えぇ。魔女アニエスの居場所を尋ねようと思ってね。彼女なら知っているって聞いたから」
何気に目を細めながらパウラが答える。
気が強そうに少々吊り上がった彼女の瞳は、目の前の幼女の如何なる反応も見逃さないように注視していた。
しかしそんな視線を物ともせずにリタは答える。
「ふむぅ…… おまぁは、なぜしょう思う? なぜわちがその子供じゃと思うのじゃ?」
「そんなの簡単よ。こんな田舎に魔法を使える人間がいるなんて聞いたことないもの。それにあなたのような幼い子供が治癒魔法を使えるのも普通じゃないしね」
「……それでアニエスを見つけてどないしゅる? 誰に頼まれた?」
「魔女アニエスの捜索はギルドからの依頼よ。そしてギルドにはブルゴー王国が依頼を出しているの」
「お、おい、パウラ、さすがにそれは……」
ギルドの組合員として依頼遂行中は、その依頼主や依頼内容について第三者に情報を漏らすのは固く禁止されている。もしもそれを破った場合には厳しいペナルティが課されるのだ。
場合によってはギルドから除名されることもあるほど、その守秘義務は徹底されている。
そしてクルスはそれを心配して口を挟んできたのだった。
しかしそれに対して、パウラは「あたしに任せろ」とジェスチャーを返すとそのままリタと話し続ける。
「ブルゴー王国は自国内のアニエス捜索を行ったものの、結局彼女を見つけることができなかった。だからと言って王国の名前で他国まで出張って行くこともできない。だからあたしたちギルド員に白羽の矢が立ったのよ。ご存知のように、あたし達ギルド員には国境がないからね」
「ふむぅ……」
パウラの言う通り、ギルドの組合員は国を超えて活動できる。
何故なら冒険者ギルドは、どこの国にも属さない独立した組織として各国から認められているからだ。
その代わり組合員は国同士の戦争に関与できなかったり、特定の国の組織に属することが禁止されていたりと制約も多いのだが、その反面ギルドのパスを提示するだけで国境を簡単に越えられるなど、その行動の自由は広く認められている。
もちろん組合員になるには厳しい審査を経なければならないが、ギルド員というだけである程度の信用は得ていると言っていいのだ。
四歳児のリタは、その年齢とは思えないような仕草でパウラの話を聞いていた。
片眉を顰めて顎をさすりながら人の話を聞く幼児など、凡そ見たことがない。
しかしそんな顔をしていても、彼女の愛らしさは微塵も損なわれてはいなかった。
「でもね、転生したアニエスの性別も年齢も、それどころか何処にいるのかすらわからない。だからギルドは支部がある国全てに依頼を出して、虱潰しに探しているのよ」
「……しょれで、アニエスが見つかったら、どないしゅる?」
「もちろん連れて帰るわ、依頼主のブルゴー王国までね。そこまでがあたしたちの仕事だもの。それでアニエス、あなたはどうしたいの? もちろん一緒に行くでしょ?」
「うむぅ……いや、わちはまだ帰られん。ととしゃまと、かかしゃまを置いてはいけんでな」
「ととしゃま、かかしゃま? ――あぁ、両親のことね。置いては行けないの? だってあなたの本当の両親ではないでしょ?」
パウラの言う通り、彼らはアニエスの両親ではない。
しかしこの身体――リタとは血の繋がった本当の両親だ。
だからアニエスとして未練はなくとも、リタとしては彼らと離れることに抵抗があった。
彼らは自分を溺愛している。
奇跡的に病から復活した自分に涙を流して喜んでくれた両親の気持ちを思うと、彼らの前から姿を眩ますのはリタとしては考えられなかった。
それは自分がいなくなった時の彼らの悲しみと絶望が、リタにも痛いほどわかるからだ。
この身体への転生が成功した時、彼女の両親の前では一生リタでいようとアニエスは誓った。
彼女の両親を悲しませるようなことはしない、そう決めたのだ。
だから今すぐ連れて帰ると言われても困ってしまう。
「しかしのぉ…… あにょ二人には世話になっておるし、悲しませるのものぉ……」
「でも、国では国王も勇者も、そして国民も、みんなあなたの帰りを待っているのよ、ねぇアニエス」
「そりはわかっちょろうが……しかしのぅ…… わちは――あっ!!」
何気にそこまで話した時、リタは突然何かに気付いたように顔を強張らせたのだった。
「……な、なんか、随分チョロいわね。凡そ『ブルゴーの英知』と言われるほどの魔女とは思えない迂闊さだけど……」
リタに聞こえないほどの小声で、思わずパウラは呟く。
その顔には若干呆れたような表情が浮かんでおり、その前には慌てて口に手を当てるリタの姿があった。
そう、パウラは鎌をかけていたのだ。
実はオルカホ村に向かった時から彼女の中には予感があった。
それまで魔法とは縁のなかった子供が突然魔力に目覚めることなど滅多にないので、もしかしてその子供自体がアニエス本人なのではないかと疑っていたのだ。
そして実際に奇跡のような治癒魔法を使って見せた姿と、滑舌が悪くたどたどしくはあるが、その妙に落ち付いた年寄り臭い話し方を聞いた時にパウラの疑惑は確信に変わった。
しかし出会って間もない相手に、自らその正体を簡単に明かすとは思えなかった。
そもそも彼女が自分の正体を今まで隠していたのには何か理由があるのだろうと思ったパウラは、正攻法ではなく側面から切り崩しにかかったのだ。
そして手始めに軽く鎌をかけてみたところ、あっさりとそれに引っ掛かったというわけだった。
さすがは集中力の続かない四歳児といったところか。
その間抜けさは、むしろ清々しいほどだった。
「おのれぇ、うかつじゃったわ…… このわちを相手に、おまぁ、なかなかやりおるのぉ」
「いや、それはあなたが間抜け……いえ、なんでもありません。ごほんっ――えー、それでは改めてお尋ねします。あなたは『ブルゴーの英知』、アニエス・シュタウヘンベルクその人に間違いありませんね?」
思わず本当のことを口走りそうになったパウラは、その滑りそうになる口を慌てて閉じると遂に話の核心に踏みこんだ。
するとリタ――アニエスは可愛らしい小さな口からホッと溜息を吐いた。
彼女としても、この期に及んで誤魔化してもしょうがないと思ったのだろう。
「――そうじゃ、わちがアニエスじゃよ。よくじょ見破った。褒めてちゅかわす」
「そ、それはどうも」
「それで、おまぁらはこれから――」
「ほ、本当にお前がアニエスなのか? あの『ブルゴーの英知』と言われる? それにしては随分間抜けじゃねぇか? あんなあからさまな誘導尋問にあっさり引っかかって、まるでアホだろ」
アニエスが何かを言いかけたが、それを遮るようにクルスが言葉を挟んだ。
それまで大人しく二人の会話を聞いていたクルスだったが、凡そ信じられないと言った顔で言葉を漏らしたのだ。
すると、その言葉尻に猛烈な勢いでリタが噛みついた。
「なんじゃとぅ!! 言うにことかいて、アホとはなんじゃ、アホとは!! ええかげんにせんと、どつきまわしゅじょ、われぇ!!」
正面からアホだの間抜けだのと言われて顔を真っ赤にして怒るリタだったが、そんな顔をしていても生来の愛らしさは失われてはいなかった。
怒りのあまり小さな拳でポカポカと身体を叩いてくる幼女を見下ろしたクルスは、その微笑ましい姿に思わず笑ってしまいそうになる。
そして相変わらず舐めた態度をとり続ける大柄な男を、威圧感があると思い込んでいる目つきでリタは思い切り睨みつける。
しかし傍から見ても、その顔もまた可愛らしいものだった。
「ちょ、ちょっと、やめなよクルス!! 今はこんな姿だけど、仮にも『ブルゴーの英知』なのよ!! 少しは敬意を払いなさいよ、バカ!!」
「す、すまねぇ」
「ふんっ。この女子はええが、おまぁのような無神経な男をわちは好かん!! あっちへ行かんね、しっしっ!!」
小汚いとか、間抜けだとか、アホだとか、さっきから自分に対する失言の目立つクルスの印象はリタにとって最悪だった。
そしてそんな男だとは知らずに治癒魔法で助けてしまったことを、リタは本気で後悔したのだった。
夕刻も迫り、そのまま林道で話し込むわけにもいかない三人は揃ってオルカホ村に向かって歩き始める。
しかし大人二人の歩く速度についていけないリタがユニ夫の背中に跨ろうとしていると、その様子を微笑みながら眺めていた二人の冒険者の表情が変わった。
「あ、あの……もしかしてその馬は…… ユニコーン?」
「……だよな、馬の額にあんなもんが生えているわけないしな……」
「ブヒヒン!! ブヒブフー!!」
二人の人間に「馬」と言われたのがよほど気に入らなかったのか、ユニ夫が不満そうに大きな声で嘶いた。
彼は彼なりに馬と一緒にされるのに色々と不満があるらしく、その長い角の生える頭をブルブルと振って不満を表している。
しかしそんなユニ夫の頭を優しく撫でながら、リタが紹介を始めた。
「そうじゃよ。こやちゅはユニコーンの『ユニ夫』じゃ。わちの古い友人でなぁ。よろちく頼む」
「ブヒン、ブフン、ブフー!!」
どうやら気を取り直したユニ夫は、二人に挨拶を返したようだ。
彼は螺旋状にスジの入った長い角の生えた頭を振りながら小さな声で嘶くと、言葉こそ話せないが、人間たちの会話を理解しているような素振りを見せた。
「よろしくね、ユニ夫くん」
そんなユニコーンを珍しがったパウラが頭を撫でようと近づくと、ユニ夫は一目でわかるほど嫌そうに身を捩る。そしてまるで「いやいや」をするように激しく頭を振りながら後退っていった。
「えっ……そんなに嫌がらなくても……」
あまりにも激しく嫌がるユニ夫の姿に、自分が嫌われたと思ってショックを受けたパウラは、その場で小さく肩を落とす。
するとその様子に気付いたリタが口を開いた。
「しゅまぬのぉ。ユニコーンは純潔の乙女にしか触れられぬのじゃ。あぁ……おまぁは無理みたいじゃのぉ」
「純潔……?」
「そうじゃよ、純潔じゃ」
その言葉にピンと来たのか、横からクルスが口を挟んで来た。
その顔には何処かいやらしい笑み浮かんでいる。
「あぁ、聞いたことある。ユニコーンは処女の女にしか触らせないんだってな。――そりゃあ無理なはずだ。残念だが、お前には一生あいつに触れないってことだな」
「処女……」
「はははっ、だってお前、昨夜だって俺と三発も――うごっ!!」
デリカシーの欠片もなく信じられないほど無神経な口を利いたクルスは、左頬にパウラの渾身の右ストレートを食らうとその場に崩れ落ちた。
そんなクルスに、リタは治癒魔法をかける素振りさえ見せなかった。








