第214話 牢の中の勇者
前回までのあらすじ
ぬおー!! このペネロペめぇ、けしからん乳をしおってからに……
「陛下の前から姿を消していただけませんこと?」
「えっ……?」
あまりに唐突な言葉に、思わずジルダは固まってしまう。
低く腰を下げた不格好な姿勢のまま、手に持った書類の束を無意識に握りしめた。
それはセブリアンに頼まれた大切なものだった。にもかかわらず、最早そんなことさえ忘れてしまうほどジルダは頭の中が真っ白になっていたのだ。
普段は細く鋭い瞳を、この時ばかりは大きく見開くジルダ。
そんな彼女を小さく鼻で笑うと、尚もペネロペは口を開いた。
「いやですわ、単なる冗談ではありませんか。そのような顔をなさらないでくださいまし」
「……」
「ふふふっ……なんて顔をしていらっしゃるのです? それではまるであなたを虐めているみたいではありませんか。 ――いいですこと? あなたがどう思っているのかはわかりませんが、私はあなたと仲良くしていきたいと思っているのですよ?」
「仲良く……?」
「そう――仲良く、ですわ。立場は違えど、言うなれば私達は家族なのです。私は正妃として、あなたは側妃としてこれから大公陛下に支えるのですから」
「……」
「とは言え、全てにおいて正妃の私が優先されるのは当然ですのよ? 残念ですが、これまでのようにはいかないとご承知おき下さいませ」
「わ、私は……」
「もっとも、あなたの立場は些か難しいものになるのでしょうね。子を産めない側妃など、存在意義が問われそうなものですもの。 ――だけど、いいではありませんか。あなたはこれまで散々陛下を独り占めにしてきたのですから」
「子を産めない……」
「あら? もしかして、お気に触ったかしら? それはごめんあそばせ」
返事もできないまま、ただひたすらに立ち竦むジルダ。
中肉中背に見えて、その実極限まで鍛え上げられた身体を小刻みに震わせながら、頑なにペネロペと目を合わせようとしない。
そして彼女の一番の特徴とも言える細く鋭い瞳は、今や焦点も合わないまま泳ぎ続けていた。
背が高く肉感的な身体をしている割には、顔が小さいペネロペ。
頬と唇がふっくらとした、所謂「ベビーフェイス」の彼女がニンマリとした笑みを浮かべると、その顔はどこか小悪魔のように見えた。
そんなペネロペは、身動きできないままのジルダになどまるで構わず、言いたいことだけを言い募る。
「そこでお願いなのですけれど――私に稚児ができるまで、しばらくおとなしくしていてくれませんこと? あなたが近くにいると陛下の気が散ってしまいますの。 ――もっとも、無事に私が懐妊した暁には、またあなたの好きにしてかまいませんけれど」
その言葉に、ジルダは愕然としてしまう。
セブリアンは自分を愛してくれている。
30代も半ばを過ぎた暗殺者崩れでしかない自分に、過分なほどの愛情を注いでくれるのだ。
しかしそこには一つだけ足りないものがあった。
それは「子」だ。
彼と過ごしてきたこの10年は本当に幸せだった。しかし同時に、一抹の寂しさを感じることもあった。
その度に彼の子を生みたいと思ってきたのだ。
しかしそれは決して叶わなかった。
何故なら、とっくに自分は子を産めない身体になっていたからだ。
暗殺者としての技術を叩き込まれる中で、15歳の少女には酷としか言えない行為を強要された。それも何度も何度も、嫌になるほどの回数だ。
彼らは訓練と称していたが、思い返してみればそれも半分は奉仕のようなものだったのかもしれない。
しかし当時の自分はそれに逆らうことはできなかった。
行為に怯え、羞恥に震えながらも、それが訓練だと言われれば男たちの言いなりになるしかなかったのだ。
そして何度も堕胎を繰り返した挙げ句に、気づけば二度と子を産めない身体になっていたのだった。
顔を俯かせたまま、決して人には言えない辛く苦しい過去を思い出すジルダ。
そんな彼女の心の内を知ってか知らずか、最早無神経とさえ言えるような発言を繰り返すペネロペ。
彼女になにか言い返さなければと思えば思うほど、ジルダの口は動かなくなっていく。
今や青ざめた能面のような彼女に向かって、将来の大公妃が再び声をかけた。
「どうされましたの、ジルダさん? 先程から黙ってばかりですけれど。 ――まぁ、いいですけれど。なにはともあれ、陛下の妻同士仲良くしていただければ幸いですわ。これからよろしくお願いいたしますわね、ジルダさん」
「は、はい……こちらこそ、よろしくお願いいたします、ペネロペ様……」
それまで完全に固まっていたジルダではあるが、渾身の力を込めてなんとか口を動かすことができた。
しかしその薄い唇からは、全く当たり障りのない面白みのない言葉しか出てこない。
するとペネロペは、ジルダに向かってまるで勝ち誇ったような顔を向けた。
「うふふふ……承知いたしましたわ。 ――それではごきげんよう」
――――
場所は変わって、こちらは隣国のブルゴー王国。
その首都モンタンバルにある王城の一角。
ブルゴー王城の東の外れには高い塔がある。
もともとそこは物見用の尖塔だったのだが、外部から隔絶された立地が罪人用の牢に適しているとして、今では位の高い貴族などの幽閉用に使われていた。
その中でも一番高い位置にある一室――ほとんど陽の入らない昼なお暗い牢獄に、一人の貴婦人が訪れていた。
ざっくりとしたフードを頭から被っているので詳しくはわからないが、まさに中肉中背の体格は凡そ特徴のないものだ。
しかしフードの端から垣間見えるその顔はとても見目麗しく美しい。
年の頃は20代後半だろうか。
10代後半で結婚する者が多いこの時代において、その年齢はすっかり年増と言ってもいいだろう。しかし美しく整ったその顔は、未だ十分に若々しく可憐に見える。
さらにフードから溢れる長い金色の髪は、松明の灯りだけが頼りの暗い廊下に眩いばかりに輝いていた。
ともすれば年若い生娘にも見えるほどの美しさと可憐さに目を奪われてしまうが、なんとその女性は8人もの子どもたちの母親だった。
未だ若々しい容姿を保ちながら、その反面、子沢山の公爵夫人として王国中に名を馳せる貴婦人――そう、この女性こそがブルゴー王国国王イサンドロの実妹にして王位継承位第一位、そして「魔王殺し」勇者ケビンの妻でもあるエルミニア・フル・コンテスティだったのだ。
騎士の案内のもと、松明の灯りを頼りにエルミニアが真っ暗な廊下を歩いている。
そして一番奥の牢にたどり着くと、小さく声を出した。
「あなた……お変わりはありませんか?」
「やぁ、エルミー……毎日すまないな。君の顔を見るとホッとするよ。でも……何度も言うけれど、こんな暗くて臭いところに君のような女性が来るべきではない。俺はもう鼻が慣れてしまったが、ここは相当臭うだろ?」
声を掛けられる前から気づいていたのだろう。エルミニアの声が聞こえるやいなや、向かいの牢から一人の男が近づいてくる。
松明の灯りさえ届かない漆黒の闇の奥から姿を現すと、錆びた鉄格子越しにケビンは優しく微笑んだ。
ケビンがこの牢に入れられてから、すでに10日。
報告を受けたエルミニアはその直後に会いに行ったのだが、警備の騎士も看守も誰も彼女を止めようとはしなかった。
国王の命令とは言え、救国の英雄である「魔王殺し」を牢に閉じ込めるなど彼らの本意ではなく、こっそりとエルミニアを通してくれたのだ。
しかも持参した差し入れや着替えまで見逃してくれたうえに、牢への案内までしてくれた。
その様子からは、ケビンを牢に閉じ込めておきたいなどとは彼らも思っていないのがよくわかる。
しかし国王の命令だとして、表向きは従っていたのだが。
10日も風呂に入れずに、用を足すのも備え付けのバケツという、救国の英雄に対するにはあまりに酷い待遇に文句の一つも言いたくなるだろう。
しかし愚痴の一つも零さずに、ケビンはただ妻と子どもたちの身だけを案じていた。
無精髭が目立つ顔を綻ばせると、ケビンは妻に向かって笑いかける。
酷い環境に置かれながらも、まるで屈託のない笑顔を見せるケビン。その姿からは、妻を心配させないようにする彼の優しさが垣間見えた。
徐々に窶れて来ているが、それでも昨日とそう変わらぬ姿に安堵しながら、エルミニアは必死に口を開いた。
「何を仰るのです? 私は全く平気です。子どもたちも皆元気ですから、あなたは何も心配しなくてもいいのですよ……だけど……いつまでこんな所に……」
酷い境遇にもかかわらず、自分よりも妻を心配する夫の姿に涙がこぼれてしまうエルミニア。
そんな彼女は、鉄格子越しにケビンの頬を掌で撫でた。
するとケビンは彼女の手をそっと包み込んだ。
「いつまで……か。恐らくカルデイアとの戦で陛下が戦果を上げるまでだろう」
「戦果を……? それは――なぜ?」
「あぁ――君も薄々感じていると思うけれど、陛下は俺のことを――何て言うのが正しいのかわからないけれど――嫉妬? しているようなんだ」
「嫉妬……ですか?」
その言葉を聞いたエルミニアは、顔に怪訝な表情を浮かべてしまう。
夫は自分に「薄々感じていると思うけど」などとは言ったが、自分では考えたことなどなかったからだ。
天下のブルゴー国王が、妹の夫に嫉妬……?
まるで意味がわからない。
そもそもそんな感情を向けられるようなことを、この人はしただろうか?
その思いが顔に出ていたのだろうか、妻の表情に軽く笑みを浮かべるとケビンは再び口を開いた。
「そう、嫉妬だよ。君は気づいていなかったかい? ご存知のように陛下――義兄はあまり本心を表に出さない人だ。確かにいつもニコニコと笑って話しやすい雰囲気だけれど、あれは上辺だけでしかない。その本心はいつも心の奥深くに隠しているんだ」
「それは……昔から私も気づいていました。人好きのする今の姿も、所詮は演技でしかないことはわかっています。でも……嫉妬だなんて……しかもあなたに?」
「そうだ。どうやら陛下は俺を敵視――と言うと語弊はあるが、とにかく昔から俺に対して対抗心のようなものを持っているみたいなんだ」
「……はぁ、まぁなんとなくわかるような……」
どこか釈然としない様子で首を捻るエルミニア。
その様子を見る限り、彼女はケビンの説明に納得しているようには見えなかった。
ご存知のように、兄や姉とは違いエルミニアは側妃の子だ。
そのため彼女は幼少の頃から色々と差別的な扱いを受けてきた。
王城に住むことさえも許されず、側妃である母親とともに離宮に隔離された挙げ句に、兄たちの前に姿を見せることも許されなかったのだ。
そんな幼少期を過ごした彼女ではあるが、一応は王族の一員として実兄イサンドロとの付き合いは長い。
特に長兄セブリアンが失踪してからは、互いに幼い頃の蟠りを捨てて兄妹としてそれなりに仲良くしてきたつもりだ。
その兄が常に仮面を被っているのには気づいていたが、まさか自分の夫に嫉妬しているとは思わなかった。
その事実を知らされたエルミニアは、思わず愕然としてしまう。
しかしなぜ彼が夫に対してそんな感情を抱くのだろうか。それすらもわからない。
そんな妻の姿を見たケビンは、まるで諭すようにゆっくりと話し始めた。
「いいかい? 考えてごらんよ。何故このタイミングで俺を拘束したと思う? もうすぐ戦を始めるという、このタイミングで」
「それは……あなたが陛下に意見したから……」
「まぁ、確かにそれもあるだろう。しかし、真意はそこじゃない。陛下はこの戦を俺抜きでやろうとしているんだよ、きっと」
「えっ……? それは……何故なのです? だってあなたは『魔王殺し』なんですもの。戦に同行させれば、容易く勝利を手に入れられるはずなのに……」
「そこだよ。まさにそこなんだ。 ――こう言ってはなんだが、イサンドロ陛下が国王になってから5年、未だ何一つ事を成していない。失踪したセブリアンは見つけられず、そのせいでハサール王国には大きな借りを作ってしまったし、内政に関してもこれといった大きな成果は挙げていない。外交だってそうだ。就任時にぶち上げた周辺国との自由貿易だって、あれからずっと頓挫したままだ」
その説明に納得できるところがあったのだろう。
エルミニアは愛らしい顔を頷かせてしまう。
するとケビンは、小さく微笑んで話を続けた。
「そして、ここ数年はどうだ? 陛下はずっと世継ぎの誕生を望まれている。子ができないのは正妃のせいだとして側妃まで囲ったのに、そちらにもまるで子が生まれる気配がない。ずっと離宮に籠もりっぱなしだというのに。 ――それに対して、気づけば俺は四男四女の大家族だ。こんな俺と常に比較されているんだよ、陛下は」
「……」
「子供の数だけで男の価値が決まるわけじゃない。しかし国王である義兄は、そこが重要なんだ。その点では完全に陛下は俺に負けている。しかも、ここに来てこの戦だ。 ――なぁ、エルミー。もしも俺がこの戦に同行して、しかも勝ったとしたらどうする? 市井の者たちはなんて言うと思う?」
突然の問いに、エルミニアの顔がハッとなる。
彼女としても思うところがあったらしく、酷く躊躇しながら口を開いた。
「勇者ケビン……『魔王殺し』がいたおかげだと……誰もが言うでしょう」
「そうだ、その通りだ。どんなに陛下の力で勝ったとしても、そこに俺がいるだけで誰もが俺のおかげだと言うだろう。 ――自分で言うのも何だが、俺は一人で戦局を変えられるだけの力を持っているからな」
「はい、それはわかります……なんと言ってもあなたはあのアニエスのたった一人の弟子なんですもの。 ――それでは、そう言われないためには……」
「あぁ。最初から俺を戦に連れて行かない。そうするしかないんだよ、陛下としてはな。しかし、俺ほどの戦力を戦場に連れて行かない、誰もが納得する理由が必要だ」
「あぁ……それであなたに敢えてあんなことを言わせて……」
「恐らくそうだろうな……」
離れたところで二人の会話を聞いていた騎士が、震えるほどの力で握りこぶしを作っている。
彼とても隣国カルデイアの非道な行いに腹を立てているし、宣戦布告というこの度の国王の判断に納得もしていた。
しかしその背後にそんな思惑が隠されていたなど、露にも思わなかったのだ。
戦を起こす以上、必ず勝たなければならない。
しかも今回はこちらから仕掛けるのだから、その勝利は必須だ。
とは言え、戦とは人と人の殺し合いなのだから、たとえ勝ったとしても少なくない被害はあるだろう。
それなのに陛下は、己の嫉妬心から「魔王殺し」の力を敢えて借りないというのだ。
こんな身勝手で無責任な話はないだろう。
本来であれば死なずに済んだ者たちが、国王のくだらない対抗心のせいで命を散らしてしまうのだから。
ギリギリと奥歯から音が聞こえるほど歯を食いしばる騎士。
そんな彼に苦笑を浮かべながら、ケビンが声をかけた。
「ふふふっ……君は正義感が強いんだな。しかしそんなに怒るな、これは仕方のないことなんだ。 ――まぁ、今の話は聞かなかったことにするんだな。できればすっかり忘れてほしい」
「はっ!! も、申し訳ありません!! お二人の話を聞くつもりはなかったのですが――」
世界で唯一の現役勇者の称号を持ち、世界最強の剣士との呼び名も高い勇者ケビン
救国の英雄にして「魔王殺し」の異名を持つ勇者ケビン。
先王アレハンドロの末姫の夫にして、現国王の義弟であるケビン・コンテスティ。
そんな彼に対して、同じ剣技を極める者として騎士は尊敬の念を禁じえない。
しかも言わば言いがかりとしか思えない理由で牢に繋がれているのだから、彼としても色々と思うところはあるのだろう。
心から尊敬する勇者ケビンに声をかけられながらも、彼の声には怒気が含まれたままだった。
「自分には納得がいきません。 ――確かに陛下には、私のような者には理解し難い崇高なお考えがあるのでしょう。しかしそんな理由で貴方様を捕縛し、剰え――」
「おっと、そこまでにしておけ。それ以上言うと不敬に当たるぞ。もしも誰かに聞かれたら、この俺のように投獄されてしまう。お前とて、それは本意ではないだろう?」
「も、申し訳ありません!! 失言でした、お許しを!!」
ケビンの言葉に直立不動になると、騎士は再び口を閉ざしたのだった。
それから暫くの間ケビンとエルミニアは雑談を交わしていたが、看守と騎士に見逃してもらっている手前そう長くはいられない。
後ろ髪を引かれる思いに耐えながら彼女が去っていくと、その背中を見つめるケビンは物思いに耽ってしまう。
父王の血を引いていないにもかかわらず、それを隠して国王になろうとしたセブリアン。
背後でカルデイアと繋がり、他国の将軍を暗殺し、それがバレたとわかった途端、愛する妻と子を攫って剰え皆殺しにしようとさえしたのだ。
それだけでも許しがたい為業だというのに、愛する妻の母親――ジャクリーヌ・トレイユを毒殺したのも彼だった。
幼い娘を残してこの世を去らねばならなかったジャクリーヌ。
その無念は如何ばかりか。
父親になって初めてわかったその辛さと苦しさは、ケビンにとって想像するに余りあるものだった。
散々この国を騒がしておきながらある日忽然と姿を消したかと思えば、気づけば隣国の国家元首になっていた。
挙げ句に、此度の戦の原因にさえなっていたのだ。
「くそっ!!」
ドゴンッ!!!!
そんな己の思索に、思わず感情を高ぶらせてしまうケビン。
イライラを誤魔化すように左手で壁を殴ると、轟音とともに巨大な穴が空いた。
パリパリと電気のようなものを左手に纏わせながら、ケビンは自分が開けた穴から外を覗き見る。
それは人ひとりが楽に通り抜けられるほどの穴だった。
もしもその気があるならば、今すぐにでも外に出ていくこともできるのだ。
しかしケビンは全く動こうともせずに、穴から差し込んでくる太陽の光を浴びながら看守に向かって叫んだ。
「おい、看守!! また壁に穴が空いたぞ!! これでは寒くて敵わんだろう!! 牢を変えてくれ!!」
今やひしゃげてしまった鉄格子を押し退けながら、ケビンは不機嫌な顔を晒し続けた。








